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中原審議委員記者会見要旨(4月17日)
平成15年4月17日・鳥取県金融経済懇談会終了後の記者会見要旨
2003年4月18日
日本銀行
―平成15年4月17日(木)
午後2時30分から約35分間
於 ホテルニューオータニ鳥取
【問】
今日の金融経済懇談会の印象について、お伺いしたい。
【答】
印象を一言で申し上げると、私にとって大変参考になったし、日銀としてもご出席の皆様から色々と貴重なご意見を頂戴した。なかなか問題が広く多いうえ、金融政策とは関係ない部分もあり、日銀としてすぐさまこれに対して何か申し上げるということは、それ程多くないと思う。経済政策の一翼を担う日銀、金融政策の責任をとる日銀として、また、政府との対話の中で今日頂戴したようなご意見を申し上げて、今後の日本経済の発展に力を尽くしていきたいとの決意を改めて持った次第である。
少し内容についてお話しすると、個別の意見については差し控えさせて頂くが、まず私ども日銀が、こうして地方で金融経済懇談会を開催させて頂く1つの目的は、日銀の金融政策についてご理解を頂く、あるいはご示唆を頂くと同時に、地方経済あるいは地方の金融機関やその取引先、特に中小企業、地方の行政を行っておられる県あるいは市の皆さんが、どういうご苦労をされているのか、側面的なものにせよ日銀として何か行えることはないのか、今後の政策に活かしていけることはないのか、あるいはプルーデンスの面でも地域の金融機関がどういうことに悩んでいるのか、こういうものを把握しようということである。特に最近の状況として、東京の一極集中ないし都市部への集中、あるいは地方でもその中心的な市なり町なりへの購買力や経済活動の集中など、二極化あるいは一極集中の下で、地方経済がだんだんと疲弊していくのではないか、ということがある。そういう中で、中小金融機関や地域金融機関、あるいは中小企業がどうやって今後長期的な観点から生きていくべきなのかといった部分に私個人としても日銀としても大変関心を持っている訳であるが、そういう点についても今日色々と貴重なご意見を頂戴した。
鳥取県の置かれている状況について、事前の勉強や、懇談会の中で色々と頂戴したご意見から思うことは、やはり当地の経済運営は公共事業にウェイトがかかっている、という点である。この公共事業にかかっているウェイトをどうやったら変えていけるのか、脱却していけるのかを大変強く懸念した。2番目に、やはり県としてあるいはそれぞれの経済団体の代表者として皆さん大変悩んでおられるのは、雇用をどうやって維持するのかという点であった。これについても色々なアイデアを出したり、あるいはご苦労されていることを伺った。もう1つはかなり長期的な問題であるし、日本全体にわたる問題でもあるが、少子高齢化、特に鳥取県は人口の減少もあり、これにどう対応していくのか、といったご意見についても頂戴した。その他、基本的にこうした問題意識の下で、地方と中央の関わり方——地方の時代とか地方分権とか言われている——が、どうも表面的・皮相的なものになっていないか、もう少し地方の実態や実情・ニーズを踏まえた本当の意味での地方分権というものが必要なのではないか、あるいは官と民の切り分けについての見直しが必要なのではないかというお話もあった。この点は、私の方から、金融も同じで、金融機関の収益性という問題に絡んで政府系金融機関、民間金融機関の役割について一言申し上げた。さらに言うと、もう少し広い意味で官と民とがどう協力していくのか、あるいは民のアイデアなり効率性なりをどうやって育てていくべきかという点については、基本はやはり官の関与の部分を出来るだけ小さくしていかなければならないのではないか、といった問題意識である。それから地方の活性化における地域金融機関と中小金融機関の役割というものをどう考えるべきか、リレーションシップ・バンキングにかかる答申が出たが、そこで描かれている問題意識についてどう考えるか。あるいは、景気を良くしていく時に財政がどういう役割を果たすべきなのか。さらに、日銀はやはり通貨の番人として基本的な役割をきちんと認識するべきであり、色々な政治的圧力あるいはその時その時の流れに押し流されるのではなく、最後の大事な基本の部分はきちんと認識し守るべきである、といったことなど、色々なご意見を頂戴して、大変有益な懇談会であった。そうかと言って、それぞれの点について解決策が全て議論された訳ではないが、私なりの結論を申し上げれば、ある意味では日本全体にわたる閉塞感から脱却するには、民間の色々な経済主体と官、あるいは日銀が力を合わせて総合的な対策、あるいはコンシステントな施策を打っていくべきであろうと思う。こういう問題は、時間をかけて歪みを少しずつ直しながら状況を改めていくべきであろう、というのが私の結論である。
【問】
大変参考になったご意見とは、具体的にはどのようなものか。貴重なご意見等に対し、日銀として具体的な考えはあるか。
【答】
貴重なご意見とは、今ご説明申し上げたようなかなり広範囲にわたり、かつ非常に細かな点からマクロ政策に至るまでのものであり、それぞれ参考になった。個々のご意見については、ここで紹介するのは差し控えさせて頂くが、例えば、通貨の番人としての日銀の機能を忘れるべきではないというご意見は、改めて我々の立場、日銀の立場というものを考えなくてはならないと思うし、——これは当然のことといえば当然のことであるが——私にとっても、よく考えていかなければならない一番基本の問題をご指摘頂いたという意味で、貴重であった。
【問】
先程の講演の中でも述べられていたかと思うが、金融政策について何点かお聞きしたい。まず、1つが、外債であるとかETFの購入についてどういうお考えであるのか、特に昨日自民党のデフレ対策特命委員会が、日銀に対してETF3兆円程度の購入を働きかけることを決めたようだが、まずこの点についてのお考えをお聞きしたい。次に、名称はともかくとして、物価上昇率について目標を設けるといった考え方についての見解、また、これも同じ自民党の委員会で今日銀が掲げる「CPI0%以上」というものに対して時期を明記すべしということも出ているようだが、これについても合わせてお聞きしたい。
【答】
私のスピーチ原稿を読んで頂ければ、一応全部その中に織込んだつもりであるが、まず、外債とETFの購入というシナリオを私としては排除はしない。しかし、外債とETFを購入する時に1つ大事な事は、どういう目的で購入するかということである。考えとしては2つある。1つは、流動性の供給という本来的な金融政策の立場から考えるもの。もう1つは、最近特に株価が下がっているので、「資産価格を上げるために日銀が株を買え」という主張である。基本的には、中央銀行の金融政策としては流動性供給の目的で買うべきであると思う。ただ、現在の株価が今後どうなるのか——特に資産という時は株が皆さんの頭にあると思うが——また、そういう株価の状況如何で価格を支持するために日銀と言わず政府と言わずとにかく公的な立場で買うことについて、私は、株価の下落によって生ずる日本経済へのダメージと、それから株を公的な立場から購入するということによって生ずるマーケットのディストーションとか将来的に発生するかもしれない副作用とかといったバランスの上で考えていくべき話だと考えている。そういう哲学論は別として、現実問題としてETFを買う時に、たとえ流動性の供給として買うとしてもどの位のサイズで買えるのかという問題がある。マーケットでETFのターンオーバーは月間1,500億円位しかないと聞いているが、流動性の供給ということになればおそらく数千億円単位の購入をすることになる。流動性の供給ということになれば、後に売ることも考えなければならない。日銀が流動性供給のために買ったETFは、翌日からポテンシャルな供給圧力としてマーケットを圧迫する訳である。流動性供給のために買ったものを10年も保有しておくとは、日銀としても言う訳にはいかないと思う。流動性供給によるプラスの効果が勿論あるかもしれないが、一方で、潜在的な供給圧力がマーケットを不安定にしてしまうかもしれない。また、実際に売る場合を考えると、月間のターンオーバーが1,500億円位しかないマーケットで日銀が数千億円単位で買ったとしても、ETFの買い手がいないとすれば、売る時は大変なパニックになるかもしれない。個人投資家はまだまだETFを買っておらず、証券会社がかなり保有している。それならバラして売ればよいではないかという話もあるが、バラして数十銘柄・数百銘柄を現実に売るというのはテクニカルに非常に難しいと思う。ETFというのは投資信託であるから、上場基準みたいなものもあり——全部細かく詰めた訳ではないが——そういう現実的な問題を色々と考えると、そう簡単ではないなという気がしている。
外債を購入するということは、基本的にはドルを高くするということである。流動性供給のために購入しても、価格に影響が出てくる可能性がある。価格に影響が出る場合には、これは基本的には財務省の管轄事項であり、法律的な点をクリアしないとならない。また、日銀が大量にアメリカ国債を買うことによるアメリカの金融政策への影響というものを考えなければならない。日本という経済大国が自国の経済厚生を上げるあるいは不況から脱出するために、一方的に為替操作を行うということは国際的にもなかなか難しいのではないか。私は、ETFや外債の購入もシナリオとして否定はしないが、流動性供給を前提としても色々なテクニカルな問題がある。また、資産価格を維持するための購入は、日銀に与えられたマンデートだけでは難しいのではないか。やはり経済対策あるいは緊急対策として、財務省あるいは政府を含めた全体の政策としてやっていくべき話ではないかと思う。
物価上昇率の目標設定、いわゆるインフレーション・ターゲットについては、——これは前からの私の持論であるが——、それ自体が手段ではなく、単に金融政策の枠組みであると理解している。従って、インフレーション・ターゲットを決めたからといって、それが直ちに波及効果を高めるとか、実体経済を刺激するというような効果があるとか、そういうものではないと思う。問題はやはり、物価上昇率について目標を決めた時に、それを達成する手段として何を使うかということであって、その手段と一緒に議論をしないと意味がないというのが私の理解である。物価上昇率の目標を作った方がよいのか、作らない方がよいのかの判断について、私は一定の期限を定めて、その期限までに日銀が傾斜的な政策運営——ある意味ではなんでもありの政策——を行いながら、その目標を達成するべきだという意味でのインフレーション・ターゲットであれば、無理があると思う。ただし、スピーチの中でも述べたように政府と共通の目標としてプラスの一定の物価上昇率を共有し、政府と日銀が、その目的と整合的な政策を展開していくこと、そういう意味で一定の具体的な物価上昇率をもつことは差支えないし、場合によっては必要なことでないかと思っている。また、時間軸の中で特定の数字を言うということがどういう意味を持つか、現実にどういうインフレ目標値あるいはインフレ参照値を持つとどういう違いが出てくるかということは、なかなか判断が難しいと思うが、現在の時間軸というのは最終目標を言っているのではなく、単に調節の枠組み、量的な調節を行うことについてコミットしている訳であって、物価上昇率についての目標をコミットしている訳ではない。一定の具体的な物価上昇率を参照値として金融政策を運営するものではないという意味において、そこには自ずと違いがあるのではないかという気がしている。
【問】
確認だが、「金融政策の目標・手段は一体的に考えないといけない」ということからすると、「参照値として目標を掲げつつ、例えばETFや外債のようなものを手段として考えていく」ことを否定しない、という理解で良いか。
【答】
参照値を最終目標と同義に扱うということに関しては色々な議論があると思う。目標というからには、当然に目標性を強めるようなある程度の条件は必要ではないかという気がしており、目標より参照値の方が多少弱いと思う。いずれにしても、私の理解の中では、特定の物価上昇率を明示して、政策をその方向に向けて運営するという趣旨で、目標と参照値についてそれほど大きな違いを意識している訳ではない。ただ、今のインフレ目標の考え方については、時限を決めてそれまでに、強いていえば何が何でも達成しないと、日銀が責任を取る、という意味でインフレ目標率の設定を言う方も多いことから、そういう方に対しては、それとは違う考え方であると申し上げている。それから、手段とともに考えるべきであるというのはそのとおりであるが、結局、手段として何を採用するかという問題と、日銀自身の財務の健全性をどうやって維持するかという問題、あるいは現在の政策からイグジット(退出)する時にどういう政策を取っていることがよりスムーズなイグジットに繋がるのかという問題、それからもちろんある手段を実施した場合、どういう副作用がでるかという問題がある。そういうものを判断すれば、「インフレ目標を作ったからそれに向けて何でもやる」ということは取り得ない訳だし、一方では、やはり健全性とのバランスの問題等も考えていかなければならない。そういう中で判断していくべきであるという意味にとっていただきたい。
【問】
物価参照値を期限を決めずに政府と共有していくことは、金融政策の選択肢の一つだということであるが、今の景気シナリオが色々なリスク要因で崩れ、景気の悪化や株価の下落が予想される場合、期限を決めない参照値を政府と共有したからといって、何かが変わる訳でもなく、いわゆるリスクシナリオのための日銀の政策としては殆ど何も言わないに等しいのではないか。
二つ目に、ETF、外債を買う場合に、あくまで流動性供給に徹する方が望ましく、仮に価格支持を行うにしても、政府が何らかの機構等を作り、そこに日銀が流動性を供給するかたちが望ましいと思うが、政府の方の受け皿作りには時間がかかり、今、存在する株式取得機構は現実には機能していない。そういう中で、政府ができないのであれば、日銀がやるしかないというような声が出ても不思議ではないと思う。流動性供給と価格支持というのは、ある種切っても切り離せないところもあるのではないか。そもそも今回購入方針が出されているABCP、ABSは、もともと流動性もなければ価格も、市場もない。そういうところに市場を育て、資金の目詰まりを解消するという目的のために敢えて日銀が買うといっているのだと私は理解しているが、そうであれば、このETF、株式にしても、今の目詰まり、流動性の低下、リスクプレミアムの上昇というのを解消するために日銀が買うということは、ある種何の不思議もないのではないか。
最後に、財務の健全性ということについて、福井総裁も財務の健全性に気をつけなければならないと言っているが、このようなデフレの時代に政府と日銀の財務をどこまではっきり区別すべきなのだろうか。日銀がリスクを取るということについて、自己資本の制約はどれほどの意味があるのだろうか。
【答】
期限を設けず参照値を設けても意味がないのではないか、というご質問の趣旨は良く分かる。参照値にしても、インフレ目標にしても、これはあくまで枠組みであって、金融政策でもって実体経済を刺激しようという手段ではない。結局、参照値を設けたとしても、インフレ目標を設けたとしても、どういう手段をとるかというところにかかってくるわけである。リスクシナリオが実現した場合、参照値など設定してもしょうがないということであるが、政府と日銀が共有する、あるいは日銀が参照値として具体的な最終目標をコミットすることによる期待形成にかける部分は無視できないと思っている。いずれにせよ、量的緩和のコンセプトの下で、インフレ参照値というものを、期限付きで、あるいは期限のない形で決めていく訳である。ご質問を突き詰めていけば今の量的緩和は意味がないのではないかということになるわけだが、前から言っているように、量的緩和というのは、景気回復、あるいはデフレ解消の必要条件ではあるものの、今までの2年間の動きをみる限り、必要十分条件とは中々言い難い面がある。流動性供給により金融システムの安定性は維持できたが、実体経済の刺激効果は十分に顕現したとは言い難い。結局、行き着くところは量的緩和の効果がどうか、という問題だと思う。当然ながら量的緩和に効果がないのであれば、もっと効果のある政策を打つべきではないかという議論は分かるが、恐らく、今の与えられた環境の下で、日銀が技術的な政策選択をしていくことになれば、やはり量的緩和の延長線上でものを考えていくしかないであろうと私は判断している。そういう中で、この量的緩和が効果を出していくためには、一方で構造改革なり、サプライサイドの改革が必要であろう。さらに、もう少し具体的に効果をあげていくためには、財政との合わせ技というのを考えざるを得ないのではないか。
二番目の質問は、ABSやABCP等市場の目詰まりを直すという趣旨で現実に政策の検討を始めている中で、ETF、株式の購入とどう違うのかという質問かと思うが、ABS、ABCPの購入は、金融政策として、ロットの纏まった流動性供給の手段というよりは、ある種のミクロ政策、制度金融、あるいは市場育成という意味が強いと理解している。ABCP等の場合は、やはりその施策を取ることによって、具体的に資金繰りのきつい中小企業に緩和効果を及ぼすというメカニズムがある程度明確だと思う。一方、ETF、株式を購入した時に、それが本当に金融緩和のどこにどう繋がっていくのか、オペで長国を買い切るのとどう違うのか、その辺についてのトランスミッション・メカニズムというものがはっきりしないところがあると思う。また、ABS、ABCPといった流動化資産の購入の検討に踏み切ったことは、日銀の伝統的な政策からすると、かなり大きなジャンプであることは間違いないが、私の理解では、これらはプール資産ということで個別性がかなり薄くなっているほか、分散によるリスク軽減の部分があるため、民間信用を直接取るという意味では中央銀行として取り付きやすい位置にあったということがいえると思う。
三番目の質問は、日銀の財務の健全性だけを問題にしても意味がなく、結局は公的組織として政府と一体で考えていくべきではないかという議論かもしれないが、日銀が財務の健全性を考え、これを一つの制約要因として政策を考えていかざるを得ない、というのは、日銀の政策についての与えられたマンデートがどういうかたちで与えられているかということに関連してくると思う。ご存知のとおり、日銀の政策決定は9人の委員の多数決で決まるわけだが、同じ法的な財政政策等を考えると、こちらは国会という国民の審査の目を通った結果として予算が決まり、その下で支出されることになるから、日銀は極端にいえば政策委員会の多数決で決めてお金を印刷すれば足りるということになる。民主主義の原則のような点からいうと、そこまで日銀がマンデートを与えられているかどうかということ、——結局この議論は非常に深遠な議論になるが——である。歯止めとして与えられた自己資本を維持しながら、その中で金融政策を実行していくということは、やはり考えていかなくてはならないと理解している。もちろん、自己資本が、やるべき金融政策の制約になるということは、本末転倒といえばそうかもしれない。しかし、もしそういった政策を採るのであれば、予算あるいは財政として日銀の自己資本はこういった政策を打つのに十分ではない、従って、日銀の財務的なサポートを国(の予算)としてやっていくべきだという結論になって、そのうえで新しいリスクテイクを日銀がやっていくということではないか。そうであれば、当然否定すべきことではない。そういう意味で、日銀の財務の健全性は絶対的な制約とは思わないが、財政やある種の民主的な決定プロセスという点から、それを担保する一つが日銀の財務の健全性ではないかと私は理解している。
【問】
先程、ABS、ABCPの購入など制度金融の世界に踏み込むという話があったが、何故、日銀でなければならないのか、政府系金融機関でもよいのではないか。また、いずれ、財政との合わせ技として、産業再生機構やRCCに対し、日銀が資金供給をするという話が再浮上すると思うが、どうか。
【答】
本来、政府系金融機関の役割ではないか、という議論は日銀内部でももちろんあったし、考えるべきポイントだと思う。今回のABCP等の日銀による買い切りの検討は、——ある種の言葉の遊戯になってはいけないが——、中小企業対策としてやるものではないという理解である。本当の意味での中小企業対策を、ある種のセーフティネットという考え方でやるのであれば、当然、これは政府系金融機関、中小企業金融公庫等の仕事になると思う。もちろん、その色彩が全くないとはいわないが、基本は、やはり、金融緩和の効果を最も向けていきたい中小企業、この分野の企業金融を円滑にしようという趣旨であり、金融政策の一つの範囲に入るものと私は理解した訳である。ただ、そこには境界線としてはっきりしたものがある訳ではないし、政府系金融機関と連携しながら政策を進めていくということは望ましいことでもある。このため、政策委員会の発表の中にも謳ってあるとおり、関連する政府系金融機関との協議、あるいは意見聴取等も進めながらプログラムを詰めていきたいとしている。
一方、産業再生機構への資金供給については、まだ具体的な議論は行われていないと理解しているが、将来の問題としては日銀が流動性供給で役に立つということも有り得る話であると思う。預保向け債権についても、現在、適格担保にしているし、当然、有り得ることだと思う。しかし、こうした点については、政府保証の下、民間市場で資金調達できるようなものに、敢えて日銀が積極的に割り込んで、民間からの調達を排除して資金を供給すべきかどうかについては大いに議論があるところで、まさに民業圧迫に繋がりかねない。政府保証の付いたこういう機関の資金調達というのは、ある意味では民間にとって貴重な収益資産ということになっている部分も否定できないと思う。そういう色々な要因を考えながら、こういう政府機関の資金調達に問題が生ずる、資金調達し難いといった問題が生じた場合には日銀が供給面で協力する、というプログラムを考えることは、当然将来も有り得る話だと思っている。
以上