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須田審議委員記者会見要旨(2月9日)

2005年2月10日
日本銀行

─2005年2月9日(水)
函館市における金融経済懇談会終了後
午後1時30分から約30分間

【問】

 本日行われた金融経済懇談会における話題およびそれを踏まえて、どのような印象をお持ちになったかお伺いしたい。

【答】

 本日、皆様からは公共工事の減少や消費の低迷といったことから、当地の景気は厳しいとの話があった一方で、主力の観光についてはチャーター便数で千歳を抜いて道内一の発着となったほか、台湾を中心に東アジアから観光客の入り込みが好調であるとか、全体としてもコンスタントに観光客が訪れており、客室稼働率も高いといった元気の良いお話をお聞きした。また、景気の現状について厳しいとか大変だとかいうことだけを言っていても駄目であり、特区の活用や「函館国際水産・海洋都市構想」の推進により、より魅力ある函館を作っていかねばならないという前向きな意気込みもお聞きし、僭越ながら大変心強く感じている。

 金融経済懇談会における挨拶でも触れたとおり、私個人としては、観光業についてはブームに左右されない観光客の誘致、農・漁業については企業経営の視点も取り入れ、他の産業に広がりのある基幹産業に据えての取り組みに期待している。こうしたことによって、函館が一般に言われているような地方の地盤沈下とは無縁な街となり、さらに発展されることを願っている。

【問】

 先程の懇談の挨拶の中で、委員は当座預金残高目標を維持した上でレンジ割れも認める技術的な対応が必要になるかもしれないと述べられたが、これはいわゆる「なお書き」で対応すべきだという認識をお持ちであるという理解で良いのかお伺いしたい。

【答】

 具体的にどのようになるかということについては、政策委員会においてボードメンバーで議論して決めるということであり、それも一つの考え方であると思うが、決してそれだけを考えているわけではない。

【問】

 他にどういった対応があり得ると考えているのか。

【答】

 具体的なことに関しては、政策委員会において議論していきたいと思っているのでコメントは控えさせて頂く。

【問】

  1.  いくつか質問させて頂く。まず、一点目は足許でオペの札割れが頻発していることについて、挨拶ではこれに対する対処方法として二つあげておられ、二つ目のやり方として一時的に目標を下回ることを認めるという対応について言及されている。また、その部分の最後のほうで少なくともこうした技術的な対応が必要になるかもしれないとご指摘されている。仮にこのような対応が行われた場合、30~35兆円という当座預金残高目標に対し、目標を上回ることには「なお書き」というものが認められていて、一時的に上回ることもあり得る一方、下回ることについてもまた同じように「なお書き」で一時的に下回ることも認めるというのは、レンジの上下で上振れたり下振れたりすることを認めるということになるが、そうなれば量的緩和政策において30~35兆円で今までやってきたことにどのような意味があったのかと疑問を持つ人もいると思う。上にも下にも需要に応じて増減させるということは、そもそもゼロ金利政策とあまり変わりがないのではないか。需要に応じて量を上下させるのであれば、1999年2月から1年半ほど行われたゼロ金利政策とあまり差はないのではないか。そうだとすると、これまでの量的緩和政策というのはどのような意味があって、ゼロ金利と何が違うのかということをお聞きしたい。

  2.  二点目は、もともと量的緩和政策では、須田委員がご指摘の通り、資金供給を円滑に行うために長期国債を買い入れるという手段をとったわけだが、まずはそれをやってからというのが、そもそも論で言えば量的緩和政策なのではないか。長期国債の買い入れ増額をあらかじめ排除し、一時的に当座預金残高目標を下回ることを認めるということは、量的緩和政策自体がかなり歪んでおり、もともとかなり欠陥のある政策だと判断せざるを得ないと思う。

  3.  三点目は、足許のデフレについて随分細かく言及されており、読んでいてなるほどと思う点がかなり多い。例えば、広義の公共サービスを除くと、物価はここ数か月上昇している現状にはなるほどと思う。ただ、なるほどと思えば思うほど量的緩和政策の「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上になるまで続ける」という枠組み自体が何かおかしいのではないかと考えるのが普通ではないかと思う。須田委員は、量的緩和政策の解除に関する約束は守るとおっしゃっている。ただその約束自体がもともとおかしい約束ではないかという考え方になると思うが、それにも関わらず約束を守ると言い続ける理由は何かお聞きしたい。

【答】

  1.  最初のご質問についてであるが、私がもともと量的緩和政策における「量」について、ある程度変動幅をもったほうが良く、場合によって「量」を減らしても良いと思うのは、「金利を安定化させる」というよりも、逆に「金利機能を少しでも活かして欲しい」ということを念頭において、「量」の振れのことに言及しているのであり、ゼロ金利政策とは視点が違っている。本日お示ししたのは、もともと資金需要が非常に小さい状況下で、国債発行の増加、税収の増加といった政府の要因で日々の資金需給の振れが非常に大きくなっているのであり、そこのところの対応のほうを大きく考えている。資金需要が非常に弱い状況で、かなり短期の間で10兆円を超えるようなかたちでの資金の振れがある場合について、それにうまく対応できるかなと考えたときに、技術的な対応として、下振れてしまうことは許容しても良いのではないかと私は考えている。ご質問のゼロ金利政策との違いという点だが、いずれにしても「量」は必要以上に出し続けるということである。資金需要がどれだけなのかを図ることは私には到底できないが、この分だけ需要が減ったから、その分だけ減らせばいいということでは全くないと考えている。十分必要以上に「量」を出し続けることを前提として、当預残高目標の引き下げの可否を考えている。

  2.  二点目の質問についてであるが、確かにもともとは、資金供給を円滑にするために長期国債の買い入れを増額することもあり得ると考えてきたわけだが、それは少しずつ増やしていくということである。挨拶で申し上げたように、今のような状況で簡単に長期国債の買い入れを増やすような対応ができるかといえばそうではないと思う。一時期に大量に買えば良いと言われれば、そうかも知れないが、資金ニーズがそもそも残高でみて下がってきている、資金需要がこれまでよりも弱くなっている中で長期国債をたくさん買えば他のオペの札割れが多くなる。市場参加者が欲している流動性ニーズに限りがあって、そのニーズが小さくなっている限り、そこに長期国債での資金供給を足したからといって、資金がうまく供給できるという自信が私にはない。それともう一つは、これから先の金融政策が正常化していくという過程を念頭に置いたときに、日本銀行のバランスシートを考えると、負債の部分では当預残高および日銀券といった短期の負債が大部分であるのに対して長期の資産を多く持っているということは、正常化の過程で流動負債を減らしていくときに、場合によっては、そういった長期の資産を売却しなくてはならず、それは調整の過程で、非常にコストが大きくなる側面もあると思う。この観点からも私は長期国債の買い入れで資金供給を円滑にしていくという選択肢は認められないと現在は考えている。

  3.  今の量的緩和政策の枠組み、あるいは約束がおかしいという三点目のご指摘についてであるが、2003年10月に量的緩和政策のコミットメント──消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上になるまで量的緩和政策を続けるという約束──を明確化する際に、いろいろなことを考えた。明確化した条件については、こういった条件を付けると「ビハインド・ザ・カーブ」になる可能性はあるのだろうかといったことも考えた上で決定したものである。この条件については、我々は「ゼロ%」と書いているが、一時期のマーケットの反応をみていると、もう少し高いインフレ率になるまでこの状態が続くであろうと受け止められているようなところもある。そうではなくて、「ゼロ%」というのを言葉どおりと考えるべきである。

     状況が変わったら条件は変えても良いのではないかという考え方に関しては、そういうことを一度行うと中央銀行の言っていることに対する信頼が欠如するということもあると考えている。また、金融政策の決定に携わるボードメンバーには任期があるが、メンバーが変われば条件を変えても良いというふうになってしまうのはとても怖いことである。中央銀行として過去に決定したことを尊重しながら、その時々の条件に応じて皆を説得しながら政策を変更していくということだと思っている。今の条件の「ゼロ%」が文字通り「ゼロ%」以上であるということならば、それほど厳しい条件ではないというふうに思っているし、そして中央銀行の信認を維持するためにもこの条件はこのままで守っていきたいと考えている。

【問】

 これまで他の厳しい経済状況下におかれている地域もいろいろとお回りになったと伺っているが、それらの地域と比べると苦しいと言われている函館の景気はどうなのか、比較して教えて頂きたい。

【答】

 支店長会議などでも話をよく伺っていたので、本日の挨拶でも触れたとおり、北海道の景気は厳しいという認識で函館に来た。もっとも、本日は厳しいと言っていても仕方がないと多くの有識者の方々が思われているということを示して下さったので、結果として、他の地域以上に明るかったという実感を持った。もちろん、業況が厳しい建設業のお話などもお伺いしたが、それでも全体としては、想像以上に明るかった。おそらくマインド面でプラスになっているのは、観光が底固いことに加えて、新幹線の着工が大きな影響を与えているのではないかと思っている。率直に申し上げて、びっくりするくらいの明るさであった。

【問】

 当座預金残高の減額の一つ目の考え方であるが、市場の受け止め方と市場機能の改善の程度を比較考量する必要があるとの点について、現在比較考量されて須田委員はどのようにお考えか。どういう状況になれば減額が認められる状況とお考えになっているのか教えて頂きたい。

【答】

 挨拶で申し上げたとおり、当座預金残高目標を増やすときに、金融緩和であるというような言い方をしてきたこともあるため、当座預金残高目標を引き下げるということを言えば、アナウンスメント効果として引き締めだと思われても仕方ないと思っている。短期金融市場の参加者のように、良く実態がわかっている人についてはそういうことはないと思うが、米国よりも日本の経済成長率の数字が高くでた一時期と比べると日本経済は今足踏みしている状態であるため、短期金融市場から遠くの人──例えば、海外とか、国民とか──に対しては、そういうことをすればマイナス面の方が大きいと考えている。市場が本当に資金はいらないというシグナルを発し、かつ経済が良くなって再び景気回復の足取りがしっかりしてきたという時には、逆に短期金融市場から遠くにいる人の評価は、景気が良いのだから当座預金残高目標を下げても良いかもしれないという評価に成り得るのではないかと思っている。それはその時々で判断していかなくてはいけない。決してこちらが勝手に判断するのではなくて、マーケットなり国民なりがどうそれを受け止めるかということを勘案して決断していくことである。本当は非常に技術的なことだということを理解して頂ければ、景気が良くなったときには可能になるかもしれない。

【問】

 挨拶の中で、「何かのきっかけで一斉に為替・金融市場が動くことが考えられる」、「特に米国の双子の赤字の問題がきっかけとなる場合が気がかり」と言われたが、これは今以上の円高・ドル安の進行といった事態を想定している発言なのかお伺いしたい。

【答】

 米国の経常収支の問題というのは、時と場合によって為替変動の要因になると思っている。今は経常収支の問題よりも、再び米国の経済成長なり、金利差というところに目が向いているという説明がなされるが、経常収支の問題はそう簡単に解決しない問題である。米国が金融引き締めに入っても長期金利が4%という低金利の状況である。一方、グローバルでみても、少し引き締め基調に入ったが、流動性が豊富な状態で、金利が低いうえ、ボラティリティーも低い。こうした状態で何らかのショックがあると、金利、株、為替の全部に大きくポジションの巻き戻しが起こったりして、市場が変動してしまうリスクがあると思う。米国のインフレ期待が抑圧されているといった理由で、今の4%という金利水準が説明されているのは、落ち着きどころが悪いという気分もなくはない。そういう状況で、米国の経常収支の赤字について、人々が急に関心を持つようになった時のマーケット全体に与える影響が非常に怖いと考えており、挨拶のような言い方をさせてもらった。

【問】

 基調的に消費者物価指数の前年比がゼロ%以上で、見通しもゼロ%を超えるという量的緩和政策の解除条件について、先程から述べられているように、挨拶では「ゼロ」は「ゼロ」と言葉どおりに捉えるべきだと言われた。さらに、展望レポートで、来年度の消費者物価指数の前年比の予想がプラスに転じ、広義の公共サービスを除けば物価がもっと上昇しているということであれば、早ければ来年度ぐらいには量的緩和政策の解除の時期が来るのかどうか、解除時期についてのお考えを伺いたい。

【答】

 本日申し上げたことについてであるが、量的緩和政策の解除の条件は何も変えていない。消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が数か月均してゼロ%以上、政策委員の多くが見通し期間において物価上昇率がゼロ%を超えるという見通しを有していること、という条件はそのままである。本日申し上げたかったのは次のようなことである。私は、物価の問題において、理念的には物価上昇率がゼロ%というのが物価の安定であると述べた。ただ、それを実際の数値に落としたらどうかと言えば、やはりプラスアルファだと考えており、ゼロだとは思っていない。但し、アルファがいくらかはわからない。それも時として変動していくと思う。その下で、景気に対応する物価と規制緩和により下落している物価が混ざっているのが今の一般の物価であり、景気に対応している物価が上昇しているというのがみえるのであれば、よく言われる「のりしろ」とか、プラスアルファとかはそこの部分で見てもらえばいいのではないかと考えている。したがって、「数か月均してみて確認する」という結果の部分としては、「ゼロ」ということで判断すれば良いのではないかと思っている。ただ、念のため申し上げておくが、必要条件を満たしたから、すぐ量的緩和政策を解除するということでは全くない。今申し上げたことは必要条件であって、きちんと景気が持続的に回復していくかというところを主として見ながら総合的に判断するというところが一番大事である。特に物価だけに、しかも個別のことに引き回されて金融政策をやっているというのはおかしくて、基本的には物価の条件を早く満たした状態にしたうえで景気・経済・金融の実態をみながら、これから先の金融政策を考えていきたいというのが一番言いたかったことである。「ゼロ」は文字通り「ゼロ」と言ったからといってその分だけ私が量的緩和政策の解除時期を手前に引き寄せているということではない。

【問】

  1.  今の質問に関連して、三点ほどお聞きしたい。一点目は、個別の指標に金融政策が引き回されるのはおかしいということが、本日の挨拶からも良く伝わってくるが、そうであるならば、もともとの物価が安定、CPIコア前年比がゼロ%以上に安定的になるまでという約束自体がおかしいのではないか、それに拘ること自体がやはりおかしいのではないかと強く感じるがその点についてどうお考えか。

  2.  二点目は、約束を破ったら、日本銀行の信認の維持のために苦しくなるという点についても、もともと誤った約束なり、誤った政策なのであれば、それを続けることの方が、長期的に考えれば信認維持という観点からすれば非常にまずいのではないか。個別の指標に引き回されるのはおかしいという主張は非常に良くわかるが、そうであるならば、この量的緩和解除の条件自体もおかしいのではないか。論理的に考えればそうなるのではないかと思うが、須田委員のお考えは如何か。

  3.  三点目は、この条件をどうしても続けるということであるならば、須田委員が挨拶で言及されているように文字通り「ゼロ」に拘るのであれば、持続的な景気の回復が確認されれば、コアCPIがたとえプラス0.1%でも解除するという判断は十分にあり得ると聞こえるのだが、そういう理解で良いのかお伺いしたい。

【答】

 デフレはいけないことだということは政府も言っている。デフレから脱却しようということであるならば、物価はマイナスであってはいけないということだと思う。その物価がどの物価かということに関しては、私は決めの問題であるという部分もあると思っている。ただ、その物価について、その問題点も指摘しながらCPIコアを選択したのであるから、何か別のものに動かすものではないと思っている。デフレ脱却が望ましいというのが国民の判断であるとするならば、これは維持していく必要があるということだと思っている。一般論として「誤った約束だと思ったら、約束は破れ、破った方が良い」というのはその通りだと思っている。自分が決めたことは絶対に守らなければならないということではないと私も思っている。ただ、今、私が見ている限り、そういう状態が来るとは思っていないため、この約束を維持することが信認に繋がると思っている。なお、数字の上では、私はプラス0.1%でもイエスと言う。プラス0.1%でも良いと思っている。

【問】

 一つ教えて頂きたいのだが、当預残高の引き下げについて、二つの考え方があるとされている。先程一つ目に関しては現時点ではマイナスの方が大きいと述べられたが、現時点で、二つ目の方法を採用する環境、つまり技術的な対応が必要となる環境になっているのか。

【答】

 金融調節環境は本当に日々動くため、良くわからない。今、ごく足許どうかと言えば、そのような状況にはない。もっとも、ちょっと先をみたときにその可能性がどうかというと、可能性がないとは言えないと考えている。

【問】

 須田委員は、デフレ脱却が望ましいと国民が判断するなら、約束を続けると述べられた。これまで当預残高目標を引き上げてきたことを緩和であると言ってきたから、これを引き下げると引き締めと言われても仕方ないとか、あるいは、当預残高を引き下げることについて人々がどう思うかによるとおっしゃられた。すべてについて人々がどう思うか、市場や国民がどう思うかによって金融政策を決めるのであれば、知識もあって経験もあるということで選ばれている方からなる日本銀行の政策委員会というもの自体が必要ではないのではないかと、国民の一人として強く思ってしまう。つまり、金融政策というのはポピュリズムとか、そういうもので決めれば良いということか。例えば、国民全員が賛成・反対について投票でもして決めれば良いのであれば、日本銀行は要らないと思うが、その点についてはどのようにお考えか。

【答】

 ここまで「量」を増やしてきた量的緩和政策であるが、私は「量」を増やすことにずっと反対してきた。このことからもおわかりのように、私は、「量」を増やすことの効果よりは、それがもたらすマイナス面の方を認識してきている。もっとも、今の金融政策に対する考え方が多くの人の間で一致しているかと言うと、そうではないとも思っている。金利ターゲット政策であれば、金利を上げるとか、下げるということで、金融緩和か、引き締めかということが多くの人にとってわかりやすいと思う。ただ、今は「量」を増やし、結果的にゼロ金利になっているという政策をとっているが、こんな「量」には意味がないと言う人がいる一方で、「量」が増えるということに対してプラスの評価をしている人もいる。例えば、資産価格に対する影響、ないしはもともとマネタリスト的な考え方をする人達にとって、「量」は意味をもっている。今実施している政策について、私は効果があるとしたら人々の期待に働きかけていくという効果の部分が大きいと思っている。どうすれば日本銀行が行う金融政策が、景気が下振れたときに景気を下支えする効果を持つだろうかと考えた時に、今のように「ゼロ金利」で、たくさんの「量」を供給しているという状況下では、人々がどう思ってくれるかということを重視せざるを得ないということであり、ボードメンバーが頭の中でここはこうすれば良いということができるような状況ではないと思う。人々の期待に働きかけながら政策をやっていかざるを得ない状況にあるということである。仮にマイナス面が少なければ私が本来望んでいるようなかたちでもう少し金利機能を活かしたような形の方向に移って行けるかもしれない。ただ、そういう判断はどうしても期待を通じる効果ということを念頭に置く必要がある限り、相手が国民や市場ないし海外がどう受け止めるかということなしには議論できない。政策委員会は必要ないと言われたが、金融政策というのはポリティカルな面も非常にあり、実際に政策をやった者にしかわからないところがあるのかなと感じている。

以上