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最近の金融経済情勢を巡る論点整理
平成10年6月17日・経済倶楽部における武富審議委員講演
1998年 7月 1日
日本銀行
皆様、こんにちは。私は、最近、講演をするときに、冒頭に質問をする悪い癖がついてしまいました。きょうも質問から始めようと思っております。皆さんは「建設的な曖昧さ」という言葉をお聞きになったことがございましょうか。原語ではコンストラクティブ・アンビギュイティ(constructive ambiguity)というようでございます。これをご存じの方は、かなり中央銀行のあり方について通じておられると思います。世界のどこへ行きましても、中央銀行の人間は悲しいものでございまして、今お話がありましたように、何かと制約がございます。許容されているものは非常に数が少のうございます。許容されている一つが、この「建設的な曖昧さ」でございまして、グリーンスパン議長の演説は、これの極致と言われております。
本日、私は、「言語」明瞭ではまいりたいと思います。「意味」の方は皆さんのご判断にお任せ致します。昼食後の非常に和やかな一時間余りを「建設的曖昧さ」とおつき合いを賜ればと思います。午睡への華麗なるお誘いになってしまうかも知れません。
きょうの話は三つのブロックに分けて行いたいと思います。一つは、経済を評価・分析する上で、私が欠かせないと思っております座標軸の話でございます。これによって私が日本経済に対して抱いております問題意識の一部がご披露できるかと思います。第二は、現状の金融・経済情勢についての評価でございます。ここでは現局面を中長期並びに短期の視点からどう位置づけるのか、足元の論点は何かについて、少し詳しくご報告を申し上げます。第三は、何やら審議会の中間答申のタイトルのようでございますが、活力ある21世紀の経済社会に向けてというテーマで、私が従来から持論にしておりますアイデアを、まことに粗な形でございますけれども、皆様に投げかけさせていただきまして、ご批判を頂戴したいと思っております。
それでは、まず最初の経済を見る座標軸から話を始めます。
日頃、五つぐらいの座標軸を私自身は大切にしております。第一は、時間軸を明確に意識することの重要性です。経済の中における目先、短期、中期、長期の流れをどう識別するか。そして、それらを踏まえ、組み合わせて現状をどう理解するか。もっと言えば、今現在が歴史的局面からみると、どういう局面なのか。こういう把握の仕方が必要だろうと思います。時間軸を明確に意識すれば、恐らくフロー対ストック、循環対構造という、ある種の対置概念を鮮明に意識しなければならなくなる。その結果、現状把握も厚みが増す、彫りも深くなるのではないかと思っています。
第二は、需要・供給・所得という三つの側面から経済を立体的に把握する必要があるということです。よく経済論議は需要面に流れます。設備投資がどうだ、個人消費がどうだ、こういう類の論議でございます。しかし、今は皆様ご存じのとおり、大変な激動期です。こういうときには潜在成長率をどう引き上げていくのか、どう経済を活性化していくのかが問われているはずでございます。この場合には、供給面の論議を避けて通れないと思います。
また、経済の成熟度が増してきて、成長率も鈍化する。従って、国民所得も伸び悩むという状況下でありますから、所得分配の適正化にも十分意を配る必要がございます。現実に所得分配の微妙なバランスの崩れが要らざる経済変動を誘発するリスクを今の日本経済は抱えているように感じております。
第三は、「変化率」と同時に「絶対額」も経済を測る上で大変重要な尺度だということでございます。よく前期比伸び率、前年同期比増減率というふうに申します。これは限界的な方向性や水準の変化率によりまして経済を評価しようというものです。この手法ですと、このところ出ております経済指標を見る限り、どうしても悲観的な見方になろうかと思います。しかし、よく考えてみますと、変化率の対象になっている経済そのものの大きさにも目を配っていいのではないかと思います。
この点から言いますと、日本経済は、ストック概念の国富で見ますと、例えば、96年末の総資産で何と7,400兆円ございます。また、97年末の対外純資産は世界最大規模の125兆円でございます。一方、フロー概念のGDPでは500兆円、そして、輸出額では50兆円という基盤を持つ大国であることは改めて申すまでもございません。
そして、この規模の大きさが持っている意味を少し考えてみたいと思います。これは仮にですが、日本の成長率を5%といたしましょう。今どき夢のような成長率でございますけれども、実は、第一次オイルショックの後からバブルの崩壊までの間は、おおむね5%近辺の成長率でした。このことは、一年間の日本経済の増加分で、日本の20分の1の規模の経済国が一つ生まれることを意味しているわけです。皆様ご存じかどうかわかりませんが、実は、OECD加盟国の約半数はこの規模以下の国々で占められています。もちろんドルの換算レートはどうだとか、あるいはその国の人口数も考えないといけませんが、単純な規模でみればそういうことになるわけです。
こういう見方というのは、今のアジアの問題と日本との関係を考える上でも重要なのではないかと思っております。NIES3か国、ASEAN4か国に中国を加えたアジア8か国合計のGDPは、95年ベースでいきますと、日本の4割弱です。つまり、1か国平均ですと、5%になるわけです。日本の貿易並びに直接投資のパートナーである、これらの国にとりまして、日本のGDP、あるいは輸出入の限界的な変動が無視し得ない影響を及ぼすことには十分留意する必要があろうかと思います。
逆の言い方をしますと、この大きな経済を限界的に少しでも上へ持ち上げようとするときには、大変大規模な付加価値が必要になってくるということです。今の最大の問題は、需給ギャップの拡大だと言われております。昔のように乗数効果がよく効いて、派生需要が出てくる経済であれば問題はないわけですけれども、今は必ずしもそうではありません。そうなりますと、この需給ギャップを埋めるためには、持続的に大規模な需要の投入が必要になってくることになるわけです。今回の16兆円の大型対策を含めこの90年代に幾たびもとられた経済対策の累計額が膨大なものになっているのは、ここにも一つ原因があるわけでございます。そういうふうに見ていきますと、需要面だけではなくて、供給サイドの洗いがえも同時に遂行していきませんと、なかなか問題が解決しないことになろうかと思います。
第四は、国内の実体経済を分析する場合にも、金融とか海外経済との絡み合いの中でとらえる必要があるということです。これは皆様、最近では強くご実感になっているところだろうと思います。
最後の第五は、経済は人間が動かしているのだということを改めて認識してかかる必要があることです。これについて三点申し上げます。一つは、経済理論というのは合理的な経済人を想定しております。しかし、今はパラダイム転換が生じている時代で、こういう時代特性を踏まえれば、理論にとらわれずに、謙虚に人間心理、社会心理を洞察する必要があるだろう、そういう姿勢が不可欠だろうと思います。
第二点目は、経済が、経営を司る上の所与の条件だというとらえ方から、成長率予測のような「どうなる」という論議がかなり盛んでございます。しかし、人間が経済を動かしているということから言えば、「どうなる」よりも、むしろ「どうする」という論議がもう少しあってもよいように思います。
また、最近は支出活動がよろず防衛姿勢になっております。また、将来のビジョンを求める待ちの姿勢というものもございます。こういう防衛姿勢、待ちの姿勢自体が経済を抑制し、停滞させている面も最近はあるように思っております。
以上、どれをとりましても常識論ではございますけれども、これを日々経済を見る上であてがっていくときには、いろいろ難しい問題が出てくるということです。
第一ブロックはそのぐらいにいたしまして、それでは、次の現状の金融・経済情勢の評価に移ります。
まず、中長期の観点から見て、現局面をどう位置づけるかという点でございます。この観点からは、日本経済は、縦軸・横軸の双方から重要な節目に入って既に久しいと評価できると思います。
縦軸で見ますと、俗に言います1940年体制が内発的な圧力によって、言わば総決算の時期に入っていると言えます。俗に言います制度疲労ということです。これは要するに、これまでの開発志向型、規制多用型、そして閉鎖体系の体制から、これからは市場志向型、非規制型、それから開放体系の体制へ移っていく過渡期にあるというふうにも言えると思います。
横軸、つまり世界との接点における平面上では、ゲームのルールが共通化する流れにございます。この背後には冷戦構造の終焉がございます。経済面で見ますと、米国の復活、新興工業国の台頭によりまして、ポスト冷戦の新しい秩序形成が模索されている。その一環として、ルールの世界標準化という圧力を日本経済が受けているということです。
このように見てまいりますと、日本経済は、90年代の初頭以降、歴史の局面転換の中に組み込まれているのだと言えます。プレートシフトの時代に入ったというふうにも言えると思います。つまり、現状の基本的な枠組みは、これまでも続いておりますが、通算10年以上は要するような大きな構造調整圧力のもとにあると言えます。そういう認識に立ちますと、いわゆる景気論議で問題の本質をえぐり出せるのかというと、ちょっと心もとない気がいたします。
私は景気と経済というのを使い分けております。景気論議と申しますのは、短期の視点から、循環に軸足を置いて、需要というフローの変化率に着目するわけです。これに対しまして、経済論議というのは、中長期の視点から、構造やストックに焦点を当て、供給や所得の面からも分析するものであろうと私は思っております。これによって初めて、今のような変革期におきまして、次の時代に対するコンセプトが生まれ得るのではないかと思っております。
では、短期的な視点で現局面をどう位置づけるかということですが、現状は、先ほど申し上げましたように、まだ構造調整途上の1990年代ですが、その90年代における二度目の循環的な景気調整局面にあるというふうに位置づけられると思います。そこで、今回の景気調整の背景と特色について若干敷衍させて頂きます。
そもそもこの調整の発端は何であったのかと言いますと、それは家計部門から政府部門への所得移転が生じた。これが需要の流れを変えたということだったと思います。日銀版の経済白書でございます「金融白書」が去る6月5日に発表されました。お読みいただいているかも存じません。そこでは家計部門の負担増が8兆円あったと指摘しております。俗に9兆円という言葉がよく巷間使われますが、この差額は、日銀の見るところ、医療費が上がって家計が支出を抑制する分が通常であれば2兆円なのですが、この医療費の引き上げが平成9年度の年度途中である9月から実施されたため、その半分の1兆円分は効果が出ないということのようでございます。
いずれにしましても、これが発端となって消費が急落した。サプライヤーから見ますと、予想を上回る最終需要の減少であったために、生産・在庫調整に拍車をかけざるを得なかった。このこともございまして、97年度の下期以降、急激に企業収益が悪化した。それを受けまして、設備投資の調整ももう一歩踏み込むことになりましたし、ひいては厳しい雇用調整を実行せざるを得なかったというのが今回の調整の基本の流れです。この意味から見ますと、通常の調整パターンではあるわけです。
しかし、今回の特色は何かといいますと、昨秋以降になりまして、調整速度に弾みがついたことでございます。なぜそうなったのかということが重要でございます。二つ要因があったと私は思っております。一つは、金融と実体経済の連動現象が深まったということ。二つ目は、いわゆるコンフィデンス、将来に対する期待形成、こういうものの変化が経済活動を増幅させるという現象が表面化したこと。この二つが調整スピードを加速させたということだったと思います。
先ほど来申し上げておりますように、構造調整が長引いております。従って、各経済主体の体力もやや消耗してきている面があったのでしょう。金融破綻というような構造調整のほころびが具体的に表に出てくる、あるいは好調だったアジアの経済が変調を来すというようなショックがございますと、そういうものに過敏に反応せざるを得ないもろさが日本経済の中にあったがために、こういう弾みのつく調整パターンになったのだろうと推測しております。
そういう調整過程を経て、ただ今現在は大変厳しい経済状況になっておるわけでございますけれども、その評価につきましては、昨日、日銀の「金融経済月報」が発表されましたので、詳しいことはそちらに譲りたいと思います。ここでは足元の論点について、私なりの感想を申し上げたいと思います。雇用問題とか、為替の問題とか、論点を挙げれば切りなくございますけれども、今日は三つに絞ります。一つは、デフレスパイラルの懸念は本当にあるのかということ。もう一つは、コンフィデンスの立て直しによって民間需要の回復は可能かということも。三番目は、金融システムの問題と景気回復の問題がかなり一体のものになってきていること。この三つでございます。
最初に、デフレスパイラルに陥るリスクがあるかどうかという点でございます。ここから「建設的な曖昧さ」が始まりますので、どうぞよろしくお願いいたします。さはさりながら、結論を言えというのが最近の世の中の癖でございます。私自身は、デフレスパイラルに陥るリスクは何とか回避できるのではないか、経済対策の需要創出効果もございますので、先行きデフレスパイラルに歯どめがかけられるのではないかと思っております。
なぜデフレスパイラルが世の中で心配されるのかを忖度いたしますに、景気調整がいよいよ雇用、所得の段階まで及んだために、ここから再び消費を起点にいたしました景気調整が始動し始めるのではないかという懸念をお持ちなのだろうと思います。そうなりますと、国内需要がさらに低迷いたしまして、需給ギャップが拡大する。そのことは物価の持続的かつ全面的な下落につながるのではないかというのが世の中のご心配であろうと思います。
ご心配の気持ちがわからない訳ではございませんけれども、私自身は、先ほど申し上げましたように、16兆円に上る総合経済対策が出てまいりましたので、その実行ペースやタイミングのよろしきを得れば、歯止めはかけられると思っております。
今度の対策の内容は、90年代前半のいろいろな経済対策に比べますと、相対的に充実している部分があるように思います。事業規模が大きい割に、いわゆる財政投融資への依存度は、当時に比べると、今回は低いようにも思います。
それから即効性を期待するという意味で、内需拡大のカンフル剤という部分も今の対策の中にはございますけれども、それ以外に構造改革や不良債権問題の処理を促進する措置も包含しております。今の日本経済が抱えている問題に手当てをしようという思想的な枠組みは今度の対策に含まれているように私個人は感じております。
それから対策が打たれる経済の局面ということからいきますと、90年代前半と現在とを比べると、どちらがどうとは、なかなか断定的には申せませんが、少なくとも圧倒的な景気の自律的調整圧力で対策の効果が吸い取られてしまう可能性は、当時に比べ今回は相対的に少ないだろうと思います。思い起こしていただければ、90年代前半は、設備投資が3年連続して大幅に削減されるという強い資本ストックの調整圧力が働いておりました。円高もございました。それから国際水平分業へ向けた圧力も働いて、設備投資の海外流出という問題もございました。今回は、そこまでの強い圧迫要因はないように思います。
ただ、今回難しいのは、資産デフレ問題が表に出てきていること、それからアジアとの関係で言いますと、日本からのアジア向け輸出が減少している、あるいはアジア発の素材価格の下落が日本にも波及してくるという厄介な問題もあることです。ですから、局面比較で言うと、一概には言えませんけれども、少なくともプラスの面もあることは評価してよいだろうと思います。
先ほど申し上げましたように、ポイントは対策の執行開始のタイミングと、その後の執行のペースということになります。今、企業の方々は、秋口以降には対策の実行が本格化するという想定のもとに、それまでに何とか身軽になっておこうと、これまで続けてこられた調整をもうしばらく続行する構えにいらっしゃいます。そのこと自体は大変よいことではありますが、逆に言いますと、ここしばらく経済指標に出てくる結果は、必ずしも芳しくないものもあるかもしれません。指標というものは1か月とか2~3か月遅れるものもございます。その間、片方で対策の実行を期待しながら、もう片方で新聞に載る指標は必ずしもよくないという狭間の中で、各経済主体の皆さんのコンフィデンスが十分持ちこたえられるように頑張っていくことが重要だろうと思っております。
デフレスパイラルの問題について、対策の効果ということで今までお話ししましたけれども、もう一つの側面である物価の下落について、その性格なり意味なりを少し申し上げます。三つの側面から見たらよいかと思います。一つは、価格体系が全体として合理化され、是正されていくことに随伴する物価下落という部分があろうと思います。もう一つは、石油などの一次産品に見られますように、波打ち際から来る物価下落圧力というものがございます。三番目が需給関係の悪化を反映した物価の下落ということがあって、皆さんがご心配なのは、恐らくこの最後のところだろうと思います。
まず価格体系のところについて申し上げますけれども、これは、私が、90年代初頭から、「価格破壊」について再々繰り返してまいりました論点ですが、価格体系、つまり、物やサービス、あるいは資産の間の価格の関係が、それぞれの生産性、収益性を反映するような形で是正されてくるという流れが生まれている。その表われ方が物価の下落になっている訳ですが、この部分は決して悪いことではないように思います。
私の申し上げる価格体系全体の合理化プロセスの一部を取り出しまして、俗に世間では、例えば内外価格差の縮小、内内価格差の圧縮というふうに言われております。これらは生産性の低いところにはきついわけですが、逆に言えば、生産性を上げる圧力になって、経済が筋肉質になっていくという意味では前向きに評価してよろしいと思います。価格体系全体を是正しながら物価水準が下がって、新しい低い均衡点を模索していく流れ自体は悪くはない訳でございます。
その過程で問題なのは、企業にとりましては、投入・産出価格の相対関係が崩れないということだと思います。仕入れ価格と販売価格との間に適正なマージンが何とか確保できればよい訳です。家計にとってみましても、名目賃金の低下があっても、それを上回る生計費の低下があれば、生活水準が決して劣化するわけではない。こういう相対価格のところがきちんと維持されれば、この価格体系全体の是正と、それに伴う物価の下落は前向きに評価できるではないかということです。これが行きつく先は、日本の物価の均衡が為替レートとの関係で極めてよいところへ来る。つまり、日本の産業は先行き国際競争力を持てることにも繋るのだろうと思います。
二番目の波打ち際ですが、これは多く申し上げる必要はありません。円安のもとでも、石油価格等一次産品価格の下落によりまして、企業の交易条件がよくなっております。97年度下期に企業収益が急速に悪化したときも、実は、この交易条件の改善によって、収益悪化の程度が一部緩和されたということでございます。それにもかかわらず何故あの時期、収益が急激に悪化したかと言いますと、それは専ら国内の売り上げ数量の減少であったということでございます。今後は販売価格、販売単価もさらに下がるかもしれません。ただ、97年度下期段階では、販価の値下がりが企業収益悪化に寄与した度合いは極めて少なかったと思います。
問題は、三番目の国内需要の低迷に伴う需給ギャップの拡大、それによる物価下落がどのぐらいのスピードになるのか、どのぐらいの拡がりになってしまうのかということです。ここについては、リスクが全然ないというふうには申し上げません。もしこういうことが起こりますと、企業にとっては、実質賃金コストが上昇する、あるいは元利金の返済負担も大きくなるということになります。しかし、冒頭申し上げましたように、総合経済対策が発動され、これが行く行く需要創出として経済の表面に出てくる。それによって、この需給悪化による物価下落圧力も緩和できるのではないかと強く期待しているところでございます。
では、第二の論点のコンフィデンスと経済の関係について申し上げます。ここでは二つの面から見たいと思います。市場心理と家計の不安、この二つでございます。
昨年の秋から今度の16兆円まで、数次にわたって経済対策が打たれました。そのどれに対しましても、市場の反応はやや冷めていたという印象でございます。どうしてだろうか、ここのところを真剣に理解しないといけないだろうと思います。あくまで忖度の域を出ませんけれども、考えられるものを挙げてみます。私の意見というよりも、市場がこう思っているだろうことの推察です。
三点ぐらいあろうと思います。市場もさすがに、短期の面では対策が持っている需要後退を歯止めする効果までは認めているのだと思いますけれども、市場はもっとその先を見据えている節があります。例えば民間需要へ波及するのか、波及したとして、その持続性はどうなのだろうかというところについて、過去の経験から推し測ると、まだ確信が持てないということでしょう。もっと言えば、その背景には、期待成長率の低下があるため、日銀が低金利政策を一生懸命頑張って続けているところへ総合経済対策が出てくると言っても、果たして投資活動はどれだけ活発になるのだろうか、という気持ちで市場が見ているのではないか。これが一点目です。
二点目は、構造改革の先行きについても、もう一つ確信が持てないという心理状況があるのではないか、ということです。先程も言いましたように、長引く調整のもとで体力が消耗している。そのことと、中長期的には極めて望ましいとは言え構造改革が組み合わさった時に、短期的には摩擦が生じないだろうかという懸念も市場は持っているかもしれません。
それから、あるセクターでは改革が進むが、他のセクターではなかなか進まない、というように、ちぐはぐなことになりますと、改革が整合性のとれた形で最後に収れんしていくのだろうかという心配も市場は持っているかもしれません。
三番目は、今度の対策も含めて、抜本的な税の体系としての改革が見えてこないと、例えばレーガン政策等との比較において、経済の活性化がどこまで進み得るのだろうかという懸念も市場が持っているのかもしれません。
こういう市場の持っているであろう一つ一つの懸念というものは理解できるわけですけれども、重要なのは、今度の経済対策が内包しておりますよい方向の芽をいかに生かしていくか、ということです。何と言ってもこの対策は財政資金であり、最終的には我々国民の税金から出る訳です。ですから、この対策を生かして経済をよくするという構えが我々サイドにもありませんと、我々自身にまた負担がはね返ってくるということになります。それだけに、対策の内容の中からよいものを前向きに我々も引っ張り出していくことが重要だと思います。
そういう難しいことを言わないまでも、私の期待としましては、対策が実行されるに伴って、経済指標はまだ悪いものの、自分の会社の売り上げにはどうやら手応えが少し感じられる状況になってくれば、市場は敏感にそうした変化を感じ取って、今申し上げたような懸念に傾いたパーセプションも、期待の方に傾いてくれるのではないかと —これも期待の域を出ませんけれども— 思っております。
家計部門の不安については、ご案内のように、昨秋以降、消費性向が急落したことからもわかりますように、コンフィデンスの揺らぎが残念ながらございます。昨秋以降、大型企業倒産がございました。一部に金融システム不安も顕現化いたしました。そういうことも影響したのでしょうが、去る6月1日に日銀が発表いたしました「生活意識に関するアンケート調査」によりますと、なぜ消費支出が削減されたかという背景として、家計部門が一番に挙げたのが将来にわたる雇用や所得に対する不安でございました。
このほかにも二つ、大変大きい不安を挙げておりました。一つは税制や医療保険制度改革に伴う負担増に対する危惧、二つ目は年金や社会保険給付に対する不安です。着目すべきは、この二つを答えたのは、お年寄りよりも若い世代であったということです。こうしたことは、やはり日銀の貯蓄広報中央委員会の行った「貯蓄と消費に関する世論調査」にも表れており、若い世代 —20代が多かったそうですが— が先行きの年金などに不安を持っているとの結果であったそうです。この辺に今の家計の心理状況があるわけです。
消費が主導して今度の景気調整が始まったわけですけれども、こういう不安心理だけで消費が落ちた訳でもないのです。ここは冷静に分析する必要がございます。日銀は、連休前というよいタイミングで、「最近の消費動向について」という論文を発表しました。この分析によりますと、ポイントの一つは、消費全体に占める俗に言います選択的支出、つまり裁量可能な支出部分の比重が高まっている。従って、それはコンフィデンスが悪くなれば縮小できる。コンフィデンスがよくなれば拡大できる。こういうアコーディオン効果のある部分が増えているということです。そのことも、たまたまここ半年、一年の局面ではマイナスに出たということだと思います。
この選択的支出は何かといいますと、耐久消費財と、それから色々なサービス支出の中から選択的サービス、つまり、外食ですとか、旅行ですとか、映画を見るとか、そういうものを取り出したものです。あくまで試算ですが、これがバブル前の84年には消費全体の17%であったのに対し、97年には26%まで上がっているわけです。成熟経済になりますと、皆さん豊かになり、こういう選択的支出の消費部分が増える。従って、コンフィデンスいかんでその部分が伸縮し、経済全体の趨勢を消費循環で決めるという部分が増えてくるわけで、ここ一年の日本の景気調整にはそういう面もあった。そのことは全部がマイナスではなくて、豊かになったことの裏返しの部分もあるというふうにも受け止められます。
それにつけても現状では、家計部門・市場ともにコンフィデンスが悪い。従ってこのコンフィデンスが、今言ったようなことに、もし原因があるということであれば、それに手当てをしていくことは非常に重要であると思います。コンフィデンスの立て直しによりまして、民間需要の回復をもたらすことが重要です。なかんずくこの局面で見ますと、昨秋来、先程も指摘いたしましたように、金融と実体経済の連動現象ということがある訳ですから、不稼働土地、不良債権といったストックの傷み、ストックで膿がたまっているところをきっちり早期に処理して、景気回復に繋げることが重要だと思います。
三番目の論点の金融システムの信認回復と景気回復との同時かつ早期達成の必要性ということでございますが、既にもうご説明をしたようなものでございます。加えまして、昨日、日銀総裁が記者会見でこの辺につきまして既に発言をしておりますので、私は、今日はこれ以上触れません。要するに、重要なのは、この金融不安と景気悪化の悪循環をなるべく早く抜本的に断ち切ることであろうと思っております。
以上、三つの論点を挙げただけでも、どれも一筋縄でいかないということで、日本は大変難しい課題を抱えております。政策的にも対応が難しい。過去に経験のないことがたくさんあるわけです。しかし、ここでひるんではいけない訳でございます。多少希望の持てる例も、過去、外国にございます。卑近な例では、1990年代初頭のアメリカの政策対応でございます。あの時アメリカは、基本的には三つの条件が整って、今のような経済の活況に繋がったと思います。
一つは、規制緩和──既にカーター政権時代から始まり、レーガン政権時代にさらに強化された──あるいは税制の抜本的改革というサプライサイドの政策がとられていたという地盤がございました。
それから冷戦構造の終焉とも絡むわけですけれども、情報化技術の発達というのがありました。これを産業がサービスの多様化とか、コストダウンとか、幅広く活用していっていたという基盤もございました。
そういう中で、政策的には、連銀が超低金利政策、実質金利ゼロをかなり長期間続けました。そして、S&Lなどの金融問題、不良債権問題については思い切った外科手術をしたことによって、今の日本と同じように、80年代後半から90年代前半にかけアメリカ経済は長期不況に悩んでいた訳ですが、数年後には今のような9,000ドル近い株価になるような活況に変わってきている訳です。
足元を見つめてみますと、日本でも条件的には当時のアメリカとかなり似てきている面がございます。規制緩和はとられております。アメリカと比べてまだ不十分かもしれませんが、その方向で努力が積み重ねられている。16兆円の総合対策が出ました。30兆円の金融システム安定化のための枠組みもできました。そして、低金利政策も続けております。道具立てはそろっている。私の感じは、サプライサイドでまだちょっと足りないところがあり、また、この30兆円をもう少し具体的にどう使うかというところはこれからの問題でございますが、その辺を除けば、当時のアメリカと今の日本は、枠組みとしてかなり似ていると見えなくもない。そうであれば、経済対策の早期実行と、今考えられている「金融再生トータルプラン」の強力な推進により、不稼働土地と不良債権問題の膿を出し切り、コンフィデンスの回復を促す。そのことによって民間セクターの期待成長率が上がる。それに引っ張られて投資活動が活発になってくる。こういうオーソドックスな道を通っていくことが極めて重要だと思っております。
以上が現状の金融・経済情勢にかかわる私の観察です。
残されました時間で、第三ブロックの活力ある21世紀の経済社会へ向けた布石ということで幾つか感想を申し上げます。お断りしておきますが、ここは詰めた話ではございません。脇が甘いですから、幾らでもつつこうと思えばつつけます。その場合は、建設的な批判をひとつお願いしたいと思います。
今は、プレートシフトの時代だと言いました。パラダイム転換の時期だと言いました。地殻変動の大きな変わり目だと思います。こういう時代を乗り切るには、乗り切る強い意志と、それ以前に構想と言いましょうか、概念、コンセプトをみんなでつくっていく必要がございます。この激動期をむしろ奇貨として、我々日本人が、ある時期から忘れてしまった「哲学する心」を本気で取り戻したらよいと思います。、先回りをして将来を予見する能力を磨いていく。それに基づいて構想をする。幅広く色々な角度から見ていく。経済だけではなくて、まさに人間心理や、社会などを包含した幅広い構想を考えていく。無論、民主主義の社会ですから、その構想がすぐ実現できる訳ではありません。デュー・ディリジェンスという極めて難しい関門がありますけれども、それを苦労しても乗り越えて、最後は果敢に実行する。こういう気構えがどうしても要る、そういう時代だと思います。
生意気なことをもう少し言わさせて頂きますと、そういう構想の軸足は、冒頭の方で申し上げました、構造、ストック、供給サイド、所得分配、そして期待形成というようなところに置く。それから抽象的な考え方で整理をすれば、市場原理に基づいて、経営効率、資本効率というようなことを考えていく。自己責任ということも考えていく。こういう市場時代の厳しさもその構想で求めると同時に、最後は、やはり国民一人一人の生活水準が維持・向上できるように、全体の経済運営をどうやっていくべきかということを哲学し、ディベートしていく必要があろうかと思います。
そんな思いでいますと、今必要なのは経済のニュー・フロンティアである訳です。今までニュー・フロンティアと言いますと、新産業とか、産業構造の高度化とかいうことにすぐ頭がいきました。これも極めて重要です。法人組織は企画室もあり、人材も組織力もございますから、こういうことを十分考えていく必要がある訳ですが、ここでは私は家計部門に着目してみたいと思っております。私は、長い間、家計部門を一つのパイとして、経済のまだ開拓し尽くされていないフロンティアとして位置づけていくことができるだろうと思っています。
と申しますのも、言うまでもありませんが、家計部門は大変大きな存在です。五つの顔がございます。第一に、よく言われるように1,200兆円の金融資産に対する運用者だという顔。第二に、金融資産だけではなくて、265兆円の純固定資産の所有者でもあるという顔。第三に、債権者であると同時に、370兆円の債務者でもある。それから、第四に、GDPの六割を占める消費主体でもある。私が一番重要視しておりますのは五つ目の顔、すなわち、ヒューマン・キャピタルであり、サプライサイドの顔です。家計部門の技能を磨くということは新しい産業に繋がる訳です。
こういう五つの存在としての側面を持った家計部門を経済主体としてファーストレート・シチズンと認めて、色々な扱いを、可能なものについては、法人と同じようにしていくという道筋はないだろうか。これは様々な難しい問題を孕んでいると思いますし、その点に対しては、私自身、謙虚ではございます。しかし、家計部門に対する色々な統計も整備し、抜け道の防止策も初めからつくっておいた上で、少し家計部門に着目し直してみる価値はないだろうかということです。
もう一つ、家計部門と絡みますが、少し家計部門の平面を拡げて、もう一度地方の時代を考える余地はないだろうか。日本が高度成長から中成長に移行した70年代の初めから「地方の時代」と言われました。これは潜在成長力をどうやって引き出そうかという発想からです。今までの地方の時代が成功であったか否か、私は評価できませんが、少なくともインフラのハコモノを地方につくろうという意味の地方の時代は終わったと思います。しかし、家計部門が地域に拡がるという方向での地方の時代はあってもおかしくない。
実は、日本の人口は、過去一世紀、19世紀末からこの20世紀末までの間に三倍になりました。前世紀末はたかだか4,200万人だった訳です。これが今は、ご案内のとおり1億2,600万人です。しかし、問題なのは、この増加が首都圏に集中していること、すなわち、人口密度でみると、神奈川で9.6倍、埼玉が6.5倍、東京が5.6倍にもなったということです。その結果、東京、大阪、神奈川、愛知、埼玉という人口の多い上位五都府県に総人口の34%が集中する姿になっております。これは夜寝静まったときの状況でございまして、日中はどうかといいますと、東京への集中は、もうお分かりのとおり大変高い訳です。埼玉と千葉の二つの県の県民の6~7人に1人は東京へ通勤ないし通学している。神奈川県でも8.5人に1人が同じことをやっている。昼間だけの都民(昼間都民)は大変多い訳で、これはかなりの集中密度でございます。
最近は情報化時代と言われます。通信技術も発達しました。運輸・通信網はかなり整備されました。それから会社でもテレビ会議ができるようになりました。現実に大阪に本社と、こちらに東京ヘッドクォーターのある会社はテレビ会議もしておられます。こういう時代であれば、地方への分社化、あるいは機能の分化、それから個人から見れば、職住一体で地方に拡がる余地があるように思います。
こういう過密なところに住んでおりますと、豊かになったとはいえ、どうしても十分大きな家に住めないという悩みが昔からある訳です。統計で見ますと、一人当たりの住宅床面積は、日本の場合、アメリカの半分だそうでございます。ヨーロッパ諸国、英、独、仏に比べましても2割は狭いということのようでございます。地方に分散すれば床面積もふえる。土地も大きくなる。人が動くことになれば、恐らくビジネス的に見ましても、新しい投資機会はそれで生まれるでしょう。それから新たな財、サービス需要、これは主として家計部門から発生するのでしょうけれども、広いところに住めば一つや二つ余計に家具が買えるということもあり得るだろうと思います。
最後に一言、新生日銀をご披露いたしまして私のお話を終わります。今年の4月1日から新法のもとで新しい日銀がフル稼働を始めておりますが、実は、今日、私がここに登壇したのは、何を隠そう私の政策委員就任一周年記念日だからでございます。昨年の6月17日、橋本総理大臣に任命して頂きました。「ご迷惑をおかけします」というお言葉でございましたけれども、謹んでお受けをいたしまして一年経ちました。通常この会は金曜日に開催されるそうですが、敢えて水曜日という不便な日を指定させて頂きましたのも、私の一周年を、活気あるものにしたいと思ったからでございます。
現実に新法のもとで、私は政策運営の透明性が増していることをひしひしと感じております。もちろん旧法のもとでも、どんどん透明性が増しておりましたけれども、新法のもとで晴れて一層の透明性を増しております。日銀に対しましては、色々ご批判もございましょうけれども、精一杯頑張っております。新しい時代に合うように変身しろという厳しい激励を頂いて、前へ進んでまいりたいと思います。
今日は大変お忙しいところ、ご参集いただきましてありがとうございました。以上をもちまして私からのご報告とさせていただきます。