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日本の金融界の現状と展望

平成10年10月22日・第12回日本・EUジャーナリスト会議(フィレンツェにて開催)における日本銀行藤原副総裁講演

1998年10月22日
日本銀行

1.はじめに———「ユーロ」誕生に思う

 本日は、日本・EUジャーナリスト会議において、お話する機会を頂き、光栄に存ずる。私は、約40年間のジャーナリスト経験を経て、本年3月から日本銀行副総裁としての仕事に携わっている。ご案内のように、日本銀行は本年4月1日から新日本銀行法の下で、新たな出発をすることとなった。新日本銀行法の軸となる理念は「独立性」と「透明性」である。ジャーナリストとして私は、常々「透明性」の高い、言い換えれば「アカウンタブル」な中央銀行を求めてきた。しかし、この半年余りの経験を通じ、「アカウンタブル」であることが如何に努力を要する事であるかを、実感している。同時に、日本経済はもとより、世界経済全体として、歴史的に見ても極めて重大な局面を通過しつつある今日こそ、中央銀行は「アカウンタブル」でなければならないと自戒している。そうした意味で、この機会は私にとって、貴重なトライアルである。是非とも、率直なご批判を賜りたい。

 ここヨーロッパにおける目下の最大の関心のひとつは、明年1月から"One Market,One Money"を目指した「EMU」が最終段階に移行するとともに、単一通貨「ユーロ」が導入されることであろう。これに対し、私は二つの感想を持つ。第一は、感嘆である。欧州経済共同体(EEC)創設に関するローマ条約の発効は今を遡ること40年前の、1958年である。この間、幾多の困難を乗り越えながら、経済および通貨の究極の統合へ向けて、着実な歩みを続けてきた歴史は、人類史上まれにみる壮大なドラマである。関係者の叡智と努力に、心から敬意を表したい。

 第二は、期待である。世界経済の安定的発展を可能とする大前提は、まずその構成員が、自らの責任において、自国経済の安定と発展のために、最大限の努力を継続することである。この点、ユーロ経済圏諸国においては、経済通貨統合を目指す過程で、すでに物価の安定をはじめとするファンダメンタルズ重視の政策運営が定着しつつある。その結果、物価、為替、財政赤字といったパフォーマンスの面にも、具体的な成果が表れつつあり、これが金融資本市場にも肯定的に受け止められつつある。つまり、「ユーロ」の信認確保のための条件が整備されつつあるということである。このことは、ヨーロッパ経済はもとより、世界経済全体にも、プラスの貢献をもたらし得るものと期待される。

 さて、ここ10年余りの世界経済を特徴づけるパラダイムのひとつは、「インテグレーション」であり、これと裏腹の関係にある「コンテイジョン」である。従って、EMUの発足は、それ自体として世界経済に影響を及ぼすと同時に、世界経済の安定はEMUの安定的発展の必要条件でもある。そうした観点から、改めて世界の金融経済をみると、残念ながら、特にここ2年余り、「激動と混迷」のさなかにあると言わざるをえない。

 昨年来のアジアの通貨・経済危機、ロシア経済の混迷と本年6月のルーブル切り下げに端を発する新興市場国経済の混乱、世界的な株価波乱、一部ヘッジファンドの行き詰まり、為替相場の乱高下、そして日本の金融システム不安の深刻化などは、その象徴的事例である。「インテグレート」された国際金融経済のもとにあって、これらの現象は、相互に影響を及ぼしあっている。こうしたいわば「vicious circle」にいかにして歯止めをかけるか、これが今日ここにお集まりのジャーナリストの皆さんと、中央銀行マンとしての私が共有する問題意識であろう。以上のような認識に立ちつつ、私に与えられたメインテーマである「日本の金融界の現状と展望」に話を移すこととする。

2.日本経済の現状

 日本経済は、昨年後半以降、極めて厳しい局面に直面している。実質GDPは、97年の第4四半期から、98年の第2四半期に至るまで、3四半期連続のマイナス成長を記録している。現在いわゆるGDPギャップ(デフレギャップ)は、史上最高のレベルにある。先ごろ日本銀行が公表した9月短観においても、企業の景況感の著しい落ち込みが確認された。

 このような景気悪化は、昨年4月以降の消費税引き上げなどを起因とするフィスカル・ドラッグの影響や、アジアの通貨・経済の混乱をきっかけとするものであった。しかし、景気悪化を深刻化させる要因となったのは、昨秋以降の金融システムの動揺である。すなわち、昨年11月には、山一証券や都銀の一角を構成する北海道拓殖銀行など、大手金融機関の経営破綻が相次いだ。また、本年2月に成立した金融安定化法に基づき、3月末には大手金融機関中心に1.8兆円(約130億ドル)の公的資本が注入されたにもかかわらず、6月には日本長期信用銀行の経営危機が表面化した。こうした一連の事態は、預金者や投資家の間に、心理的な動揺を生じさせ、株価や市場金利は神経質な展開を示すこととなった。また、金融機関の融資姿勢は慎重化し、中小企業を中心とする企業金融面に大きな影響を及ぼした。

 日経平均株価は現在1万4千円前後で推移している。これはいわゆるバブル経済崩壊後92年8月に記録したボトム(14、309円)を更新するレベルであり、日本の株価は約13年前の水準に逆戻りしたことになる。そして、今もなお金融機関や一般企業の信用リスクに対する市場の警戒感が根強く残る中にあって、各経済主体の消費・投資行動は、一段と防衛的になっている。消費者のマインドは急速な冷え込みを見せているほか、企業の設備投資も中小企業中心にかなり深い調整局面に入っている。さらにこうした景気の悪化が、金融機関の不良資産処理に一層の困難をもたらしている。

 このように、日本経済の苦境の原因は、金融面の制約と実体経済の悪化が相互に影響を及ぼしつつある中で、経済全体に対するコンフィデンスが著しく低下している点にある。やるべきことは、はっきりしていると思う。不良資産の一刻も早い処理、金融システム安定化策の早期確立と、実体経済面における強力な景気刺激策を、同時に手当てすることに尽きる。これは、諸外国における類似の歴史的経験が物語るところでもある。9月26日号のエコノミスト誌は、「Japan's amazing ability to disappoint」と題する記事の中で、日本の対応を鋭く批判している。当局に身を置く者として、耳の痛い指摘である。同時に、こうした批判を厳しく受け止め、何とか道を開かねばならないことを、強く思う。

 日本銀行は、去る9月9日、無担保コールレートの誘導目標の引き下げ、金融市場への潤沢な資金供給スタンスの堅持、を柱とする一段の金融緩和措置を決定した。これを「desperate action」と論評した海外主要紙があったことを記憶している。評価は皆様方に任せるとして、いずれにしてもこの措置は、「景気の回復と金融システムの建て直しは一刻の猶予もならない」という強い認識を背景としたものであることを申し上げておく。このことは、日本銀行の公式ステートメントにも明記されている。

 一方、先の臨時国会においては、与野党間の激しい論戦を経て、金融システムの立て直しに関する一連の法律が成立した。これには、(1)不良資産の流動化を促進するための環境整備、(2)金融機関が破たんした場合の預金者保護の徹底と借手企業への悪影響防止を図るための制度整備、(3)健全金融機関に対する公的資本注入を含む金融システム早期健全化スキームの導入、が盛り込まれている。破たん処理の円滑化と金融機関の資本基盤強化のために、用意される公的資金の規模は、60兆円(約5000億ドル、GDPの約12%)に上る。

 この間、政府は、本年4月には、景気の悪化に対応し、公共投資8兆円、追加特別減税4兆円を含む総事業費16兆円という過去最大の総合経済対策を決定した。対策に関連した98年度第一次補正予算は6月に成立している。さらに、政府は、公共投資の追加や、大幅な個人所得・法人税減税を含む新たな景気対策を策定する方針を打出している。

 こうした一連の対応をもってしても、現在の深刻な金融経済情勢との対比では、「too little,too slow」であるとの批判はあろう。それは、結果からみて判断して頂かざるをえないが、ここでは、いずれにしても当局が大きな一歩を踏み出したという事実を指摘しておきたい。

3.不良資産処理の道程

バブル経済の膨張と崩壊

 それにしても、80年代後半のバブル経済が90年代初頭に崩壊してから、7年余りが経過したにもかかわらず、なお金融システムの動揺が収拾しないばかりか、事態が一段と深刻化しているのは何故かという疑問は残ろう。この疑問を解くためには、バブル経済の膨張とその崩壊の過程を、振り返ってみる必要がある。

 バブル期の日本経済を特色付ける最大のファクターは、言うまでもなく資産価格の急激かつ大幅な上昇である。日経平均株価は86年に入ってから上昇テンポを速め、ピーク時の89年12月末には 、 38,915円と、プラザ合意の成立した85年9月対比3倍強の水準にまで上昇した。その後、株価は急速に下落し92年8月には14、309円とピーク時対比6割強も下落した。現在は、それよりもさらに低い水準にあることは、すでに触れたとおりである。一方、地価は株価に若干遅れて上昇を始めた。こうした地価上昇の動きを「市街地価格指数」で確認すると、6大都市の商業地は、ピークを迎えた90年には、85年当時に比べ、約4倍の高水準にまで上昇した。地価はその後下落に転じ、今もなお下落を続けているが、現在の水準はピーク時対比で7~8割の下落となっている。こうした大幅な価格の下落に伴って生じた資産価値の喪失額は、GDPの2倍にも上るという試算もなされている。

 その一部、といっても相当大きな金額になるが、それが不良資産として、企業セクターや、企業に対して貸出を行っている金融機関のバランスシートを傷つけ、経済活動をdiscourageしているというのが、バブル経済崩壊後現在に至る問題の構図である。

 このようなバブル経済の発生と崩壊のメカニズムは、現在、十分に解明されているわけではない。ここでは、次の3点を、指摘しておきたい。その第一は、バブルの膨張過程では、先行きの経済見通しに関し、極めて強気の期待が支配し、その期待の反転とともにバブルが崩壊した、つまり「期待のダイナミクス」という要素を抜きにバブルは理解できない、という点である。第二は、こうした期待形成に、金融機関行動が極めて大きな役割を果たした、という点であろう。そして第三は、日本銀行自身の反省も含めて申し上げれば、期待の過度の振幅を有効に制御する知恵と手だてを、関係者が、残念ながら持ち合わせなかったということではないか。

 いずれにしても、経済の先行きに関する期待が大きく変動する時、事前の予想をはるかに越える景気の振幅があり得るという事実を、我々は目の当たりにした。そして、今日再び、先行きに対する期待の下振れが日本経済の大きな下押し要因として作用しはじめている。こうした期待の下振れが加速しないうちに、打つべき手を打たねばならない。

不良資産処理の道程

 こう申し上げた上で、バブル経済崩壊後の不良資産処理に関する当局の対応を振り返ってみたい。当局が不良資産処理に関する具体的な取り組みを始めたのは、金融システム不安を背景として株価が急落した92年頃からである。しかし、92年から93年にかけて打ち出された措置は、会計的に不良資産処理を促進するための税制上の弾力策が中心であり、抜本的な解決の道を開くものではなかった。

 その後、94年に至り、信用組合や地方銀行の一部の信用不安が表面化するなど、事態は深刻化した。このため、大蔵省、日本銀行をはじめとする関係当局は、問題金融機関の清算を含む不良資産問題への取り組みを強化することとなった。因みに、94年12月には東京の2つの信用組合の破綻処理スキームを公表したが、それ以降96年末までの2年間に、13の金融機関が何等かの形で処理された。

 一方、こうした破綻処理の過程で当局は、既存の制度的な枠組みの不備にしばしば遭遇した。我が国金融システムをめぐる極めて不安定な環境を念頭に置くと、問題金融機関のペイオフ(保険金支払)による処理は、現実問題として、選択することが不可能であった。しかし、破たん処理に際して、預金者等の保護を図るにも、そのための財源が不十分であるという問題もあった。この点は、預金者の保護を通じて金融システムの安定を確保しつつ破たん処理を進めていく上で、大きな制約要因となるとともに、当局のイニシアティヴによるタイムリーな対応を困難なものとした。また、問題の抜本的処理のために、公的資金投入の必要性が認識されつつも、世論の反発に対する恐れが、議論の具体化の大きな障害となっていた。当時、住宅金融専門会社(住専)の経営危機が取り沙汰されながらも、関係者の調整が難航し、抜本的処理が先送りされていたのもこの理由による。

 こうした環境の下で、96年6月に金融関連六法が成立した。本立法措置により、預金保険機構のファンドの充実を含め、金融機関の破綻をスムーズに処理するための新しい枠組みが整備された。また、民間金融機関の資金拠出と公的資金の投入により住専問題を一括処理する枠組みも整えられた。これにより96年7月には「住宅金融債権管理機構」が設立され、住専7社は同機構に営業を譲渡の上、解散した。なお住専処理に際し、「金融システム安定化」を理由にとして、初めて公的資金(約50億ドル)が明示的に投入されたが、これに対する納税者、一般国民の反発には、極めて強いものがあった。そしてこのことが、その後の公的資金導入論議に大きな影を落とすことになった。

 以上のような事後的な対応のための制度整備に加え、金融機関の破綻を未然に防止し、金融機関監督の手法をより透明なものとする趣旨から、米国の金融監督当局が採用している早期是正措置に倣った監督制度の導入が図られることとなった。監督当局が講じる措置の内容は自己資本比率が低いほど厳しいものとなる。本制度は、98年4月以降、BIS統一基準適用行から順次実施に移されている。なお、金融機関監督の透明性向上の流れは、いわゆる行政改革の一環としての大蔵省組織の見直しにも反映され、所要の法改正を経て本年6月には、金融機関に対する検査・監督機能を大蔵省から分離・独立させる形で、新たに金融監督庁が発足している。

 さて、再び不良資産問題の処理に話を戻せば、96年に導入された一連の処理の枠組みは、問題の大きさに比べたセーフティネットのありかたとしては、なお不十分であった。金融システム再生に向けての展望は、依然、視界不良と言わざるをえなかった。こうした状況の下で、日本の金融システムに対する市場の不信感は、むしろ高まっていった。

 不信を決定づけたのが、先に述べた昨年11月に発生した一連の大手金融機関の破綻表面化である。これにより、危機感が一気に高まり、そうした危機感を背景に、本年3月には30兆円(GDPの約6%)に上る財政資金の投入を柱とする金融安定化措置が打ち出された。その後、7月の参議院選挙において、与党自民党が敗北を喫したことは記憶に新しい。これを受け、政府・自民党は、野党の主張も織り込む形で、金融安定化に向けての枠組みの大幅修正を図った。その結果、先の臨時国会で金融システムの立て直しに関連する一連の法律が成立した点については、先ほど触れたとおりである。

 このようにみてくると、結果論ではあるが、問題への対応が後手に回った点を、率直に認めざるをえない。しかし、過去の経緯はどうあれ、現在言えることは、ここで不良資産処理を抜本的に進めない限り、先行きに対する不安心理が一段と高まる結果、金融システムの再生が覚束ないばかりか経済全体の調整にますます弾みがつきかねないということであろう。国際経済に対する悪影響も、計り知れない。我々は、このことをしっかりと胸に刻んでおく必要がある。

4.苦境からの脱出

 日本経済は明らかに苦境にある。そして、その核心には、不良資産問題を背景とした金融システム不安がある。金融システムの抜本的建て直しを図るために、今求められることは何か。様々な論点があろうが、要は我々が直面している事態を冷静に観察し、果断に対応することに尽きるのではないか。そうした観点から、次の3点を指摘しておきたい。

 まず第一は、現在生じている事態の本質について、明確な認識をもつことが重要である。株価の不安定な展開についてはすでに述べたが、その主役が金融株であることは、申すまでもない。しかし、金融株だけが際立って軟調ということではなく、ここへ至っては一般事業法人株も、全般に不安定な推移を続けている。金融資本市場における信用リスクに対する警戒の目は、金融機関に対してのみならず、一般事業法人に対しても厳しくなっている。こうした事態を背景に、資金調達力のある企業でも、このところ流動性ポジションを厚めに確保しようとしている。このような流動性防衛の動きは、これまで企業行動を支えてきた金融・経済システム全体に対する不確実性の高まりを反映したものとも考えられる。

 マーケットが発している警戒シグナルは、次のようなものではないか。
 「金融セクターが抱える問題の本質は、一部の個別金融機関が苦境に陥っているということではない。むしろ、金融セクター全体として、実質的な資本不足状態に陥っているかも知れないということではないか。そしてそれが、信用創造機能の低下を通じて、企業行動の大きな足かせになりつつある。これに対し、事態の打開に対する確信は、なおもてない。」

 こうした見方が出てくることから考えれば、今問われているのは、金融システム、さらに言えば当局の経済運営を含めて、日本の経済システム全体ということになる。金融経済活動を律する一連のプロセスに対する信頼が揺らぎつつあるという点にこそ、戦後日本が初めて体験する苦境の本質があるのではないか。

 第二は、以上のような認識に立ったうえで、事態の打開に要する社会的コストを最小に抑える選択を行うということではないか。システム全体に対する信頼が揺らぎつつあるとすれば、まずは迅速かつ果断な対応をとることが、不可欠である。不良資産処理についていえば、公的資金を思い切って活用することが重要である。その際、破綻金融機関の預金者を保護するための公的資金投入もさることながら、問題は、先に述べた金融セクター全体としての資本基盤の強化をどう図っていくか、という点にある。

 資本不足に対しては、本来、金融セクターの外部から資本を呼び込む工夫がなされるべきである。事実、そうした努力もなされはじめており、最近では、金融機関が自らが属する企業グループに増資引受けを要請するケースも見られはじめている。しかし、資本市場においても不安心理が高まっている現状では、民間ベースでの努力には自ずと限界があるとみるべきであろう。資本基盤が脆弱な金融機関は、貸出などリスクを伴う業務運営には、一段と防衛的にならざるをえない。日本では、いわゆる「金融機関の貸し渋り」が問題視されている。資本基盤の弱体化した金融機関を放置すれば、そうした現象が一層深刻化しないとも限らない。

 こう述べてくると、結論は明らかであるように思える。早期かつ大規模な公的資金の投入により、金融セクターの資本基盤を強化し、市場の疑念を取り除くことが先決ではないか。そしてこれが金融と実体経済の負の連動を断ち切り、経済の再生を図るための社会的コストを最小化しうる選択ではないか。問題が片付き、いずれ経済が健康体に復した段階では、民間資本による公的資本の肩代わり、つまり注入された公的資本の回収も可能となろう。こうしたことは、案外知られていないが、海外における歴史的経験が物語るところでもある。

 この点、今回決定を見た公的資本注入スキームについて言えば、金融システム安定化の観点から、一刻も早く、思い切った資本注入の実現が図られることが、強く望まれる。

 もとより公的資金の投入については、厳しい批判がある。なかでもモラル・ハザードをどう抑止するか、つまり公的支援に対する安易な依存心をどう制御するかという問題を、避けて通るわけにはいかない。公的資金を投入する以上、そうした事態に立ち至った経営者などに対し、一定の責任を求めるのは当然である。しかし、同時に、公的資金投入の目的が、金融機能の復活である以上、金融界が、死に物狂いで金融機能の早期健全化に取組む動機づけも、重要な要素として考慮されねばならない。この点、投入した資本に対して、事後的に責任をもたせるといった考え方も、検討に値するのではなかろうか。

 この事を考えるため、ひとつの例をお示しする。預金者保護のためのに公的資金を投入すれば、無条件に保護される預金者には、当然にしてモラル・ハザードが発生する。これは公的資金投入に伴って生ずる明らかなコストである。しかし、その代わり、預金システムあるいは決済システムに対する預金者の信認は維持され、不安心理の連鎖的波及に伴うシステムの動揺を、防ぐことができる。こうしたシステミック・リスクの回避は、社会全体にとって大きなベネフィットである。本日は、モラル・ハザード論議に深入りするつもりはないが、公的資金投入のコスト・ベネフィットを良く考えた対応をとる必要があるとだけ申し上げておく。

 第三は、何よりも個々の金融機関が、「再生の意志を示す」ことが重要ではないか。不良資産の実態を適切に開示し、これを早期に処理する意志を明確にするとともに、一定の経営戦略に基づいて、不採算部門を切り捨て、リストラを断行することが、強く求められる。そして、このことこそ公的資金投入の前提条件と考えるべきではないか。

 もともと日本の金融機関の収益率や、他の業種と比較した相対株価は、バブル経済の崩壊以降、悪化傾向を辿っている。そうしたパフォーマンスの悪化には、不良資産の増大が大きく影響していることは言うまでもないが、同時に、店舗や人員のスリム化など経営効率の改善が遅れていることにも大きな原因がある。因みに、日本の金融機関が危機感を持って不良債権の処理に本腰を入れて取組みはじめたのは、ここ3、4年のことである。それまでは、経営実態の悪化にもかかわらず、市場での当座の評価の低下を恐れて、赤字決算にも躊躇していたのが実情である。

 例えば、日本の大手金融機関が赤字決算に初めて踏み切ったのは、95年3月期である。経営効率の改善に向けた取組みも、結果的には極めて微温的なものに止まっていた。このことは、国際業務を展開している金融機関、つまり自己資本比率を8%以上に保つことが義務づけられている金融機関が、今もなお40余りある事実に、象徴的に示されているようにも思える。国際業務の採算を云々する立場にはないが、それぞれの金融機関の存続自体が問われている今日、資本の節約の観点からも、業務見直しのひとつの対象とされて然るべきではないかと思う。

 このようなリストラや業務見直しの過程において、金融機関の整理・再編の動きも加速してこよう。現に、銀行、証券、信託銀行、保険等が、いわゆる業態を超えて提携するケースが、このところ目立ちはじめている。その中で、外資系金融機関も重要な役回りを演じている。ここで大切なことは、そうした提携の意図や、将来に向けての方向性が、市場に十分理解してもらえること、つまりアカウンタブルであることである。

 日本における「オーバーバンキング」の是正の必要性が、しばしば話題になるが、金融機関の数だけをとってみれば、諸外国に比べ日本の金融機関数が際立って多いとはいえない。「オーバーバンキング」が問題であるとすれば、それは収益率や経営効率の面で、見劣りするということではないか。つまり、金融機関の整理・再編が進んでも、当然のことながら、それが経営効率改善に結びつかない限り、市場の評価は得られないと考えるべきであろう。

 事態の正確な把握、公的資金の活用、金融機関におけるリストラの徹底は、日本の金融システムの建て直しのために、不可欠の要件である。しかも、これらは同時に、かつ迅速に取組まねばならない課題である。金融システム問題に端を発する先行き不安のこれ以上の増殖に歯止めをかけるためにも、今こそ関係者が総力を挙げて、事態の抜本的解決に全力を挙げるべきであろう。

5.金融業のリエンジニアリング

 さて、金融機関におけるリストラの必要性について述べてきたが、もとよりリストラは、それ自体に目的があるわけではなく、金融再生の出発点と考えるべきである。金融業を取り巻く環境は大きく、しかも急速に変化しつつある。当然のことながら、金融業がそうした環境変化に適合した競争力ある金融サービスを提供しない限り、金融業として生き残りを図っていくことはできない。また、金融システムが、リスク・マネーの仲介という変革の時代に最も求められる役割を含めて、その本来の機能を発揮することも期待しがたい。つまり金融業に求められるものは、リストラと同時にリエンジニアリングである。

 金融業を取り巻く変化の基本的方向性は、「自由化」と「情報化」ではないかと思う。申すまでもなく「自由化」は世界の金融市場共通の潮流である。昨今の金融市場の混乱が、急速な「自由化」の流れに一石を投じている面はあろう。さりとてこれまでの時計の針の動きが逆転すると考えるのは、非現実的である。自由な市場経済を生き抜いていくことは、そう簡単なことではない。明確なルールに基づく自己責任原則の徹底、厳格なリスク管理をベースにしたリスク・ビジネスへの挑戦といった面で、日本の金融界には、なお多くの課題が残されている。バブルの経験が物語るひとつの側面は、そうした問題を浮き彫りにしたということではないか。

 さらに、「情報化」という大きな技術革新の流れも、金融のあり方に決定的なインパクトをもたらしつつある。金融業が金融機能を果たすために行っている中心的な事務は、つまるところ「お金の計算」ということである。「お金の計算」はデータ処理そのものであり、この意味で、情報処理・通信技術は金融業の基盤をなす基本技術であるといえよう。その技術的基盤が、コンピュータとネットワーク技術の発展によって、大きな変貌を遂げている以上、金融業のあり方も変化を免れない。例えば、顧客管理やマーケティングに関するデータ処理技術が、飛躍的に向上したことは言うまでもない。また、デリヴァティヴを駆使した新たな取引や、リスク管理手法は、新たな情報処理技術と金融理論の融合によってもたらされたものである。EDI(Electronic Data Interchange)の発達や、電子マネーの実用化は、決済ビジネスのあり方に多大の影響を与えよう。つまり、金融は「innovative」であることが求められているのである。

 これからの金融業が「innovative」でなければならないと考える今一つの理由は、家計や企業における資産蓄積の著しい進展と経済のグローバル化の下での競争の激化である。日本経済については、家計や企業の資産蓄積の進行とともに、その金融構造がいわゆる「資金不足型」から「資金余剰型」に大きな転換を遂げていることが、多くの識者によって指摘されている。

 資金供給の主体である家計についてみると、個人の金融資産1200兆円のうち、6割以上が今なお預貯金の形で保有されている。しかし、やや長い目で見た今後の運用ニーズは、そうした伝統的な預金から、リスクとリターンに関する様々な特性を備えた多様な商品群に移っていくことが、予想される。同様に、企業についても、大きな変化が生じつつある。企業は、世界的な規模で生じつつある競争激化の荒波の中で、より効率的な経営のあり方、リスク管理のあり方が求められている。このため、金融機関に対しても、資金の運用・調達やリスク管理面で、より高度な金融サービスを求めるようになってきている。

 このように申し上げると、現在なお不良資産の処理に苦吟している日本の金融界にとってみれば、気の遠くなるような環境に身を置いているように聞こえるかもしれない。しかし、こうした厳しい現実を直視した上で、その中に自らの得意分野を見出し、経営資源を有効に活用していくという発想、つまり明確な方向性を持ったリエンジニアリングなくして、金融界の再生は覚束ないように思う。同時に、金融界の再生なくして、日本経済の立て直しも不可能であると思う。

 金融業の未来は、決して悲観的なものではなく、むしろその逆である。アダム・スミスは「国冨論」の中で、金融業を「型にはまった画一的な事業」の典型として論じている。こうした意味の金融業はあるいは衰退産業かもしれない。また、かつて「銀行の没落」が何度か話題になったこともある。しかし、世界の現実を見ると、広い意味での金融業は、近年むしろそのプレゼンスを増しているといえる。このことは、金融業が米国やここヨーロッパにおいて、いわゆる金融のグローバル化、情報技術革新、およびこれらに促された規制の緩和によって大きな変貌を遂げつつも、全体として発展・成長してきた姿を見ても明らかであろう。

6.結びに変えて

 バブル経済の崩壊とその後の困難な道のりを経て、我々は、金融システムの安定が経済の持続的成長に決定的な役割を果たすことを、痛いほど学んだ。また、経済のインテグレーションの進展によって、日本経済の問題は直ちに世界経済の問題になり、またその逆も妥当することを、身をもって体験しつつある。本日申し上げたとおり、残念ながら日本経済は、今もなお極めて困難な状況にあり、その先の展望が十分開けているとはいえない。

 振り返ってみれば、日本における金融の自由化が本格的に進みはじめたのは、80年代に入ってからである。しかし、いわゆる高度成長期の終焉とともに、70年代後半には、金融界は、すでに来るべき構造変化の予兆を感じ取っていた。「調達先行の経営」から「運用先行の経営」といったことが、真剣に論じられるようになったのも、この頃からである。「自由化に伴う競争の荒波を乗り切るには、まず体力をつけねばならない」、こうした意識が先行するあまり、的確なリスク管理意識を欠いたまま、ユーフォリアが支配する中で目先の利益獲得に狂奔したのが、バブル期における金融機関行動であった。そして、バブルの崩壊とともに、多額の不良債権が残った。このように考えると、現在、日本の金融界が背負っている重い課題は、大きく二つある。ひとつは、申すまでもなく不良債権処理である。そしていまひとつは、バブル期以前から積み残した宿題の処理、つまり金融の構造変化への対応である。

 実はこのような状況にあるのは、ひとり金融界に限ったことではない。行政当局や日本銀行においては、当面の問題への対応に加え、市場規律と自己責任原則を基本とする強固な金融システムをいかに構築するかという極めて重大な課題に、取組まねばならない。多くを申し上げないが、マスコミ界とて、新たな時代を切り開く上で同様の重い責務を負っているものと理解している。前政権が掲げた「ビッグ・バン」は、いまや色褪せた標語のように扱われがちである。しかし、「フリー、フェア、グローバル」という言葉に代表されるその精神と、方向性は、決して誤りではない。

 不良資産問題を克服し、金融システムの立て直しを図る過程で、日本の金融業はどのような変貌を遂げるのであろうか。これは、金融業に携わる関係者が、それぞれ自らに問うべき課題である。しかし、その姿がどのようなものであろうとも、過去の教訓は、未来のシステムの構築に、建設的に活かされねばならない。そのために、日本銀行は、中央銀行の立場から、あらゆる努力を惜しまない。このことを申し上げて、本日の講演の結びとしたい。

以上