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「最近の経済金融情勢について」

2000年3月1日・JCIF国際金融セミナーにおける田谷審議委員講演要旨

2000年 3月 1日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.最近のわが国の経済金融情勢
  3. 3.金融政策運営について

1.はじめに

 日本銀行、田谷です。よろしくお願い申し上げます。本日は、国際金融セミナーにお招きいただき、ありがとうございます。私は、昨年12月3日付で審議委員になりまして、概ね3か月経ったところです。今回は、審議委員になりましてから初めての講演ということになります。

 本日は、最近のわが国の経済金融情勢についてお話をさせていただいた後、金融政策運営についても触れたいと考えております。また、このところ何かと話題となっております量的金融緩和やインフレーション・ターゲティングについてもお話ししてみたいと思っております。

2.最近のわが国の経済金融情勢

最近の経済情勢

 まず、最近のわが国の経済情勢についてお話ししたいと思います。

 景気の現状については、当面ダウンサイド・リスクが若干小さくなってきたように思います。昨年の第4四半期の国民所得統計が気になるところですが、民間設備投資について若干ながら明るい面も期待できるようになってきましたし、民間消費についても、昨年後半と比べれば安定しつつあり、その先行き回復度合いについてはいつ頃から所得が増え始めるかにかかっています。株価も、持ち合い解消売りや益出しをこなしながら、そこそこ安定しており、東証の売買代金がこのところ20営業日近く連続して1兆円を超えていることからしても、底堅い動きと言えましょう。

 円ドル相場もこのところ落ち着いていますし、原油価格の高騰は取り敢えず一段落しつつあるようです。米国株価の行方は大いに気にはなりますが、これまでのところでは、緩やかな調整にとどまっているようです。海外主要国の実体経済については、北米は好調を持続していますし、欧州・アジア諸国も回復基調にあるようです。

 以下、国内経済について、民間設備投資と個人消費を中心に、少々詳しく見てみたいと思います。まず、民間設備投資について。今後、民需主導の自律的景気回復が期待できるかどうかの第一の鍵を握っているのが民間設備投資であることについては、広く認識されているとおりでしょう。民間設備投資が下げ止まってきたことは様々な指標で確認できます。12月の機械受注は、船舶・電力を除く民需で、前月比16.1%増え、10~12月も前期比+9.9%になりました。特に、機械受注全体の約8割を占める電子・通信機械と産業機械が好調です。1~3月期の見通しでは若干下がることになっていますが、受注が全体として増え続ける可能性もあると思います。

 建築着工床面積(民間非居住用)も底打ち気味になってきています。リース契約額も底打ちしたようです。製造業では、在庫調整が進み、生産が増え続け、稼働率も上がってきています。非製造業の動向を表わす第3次産業活動指数も昨年後半から上昇してきています。民間アナリストの多くの予想によると、上場企業の経常利益は今年度は一桁の伸びにとどまるかもしれませんが、来年度は二桁の伸び、それもかなり高いものとなり、しかも、収益改善の裾野が広がる方向にあるようです。

 特に、設備投資全体の2割前後を占めると考えられるIT関連投資はますます好調になりつつあることは、最近の電機各社による設備投資計画の引き上げによっても窺われるところです。株式市場における電機、通信の株価の動きもそうしたことを示唆しています。30%に達したパソコン普及率、携帯電話のインターネット接続、インターネット接続料金の低下などを考えれば、IT投資のメリットが格段に高まったことは確かだと思います。しかも、IT関連投資は、電算機とその関連機器、ソフトウエア、通信機器・通信設備・事務機器が概ね3分の1ずつと思われますが、最も伸び率の高いソフトウエアが国民所得統計の設備投資には現在のところ入っていません。実際のIT関連設備投資はかなりの伸びを達成しそうです。

 ただ、多くの企業では、慎重な売り上げ見通しの下、収益の改善が設備投資に対する積極姿勢を打ち出すまでに至っていません。IT関連投資以外の投資がどうなるかが不透明で、全体としての投資が増えるとしてもどの程度になるのか、また、どの程度の持続性がありそうかということは、依然としてある程度の確度をもって見通すことが難しい状況です。

 建設、不動産、流通などの業種を中心とした過剰債務問題は依然として深刻ですし、過剰設備にかかわる除却問題もあります。さらに、年金・退職金の積み立て不足問題も大きいと思います。

 事業会社の過剰債務問題は、一面では金融機関から見れば不良債権問題でもありますが、金融監督庁資料によれば、昨年3月末時点での全国銀行のリスク管理債権は30兆円弱、預金取扱金融機関全体のそれは40兆円弱でした。9月末の全国銀行の数字は3月末時点からほとんど変化がありません。これで、不良債権処理が本格化した平成4年度から昨年9月末までの全国銀行の累積処理額は61兆円に上りますが、このうち直接償却やオフバランス化されたものが46.5兆円であったと推計されています。これらの数字からみると、かなり不良債権問題が処理されてきたことも事実である一方、一部の業種においては過剰債務問題は依然として深刻で、そうしたところでは収益が優先的に債務返済に回される状態が暫く続かざるを得ないだろう、ということが分かります。

 過剰設備問題は、70~80兆円とも推定される総額そのものが示唆するほどには深刻ではないかもしれません。このところの設備投資抑制によって、設備年齢が上がっており、設備のかなりの部分が償却済みになっている面もあり、今後の設備廃棄などに伴う除却損はその推定過剰設備額に比べるとかなり小さいものでしょう。それでも、多くの企業にとって、大きな負担を抱えていることは疑問の余地がありません。
 年金・退職金の積み立て不足問題については、昨年度末の時点で50兆円前後といった推計値がありますが、会計基準の変更によって発生した移行債務は最長15年で償却することが認められており、その間に均等償却するとすれば年間の要償却額は3兆円強となります。これでも相当な額ではあります。

 これら諸問題は、今後暫くの間、設備投資抑制要因として働くことは間違いありません。これらの問題が比較的大きいところは、バブル崩壊に直撃された業種ばかりでなく、経済構造変化にうまく適応してこなかった産業、企業と言えるでしょう。たとえば、株式市場における最近の株価パフォーマンスをみても、産業間の格差ばかりでなく、各産業内での企業間格差もかつてないほど広がってきています。結局のところ、設備投資の先行きを考える際の難しさは、消費や輸出入にも共通したところがありますが、2極化した強い部分と弱い部分を合計した上で考えなければならないところにあります。

 つい最近発表された先月初め時点での日本経済新聞による設備投資調査によると、全産業ベースで、来年度の計画額は99年度実績見込み比で1.6%減ることになっていますが、その後、電気機器セクターを中心として計画額を上方修正する動きも報道されています。様々な設備投資先行指標や企業収益動向とともに、今後の各種設備投資調査を注視しようと思います。

 次に、個人消費についてですが、依然として不確定要素が大きいと思います。個人消費の先行きについては設備投資以上に不確実です。マインドは若干改善してきているとは思いますが、所得がついてきません。家計調査報告によると、12月の全世帯消費支出は前年比名目で−5.2%、実質で−4%となり、特に勤労者世帯の消費が弱いようです。暮れのボーナスの減少が響いています。家計調査報告による12月の勤労者世帯の名目可処分所得は前年同月比−5.7%の大幅減少でした。家計調査の数字には、最近支出活動が活発な単身者世帯が含まれておらず、下方バイアスがあり、支出も所得もマイナスに大きく振れすぎているとの指摘があります。確かに、そうした面はあろうかと思います。しかし、毎勤統計による名目賃金でも12月は前年比−2.3%でした。所定内給与がほぼ横ばいで、所定外給与が4.3%と伸びたにもかかわらず、特別給与が−4.1%となったことが大きかったようです。昨日発表された1月の統計によると、6か月ごとのサンプル替えの影響もあって名目賃金は若干上昇しました。

 雇用者数には下げ止まりの気配がありますが、フルタイム・ワーカーが減り、パート労働者が増え続けています。この点からは、依然、賃金上昇には抑制圧力がかかっています。ただ、生産の上昇などに伴って、所定外給与が基調的に増えてきており、今年に入ってから、所得は横ばい程度で推移してきているのではないでしょうか。今後、設備投資の増加や公共投資の回復が重なれば、緩やかな所得の増加が期待でき、さらに、夏のボーナスが、企業収益の回復に沿って、若干なりとも増えることも期待できるかもしれません。つまり、うまくすると、所得は年央あたりから増え始め、個人消費の緩やかな回復につながる可能性があるようにも思います。

 現時点で個人消費は強いとは言えませんが、消費の中身や流通経路に注目すべき変化が起こっています。たとえば、パソコンが引っ張る形で家電販売が絶好調ですし、既存のスーパー、百貨店の売り上げは低調である一方、カテゴリー・キラーとも呼ばれる新興量販店などやコンビニエンス・ストアの販売額は基調的には好調を保っています。こうした変化を統計が正しくとらえているかどうかなどは注視しなければならないでしょう。所得税率引下げの恩恵を受けた高所得者層の動きにも注意が必要かもしれません。また、最近の堅調な株価は、その直接的な資産効果はまだ限定的かもしれませんが、消費者マインドには好影響を与えてきていると思われます。設備投資が底打ちから上昇に転じそうな現在、持続的な消費の拡大をもたらす条件が揃うかどうかが注目されます。

 民間の投資、消費以外の支出項目について一言ずつコメントしますと、公共投資は昨年後半減少したようですが、今年に入ってから、国の予備費にかかわる発注が出始めたようですし、昨年末に成立した第2次補正予算の執行が本格化しつつあり、今後持ち直すものと思われます。しかし、住宅投資は、全体として、振れを伴いながらも、頭打ちから減少に転じてきているものと思われます。一方、純輸出は、昨年10~12月期には実質ベースで前期比マイナスの動きとなりましたが、今年に入ってからは増勢に転じているようです。海外主要国の景気も順調なことから、輸出にはそれなりに期待できるでしょう。

 以上のように、設備投資は、IT関連投資に牽引されて、底打ちから回復に転じる兆しも見られるようになりましたが、仮に回復したとして、どのくらいの強さの回復になるのか、また、それがどの程度持続的かは不透明です。また、個人消費は、所得が年央あたりから増え始めることで回復する可能性はありますが、まだかなり不確定と言わざるを得ません。個人消費の持続的回復が展望できるようになるまでは、民需の自律的回復が展望できる状況とは言えないのではないかと思います。一方、住宅投資こそ弱含みの推移をたどるものと考えられるものの、公共投資や純輸出といった外生需要は今年に入ってから回復の兆しが出てきており、当面、景気を下支えすると思われます。

 ここで、足許の物価情勢について若干触れてみたいと思います。国内卸売物価、消費者物価は前年比まだ若干のマイナスながらも概ね横ばいになってきています。最近の円相場、原油価格やその他国際商品市況は物価下落リスクを抑制する方向で働くでしょう。国内卸売物価、消費者物価については、需給悪化による低下リスクは小さくなってきているのではないでしょうか。もっとも、企業向けサービス価格指数は、不動産、事務所関連価格の下落などによって、前年比マイナスを続けています。GDPデフレーターの下落も気になるところです。物価全体が完全に下げ止まり、先行き下落リスクがほぼなくなったとは言い難いように思います。

 結論として、経済物価情勢を一言でいえば、景気には明るさが一部見え始めたものの、民需の自律的回復がはっきりせず、物価に対する潜在的な低下圧力も残っていることから、デフレ懸念の払拭が展望できる情勢には至っていない、ということになります。

最近の金融情勢

 最近の金融情勢をみると、短期市場金利は、無担保コール・オーバーナイト物レートがほぼゼロに近い水準で推移してきました。一昨日は、2月29日要因から一時的にレートが上昇しましたが、今日は元に戻っております。ターム物レートは、3か月物ユーロ円金利(TIBOR)やTB・FBレートが、Y2K問題要因が台頭する前の水準に戻り、総じて安定的に推移しています。長期国債の流通利回りは、1月下旬にかけて1.6%台まで下げた後、円安や株高などを受けて若干反発し、このところ1.8%台で推移しています。

 株価は、このところのニューヨーク・ダウの低下にもかかわらず、NASDAQ指数の高値圏での推移もあって、底堅く推移しています。今年に入ってからの外人投資家の日本株買いには昨年ほどの勢いが必ずしも見られませんが、個人投資家や投信の買いが増えていることもあって、株価は堅調を保っているようです。こうした株価の状況は、消費者センチメントやビジネス・センチメントを改善するばかりでなく、企業の株式持ち合いの解消や益出しによってリストラを支援することにもなりますし、実際にも資産効果を通して一部の消費を刺激しているものと思われます。企業のリストラはマクロ面ではデフレ圧力になりますが、リストラを評価した株高は、その圧力を一部緩和することになりますし、経済全体の雰囲気を明るくするものでもあります。

 最近、為替市場で円高修正が起こりました。相場の先行きは分かりませんが、ユーロが再び安くなっていることを考え合わせると、米国経済が相対的に強いことを反映していることが基本にあるように感じます。最近では、先進各国間の短期金利差が何ほどかの影響を持っていることも確かのようです。

 ところで、このところずっと恐れられてきている米国株価の急落とそれに付随したドルの暴落可能性はどう考えたらよいでしょうか。米国株価は、様々な伝統的投資尺度でみて高過ぎるようです。たとえば、株価収益率、株価純資産倍率、株式時価総額のGDP比率、配当利回り、イールド・レシオ、といった尺度で計ると高いことは間違いないところです。高過ぎないと言うためには、そうした伝統的尺度では計れないと言わなければなりませんが、株式需給面からみると、自社株買いやM&Aなどによる株式の市場からの吸い上げや、年金資金のミューチュアル・ファンドなどを経由した株式需要の拡大がひとつの理由でしょう。さらに、情報通信革命に乗って高い経済パフォーマンスを上げてきているのが、米国の企業、米国経済です。米国は経常収支赤字をますます拡大させ、外資依存を強めてきていることは事実ですが、95年以来、経常収支赤字を大幅に上回る外資のネット流入が続いてきています。これもいつまでも続くわけではありません。ただ、米国への対内直接投資がここ3年ほど、大雑把にいって、1000億ドル、2000億ドル、3000億ドルと拡大してきていることは、それだけ米国企業の魅力が高いことに他なりません。「バブルははじけて初めてバブルだったと分かる」のかもしれませんし、それしか分かりようがないのかもしれません。しかし、こうした資本の流れが続く限り、米国経済、ひいては、米国株価、ドルは、少なくともある程度の強さを維持するのではないでしょうか。

 さて、ここで、量的金融指標についていくつかコメントをしたいと思います。マネーサプライ(M2+CD)の前年比伸び率がこのところ低下してきました。マネーサプライと実体経済、物価との関係については短期的には必ずしも安定的な関係にないと言われています。事実、特に、ここ2年ほどは、その関係が薄れてきているように見えます。しかし、やや長い目でみると、それらの間には密接な関係があるように思います。たとえば、80年代後半はマネーの伸び率が高過ぎ、あるいは、金利の引き上げが遅れ、90年代は総じてマネーの伸び率は低過ぎた、あるいは、金利の引下げが遅れたのではないかとの印象を持っています。もっとも、実際に、より適切な政策がどうすれば可能だったかは別にしての話ですが。ただ、往々にして、マネーの伸び率が発するインプリケーションを見逃してきたのではないかということです。

 97年末あたりから、表面的にはそれまで観察されたマネー、GDP、物価の間の長期均衡関係が観察されなくなりましたが、金融システム不安やY2Kなどに関連したマネーに対するプリコーショナリー・デマンド(予備的需要)を考慮すると、そうした関係は依然として見出せるとの研究結果も報告されています。つまり、最近のマネーサプライ伸び率の低下は、予備的動機に基づく通貨需要が剥落してきたことによるもので、そうした要因を仮に調整できたとすると、調整後の伸び率はそう下がっていないことにもなります。ここ暫くは月次の変化率を見ていこうと思います。

 ただ、その変化率が低迷するとしても、即、何らかの対応をとらねばならない、とは必ずしもならないかもしれません。企業の側での債務圧縮の動きがありますし、企業のキャッシュフローはそこそこに潤沢です。社債やCPの発行も足許では低調な動きとなっています。こうした下で、銀行貸出残高は低下してきています。企業の資金調達コストは低位で安定しており、企業からみた金融機関の貸出態度も厳しさが後退しつつあります。マネーの動きも、こうした諸条件を考慮に入れて判断しなければならないと考えております。

3.金融政策運営について

ゼロ金利政策の評価

 さて、ここで、以上のような経済金融情勢を踏まえて、金融政策の話題に移りたいと思います。日銀は、ご承知の通り、昨年2月以来、これまで1年以上にわたり、ゼロ金利政策を続けてまいりました。こうした政策は、政府の財政政策、経済構造政策とあいまって、日本経済の下支えに大きく貢献してきたと思います。

 ゼロ金利政策は、オーバーナイト金利をゼロにするということで、翌日物の資金需要がある限り資金をいくらでも出すということですから、市場における流動性懸念を払拭することに貢献してきました。また、昨年4月以降、「デフレ懸念の払拭が展望できるまで」ゼロ金利政策を続けることにコミットしてきました。そして、そうしたコミットメントを通して、中長期金利が低位で安定することにも貢献してきました。そして、経済活動を下支えするとともに、人々のリスク・テイク活動を積極化させ、株価にも好影響を与えてきたと思います。

 しかしながら、ゼロ金利政策は、こうしたプラス効果をもたらす一方で、いくつかの副作用ももたらしてきたことが指摘されています。非効率企業の延命により構造改革を遅らせる、家計から企業への所得移転をもたらすがゆえに所得分配上の公正が阻害される、あるいは、市場参加者のリスク感覚を麻痺させる、といった超低金利の弊害が指摘されています。この他にも、そもそも金利がゼロは異常だ、あるいは、「デフレ懸念の払拭が展望できるまで」といった時間軸を政策に取り込むことで、市場で自由に決まるべき金利に枠をはめてしまっている、といった批判もあります。

 もっとも、こうした批判に対しては、第1に、ゼロ金利は成長セクターにも等しく適用される、第2に、先行きデフレ懸念が残っている限りその払拭に努めることで経済を下支えすることが優先される、第3に、流動性リスクの払拭、あるいは、リスク・テイク活動の促進がそもそものねらいである、さらに、中長期金利に対する働きかけが時間軸導入のそもそものねらいである、といったリスポンスがあるでしょう。

 いずれにせよ、足許の物価が安定し、民需の自律的回復がかなりの確率で見通せるようになり、それゆえ、物価の先行きについても下落リスクが十分小さくなるまでは、ゼロ金利政策を堅持せざるを得ないと考えております。その際、ゼロ金利政策を解除した後の市場条件の下でも景気回復過程が頓挫しないといった景気回復の頑強性(ローバストであること)もゼロ金利解除の要件となるでしょう。

 以下では、最初に言いましたように、二つのトピック、量的金融緩和とインフレーション・ターゲティングについてお話してみたいと思います。

量的緩和について

 量的緩和についての私の考えは、一言でいうと、金融機関の日銀当座預金ないし超過準備を増やすことによってさらなる緩和を行なうことは難しいでしょうが、やってできないことはないだろうと思いますし、何らかの効果を発揮する可能性はあるかもしれません、ということです。ただ、そうすることは現在の経済金融情勢の下では適当ではないように思います。

 まず、超過準備を増やすことが難しいということについてですが、確かに短資会社など準備預金非適用先が日銀に保有する当座預金には自ずと限界があることは事実でしょう。そうした限界を超えて日銀が資金供給を行なった場合、短資で資金運用ができなくなる地銀、第二地銀等の超過準備が増加したり、投信等が余資を抱えることになるかもしれません。その上でさらに資金供給が行われれば、都銀等の超過準備も増えるかもしれません。しかし、都銀等がその時々の必要額以上に超過準備を極力持とうとしないのが現状です。資金供給オペの札割れが繰り返されるのではないでしょうか。

 次に、やってできないことはないだろうということについてですが、たとえば、中期国債ないし長期国債の買い切りを増やすことによって、ある程度、都銀等の超過準備の積み上げを達成できるかもしれません。また、それによって、金融機関の活動に影響を与えられるかもしれません。つまり、超過準備の積み上げを通して金融機関のポートフォリオ・リバランシング──有価証券投資や貸出の拡大──をねらったり、あるいは、場合によっては、それに伴う金利や株価など資産価格の変化を経由した直接・間接の効果をねらうことができるかもしれません。これは、やってみなければ実際のところは分からない面があります。

 まず、国際資本移動が先進諸国間の長期金利を連動させる傾向があり、各国金融当局の長期金利に対する影響力は制限されています。しかも、長期金利水準が2%以下では、下げ余地は限られてもいます。それでも、中長期国債の買い切りオペを増額した当初は金利が下がる可能性が高いのではないかと思います。ただし、そうした金利低下効果がどれだけ続くかは不明です。また、国債の格付けが引下げられる可能性が出てきている状況下では、国債買い切りオペの増額は、財政規律に対する市場の懸念を強め、金利は下がらず、かえって上がってしまう可能性すら出てきたと思います。もっとも、これは、その時の金融資本市場の状況次第のところもあります。

 仮に、中長期国債の買い切りオペの増額によって、金融機関の超過準備が増えたとしましょう。いかなる効果が期待できるでしょうか。金融機関の立場からすれば、金利の付かない資産が増えるのですから、負債サイドを所与とすれば、リスク・テイク活動を刺激することが期待できるかもしれません。ただ、現在のところ、貸出に向かうより国債等株式以外の有価証券に向かう確率が圧倒的に高いと思いますし、中長期的観点からの金利上昇懸念から、長期国債に向かうとは限らず、短期証券に向かう部分も大きいのではないでしょうか。しかも、既に述べたように、金利が下がるかどうかは不透明だとなれば、何のための買い切りオペ増額なのかということになります。しかし、本当に貸出が増えないかどうかを含め、どんな結果になるかは時と場合にもよります。この点からも、最初に述べた通り、やってみなければ分からないということです。

 結局のところ、現在および近い将来の経済金融情勢がそうしたことを試すべき状況かどうかということになりますが、既に述べた通り、内外の経済金融情勢は改善の方向にあり、そうした状況ではなくなってきているように思います。ただし、状況の急変があり、何らかの手を打たなければならなくなる可能性がゼロでない限り、常に何ができるかは検討を続けなければならないと考えております。

インフレーション・ターゲティングについて

 最後に、インフレーション・ターゲティングについて若干コメントしたいと思います。先日、ある通信社の記事を見ておりましたら、日銀でITとはインフォメーション・テクノロジーではなく、インフレーション・ターゲティングのことであるとなっておりました。そこまでいっているかどうかは別にして、最近、日銀内外でもかなり議論されていることは事実です。

 基本的に、「デフレ懸念の払拭が展望できるようになるまでゼロ金利政策を続ける」というのは、一種のインフレーション・ターゲティングだと思います。具体的数字によるインフレーション・ターゲティングは、期待インフレ率を引き下げる手段としては有効かもしれませんが、それを引き上げる、それも、若干だけ引き上げることは難しいのではないでしょうか。実際にも、1990年前後以降になってこの政策を採用するようになった全ての国では、高いインフレ率を引き下げるために導入されています。

 「デフレ懸念の払拭が展望できる」状況を出来るだけ明らかにして行く努力は必要と思いますが、今ここで具体的な数字を目標として掲げることには躊躇します。まず、物価指標として仮に消費者物価指数を採用するとしても、いくつかの問題があります。この指数には、諸外国と同様に、上方バイアスがあると言われています。それは、指数の構成要素のウエイトがある期間固定されている、新製品の調査対象化が遅れる、既存小売店の割高な価格に偏る、といったことによるものです。他方、最近のように流通分野での革新が著しい時は、良い意味での価格破壊があらゆるところで起こっており、一部の調査対象価格の低下にもこうした技術革新が反映されている可能性があります。こうした価格低下は必ずしも需給の悪化を反映している訳ではないということです。つまり、上方バイアスだけを修正した指数の安定化を目指すと、金融緩和が行き過ぎる可能性もあります。こうした指数にまつわる様々な技術的問題点については詳しく検討中です。

 具体的数字を今すぐ採用することに対する躊躇は、消費者物価と資産価格、そのうちでも特に株価との関係にかかわるものです。最近の米国の状況がそうであるかどうかはまだ分かりませんが、我が国において、80年代後半、資産価格バブルが発生した時、消費者物価上昇率はほとんどの期間3%にも届きませんでした。中央銀行として、地価あるいは株価といった資産価格そのものの適切な水準を特定することはできるとは思いませんし、そうした価格のコントロールができる、あるいは、すべきとも思いませんが、バブルの生成とその後の崩壊という経験を踏まえると、金融政策上、資産価格には十分な関心を払うべきだと思います。資産価格は経済に対する人々の将来予想など重要な情報を多く含んでおり、その変動は実際の経済活動に対して大きな影響を与えるからです。では、何パーセントの消費者物価上昇率であればそうした重要な資産価格にバブルを発生させることにならないかは、その時々の状況にもよると思いますが、ひょっとすると、消費者物価上昇率2%でもバブルは発生するかもしれません。このところの見極めが正直言ってつきません。

 さらに、インフレーション・ターゲティングは将来のインフレ率をターゲットに金融政策を行なおうとするものですから、将来のインフレ率についてある程度正確に予測できなければなりません。ところが、我が国ばかりか諸外国においても、最近、従来のGDPギャップによる分析手法などでは現実の物価の変化率をうまくトレースできなくなっています。当然、様々な補助的分析手段も使うことになりますが、そうしたことを含め、予測精度を高めることが急務になっていると思います。

 いくら問題があったとしても、金融政策に関するアカウンタビリティーを高め、場合によっては、物価の変化率についての人々の期待を安定化させるためにも具体的インフレ率目標を持った方がよいとの見方もあるでしょう。しかし、短期金利実質ゼロの下で、インフレ率を確実に引き上げる追加的手段がほとんどない下では、よほどの情勢変化でもない限り、「デフレ懸念払拭の展望」をできるだけ具体的に説明して行く以外にないのではないかと思います。

 その際、確認しなければならないことは、現在のゼロ金利政策が一般に想定されていたよりかなり強い政策だということです。たとえば、今年1月のG7直後、ゼロ金利の解除が遅れるのではないかとの思惑が強まった時、10年物国債利回りが1.6%台にまで下がりました。それだけが長期金利低下の要因だったとは言えませんが、少なくともそれが一つの大きな要因だったことは推測できます。と言うことは、ゼロ金利解除時期についての思惑が大きく振れることはできれば避けなければならない、ということにもなると思います。

 そのためにも、金融経済月報、あるいは、政策委員会・金融政策決定会合議事要旨において我々の景気・物価情勢に関する判断を公表すると同時に、さまざまな機会をとらえて市場参加者のみなさまと意見交換を行なっていきたいと考えております。本日は、ご清聴ありがとうございました。

以上