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日本経済と米国経済——セントラル・バンカーの若干の考察——
平成12年 9月11日 日本・米国中西部会における速水総裁講演
2000年 9月11日
日本銀行
日本銀行総裁の速水でございます。本日は、日本・米国中西部会(Japan-Midwest U.S. Association)にお招きいただき、ありがとうございます。
私は1947年から81年まで日本銀行に勤務した後、17年間実業界に身を置き、日米財界人の出席する様々な会議にも企業人としてしばしば参加しました。今回の日本・米国中西部会では、日米の政治・経済のリーダーがIT革命やグローバライゼーションなど、世界経済の直面する様々な問題について議論をされると聞いていますが、議論の成果に大いに期待しています。
ところで、今から10年ないし15年前、すなわち、1980年代後半以降の日米財界人の会議における中心的なテーマのひとつは両国間の経済・貿易摩擦問題でした。私自身、91年頃から日米財界人会議の下に設置された「二国間問題の解決に関する分科会」など、重要ではあるが厄介な会議の議長を幾度か務めていたこともあり、そうした会議に出席するため、米国の都市、例えば中西部のクリーブランドにも出向きました。
当時議論された日米の経済・貿易摩擦については、その後、摩擦の原因となる問題が解決されたり、あるいは日米双方における様々な誤解が解消されたことによって、以前に比べ、状況は随分改善されてきました。そうした改善は勿論、関係者の努力による面が大きいと思いますが、同時にこの10年間、日本経済が停滞し、米国経済が復活したという際立った経済情勢の変化を反映している面も大きいように思います。
思い起こしますと、ちょうど10年位前は日本経済はバブルのピークを迎えていました。日本の企業や金融機関は世界市場でシェアを拡大し、自信に溢れていました。バブルがピークを迎える直前の頃、ハーバード大学の教授によって"Japan as Number One"という書物が出版されたことをご記憶の方も多いと思います。他方、当時の米国経済は大幅な財政赤字と経常収支の赤字の拡大、いわゆる「双子の赤字」に悩まされている状況でした。
それから10年を経過した現在、米国は史上最長の景気拡大記録を更新中であり、失業率は92年中の7.5%から、最近では4.1%にまで低下しています。一方、日本ではバブルが崩壊し、その後の日本経済の足どりは残念ながらたいへん厳しいものとなりました。こうした日本と米国のコントラストを最も象徴的に表しているのが株価の動きです。現在の株価水準を1989年末—日経平均が過去最高を記録した時期でもありますが—と比較しますと、日本は現在、当時の40%強の水準であるのに対し、米国のNYダウは4倍の水準にまで上昇しています。
このような状況を背景に、近年、日本では経済の中長期的な潜在成長能力に対し、ややもすると、悲観的なムードが広がり勝ちです。しかし、1990年代以降の米国経済が復活した経験が示すように、日本経済も中長期的な観点に立った経済の改革に取組めば、再び活力を取戻すと私は信じています。
そのためには、過去の失敗から教訓を学ぶと共に、どのようにすれば日本経済の再生が図れるのかを真剣に議論し、具体的な改革に取組んでいくことが是非とも必要です。同時に、米国の出席者にとっては、現在米国の経済が非常に好調であるだけに、日本の経済が好調であった時に始まった苦い経験から何らかの教訓を汲み取ることにも意味があると思います。
このようなことを意識しながら、以下ではふたつの論点に絞ってお話します。第1の論点は、1980年代後半の日米経済関係も意識しながら、何故、バブルが発生したのか、金融政策はこれにどのように影響したのかという論点です。第2の論点は、やや曖昧な言葉ですが、日本型とか米国型と呼ばれる経済運営や企業経営の違いが経済成長にどのように影響するかという論点です。
そこで、まず最初の論点から取上げたいと思います。
1990年代の日本経済の停滞には様々な要因が絡んでいますが、1980年代後半に大規模なバブルが発生し、これが1990年代に入って崩壊したことが大きな原因のひとつであることは言うまでもありません。バブルの発生理由については未だ十分解明できている訳ではありませんが、日本の経験を含め過去のバブルの歴史を振り返りますと、幾つかの共通項が挙げられます。
第1の共通項は、何らかの理由で国民の期待が著しく強気化し、国全体に根拠のない熱狂—グリーンスパン議長の有名な言葉を借りれば、「根拠なき熱狂」(irrational exuberance)が広がる時に発生していることです。ただ、バブルは期待の強気化だけで発生する訳ではなく、強気化した行動が金融面からファイナンスされることも共通項として指摘できます。実際、日本のバブル期においては金融機関の行動が著しく積極化し、また金融政策の面でも長期にわたって低金利が続きました。
バブルが崩壊した今日、「日本銀行は何故、長期に亘って金融緩和を続けたのか」という疑問、批判が出されます。当時の金融引締めの遅れには幾つかの理由が挙げられますが、何よりも物価が非常に安定していたという経済情勢が挙げられます。また、当時、日本の経常収支が大幅な黒字—1986年にはGDPの4.2%に達しましたが—を続けていたため、この経常黒字を圧縮するために、金融緩和を継続し内需を拡大する必要があるという議論が有力であったことも金融引締めの遅れをもたらす一因となりました。このような内需拡大により経常黒字の縮小を求めるという議論は米国サイドから提起されましたが、日本国内でもそうした議論が盛んでした。
一国の経常収支の基調はその国の趨勢的な貯蓄・投資の差額、あるいはその背後にある人口構成上の要因(demographic factor)等を反映して決まるものであり、経済理論的に見ても、金融政策で基調的な経常収支に影響を与えることは無理な話です。しかし、現実にはそうした無理な議論が横行しました。その背景を考えますと、日米の貿易摩擦という本来はミクロの問題を金融政策というマクロの政策で解決を図れるという誤まった考え方が、一部の人々の支持を集めたことも影響したように思います。
このような日本のバブルの経験を振り返りながら、現在の好調な米国経済をみますと、ニューエコノミーの到来の有無、言い換えれば「根拠なき熱狂」と、言わば「根拠のある熱狂」とを区別することが如何に難しいかを痛感します。
いずれにせよ、バブルを金融政策で防げるかと言えば、中央銀行の答えは多分否定的でしょうが、安定的なマクロ経済環境を維持する上で金融政策の果たす役割が非常に大きいことについては異論はないと思います。それと同時に、先程の経常黒字縮小の議論が示すように、健全な経済政策を遂行する上で、政策当局者やビジネスのリーダーがマクロ経済の基本的なロジックを理解し、共有することが重要であることを強く感じます。
次に、2番目の論点、すなわち、米国型とか日本型と呼ばれる経済運営や企業経営のあり方に関する議論に移りたいと思います。
近年、日本では長期に亘る経済の停滞を背景に、経済の再建を図るためには、米国流の市場重視の経済運営、株主重視の経営方式をもっと取り入れる必要があるという問題意識が高まっています。あえて単純化して言えば、マクロのレベルでは、競争メカニズムの一層の重視、規制の緩和・撤廃、銀行主導の金融システムから資本市場主導の金融システムへの移行の必要性が指摘されています。企業経営のレベルでは、株主重視のコーポレート・ガバナンスや思い切った雇用調整がそれに当たります。
そうした議論は、時として「『日本型経済モデル』を『米国型経済モデル』に切り替ない限り、日本経済の発展は期待しがたい」といった考え方に傾き勝ちです。しかし、私はそのような考え方は悲観的に過ぎると思っています。と言うのも、「日本型経済モデル」といっても決して不変のものではなく、これまでも経済環境の変化に合わせて変貌を遂げてきていると考えるからです。
しかし、だからと言って、私は、現在の日本の経済運営や企業経営のあり方に問題がないと主張するつもりはありません。むしろ、私は、構造改革の重要性を唱えることに熱心なあまり、時に、「中央銀行総裁の職分を超えている」と批判されることがあるくらいです。
構造改革の必要性は私の持論でありますが、最初に、経済の潜在的な成長率を規定する要因は短期的な需要の動きではなく、趨勢的な生産性の上昇という供給面の要因の改善によるものであることを強調したいと思います。因みに、98年の日本の労働者の時間当たりの生産性を単純な計算によって米国と比較すると、IMFのWorld Economic Outlookで想定している購買力平価で換算した場合で約4割、98年の実際の為替レートで換算した場合で約3割、それぞれ日本が米国を下回っています。勿論、労働生産性を高めることだけが目的であれば、資本を大量に投下し、労働者一人当たりの資本装備率を引き上げることによって達成可能です。しかし、その場合には、資本の生産性、資本収益率は低下します。また、資源の大量投下という方法だけではやがて成長の限界に達します。
経済が持続的に成長するためには、与えられた価格の下で、労働と資本という生産要素を最適な比率で組み合わせ、その上で様々なイノベーションを引出すという、言わば内生的に経済が成長するメカニズムを組み込まなければなりません。
このように考えますと、現在日本で求められていることは以下の3点です。
まず第1に、経済の環境変化に合わせて資源配分の状況を見直し、より生産的な分野に資源を投下することが求められています。これによって資源が有効に使われます。より具体的に言えば、政府部門から民間部門、成長性の低い産業から高い産業、効率性の低い企業から高い企業への資本や労働の移動が必要となります。そうしたプロセスは勿論、痛みを伴なうものですが、それなしには日本経済の力強い発展は期待出来ません。
第2に求められていることは、様々なイノベーションを引出す上で障害となる各種の制度—法律、税制、会計—を見直していくことです。制度の見直しは関係者の既得権益と衝突するため容易ではありませんが、制度が経済の環境変化に対応して見直されない限り、イノベーションは抑圧されます。
そして、第3に求められていることは、イノベーターの登場です。経済に変化が生じれば、様々な利益機会が生まれますが、これを見つけ出しビジネスに応用するのは決して機械的なプロセスではなく、企業家精神に溢れた個人の行動によるものです。
以上申し上げた3つのことは、一言で言えば、経済や社会全体としての変化への対応能力を如何に高めるかという問題に帰着します。そうした変化への対応能力はいつの時代にあっても求められるものです。しかし、技術革新や経済のグローバル化が急速なスピードで進展する時には、変化への対応能力の高い経済や社会は大きな強味を発揮することになります。
近年、欧州や日本と比較して米国が高い経済成長を実現しているのは、米国の社会や経済が有している変化への対応能力の高さ、柔軟性、多様性を反映しているものだと思います。因みに、つい最近、FRBのグリーンスパン議長はカンザス連銀のコンファレンスにおいて、レイオフの多い米国において失業率が低いという、一見逆説的な状況に言及しながら、米国の柔軟な労働市場が近年の高い経済成長に貢献したことを強調しています。
これまで申し上げてきたような観点から、最近の日本経済の動きを見ますと、変化の芽が着実に生まれてきています。以下では、その具体的な例として幾つかの動きを紹介します。
第1は、制度の改革が急速に進みつつあることです。例えば、近年、企業会計の面では、時価会計、年金会計、連結対象企業の範囲拡大等の措置が相次いで導入されたほか、ディスクロージャーも格段に充実してきました。これらはいずれも企業の業績をより正確に表わすことを通じて、企業経営者に対しリストラや収益向上への強いプレッシャーを及ぼしています。
第2に、企業経営者が以前に比べ資本収益率を随分意識するようになったことが挙げられます。
第3に、労働者の考え方も変化してきました。日本の労働市場というと、従来は終身雇用、年功序列型の賃金体系が特色として挙げられ、柔軟性を欠くという見方が多かったと思います。しかし、最近は以前に比べ雇用調整が大規模に行われるようになるなど、徐々に変化してきています。
第4は、金融システムの改革が進んできていることです。1998年秋以降、金融機関の破綻処理を円滑に進めるための法的な枠組みや公的資本の注入が相次いで決定されました。取組むべき課題が多く残っているとはいえ、金融機関自身のリストラ努力もあって、日本の金融機関の経営状態もかなり改善されてきました。
以上のような日本経済の明るい動きを背景に、最近は日本への対内直接投資が大きく増加しています。日本への対内直接投資はこれまでは対外直接投資を大幅に下回り、96年は僅か2億ドルに過ぎませんでしたが、ここ数年急速に増加し、昨年は128億ドルにまで増加しています。直接投資は経営資源、ビジネス・ノウハウを提供することを通じて日本経済に大きな刺激を与えるものであり、海外からの直接投資の増加に大いに期待しています。
以上、セントラル・バンカーの立場から、日頃感じていることを述べてまいりました。要約すると、第1に経済が持続的に発展するためには、安定的なマクロ経済環境が必要であり、この面で金融政策の果たす役割が大きいこと、第2に中長期的な経済成長率を引上げるためには、供給面に働きかける様々な構造改革が不可欠であるということです。過去10年ないし15年の日米経済の変化は、正にこのことを物語っているように思います。
最後に、私自身のことに触れされて頂きますと、このような変化を必要とする時に、日本銀行の総裁という重責を負い、たえず座右においている有名な神学者Reinhold Niebuhrの"Serenityの祈り"を御披露して私の話を終らせていただきます。
"God grant me the serenity to accept the things I cannot change, the courage to change the things I can; and the wisdom to know the difference."
日本訳では順序をかえ、
「神よ、変えることのできるものについてはそれを変えるだけの勇気を、変えることのできないものについてはそれを受け入れるだけの冷静さを、そしてこの両者を識別することのできる知恵とを与え給え」と訳して用いられています。
ご清聴ありがとうございました。
以上