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ドイツ連銀・BIS共催コンファレンスにおける山口副総裁講演

2000年9月28日、於 フランクフルト ドイツ

2000年10月3日
日本銀行

 本日は、「金融システムの世界的な潮流」についてお話をさせていただく機会をいただき、大変光栄に存じています。

 どの国でも、中央銀行は、法的に規定されている目標の書きぶりにかかわらず、物価の安定を通じてマクロ経済の健全な発展に貢献することを責務と感じています。また、個別金融機関に対する監督権限を有しているか否かにかかわらず、金融システム全体の安定確保に大きな責任を持っています。このため、つねにマクロ経済と金融システムの接点を意識して仕事をしており、この点でユニークな存在だと思います。本日の私の報告では、この点を意識しながら、近年の金融システムの変容が提起する課題について論じたいと思います。

 最初に、金融システム変容の背景ないし特徴について考えてみたいと思います。

 第一に確認しておきたいことは、情報技術革新が及ぼしたインパクトの深さです。情報技術革新は、それ自体、そして、これを背景とする新たな金融技術──デリバティブや証券化といったリスクの分解と再構成を可能とする技術──の発展により、取引対象となり得るリスクの範囲を著しく拡大させました。これにより市場取引の厚みが増し、価格の客観性が高まり、取引コストが大幅に低下しています。この結果、資金フローや金融取引量は、クロス・ボーダーで飛躍的に拡大しており、各国の金融資本市場はある面では同質化し、競争と依存の度合いを強めています。

 ある面では、と述べたのは、個人や中堅・中小企業を取引対象とするミドル・リテール分野は、依然として各国固有の金融仲介サービスによって支えられているからです。確かにインターネットなどの通信技術の発展は、一般家計にとっても地域的制約を著しく低下させているため、ミドル・リテールの分野もグローバル化が進展するポテンシャルを有しています。しかし、ミドル・リテールの分野では、ホールセール分野で実現しつつあるようなグローバル化を直ちに展望することが困難であることもまた事実です。ミドル・リテール分野での「ホーム・バイアス」とでもいうべき現象は、当面、ホールセール分野でのグローバル化と併存すると思われます。

 しかし、少なくともホールセール分野ではグローバル化が進み、これと同時に、「銀行」、「証券会社」、「保険会社」といった金融機関のカテゴリーは無意味なものとなってきています。これは、技術革新により、決済や金融仲介、リスク配分といった金融機能の分解と自由な再構成が進んだことによります。現在、各国の大手金融機関が、金融統合により規模と業務範囲の拡大を指向していますが、こうした動きには、広範な金融業務を包括的に提供することによる規模・範囲の経済性の追求という側面があると同時に、テイラーメイドの新たな機能の組み合わせを模索するプロセスとして理解すべき側面もあるように思います。いずれにせよ、こうした金融統合の進展の下で、既存の機能パッケージを前提とした規制はますます現実に適合しなくなっています。このため、業態分離を制度設計の基本としてきた米国や日本でも、相互参入を認める金融制度改革が実施されました。

 こうした金融業の変容は金融システムにさまざまな影響をもたらし得ますが、ひとつの重要な例として、自己資本の役割の増大という問題に触れておきたいと思います。金融機関経営の健全性を業態毎の行為規制等により確保しようとする金融監督パラダイムの下では、自己資本は限定的な役割しか果たしません。しかし、こうした規制的枠組みの有効性が大きく低下するなかで、リスク・バッファーとしての自己資本の持つ役割が一段と重要になり、先進的な金融機関の間では自らのリスク・プロファイルに即した自己資本の保有を核とする精緻なリスク管理手法がすでに定着しつつあります。その民間における実情を踏まえつつ、バーゼル銀行監督委員会では「リスク」と「自己資本」の対応関係を定義し直した新しい自己資本比率規制案の作成作業を行っています。こうした作業の結果として、金融業にとっての所要資本の総額がどのように変化するかは興味深い論点です。多くの国がオーバーバンクと言われている状況は、一見、資本や他のリソースが金融業、特に銀行業では過剰であることを示唆しているように見えますが、銀行のリスク・プロファイルに即してより精緻に所要資本を計測したとき同様な結論に達するのかどうか。また、規制上の所要資本ではなく、ビジネスの内容に照して本来どの程度の資本を持つのが適切かというeconomic capitalの観点からみると、評価が変るかどうか。もし新しい観点からみてもオーバーバンクと考えられる場合には、今後、資本を含むリソースの再配分が金融システムの内外で行われていく筈ですが、これはどのようなプロセスで実現していくでしょうか。この点は金融システムのみならず、金融政策のあり方にも大きな影響を与え得ると思います。

 いずれにせよ、金融取引がグローバルな広がりを持ち、市場の厚みが飛躍的に増したことは、金融システムの効率性を高めると同時に、市場の厚みによって様々な外的ショックを吸収することを可能とし、その安定性を向上させる方向に作用する筈です。

 しかし、1990年代だけを取り上げてみても、個別金融機関の蹉跌のレベルを超え金融システム全体の問題に発展した金融危機が再三発生しています。日本や北欧の資産バブル、アジアやロシアの通貨危機、LTCMの破綻、などです。金融システムの変容に伴って、危機がむしろ頻発したことからみて、金融システムは効率性を著しく高めた反面、脆弱性も強めたようにみえます。これはなぜでしょうか。この問題を考えていくと、途上国側における固定為替相場制や性急な資本自由化が危機の背景にあったという理解に同意した上で、技術革新とグローバル化自体に危機を増幅させる作用が潜在しているのではないか、との結論に達します。

 確かに、情報技術革新を起爆剤とする金融のグローバル化は、クロス・ボーダーでの金融取引を飛躍的に拡大させ、各国の金融市場の競争と依存の度合いを強めました。しかし、そのため、ストレス時にはストレスが最初に発生した国──たとえばアジア危機におけるタイ──の市場に止まらず、瞬時に他の国の市場へその影響が波及します。この場合、問題発生国と経済構造が類似しているとみなされた国に波及するだけではなく、高いレバレッジ・ポジションのグローバルな調整を通じて、何の関係もない国の市場が多大な影響を受けることがあり得ることもハッキリしました。大きなストレスの下では、「質への逃避」と流動性の枯渇が起き、多国間にまたがる市場取引を可能にする為替相場の安定性も失われて、市場は分断されました。こうして、ショックを吸収すべきグローバルな金融取引の厚みあるいは潤沢な流動性は、金融危機の際には瞬時に消失し、各国ホールセール市場はミドル・リテール分野のように国毎に分断されてしまいます。

 また、金融技術革新に支えられた精緻な金融手法は、利益機会が予想される場合には、これを最大限に活用するためにしばしば高いレバレッジを生み出します。こうした高いレバレッジは、予想が的確で金融システムが円滑に作動している場合には効率性向上に寄与しますが、市場に予想外のストレスが加わり、利益機会が失われると、ポジションのリバランス、レバレッジの巻戻しから、急激な価格調整が起きます。こうした局面では、個々の金融機関の精緻なリスク管理行動が、相場の不安定性を増幅させる方向に作用します。たとえば、OTCデリバティブ取引における担保の活用は、市場の知恵から生まれたカウンターパーティー・リスクへの自衛手段ですが、ロシア危機で経験したように、カウンターパーティー・リスクは担保の利用によってスプレッド・リスクにリスク形態を変化させ、ストレス環境の下では担保価値の下落を通じ、マージン・コール、ポジション巻戻し、更なる価格下落、といった悪循環を招く可能性も持っています。むろん、個々の市場参加者にとっては、リスクやロスを一定限度内に止めようとする行動は、経営管理上の必須条件です。しかし、ストレス時においては、こうした行動が価格を非線形ないし不連続に変化させ、マクロ的には市場流動性の枯渇を招来する可能性があるのも事実です。

 こうしてみると、技術革新とグローバル化によって平時にもたらされている市場の厚みあるいは潤沢な流動性は、大きなストレスを受ける金融危機時には瞬時に失われ、そのことが危機を増幅させるリスクを孕んでいる、ということが言えるように思います。

 次に、今世紀末に日本が経験した資産バブルに起因する金融危機を、金融革新との関連において考えてみます。資産価格にバブルが発生する現象自体は昔から存在します。資産価格はユーフォリア期には金融機関の信用膨張を伴いながら嵩上げされ、調整局面では金融機関のバランスシートを毀損し、その信用供与機能を低下させてマクロ経済にも大きな悪影響を及ぼします。こうしたプロセスは、今から振り返ってみれば目新しいものではありません。

 しかし、1980年代後半の日本の場合には、急速に変容する金融システムの実態と規制のシステムが適合していなかったことが、金融機関行動をよりリスキーなものとし、問題を増幅した可能性は否定できません。資本市場における革新的技術が顧客の銀行離れを促進し、外からの金融自由化圧力も強まったことは、銀行にフランチャイズ・バリューの低下を強く意識させました。それは銀行にリターンの維持・向上のためのリスク・テイクを行う強いインセンティブを与えた一方で、伝統的な垣根や銀行組織の自由化は漸進的にしか進まず、新たな収益機会を求める業務展開を困難にしていました。その結果は、貸出という伝統的な業務での過大なリスク・テイクにつながりました。もともと銀行は、積極的な貸出行動を取って一時的に収益を嵩上げすることで収益悪化基調が表面化するのをしばらくは回避できるという特性を持っていますが、それが「資産価格高騰が信用膨張を加速する」というバブル生成期の金融特性と相乗的に働き、景気の行き過ぎを大きくしました。

 他方、バブル崩壊期である90年代には、日本の銀行は、不良債権問題と同時にグローバルな競争圧力の一層の高まりという2つの問題に同時に直面しました。それらの相互作用は金融システムの機能改善をさらに遅らせ、バブル崩壊以降日本経済が停滞する大きな背景のひとつを形成しました。大手銀行は資本制約によってハイテク投資を十分に行うことが難しくなり、むしろ海外における収益性の高い子会社を手放さざるを得なくなったほどですが、こうしたことは、もっとも利益率が高いインベストメント・バンキングでの競争力に大きな悪影響を与え、中期的な銀行収益構造の立て直しを遅らせた可能性があります。また、経済そのもののグローバル化は地価も含めた要素価格を均等化させる方向に働き、資産デフレ圧力を増幅することで、金融システム再建をより困難にしてきたと思われます。

 以上のような近年の金融システムの変容と金融危機の経験は、中央銀行にどのような教訓を与えていると考えるべきでしょうか。

 まず言えることは、情報技術革新やグローバル化は現在進行形の現象であり、今後も各国経済や金融システムを速いテンポで変質させていく可能性がある、ということです。このことは中央銀行にとって、金融政策の運営環境についての不確実性を増大させます。

 この点に関し私は、さきほど「オーバーバンク」状態の市場について問題を指摘しました。この問題は、特に日本やドイツなどの金融システムについてしばしば提起されるものです。仮にこの議論が正しいとすれば、これらの国では、いずれ預金が貸出とともに急テンポで縮小して、MMFなどの市場性商品が増加する、といった姿が予想されます。しかし、日本の例をみますと、この問題について相反する見解がみられます。すなわち、早急なオーバーバンク解消の必要性を指摘する声がある一方で、マネーサプライ、つまり銀行のバランスシートの伸びが緩やかであることを批判する意見も根強くみられます。

 オーバーバンクの例にみられるこうした不確実性は、MMFなどこれまでに我々が経験した金融新商品の登場に比べ、さほど異質な問題を提供するわけではない、という理解も可能かもしれません。しかし、技術革新は中・長期的には、金融・経済構造をより根本から変化させる可能性を孕んでいます。

 たとえば、金融技術革新と相互に影響を及ぼしながら進行すると考えられる電子商取引は、現在、日・米などで年率数十%という指数的なテンポで急速に拡大していますが、財・サービスの価格形成を根本から変化させる可能性があります。電子商取引の普及は、流通コストの低下による価格低下圧力や、価格変更が容易になることによるメニューコスト(ないし価格硬直性)の劇的な低下、顧客毎に異なった価格付けが可能になることによる一物一価の崩壊、などの影響をもたらし得るからです。現実にも、これにより、CD(コンパクトディスク)・書籍など一部の商品では、電子商取引の方が伝統的な商取引より価格水準が10~20%低く、伝統的な商取引では1ドル単位でしか行われていない価格変更が1セント単位で行われている、といった例も観察されています。

 価格水準の低下と顧客毎の価格差別の容易化が急速に進行すると、中央銀行が目標とすべきインフレ率の設定はより困難になると同時に、物価指数の信頼性は大きく低下します。また、経済学では、価格の硬直性は金融政策の短期的有効性を支える大きな要因とみなされているだけに、メニューコストの低下は、金融政策の有効性に大きな影響を与えるかもしれません。

 電子商取引の普及は、技術革新の影響の一側面に過ぎず、技術革新の進行プロセスには、他にも我々が未経験の要素が多く含まれていると考えられます。金融政策運営の本質的な難しさは、経済の先行きや経済のメカニズム自体についての我々の知識が限られている点にありますが、情報技術革新やグローバル化の進行は、上述のようにこうした状況をさらに悪化させ得ます。

 こうした状況のなかで我々がまず為すべきことは、規制によって技術の展開や市場の革新を抑え込もうとすることではなく、広い意味での市場インフラを整備し頑健なものにしていくことでしょう。これには規制・監督、市場慣行、ディスクロージャー、会計制度等々が含まれます。これらを体系的に改善していくことは金融危機のリスクという不確実性の最たるものを減らすことに貢献します。実際、国際社会はそのような努力を精力的・組織的に行ってきており、最近ではフォーラムや報告書や勧告やらが多すぎると言われるほどになっています。ともかく、多くの国際的な委員会がグローバルな金融システムに内在する弱点の発見と改善に注意を払い、それでも見落としがないかどうかを「金融安定化フォーラム」の専門家がチェックする体制が築かれたのは心強い進展です。ここから得られた成果を各国や市場参加者による実行(implementation)につなげることが肝心で、それには適切なインセンティブが必要である、という多くの論者の指摘に私も同感です。

 市場インフラの整備を目指す様々な試みのうち、ここではひとつだけ、ニューヨーク連邦準備銀行のフィッシャー(Peter Fisher)氏が議長をしている"Fisher II"プロジェクト(正式にはMulti-disciplinary Working Group on Enhanced Disclosure)の作業に触れたいと思います。これはBISにおける中央銀行グループの作業から発展して、現在は銀行、証券会社および保険会社の監督当局と連携しながら、また主要な市場参加者の協力を得ながら、カウンターパーティー・リスクの評価に必要なディスクロージャーのあり方を検討しています。この試みが重要なのは、金融サービス業の全スコープをカバーする当局と民間の協力が実現しているからだけではありません。この作業は、市場の安定といういわば公共財のために必要な情報開示について、ぎりぎりの境界を見定める意味を持つかもしれません。また、主要なインセンティブとして期待される市場の圧力が、高度の情報開示を市場の慣行として定着させるようにうまく働くかどうかも重要なポイントです。むろん、より進んだ情報開示が一般化することが市場参加者のより適切なリスク管理につながるかどうか、いわんやマクロ的なリスク・プロファイルの把握を通じて金融システムの安定性を高めることになるかどうかは、現段階ではひとつの仮説に過ぎません。むしろ日本の経験から我々が学んだことのひとつは、ミクロ・レベルのリスク管理--最終的には不十分であったことがハッキリしましたが--が行われていても、マクロ的には膨大なリスクの集中が生じ得る、ということでした。マクロ的なリスクの規模やプロファイルを知るには、別途の対応が必要となるかもしれません。しかし、望ましい情報開示のあり方を探る、という作業は、金融システムの安定性と市場参加者のインセンティブを結び付ける可能性があり、その可能性を最大限追求すべき値打ちがあると思います。

 次に、中央銀行や公的当局がコントロールできない不確実性増大にどう対処するか、という論点があります。近年、多くの国が経験したこの意味での不確実性の例は、新時代の到来かバブルかの判別が困難な資産価格の変動であり、そのなかでの金融政策運営の問題です。以下では、金融システムの変化の問題と多少離れますが、重要な問題なので、この点について敷衍しておきたいと思います。

 中央銀行にとっての重要な問題は、適切な金融政策により物価安定が保たれさえすれば、経済活動の過大な振幅が避けられるか、ということでしょう。この問いに対しては慎重な検討が必要ですが、日本の経験を振り返った場合、私の暫定的な答えは、「残念ながらノーではないか」、というものです。実際、日本のバブルは、高い成長率と物価の安定が何年にも亘って両立する良好なマクロ経済パフォーマンスのなかで生じました。潜在成長力が高まっているとの期待が円高をもたらし、さらに期待インフレ率を抑制するなかで、資産価格高騰期の物価安定は際立っており、インフレリスクを理由とする予防的金利引き上げを困難にしていました。ユーフォリアの下で、景気の過熱現象は物価予測面にはなかなか表れず、中央銀行は不安を感じつつも金融緩和継続を容認し、予防的措置を取るのが遅れる、という場合には、ほぼ必然的に資産価格と経済活動の行き過ぎにつながると思われます。その意味では、皮肉なことにマクロ経済の良好なパフォーマンスと物価安定は資産価格バブル発生の必要条件であるようにすら思えます。この逆説は中央銀行に重い課題を課すものです。もし、新時代の到来を思わせるマクロ経済の良好なパフォーマンスと物価の安定がユーフォリアであれば、資産価格の高値は永続せず、資産価格の調整が始まれば、金融とマクロ経済両面に深刻な打撃を与えます。しかし、そうした懸念だけで、新時代への離陸を信じる人々を説得し、果敢な投資にブレーキをかけるのは困難です。多くの場合、新時代の到来もユーフォリアも、ともに技術革新に代表される状況変化をきっかけとするでしょうし、ユーフォリアの直中では、そのもたらすものがユーフォリアなのか、真の新時代の幕開けなのかの判別は、誰にとっても容易ではありません。

 技術革新は、こうした不確実性を著しく高めます。一般に、経済の不確実性が高まっている状況では、中央銀行が一段と注意深く慎重に政策運営を行っていくことが望ましいとする考え方が有力です。もっとも、こうした漸進主義的な金融政策運営は、"too little, too late"に陥り易いという批判も少なくありません。そこで、最悪の事態での被害を最小にするという「ミニマックス原理」の観点から政策を決定するのが良いという議論もあります。それによれば、たとえば、「ニューエコノミー論」が正しいのに誤って引き締め潜在成長力を殺してしまうケースと、バブルを「ニューエコノミー」への移行過程と誤認し金融緩和を継続してしまうケースではどちらが最悪の事態か、という比較をもとに政策運営を行う、という発想になります。今後も、多くの中央銀行がこうした比較考量を迫られるでしょう。

 以上、金融システムの変容によって中央銀行が直面している問題とこれへの対応について述べてみました。上述のようなさまざまな努力によっても、金融危機の確率を完全にゼロにすることは不可能です。中央銀行はこのことを前提に危機管理力を高めていく必要があります。そのためには、金融システムがますますグローバル化していることを踏まえてリスクのモニタリング・分析を行い、リスクが顕現化した際の中央銀行間の協調の枠組みを充実させていく必要があります。そうした努力はさまざまな形で行われていますが、私の関与するグローバル金融システム委員会は、しばしば他のBISの委員会とも協力しつつ、市場の潜在的な脆弱性を早期に発見し対策を提案することを主要なミッションとして活発に活動してきました。その成果として、国際金融危機の分析等を通じ得た知見を基にして、外貨準備高の公表方法や流動性改善のための市場設計、国際的な資金の流れに関する統計の改善等を提言してきました。

 冒頭、私は、中央銀行はマクロ経済と金融システムの接点を意識して仕事をするという点でユニークな存在であると思う、と述べました。中央銀行に求められるのは、この特性を活かしながら適切な政策運営を行うとともに、他の公的督当局や民間金融機関と緊密に協力・対話を深めながら、広い意味の「市場の設計」に関与し、貢献していくことであろう、と考えています。

以上