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最近の金融政策運営

神奈川県金融経済懇談会における田谷審議委員挨拶要旨

2002年3月6日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.量的緩和とその効果について
  3. 3.今後採るべき政策について

1.はじめに

 今日は、主として昨年12月以降の金融政策運営についてお話したいと思います。昨年の10月に、その時点までの内外景気認識とともに、金融政策運営についてお話しさせていただく機会がございました。内外景気の動向につきましては、そう変わった見方をしているわけではありませんし、金融政策がらみの話題が多くありますので、今日は政策運営一本に絞ってお話しさせていただこうと思いました。一部、かなり技術的な話になってしまうかもしれませんが、ご容赦のほどをお願い申し上げます。

2.量的緩和とその効果について

日銀当座預金残高目標の引き上げ

 昨年3月、金融政策運営上の操作変数を、短期金利から、主として日銀当座預金残高に変更しました。預金取扱金融機関は一定額の日銀当座預金残高を1ヶ月単位で積み立てる義務があり、日銀当座預金には金利は付きません。それは準備預金とも呼ばれ、義務づけられた額ちょうどの額を所要準備といいます。操作対象が従来の金利でなく、日銀当座預金残高という量になったため、その後の金融緩和の動きは、量的緩和と呼ばれています。当初、日銀当座預金残高の目標額は、所要準備の約4兆円を1兆円上回る5兆円でスタートしましたが、その後、米国のテロ事件直後には、6兆円以上としました。実際の残高は、9月半ばから12月半ばまで、9兆円前後で推移しました。その後、目標額を10−15兆円に引き上げ、実際の残高は、その上限近辺で推移させてまいりました。現在は、年度末に向けて、金融市場の安定を確保するため、流動性需要がさらに高まるようであれば、残高目標にかかわらずに資金供給を行うといった一種の緊急モードに入っています。

 12月の会合で目標額を10−15兆円に引き上げた時には、Y2K問題のあった時を除けば、実際の当座預金残高は昨年9月の14兆円程度が最高でした。それを上回る目標額をかかげて、資金供給するということは、疑問の余地のない緩和姿勢の表明でした。しかし、そうした巨額の資金供給がなぜ可能だったのでしょうか。いくら日銀が資金を供給したいと考えても、必ずしも供給できるとは限りません。事実、目標レンジの上限近辺を狙うにしても、どれくらい安定的に実現できるか事前には分かりませんでした。現在でも、年度末に向けてどれくらいの資金需要が出てくるのか、また、年度末を越えた後、どれくらい供給できるか不透明です。

 これまでのところ、当初想定していたよりも安定的に巨額の資金供給ができてきた理由は、そこに需要があったからです。まず第一に、金融市場が完全には安定化しておらず、年末や年度末越え資金を金融機関が厚めに持とうとしてきたことがあります。第二に、優良な外国銀行が、日本の金融機関を相手方として為替スワップ取引をすることによって、円をマイナスの金利で調達でき、その円資金をリスクのない日銀の当座預金に置いておくといったことが、昨年9月半ば以降続いています。しかも、その額が数兆円単位に上っています。第三に、9月からコール市場における金利の刻み幅がそれまでの0.01%から0.001%になりましたが、量的金融緩和の結果として、コール・レートがその下限に張りつき、そうした金利では資金が運用に回されずに、日銀の当座預金に滞留することになりました。金利が低くて運用インセンティブが湧かないということです。0.001%ということは、10億円運用しても、金利は1日27円ということです。これではなかなか事務コストも賄えません。

 これまで、目標額の上限近くを達成できてはいますが、その一方、日銀による資金供給オペでは、予定額に対して金融機関の応札が届かない「札割れ」が頻発しています。しかし、これまでのところ、使うオペ手段、資金供給の期間、オペの頻度などの選択に工夫をしながら、なんとか、目標額は達成してきています。年度末となる今月末に向けては、資金需要が増大することが予想されますが、その後は全く分かりません。その時の金融資本市場の状況次第のところがあります。ただ、これまで、金融機関に対する資金供給を拡大すべく、資金供給の際に求める担保の範囲拡大を図る一方、短期国債の買い切りを増やしたり、長期国債の買い切りも増額してまいりました。長期国債の買い切りは、足の長い資金供給手段ですので、その分、短期の金融手段を使った資金供給オペの負担を軽減します。たとえば、日本銀行のバランスシート上で見ますと、日本銀行券は固定的な日本銀行の負債です。これを短期国債の買い入れだけで対応しようとしますと、頻繁に多額のオペを繰り返さなければなりません。それに対して、長期国債を買い切れば、そうした事態はそれだけ緩和されます。昨年末以来、長期国債の買い切り額を月6000億円から8000億円に、また、つい先日、それを1兆円に引き上げました。これだけ買い切りを増やしましても、まだ、昨年3月に決めました長期国債の保有を日銀券の発行残高の範囲内にするとのルールには当面は抵触しないと思います。

量的緩和の効果

 緩和効果はどうだったでしょうか。私は、それなりにあったと思っています。

  1.  第一に、短期の金利はさらに下がりました。もちろん、短期金利はすでに相当下がっていたことは事実ですので、下がったといっても幅としては小さなものではありました。今年の1月後半あたりからは、無担保オーバーナイト物のコール・レートは当然ですが、短期国債の流通利回りが1年物まで0.001%に低下しました。こうした短期金利の全般的な低下は、金融資本市場全般に影響し、それを通して経済に影響することになります。短期金利がこれだけ下がり、しかも、それが長期化することがますますはっきりしてきたことが、様々な経済主体のリスクテイク姿勢を強める効果を持っていたことは確かだと思います。

  2.  第二に、大量の流動性供給姿勢を強めることによって、流動性リスク・プレミアムの上昇を抑制し、市場の安定化に貢献してきたと思います。高格付け社債の対国債スプレッドはほぼ横ばいで推移してきました。もっとも、市場のクレジット・リスクに対する警戒感から、低格付け債の対国債スプレッドは上昇してきました。ただ、そうした上昇も、投資家のリスク・テイク姿勢の積極化によって、それなりに抑制されてきたのではないかと考えております。大量の資金供給を円滑に行うため、1月、2月と、日銀が受け入れることのできる担保の範囲拡大にも努めてきておりますし、場合によっては、さらに何ができるか考える必要があるかもしれないと思っております。

  3.  第三に、長期金利、株価、円相場にはいかなる影響があったでしょうか。まず、長期金利につきましては、昨年12月の後半、10年国債の流通利回りが1.3%強であったものが、最近では1.5%前後にまで上昇してきています。こうした上昇は、循環面からの景気回復を一部映したものかもしれませんが、市場参加者のコメントを見ていますと、先行きの需給悪化を映した面が強いようです。この間のコメントは、財政支出拡大に関する思惑や国債入札などに関わるものが多かったように思います。日銀による長期国債買い切りの増額を財政規律の緩みに結び付けた議論も多く見られました。政府の財政規律に関する強いコミットメントからして、まだこうした議論が実際の国債価格に反映されている度合いはそれほど大きくはないと思いますので、強い金融緩和姿勢は、そうでなかったら起きていたかもしれない金利の上昇を一部抑制してきたとも考えられます。

 株価は、昨年末以来の諸外国における株価の回復にもかかわらず、つい最近まで低迷していました。株価は、2月に入りましてから、特に、先週あたりからは、かなり回復してまいりました。たとえば、日経平均株価は、米国のテロ前の水準を若干超え、主要先進国程度には戻りました。東アジア諸国の株価も、米テロ以前の水準を超えて回復していますが、TOPIXはテロ前の水準をやっと回復したばかりです。日経平均株価は、最近では、IT関連銘柄の動きに左右される度合いが大きく、世界景気とある程度連動しますが、TOPIXは銀行株や不況関連業種株に影響される度合いが大きいようです。TOPIXの相対的な低迷はそうした銘柄の低迷に足を引っ張られてきたようです。大手行を中心とした銀行や、過剰債務企業の整理統合が市場の評価するような形でなかなか進まなかったことで、金融緩和を続けている中で、株価はあまり上昇しませんでした。それでも、株式投資信託は増えており、低金利の長期化は、それなりに株価の下支えにはなっていると言えると思います。

 円相場につきましては、11月頃から1月末にかけて円安になり、その後は一進一退の動きとなっております。市場参加者の中には、量的緩和によるマネタリーベース(現金と日銀当座預金の合計)の高い伸びを円安の要因として挙げる向きもありますが、そうした見方はごく一部に限られるように思います。円安の主因として広く考えられているのは、日本と欧米諸国との景況感格差です。特に、この間、米国経済は一般に想定されていたよりも底固さを示す一方、日本経済のデフレ脱却はその難しさがより鮮明になってきたような気がします。金融政策の方向と円相場の動きは結果的に整合的ではありましたが、この間、米国の金融政策もより緩和方向に動いています。やはり、この間の円安は、我が国における金融政策の結果というより、景況感格差によるところが大きかったように見えます。

 こう考えてきますと、これまでの金融緩和はそれなりの効果はあったとは思いますが、経済、物価情勢を改善させるには力不足であったようです。これをもう少し論理的に考えると以下のようになるのではないでしょうか。まず、日銀は市場に流動性を供給することで日銀当座預金残高を増やそうとします。その結果、短期資金市場で金利が下がります。短期金利の低下は、長期金利の低下、株価の上昇、円安といった変化をもたらすはずです。そうした、金融資本市場における価格の変化を通して、企業、個人の資金需要が高まる一方、金融機関の貸出姿勢が積極化します。そこで、銀行貸出が増え、需要が喚起され、景気の回復とともに需給ギャップが縮小し、物価に上昇圧力がかかります。そうした景気回復の過程で、銀行預金も増えることになります。

 しかし、実際にはどうでしょうか。現在は、仮に日銀の当座預金残高をこれまで以上に増やせるとしても、短期金利にはほとんど下げ余地がありません。短期金利がほとんど下がらない下では、長期金利、株価、円相場といった価格に確実に影響を与える経路がなかなか見当たりません。それでも、超短期の金利だけでなく、ターム物の金利をさらに下げることで、金融緩和経路の確保に努めてまいりました。この面から、さらに何かやり残していることがないかどうか、考える余地はまだあるかもしれません。資金需要を高めるためには、財政支出の在り方や税制改革、あるいは、その他の方法を考えることが必要かもしれません。ただ、日本のように間接金融中心の経済では、金融機関の信用創造機能の回復がなければ、資金需要が出てきてもそれに応えることはなかなかできません。

 たとえば、現金と日銀当座預金の合計であるマネタリーベースは、現在、前年比30%近く伸びていますが、マネーサプライ(M2+CD)は3%台半ばの伸びにとどまっていますし、銀行貸出は年率数%のペースで減少しています。マネーサプライがそこそこ伸びているのは、財政資金の調達、国際収支の黒字、郵貯やMMFから銀行預金へのシフトなどによるもので、民間資金調達はマイナスが続いています。全体としての民間資金調達の中でも、社債、CPによる資金調達は増えていますが、金融機関貸出は減り続けています。つまり、日銀当座預金あるいはマネタリーベースといったエンジンの回転率をいくら速めても、金融システムの貸出を増やす信用創造機能といったいわばクラッチ盤がつるつるで、動力がなかなか経済実体に伝わりません。クラッチ盤を直さないで、財政支出や減税を行なっても、あるいは、中小企業の借入れに対する特別保証といった措置をとっても、その効果は長続きしないでしょう。社債、CP、株式の発行市場の活性化も重要ですが、現状では、ボリューム的に貸出の落ち込みを十分に補完することにはなりません。

3.今後採るべき政策について

 では、今後どうしたら良いのでしょうか。以下では、5つほどに分けて考えてみたいと思います。第一に、短期金利に低下余地がないなら、直接、長期金利、株価、円相場などに働きかけたらどうかという考え方です。第二は、インフレ・ターゲットによって人々の期待を変化させて、デフレ脱却を目指したらどうかという考え方です。第三に、金融機関の不良債権処理を抜本的に進めて、金融システムの信用創造機能を改善すべきとの考え方です。第四に、政府も日銀もデフレスパイラルに陥らないように頑張ると言っているが、そのリスクが顕現化しそうになった場合、日銀としてはどうするのか、という点です。最後に、ペイオフが来月に解禁されますが、万一流動性危機に陥った金融機関が出てきた場合、日銀としてどう対処するのかという問題です。

資産価格に影響を与える政策

 まず、第一に、様々な資産市場に日銀が介入して、その価格をコントロールしてはどうかということです。この問題につきましては、過去にもかなり詳しく私の考え方をお話したことがありますが、基本的に考え方が変わったわけではありません。今回は、長期国債、株式、円相場に限定してお話したいと思います。これまで、長期国債の買い切りを増やしてまいりましたが、それは、あくまで、短期の国債や手形などを使った資金供給オペの負担を減らすための、補完的資金供給手段と位置づけてきました。当然、そうした増額が財政規律を緩めるのではないかといった思惑を強め、長期金利を上昇させてしまう可能性には十分注意しながら実施してまいりました。長期金利そのものの低位安定を目指して長期国債を思い切って買うとの考え方もありますが、長期国債だけでも390兆円ほどの残高があります。また、地方債、政府保証債、社債などその代替資産も巨額に上りますし、国内の債券相場は、海外の債券相場から独立して存在しているわけではありません。ある程度以上の期間にわたって長期金利をコントロールすることは、不可能とは言わないまでも、非常に困難です。一部の論者の中には、長期国債を全て買い切るくらいの姿勢で市場に出てゆけば、どこかで財政規律についての疑念が出てくる可能性が強いし、日銀のデフレ脱却姿勢についてのクレディビリティーが高まり、その結果として、インフレ予想が出てくるといった主張をする向きがありますが、そうした結論に至るプロセスが明らかではありません。つまり、そうしたことが起こるかどうかについての論拠がはっきりしません。さて、こうしたことを述べた後で、なおかつ、場合によっては、長期金利に働きかけることも完全には否定はしません。要は、今後の経済、物価の情勢次第だろうと思っております。

 個別株の買い上げをせよといった考え方はさすがに減ってきましたが、株価指数連動型の投資信託を買ったらどうかといった主張は、なくなりません。株式だけでなく、各種の資産を日銀が買うことによって、その価格を引き上げたらどうかといった考え方はなかなかなくなりません。こうした考えは、言ってみれば、部屋の温度が低すぎるので、温度計の目盛りを変えろといった主張に近いのではないかと思います。誰しも部屋の温度を快適にしたいことは異論のないところですが、その原因の解決を差し置いて、目盛りを変えても事態の本質は変わりません。確かに、年度末の株価が上がれば、多くの企業で決算がやりやすくなりますし、一時、苦しい調整を免れるかもしれませんが、長い目で見れば、かえって事態を悪化させかねません。市場経済の心臓部にある温度計の目盛りが信じられなくなったら、自殺行為になりかねません。また、株価が仮に上がるとしても、その過程で外人投資家などは日本の株式市場から撤退して行ってしまうかもしれません。それは、グローバライズした世界経済の中にあって、これまで以上に、資金が出て行くだけで、入ってこない異様な経済となり、資源の効率的な配分は期待し難いということになるでしょう。

 円安をデフレ脱却の切り札とする考えもあります。資金供給手段としてドルないしドル債を買うことは法律上は可能だと思います。短期金利を通しての金融緩和が限界に近づきつつある時、為替レートを通じた景気の下支えを考えるのは一つの論理的帰結ですし、内外の学者の中に一定の支持者がいることは事実です。ただ、円相場の安定化を目指した為替市場への介入は財務省の管轄です。オペ手段の多様化の一環といっても、相場に影響するであろうことは事実でしょう。それは、日銀の場合、ドルを買うための円資金に純粋理論的には限界がないことと関係しています。今後とも、いかなる状況下でも考えられないということではありませんが、これまでのところ、流動性供給手段をドルやドル債を使って多様化しなければならない状況にはありません。最近の円安に対する海外からの反応などからしても、こうした手段の使用は、相当幅広い視野に立って考えなければならないと思います。少なくとも、現時点でのセンシブルなオプションではないと思っております。

 政策手段としてドルないしドル債を買うということから離れて、ここで、円相場についてどう考えているかについて、若干コメントしておきたいと思います。まず、一般論を言えば、自国通貨高は、自国民の実質購買力を引き上げますし、自国企業の合理化努力につながり、長期的に生産性を引き上げることにもなるため、望ましいものです。この点から言えば、円安は企業の合理化努力を弱め、生産性の引き上げに逆行することになりますので、「自国の通貨を安くして栄えた国はない」のかもしれません。しかし、現在、日本経済はデフレ・スパイラルにもなりかねない状況にあるにもかかわらず、政策発動余地が限られています。財政政策はさておき、金融政策のみを考えても、金利の引き下げ余地はほとんどありませんし、考えうるその他の手段にしても、緩和効果が不確実であったり、仮にあったとしても、多大な副作用を伴いかねないものです。こうした状況下での通貨安には、それなりの短期的メリットも見出せるように思います。それは、企業収益を改善させますし、輸入物価の上昇は物価低下圧力を幾分なりとも緩和します。ただ、円安の行き過ぎは、資本流出の増加や資本流入の減少から株安や債券安をもたらしかねません。さらに、急激な円安は、その後の急反発をもたらしかねません。最近のように、そうした惧れが限定的である状況下で、経済・金融情勢を反映して円安になるのであれば、それはそれで受け入れてゆくことに特段の異をとなえることはないと考えております。

インフレ・ターゲット

 インフレ・ターゲットについてはどう考えたらよいでしょうか。典型的な主張は、たとえば、2年後までに消費者物価指数の前年比上昇率を1−3%にすることを目指して金融政策を運営せよ、といったものです。物価の変動は貨幣的現象とよく言われます。貨幣の供給を増やし続けられれば、一般物価水準は上がることになるでしょう。しかし、日銀としては、対価なく貨幣を勝手に配るわけにはいきません。たとえば、政府が減税を行い、その減税を現金との引き換え券の形で政府が配るとすれば、その引き換え券と交換に日銀は日銀券を配ることはできます。しかし、それは、財政政策であって、金融政策ではありません。日銀がそうした個別の所得分配に直接関与することは適当ではありません。あくまで日銀が行えることは、金融資産と引き換えに流動性を供給し、金利を動かし、様々な資産価格に影響を及ぼし、経済活動を活発化させることによって、貨幣に対する需要を喚起し、その需要に応えることで、貨幣の総量を増やそうとすることです。所与の貨幣需要に対して受動的に対応するということではなく、能動的に貨幣総量を増やそうとしています。しかし、短期金利に下げ余地が極めて限定的になった後、仮により直接的に資産価格をコントロールしようとしても、その効果は確定的なものでは有り得ません。そうした手段しか持たない状況下で、期限を区切って、ある一定の物価変化率を実現するということは約束できませんし、仮に約束したとしても、それはクレディブルなものでは有り得ないでしょう。

 そうした約束をすることが、日銀によるデフレ脱却に対する不退転の決意を示すことになり、それが人々の将来に対する予想に影響すると言われても、実現の手段を持たない限り、約束はできないと言わざるを得ません。仮に、現在以上の手段を与えられたとしても、それだけで実現の可能性が飛躍的に高まるものでもありません。たとえば、株式が買えるようになるとしましょう。それは、政府が株式買い取り機構のようなものを作り、そのファンディングのために機構が短期国債を発行し、それを日銀が買うのとあまり異なるところはありませんが、それは、金融政策というより、財政政策に近いものではないでしょうか。仮にそうした機構を設立し、大々的に株式を買い上げたとして、株価をある期間以上高水準に維持することが可能でしょうか、また、インフレ率を引き上げることになるでしょうか。それは、将来の経済に対して、マイナスよりプラス効果が確実に大きいと言えるでしょうか。大いに疑問です。株式でなく、その他の資産についても、同じようなことが言えると思います。

不良債権の抜本処理

 こうしたことを考えてきますと、現在、日本経済が直面している問題に対して、何かそれだけで解決できてしまう都合の良い手段はないという思いを強くします。そうした中で、これだけははっきりしているということの一つに、不良債権の抜本処理があります。これまでの金融緩和が本来の効果を発揮するための重要な必要条件の一つは、不良債権の抜本処理を通して金融システムの信用創造機能を回復することです。これまでも、金融機関は不良債権処理に努めてきました。全国銀行ベースで、過去10年間に処理された不良債権は70兆円を上回りますし、主要行ベースでも60兆円を超えます。それにもかかわらず、引当金、優良資産担保や保証によってカバーされた部分を除いた自己査定による分類債権は、昨年9月末時点で約68兆円もあります。また、全国銀行ベースのリスク管理債権は昨年9月末時点で約36兆円あり、ここ何年も減少していません。

 株価などから見ますと、市場が懸念しているのは、銀行、そのうちでも、大手行が不良債権処理を一段と進めた場合、資本不足に陥るのではないかということです。これらの銀行は、これまでの不良債権処理もあって、株式の含み益を使い果たしていますし、業務純益の範囲内で巨額な処理を継続するとしますと、処理に相当の時間がかかってしまいそうです。仮に今後とも業務純益を不良債権処理に使い続け、利益が出ないということになりますと、現在資本の一部を構成している繰延税金資産をどこまで資本としてカウントできるか疑問も出てまいります。破綻懸念先以下の債権をバランスシートから切り離すことも大事ですが、今後、経済構造調整が進むに従って発生するであろう企業の整理・統合に備えるためには、引き当ての充実が必要でしょう。昨年度中、大手行が処理した企業倒産の件数ベースで約7割、金額ベースで約6割は、自己査定で正常先または要注意先に区分された債務者によって発生しています。しかも、株価の変動に脆弱な財務体質もあります。財務体質を自ら充実する努力を強める必要がありますし、そうした努力の成果がもし不十分であった場合は、公的資本の注入も躊躇すべきではないと思います。その際、株価、社債利回り、クレジット・デフォルト・スワップ・レート、格付けなど市場の評価も参考にすべきでしょう。

 要は、不良債権処理の進め方が、市場が評価するような形で、タイムリーに行われ、金融機関に対する信任が強化・安定化されることが喫緊の課題です。ペイオフを間近に控え、金融庁による特別検査が実施されています。その結果、これまで過大な債務を持ち、しかも業績の振るわなかった多くの企業の整理、統合、再建などが急速に進んできました。足許の株価上昇も、一部、そうした動きを評価したものと思います。しかも、特別検査の結果も近々公表されることになっています。市場も正確な情報に基づいて評価することが可能となるでしょう。ところで、外人投資家などは、往々にして知らないことが多いようですが、平成4年度から今日まで、破綻や合併によって、440あった信用金庫が353に、397あった信用組合が251になっており、この間の減少数は、87信金、146組合にもなっています。今後も、すでに破綻が公表されている1つの第二地方銀行、10金庫、44組合が処理されることになっています。これは、大変な数と言えます。この上、大手行に対する市場の評価が高まれば、金融市場の安定化に大いに貢献するでしょう。

 確かに、不良債権処理を抜本的に進展させることは、景気の持続的回復を図るため一つの必要条件ではありますが、十分条件ではありません。エンジンが適度に回転し、クラッチ盤が直っても、車輪の油が切れていて回らなければ、車は前に進みません。車輪を回すには、民間需要を刺激する施策が必要であり、規制緩和、財政の見直し、税制の見直し、といったことも必要でしょう。また、企業の整理・統合が進む時は、倒産、失業の問題も高まりかねません。雇用のセイフティーネットの拡充も望ましいでしょう。しかし、何をまずやらなければならないかと言えば、私は金融システムの機能回復であると思います。これなくして、需要喚起策に乗り出しても、これまでと同様に、持続可能なかたちでの需要喚起には成功しないのではないかと思います。逆に、金融システムの機能が回復すれば、財政面からの刺激も、その本来の役割である呼び水効果を回復する可能性が高いのではないかと思います。金融機関の過去の問題である不良債権問題を解決しても、金融機関が儲かるようにならなければ、将来同じ問題が発生する、といったことは確かにその通りですが、何をまずやらなければならないかは、過去の問題を解消することだと思います。

デフレ・スパイラルとそれへの対応

 さて、ここで、話題を変えて、デフレ、あるいは、デフレ・スパイラルの問題について考えてみたいと思います。デフレとは、物価が継続的に下落する状況のことです。一般論から言えば、こうして定義されたデフレは必ずしも悪いものということでもありません。最近の物価下落も、内外価格差が最も大きい日本のような国において、その解消が、為替レートの調整とともに進んでいる、といった側面もあながち否定されなければならないとは限りません。しかし、金融政策当局の立場に立ちますと、そうとばかりも言っていられません。理由は4つあります。第一に、物価を消費者物価指数などで考える時は、そうした指数が上方バイアスを持っているということです。言い換えれば、そうした指数は実際の物価下落を過小に表示しがちな癖があるということです。第二に、金融政策の非対称性があります。つまり、引き締めはほぼ確実に効きますが、緩和の効果は不確実ですし、金利はゼロ以下にはできないという制約があります。このため、若干なりともプラスの物価変化率にしておいたほうが安全だということです。第三に、現在、さまざまな経済主体がバランスシート調整をしており、物価の下落は調整をより困難にしてしまいます。第四に、継続的物価の低下は、支出抑制的に働くということです。

 政府も日銀も、現在のところ、日本経済は緩やかなデフレ状況にはあるが、デフレスパイラルには陥ってはいないという立場をとっています。また、デフレスパイラルに陥らないようにするとも言っています。では、デフレスパイラルとはどのような状況なのでしょうか、また、万が一そうした状況に陥り始める蓋然性が高まった場合、どう対処すべきなのでしょうか。デフレスパイラルとは、景気の悪化と物価の下落が相互作用的に進む深刻な状況のことだと思います。つまり、景気が悪いから物価が下がる、また、物価が下がるから景気が悪くなる、しかも、そうした悪循環が加速度的に深刻になって行く、といった状況のことです。すでに需給ギャップが存在する下で、景気がさらに落ち込めば、需給ギャップのさらなる拡大によって、物価は一層下落しやすくなります。需給ギャップ拡大の幅が大きく、そのスピードが速く、継続する期間が長引けば、物価下落が加速する可能性があります。一方、物価の下落は、売上を減少させ、それは、コスト調整が不十分な状況下では、企業収益の悪化に、また、雇用の削減に結びつきます。しかも、それは、実質金利の高止まり、実質債務負担の増加などを通して実体経済に悪影響を与えます。こうした状況は、金融面で、急激な信用収縮が発生する時、深刻になりやすいのだと思います。こうしたことから、企業収益、雇用・所得動向とともに、金融システムの安定性が注目点になると思います。

 仮に、デフレスパイラルのリスクが高まったとして、どう対処するかは、その時に利用可能な手段に即して考えることになります。具体的に現時点で何か考えているということではありませんが、一般論として言えることは、政府として財政面からの手立てを考えることが必要となるでしょうし、日銀としては、潤沢な資金供給を行い、「最後の貸し手」としてシステミック・リスクの顕現化を回避すべく、中央銀行としてなし得る最大限の努力を行うということでしょう。

ペイオフ解禁と日銀特融

 最後に、ペイオフ解禁後の日銀法38条に基づく最後の貸し手としての流動性支援、いわゆる日銀特融、について若干触れてみたいと思います。こうした無担保の流動性支援につきましては、予てより4原則に則って実施することを表明してきております。第一に、システミック・リスクが顕現化する惧れがあること、第二に、日本銀行の資金供与が必要不可欠であること、第三に、モラルハザード防止の観点から、関係者の責任の明確化が図られるなど適切な対応が講じられること、第四に、日本銀行自身の財務の健全性維持に配慮すること、といった原則です。こうした原則自体は普遍性の高い考え方であり、ペイオフが解禁になるからといって、見直す必要はないと考えております。

 これは、まだ単なる思考実験に過ぎませんが、仮に、自己資本比率が8%または4%を上回るような健全とみなされる金融機関が風評などにより流動性不足に陥った場合、日銀が特融などによって対応すべきであるとの考えがあります。こうした考えを検討するには、まず、その時、日本の金融システム、経済、市場がいかなる環境の下にあるかということを考えることが必要です。足許、株価が上昇してきておりますが、不良債権処理が進展する兆しも一因となっているようです。景気の先行きについての極度の悲観論、あるいは、日本経済の変革力についての強い疑念が蔓延する、といった状況からは脱却しつつあるのかもしれません。しかし、まだ、日本の金融システム、経済、金融資本市場を取り巻く環境が根本的に改善する方向に向かうと言い切れる自信はありません。これまでの不良債権処理の遅れを背景に、我が国金融機関に対する内外の見方は依然として厳しいものがあると考えた方が良さそうです。

 こうした中にあって、金融機関の経営の健全性は、ある時点で明らかとなった経営指標のみならず、今後とも、不良債権処理をはじめとする経営上のさまざまな施策が、市場や預金者によって評価される形で、タイムリーに行われるかどうか、という点にかかっていると思います。流動性支援を実施するかどうかは、それらの点を含めて、4原則に則って判断して行くことになろうかと思います。

 以上で私からの話は終わらせていただきますが、長時間にわたり、多分に技術的なことをお聞きいただきました。ご清聴ありがとうございました。

以上