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景気の展望と金融政策
2002年5月14日
日本銀行
[目次]
1.はじめに
今日は、景気の展望と金融政策についてお話ししたいと思います。景気の展望につきましては、つい先日、日銀政策委員会として発表いたしました「経済・物価の将来展望とリスク評価」に沿いながら、私なりの見方をお話しいたします。その後で、金融政策の現状と金融政策にまつわるいくつかの話題を取り上げたいと思います。
2.景気の展望
景気の現状と展望
まず、景気の現状と展望からお話しします。今年に入って以来、輸出が底打ちから増加に転じ、在庫調整の進展もあって、生産がほぼ下げ止まりつつあります。年央あたりからは、生産は底打ちから上昇に転じることが予想されます。この背景には、米国経済が昨年末以来、予想以上に堅調を維持したり、世界的なIT関連財の在庫調整の一巡を受けて、東アジア諸国の輸出が回復に転じつつあることなどがあります。生産・出荷が増加し、製造業を中心にした企業収益が改善し、稼働率の上昇もあって、設備投資にも回復の動きが出てくることが期待されます。企業収益の改善は、企業の雇用・賃金に対する調整圧力を徐々に緩和させることも期待されますが、企業はここ暫く労働分配率の引下げを図ると思われますので、多くは期待できません。輸出・生産から始まる製造業の収益回復が続いたとしても、回復への動きが非製造業、中小企業、また、家計に波及して行くにはかなり時間がかかると考えられます。
先日、政策委員会の大勢意見として公表しました今年度の見通しは、実質経済成長率については、−0.5%~+0.1%、卸売物価変化率については、−1.0%~−0.5%、消費者物価変化率については、−1.0%~−0.8%でした。IMFおよびOECDが先月発表しましたそれぞれの世界経済見通しの中で、今年の日本の経済成長率については、−1.0%、−0.7%としています。最近、昨年第4四半期の国民所得統計が改定されましたが、その統計を使って今年暦年の成長率のゲタを計算してみますと、−1.4%になります。と言うことは、IMFおよびOECDの今年の成長率予想は、それぞれ実力としては、+0.4%および+0.7%になります。年度の成長率のゲタにつきましては、今年第1四半期の統計の出方によるところが大きいと思いますが、私は多分、若干のプラスになると思います。つまり、第1四半期の成長率はプラスを予想しています。したがって、年度についての成長率予想の数字が、IMFやOECDなどの暦年の数字と比べて高めでも、そうした国際機関などと比べて、必ずしも楽観的に見ているということにはなりません。多分、暦年と年度のゲタの違いを考慮すると、政策委員会の見方は比較的慎重であるということになるのではないかと思います。物価の見方につきましても、民間エコノミストの人達に比べても、比較的慎重、つまり、現状程度の物価の下落が続くというのが委員会の大勢意見です。
ここで、主要支出項目に沿って景気の先行きを考えてみます。公共投資は減少し続ける一方、輸出は増加し続けるでしょう。国内民需につきましては、企業設備投資は年度後半には下げ止まりないし緩やかな回復に入ることが想定されます。個人消費は、雇用・所得情勢がなかなか改善しない状況下で、弱めの動きを続けるものと考えられます。輸出の増加を起点とした、製造業を中心とした企業収益の改善が続くにしたがって、経済全体も緩やかながらも回復の方向に動いて行くものと思われます。
物価動向につきましては、卸売物価、消費者物価ともに、現在程度の下落が続く可能性が高いと考えられます。短期的な供給能力の伸びが1%台に低下しているとの見方からしても、日本経済の需給ギャップはさらに拡大することになり、この面から物価低下圧力はかかり続けることになります。ただ、たとえば、過去1年以上にわたって需給ギャップがかなり拡大してきたにもかかわらず、それに見合った物価下落幅の拡大は必ずしも見られませんでした。需給ギャップの計測につきましては、計測誤差が避けられません。そのため、たとえば、需給ギャップのプロクシーとして、過去の消費者物価の動きとの相関が比較的良い、短観の設備判断DIと雇用判断DIの加重平均なども併せ見ることも必要と考えています。その加重平均は、3月の短観では、先行き、意外にも、過剰幅を縮める予想になっています。この点から見れば、物価下落圧力は緩和する可能性もあります。その外、円相場や、国際商品市況、国内の財市場における需給状況なども、当然、物価動向を規定することになります。円安、原油高、国内の在庫調整の進展が続けば、物価下落幅は幾分縮小することになるでしょう。
以下では、先日公表しました「経済・物価の将来展望とリスク評価」に沿って、中心シナリオから逸脱させることになるかもしれない5つの要因を、私なりにご説明してみたいと思います。第一は、国内民間需要の回復力、第二は、海外経済の回復力と持続力、第三は、不良債権処理の動向、第四は、株、土地等の資産価格や長期金利の動向、そして、第五は、経済構造改革の進展とその影響です。
国内民需の回復力
まず、民需の回復力についてです。中心シナリオでは、設備投資は、生産や収益の回復を受けて、年度後半には下げ止まりないし緩やかな回復に入る姿を想定しています。また、個人消費は、雇用・所得調整圧力を受けることもあって、弱めの推移を辿ることを想定しています。しかし、消費者センチメントの大幅な改善も悪化も想定していません。振り返ってみますと、99年から2000年後半にかけての回復局面でも、輸出の回復を受け、生産、収益が製造業大企業を中心として改善しました。しかし、設備投資の回復は、製造業の一部にとどまりましたし、収益の改善の割には、雇用・賃金の改善への動きは限定的なものでした。企業は、過剰設備の廃棄、債務の返済、労働分配率の引き下げ努力を続けました。80年代まで景気回復をリードすることが多かった中小企業非製造業は、特に、低迷を続け、景気回復を妨げました。今回の回復局面は、こうした前回のIT関連財の力強い輸出に引っ張られた回復局面に比べても、力強さに欠けることは否めません。金融・財政政策面での支援余地もこれまで以上に限られています。収益の改善も、一部に、V字型回復を予想する向きもありますが、水準的には良くて景気後退前の水準を回復するに過ぎないでしょう。また、収益が改善したとしても、このところ国内で投資をするよりも、中国など海外での投資を活発化させる動きもあります。さらに、労働分配率も2000年末以来、再び上昇してしまったため、ここ暫く、雇用・賃金に対する調整圧力は続かざるを得ないと考えられます。こうした観点からは、設備投資の広がり、弱めながらも底堅い個人消費の持続といった点については、下振れリスクがあります。
一方、設備投資に関しまして、3月の短観で、中小企業非製造業の今年度設備投資計画が、この時点にしては比較的高めのところからスタートしていることがあります。また、同じ短観で、先程も触れましたが、設備判断DIと雇用判断DIの加重平均が先行き若干改善し、設備・雇用の過剰感が薄れることになっています。さらに、このところ発表される各種アンケート調査によりますと、消費者コンフィデンス指数が若干改善気味になっています。設備投資、個人消費ともに上振れの可能性もあります。ただ、どちらのリスクが大きいかと言えば、下振れリスクの方がやはり大きいように思われます。
海外経済の回復力と持続性
第二のリスクは海外経済に関するものです。海外経済につきましては、米国経済に関連した諸問題と、主として東アジア経済に関連したものとに分けてお話ししたいと思います。米国経済につきましては、つい最近まで、実体経済に関する指標が強く、マクロ経済予測が強気化する一方、株価の冴えない展開が続き、その差がどこから来るのかについて疑問が出ていました。長期金利も、3月初旬に上昇した後、このところ低下気味です。確かに、実体経済指標は概ねほとんどの分野で改善方向に動いてきています。実質所得の上昇もあって、家計支出は堅調が続いています。在庫調整が進展したことで、生産が回復しつつあります。雇用情勢も方向としては改善してきています。新規失業保険申請者数が3月末あたりから増加してきていますが、これは、3月初めに成立した追加財政措置法の中に盛り込まれた失業保険給付期間の延長措置を反映したものと考えられます。先行指標などから見て、設備投資の減少ペースも鈍化してきそうです。
これら実体経済指標の改善傾向によって、成長率予想は上方修正されてきましたが、年後半以降の不透明感は払拭されていないようです。事実、4月の民間成長率予想の四半期パスを見ても、前月に比べて上方修正となっていたのは、ほぼ第1四半期のみです。先日、第1四半期の前期比年率実質成長率が5.8%と発表されましたが、この高い伸び率には、在庫の減少幅が小さくなったことが大きく寄与していました。また、この間、アナリストの企業収益見通しに上方修正は見られません。特に、株式市場はこのところIT関連企業の業績に下振れ懸念を持っているようです。それ以外にも、実体経済指標の動きと株価の動きとの差は、いくつかの要因が関係しているようです。まず、米国株は水準自体が、長期金利、企業収益、GDPなどに比べて高いことがあります。さらに、原油価格の上昇、中東情勢の深刻化、企業会計に対する不信感なども関係していると思います。また、つい最近の展開では、4月のコンファレンス・ボードの消費者コンフィデンス指数やミシガン大の消費者信頼感指数が若干下がったり、4月のISM(サプライ管理協会)指数も、若干下がりました。また、4月の雇用統計では、3月の非農業就業者数が下方修正されたりもしました。米国経済の先行きにつきましては、昨年末あるいは今年始めに一部で考えられていたような楽観シナリオは難しいのかもしれません。ただ、最近の見方の振れは、足許の良好な実体経済指標に基づく、過度の楽観が修正される過程であるといった側面もあるように思います。マーケットの動きとともに、経済指標の動きを注視しようと思います。
一方、これまでの堅調な家計支出もあって、輸入が増え、年初来、米国の貿易赤字が拡大してきています。これが、米国経済に対する見方の振れや金融資本市場の動きとともに、最近のドル安の要因にもなっているようです。確かに、95年から始まったドル高が米国経常収支の赤字拡大の要因となってきた側面はあるでしょう。やや長期的に見ますと、ドルの実質実効為替レートは、75年から85年まで50%強上昇し、85年から95年まで40%強下落し、95年以来最近まで40%程度上昇しました。この間、米国の経常収支は、80年代の半ばから数年間GDP比3%強に達し、その後、減少期を経て、ここ数年、また、その比率は4−5%に上昇してきています。この点だけからすれば、ドルはいつ下落してもおかしくないことにもなります。しかし、90年代に入る前後から、経常収支赤字の拡大を上回る米国資本の純流出が続いています。ということは、米国経常収支赤字の2倍以上の外国資本の純流入が続いてきていることになります。特に、95年以降ドル高が続いてきたということは、外国資本の流入によるドル買い圧力が、米国の経常収支赤字と米国資本の流出からくるドル売り圧力を上回ってきたことになります。それだけ、米国における期待投資リターンが高かったことになります。今後ドルの動きがどうなるかは、基本的には、米国と日本、欧州との間の成長率格差がどうなるのか、あるいは、米欧間のM&A関連の資金フローがどうなるのか、また、米国内外の株式・社債市場の動きがどうなるのかなどに依存します。今のところ、社債の発行なども順調であり、米国の金融資本市場は安定的に推移しているようですが、経済動向を含めた今後の動きには注意が必要と思います。
米国経済に関連したリスク以外にも、海外経済に関連して注意が必要な点があります。それは、途上国、その中でも、特に東アジアの状況です。今年に入って以来、世界の株価を見ていますと、一つおもしろいことに気づきます。4月末の米ドルベースの株価を昨年末と比べてみますと、日本などほんの一部の国を除き、ほとんど全ての先進国の株価が低迷しているにもかかわらず、多くの途上国の株価が堅調なことです。東アジアでは、特殊要因のある中国、また、それと密接に結びついた香港を除き、ほとんど全ての国の株価が堅調ですし、欧州周辺では、ロシア、チェコ、ハンガリー、ポーランドの株価が堅調です。米国周辺でも、メキシコ、ペルー、コロンビアなどでも同様です。90年代に入って、本格的に経済のグローバル化が進展して以来、初めての景気回復局面における世界経済のひとつの特徴を反映しているものかもしれません。世界的な在庫調整の後、これらの国でまず先行して生産の回復が見られつつあることとも関係していると思われますが、それと同時に、これらの国の内需がそれなりに拡大してきていることとも関係しているように思われます。たとえば、中国を含む東アジアへの直接投資、証券投資は、輸出回復を見越したものばかりでなく、最近では、それぞれの国内における内需拡大の恩恵を狙ったものが増えています。東アジアにおける貿易の増大は、米国を中心とした先進国市場に最終財を輸出することを目的にしたものが依然として圧倒的に多いことも事実ですが、地域内で最終財を売り買いする取引も確実に増えてきています。たとえば、中国、韓国などの内需はそこそこに強く、それ自体、米国への輸出の回復に依存するところが大きいことも事実ですが、内需が自律的に拡大してきている側面も大きくなってきているのではないかと思います。日本からの輸出については、程度の問題ではありますが、米国の最終需要が幾分弱めとなっても、東アジアへの輸出がかつてに比べて幾分自律的に増える余地は広がってきているように思います。この観点から、米国経済動向とともに、東アジア諸国の動向にもそれなりのウエイトを持ってフォローする必要があるように思います。
不良債権処理の動向
次に、国内に戻って、不良債権処理の問題について触れてみたいと思います。民間金融機関は、積極的に不良債権の処理を進め、早期に前向きの貸出に積極的になれる体制にならなければなりません。不良債権処理を進める過程では、貸出残高は減少するでしょうが、それは、過去の貸出の一部が毀損していることを認めることであって、それに代わって、前向きの貸出が出るようになれば、必ずしもデフレ圧力が高まるとは限りません。しかし、既存の不良債権の処理が遅れたり、多額の不良債権が新たに発生したりする場合には、金融システムに対する信認が低下する惧れがあります。その場合、金融機関の信用仲介機能が低下し、景気に対しても悪影響を及ぼすことが考えられます。市場に評価されるかたちで不良債権処理が進められることが重要です。
先月、金融庁による特別検査の結果が公表されましたが、株価のプラス方向での反応はほとんど見られませんでした。主要13行について、株価や外部格付などに著しい変化が生じている149の大口与信先について検査が行われた結果、71先(47.7%)について、より厳しいカテゴリーへの分類替えが行われることになりました。金額ベースでは、12.9兆円の内、7.5兆円(58.1%)が分類替えとなりました。不良債権処分損は、下位への分類替えとその他の要因もあって、11月時点の6.4兆円から7.8兆円に拡大しました。そうした処分損の拡大にもかかわらず、主要行の自己資本比率は、国際基準行で10%台前半から11%台半ば、国内基準行で8%台前半から10%台半ばにとどまると想定されています。マーケットでの主要行に対する評価が必ずしも高まらなかったのは、3つの要因が関係していると思われます。
その第一は、自己資本の中味に関する点です。特に、今後とも、業務純益に匹敵する不良債権処理負担が続くとしますと、将来の利益を前提に資本にカウントしている繰延税金資産の妥当性が問題になります。どこまでカウントできるかということです。その後、税効果会計による自己資本のカウントを厳しくチェックするとの報道もありましたが、市場はほとんど反応しませんでした。実際のケースに即して評価するとの姿勢のように思われます。また、これまでに投入された公的資金も、将来いつか返済されなければならないとした場合、資本としてカウントするには、その原資を生み出すだけの収益力が必要になります。これは、以下の第二の要因とも関係してきます。
その第二の要因は、金融機関が持つ資産の中味の問題です。つまり、特別検査の対象とならなかった与信の質に関する問題と、資産の収益性に関する問題です。前者との関連で、最近、日銀による考査結果が報道されました。昨年度中(ただし、12月まで)、日銀考査は97先に対して行われ、21300の与信先について検討された結果、1900先について自己査定の修正が行われました。修正率は約9%になります。そこで、大手行の与信総額325兆円(昨年9月末)にこの修正率を掛けますと、29兆円となります。そこで、この額と特別検査の結果分類替えとなった7.5兆円の差額が今後分類替えとなりうる、といった報道がなされました。しかし、日銀考査の対象は大手行に限定されておらず、そもそも対象金融機関の範囲が異なります。また、考査では、信用リスク量ベースのカバー率を重視して査定対象の抽出を行っているため、必ずしも対象金融機関の貸出資産全体の状況を表わしているわけではありません。ただ、それにもかかわらず、市場では、特別検査対象先以外の不良債権について、さらなる引当が必要になるのではないか、といった見方が根強いように思われます。
一方、貸出資産の収益性に関しましては、このところ、リスクに応じた金利を確保する努力が行われてきています。その際のひとつの問題は、公的金融との競合関係です。90年度末と昨年末を比べますと、企業・家計の借入金額に占める政府系金融機関の割合が、11%から19%へ上昇しています。そうした中には、民間で肩代わりできるものもかなり含まれていると思われます。民間でできるものは、民間にまかせるといった点から、また、民間金融機関の収益性を高める観点から、公的金融の在り方を再考する余地は大きいように思われます。
マーケットが懸念している第三の要因は、金融機関にとっての経営上のバッファーがなくなってきていることです。地価が下がり、株価が低迷し、金融機関の含み益が枯渇してきました。そこに保有債券価格の下落でもあれば、ますます金融機関の経営体力に対する信認が低下する惧れが出てきます。4月からは、流動性預金を除いてペイオフが解禁されており、これまで以上に、金融機関の間での資金移動に関する不確実性が高まっており、これが個別金融機関あるいは金融機関全体に対していかなる影響を与えるかについて細心の注意が必要のように思います。
株、土地等資産価格と長期金利
第四のリスクは、金融機関に対する信認とも関連しますが、株価、地価などの資産価格や長期金利の動向です。株価は、2月から3月にかけて上昇したこともあって、昨年の9月の安値からは1割から2割戻していますし、昨年末と比較しても、若干上昇しています。しかし、より長期に見れば、低水準にとどまっていることは否めません。金融機関は、保有株式の削減を進めてきていますが、なお多額の株式を持ち、株価変動の影響を受けやすい財務体質を持っています。しかも、今回の景気回復が順調に推移するとしても、不良債権に占めるウェイトの大きい非製造業へ好影響が波及するには時間がかかり、この面からも、金融機関にとって、不良債権問題が軽減されにくい状況にあります。地価につきましても、スポット的に下げ止まったかに見えるところも垣間見えるようですが、全体としては、下落基調が続いています。これも、金融機関にとっては、不動産担保融資の担保価値の低下をもたらし、不良債権処理を困難にしてきています。
金融機関としては、貸出が減少し、株式保有も減少させる中にあって、預金が増加し、国債などの債券投資を増やしてきています。このため、景気回復への動きを伴わない長期金利の上昇が生じた場合、その影響が大きくなっています。長期国債の利回りは、最近の格付機関による格下げの動きにもかかわらず、これまでのところ、上昇してきていません。仮に株価が大幅に下がり、地価の下落が続き、しかも、長期金利が上昇した場合、金融機関の経営や信用仲介機能への影響を通じて、景気にも悪影響を及ぼす可能性があります。逆に、不良債権処理が金融機関に対する評価を上げるかたちで進んだ場合、株価がポジティブに反応すると思われ、企業、家計のコンフィデンスを改善させ、景気回復を後押しすることが考えられます。
経済構造改革の進展とその影響
最後の第五のリスクとして、経済構造改革とその影響があります。日本が必要としている改革は多岐にわたります。直接的に経済に関連した分野に限っても、金融システム、経済・産業構造、規制、財政制度、社会保障制度などがあります。金融システムにつきましては、その中心課題が不良債権の処理問題に集約されますし、この点は既に触れました。それと裏腹の関係にあるのが、経済・産業の構造改革です。特に、経済のグローバル化が進み、情報技術面での革命的な変化が発生した下では、経済・産業における新陳代謝を従来以上にタイムリーに進めることが必要になってきます。新陳代謝が市場原理に基づいて進展することを阻害する要因を取り除くことが、構造改革の基本的なテーマでしょう。競争は、当然、勝ち組と負け組を生み出します。負け組が市場から退場し、企業倒産ということになりますと、一時的にしろ失業者が発生します。それらは、景気に下押し圧力として働きます。しかし、創造的破壊を経由しなければ、経済に活力は生まれません。経済構造改革は、立ち行かなくなった企業の再生・整理を促し、成長分野における企業活動を活発化させ、経済全体の生産性を引き上げることにつながるはずです。労働者に対するセイフティーネットの拡充は、教育・訓練に対する支援措置とともに必要でしょう。しかし、そうした新陳代謝の活発化は、株価、地価などの資産価格を全体として高める方向に働くことになりますし、持続的景気拡大の基盤を用意すると考えられます。
企業倒産の増加、ミスマッチ失業の増加も、一面では、経済の新陳代謝が進みつつある証でもあります。もっとも、新規の起業が十分なペースで起こらず、新たな分野での雇用機会が生まれなければ、経済は縮小するだけです。そこで、規制改革が必要になります。たとえば、昨年10月に経団連から出された「2001年度規制改革要望」と先月公表された政府の「規制改革推進三ヶ年計画」を比べても、その差は大きく、未だしの感があります。ただ、重点6分野については、それなりに進んでいる印象があります。規制改革の動きがどうなるかも、景気を見る上でポイントになります。
財政制度の改革につきましては、公共投資の透明性向上、投資促進税制、証券税制改革などが必要でしょう。財政支出の削減につきましては、一方で、景気には直接的な下押し圧力となりますが、他方で、支出の中味や税制の見直しが民需の創出に繋がるかたちで行われれば、その分、景気に対するプラス効果も考えられます。「改革なくして成長なし」はその通りと思いますが、「成長なくして改革なし」の側面も無視できません。持続的な民需拡大に繋がる財政面での改革が期待されます。
社会保障制度の改革につきましては、必ずしも、全て市場原理に委ねるというわけにもいきません。ただ、これまで改革を進めてきたとはいえ、制度に対する信認が回復しておらず、それが消費者の抑制的な支出行動にも繋がっていることは事実だと思われます。ただ、この分野での抜本的な改革は当面考えにくいように思います。
3.金融政策運営について
以上、景気は今後底打ちから緩やかな回復局面に入って行くことが想定されますが、こうした中心シナリオに対して、さまざまな上振れ、下振れをもたらすかもしれない要因があります。景気が想定通りに回復して行くとしても、当面、海外景気次第という他力本願の脆弱なものでしかありませんし、どちらかと言うと、上振れより下振れのリスクが勝っているようにも思います。以下では、こうした状況下での、金融政策の運営について、ご説明したいと思います。
金融政策の現状
昨年3月以来、日銀当座預金残高を主たる操作目標にして政策を運営してきており、昨年末から、目標を10兆から15兆円のレンジに置いております。3月中は、期末の資金需要に対応するため、目標の上限を大幅に超えて資金供給しました。その後、期末を過ぎても、一部の銀行のシステム・トラブルによって、資金需要が一時的に膨れたりしましたので、目標上限を超える資金供給を続けてきました。そうしたトラブルの解消とともに、日銀信用に対する需要も落ち着いてくるでしょうから、その時は、目標レンジの上の方を目指す通常モードに戻れると考えております。
目標額を上回る当預残高が可能なら、なぜ目標額自体を引き上げないのかとの質問を受けることがありますが、システム・トラブルに起因したような特殊要因は、予測不能ですし、それが解消した後は、急速に日銀資金に対する需要は低下するかもしれません。そうした下で、高めに設定した目標額を達成しようとしても、達成できるとは限りません。そうした状況下で、目標額を引き下げた場合、金融引き締めと受け取られかねません。
では、いつ、どういう状況のもとで、目標額以上の資金を供給したり、目標内に収めようとしたりするのかということに関しましては、市場の状況を見ながら判断するということだと思います。市場が不安定化する惧れがある場合には、目標額にかかわらず、資金供給する必要があるでしょう。市場が不安定化するとは、典型的には、資金需給が逼迫して金利が上昇する状況を指します。だからこそ、現在の日銀当預残高を操作目標にした時、「主たる」操作目標にするとして、市場の動きにも目配せすることを可能にしてあります。金利だけを目標にすれば、当預残高といった量のコントロールはできませんし、逆に、量のみを目標にすれば、金利はコントロールできません。現在の枠組みは、あくまでも、主たる操作目標は当預残高であって、時として、金利の動きに代表される市場の状況によっては、目標額以上に供給するものと考えられます。目標額以上になった当預残高をいかに目標レンジに戻すかを考える際も、市場状況を見ながら判断するものと思います。目標レンジの上限を15兆円にしました昨年末以前では、Y2K問題のあった時を除けば、当預残高の最高額は11月末の14兆円でした。目標レンジの上限を15兆円にして、レンジの上の方を目指すということは、金利をほぼゼロに保つことを確実にするとともに、疑問の余地のない緩和姿勢の表明でした。
そうした高い目標がどうして達成できてきたのかにつきましては、3月初めの講演で詳しくお話ししたことがあります。要点は、金融市場の不安定性があって金融機関が厚めに資金を持とうとしたこと、一部の外銀がマイナスの円転コストを利用して手に入れた円資金を日銀当座預金に置いたこと、コール市場の金利の刻みが1000分の1になり、実際にもオーバーナイト金利が往々にして0.001%にも下がったことで運用インセンティブが湧かなくなったこと、また、長期国債の買い切りオペを漸次引き上げてきたことなどに因る、ということです。
これまでの量的緩和効果につきましても、同じ講演で、詳しくお話ししました。その時と、基本的に考えが変わったわけではありません。話のポイントは以下の五つでした。第一に、短期の金利が限界的にしろ下がることで、さまざまな経済主体のリスクテイク姿勢を強めたことがあると思います。第二に、大量の流動性供給姿勢を強めることで、流動性リスク・プレミアムの上昇を抑制し、金融市場の安定化に貢献したと思われます。第三に、強い金融緩和姿勢は、そうでなかったら起きていたかもしれない長期金利の上昇を一部抑制してきたことが考えられます。第四に、株価に対する直接的な効果は不明ですが、株式投資信託は増えており、低金利の長期化はそれなりに株価の下支えにはなってきたと思われます。第五に、円相場への影響につきましては、一部の投資家がマネタリーベースの高い伸びを円安に結び付けて考えているようですが、はっきりしません。結局、量的緩和効果はそれなりにあったとは思いますが、経済・物価情勢を改善させるには力不足だったことは否めないと思います。日銀当座預金が増加したとして、それが市場を通して経済に影響して行く経路は、企業の資金需要が低迷する中で、金融機関の信用創造機能の低下もあって、目詰まりを起こしています。そこをなんとかしなければ、日銀による資金供給は本格的な効果を期待し難いと思います。
資産価格への働きかけ
短期金利に低下余地がほとんどなく、長期金利、株価、円相場といった資産価格に確実に影響を与える経路が見当たらないのであれば、直接、そうした価格に働きかけたらどうか、といった主張があります。この点につきましても、さまざまな機会にお話ししたことがあります。再論ということになりますが、二つの点、長期金利と円相場に対する働きかけ、を取り上げてみたいと思います。
まず、長期金利に影響を与えるという主張についてです。その目的のために長期国債の買い切りを増やすことの効果については、二つの異なる主張があるようです。一つには、長期国債の買い切りを増やすことで、長期金利を低下させるという考えです。しかし、一時的にはともかく、ある程度以上の期間にわたって長期金利を人為的に低位に維持することは、不可能ではないにしても、極めて困難です。ただ、時と場合にもよりますが、一時的なリスクプレミアムの上昇を抑制するために長期国債の買い切りを増やすことは考えられないことはないと思います。
もう一つには、長期国債の買い切りを極端に増やして行けば、どこかの段階で、財政規律についての疑いが生じ、その結果として、インフレ予想が出てくるとの見方があります。しかし、なぜインフレ予想が出てくるのか、そのプロセス、論拠がはっきりしません。また、こうした見方との関連で、インフレ予想が出てくるとすれば、長期金利が上昇することになるでしょうが、大きなデフレ・ギャップがある下では、長期金利は完全には予想インフレ率を反映して上昇せず、実質金利は下がる、という考え方があります。しかし、仮に予想インフレ率が高まった場合でも、実体経済活動が影響されるより先に、まず債券市場が反応すると考える方が自然のように思われ、実質金利が下がるとは限らないと思います。
円相場に対する直接的働きかけについてはどうでしょうか。円安誘導をデフレ脱却の切り札とする考え方が根強くあります。短期金利を通じた金融緩和が限界に近い状況になった時、為替相場を通じた景気下支えを考えることは一つの論理的な帰結とも考えられ、こうした主張は学者の方に比較的多く見られます。日銀としては、資金供給手段として、ドル債を買うことは法律上可能です。ただ、円相場の安定化を目指した為替市場への介入は法律上あくまでも財務省の管轄です。資金供給のオペ手段を多様化するための一環といっても、市場に日銀が為替相場に影響を与える意図がないと認識させるかたちでドル債を買うことは難しいでしょう。今後とも、いかなる状況下でも考えられないということではありませんが、今のところ、流動性供給手段をドル債を使って多様化しなければならない状況にはありません。円相場に関する海外当局が採りうる一つの立場は、日本が不良債権処理をはじめ、改革を本格的に進め、その結果として、一時的にデフレ圧力が強まり、円安となるのであれば、ある程度は受け入れざるをえない、といったところではないでしょうか。改革努力を強めることなく、円安を待望しても、海外の反発を招くことになるのではないかと思います。少なくとも、現時点で、ドル債をオペ手段として使うというのは、センシブルなオプションではないと考えております。
インフレ・ターゲット
ここで、インフレ・ターゲットについて触れたいと思います。現在の日本銀行のように、経済に対する効果がそれなりに確実な政策手段を持たずに、将来のある時点までに何%のインフレ率を目指すとしても、そうしたコミットメントはクレディブルではありえない、といったことに理解を示す向きが多いことも事実だと思います。しかし、実現の時期と目標インフレ率を明示したかたちでのインフレ・ターゲット論の支持には一部に根強いものがあり、IMFなどもそうした主張をしています。その手段としては、円安誘導論を除けば、長期国債の買い切りを増やすことによって、日銀当座預金残高をさらに増やすことを主張することが多いように思います。そこから先のロジックは、マネタリストの主張と同様です。つまり、日銀当預残高の増加はマネタリーベースの増加となり、それはマネーサプライの増加につながり、それが経済活動を活発化させ、物価変化率目標を達成する、ということです。
現実には、3月時点で見ますと、マネタリーベース(現金+日銀当座預金)の伸びは前年比32.6%となっているのに対して、マネーサプライ(現金+銀行預金)の伸びは3.8%です。この結果、マネーサプライをマネタリーベースで割った比率、信用乗数が大きく低下しています。この比率は、ここ10年ほど傾向的にも低下してきましたが、昨年半ばあたりからの急落は顕著です。マネーサプライが昨年半ばあたりから若干なりとも伸び率を高めてきたことは、信用乗数の最近の急落を幾分緩和してきました。しかし、そうしたマネーサプライの伸びも、もっぱら投資信託や郵貯などから銀行預金への資金シフトによるもので、この間、民間資金調達は減少を続けており、金融政策との関係は希薄です。しかも、その民間資金調達の中でも、CP、社債の発行による資本市場からの資金調達は増えていますが、金融機関貸出は減り続けています。信用乗数の急落は、マネタリーベースとマネーサプライの関係が希薄化している状態、あるいは、金融機関による信用創造機能が空回りしている状態を表わしていると思います。
また、マネーサプライと名目GDPの比率である、マーシャルのkが上昇を続けています。上昇は6年近くにもなります。これは、実体経済活動の水準に対してマネーの量がますます多くなっている状態を表わしており、マネタリスト的な考え方に立てば、株式市場ではいわゆる過剰流動性相場を引き起こしてもおかしくはありませんし、実体経済面ではインフレ気味にもなると考えられます。しかし、実際の状況は逆で、マネーと実体経済の関係が乖離してきています。現状では、マネーが増加すればインフレが起きるという単純な関係は成立していないようです。
4.おわりに
最後に、若干結論めいたことを申し上げて終わりにしたいと思います。現在、景気は底入れを探る展開となり、年度の後半には緩やかな回復が期待されます。ただ、回復の広がり、力強さに欠け、さまざまな上振れ、下振れリスクもあります。金融政策としては、当面、現在の緩和姿勢を堅持するとともに、主要なリスクの顕現化に注意を払って行こうと思います。下振れリスクが顕現化して、何らかの対応をとる場合は、その時利用可能な手段に即して考える、ということになります。私は、政府があることをしないから、我々サイドもこうしない、といった立場はとっておりません。これまでも、その時々の経済・金融市場の状況を見ながら、最大限できることをしてきましたし、これからも、そうして行きたいと思っております。
以上