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日本経済の現状と課題

2002年5月30日・きさらぎ会における速水日本銀行総裁講演

2002年 5月30日
日本銀行

[目次]

  1. はじめに
  2. 1. 最近の経済情勢
  3. 2.景気循環と構造問題
  4. 3.金融政策運営
  5. 4.金融システムの現状と課題
  6. 5.おわりに

はじめに

 日本銀行の速水でございます。本日はこの席でお話をする機会を頂き、あつく御礼申し上げます。新年度に入り、わが国の経済には、ようやく明るさがみられるようになりました。しかし、過去10年余りの経験に照らすと、持続的な成長を実現するには、生産性の向上を通じて潜在的な成長力を高めることが不可欠です。経済活動に改善の兆しが出始めている今こそ、構造改革の手を緩めずに具体的な取り組みを進めることが必要です。また、そうした努力は、企業活動の活発化や消費者マインドの改善を通じて、経済の回復力を補強することにも繋がるはずです。その意味で、本年度は、日本経済が持続的で安定的な成長軌道に復するための正念場と言うことができます。そこで、本日は、最初に最近の経済情勢や金融政策運営についてご説明した後、金融システム面の課題について、率直にお話ししたいと思います。

1.最近の経済情勢

内外経済の動向

 わが国の経済は、昨年初来、世界的に景気が後退する中で、悪化傾向を辿ってきました。しかし、このところ、輸出の増加や在庫調整の進展を背景に生産が持ち直しつつあるなど、悪化のテンポは緩やかになってきています。その背景としては、米国や東アジア諸国など、海外経済の回復の動きが挙げられます。まず、この点から話を始めたいと思います。

 米国経済は、一昨年の終わりからIT分野を中心に厳しい調整圧力に直面していました。そこへ昨年9月に同時多発テロが発生し、一段と先行き不透明感が高まりました。しかし、IT分野の在庫調整の進展や個人消費の下支え、さらにはこれらをサポートする金融・財政政策の効果もあって、今年に入って回復の動きが徐々にはっきりしてきました。米国の中央銀行であるFRBが示す先行きのリスク評価も、3月には、景気減速にウエイトを置いた判断から、景気減速、インフレ双方のリスクが均衡しているとの判断に改められました。

 米国経済の回復の動きを受け、米国への輸出依存度の高い東アジア諸国で、輸出・生産が増加に転じ、さらには内需も下げ止まりつつあります。また、欧州でも、景気回復に向けた変化がみられています。

 わが国でも、海外景気の回復傾向が明確になる中で、輸出は東アジア、米国向けを中心に増加しています。また、在庫調整は多くの業種で一段と進捗しており、これらを反映して、鉱工業生産も持ち直しつつあります。ただ、持続的な景気回復の鍵を握る民間需要には、まだ回復へのはっきりとした動きは窺われません。設備投資は減少が続いているほか、個人消費も、雇用・所得環境が引き続き悪化していることから、弱めの動きとなっています。

4月の「展望レポート」

 それでは、日本経済の先行きはどのように展望できるのでしょうか。日本銀行では、ちょうど1か月前、4月末に、日本経済の先行き1年程度の標準的なシナリオと、それに対するリスク要因を示した「経済・物価の将来展望とリスク評価」、いわゆる「展望レポート」を公表しました。

 今回の「展望レポート」で示した、本年度から来年度初めにかけての経済の姿についてのポイントをいくつか申し上げます。

 第1に、輸出や生産の持ち直しが続けば、これが、製造業を中心とする企業収益の改善や設備投資の持ち直しに繋がっていくことが想定できます。したがって、標準シナリオとしては、景気は今年度下期にかけて下げ止まるものと考えられます。

 第2に、そうは言っても、製造業における輸出・生産面での回復が、非製造業や中小企業、さらに家計を含めた経済全体に波及するには、かなりの時間を要することが見込まれます。これは、労働分配率が高い水準にある中で、企業のリストラ努力が続けられており、雇用・賃金に対する調整圧力が根強いことが背景です。したがって、景気は下げ止まった後も、自律的な回復力には乏しい展開が続くものと考えています。

 第3のポイントは、以上のような景気情勢のもとでの物価見通しです。最近は、物価情勢にも変化の兆しが現われ始めています。物価波及プロセスの川上部分の動向を示す国内卸売物価については、在庫調整の進展や原油価格の上昇などから、ほぼ横這いの動きとなっています。このため、前年比でみたマイナス幅も徐々に縮小しつつあります。こうした変化が、物価全体、とりわけ消費者物価にどのような影響を及ぼしていくか、今後とも注意深く点検してまいりたいと思います。ただ、先程申し上げたように、国内民需の明確な回復にはなお時間を要するとみられるほか、安値輸入品の流入や技術革新、規制緩和などの供給サイドの要因も、引き続き物価低下方向に作用すると考えられます。賃金の下落がサービス価格にどのような影響を与えるかということにも注意が必要です。これらを踏まえると、各種物価指数、とくに消費者物価が前年比でみてプラスに転じるには、なおかなりの時間がかかるものとみられます。

 次に、「展望レポート」では、以上のような標準シナリオに対して、下振れないし上振れをもたらすリスク要因を挙げて、検討を加えています。

 まず、海外経済に端を発する下振れリスクは、昨年までに比べてかなり後退してきていることは確かです。しかし、世界経済の先行きについてはなお見極めがたい面があることも否定できません。とくに、米国経済に関しては、家計部門の貯蓄率の低さや債務残高の高さ、企業部門の資本ストック調整圧力からみて、回復の持続性や広がりについては依然として不透明感が残っています。このところ、米国株価はやや軟調に推移しています。これも、市場参加者が企業収益の先行きに対してなお自信を持てないことの現われではないかと考えられます。そのほか、原油価格の動きやエマージング諸国の動向などが世界経済に及ぼす影響などにも、引き続き注意を怠れません。また、為替相場は昨年末頃から円安方向で推移してきましたが、春先頃より円高ドル安方向での動きとなっています。これは、米国景気の先行きに対するひところの強気の見方が幾分修正されていることや、わが国の景気回復期待も何がしか影響しているように思います。こうした為替相場の動きや国際的な資金の流れについても、よくみていきたいと考えています。

 他方、国内における様々なリスク要因についても、慎重に見守っていく必要があります。例えば、内需の回復力はどうか、不良債権処理や構造改革の影響をどうみるか、長期金利や株価などの市場動向をどうみるか、といった問題です。ひとつひとつの項目の内容については、「展望レポート」の本文に譲ることにします。これは、私どものホームページに掲載してあります。6頁ほどの短いものですので、是非ご覧頂きたいと思います。本日申し上げたいことは、こうしたいくつかの国内のリスク要因は、相互に深く関連し合っている、ということです。例えば、金融機関における不良債権処理と、経済・産業面における構造改革とは、もともと表裏の関係にあります。また、これらと金融市場の動きや資産価格の動向との関係も密接です。仮に、景気回復の動きを伴わない長期金利の上昇や大幅な株価・地価の下落が生じれば、金融機関経営や信用仲介機能へ悪影響を及ぼすこととなり、ひいては企業サイドの構造改革も円滑に進まなくなります。他方で、不良債権処理や構造改革の動きが金融市場においていかに前向きに評価されるかが、改革を円滑に進めるうえでの鍵にもなります。

 また、これら不良債権問題、経済・産業面の構造改革、資産価格や金融市場の動きは、最終的には、国内民間需要の回復力そのものを左右する重要な要因と言えます。企業にせよ、家計にせよ、様々な構造問題が解決されたあとの需要回復の展望、雇用・賃金にかかる将来不安の解消、さらには安定的な金融環境があってはじめて、投資や消費といった支出活動を活発化させることができるからです。

 このように考えてくると、日本経済の先行きを展望するうえで、構造改革、すなわち、資源を効率的な形で再配分し、潜在成長率を高めることがいかに重要かが改めて認識されます。確かに、標準シナリオで想定しているように、わが国経済は、輸出や生産面を中心に下げ止まりに向かっていますが、一方で、様々な構造調整圧力が残っています。つまり、景気の循環的な側面と構造問題がせめぎあっている状況にあります。そこで、次にこの点について考えてみたいと思います。

2.景気循環と構造問題

循環的な回復と構造問題

 90年代以降の日本経済を振り返ってみると、確かにバブル経済崩壊から始まり、たいへん厳しい足取りを辿ったことは事実ですが、それでも何度か景気が拡大する時期がありました。政府の景気基準日付に従うと、93年末からと、99年初からの2度の回復局面がありました。最初の局面では、95年春頃の急激な円高等の影響による一時的な足踏み状態を経て、96年には3%を超える成長を実現しました。このときを振り返ると、バブル経済崩壊後の金融緩和や財政支出の拡大を契機に回復局面に入り、その後、携帯電話やパソコンの普及もあって個人消費や設備投資の伸びも高まりました。しかし、97年後半には、アジア危機などの海外経済の減速、さらには国内の金融システム不安の高まり、財政面からの景気下押し等を背景に、景気は急速に悪化しました。

 次の99年初から2000年後半にかけての回復局面は、まだ記憶に新しいところです。この局面では、世界的なITブームを背景に、輸出が牽引し、IT関連分野を中心とした設備投資も増加しました。しかし、国内民間需要のもうひとつの柱である消費が盛り上がる前に、IT関連分野の世界的な調整圧力が高まったこと等から、景気は2001年に入って再び悪化傾向を辿りました。

 これら90年代における2度の回復局面に共通するのは、何らかのきっかけで景気が回復し始めても、民間需要全体が自律的かつ持続的に拡大するには至らなかったということです。海外経済の循環的な減速の影響を直接的に受けたほか、金融システム不安といったショックに対しても脆弱でした。その基本的な原因としては、企業がバブル期に抱えた過剰な債務、設備、雇用が十分には解消されず、生産性向上・競争力強化に繋がるような前向きの企業活動が活発化しなかったことが指摘できます。このことは、金融部門において、不良債権問題が最終的な解決をみていないということを意味します。これらの問題は、一旦景気後退局面に入ると、ますます解決が困難になり、悪循環に陥るという傾向もみられました。

 現在、日本経済は、バブル経済崩壊後、3度目の回復局面を迎えようとしております。先ほどご説明したとおり、最近の動きは、世界的なIT関連分野の在庫調整の進捗をきっかけとした循環的なものと位置付けられます。しかし、90年代の経験から得られる重要な教訓は、潜在的な成長力の向上なしには、国内民間需要の自律的かつ持続的な成長はありえない、ということです。言い換えれば、今回の循環的な回復の動きを本格的な成長に繋げるためには、経済・産業面の構造改革や金融システムの強化を進めることが何よりも重要だと思います。

3.金融政策運営

昨年来の金融政策運営

 次に、金融政策運営についてお話ししたいと思います。

 昨年3月に日銀当座預金残高という「量」を主たる操作目標とする新しい金融政策の枠組みを採用し、1年2か月が経ちました。この期間は、景気の一段の悪化だけでなく、米国テロ事件の発生、ペイオフ解禁を控えた金融システム不安の高まりなど、経済活動に対しても、また金融市場に対しても、たいへんストレスのかかった時期でした。日本銀行は、この間、そうした経済・金融情勢を踏まえ、日銀当座預金残高の目標額の引き上げなどの緩和措置を機動的かつ弾力的に講じてまいりました。こうした金融政策運営は、金融市場の安定を確保することを通じて景気の底割れを防ぐという意味で、大きな役割を果たしてきたと思います。

金融緩和効果が発揮されるための条件

 しかし、同時に、これほどの金融緩和をもってしても、民間需要を引き出す効果が十分現れていないことも事実です。

 そのことを申し上げるために、まず、金融市場や実体経済の現実の現象面を整理しておきたいと思います。金融市場では、オーバーナイト金利はもちろん、やや長めの短期金利まで、極めて低水準で推移しています。例えば、1年物の短期国債の流通レートも、0.01%未満と、文字通りゼロ金利といってよい状況にあります。また、企業の資金調達環境も、概ね良好な状態が維持されています。民間の大手企業が発行する社債やCPと国債との金利差である信用スプレッドは、昨年秋以降、低格付け企業を中心に全般的に拡大しましたが、最近では、徐々に縮小し始めています。中小企業の資金繰り判断についても、まだまだ厳しい状態は続いていますが、このところ、ようやく悪化に歯止めが掛かりつつあるように見受けられます。

 もうひとつ、最近の特徴的な動きとして、日本銀行が直接供給するお金を示すマネタリーベースの高い伸びが指摘できます。マネタリーベースの前年比伸び率は、昨年9月以降10%を上回り、今年に入ってからは3割前後の伸びとなりました。最近の高い伸び率は、第1次石油ショック直後の「狂乱物価時代」に匹敵しています。

 このように、金融市場の状況などを総合してみれば、わが国の金融環境は極めて緩和的な状況にあります。しかしながら、経済成長率はマイナスとなっているほか、各種物価指数は前年割れの状態が続いています。言い換えれば、緩和的な金融環境にもかかわらず、実体経済活動は活発化していません。

 こうした状況の背景には、様々な構造調整圧力が影響していると考えられますが、その点を、企業、金融システム、家計の観点から改めて整理すると、次のようになります。第1に、企業においては、過剰債務問題や産業構造問題がなお未解決であるため、金融環境がどんなに緩和的であっても、設備投資などの企業活動がなかなか活発化しないという事情があります。第2に、不良債権問題を背景に、金融機関における信用仲介システムの機能が低下しており、金融面から景気を押し上げる力が働きにくくなっています。第3に、家計においても、年金や社会保障制度の将来に不安を抱いているため、お金を使いやすい金融環境のもとでも、支出が積極化しない状況にあります。

 日本銀行の金融緩和政策が力強い効果を発揮するためには、これらの諸問題を解決していくことが不可欠です。ひとたび前向きの資金需要が生じれば、現在の金融緩和の効果が目に見えて現れてくるはずです。私が繰り返し金融システムの強化や経済・産業面の構造改革の重要性を強調しているのも、このような考え方に基づくものです。

 こうした問題意識に基づき、日本銀行としても、本支店のネットワークを通じて、各地における企業の新たな取り組みを調査しています。それによると、規制緩和を受けて新規参入が増えるケースや、環境、介護、医療といった新しい事業分野において企業が積極的に取り組む例などが、全国でみられます。具体的な事例については、先般、経済財政諮問会議で報告したところですので、その際の私の配付資料をご覧頂きたいと思います。そうした企業の新しい動きの芽を育て、実らせるためには、規制改革を強力に進めるとともに、民間企業サイドでも、経営資源を最大限に活用しつつ、新たなビジネス・チャンスを生かすことなどが重要であると考えています。

 そこで、次に、経済・産業面の構造改革と並ぶ重要な課題である金融システム問題について話を進めたいと思います。

4.金融システムの現状と課題

金融システムの現状評価

 ご承知のとおり、いわゆる「ペイオフ」がこの4月から定期性預金に関して解禁され、さらに来年4月からは流動性預金を含め、全面的に解禁されることとされています。端的に言えば、公的負担による預金者の完全保護から、原則として自己責任の世界へと移るわけであり、今年度は、わが国の金融システムにとって、大きな節目の年ということになります。

 振り返ってみますと、預金保険の発動を伴なう金融機関の破綻処理が初めて行われたのは、1992年4月であり、それ以来10年が経過しています。また、預金保険制度に政府保証の仕組みが導入されてから6年、財政資金が投入される仕組みができてからも既に4年が経過しています。この間、全ての破綻処理において預金は全額保護されてきました。また、金融機関に対する公的資本の注入、さらには証券や保険のセイフティ−ネットの構築など、金融システム安定のため、様々な仕組みが整備されてきました。

 言うまでもなく、このような仕組みが整備されてきた背景には、わが国金融システムが、バブル経済の崩壊に伴う様々な問題に直面し、多くの金融機関が破綻に至ったという事情があります。実際、金融機関の数は、銀行・信用金庫・信用組合についてみると、合併などによる統合の進展もあって、その数は、10年前の約1,000から現在の700弱へと、実に3割以上の大幅な減少をみています。

 また、金融機関による不良債権の処理額、つまり貸出金の償却と引当の合計は、私どもの推計によりますと、全国銀行ベースでここ10年間に80兆円強に達したとみられます。金融機関は、10年前の貸出額の実に約17%を超える大きな処理を行ったことになります。つまり、この10年、わが国金融システムは、不良債権問題を基本的な背景として、プレーヤーの数も、資産のボリュームも大きく縮小したことになります。

 しかし、残念なことですが、10年にも及ぶこのような痛みを伴う経緯にもかかわらず、わが国の金融システムに対する信認回復という面では、なお十分とは言えず、今も内外から厳しい評価を受けています。

金融機関の2001年度決算

 実際、先週末にかけて発表された2001年度の銀行決算では、主要行は、すべての先で赤字となりました。これは、特別検査等の結果も踏まえ、今年度も業務純益を大きく上回る思い切った不良債権処理を行った結果であり、このこと自体は前向きに評価できることと受け止めています。ただ、同時に改めてわが国金融機関が厳しい状況下にあることを示したものと考えています。

 また、体力面をみると、これまでの不良債権処理や株価の下落などによりバッファーはかなり少なくなっています。このため、今後発生する不良債権処理は、基本的には期間収益でまかなわざるを得ず、その意味で収益力の強化が、急いで取り組んでいかなければならない、極めて重要な課題です。

金融システムの2つの課題

 そこで、以下では、こうした状況を踏まえて、わが国金融システムが現在直面している諸課題について、改めて整理したいと思います。

 わが国金融システムが抱えている課題は、大きく分けて2つに整理できると思います。

 第1は、言うまでもなく不良債権の問題です。不良債権の残高は、これまでの種々の努力にもかかわらず、今なお目立った減少をみていません。新規の発生も高水準を続けています。

 第2は、金融機関の収益力、さらには、広く金融システムのインフラや市場などに関わる課題です。

 金融システムが内外の信頼を取り戻し、また活力を回復していくためには、これら2つの課題に同時に取り組んでいく必要があると思います。

不良債権問題の現状

 そこで、まず不良債権問題から話を始めます。

 金融機関の債権は、企業からみれば債務であり、企業経営を取巻く環境に応じて、不良債権問題の背景も多様です。バブル経済の崩壊直後は、企業の債務過剰と取得した不動産等の価格下落が、不良債権発生の主たる背景でしたが、ここ数年は、わが国の産業構造の変化に起因する側面が徐々に強くなっています。今後、構造改革が進展する中で、経営の抜本的な見直しを迫られる企業も増えざるを得ず、短期的には、この面から銀行の貸出資産の内容悪化が懸念されるところです。

 とくに今後の課題としては、中堅・中小企業向け貸出への対応が重要です。すなわち、大企業については、昨年来の金融庁によるいわゆる「特別検査」を経て、大口債務者でかつ業績悪化の目立つ企業について、経営再建計画の策定、合併等組織形態の変更、といった様々な対応が図られてきました。今後、策定された再建計画の達成状況を注意深くフォローしていく必要がありますが、不良債権処理および企業再生という面で一歩前進をみたことは確かです。

 他方、中堅・中小企業についても、民事再生法等による企業再建の動きや個々の金融機関における取引先企業再建サポートのための専担部署の設置などの対応が、広がってきています。しかしながら、全体としてみると、中堅・中小企業、とくに非製造業の中堅・中小企業の業況には厳しいものがあり、それにどう対応していくかが、金融システムへの信頼回復にとっても、大きな課題となっています。

 この点を確認するために、借り手企業の経営実態を表わす一つの指標として、土地や株の含み損益を調整した、修正自己資本比率をみますと、現在の水準は、全企業平均で、バブル期以前と比べ3割方低い位置にあり、企業体力の低下が裏付けられます。

 これを企業規模別にみますと、大企業の実質自己資本比率は、バブル期以前と大差がないのに対し、中堅・中小企業では、平均するとバブル期以前の半分近くまで低下しています。とりわけ特徴的なのは、中堅・中小企業の中では、製造業と比べ、流通、サービス、建設などの非製造業において、より厳しい状況となっている点です。

 いずれにしても、中堅・中小企業で働く人々が、わが国企業の従業員総数の約8割を占めていることからみても、中堅・中小企業関連の不良債権は、大変重い問題です。

中堅・中小企業への対応上の留意点

 ところで、中堅・中小企業の場合、その経営基盤は千差万別です。このため、経営実態の把握という面でも、個々のケースにおいては、先ほどお示ししたような、自己資本比率などの財務指標のみならず、代表者の財産状況、営業基盤や人材・技術など、大企業とは違った観点からも、配意して見ていく必要があります。このため、当然のことですが、金融機関は、財務内容や経営の将来性について、大企業以上に個々の企業と十分な対話を行う必要があります。わが国の場合、金融機関の貸出は、米国のようにプロジェクト単位ではなく、企業総体に対する、いわゆるコーポレート貸付が中心です。このため、個々の貸出の適否や事後の査定は、必然的に企業の存続可能性についての判断を伴います。中堅・中小企業の場合、直接金融との関係は薄く、専ら資金調達手段を金融機関からの借入に依存しているという事情もあります。それだけに、金融機関としては、個々の状況について、注意深いフォローが必要です。この点、企業と金融機関の対話においては、一部で試みが始まっているように、金融機関からみた債務者の格付を相手先に開示して、問題点についての認識を共有し、その解決を探っていくことも、意味があるのではないかと思います。こうした対応が、後で触れる、金融機関からみた場合の、リスクに見合った貸出金利の実現にも資する面があると思います。

 いずれにしても、当面の景気情勢の展望や今後の構造改革の進展を踏まえると、少なくとも、今しばらくは不良債権の新規発生や、既存の不良債権のさらなる劣化が続くリスクがあるとみておくべきでしょう。その意味で、金融機関としては、そうしたリスクに十分備え、債務者区分や担保の状況をタイムリーに見直し、適切に引当金を積み立てておくことが重要です。

不良債権のバランスシートからの切り離し

 もとより、不良債権問題の克服のためには、財務上の備えの強化だけでは不十分です。金融機関としては、取引先との対話を踏まえたうえで、企業再生が見込めない場合には、不良債権をバランスシートから切り離すことが必要です。金融庁においても、当面の不良債権処理について、新規発生分は3年、うち原則1年以内に全体の5割を目途に処理し、2年以内にその太宗をバランスシートから切り離すという、不良債権処理の指針を発表しています。

 一方、再生が見込める企業について金融機関が自力で対応できない場合の受皿として、企業再生にも貢献できるよう投資ファンドの設立を含め整理回収機構(RCC)の機能強化が図られてきたところです。今後、各金融機関は、自らのノウハウとともに、こうした仕組みを十分に活用していく努力が求められていると思います。

 こうした努力によって、わが国経済全体の再活性化のためにも、構造調整圧力などから経営難に直面している企業でも、再生可能な企業であれば、関係者がその実現を目指していくことを強く期待しています。

債務超過・過少資本金融機関の扱い

 さて、金融機関サイドの問題としては、こうした不良債権処理やバランスシートからの切り離しの結果、仮に債務超過となった先は、市場から退場ということにならざるを得ません。この場合、存続し得ない金融機関は斉々と破綻処理する、というのが原則です。

 また、資産超過であっても、中長期的にみて単独での存続が難しい場合には、合併等によって営業基盤を拡大し、収益力を向上させることにより生き残りを図ることが必要になります。先ほど申し上げたように、わが国の金融機関の数は既にかなり減ってきてはいますが、必要なら、さらなる統合も避けるべきではないと思います。先般、政府は、合併促進策を検討する旨発表しましたが、早期に成案が得られることを期待しています。

 また、不良債権処理が進む過程で、万が一、金融システムの信認が大きく低下し、金融システム全体の安定について疑問が呈されるような場合にも十分備えておくことが必要です。そうした事態に至った場合には、公的資本注入も含め適切に対応する必要があるという考え方は、従来から繰り返し申し上げている通りです。

 同時に、日本銀行としても、金融システム安定の観点から必要がある場合には、政府の措置と併せて、私どもの基本的な役割のひとつである最後の貸し手として流動性供給の面からの責務を果たしていく所存です。

減損会計の導入

 不良債権問題についての私の基本的な考え方は以上ですが、次にやや別の角度から、金融機関経営の課題について、金融システムのひとつのインフラである会計制度、および、金融機関の収益力強化の観点から検討を加えてみたいと思います。

 不良債権問題については、これまで、正確な金額の把握ということが常に問題になってきました。このため、自己査定の導入を軸として、不良債権の定義や認定のプロセスの明確化など、種々の改善が図られてきました。

 しかし、金融機関が融資先の内容を正確に把握するためには、その大前提として、企業のバランスシートにその企業の財務実態がきちんと反映されている必要があります。金融機関と借り手企業との対話を円滑に行ううえでも、会計ルールの改善は重要な課題と言えます。もとより、これまでにも、金融商品の時価会計の導入をはじめとして、わが国の会計ルールは、近年大きな改正がなされてきました。しかし、未だ残されている重要課題もあります。それは、固定資産の減損会計の導入をどう考えるかという問題です。

 固定資産の減損会計は、固定資産の収益性が当初の見込みより低下した場合に、その低下分について損失を計上し、バランスシートと企業の経営実態とのズレを小さくしようというものです。本年4月、企業会計審議会から公開草案が公表され、2005年度からの導入が打出されています。企業経営にも影響を与え得る問題ではありますが、減損会計の意義に鑑みると、十分な議論をつくしたうえで、なるべく早い時期に導入されることを望んでいます。

 こうした会計原則は、言うまでもなく、金融機関自身にも適用されます。金融機関の場合、バランスシート規制、特に自己資本比率規制があるため、会計原則は非常に重要な意味を持ちます。

 この点、銀行監督のあり方等に関する国際的な検討の場であるバーゼル銀行監督委員会では、2006年末からの実施を目処に、国際的な自己資本比率規制の枠組みの見直しを検討中です。

 見直しの最大のポイントは、貸出債権の不良化を早目の段階で認識し、その度合いに応じて、または融資対象プロジェクト自体のリスク度に応じて、連続的に、必要な自己資本の積み増しを求める仕組みの導入です。現在のバーゼル合意では、企業向け貸出は原則として、一律8%の資本賦課が求められていますが、今後は貸出先企業の業況等に応じて貸し倒れ率を推計し、それに基づいて所要資本を賦課しようとしています。このように貸出債権の価値を早目に認識する仕組み自体は、信用リスク管理の枠組みとして、欧米の先進的な銀行では実務上定着してきているものです。

 新しいバーゼル合意の実施自体は、まだ先の話ですが、リスクへの備えとして、企業の業況に応じて資本を保有するという考え方自体は、極めて妥当性の高いものであり、わが国金融機関としても、規制の有無にかかわらず、そうしたリスク管理の高度化を前向きに進めていく必要があると思います。

収益力の強化

 今申し上げた、リスクに見合って資本を保有するということと同時に、金融機関経営という意味では、リスクに見合ったリターンを得ていくということが重要です。

 つまり、信用リスクに見合う貸出利鞘の確保です。借り手企業との交渉により、金融機関がリスクに応じたリターンを得ることは、ビジネスの世界では妥当なことと思います。しかし、借り手企業の業況に応じた金利設定を実現していくためには、金利を払う主体である借り手の納得を得ることが非常に重要です。

 この点、例えば米国では、大企業だけでなく信用度がさほど高くない企業を含め、中堅クラスの企業でも幅広く社債を発行しています。さらに、貸出債権についても、転売市場が形成されています。そうした社債や債権流通市場での流通利回りと、貸出金利が相互に裁定され、金利条件について、貸し手と借り手が納得し易い環境ができているわけです。わが国においても、中堅・中小企業の直接市場へのアクセス改善と、不良債権を含めた債権流通市場の拡大は大きな課題です。また、債権流通市場が機能するようになると、不良債権のバランスシートからの切り離しが、より効率的に行うことができるようになり、さらには資本の効率性向上にもプラスになります。貸出債権の流通市場の整備は、約定や権利移転のための法整備など地道な努力を要するものですが、こうした努力を続けることが重要です。

 貸出金利設定の納得性向上という意味では、わが国の場合、金融機関の審査が、貸し倒れリスクがあるか、ないかという判断に重きを置き過ぎ、どの程度の貸し倒れリスクがあり、それがビジネスとして成り立つためには、どの程度の金利が必要かという観点が軽視されてきた、との指摘もあります。金融機関は、信用リスクを織込んで金利水準を設定していくためにも、取引先との対話にさらに前向きに取組んで欲しいと思います。

 金融機関の収益性向上という面からは、ほかにも重要な課題があります。まず、経費節減や不採算部門からの撤退は、最も基本的な収益改善策であり、絶えず業務内容を点検し、必要と判断されれば、思い切って実施すべきものです。また、最近の異業種参入の例を見るまでもなく、IT社会の本格的な到来に伴って、多様な金融サービスの発展の可能性は大きく高まっていると思います。各金融機関は、創意工夫と金融サービスの質の向上に向けた弛まぬ努力をすることが、その対価の獲得につながると思います。

公的金融の問題

 もちろん、金融機関自らの対応だけでは解決しない問題もあります。それは、公的金融の存在です。わが国では公的金融機関の存在が諸外国との比較でも非常に大きく、民間と競合している部分も少なくありません。貸出金利のリスクに見合った設定という面からみても、公的金融機関のあり方について検討を行うことが必要と思われます。常々申し上げている通り、「民間でできることは民間に委ねる」という発想に基づき、この面でも構造改革が進展することを強く期待しています。もちろん、民間金融機関自体が、以上述べてきた様々な論点を踏まえ、頼り甲斐のある存在になっていかなければならないことは言うまでもありません。

5.おわりに

 以上、最近の経済情勢および金融システムの問題について話してまいりました。景気情勢という点では、循環的にようやく明るい動きが出てきたことを説明しました。一方、金融システム面では、ペイオフ解禁という新たな環境のもとで、金融機関にとって、なお取り組むべき課題が多く残っているということを申し上げました。本日、私がもっとも強調したかったことは、日本経済の自律的かつ持続的成長を実現するためには、景気循環的な改善の動きに甘んじることなく、不良債権問題の解決や経済・産業面の構造改革にしっかりと取り組むべきである、という点です。このことは、90年代に克服できずに、21世紀の日本経済に持ち越された重大な課題と言えます。

 私としては、政府はもちろん、金融機関、民間企業、さらには国民ひとりひとりが、日本経済が本来持っている潜在的な成長力を引き出し、さらに高めるよう努力すれば、新たな経済発展のための基礎を固めることができると考えています。日本銀行としても、金融政策運営面で物価の安定と持続的成長に向けて引き続き全力を尽くすとともに、金融システム安定の観点からも中央銀行としての責務を十分果たしてまいりたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

以上