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未踏の領域における中央銀行

2002年7月3日、外国特派員協会における日本銀行山口副総裁講演の邦訳

  • *原文(英語)は、英語版ホームページをご覧下さい。

2002年7月3日
日本銀行

[目次]

  1. 1.はじめに
  2. 2.日本の金融経済情勢
  3. 3.日本銀行の金融政策
  4. 4.持続的な成長軌道への復帰には何が必要か
  5. 5.金融政策の透明性
  6. 6.おわりに

1.はじめに

 本日は、外国特派員協会でお話をする機会を頂き、大変光栄であり、嬉しく思っています。

 鋭い質問を浴びせ掛けることで有名な外国特派員を前にセントラルバンカーが敢えて講演したいと思うのは、一国の経済が非常に好調で、それを誇示したい時か、さもなくば、経済の状況について正確に理解してもらいたいという強いニーズを感じる時のいずれかであるように思います。本日の私の話は残念ながら後者に属するようです。日本経済は現在、様々な難しい課題に直面しています。同時に、日本経済や金融政策に関する内外のエコノミストの様々な論評を聞いていますと、どこか埋め難い認識のギャップを感じることもあります。

 本日は限られた時間ではありますが、日本経済の現状や直面する課題、金融政策の果たす役割についてお話し、最後に、認識のギャップという問題に関連して、金融政策の透明性についてもお話したいと思っています。

2.日本の金融経済情勢

 日本経済は、一昨年末からの米国景気の後退と世界的なITブームの終焉を背景に、他の海外諸国と同様、輸出と生産の急激な落ち込みを経験してきました。こうした景気の下押し圧力は、企業収益の悪化と設備投資の落ち込みという形でまず企業部門に悪影響を与えました。昨年の夏場以降は、そうした企業部門の調整圧力が雇用・所得環境の悪化を通じて次第に家計部門にも波及し、現在、個人消費は総じてみれば弱めの動きが続いてきています。

 しかしながら、最近になって、景気にも漸く幾分明るさが見え始めてきています。輸出がはっきりと増加に転じていますし、生産も持ち直してきています。こうした景気情勢の変化をもたらしている最大の要因は、景気の落込みの際と同様に、やはり米国経済の回復や世界的なIT関連財の在庫調整といった海外情勢の変化でした。

 問題はこのような足許の動きが持続的な景気回復に繋がっていくかどうかです。日本銀行は、半年に1度、政策委員会における議論を経て、「経済・物価の将来展望とリスク評価」という定例レポート(展望レポート)を公表しており、4月の終わりに本年度の経済の見通しを公表しました。その中では、今年度下期にかけての日本経済の標準的なシナリオとして、輸出と生産の回復を背景とした回復方向への動きを展望しています。それから約2ヶ月が経過した現時点でも、私自身の基本的な判断は余り変わっていません。

 もちろん、回復方向とは言っても、当面は、自律的な回復力に乏しい展開が続くと考えています。これは、ひとつには、輸出と生産の回復を背景にした上向きの力が、企業部門の中でも非製造業や中小企業にまですぐに波及していくとは思えないためです。さらに、労働分配率が引き続き高い水準にあることを考えますと、しばらくは雇用リストラの圧力がかかり続けると判断するからです。その結果、企業部門の業績回復はそのまま雇用・所得環境の改善には繋がらず、家計部門への下押し圧力が働き続けるのではないかと考えています。

 一方、物価動向ですが、展望レポートでは、昨年度ほどではないにせよ、今年度も需要・供給両面から低下圧力が働き、なお緩やかな下落傾向が続くと見込んでいます。日本銀行としては、物価の下落を阻止する必要があると判断し、後から説明するような思いきった金融緩和措置を採用しています。昨年来のデフレに関する議論を振り返りますと、重要な論点は、物価と景気の関係をどのように理解するかということであるように思います。すなわち、需要が不足し景気が悪化すれば、物価は下落することは言うまでもありませんが、物価の下落自体が原因となって景気の悪化を引き起こすことがあるかどうかが問題となります。これは、物価の下落がいわゆるデフレ・スパイラルを誘発する可能性如何という問題として、過去1~2年間活発に議論されました。しかし、現実のデータに基づいて、こうした議論を冷静に振返ってみますと、デフレ・スパイラル論の想定するような世界は起きなかったように思います。

 私には、物価を出発点に景気の動向を考えるというより、物価は景気の結果であると捉えた方が良いように思われます。日銀エコノミスト諸氏の研究によれば、CPIの変化と需給ギャップとの間には緩やかな相関関係が認められます。しかし、需給ギャップから得られる物価上昇率の推計値は、プラス・マイナス1%、計2%程度の幅をもってみる必要があり、ここには供給サイドの構造変化の影響から単純な指数作成技術によるフレに至るまで、諸々の要素が入り込んでいます。1999年および2000年のように、一定の条件の下では、ごくマイルドなCPIの下落を伴いつつ経済が回復する実例は近年においてもありました。少なくとも、デフレという点では、財・サービスの価格の下落より、資産価格、とりわけ地価の下落の方が経済活動にはるかに大きな影響を及ぼしたというのが私の印象です。

 さて、こうした標準シナリオに対しては、様々な不確定要因、リスク要因が存在します。そうした要因については展望レポートで詳しく論じていますので、ここでは、次の2点を指摘するにとどめたいと思います。

 第1は、当面の景気回復の原動力となる海外経済の動向、特に米国経済の動向です。(勿論、米国側から見れば、日本経済がひとつのリスク要因に映るかもしれません。相互依存の世界に生きている証拠と言えるでしょう。)現在、米国経済を見ますと、マクロの経済データは全体的に改善傾向を示していますが、それとの比較では、最近の株価は低迷しており、両者の間には大きなギャップがあるように思います。また、グローバルな金融資本市場の動きを見ますと、米ドルの実効為替相場は1月にピークを記録した後、最近はかなり減価しています。そうした為替相場の動きの背後には資本フローの変化がある訳で、例えば、直接投資の面では米国への資本流入が減少し、欧州への回帰現象がみられるなど、多少変化が窺われます。こうした動きは、世界経済全体へ影響を与える可能性もあることから、情勢の推移を引き続き注意深くモニターしていきたいと思っています。

 第2は、外生的なショックやストレスに対する日本経済の耐久力です。1990年代以降の日本経済を振り返ってみますと、金融システム不安や財政面からの景気サポート要因の後退、海外景気の後退等、何らかの外生的なショックを契機に景気が急速に後退するということを経験しました。そうした外生的なショック自体はいつの時代にもありますが、現在は金融システムが盤石とは言えない状況にあるだけに、日本経済は大きなショックに対し脆弱であるということは常に認識しておく必要があると思っています。

3.日本銀行の金融政策

 只今申し上げたような金融経済情勢の展開の下で、日本銀行は、昨年2、3月に一連の措置を取り、内外の中央銀行の歴史に例をみないような金融緩和策に踏み切りました。

 この新しい金融緩和の枠組みは、幾つかの柱から成り立っていますが、最も重要な柱は、金融市場調節の際の目標を「金利」——具体的にはオーバーナイト・コールレートと呼ばれる最短期の金利——から、流動性の「量」を表わす指標——具体的には金融機関が日本銀行に持つ当座預金の残高——に変更したことです。これは、金融政策の効果波及の起点となる短期金利がゼロにまで低下した状況において、それでもなお金融緩和を進める余地がないかという観点から導入したもので、しばしば「量的緩和」という言葉で呼ばれています。

 これが、「内外の中央銀行の歴史に例をみない金融緩和策」であることを示す、いくつかの事実を紹介します。まず、改めて言うまでもありませんが、コールレートは0.001%という、極限的にゼロに近い水準にまで低下しました。1年物の短期国債の金利も0.01%以下にまで低下していますし、長期国債の金利も昨年夏以降は1.3%~1.5%という歴史的な低水準で推移しています。

 金融の量的指標に目を転じますと、当座預金残高は現在は15兆円にまで増加しています。と言っても、15兆円という金額が大きいのかどうか、感覚を持ちにくいと思いますが、民間金融機関が法律で保有することを求められている金額は約4兆円に過ぎません。従って、金融機関は一切金利を生まないにもかかわらず、11兆円もの余剰資金を抱え込んでいることになります。日銀当座預金に現金を加えた金額、すなわち、マネタリー・ベースも前年比2ケタの急激な増加を示し、現在は対GDP比でみて約17%と日本銀行の過去百年の歴史をみても、第2次世界大戦の時期を除けば、最も高い水準に到達しています。

 量的緩和を採用することを決定した昨年3月の金融政策決定会合の議事要旨には、こうした政策を採用するに至った議論の過程が述べられています。私なりにポイントを整理しますと、第1に、こうした政策の効果は不確実で副作用も懸念されること、第2に、こうした政策に踏み込むべきかどうかは、つまるところ経済情勢の判断の問題に帰着するものであること、第3に、それまでの2年間は景気が緩やかに回復していた以上、そうした手段に踏み込むことは適当ではなかったが、その段階では、思い切った手段を講ずることが適当かつ必要な局面となったということであったと思います。

 こうした考え方に立ち、言うなれば、日本銀行はlearning by doingといった形で効果を検証しながら思い切った金融の緩和を行ってきました。その結果、次第に色々なことがわかってきましたが、同時に、新たな疑問も湧いてきているというのが実情です。人類はゼロという概念を発見するのに随分長い時間を要したそうですが、これと同様に、内外のセントラル・バンカーやエコノミストがゼロ金利の意味を完全に理解するのにも長い時間が必要だという思いを強くします。

 現時点で私が到達している暫定的な考えを整理しますと、まず、最も明確な効果としては、量的緩和の枠組みの下で、機動的に潤沢な資金供給を行ったことにより、極めて緩和的な金融環境が維持され、金融市場の安定を確保することが出来たことが挙げられます。

 このことは、当たり前のことのように受け止められるかもしれませんが、一昨年末以降のITバブルの崩壊を契機とする世界的な景気調整や米国テロ事件、構造調整の影響や金融システム問題を巡る不安の台頭といった様々な荒波を思い返してみてください。そうした激しい環境変化の中で、機動的に潤沢な流動性を供給することで市場参加者の流動性に関する不安心理を抑制し、緩和的な金融環境を維持できたことは、景気の底割れを防ぐという意味で重要な役割を果たしたと言えます。

 それでは、このような、言わばマイナス要因を消すという効果を超えて、積極的にプラスを作る効果はあったでしょうか。中央銀行が、短期金利がゼロに達した後に流動性供給を増額し続けた際の効果については、これまで経済学の世界で十分議論が行なわれてきたとは言えず、今後とも経済学の世界で議論され続けるテーマだと思いますが、中心的な論点は、これによって、相対的にリスクの大きい資産への運用が増えるかどうか——アセット・リアロケーションなどと呼ばれます——ということです。理論的には、ふたつの可能性が指摘されています。

 ひとつは、経済はいわゆる「流動性の罠」という状況にあるという立場です。これは、短期金利がこれ以上低下できない状況の下で、日銀当座預金の供給を増加させても、そのままアイドル・バランスとして積み上がるだけで終わる、言い換えれば、金融機関の側が「コスト・ゼロの資金であれば多目に持っていても構わない」と考える結果、追加供給された流動性は、需要の増加にすべて吸収されてしまう世界です。この場合、量の拡大は経済を刺激する効果を持ち得ません。もうひとつの考え方は、流動性を供給し続けた場合には、いつかは飽和状態に至り、その結果、なんらかの形でリスクの大きい資産への投資が増加するという立場です。例えば、株式への投資が増えれば株価が上昇しますし、ドル建て資産への投資が増えれば円安が進みますが、そうした資産価格の変化が経済活動を刺激するという立場です。

 それでは、実際のデータなどからみて、量的緩和の効果についてはどのように評価すべきでしょうか。経済には常に様々な外的要因が加わっていますから、量的緩和だけの効果を取り出して評価することは難しい面があります。しかも、金融政策の効果が顕在化するまでには、ある程度時間がかかります。従って断定的なことは言えませんが、以下では4つの評価基準に照らして只今の問いに対し「事実」を示してみたいと思います。

 第1の評価基準は、マネーサプライなどの量的金融指標の伸びが高まったかどうかという基準です。M2+CDの前年比伸び率は昨年3月が2%台、最近は3%台となっています。このわずかな変化にも、エンロンの経営破綻等を契機に投資信託が大量に解約され、その資金が流動性預金や現金にシフトしていることが大きく影響しています。実際、M2+CDより広い範囲の金融資産をカバーする広義流動性の伸び率は低下傾向にあります。

 流動性の高い量的金融指標の伸びが相対的に高まっている背景としては、金利低下で流動性選好が高まったことに加えて、この4月のペイオフ部分解禁に伴って、来年3月までは全額保護の続く流動性預金への資金流入がみられたことなどが挙げられます。この間、信用創造のプロセスの中心となる銀行貸出については、資金需要の弱さもあって貸出残高の伸びは前年比マイナスが続いています。また、銀行の貸出態度も採算性重視の姿勢を映じてむしろ厳格化しています。

 第2の評価基準は、資産価格が量的緩和の想定する方向に変化したかどうかです。この点では、株価は昨年3月との比較では下落しています。為替相場は昨年秋以降円安に向かい、本年4月以降は円高に向かっていますが、こうした動きは、むしろ、この間の日米の景気に対する市場の見方の変化を反映しているように窺われます。

 第3の評価基準は、物価の下落が止まったかどうかという基準です。「デフレは貨幣的現象である」という立場に立つ論者によれば、マネタリーベースの大幅な増加は物価の大幅な上昇をもたらす筈ですが、現在までのところ、先程も触れましたように、物価の緩やかな低下基調にはほとんど変化は見られません。

 第4の評価基準は実体経済が改善したかどうかという基準です。景気は急激な落ち込みを見せた後に、最近では少し明るい兆しも見られてきていますが、海外景気の回復による輸出の増加を反映している面が大きいように窺われます。

 これまでは、私は、量的緩和、すなわちゼロ金利の下で日銀当座預金残高を増加させる政策の効果について議論してきました。先程述べた「流動性の罠」という考え方と、「飽和状態による資金シフト」という考え方のどちらが正しいかを判断するのには時間がかかりますし、事後的にも、はっきりと白黒をつけにくい性格の問題のように思います。

 いずれにせよ、ここまで議論を進めてきますと、それでは、仮に量的緩和が限定的な効果しかないのであれば、株式でも実物資産でも特定の資産価格の誘導を目的として当該資産を集中的に買入れる政策——いわゆる非伝統的政策——を何故、トライしないのかという疑問を持たれるかもしれません。そのような政策を採用するということは、中央銀行が言わば、ミクロ的な資源配分、資金配分にかなりの程度、介入することを意味します。また、私自身は資本が自由に移動し得る今日、そのような買入れによって資産価格に影響を与え得るかどうかに関しても疑問を持ちます。私は別の機会に、それらの政策オプションの性格について詳しく論じましたので、興味のある方は参照して下さい。ただ、本日はひとつだけ追加的な指摘を申し上げたいと思います。

 それは、そのような買入れが本当に有効であるかどうかはひとまず措くとして、ゼロ金利の意味するところは、そうした買入れが本当に有効と考える人は、政府でも民間企業でも、誰でも金利ゼロで資金を調達し、そうした買入れを行なうことが出来る環境を中央銀行が作り出しているという事実です。そうであれば本質的な論点は、誰がそうしたオペレーション——すなわち、ゼロ金利による短期債券の発行とそれによる特定資産の購入——を行うのに最も適しているか、ということになるように思います。

4.持続的な成長軌道への復帰には何が必要か

 次に、持続的な成長軌道への復帰には何が必要かというテーマに移りたいと思います。実はこれは最大の難問です。と言うのは、この問題は、日本経済が過去10年程にわたって停滞を余儀なくされた理由をどのように理解するか、ということと密接に関連しているからです。

 現在、日本経済にとって、差し迫った大きな問題は、供給能力に比較して需要が不足していることです。従って、まず何よりも、需要を増加させ、需給ギャップを縮小させ、潜在成長率並みの経済成長率を実現することが課題になります。

 金融政策の需要創出力が、ゼロ金利下では極めて限られていることについては既に触れました。しかし、積極的に需要を作り出す力はないかもしれませんが、外生的な要因によって一旦需要が増加する場合には、現在の金融政策はこれを強力にサポートする力があります。この点では、昨年3月に採用した金融緩和策の中で、もうひとつの柱である、「消費者物価の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、こうした緩和の枠組みを継続する」というコミットメントの役割が重要になります。

 通常、金融政策の効果はある程度のラグをもって効いてくることを踏まえて、政策運営はある程度先の予想物価上昇率をベースに行われます。ところが、現在の日本銀行の政策コミットメントは、実際の消費者物価上昇率が現在のマイナスから安定的にゼロ%以上になるまで、現在の思いきった金融緩和の枠組みを継続するということを約束しています。通常の政策運営ならば景気の回復を眺めて金融引締めを市場が予測することで、実際にも市場が引き締まっていきますが、現在のコミットメントは、景気回復が進行しはじめても、なお短期から中期にかけての金利を低位安定させて、景気回復を後押しする力を秘めています。

 一方、財政政策については、裁量的にこの政策を用いることによって却って景気が不安定化したり、資源配分に悪影響が出る惧れがあることから、近年は各国とも景気安定の役割は主として金融政策が担ってきました。しかし、金融政策がゼロ金利制約に直面している状況の下では、理論的には、財政政策が果たす役割が存在することも認識されています。現在、わが国の一般政府債務の対GDP比は140%近くに達していますが、国債発行で調達した資金が需要創出という観点から見て有効に使われる場合には、需要増加とそれに伴なう所得や生産の増加から、最終的には政府債務の対GDP比は低下する可能性があります。逆に、非効率に使われれば、長期的には成長抑制要因にもなります。どちらの可能性が実現するかは、最終的には国民の意思にかかっています。

 これまでは、需要サイドに働きかける政策について議論してきましたが、現在活発に議論されている「構造改革」については、どのように考えたら良いでしょうか。「構造改革」という言葉で描くイメージは論者によって異なりますが、ごく一般的に定義するとすれば、「生産性を向上させるために供給サイドに働きかける政策」ということになると思います。経済の長期的な成長軌道を決定付けるのは生産性の増加であり、その意味で、生産性を向上させる努力はいつの時期でも非常に重要です。そのためには、経済の環境の変化に応じて、労働、土地、資本という生産要素や資源を最も効率的に再配分するという、至極当たり前のことを実現する必要があります。そうした生産要素や資源の再配分は、企業の中の部門間でも、同じ業種の中での企業間でも、さらに、業種間、地域間、様々なレベルで必要となっています。わが国が直面している不良債権問題も、結局のところ、そうした非効率な企業、産業の問題です。

 これまで述べてきましたように、生産性の向上に向けた努力は重要です。しかし、供給能力の増加に見合って需要が創出されなければ、需給ギャップはさらに拡大してしまいます。また、供給能力の増加が実現する前に、競争によって敗れる企業を通じてデフレ的影響が先行する可能性もあります。他方、将来の成長力を高めていくような政策努力が奏効するならば、それによる株価上昇の効果も含め、現在の需要増加に繋がっていく可能性もあります。企業の投資に即して言うと、これは生産性向上の鍵であると同時に、それ自体需要の一部ですから、競争を促進し国内の投資環境を改善することは重要です。しかし、投資は最終的には消費の充足を目的とする以上、国民が将来の生活に徒に不安を抱くことなく、消費を行なえるようにする必要があります。これらはいずれも簡単なことではなく、日本経済の直面する難問(conundrum)であることは十分承知の上で、構造改革はこうした二面性を十分意識して実施されることが望ましいということを申し上げたいと思います。

 どのような政策をどのような順序で行なうかは、結局のところ、国民の選択に依存します。資源の効率的な再配分を一挙に実現することは、大きな混乱や痛みを伴ないますが、同時に、回復のスピードも速いかもしれません。これに対し、徐々に資源の効率的な再配分を実現するというアプローチを取ると、大きな落込みは避けられますが、いつまでたっても、経済は本格的には成長しません。

 日本経済は深刻なデフレで瀕死の状態にあると思っていた外国人エコノミストが日本を訪問した際、日本経済を評して"golden recession"と呼んだという話がありますが、この逸話が示すように、日本はバブル崩壊後、結局、後者のアプローチを選択したことになります。その結果、失業率は一挙に2桁近くになるとか、GDPが5%も落込むといった事態は避けられています。

 どちらのアプローチが正しいか先験的には何とも言えないように思います。ただ、現在のように環境変化のスピードが激しく、しかも過去10年以上、低成長に甘んじていることを考えますと、明らかに漸進的なアプローチの弊害が目立ってきているように思います。

 ここまでは主として、政策を通じる日本経済の改善について述べてきましたが、最後に、個々の企業や個人の役割について一言触れたいと思います。市場経済においては、個々の企業や個人の役割が最も重要であることは言うまでもありません。この点で示唆的なのは、やや唐突な印象を与えるかもしれませんが、米国の大リーグで日本人選手が活躍するに至ったプロセスです。10年前の米国の大リーグには、日本人選手は誰もいませんでしたが、現在は13名が選手登録をしています。この間に、日本人選手の能力が飛躍的に向上したのでしょうか。多分、そうではなく、ひとりの冒険的な選手が大リーグにまず挑戦し、次いでその成功を見て他の選手も挑戦するようになったということではないかと想像しています。

5.金融政策の透明性

 最後に、冒頭に申し上げた認識のギャップというテーマに関連して、金融政策の透明性という論点について、お話します。

 日本銀行は1998年に「独立性」と「透明性」をキーワードにする新日銀法が施行されて以来、金融政策の対外説明の充実、透明性の向上に努力を重ねてまいりました。中央銀行にとって「透明性」が重要である理由を改めて整理しますと以下の2つが挙げられます。

 第1に、「透明性」は「独立性」に伴うアカウンタビリティという観点から重要です。民主主義の仕組みの中で、独立性を与えられる以上、中央銀行が、国民やその代表者から成る国会に対して、自らの行動について十分に説明をするというのは当然のことですし、またそうした透明性によって中央銀行も独立性に伴なう責任を強く自覚することになると思います。

 第2に、透明性は金融政策の有効性を確保するうえでも重要です。このことは昔からそうではありますが、過去15年位の内外の経済の動きが示しているように、金融政策が効果を発揮する上で、資産価格の果たす役割は一段と重要性を増していると思います。資産価格の大きな特性は将来の予想によって価格が変動することです。中央銀行は資産価格を操作(manipulate)することは出来ませんが、中央銀行の発信する情報が資産価格の変動要因のひとつになることを考えますと、透明性の向上を図り中央銀行の政策意図が正確に伝わるようにすることは極めて重要です。

 これまで、「金融政策の透明性」という抽象的な言葉を使ってきましたが、金融政策の透明性向上には、次の3つの側面があるように思います。第1の側面は、中央銀行が「金融政策の目標として何を目指しているのか」という点です。第2の側面は、中央銀行が「金融経済の現状と先行きに関してどのような情勢判断をしているのか」という点です。そして第3の側面は、こうした目標と情勢判断を踏まえて、中央銀行が「どのような政策対応をとるのか」という点です。先程の認識のギャップということがあるとすれば、ギャップはこの3つの側面のいずれで生じているのでしょうか。

 まず、第1の金融政策の目標ですが、これについては、日銀法は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」という表現で、金融政策の目標を明確に定めています。そして、既にご説明したように、日本銀行は現在はデフレ克服へ向けて、断固たる姿勢で金融緩和策を講じてきています。このことは、「現在の金融緩和の枠組みを消費者物価の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続する」という現在の政策コミットメントに端的に示されています。

 この点に関連して、日本銀行は何故、インフレーション・ターゲティングを採用しないのかという議論があることは承知しています。この点については別の機会に論じましたので、詳しくは申し上げません。ただ、ゼロ金利が制約となって、物価上昇率の引上げを達成する金融政策手段を欠いている状況の下では、中央銀行がインフレーション・ターゲティングを採用しても、透明性を高めないばかりでなく、信頼性を損なう惧れがあるということだけを申し上げたいと思います。

 次に、第2の側面である金融経済に関する情勢判断ですが、これについては、日本銀行は毎月、政策委員会メンバーの「基本的見解」という形で、判断を示しています。また、先程説明した展望レポートを半年に1回公表し、物価と成長率に関する政策委員の見通しも参考情報として示しています。

 透明性の第3の側面である、金融政策の目標と情勢判断を踏まえたうえでの政策対応についてはどうでしょうか。論者の一部に、現在の金融政策が物価安定という目標と、どのような関係にあるのかを問う議論があることは承知しています。この論議の状況については、マイルドなデフレの原因をどのように理解するか、またゼロ金利の下での量的緩和の効果をどのように評価するかといった重要な論点について、当然のことながら見解が大きく分かれていることを反映していると思っています。

 例えば、デフレの原因についても、エコノミストの間でも幾つかの見方があります。近年、「デフレは貨幣的現象である」という議論が呪文のように唱えられています。ご存知の方も多いと思いますが、米国のノーベル賞経済学者であるフリードマンは、米国貨幣史の研究を踏まえて、「インフレは貨幣的現象である」と述べました。現在唱えられている「デフレは貨幣的現象である」という議論は、このフリードマンの命題を援用しているのだと思います。しかし、インフレとデフレ——それも年1%程度の物価変動——を「貨幣的現象」として同列に扱ってよいものか、疑問に思います。因みに、もう一人の大家ケインズは、1930年に出版された「貨幣論」の中で19世紀末の英国の大デフレに言及して、「この時期の歴史は、商品デフレーションが長引く——銀行貨幣の総量の大きな増加にもかかわらず、次第に激しくなっていき、そして決定的に持続していく——場合についての、一つの完璧な事例であると考えている」旨、述べています。

 私達は、デフレにしても、ゼロ金利制約下の金融政策にしても、長い間経験したことのないような事態に直面しています。このような場合、中央銀行家に必要なことは、現在利用可能な経済理論や過去の内外の歴史に関心を払いながら、しかし、決してドグマティックになることなく、現実に直面している事実をよく見つめ、そこから原因や解決策を考えていくというプラグマティックなアプローチをとることではないかとの思いを強くしています。

 経済の大きな変化は後から振返って見ると、何故、このような変化を認識できなかったのかということが多いように思いますが、渦中にあっては、変化に気付かないということがしばしば起こります。これはバブルの発生や崩壊についてもそうですし、情報通信技術の発達についても当てはまります。現在、中央銀行の間で関心を持たれている世界的な物価の下落傾向についても、後から振返って見ると、この時期に大きな変化が起きていたという可能性も否定できません。

 因みに、昨年末時点での消費者物価上昇率をみると、東アジアにおいて、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、中国がマイナスを記録しています。また、G7諸国をみても、2ヶ国を除いて全てが2%以下の低い上昇率になっています。こうした傾向は、卸売物価や生産者物価の上昇率をみると一段と顕著です。昨年末時点での卸売物価の前年比をみると、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、中国、韓国といった国がマイナスを記録しているほか、G7諸国でも、カナダとドイツを除いて全てがマイナスになっています。このような動きは多分に循環的な景気の弱さを反映していると思いますが、それだけでは説明しきれない要因も働いているのかもしれません。

6.おわりに

 本日お話しましたように、日本経済は現在、様々な課題に直面しています。日本銀行も内外の中央銀行にとって未踏の経済環境——ゼロ金利と不良債権——の中で難しい課題に直面していますが、出来るだけ早く持続的な経済成長軌道に復帰できるよう、最大限の努力をしているところです。中央銀行がその使命を十分に果たせるかどうかは、的確な情勢判断と、それを政策として実行していく強い意思、そしてそうした中央銀行の政策を正確に説明していく能力にかかっていると思っています。日本銀行としては、これらの点を意識しながら今後ともその使命を十分に果たしていくよう努力していきたいと思っています。

 ご清聴有難うございました。

以上