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IMF・世界銀行加盟50周年記念シンポジウムにおける総裁挨拶要旨

2002年 9月10日
日本銀行

 わが国がIMF・世界銀行に加盟して50周年の節目を迎え、その記念シンポジウムで皆様にご挨拶することを、大変光栄に存じております。

 私は1947年に日本銀行に入行し、34年を専ら外国局 —— 現在の国際局 —— の職に励みました。IMFの毎年のコンサルテーションや、1964年のIMF8条国への移行・世界銀行からの借入れに関する交渉と交流を通じ、多くの経験と知己を得ました。その後、いったん日本銀行を退職しましたが、アジア危機の余韻も覚めやらぬ4年前、日本銀行総裁に就き、再び国際金融に深く取り組むことになりました。私にとっても、また、わが国と国際金融社会との関係においても、IMF・世界銀行との繋がりは深かったと言えましょう。

 振り返ってみれば、私自身、国際流動性危機が叫ばれ、1960年代後半にSDR創設に向けて議論がなされたことなども昨日のことのように思い起こします。とりわけ印象に残っている事柄は、1971年のニクソン・ショックです。当時、私は日本銀行のロンドン駐在参事として、IMFや各国の通貨当局が事態の収拾に当たる現場に居合わせました。ブレトン・ウッズ体制の崩壊は相当に衝撃的であって、その後の変動相場制への移行は「新時代の幕開け」などという自信に満ちたものではありませんでした。当時のBIS(国際決済銀行)のザイルストラ総裁は、 —— 最近亡くなられましたが —— 変動相場制の下での国際金融システムを「海図なき航海」(Voyage through uncharted waters)に喩えられました。この言葉は当時の関係者の心境をよく表していると思います。

 それまで円は、金・ドル本位の固定相場として1ドル=360円でしたが、この30年間に120円前後にまで、3倍ほど、その購買力は向上しました。そして、今では、世界第2位の経済力を維持しております。この点を私は誇りに思っておりますと同時に、今後とも円が一層堅実な国際通貨となって行くことを期待しています。

 近年では、エマージング諸国の金融危機にも相次いで遭遇しました。現在は、巨大な資本が瞬時に国境を越えて移動できるようになりました。そのため、ひとたび危機が起これば、その影響が他地域に及ぶ可能性やスピードははるかに高くなっています。幸い、危機に見舞われたアジア各国については、IMF・世界銀行の支援も受けながら経済改革が進み、その後比較的短期間に成長軌道に復しています。

 経済のグローバル化が進み市場間のリンケージが深まるにつれて、IMF・世界銀行には益々期待がかかっています。IMFは、エマージング諸国の経済危機への事前・事後双方での対応を進展させ、世界銀行は、グローバル経済の下での貧困の是正に以前にも増して力を注いでいます。IMF・世界銀行が、これらの困難な課題に果然と取り組まれることを強く期待し、わが国は他の加盟国と共々協力して参る所存です。

 振り返れば、わが国も、世界銀行加盟直後、東海道新幹線の建設に世界銀行の融資を仰ぎ、経済復興を果たしました。また、世界銀行の円建て債券は、今や東京市場で重要な金融商品としての地位を占めています。このような相互協力関係の一端に思いをはせるだけでも、誠に感慨深いものがあります。

 こうした実績を踏まえ、日本銀行としても、今後とも、IMF・世界銀行との連携や地域協力の推進など、多層的な形で、国際金融社会への貢献を広げていきたいと思います。そして、IMFへの出資比率が世界第2位であるに相応しい、健全な日本にしていきたいと思います。

 IMF・世界銀行の今後の益々の発展を祈りつつ、私からの挨拶と致します。

以上