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日本経済の現状と課題・今後の金融政策
関西経済倶楽部における中原審議委員講演要旨
- *本稿は、2002年11月21日・関西経済倶楽部における中原審議委員による講演の内容を基に加筆修正したもの。
2002年11月22日
日本銀行
(日本銀行から)
[目次]
日本銀行政策委員会審議委員の中原です。本日は、数多くの著名人が講演している大阪の経済倶楽部におきまして、日本経済と金融政策について講演させて頂くこととなりました。まずは、このような機会を設けて頂きました東洋経済、そしてご参集くださいました皆様に心より御礼申し上げます。
本日は、まず、日本銀行が発表しました「経済・物価の将来展望とリスク評価(2002年10月)」に則って、今年度末から来年度かけて日本経済の先行きについてお話しすることから始めたいと思います。この「将来展望とリスク評価」は、政策委員9人の意見を最大公約数的にまとめたものでございます。細部においては9人の意見は微妙に異なり、より重要と考えているポイントにも濃淡があります。そこで、私なりの解釈をお話ししたいと思います。次に、そのような景気の現状や見通しに対し、日本銀行が何をやってきたか、何をするべきなのかという点につき述べたいと思います。最近の日本銀行の政策に関わる話題というと、皆様方が最初に思い付かれるのは、9月に発表した金融機関からの株式買取りでしょうか。この政策に関しては、賛否両論様々なご意見を頂戴しました。例えば「中央銀行が本当にそのようなことをしてもよいのか」というような批判や、「日本銀行もついに株価対策に乗り出してくれた」という誤解もあります。また、日本銀行は、量的緩和政策という中央銀行として例をみない金融緩和政策を採用し、金融機関が日本銀行に預けている当座預金の金額を目標とする政策を行っています。この政策に対しても、「一体何のためにやっているのだ、実体経済はちっともよくならないではないか」という疑問の声があることも承知しています。本日は、こうした批判や疑問を発する方との溝を少しでも埋められればと考えてご説明させて頂きます。そして、最後に、日本経済の直面している不良債権問題と構造問題を中小企業との関連で敷衍し、それを解決しながら、自律的な回復軌道にのせるために何が必要かということをご説明したいと考えています。
1.景気の現状と見通し
(1)景気の現状
まず、現在の景気判断および「経済・物価の見通しとリスク評価」からです。景気の現状を申し上げますと、やや感覚的な話になりますが、「景気は、漸く底をみつけたものの、リスクという落とし穴があちらこちらに存在し、底を打ちたくても打てない」ということであると思います。
海外景気の回復やIT関連製品の在庫復元の動きもあって、我が国経済は、年度前半に予想よりも早い時期に下げ止まりに向けた動きが現れ始めました。図表1によって、年度前半の輸出と鉱工業生産の動きをみると、このことがよくわかります。しかし、その後、海外経済の回復テンポの落ち込みや世界的な株価下落によって、ここにきて不透明感が増しています。やや詳細に申し上げますと、経済の川上部門である企業活動において、9月の実質輸出や鉱工業生産指数をみると、輸出と生産の拡大が「踊り場」に入ったことがわかります。9~10月の機械受注や資本財出荷の実績をみると、企業収益が回復しているにも関わらず、設備投資は相変らず抑制スタンスが維持されています。7~9月期GDPにおいて、設備投資は小幅ながらマイナスに寄与しました。雇用面では、所定外労働時間が増加し、新規求人も持ち直し傾向が続きました。ただし、実体的には、企業の人件費削減姿勢が根強い中、雇用の改善は残業や非正規労働者の増加等の限界的な部分に止まっており、雇用者所得が明確な減少を続けるなど、家計の雇用・所得環境は全体として引き続き厳しい状況にあります。こうした状況下、経済の川下部門である個人消費においては、マインド面で弱気化しつつあるようです。内閣府の消費者態度指数のほか、民間シンクタンクが調査している消費意欲を捉えた指数においても、この傾向が明らかになってきています。
米国経済については、7~9月の実質GDPが比較的高い伸びになったほか、住宅投資が堅調に推移し、今後予想される減税や利下げの影響がでてくることも期待されます。しかし、このところの経済指標をみていくと、必ずしも楽観できない指標が増加しつつあります。図表2をみて頂きますと、鉱工業生産は3ケ月連続の減少となっているほか、設備稼働率が前回の景気後退期(90~91年)のボトムを下回るまで低下、企業収益も伸び悩んでいます。設備稼働率の低下や企業収益の落ち込みは、設備投資回復の遅れを示唆しています。今まで米国経済を支えてきた個人消費についても、株価下落の影響等から家計のマインド悪化が続く下、一部には伸び悩みもみられ始めています。DVDや液晶テレビを生産している家電メーカーの方にお話を伺うと、クリスマス商戦に向けた荷動きは必ずしも芳しいものではないようです。確かに、中間選挙の結果を受け追加減税の見通しが出て来ましたし、1.25%まで引き下げられたFF金利の誘導水準、住宅価格の安定を強気の材料としてあげることができます。しかし、これらの強気材料は、その他の需要項目の減少を補い、経済全体をプラスの方向に導くほど強いのかというと疑問符がつきます。企業部門が回復過程に入るまで個人消費がもつかどうか最大のポイントです。その中で、中東情勢の緊迫化や原油価格の不安定な動き、そしてドル安と株価の下落が暗い影を投げかけていることも不安を大きくしています。ユーロ経済圏においても、景気は底入れしたものの、輸出・生産の増加ペースが鈍化し始めています。アジアでは、韓国、中国、タイ等は内需が好調ですが、対米輸出依存度の高いNIES諸国では輸出に翳りが出始めています。
今年4月の「経済と物価の見通し」においては、リスク要因として国内民間需要の回復力、海外経済の回復力と持続性、不良債権処理の動向、株・土地等の資産価格や長期金利の動向、経済構造改革の進展とその影響をあげました。これらは程度の差はありますが、全て顕現化し、実体経済にも徐々に影響を与えてきているといえましょう。
(2)先行きの見通しおよびリスク評価
以上のように我が国経済は、外需依存の景気回復のモーメンタムが徐々に息切れし始めており、設備投資や個人消費の内需回復につながらぬうちに輸出・生産がピークアウトする懸念が高まっている状況です。今後、2002年度下期については、「回復へのはっきりとした動きがみられないままで推移する可能性が高い」と予想しています。一言で申し上げると、「何とか底這う」という状況でありましょうか。今回の景気回復のパターンは前回99年の景気回復と同様に外需先導でした。しかし、米国経済において、前回は、個人消費に加え企業もITブームで元気が良かったことに比べ、今回、米国の景気は個人消費のみが頼りである点が異なります。我が国経済の回復過程では、輸出の立ち上がりは早かったのですが、世界経済の回復の息切れから鈍化も予想より早くやって来ました。回復が始まってからほぼ10ケ月位経っていますが、消費は弱く、設備投資も底打ちしたとは思われるものの盛り上がりの様子はありません。その中で輸出の伸びが頭打ちとなってきました。これが、本年度末にかけ、浮揚感に乏しい状況が続くと予想する理由です。
次に、2003年度はどのようにみればよいのでしょうか。回復への明確な動きを示せるのでしょうか、それとも2002年度並みの極めて緩やかな回復のあと、再び後退局面に入るのでしょうか。世界経済の面では、先進国・途上国とも総じてデフレ傾向が強まる中、多かれ少なかれ構造問題を抱えています。また、流動的な国際政治情勢の下でイベントリスクも高く、日本を取り巻く外的環境は不安定といえます。さらに、国内面でも、不良債権処理や企業リストラ・淘汰等供給面での調整圧力はむしろこれから一段と高まりそうです。2002年度当初に描いていた、「海外経済の回復を前提に再び外需中心の緩やかな回復過程に入る」というシナリオ自体は否定しません。外需が急激に落ち込まないという基本条件さえクリアされれば、2003年度を通じて上方へのモーメンタムは保持されると思います。しかし、それが、非製造業や設備投資、個人消費に均霑していく動きは極めて緩慢なものにならざるを得ないでしょう。
私共政策委員会は、先月発表した「経済・物価の将来展望とリスク評価(2002年10月)」の中で、基本的な回復シナリオの下で、5つのリスク要因をあげました。一番目は米国をはじめとする海外経済の動向です。足許、中国経済は引き続き急速な勢いで伸びています。対米依存度の高いNIES諸国は、中間財を中心とする対中国向け輸出の伸びで糊口を凌いでいます。反面、欧米については、今まで申し上げたように明るい見通しを持てません。個人消費頼みである点、株や住宅など資産価格の動向が気懸かりです。エマージング・マーケットの動向にも留意が必要です。アルゼンチンでは経済・金融システムの混乱が続いているほか、ブラジルでは政局や金融市場から引き続き目が離せません。また、インドネシア、フィリピン等、テロ事件発生による治安悪化懸念から株価も下落、通貨も軟調に推移しています。二番目は、個人消費・民間設備投資などの国内民間需要の回復力をあげました。新しい需要の芽が無いことが最も大きな問題です。例えば、IT関連産業の牽引役であった携帯電話市場は急速に飽和しつつありますし、次世代の携帯電話も売れ行きがよくありません。雇用・所得環境の悪化によって、先行きの不透明感が高まり、97年のときにみられたように、企業・消費者マインドがスパイラルに悪化することも懸念されます。三番目は、不良債権処理とその影響です。改めて申すまでもなく、不良債権処理、この裏側にある構造問題の解決は、日本経済が避けては通れない道です。しかし、その解決方法が性急過ぎたり、経済状勢を無視したものであった場合には、日本経済に大きな影響を及ぼすことになると思います。四番目は、財政改革や財政収支の影響です。GDP比で130%を超える国・地方の債務残高は、市場の信頼を得られる国債管理政策の下で、赤字削減への努力を続けることが何にも増して重要です。しかし、ただでさえ民需の勢いが無い中で、既に来年度からの医療費等の国民負担増大が決められています。こうした中、財政の果たすべき役割をもう一度考えてみる必要があるのではないかと思います。そして最後は金融資本市場の動向です。米国株価が軟調な動きを辿っていることから、我が国の株価も大幅に下落し、不安定な動きを続けています。これ以上の株価の下落は、企業や金融機関の経営問題を通じ、産業基盤そのもの、金融システム全体を不安定化させます。
以上、5つのリスクの顕現化する度合いによっては、2003年度に再び景気後退局面入りする可能性も否定できないとみています。
2.金融政策の役割
(1)量的緩和政策の意図および効果
こうしたリスクを抱えた日本経済に対し、金融政策は如何にあるべきなのか。そのことをお話しする前に、今までの金融政策を振り返ることから始めたいと思います。
2000年8月にゼロ金利政策を解除した後、我が国経済は、2000年末からの世界経済の急速な悪化に伴い景気後退局面に入りました。実質ゼロ金利の制約の中、日本銀行は、2001年3月、それまでの金利をターゲットとする政策から、金融機関の日銀への預金をターゲットとする政策へと転換しました。いわゆる量的緩和政策です。現在の状態で言えば、20兆円という量的な目標の付いたゼロ金利政策とも言えます。当然ながら、単純なゼロ金利政策より緩和度は少なくとも理論的には高いものとの認識で開始されたものです。量的緩和政策といっても、何を目的としているのか非常にわかりにくい部分があります。図表3をご覧ください。これは貨幣の需要と供給、お金の流れをイメージしたものです。貨幣の需要は、金利が下がるに従って増大していきます。金利が下がれば、企業は「お金を借りて設備投資をしよう」、家計は「住宅ローンを借りて家を建てよう」という需要がでてくるからです。金利を上下させることで貨幣需要、別の言葉で言えば、世の中に出回っているお金の量をコントロールすることができます。反面、金利は世の中に出回っているお金の量で決まるとも言えます。需要以上にお金があれば金利は下がりますし、お金が少なければ金利は上がります。現在、お金を作り出せるのは日本銀行だけです。また、企業や個人に対し、信用というかたちで預ったお金を何倍かにして貸せるのは銀行だけです。ですので、世の中の金利は、中央銀行がどれほど銀行に資金を供給するかによって、そして銀行がどれほど企業や家計の貨幣需要に対して供給したかによって決まります。つまり、金利とお金の量は、同じ現象を左右からみているとも言えます。しかし、このような関係は、中央銀行が銀行に資金を供給する際の金利がゼロとなった時点で終わってしまいました。金融機関の先にある貨幣の量を金利によって操作できなくなりましたし、企業や家計はお金を物に替える、お金を前向きに費やす意欲がますます弱くなってしまいました。物価が継続的に下落するデフレの状況が続き、企業も家計も「お金を借りて新規の投資や物を買うより、経済活動を縮小し、将来に備える方がよい、もう暫らく待った方がよい」と思っているのです。
金利によって量を増やすことができなくなった中で、何によって量を増やせばよいのか。2001年3月、我々は銀行への資金供給を増やすことを政策としました。企業や家計が欲しいと思っている貨幣の量、つまり世の中に出回るお金の本源は、中央銀行から銀行への資金供給の量に依っているからです。このため、銀行が中央銀行に預けているお金の量を増やすことにしたのです。銀行が中央銀行に預けているお金が増えれば、銀行は「こんなに現金があるのだから企業や家計に貸出を増やそう」、「社債や外債投資を活発化させよう」と思うかもしれません。企業や家計も「こんなにお金が潤沢にあるのだから物価は上がるかもしれない」、「なるべくお金は使ってしまった方がよい」と考えるかもしれません。中央銀行から銀行への本源的な資金供給を増加させることによって、最終的に市中に出回る貨幣の量の増加を導き、物価を上昇させることを期待したのです。
また同時に、こうした対策を「当座預金を操作目標とする政策を消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続することとする」というコミットメントを行いました。この意図もご説明したいと思います。金利には短期金利となるべく長目の金利の2種類があります。長目の金利は、将来時点での短期金利の予想が影響しています。将来時点での短期金利は、日銀の政策スタンスおよび実体経済の動向に基づいて予想されます。我々は、脆弱な経済状況の中で長目の金利を安定化させることが望ましいと考えました。長目の金利が安定的に形成されるためには不確定要因を除去することが必要です。実体経済の動向は不確定としても、市場が何らかの形で政策スタンスを予想できるような状態にしてあげることが大事なのではないかと思いました。日銀が経済の回復するまで強い緩和の姿勢を維持するという約束は、当分の間短期金利はほぼゼロの状態が続くとの予想を生まれさせ、長目のタームもの金利を低位安定化させることを狙ったわけであります。
こうした量的緩和のスキームの下、その後の経済情勢の悪化や米国同時多発テロに合わせ、日本銀行は5回に亘って追加的な緩和策を講じてきました。当初、5兆円からスタートした当座預金残高目標は、現在15~20兆円になっています。そして、この目標を達成するため、銀行に現金を渡すための手段も多様化しました。銀行の資産を流動性の高い資産に替える作業、具体的に言えば、そのような資産を買い上げてその代金を日銀にある各銀行の当座預金に入金する、このような作業をマーケット・オペレーションといいますが、このオペレーション手段を多様化したり、行う頻度を上げたり、またはより長期のものを対象にしたりすることにより、より多くの資金を供給するよう努力して来ました。例えば、銀行が保有する国債を買い入れる、国債買切りオペを増額したほか、従来は、資金を供給する際の担保として利用していなかった資産担保証券を対象にしたり工夫を重ねて来たのです。
現在の量的緩和政策には、明らかになったことがいくつかあります。まず、金利が長目のタームものまで含めて極めて低位安定していることです。これは、市場は、先述したコミットメントによって、「日銀は物価が上がってくるまで将来にわたって金融緩和姿勢を堅持するだろう」、「将来の金利も低く推移するのではないか」と予想したためです。反面、日本銀行のコミットメントが、市場で信頼されていることの証左でもあります。この結果、期末・初や金融機関や大企業の破綻が起きた中でも、金融市場は安定的に推移しました。二番目に確認されたことは、日銀の当座預金ターゲットが何回か引き上げられる中、一時的には計画どおりの資金供給が行えなかったこと、いわゆる札割れが生じたこともありましたが、最終的には目標の残高が達成できてきたことです。この要因としては、先述したオペ手段の多様化がより多くの資金供給を可能にしたと同時に、金融機関の破綻懸念や決済システムの不全等、イベントリスクに備える潜在的な資金需要が強かったことに助けられた面もあります。ポイントは、目標をいくら上げても、そのとおりの資金供給が現実にできるかどうかは、また別の問題だということです。
三番目は、このように供給された潤沢な資金が銀行の間でだぶつき、投資したり、消費したりする実体的な民間の経済活動に回っていかないことです。「日銀の供給するお金、ベースマネーの増加が民間の経済活動の基本になる、いわゆるマネーサプライの増加に結び付かない」、「金融機関が貸出を積極化したりインフレ期待が出てくる等のメカニズムが十分に働いているかどうか確認できていない」ということです。先程申し上げたように、これらの効果は、理論上は考えられるのですが、現実には、現下の情勢の下で、実現しているとは言い難い状況です。図表4をご覧ください。ベースマネーは、前年比20%程度の増加を続けていますが、最終的に現金・流動性預金とCDの合計である、いわゆるマネーサプライを、それに見合って増加させるまでには至っていないのです。デフレが続いていることや実体経済の先行きへの厳しい見方から、企業は投資コストが十分に下がっても投資を行いませんし、家計は物価が下がって実質的な購買力が上がっても消費を増加させません。また、この量的緩和策については、当初想定していなかった負の効果として、金融機関同士が取引する市場(コール市場)が急速に縮小している点もあげられます。先週末のコール市場の残高は14兆円と、87年以来の低水準に落ち込んでしまいました。日銀がオぺによって潤沢に資金を供給しているため、金融機関間でアベイラビリティの高い資金を融通し合うというマーケットを使う必要性が無くなっているのです。市場に資金調達面での不安はありません。日本銀行が、適格担保の拡大、長国買切りの増額、ロンバート型貸付の導入等矢継ぎ早に資金供給の多様化・拡大を図ってきたからです。しかし、機能の低下が、「信用さえあれば欲しいときに欲しいだけ資金がとれる」というアベイラビリティを毀損することはないのか、量的緩和の効果を逆に減殺してしまうことはないのか、その影響は今後慎重にみていく必要があるでしょう。
(2)今後の金融政策
さて、量的緩和政策は市場に安心を与え、金利を低位で安定させてきたこと、当座預金の目標は達成できてきたが、マネーサプライを増やす効果は現時点では確認できないこと、コール市場が縮小しているという副作用も生んでいること、このようないくつかの事実を踏まえ今後の金融政策として何ができるのでしょうか。
量的緩和政策が市場に安心感を与えてきたことと、長目のタームものも含めて金利が低位で安定してきたことは、量的緩和政策そのものが市場の信頼を得ているということを意味しています。経済主体は、ある一定のフレームワークが与えられると、その中で利益を極大化するように行動します。フレームワークを頻繁に変えることは好ましくありません。「当座預金を操作目標とする政策を消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続することとする」という点についての信頼に変化がない限り、量的な目標という現在の政策の基本を維持することは必要であると思います。前にも申し上げたとおり、量的緩和がマネーサプライの増加を通じて実体経済に働きかけるメカニズムは十分に顕現しているとは言い難い状況ですが、日銀が潤沢な資金供給を続けている事実が金融システムを安定化させ、それを通じて実体経済を底支えしていることには疑いありません。
こうした中、量的緩和の延長線上での一つの工夫は、当座預金目標達成の方法にも着目することです。オペの手法ということになりますが、当座預金目標額を達成するために、オペ期間の延長なのか、それとも適格担保の拡大なのか、どんな手段で、どのような副次的な効果を狙うのかというメッセージは重要と思います。これにより、単に量が示す緩和感に加え、日銀の信用リスク変動への懸念や企業金融円滑化に向けての姿勢を示すことが可能であり、市場に対しより大きな安心感を生むことになるでしょう。もちろん、これまで採ってきた長期国債の買切りも含めた伝統的なオペ手段も限界にきたわけではありません。多少の副作用に目をつぶって量の拡大を行うことも、期待形成にかける部分が大きいとはいえ、選択肢として残されています。デフレ克服のための政策上の今一つの工夫は、中長期的な政策のフレームワークとして、日本銀行がどのような物価水準を望ましいと考えているかを示し期待形成に働きかけることです。これは、後で述べるように期限を設けて日銀に達成義務を課し政策を総動員するインフレターゲットではありませんが、政策の透明性を高め、かつ安心感を与える可能性があると考えています。「当座預金を操作目標とする政策を消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続することとする」というコミットメントは長目のターム物金利を低位安定させていることは先程みたとおりですが、このコミットメントが逆にデフレ期待を強めているのではないかという見方もあります。物価水準に関する日銀の考え方を具体的に示していく中で、このコミットメントをどのように扱っていくかも考えてみたいと思っています。
さて、実体経済が何らかのショックで急速に悪化する。デフレがスパイラル的に深化する。そのような中で量的緩和のトランスミッション・メカニズムが有効に働かない、または量的緩和政策を続ける副作用が余りにも大きくなった場合はどうするのか。こうした中、「今まで試したことのない政策を講じるしかない」というのが自然な答えでしょう。具体的には、流動性の量的なものを政策目標とすることから、長期国債や社債、株式、ドルといった資産価格に直接的に働きかける政策に変更することです。例えば、長期の国債を大量に買って長期金利に直接働きかけたり、為替を円安にしたり、社債や株式を市場から直接買い取るというものです。しかし、いずれも難しい問題を抱えています。長期金利は実体経済の動向の影響も受けるため、マーケットのセンチメントに影響を与えられるとしても、中央銀行が完全に操作することは相当に難しそうです。日銀法は為替を金融政策の対象とすることを認めていませんし、そもそも自国のために一方的に通貨安定策をとることは国際的な問題を引き起こします。これは、もちろん、プラザ合意のような一定の国際協調の下で行うことは可能でしょうが、その場合には強力な外交力が必要です。株式は大きな価格変動リスクがあります。また、民間企業で資金が欲しいと思っている先は、信用リスクの比較的高い先であり、民間信用を判断する高度なスキルが必要です。これらのリスク資産を、資本勘定が5兆円程度の日銀が、独自の判断で抱えることには限界があります。一般的に、中央銀行がこれらの領域に入っていくことを許されるのは、金融資本市場が全くの機能不全に陥っている場合や信用収縮を伴う激しいスパイラル的なデフレが生じ、政府と一体になって一定の合意の下に行う場合に限られると思います。先程少し触れましたが、「何年後の物価上昇率を○%にする」というような物価上昇率の目標を設けること、物価水準に日銀がコミットする、いわゆるインフレターゲットを導入するべきだという議論があります。しかし、金融緩和の効果がなかなか実体経済に波及しない現実の下で、どのような手段でそれを実現するかが問題です。恐らく、極めて副作用の大きい手段を併用しない限り実現は無理でしょうし、心理的効果も不確実です。こうした下で、実現の義務を自らに課すインフレターゲットを設けることは、「日銀は何かとんでもない政策を行うのではないか」という不安心理を煽ったり、量的緩和政策によって与えられていた安心感を無に帰してしまうリスクもあり得ます。いずれにしても、このような政策を採用するとすれば、目標と手段についての整合性のとれた政策パッケージとして、また「副作用のつけは結局は国民の負担になる」という事実を踏まえた政策決定メカニズムにのせていくことが必要と思います。
日銀法に規定された「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」という理念に忠実である一方、日銀の財務の健全性への配慮も怠れない、採り得るギリギリの線は何か、いつでも考えていく。金融政策発動の余地は極めて乏しいですが、今後も政策委員会の場で議論していく所存です。よく、「日銀は『できない、できない』と言ってきたのに手のひらを返したようにやるから信頼を失う」と批判される方がいます。的を射ていない批判です。金融政策の余地が無い中、あらゆる可能性を、その時点の金融経済情勢に応じて判断しています。ですので、ある時点で不可能と思われていた政策が可能となる時点もありますし、その逆もあり得ます。伝統的な金融政策の手段の無い中、手探りで政策の可能性を検討していることを認識して頂きたいと思います。
3.構造問題と不良債権処理
(1)構造問題の背景
こうした景気の現状や見通し、金融政策の効果に思いを巡らしていると、日本経済が苦境から脱する、当面の最重要課題であるデフレから脱するには、金融政策のほか、様々な対策が必要であることを再認識させられます。構造問題および不良債権の存在が問題を根深く、かつ広範囲な複雑なものにしていると思います。私は、これらの処理の進め方そのものが、今後の景気展開の中で最大のリスク要因になるものと考えています。不良債権処理の加速は、実体的に信用収縮を通じて影響を与えるばかりではなく、株式市場の下落や企業倒産・失業の増加によって、企業・消費者マインドの大幅な悪化をもたらす可能性があります。信用収縮と実体経済が相互に波及しながら悪化する現象は、正にデフレスパイラルに他なりません。これを避けるためにはどうしたらよいのか。これを次のお話としたいと存じます。
対策を考えるうえで、まず、構造問題とは何なのか、そしてなぜそれが生じたのか。私なりに構造問題という言葉を理解すると、「物価安定の下で、中長期的に最大の経済成長を達成するための労働・資本・技術等経済資源の最適配分が実現されていないこと、また適正配分を阻害している弊害が除去されていないこと」と理解しています。日本経済の閉塞感の原因は、経済資源が最適に配分されていないことです。従来の日本経済には、製造業によって獲得された外貨や非製造業の中でも生産性の高い企業の営業余剰、これによってもたらされた都市部の所得を、地方や低収益の産業・企業に還流させる「再分配機能」が組み込まれてきました。民間企業の高い生産性を支えた優秀で勤勉な国民は、分配された富をストックとして貯え、企業が新しい分野に投資する原資を供給しました。これは、日本経済全体のみならず、一産業、一企業においても同様といえるかもしれません。企業は、総体として利益が上がれば、低収益部門をシナジーや多角化路線の名の下に温存する傾向がありました。人員の配置替えや取引関係の変更に伴う摩擦について、極力回避したいと願ってきた先が多かったのではないでしょうか。構造問題は、衰退分野の労働力・資本・技術等の経済資源が成長分野へ配置されていないこと、最適配分が実現されていないことです。しかし、日本の現実は、マクロ・ミクロ両段階で、旧来型の資源配分を維持してきた結果、衰退産業・分野に労働力、資本等の経済資源が温存されてきました。
こうした日本の経済システムは、民間企業が右肩上りの経済の中で資産の含みが増えていく、親会社と下請け、メインバンクと取引先企業という長期的に共存共栄の構造の中にいる限り問題有りませんでした。しかし、1990年代に大きな環境変化が訪れます。バブル崩壊で資産価格が暴落する一方、時価会計への流れや株主重視の経営の中で、財務や取引関係全てについてガバナンスと透明性が求められ始め、民間企業が営業余剰を貯えられなくなりました。加えて、冷戦の終結や社会主義諸国の市場主義導入によって、先進国の軍事面の負担が少なくなりグローバルな市場競争が激化する一方、途上国の大量の安価な経済資源が解放され、日本経済はコスト面での圧倒的な差異に直面することになります。コストの高さを補う付加価値を付けられればよかったのですが、付加価値の源泉である差別化は、大量生産・大量消費の中で成功してきた日本企業は不得意でした。差別化できれば、戦略的に販売価格を設定し、付加価値の増大を図ることができます。しかし、差別化できない企業は、価格支配力を失い、生産の源泉である設備、雇用そして債務の固定費が重く負担としてのしかかってきました。こうした中、生き残りのための対応は2つに分かれます。コストを安くするか、付加価値を付けるか、どちらかしかありません。
こうした構造問題の影響をもっとも大きく受けているのは中小企業と地方経済ではないでしょうか。中小企業は、本来、外的な環境変化に弱い体質を持っています。図表5から図表7をご覧ください。雇用、設備および債務の状況について、大企業と中小企業の比較をしたものです。雇用は労働分配率、設備は売上高比率、そして債務は金融負債と年間キャッシュフローの比較です。過剰雇用、過剰設備および過剰債務の3つの過剰といわれますが、大企業と中小企業で大きな違いがあることがわかります。大企業は改善傾向が窺われますが、中小企業においては、いずれも一貫して上昇、改善がみられていません。加えて、大手企業は、コストを安くするために海外へ移転するか、付加価値の高いソフト分野に経営資源を移動しました。中小企業は受注が減ると同時に、廉価な輸入品の絶え間無い値下げ圧力に晒されることになりました。「中小企業独自に付加価値を増加させればいいではないか」というご意見もあるかもしれません。しかし、従来の強みであった、苦しいときには面倒をみてもらいながら親会社と協同して製品や技術を支え、付加価値を高めていく従来の親会社と下請という関係は消えつつあります。また、倒産・廃業が増える中で、地域的な産業の集積が無くなりました。例えば、東京大田区等の中小企業が集積していた地域は、業績不振や後継者難によって転廃業する先が増加しています。ロケットやCPU部品等、大企業からの高度な発注に対し、従来は大田区の中小企業は、互いの強みを活かし、数社が集まって応えてきました。設計するのは一丁目のAさん、金型を作るのは二丁目のBさん、良い素材を集めるのは三丁目のCさん、ねじりや刻みを入れて製品の強度を図るのは四丁目のDさんという具合です。しかし、現在、転廃業が続き、AさんもBさんもCさんもいなくなってしまいました。業種の歯抜けのような状況では、集積の強みを出せず、付加価値の付けようもなくなっているということを聞きます。世界を代表する電機産業を支えてきた当地の中小企業でも同様の状況でしょう。昨年よりも経済情勢が改善しているにも関わらず、当地の失業率は7.6%と既往ピークを更新、全国10ブロックでも最も高い数値になっています。
地方においては、そもそも中小企業が多いことに加え、大企業のハード生産を受け持っていましたので、大企業がソフトの分野に付加価値を求めるようになり、また海外へ生産を移転する等設備・雇用を絞り始めると経済的に縮小を余儀なくされてきています。地域基幹産業の撤退・縮小は、その産業で働いていた人達が利用していた第三次産業の撤退・縮小も招いています。さらに、いうまでも無いことですが、公共投資や各種補助金の削減、新しい需要を生み出す若年層の人口流出が縮小に拍車をかけました。
(2)不良債権処理の進め方
以上のような実体経済の構造問題は、その裏側である金融の不良債権問題に端的に表れています。
図表8は金融庁等の発表している全国銀行の不良債権額の推移です。住宅専門金融会社、いわゆる住専の不良債権問題が露呈した1992年から、全国銀行は累計で80兆円を超える処理を行い、資本注入等の公的資金も10兆円以上投入されてきました。金融機関も不良債権処理のためにリストラも行っています(図表9)。しかし、不良債権の残高は一貫して上昇してきています。また、2001年度の中間決算と比較すると、要注意先債権や要管理先債権が増加しています。これはなぜでしょうか。図表10をみてください。これは、それぞれの決算期に発生した不良債権が、その期末の不良債権残高のうち、どの程度占めるかを表わしたものです。2001年度には3割程度でしたが、2002年度上期には約半分を占めるまでにもなっています。過去の不良債権を処理しても、足許で新しい不良債権が次々と発生しているのが現実であり、これが、不良債権の残高が減少しない理由です。
以上のような不良債権がどんどん新しく発生している現況はどのような意味を持っているのでしょうか。即ち、今まで申し上げたように、不良債権に分類されつつある先が、バブルに踊った企業から構造問題に直面している中小企業や地方の企業に広がってきているということです。不良債権の発生の原因が、バブルの後始末や景気情勢によるものに、構造問題によるものも加わっているのです。つまり、不良債権問題の解決は、個別金融機関単独の問題や金融という産業の問題のみならず、日本経済の構造問題への対応という視点をも踏まえたものでないといけないということです。
不良債権の処理は、改めて申すまでもなく、金融システム安定化のために何にも増して重要です。構造問題で悩む企業には、金融機関の融資姿勢も厳しいものとなります。中小企業金融公庫や日本商工会議所の調査をみると、地方や中小企業においては、「金利引上げや追加担保の要求等金融機関の貸出態度が厳しくなった」という回答が目立ってきています。信用リスクに見合ったリターンを設定するというのは、金融機関経営として正しい行動です。また銀行は、不良債権処理に経営資源をとられる中、モニタリングコストの高い地方・中小企業には、厳し目の融資スタンスをとらざるを得なくなっているという事情もあります。
しかし、だからといって地方や中小企業を十分な対策もなく切り捨てることは、それこそ金融機関自身の収益基盤を崩壊させることになりかねませんし、日本経済に大きな打撃を与えることにもなりかねません。中小企業は、全企業数の99%、雇用者数で78%、そして付加価値ベースでは日本の全産業の半分以上を占めています。不良債権処理は、日本経済が自律的な成長軌道に乗るための必要条件ではありますが十分条件ではありません。その背後にある構造問題に配慮しないで処理を進めることは、先程申上げたように、デフレスパイラルのリスクを伴うことになります。
それでは、構造問題を踏まえた不良債権処理とは何なのか?私は、再生という視点を持つことと考えます。具体的に中小企業の視点に立てば、構造問題に悩む中小企業への資金の流れを滞らせないこと、そして再生の陰には必ず淘汰が必要ですが、その傷みを受け止めるためのセーフティネットを完備することです。
今般発表された金融再生プログラムの中の不良債権処理の基本的な考え方、即ち、「資産査定を厳格に、かつタイムリーに行う→査定の結果によってきちんと引当金を積む→同時に自己資本を実質的に強化→これらを通じて自己資本不足となる銀行に公的資本を注入」は基本的に正しいと思います。現在ある不良債権に対する備えはきちんと行うべきです。図表11は大手金融機関の自己資本を示したものです。資本金等の中核的な自己資本——これを金融業界ではTier1といっていますが——を詳細にみると、半分近くは、将来の利益に対する税金の還付見合いとした繰延税金資産、返済を前提とした公的資金が占めており、自らの資本は脆弱であることがわかります。収益力を高めて資本を強化しなければならないのです。「今般の不良債権処理案は結局骨抜きになった」という人も居ますが、私はそうは思いません。確かに、繰延税金資産の資本計上の制限は引き続き検討課題とされましたが、全体としては強力な効果を発揮し得るものと思っています。ただ、強力な道具であるだけに、使い方を誤ると、日本経済に壊滅的な打撃を与えかねないと思います。と同時に、正しい使い方をしないと、実質的に有効な不良債権処理が行われなくなる惧れもあると思います。
いくつか問題となる点に触れてみたいと思います。例えば、資産査定を厳格に行う方法として、信用リスクを加味したディスカンウント・キャッシュ・フロー法(以下「DCF法」)を基礎とすることがあげられています。金融再生プログラムが発表されて以来、DCF法が必要な引当額を計算するに正確無比な精緻な方法として受け止められている議論が多いように思いますが、効用と限界を認識しておく必要があるでしょう。短期をロールオーバーする一般運転資金貸出や中小企業融資などへ集団的に適用することには色々な前提を置かねばなりません。米国会計ルールの考え方は、原則として、いわゆるrestructured loanの条件緩和や財務内容の悪化によって毀損された、または毀損される可能性のあるキャッシュ・フローの総和の現在価値と、帳簿上の貸出額の差を減損として認識するものです。DCF法の日本での定義をどう決めるかの問題ではありますが、いずれにしてもDCF法が万能というわけではなく、また適切な使い方をしないと、却って恣意性が残る懸念があるということです。明年1月までに公認会計士協会の指針がでると聞いていますが、適用すべき融資と方法について日本の実情に即した明確なガイドラインが望まれます。
「繰延税金資産の自己資本への算入を単純に米国並みに厳しくする」というのも問題があります。米国では、自己資本比率上、算入を制限しています。しかし、米国では、不良資産に対する無税直接償却を前広に認める一方で、繰延税金資産の繰入れが厳しいのであって、有税での引当が多い日本とは、そもそも扱いが異なります。米国では、無税となるのは原則直接償却が対象です。一方、日本の場合、実質破綻先はバランスシートから落しますが、有税の扱いが多く、税制面で無税償却が非常に制限されていることも考慮すべきです。もともと、厳しい税制の中で銀行の不良債権処理を積極的に進めさせるために、税効果会計を導入したという経緯もあり、繰延税金資産がある程度積み上がるのは避けられない面もあります。これを単純・一律に圧縮させることは、一時的にせよ信用収縮を招く可能性があります。もちろん、繰延税金資産の計上はゴーイング・コンサーンを前提として考えますので、狭義の自己資本の中でこれが極めて大きな比率を占めることは問題ですが、あくまで税制とあわせて、計上の方法や限度を考えていく必要があると思います。
また、不良債権の把握と引当および自己資本の問題に共通して言えることですが、今後、借り手の再建可能性をどのように見極めていくのかが重要です。具体的には、経営再建・支援を行っている要管理先債権をどう扱っていくかが大きな問題であると思います。要管理先債権の処理について、「○年以内に不良債権残高を一定割合まで減らす」という期限を余り厳格に強制すると、要管理先を正常先に引上げる、即ち、企業再生に時間をかけるよりも、「むしろ破綻懸念先以下に落として個別償却で繰延資産を実現する」という動きが強まらないか懸念があります。折りから、2006年に始まる新BIS規制のもとで要管理先債権のリスクウェイトが上昇します。要管理先債権には、構造問題に直面する中小企業が多く含まれます。金融機関は、こうした現状を踏まえ、借手企業の実情を踏まえて肌目細かな対応が必要と思います。また、若干視点が異なりますが、中小企業の決済機能を守ることも必須です。現在国会で審議されているとおり、仮に取引先の銀行が破綻した場合であっても、破綻先金融機関と決めていた資金繰りや取引先との決済が予定どおり行われる等、決済機能のセーフティネットを整備すべきです。
以上、不良債権処理の問題と金融システム安定化の問題について述べさせて頂きましたが、企業や産業再生のための施策が不良債権処理と並んで極めて重要であることは前に申し上げたとおりです。この問題については、より広い意味で構造調整を進めるための公的な対応が欠かせません。現在、政府で検討されている「産業再生機構」(仮称)はクリアすべき多くの問題を残していますが、不良債権処理の加速と併せ、日本経済再生のための車の両輪の一つとしてうまく機能させれば、強力な効果を発揮すると思います。重要なことは、官としての介入はできるだけ小さくし、メインバンクの機能を十分に活用して市場メカニズムの働きをうまく組み込む工夫と、モラルハザードを防ぎつつも、必要な公的資金の投入は思い切って行うことではないでしょうか。逐次投入で効果の上がらない政策を続けるのではなく、思い切った対応により生まれる強いモーメンタムを活用すべきと思います。なお、この組織で行うにせよ、あるいは別の組織を作るにせよ、中小企業の再生に係る資金供給の円滑化についても、何らかの具体的な公的対応が必要ではないでしょうか。加えて、新規創業を促し非効率企業の転廃業を促進する制度や税制の導入も検討すべきと思います。幸いにして補正予算の検討が始まっていますが、規模、配分や内容において実体的に効果が十分に出るものを期待しています。
「担保はないがやる気はある」、「30年間の丁稚奉公の実績を活かしてのれん分けを受ける」という中小企業が資金調達可能であったのは、「店主の顔色をみれば、その店の経営状況がわかる」という中小金融機関の存在が大きかったといえます。中小金融機関の整理淘汰が進む中、こうした判断能力がだんだんと失われていくのではないかと心配です。新規創業を促すためには、公的機関が、担保や信用を補完してやる制度を強化せねばなりません。現在、売掛金債権担保融資や売掛金債権の流動化など中小企業の金融の円滑化に向けて、国レベル、地方自治体レベルで様々な努力が行われていますが、まだ必ずしも十分とは言えない状態と思います。また、地方に産業を興し若年層の流入を促す、地方活性化のための構造改革、例えば構造改革特区の導入も早急に実現されるべきでしょう。さらに、中小企業や地方が構造問題を克服する過程では、当然、一定の企業淘汰は避けられません。失業保険の手当、雇用機会の提供等、構造調整促進型のセーフティネットを充実させるべきです。そして、このために財政支出が必要であれば躊躇する余裕はないのではないでしょうか。
こうした中、日本銀行も、民間経済主体の活動を支える信用秩序を維持、金融システムを安定化するための方策を検討していきます。特に、不良債権処理の加速化を進める中で、日銀がどのようにこれに貢献していけるか、積極的に考えていきたいと思います。この点について、「日銀が預金保険機構に資金を拠出したらどうか」と提言される方がいます。しかし、この意見には誤解があります。日本銀行が預金保険機構に対して貸し付けを行える仕組みは既に整えられています。政府保証の付いた預金保険機構は、極めて低利で市中から資金調達ができているため、日銀から資金調達するインセンティブに乏しいのです。
もちろん、日銀として、採り得るギリギリの政策は考えていく所存です。先般決定した金融機関からの株式買取りは、正にこのためのものでした。株式買取りは景気浮揚を狙ったものではありません。信用秩序の維持、金融機関と民間経済主体間の取引の裏付けになっている金融システム、この安定を図ることを狙ったものです。銀行の自己資本が脆弱となっている中で株価の変動リスクに晒されていては、金融機関が十分な信用を民間の経済主体に与えられない可能性がありました。金融システムの安定は、民間経済主体の取引のインフラですので、経済の自律的な回復の前提条件となります。そこで、金融機関を株価変動リスクからフリーにすることが必要であると判断したわけです。その他、今後の処理加速の過程で円滑かつ安定した企業金融の環境作りにおいても、日銀として弾力的な担保政策等を通じ貢献していくことも可能と思います。
4.最後に
以上、景気の現状、先行きどのようなリスクが有り得るのか、構造問題、不良債権処理の背景、そして政策として何をしなければならないのかお話しさせて頂きました。
これらは最終的にどのような経済システムを意味しているのでしょうか。それは、日本経済がストックから果実を得る経済に生まれ変わらねばならないということでないかと思います。今日の日本経済の苦境を一言で申し上げれば、ストック経済に対応できていないということではないでしょうか。日本経済は、高度成長期に主に製造業を通じて蓄積した人、設備、富を未だ十分にマネージできていません。よく、海外の格付機関による国債の格下げの可能性に対して、「日本は1兆ドルを超える対外債権、1,400兆円にのぼる国民貯蓄があるから大丈夫だ」とおっしゃる方がいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。市場が日本経済を見る目は、「何があるのか」ではなく、「それをどのように使おうとしているのか」ということです。対外債権や国民貯蓄は将来世代に果実を産み出すために、有効に使われているのでしょうか。1,400兆円にのぼる国民貯蓄は前向きの投資に使われることなく退蔵されています。これが、ストック経済に対応できていないということです。もちろん、バブル以来の水脹れしたストック、キャッシュ・フローを生まない資産も未だ残っています。1,400兆円にのぼる国民貯蓄を有効利用すると同時に、これを早く切り落さねばなりません。それは、正に不良債権処理であり、産業再生なのです。
景気が足踏み状態となる中で、日本経済は構造調整と不良債権処理を行いながら、そのデフレインパクトを最小化し、自律的な景気回復過程にのせていかねばなりません。矛盾したことを同時に行わねばならないのです。その時点毎で政策にプライオリティを与え、スピードをある時は速め、あるときは遅らせるという難しい作業をやらねばなりません。
ただ、底流に流れるものとして、ストック経済をフロー経済に活かす、またフロー経済をストック経済に活かすというシステムを構築することが求められています。産業再生を通じた不良債権処理の促進は、ストック経済をフロー経済に活かすことになります。ストック経済を源泉として稼がれたフローは、やがてまたストックとしての富を増大させるでしょう。進むべき最終的な目標はみえていると思います。「神の見えざる手」で有名なアダム・スミスは、その著作「諸国民の富」の中で、「個人が努力し、競争し、そして最終的に豊かになるのは個人」という経済を理想としています。企業・家計が、「構造改革のための長い時間や傷みは最終的に自らの益となる」と考え、自らのストックを用い、安心して将来の果実を生み出す経済活動を行える、こうした経済構造を作り上げることが必要と考えます。
私の申し上げたかったことは以上です。ご清聴有難うございました。
以上