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企業金融を考える
福島県金融経済懇談会における須田審議委員挨拶要旨
2002年12月2日
日本銀行
(日本銀行から)
[目次]
1.はじめに
日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、正副総裁、および政策委員会審議委員、いわゆるボードメンバーが、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策に反映させるように努めています。本日は、福島県の各地から各界を代表する皆様方にご多忙のなかをお集まり頂き、親しくお話しする機会が得られましたことを誠にありがたく存じます。また、日頃、私どもの福島支店が大変にお世話になっています。重ねてお礼申し上げます。
本日、私からは、企業金融の円滑化という側面から金融政策運営を改めて評価させて頂いた後、企業金融を巡る環境について日頃考えていることをお話しさせて頂きます。その後で、皆様方から当地の実情に即したお話や忌憚のないご意見を承りたいと存じます。
2.量的緩和政策と企業金融の円滑化
日本銀行は、昨年3月以降、「量的緩和」と呼ばれている金融政策運営を続けています。最近、その基本的な内容や期待される効果などに関する私の個人的な考え方を詳しく説明する機会がありましたので、先日、その内容を取りまとめて公表致しました。本日、その資料をお配り申し上げましたので、金融政策運営全般についての見方はこの資料を参考にして頂ければ幸いです。以下では、最初に、量的緩和政策の評価を企業金融の円滑化という観点からお話しさせて頂きます。
一般的に、金融システムに対する信認が十分に確立されていない状況のもとで、万が一金融システム不安を高めるショックが発生しますと、金融機関などが手元の資金を多めに確保する動きがみられるようになります。この結果、企業金融の逼迫などが起こり、経済活動が錐揉み的に落ち込んでいく(デフレ・スパイラルに陥る)可能性があると考えられています。
日本銀行は、金融機関などの資金繰り不安を起点とするこのような悪循環を何としても回避するという強い意思を持って金融政策を運営しています。金融機関などの資金需要を徹底的に満たすため、短期金融市場の動きに細心の注意を払い、様々な工夫を重ねながら金融調節を行っています。
具体的には、金融機関などの資金需要の基調的な増加に対しては、機動的に資金供給の目標額を引き上げてきました。10月30日の金融政策決定会合では、日銀当座預金残高を従来の「10~15兆円程度」から「15~20兆円程度」に引き上げることを決め、さらに直近の11月18、19日の会合では、「(15~20兆円程度という)レンジの上限の20兆円程度を目途に、できるだけ高い水準を目指す」という認識を共有しました。さらに、資金需要の一時的な増加に対しては、「なお書き」を活用して、日銀当座預金残高の目標にかかわらず、必要とされる資金を臨機応変に供給して参りました。このようにして、金融システム不安の高まりが短期金融市場金利の上昇や不安定な動きに繋がらないように努めています。
経済学者などは、日本銀行の金融政策運営について、日銀当座預金残高の数字に注目して議論することが多いようにみられます。しかし、金融機関の資金繰りに対する不安を未然に抑えるという実務的な観点からみますと、供給される資金の「量」だけではなく、それがどの程度の「期間」のものなのかが非常に重要になってきます。この点においても、日本銀行は非常にきめ細かく対応しています。
例えば、最近、わが国の株価は、政府による不良債権処理加速策の具体的な内容や金融機関の対応などを見極めたいとする気分が強い中で、内外経済を巡る不透明感の高まりなどを背景に、大きく下落しました。株価の下落は、金融機関が保有する株式の価格変動などを通じて金融市場や金融システムの不安定化に波及する惧れがあります。こうした中で、金融機関が「なるべく長い期間の資金をできるだけ多く確保したい」という思いを強めていることを踏まえ、金融機関に対して資金を融通する期間を延ばしました。具体的には、資金供給手段の一つである手形(オペ対象先が自らを振出人、受取人および支払人として振り出した為替手形)の買入れについて、従来は満期日が3か月以内に到来する手形を対象にしていましたが、昨年5月に「6か月以内」に変更し、さらに今年10月30日の会合で「1年以内」に延ばしました。
このように金融調節において様々な工夫を重ねていることにより、短期金融市場の金利はほぼ極限まで低下し、また、中長期ゾーンの金利もかなり低下しています。さらに、昨年来、米国テロ事件が発生したり、株価が大幅に下落するなど、金融市場に強いストレスが掛かる局面がありましたが、金利の上昇は総じて限定的なものに止まり、企業の資金調達コストが上昇するという事態は回避されています。
また、金融政策の領域とは異なりますが、「信用秩序の維持」という日本銀行の目的を踏まえ、金融機関が保有株式の価格変動リスクを軽減するための受け皿を提供するため、その買取りを決定しました。「株価対策ではないか」といった誤解も一部にみられましたが、そういうことではなく、株価の下落が金融機関の経営体力の低下を通じて金融システムの安定を脅かすという道筋を断ち切る必要があるという考え方に基づいた措置です。先週11月29日から買入れの申込みの受付を開始しました。
こうした中で、先般、政府は、主要行の不良債権処理の加速のための施策を「金融再生プログラム」として取りまとめ、先週末には「作業工程表」を公表しました。今後、不良債権処理が具体的にどのように進められ、それが実体経済にどのように影響するかについては、一段と注意深くみていく必要があります。
私なりに考えを巡らせますと、短期的には、次のような2つの経路を通じた影響が思い浮かびます。第1に、実質的な最終処理の対象になる企業を中心に、厳しい再生策を採らざるを得なくなる企業や倒産に追い込まれる企業が増加する可能性があります。その分、設備投資が減少するほか、雇用者所得の減少を通じて個人消費に対する下押し圧力も強まることになります。
第2に、1997~1998年に金融システム不安が高まった局面でみられたように、主要行が、自己資本に対する制約の強まりを強く意識して、貸出をはじめとする資産を圧縮する動きを強めることも考えられます。
あくまでわが国経済全体に対するマクロ的な影響という観点に限ってみますと、今後の不良債権処理策が短期的なデフレ・インパクトを持つ度合いについては、不良債権処理の規模やスピードそのものよりも、企業金融が全体としてどの程度制約されることになるのかが重要なポイントであると思います。したがって、そうした事態を何としても回避することが極めて重要な政策課題であるということになります。
ただし、現在の企業金融を巡る環境については、1997~1998年当時とかなり異なる面があることは指摘できると思います。
一つは、企業部門全体の貯蓄・投資バランスの違いです(図表1)。当時は、企業部門では、投資と貯蓄(内部資金)が概ねバランスしていました。このため、信用収縮が起こりますと、直ちに資金逼迫を招き易い状況でした。これに対して、今日、企業部門の貯蓄・投資バランスをみますと、収益が回復する中で設備投資が抑制されているため、大幅な貯蓄超過となっています。これは、企業が、収益が回復しても債務の返済を優先するなど、財務体質の改善・強化を図る防衛的な動きを強めている結果です。また、財務内容と設備投資の関係を業種・規模別にみますと(図表2)、97~98年当時は、非製造業中小企業に属するセクターを中心とした債務比率の高いセクターでも、キャッシュ・フローに対する設備投資の比率は総じて高めでした。他方、最近では、こうしたセクターは、キャッシュ・フローをかなり下回る水準に設備投資を抑制しています。さらに財務状況が良いセクターまでも、設備投資をキャッシュ・フローに比べて抑制している先が少なからずみられます。
次に、金融機関の資金繰りを巡る環境も大きく異なります。先ほどご説明したとおり、今日では、金融・資本市場における資金余剰感は非常に強まっており、金融機関が流動性制約に直面する惧れは小さくなっています。日本銀行では、まさに金融機関が資金繰りについての不安感を強めることがないように、金融政策を運営している次第です。
こうしたポイントなどを踏まえますと、不良債権処理が加速された場合、あくまで97~98年当時との比較に過ぎませんが、実体経済に対するマイナスの影響に対する「糊代」があると申し上げても差し支えないように思います。実際に、こうした事情もあって、中小企業からみた金融機関の貸出態度についても、各種アンケート調査をみる限り、今のところ、著しく悪化している訳ではありません(図表3−1)。
しかし、不良債権処理が実体経済に及ぼす短期的なマイナス効果の大きさは、例えば対象となる債務者の範囲、金融機関の取引や付利の方針、企業再生努力の成果などによって変わります。さらに、短期的なマイナス効果をどの程度緩和することができるかという点では、企業金融面や雇用面などにおいて、どのようなセーフティ・ネットが整備され、それがどのように機能するかが重要なポイントになります。
日本銀行としても、株価の低迷や不良債権処理の加速が、健全な企業の資金調達に影響を及ぼし、企業金融全般の引き締まりに結び付くといったリスクについて、十分注意していく必要があると認識しています1。そして、そうしたリスクが顕現化する可能性をできるだけ抑え込むため、中央銀行としてどのような方策を採ることができるのか、という点を検討しているところです。こうした観点を含め、今後とも引き続き、経済をできるだけ早期に持続的な成長軌道に復帰させ、物価がマイナス基調から脱却できる状況を実現するため、中央銀行としてなし得る最大限の努力を続けていく方針です。
- 1図表3−2をみますと、ごく最近では、金融機関の貸出態度を「厳しい」とみる企業の割合が徐々に増加しています。この点は、信用力が相対的に低い企業に対する貸出態度が一段と厳しくなっていることを示唆している可能性があります。
3.企業金融を巡る環境の改革
次に、企業金融を巡る環境、すなわち金融システムの改革という大きなテーマを取り上げたいと思います。
3.1なぜ財務体質の改善・強化が強く意識されているのか
金融論の入門書を開きますと、「企業は、事業の規模を拡大し、また新規の事業分野に進出するために、貯蓄を上回る投資を行う結果、資金不足主体になる。企業とは、本来、投資を専門的に行うために形成されたといっても過言ではない。他方、家計は、十分な貯蓄を持っているが、有望な投資のチャンスとそれを実行する能力はない。通常、家計は貯蓄に専念している。こうした貯蓄と投資の分業が成り立つためには、信用仲介機能が十分に働くことが必要不可欠である」と説明されています。私も、大学の授業で、そのように教えてきました。
わが国の企業部門をみますと、先ほど指摘したとおり、98年頃から、収益に比べ設備投資が抑制されているため、貯蓄・投資バランスは大幅な資金余剰となっています。やや古い資料で恐縮ですが、内閣府のアンケート調査で、本年初時点における上場企業の債務水準に関する認識をみますと、バブル崩壊の影響が相対的に小さいとみられる製造業でも、約半数の企業が「債務は過剰である」という認識を示しています。実際に、財務格付けの低い企業を中心に、収益が回復しても投資より債務の返済を優先するなど、財務体質の改善を図る防衛的な動きが強まっています。そして、こうした動きが設備投資、ひいては景気全体の立ち上がりを鈍くしています。
では、財務体質の改善・強化がこれほど強く意識されている理由は何でしょうか。
一つには、製造業も含めて、含み資産を当てにすることが難しくなってきたことが指摘できます。しかし、より本質的な理由としては、最近、わが国企業の負債に対する認識が大きく変化していることが挙げられると思います2。すなわち、従来、借入金が多い場合でも、「返す必要のない借金」であり、また、「担保さえあれば、メインバンクは幾らでも追加で貸してくれる」、「返済しても、満期が来ても、またすぐに借りることができる」という意識が強かったのではないでしょうか。要するに、わが国企業の負債は極めて資本性が強い性格を有していたように思います。しかし、今日、金融機関と企業との取引関係が大きく変化する中で、この資本性という概念が急速に薄れてきています。
実際に、企業の資金調達コストがどうなるか、および、必要な資金を円滑に調達できるかという点について、企業の信用力についての評価が影響する度合いが強まっています。例えば、中小企業庁「企業資金調達環境実態調査」(2001年12月)をみますと、自己資本比率や債務償還年数で表わされる財務状況が良好なほど、低い金利で、円滑に資金を調達できる——借入れを申し込んだ時に拒絶・減額される可能性が小さくなる——という傾向がみられます。これと裏返しですが、最近、金融機関の貸出姿勢については、企業の信用力を慎重に見極めながら、信用力の高い先に対しては積極的な姿勢を続ける一方、信用力が相対的に低い先に対しては利鞘や担保設定などの貸出条件を厳格化するという姿勢がみられます。また、資本市場でも、社債・CPの発行金利は、格付けが高い企業では低い水準にありますが、格付け間の金利格差は高めの水準で推移しています。こうした現象を踏まえて、「企業の資金調達環境は二極化している」という指摘がしばしばみられます。
こうした中で、企業は、「一刻も早く負債を返さなければならない」と考え、他方、金融機関や投資家は、「負債の大きいところは信用リスクが高い」という見方を持つようになっています。特に、今日では、金融システムに対する不安感が拭い切れないこともあり、「今設備投資しても、将来、その返済期日頃に金融システムの状況が不透明で、悪くすると、銀行借入れや社債などのロール・オーバーが困難化するかも知れない」といった懸念が根強いのではないかと感じます。ここ数年間に格付けが引き下げられた企業が少なくありませんが、こうした企業を中心に、97~98年の金融ショックの経験を踏まえ高い格付けに戻ることの重要性が強く意識されているように思います。
- 2わが国企業の負債に対する認識の変化については、高田・香月「社債の信用分析と投資戦略」(『クレジットリスク——債券ポートフォリオの管理と投資戦略』、2002年7月5日、社団法人日本証券アナリスト協会主催第2回夏期SAAJセミナー)を参照しました。
3.2企業は資金調達環境に断層があると意識しているのではないか
財務体質をできるだけ良くすること自体は、基本的に世界中の企業に共通する経営課題の一つでしょう。わが国の企業金融の特徴点、あるいは問題点は、成長の源泉である設備投資をかなり抑えて、債務返済を最優先にしていることです。確かに、キャッシュ・フローのうち設備投資に振り向けられる比率は、期待成長率の低下に伴い趨勢的に低下する傾向にありますが、それにしても最近のわが国の企業部門における貯蓄超過の程度はとりわけ顕著です。そこで、こうした防衛的に行動する企業の深層心理を探りたいと思います。
通常、商品を購入する場合、適正な「価格(対価)」を支払えば、基本的には望む「量」を確保することができます。例えば、100円で駄目ならば101円、それでも駄目ならば102円というぐあいに買入希望価格を徐々に引き上げていけば、どこかで折り合いはつくでしょう。要するに、価格と量の関係は一つの連続する線で描くことができると考えられます。ところが、現在、わが国では、企業が資金を調達しようとする場合、“価格”の交渉を始める前に、“商品”も“売り手”も突然姿を消してしまうという、いわば不連続な状況に直面する可能性があるというのが実情ではないでしょうか。
実際に、わが国の社債市場を米国と比較しますと(今年10月末現在)、日本の社債発行では、格付機関からBBB以上の格付け(investment grade)を取得している企業が99.99%を占めています。これに対して、米国では、BBやBといった相対的に低い格付け(non-investment grade)を付されている企業の社債発行額が全体の約15%を占めています(図表4)。すなわち、米国では、こうした低い格付けが付されている企業について、「信用力が低い」というよりも、むしろ「今後企業価値を高めていくことが期待できる」と認識されているように思います。これに対して、わが国では、昨年秋以降にもみられましたように、株価が大幅に下落する局面などでは、格付けの低い企業が社債やCPを発行することが困難になるというのが実情です。
また、金融機関からの借入れについても、これと似たような状況に直面している可能性があります。現在、金融機関の自己査定およびこれに基づく引当の実務は、各金融機関が、一定の基準に基づいて債務者をグループ——破綻先、実質破綻先、破綻懸念先、要注意先、正常先——に分け、各グループに応じて所要額を引き当てるという方法が一般的です。こうした方法は、企業会計原則や金融検査マニュアルでも認められている適正なものです。しかし、企業からみた金融機関の貸出態度と債務者区分の関係について、「正常先から要注意先へ、また要注意先の中でも、その他要注意先から要管理先へと格下げされると、急に金融機関の敷居が高くなる、あるいは門戸が閉ざされる」という声を耳にすることが少なくありません。
このように考えますと、企業の資金調達環境については、先ほど、「二極化している」という指摘があると申し上げましたが、実は、貸出条件の交渉さえできず、そのためにイノベーションの芽が摘まれている企業がこのほかに存在している可能性があるように思います。すなわち、企業金融は二極化というよりも、むしろ三極化しているのかも知れません。非常に極端な喩えかも知れませんが、現在の企業金融を巡る環境について、「あたかも断崖を背にして立っているようなものであり、半歩も後には退けない」と、緊張感を強めている企業経営者が少なくないのではないか、と思います。このため、多くの企業が、たとえ収益が回復しても債務の返済を優先するなど、財務体質の改善・強化を図る動きを強めており、ひいては設備投資の立ち上がりが鈍くなっている可能性があります。
企業が、設備投資を抑制して、債務の返済を優先するといった状況が続きますと、グローバルに、技術革新や知識のイノベーションを軸にして、付加価値の創出を競い合うことは展望できません。イノベーションに期待できなければ、わが国の潜在成長率の低下は避けられません。したがって、わが国の企業が、そして、日本経済が、世界の中で勝ち抜いていくためには、前向きな企業行動が金融面から十分にサポートされる構造に改革することが不可欠です。
3.3「量」を確保するためには適正な「価格」の認識が必要
こうした見方を申し上げますと、「今日、中小企業を中心に、『将来、金融機関の貸し渋り・貸し剥しを受けるのではないか』という不安が根強い。金融機関が貸し渋りを行うのは、不良債権の要処理額が残り、自己資本の制約を強く意識せざるを得ないためである。したがって、円滑な企業金融を確保するためにも不良債権の抜本処理をできるだけ急ぐべきである」という反応が返ってくることがあります。
確かに、不良債権問題は、持続的な経済成長のための金融的な基盤を整備・強化するために、どうしても乗り越えなければならない課題です。不良債権問題の解決に向けた取り組みは、金融システムの安定や機能強化に資することが期待されます。しかし、不良債権問題が解決したとしても、それだけで信用仲介機能が十分に発揮されるようになる訳ではないということをきちんと認識することが必要です。言い換えますと、信用仲介機能を回復するためには、不良債権問題の解決は必要条件であるが十分条件ではない、と考えられます。
大いに議論があり得ると思いますが、私は、わが国の金融の仕組みや金融システムの改革の方向性として、企業が自らの信用力などに見合う対価を負担すれば、必要な資金を円滑に調達できる金融システム——価格メカニズムを通じて、資金の出し手と取り手が結び付けられる金融システム——を実現することが極めて重要である、と考えています。そして、こうした金融システムを実現するためには、貸し手である金融業界、借り手である産業界とも、金融取引において適正な対価を見極めることの重要性を強く認識する必要があります。今日、「量」の確保の問題ばかりが注目されますが、実は、「価格」が十分に認識されていないことに真の原因があるのではないでしょうか。
貸し手の課題
まず、貸し手である金融機関の現状と課題を考えます。
そもそも、金融機関の本質的な役割は、資金の提供者(例えば、家計)に代わって、(1)資金調達を希望する企業の投資計画や投資能力などを評価し、また、(2)資金を融通した後、企業が当初の約定内容にかなった行動をとっているかどうかをモニターすることにあります。一言で言えば、借り手の情報を収集・分析するという意味で、情報を生産する機能、すなわち情報生産機能ということになります。本来、金融機関の貸出という機能は、この情報生産機能と、信用リスクの負担、および、資金の提供という機能が一つに結び付いたものであると考えられます。
こうした観点からみますと、担保・保証に過度に依存した貸出には、情報生産機能が十分に発揮されず、企業の信用リスクを明示的に把握できていないまま、信用リスクを負っているケースが少なからず見受けられるように思います。
そして、情報生産機能が必ずしも十分には働いていなかったことが、今日の不良債権問題の一つの背景であると思います3。本来、不良債権とは、その経済価値が目減りし、簿価を下回った貸付債権(貸出)——リスクに応じたリターンをとれていない債権——であると考えられます。そして、貸出の経済価値が減価していれば、それに対して適切に引き当てることが不良債権処理の出発点であるということになります。こうした貸出の経済価値の継続的な把握とそれに基づく適切な対応は、情報生産機能の重要な要素であり、従来、それが必ずしも十分ではなかった可能性は否めないと思います。
貸出について「経済価値」とか「簿価」といいますと、やや唐突な印象をお持ちになるかも知れません。そこで、金融市場で日々取引されている債券を思い浮かべて下さい。債券の現在価値(時価)は、基本的に将来のキャッシュ・フローの割引現在価値の和として求められます。では、企業価値は如何でしょうか。そもそも、企業とは、「業」を「企」てる存在です。企業の価値とは、基本的に「業」そのものが生み出すキャッシュ・フローにのみ依存すると考えられます。そして、理論的には、貸出の経済価値(時価)も、そこから得ることができると予想されるキャッシュ・フローの割引現在価値の和であると考えることができます。さらに申し添えますと、平成17年度から導入が予定されている固定資産の減損会計においても、企業が所有する生産設備などの固定資産の価値を、将来それがどれだけのキャッシュ・フローを生み出すかという観点から評価するという手法が採り入れられています。
只今申し上げた考え方に基づいて貸出の経済価値を認識する方法が、ディスカウント・キャッシュ・フロー法(DCF法)と呼ばれるものです。最近、ディスカウント・キャッシュ・フロー法という言葉が独り歩きして、「不良債権処理を促進するための秘密兵器」などと誤解されているように感じることもあります。しかし、只今申し上げましたとおり、この考え方自体は、不良債権処理を加速するために新たに考え出された訳ではありません。
今後、金融機関が情報生産機能を高め、取引先企業の経済価値、あるいは貸出の「時価」を適切に把握できるようになるためには、各種の金融技術に関する高度の専門性を身に付け、また、取引先企業の潜在的な経済価値を顕現化させるために一緒に問題解決に取り組むことが一段と必要になると思います。
- 3不良債権の経済価値についての考え方は、日本銀行「不良債権問題の基本的考え方」(2002年10月)を参照して下さい。
借り手の課題
他方、企業としては、必要な資金を円滑に調達して、新たな価値を生み出していくためには、財務戦略が一段と重要になります。今後、一段と、金融機関、投資家、債権者などによって形成される企業価値の評価が、金利、株価、格付けなどを媒介にして、企業の行動を規定するようになります。そこで、金融・資本市場を通じた企業価値の評価が厳格に行われるようになる中で、効率的な資金調達(例えば、株式、社債、金融機関借入れを適切に組み合わせることや、必要最低限のキャッシュ・フローを確保することなど)を行うためには、資本コストを正しく理解することが不可欠になります。資本コストとは、資本を提供する者が、「最低でもこれだけは期待したい」と考える収益率です。したがって、これを上回る収益率を実現してはじめて企業の価値を高めることができる訳です。この点を十分明確に意識したうえで、事業計画を策定する必要があるでしょう。
例えば、最近、金融機関では、企業の信用リスクに対する評価を貸出金利に反映させる取り組みを本格化しています。企業の目には、「金融機関の貸出態度の厳格化」と映る動きでしょう。しかし、貸出の適正な「価格」が形成されていない限り、マクロ的には十分な資金があるにも拘らず、「量」の確保が覚束なくなるという事態が起こり得ることを借り手も十分に認識する必要があります。
以上、貸出をはじめとする金融取引において適正な価格を見極めることの意義についてお話しさせて頂きました。このように考えて参りますと、企業金融の問題は、貸出であろうと、社債・CPであろうと、あるいは株式であろうと、基本的には企業が将来生み出すと期待されるキャッシュ・フローとそれが実現する不確実性、言い換えればリターンとリスクを誰がどのように負担するか、という問題として捉えることができるように思います。
仮に、貸し手・借り手双方が貸出(借入)の経済価値を適切に認識できる状況が実現すれば、借り手は適正な対価を負担すれば必要な資金を確保できるようになります。さらに、貸出の経済価値が正しく認識され、必要な引当が講じられるようになれば、不良債権はもとより、貸出債権全般について、金融機関が貸出債権を流動化し、機関投資家などに信用リスクを移転することが容易になると期待されます。
3.4中小企業売掛債権の証券化の拡充を期待して4
- 4中小企業の売掛債権流動化については、清水・稲村・西崎「ABCP市場拡大に向けた取組み——中小企業金融の円滑化と証券化ビジネスの拡大——」(日本銀行金融市場局マーケット・レビュー、2002-J-4)、日本銀行金融市場局金融市場課市場企画グループ「中小企業売掛債権の証券化に関する勉強会報告書」(金融市場局ワーキングペーパーシリーズ、2002-J-6)、経済産業省中小企業庁事業環境部中小企業債権流動化研究会「債権の流動化等による中小企業の資金調達の円滑化について」(2001年3月)を参照して下さい。
企業金融を巡る環境について縷々申し上げました。話の締め括りとしまして、中小企業金融の今後の課題という観点から、具体的な話題を取り上げます。それは、売掛債権の証券化です(具体的なスキーム図は図表5を参照して下さい)。売掛債権の証券化が持つ意義などを整理しますと次のとおりです。
第1に、売掛債権は、企業間で商品等を売買する際に、将来、買手が売手に対して支払う代金を得る権利の総称であり、事業が継続する限り定期的に発生します。そこで、中小企業が運転資金を調達する方法として売掛債権を証券化することができれば、企業の資金調達チャネルは多様化する筈です。
第2に、売掛債権の証券化には、中小企業の企業価値が変動するリスクを、従来のように金融機関に集中させるのではなく、より広い範囲の経済主体が分散して負担することにより、経済全体としてストレスに対する抵抗力を高めるという意義があります。
第3に、金融機関は、売掛債権の証券化の過程をサポートするために審査や保証などの機能を提供することで手数料収入を得ることになるでしょう。金融機関には、借り手に関する情報を収集・分析し、それを証券の発行条件や付随の情報に具体的なかたちで投資家に伝えることにより、投資家と借り手との情報の非対称性を解消する機能を発揮することが求められます。やや大袈裟に聞こえるかも知れませんが、このような取り組みは、金融機関が、従来の「受け入れた預金を転貸することにより利鞘を稼ぐ業務」から「情報サービス業者として手数料を稼ぐ業務」へとビジネスモデルを転換していくうえで重要な第一歩になるのではないか、とも思います。
第4に、売掛債権の証券化を進めるためには、公的金融機関にも新たな役割が期待されます。従来、政策金融は、中小企業に対して直接貸出を行ったり、民間金融機関の融資に対する全額保証を行うなど、中小企業金融をサポートしてきましたが、売掛債権の証券化においては、証券化商品に対する部分保証や一部引受という、新たな信用補完機能を発揮することが期待されます。さらに、部分保証ないし一部引受とすることにより、財政資金を効率的に使うことができるようになると思います。
このように申し上げますと、「売掛債権の証券化は良いことずくめであり、何故もっと広く活用されていないのか」という疑問が浮かぶかも知れません。確かに、只今申し上げたようにメリットが大きいと思いますが、克服すべき課題が少なくないのも実情です。そこで、特に重要であると思うことを整理して申し上げます。
第1に、売掛債権の譲渡が企業の正常な資金調達方法の一つとして正しく認知されることが非常に重要です。
売掛債権による資金調達において不可欠なことは債権譲渡です。売掛債権の証券化の場合には特別目的会社(SPC)——売掛債権を保有することと、そのための資金を調達することだけを目的とする会社——に対する真正売買として、売掛債権を譲渡する必要があります。ところが、わが国では、従来、債権を担保とする資金調達が経営の危機的段階で行われる例が多かったことの影響もあって、最近でも債権譲渡を経営危機の兆しと捉える向きがあります。しかし、世界的にみても、資金調達のための債権譲渡は、先進諸国で既にかなり広い範囲で行われている取引形態です。いずれにしても、この問題は、債権譲渡が一部の者から信用不安の兆しとして短絡的に捉えられてしまうということに本質的な問題があります。
実務的には、譲渡禁止特約の取扱いが一つの焦点になります。この特約が付されていますと、売掛債権を証券化できません。売掛債権を活用した資金調達を拡充していくためには、商慣行としての債権譲渡禁止特約の解除を促がすような環境を整備することが必要です。この点、政府や自治体をはじめとする公的機関に対する債権は、中小企業が有する債権の中でも外部からみて最も信頼を得やすい債権です。既に特約の部分解除がかなり進んでいると聞いていますが、今後とも、こうした動きが一層広がることが期待されます。また、中小企業自身が、売掛債権の譲渡が企業の正常な資金調達方法の一つであることを正しく認識する必要があるように思います。
第2に、中小企業に関する公開情報が不足しているという問題があります。
最終的に市場で発行される証券化商品の信用度を投資家もしくは格付機関が評価するためには、売掛債権の原債権者である中小企業と原債務者の財務内容や取引履歴などに関するデータが蓄積され、かつ、こうした客観的な情報を信用リスクの評価のために活用できる環境が整うことが必要です。
従来、「外部に対して中小企業の経営情報を提供することは商慣行に馴染み難い」と認識されていました。これが、中小企業が資本市場にアクセスすることを困難にしてきました。しかし、今日、金融・資本市場の変化の中で、わが国企業の経営の健全性を確保するためのコーポレート・ガバナンスの仕組みは変化を迫られています。メインバンク制や株式持合いなどによって支えられてきた、閉じた、相対型のガバナンスから、広く市場に開かれ、自己責任原則が徹底した、オープンな、市場型のガバナンスという方向に変わらざるを得ないと考えられています。こうした環境変化の中では、財務情報や取引データを蓄積し、第三者による客観的な評価に耐えるものとすることが、中小企業の資金調達ルートを強固なものにするために必要不可欠な前提条件の一つであると思います。
第3に、政府系金融機関による信用補完機能を証券化商品に拡大することが必要です。
中小企業が保有する売掛債権を証券化する場合、(1)原債権者である中小企業についてリスクの判断が容易でない、(2)中小企業債権はロットが小さいため、大企業債権と比べて取引コストが嵩む、(3)債権を裏付資産とした資金調達に対する社会的な理解が必ずしも浸透していない、などの問題が存在しています。このため、民間ベースでの補完措置が自律的に定着・拡大するには、かなりの時間を要すると考えられます。そこで、中小企業債権の証券化市場の拡大を促進するためには、組成コストのうち特に大きなシェアを占める信用補完部分に対して、過渡的な施策として、証券化商品に対する部分保証や一部引受など、何らかの公的な補完措置を用意することにより高い信用力を付与することが有効であると考えられます。
今後、売掛債権の証券化の普及・拡大に向けて、資金を調達する企業、取引の組成に関与する金融機関や格付け機関、さらに公的当局などの様々な主体が、それぞれの立場から創意工夫を凝らすことにより、新たなビジネスチャンスや収益機会が生まれ、わが国の金融・資本市場がダイナミズムを取り戻す一助となっていくことが期待されています。日本銀行としても、昨年12月、売掛債権を活用した資金調達方法が大きく育つことを期待して、売掛債権を裏付とするCPも含む資産担保CP(ABCP)を金融調節の対象資産および適格担保とすることを決定しています。これは、市場を通じた資金仲介ルートを育成し、中小企業金融の活性化をはかるとともに、金融調節の円滑化などを求めています。あるいは「質的緩和」を通じて金融面から構造調整をサポートする力を一段と強めることを期待した措置です。日本銀行としては、様々なかたちで実務的なサポートに地道に取り組んでいる次第です。
以上、金融政策運営および企業金融を巡る環境について私が日頃考えていることを率直にお話しさせて頂きました。日本銀行では、本店はもとより、福島支店など全国各地の支店網を活かし、できるだけ丁寧に企業経営者の方々の声を聞き、企業金融の実態の把握にも努めています。引き続き、福島支店の活動にご理解とご協力を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。
私の話はこのくらいで止めまして、皆様方との意見交換に移らせて頂きたいと存じます。ご清聴頂きまして、誠にありがとうございました。
以上