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金融政策運営の課題

2003年度日本金融学会春季大会における福井総裁講演要旨(同学会創立60周年記念講演)

2003年 6月 1日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.量的緩和という枠組みの機能
    1. (1)金融市場調節における量的指標の採用
    2. (2)長期国債の買い入れ増額
    3. (3)消費者物価指数による金融政策のコミットメント
  3. 3.金融政策を進化させるために
    1. (1)コミットメント・スタイルの変更
    2. (2)緩和効果を行き渡らせるための方策
    3. (3)中央銀行にとっての自己資本の役割
  4. 4.おわりに

1.はじめに

 本日は、伝統ある日本金融学会でお話する機会を賜わり、誠に光栄に存じます。日本金融学会の会員である皆様方からは、常日頃、そのご研究を通じ日本銀行にとって貴重なご意見を頂戴しており、私どもは、金融政策のあり方を考えて行く上に大いに参考とさせて頂いております。まずはじめに、そのことを申し上げ、私どもに知的な刺激を与えて下さっている会員の皆様方に厚くお礼申し上げたいと思います。

 日本金融学会と日本銀行の関係は深く、1943年6月に開かれた金融学会創立総会で渋澤敬三副総裁がお話をさせて頂いたのが始まりです。その記録は今でも日本銀行のアーカイブに残っております。

 戦時体制の下、ドイツの中央銀行であるライヒスバンクに範を取った旧日本銀行法が施行されたのは、1942年のことですので、日本金融学会の創立総会は、ほぼ時を同じくして開催されたことになります。渋澤副総裁はお話の中で、「日本銀行の政策は通貨価値維持の根本方針に基づいて考案されており、それぞれの時代の特色・要請によって種々の影響を受けるが、その根本において終始変わらない」と述べています。当時、渋澤副総裁がどのような意味合いを込めてこの言葉を使われたのか想像の域を出ませんが、戦争を境に経済・金融環境が大きく変化する中にあっても、金融学会の皆様に、オーソドックスなセントラル・バンキングの重要性を忘れないで欲しいというメッセージを伝えるとともに、専門的な見地から通貨制度の根本を解明する努力を続けて欲しいとの強い期待を表明されたものだと理解されます。

 また、戦後日本経済の絶頂期に当たる、1983年の金融学会創立40周年大会では、前川総裁が「日本銀行の使命」と題して講演し、「日本銀行にとって国内物価の安定が最優先の課題であることは申すまでもありません」と述べたうえで、「正しい理論的基礎の上にこそ誤りなき政策とその実行が期待されるわけであります」と結んでいます。

 私自身も、10年前の丁度今ごろ、その頃はバブル崩壊後の調整が深まりつつあった時期に当たりますが、日本銀行理事として金融学会創立50周年の記念大会にお招きにあずかり、「中央銀行の使命と責務」という演題でお話をさせて頂きました。本日、ここでお話するにあたり、その後10年間の日本経済の歩みを振り返ってみますと、「物価の安定」という中央銀行に課された使命の重さには些かの揺るぎもございませんが、私どもを取り巻く環境が厳しく変化していることには、一入の感慨を覚えざるを得ません。

 金融政策の分野だけをとってみましても、幾つか特筆すべきことがございます。

 第一は、金融情勢それ自体の激変です。金利の極端な低下がこれを象徴的に表しています。

 10年前にも金利は既にかなりの低下を示しておりました。バブル崩壊後の景気後退が顕著となる中で、企業・金融機関のバランスシート毀損の影響や、これに伴う調整の深刻化が意識され、金融緩和の結果、公定歩合は93年末には当時として既往最低の1.75%に到達していました。オーバーナイトのコールレートも3%台後半から2%台前半に緩やかに下がって行く過程にありました。

 当時の公定歩合は、昭和初期の金融恐慌期や高橋財政期を含め、日本銀行創業以来最低の水準であっただけに、大変な低金利であると考えられていたわけですが、今から振り返ると、金利はまだ羨ましいほど低下余地を残していた時期であったとも言えます。

 これに対し、現在では、オーバーナイトのコールレートに限らず、短期金融市場の金利は軒並みほぼゼロという水準に到達しています。

 加えて、日本銀行は、2001年の春以降、ゼロ金利の下での量的緩和という、内外の中央銀行にとって全く未踏の領域に足を踏み入れました。

 私は総裁就任記者会見の際に、「金利機能の活用が封じ込められているということは、中央銀行にとっては、両手を縛られたままの状態で闘いを強いられているようなものだ」と申し上げました。ただ、「両手を縛られている」と言っても、日本銀行として最早闘えないということではなく、現に必死になって闘い続けております。しかし、少なくともそうした厳しい制約の下で、日本銀行がデフレーションと格闘するという姿は、93年当時には想像も出来なかったことであります。

 第二は、日本銀行法の改正です。

 旧日本銀行法が世界の中央銀行制度と平仄が合わず、金融市場の新しい潮流に適合しないものとなってしまったという問題意識は、10年前の時点でも既に相当程度共有されていたと思われますが、日本銀行法の改正が具体的日程に上るような状況には未だなっておりませんでした。しかし、その後事態が急展開し、数年後の1997年には国会で新しい日本銀行法が成立し、1998年4月から施行されるに到りました。

 重要な点は、日本銀行の金融政策に独立性が与えられるとともに、政策運営の透明性向上が求められるようになったことです。まず、独立性を持った金融政策の決定プロセスを担う政策委員会が大幅に改組され、日本銀行は新しいガバナンスの構造を有した中央銀行として生まれ変わりました。

 そして、透明性向上の見地から、毎回の金融政策決定会合について議事要旨が公表されるようになりました。日本銀行のホームページをご覧になるとお分かり頂けると思いますが、現在はこのほかにも、総裁記者会見の模様や役員の講演の記録をはじめ、スタッフの膨大な研究論文など、政策決定の背後にある多くの情報が公開されています。

 そして第三に、—これは比較的最近の変化ですが—デフレ傾向にある経済の下での金融政策のあり方について、世界的に関心が高まって来ていることが挙げられます。

 勿論、10年前の時点でも経済のダウンサイド・リスクは意識され、インフレ率も世界的に低下しつつありましたが、それでもインフレ率が低下することへの恐怖というものはあまり感じられていなかったと思います。因みに、内外の主要新聞の検索エンジンを使って記事に登場するキーワードを調べてみましても、当時の人々の関心はデフレでなく、なお圧倒的にインフレに向かっておりました。

 しかし、現在ではディスインフレーションの進行とともに、金利水準も世界的に低下しています。短期金利の水準を国際的に比較すると、現在ゼロ%台の国としては、スイスが0.2%台、シンガポールが0.5~0.6%程度という例が挙げられます。米国の政策金利は現在1.25%ですが、単純に比較すると、これは日本の95年初の水準に相当します。そして、デフレーションの問題に人々の関心が急速に引き寄せられつつあるのが現状です。

 このように、過去10年の歩みを振り返っただけでも、中央銀行として経済の先行きを的確に読み取ることが如何に重要であるか、改めて痛感させられるところであります。それと同時に、金融政策を巡る考え方が時の経過とともに如何に大きく変化するか、この点についても驚きを禁じ得ません。

 それだけに、中央銀行としては、その時々の支配的な思考習慣に囚われることなく、絶えず洞察力を磨き、新しいものの考え方を身につける努力が求められます。その際、最先端の金融・経済理論から得られる知識は何よりも貴重であり、私どもとしては、学界との交流を欠かす訳には行かないと考えております。

 私は、この3月に、日本銀行総裁を拝命しましたが、それ以前から、日本金融学会の会員の方々のみならず、内外の学者の方々から寄せられる日本銀行の政策運営に対するご意見は、深く心に留めて参りました。同時に、ややおそれつつ申し上げれば、学会から寄せられるご意見をお聞きしながら、中央銀行で長く仕事をした私自身の経験に照らし、時に、ある種の「もどかしさ」を感ずることがあるのも事実でございます。日本銀行の直面している課題を適切に学界の方々に伝え、それを共有して頂いた上で新たな解決策をともに模索する、そういう創造的なプロセスを構築するという点では、互いにさらに改善の余地があるのではないか、という感じがいたします。

 幸い、現在は、政策委員会のメンバー9名のうち、3名は大学で経済学の教授として奉職された経験をお持ちの方々です。また、日本銀行を退職後学界に身を投じ、理論と政策の架け橋に努力されている方々も増えています。そういう意味では、今後はより幅広く、日本銀行が学界から学ぶことが出来るよう、また日本銀行の経験が学界における研究に一層役立つよう、心を砕いて行きたい、と考えております。

 前置きがやや長くなりましたが、本日は、皆様のご関心が高いと思われる日本銀行の金融政策運営について、私が日頃考えておりますことを率直にお話させて頂き、学界と私どもの建設的な交流プロセスをさらに進める足がかりの一つに出来れば、と願っております。

2.量的緩和という枠組みの機能

 はじめに、現在私どもが採用している金融政策の基本的な枠組みと、その枠組みの中で、金融政策が実際どのように展開して来ているかについて、ご説明したいと思います。

 現在採用されている枠組みは、いわゆる「量的緩和」と呼ばれるものですが、この枠組みが導入されたのは、2001年3月19日です。この枠組みには大きな柱が三つあると思います。三つの柱のそれぞれが持つ意味合いを、極力、今日的な視点からお話してみたい、と思います。

(1)金融市場調節における量的指標の採用

 第一の柱は、金融市場調節の主たる操作目標を、コールレートから日本銀行当座預金残高に変更したことです。

 短期金利がゼロのフロアに到達した後も、金融緩和の効果をさらに強めて行くことが出来るかどうかは、現在に到るまで議論の続いている大きなテーマですが、短期金利がゼロになっても、あるいはゼロに到達したからこそ、流動性の供給量に着目し、その増加がもたらす効果に期待を寄せるということは、ある意味で自然な発想と申せましょう。

 量的緩和が導入された2001年3月の時点では、日本銀行当座預金残高は当時の所要準備額を約1兆円上回る5兆円でしたが、その後、ターゲットは順次引き上げられました。私が着任した時点では、ターゲットは17~22兆円というレンジとなっていましたが、その後、4月30日の金融政策決定会合で22~27兆円、さらに、5月20日の決定会合では27~30兆円へとレンジの引き上げを決定いたしました。

 こうした一連の追加緩和措置の結果、現在、日本銀行当座預金残高の水準は、2年間で6倍もの高水準となっております。当座預金残高の引き上げは、その都度、実体経済や金融市場の動向を念頭に置きながら決定されて来たものですが、4月に私どもが発表した「経済・物価の将来展望とリスク評価」でも述べているように、量的緩和は、これまで様々なショックが流動性不安につながるルートを遮断し、金融市場の安定を確保することを通じて、デフレ・スパイラルの防止に寄与してきた、と判断されます。

 しかし、同時に、量的緩和政策採用以降、当座預金残高の増加がこれほど巨額になったにもかかわらず、それ自体では経済活動や物価を積極的に押し上げる力はさほど強くなかったことも事実として受け止める必要があるように思われます。量的緩和が経済活動や物価を押し上げる効果をさほど強く示さないのは何故でしょうか。

 経済全体の調整圧力がなおかなり強いからと言えばそれまでですが、量的緩和に期待された効果の一つは、いわゆるポートフォリオ・リバランス効果であったと思います。これは、流動性サービスの限界的価値がゼロとなっても、中央銀行が流動性の供給をさらに増やし続ければ、人々がそれを実物資産であれ、金融資産であれ、限界的価値のより高い資産に振り替える、そしていずれは資産価格の上昇などを通じて経済活動に前向きのモメンタムを与えるだろう、という筋書きのものですが、これまでのところ、その効果は必ずしも十分には検証されておりません。

 他方、量的緩和の下での金融市場、とくに短期金融市場の機能低下にも言及しておくべきかもしれません。実際、ゼロ金利の下では、短期金融市場の参加者は、取引費用を賄うのに十分なリターンが得られず、短期金融市場で資金運用を行うインセンティブは大きく低下しています。日本銀行が潤沢な流動性を供給した結果、日本銀行以外の市場参加者の取引は激減し、資金不足の主体は多少金利を引き上げても将来マーケットで円滑に資金調達出来るかどうか不安を感じる状態になっています。

 皮肉なことに、こうした短期金融市場機能の低下が日本銀行当座預金への予備的動機による需要を生み出して来ました。量的緩和を開始した当初は、ターゲットを満たすだけの資金供給が出来るかという懐疑的な見方が存在しましたし、事実、ゼロ金利であっても、金融機関が日本銀行の資金供給オペに応じないという「札割れ」と呼ばれる現象が頻発しました。しかし、最近はそうした現象も生じておらず、ターゲットを大幅に引き上げることが出来ています。金融市場の安定を確保するために量的緩和を進めると、今度はそれ自体が市場機能を弱めてしまうことによって当座預金需要が増加し、その結果、そうした需要を満たすために供給を増やさないと市場の安定が確保できないというジレンマを感じています。

 しかし、思い切った政策であれば、それが副作用をもたらすこと自体は避けられないところです。本質的な問題は、副作用の有無自体というより、副作用の行き過ぎに配慮しながら、量的緩和のもつ潜在的な経済・物価刺激効果をどのようにしてより強く引き出して行くか、それが現在の課題であるように思います。その話題に行く前に、量的緩和の枠組みに関し、残りの二つの柱について、お話ししたいと思います。

(2)長期国債の買い入れ増額

 第二の柱は、日本銀行当座預金を円滑に供給する上で必要と判断される場合には、長期国債の買い入れを増額する、というものです。ただし、日本銀行が保有する長期国債の残高には、銀行券発行残高を上限とする制限が設けられています。

 短期国債の金利がほぼゼロになった、ということは、短期国債の保有者にとっては、それとほぼ同額の日本銀行当座預金残高を保有しているのに等しい状況が訪れたということであります。その意味で、新たに短期国債を売って日本銀行当座預金を入手しようとする需要は飽和状態となる可能性が高くなることが予想されます。そこで、日本銀行としては、長期国債を買うことにより、流動性を円滑に供給するという発想が出て来ます。こうして国債の買い入れ額を増やして来た結果、2001年3月までは、月間4000億円であった長期国債の買い入れ規模は現在月間1.2兆円にまで引き上げられています。そして、長期国債の日銀保有残高はマネタリーベースの6割に相当する水準に上っています。

 こうした措置がこれまで量的緩和を円滑に実行するのに役立って来たことは確かです。しかし、長期金利は現在、10年国債で0.5%、30年国債でも1.0%程度の水準にまで低下しています。現在、日本で新規に発行されている国債の平均期間は約5年ですが、5年国債の利回りが0.1%台であることを考えますと、政府は既にほぼゼロに近い金利水準で資金を調達していることを意味します。このことは民間の市場参加者から見て、長期国債すらも、日本銀行当座預金との違いが次第に極めて小さい資産になってきていることを意味しています。つまり、長期国債と日本銀行当座預金を交換する、という日本銀行のオペレーションが1000円札10枚と1万円札とを両替するようなものにどんどん近づいている、というわけです。

 もっとも、このような見方に対しては、一方で、長期金利が完全にゼロでない限り、日本銀行当座預金と長期国債にはなにがしか違いがあり、それを入れ替えることに効果はあるから、さらに思い切って大規模に長期国債を買えば良い、という議論があります。他方で、長期金利がさらにゼロに近づくのは望ましくないのではないか、国債だけを買うのではなく、もっと違うものを買うことで質的な補完を図るべきだ、という議論もあります。

(3)消費者物価指数による金融政策のコミットメント

 第三の柱は、消費者物価の前年比変化率を用いた金融政策のコミットメントです。より具体的に言いますと、日本銀行は、消費者物価指数—厳密には、生鮮食品を除く全国消費者物価指数—の前年比変化率が安定的にゼロ%以上となるまで、量的緩和の枠組みを継続することを明示的に約束しています。

 先ほど申し上げた第一の柱は、短期金利がゼロのフロアに到達しても、流動性の供給量をさらに増やすという考え方ですが、今申した第三の柱は、現実の短期金利がゼロに到達した後も、将来の短期金利を低くすることを約束して、その緩和効果をいわば「前借り」しようというものです。時間軸効果という別名がついていますが、その本質は、政策効果を前借りするコミットメントによって、長目の金利を広範囲に引き下げて行くところにあります。

 このコミットメントは日本銀行の将来の金融政策を現実の消費者物価指数変化率と関係付けているという点で、物価下落阻止に向けた日本銀行の強い意思を明らかにしていますが、いわゆるインフレーション・ターゲティングではありません。

 日本銀行が現在採用しているコミットメントに代えて、インフレーション・ターゲティングを採用すべき、というご提言があることも承知しています。しかし、現在のコミットメントには、ある意味では、通常のインフレーション・ターゲティングにない強い意味合いが込められている点にもご注目頂きたいと思います。

 通常のインフレーション・ターゲティングは、インフレ期待が台頭して将来の予想インフレ率が目標値を上回るようになると、たとえ現実の物価指数変化率が未だ目標値をかなり下回っていても政策金利の引上げにつながることを意味しています。将来の予想インフレ率は人それぞれによって異なっていますから、物価が少しでも変化すると、非常に早い段階から将来の金融政策を巡って様々な憶測が流れることは避けられないでしょう。

 これに対し、現在日本銀行が採用しているコミットメントの下では、現実の消費者物価指数変化率が安定的にプラスの数値になるまで、超緩和を続けることが明確に宣言されています。言い換えますと、経済活動が回復に向かい人々の間にインフレ期待が起こって来たような場合でも、消費者物価指数変化率が安定的にゼロを上回らない限り、私どもはじっと我慢して、直ちにアクションを起こすことはせず超緩和を続けるという、非常に強いコミットメントをしているということです。それによって、将来の金融緩和効果を前借りしているのです。

 この強いコミットメントによって低金利効果を前借りし、長期金利も低位に安定させて来たため、デフレが続く下でも、実質金利はデフレ・スパイラルを回避しうる程度の低水準に維持できた、と言えると思います。しかし、この間、日本経済の潜在成長率が低下し、資本の限界生産性が下がって来たこと、その中で企業が日本経済の予想成長率を逐次切り下げ、慎重な投資態度を維持して来たことを考え合わせると、ヴィクセル的な自然利子率は相当低い水準にあり、それとの対比でみた市場金利はなお高く、実体経済を積極的に押し上げるほどの力は持ち得なかった、という解釈も成り立つように思えます。

 このように、現在の量的緩和の枠組みが一層の効果を発揮するには多くの課題が残っていることは事実です。しかし、既に申し上げた通り、量的緩和は、様々なショックが流動性不安につながるルートを遮断し、金融市場の安定を確保することを通じて、デフレ・スパイラルの防止に寄与してきたことは確かであり、この効果は決して過小評価されるべきではないと思います。因みに、1997年から98年にかけては、アジア危機や大手金融機関の破綻が相次ぎ、流動性調達に不安が生じた結果、信用の収縮が生じ、経済情勢はこの面からも急激に悪化しました。これに対し、量的緩和採用以降の経験を振り返ってみますと、同時多発テロの発生、対イラク戦争、株価の下落等、金融システムの不安定化要因は繰返し発生していますが、流動性不安に起因して信用の収縮が生じ、この面から経済情勢が悪化するような事態は回避し得ています。

 以上ご説明して参りましたように、日本銀行は短期金利がゼロ金利のフロアに到達してからも、もう出来ることはないと考えるのでなく、流動性の潤沢な供給や、将来の金融緩和効果の前借りなどを通じ、努力を積み重ねて来ております。

3.金融政策を進化させるために

 そのためには、さらにいろいろな課題に前向きに取り組み、思考を深めて行かなければならないと考えております。従来の経済学の分析対象や分析手法に馴染み易い問題もあれば、そうした切り口だけでは十分掬い上げきれない、中央銀行の活動基盤についての論点、さらには民主主義社会における中央銀行の座標軸をどう考えるか、というような様々な論点もございます。

 そこで、以下では、日本銀行が現在の量的緩和レジームをさらに進化させて行く上で、クリアしなければならない幾つかの論点に、触れてみたいと思います。

 現在、日本銀行に対し、さらに積極的な金融政策を採用すべきではないかと、様々な主張が聞かれます。

 例えば、これまでの量的緩和の経済・物価への刺激効果があまり強くないというのであれば、もっと思い切って流動性の供給量を増やしてみてはどうか、その場合、長期国債ではなく、中央銀行が通常は買わないようなリスク資産を買ってみてはどうかという意見もあります。また、コミットメントのスタイルを思い切って変更し、人々の期待に強く働きかけることとしてはどうかという議論もあります。

(1)コミットメント・スタイルの変更

 これらの主張のうち、まず、コミットメント・スタイル変更の問題を取り上げたいと思います。このカテゴリーの中では、インフレーション・ターゲティングの採用をめぐる議論に、かなりの関心が集中しているように感じられます。

 先ほども申し上げましたが、現在の私どものコミットメントとの比較で考えると、インフレーション・ターゲティングの問題の一つは、仮に、例えば2%のターゲットを設けた場合には、現実のインフレ率がまだマイナスであっても、インフレ期待が上昇する場合には、早い段階で引き締めを始めなければ、いずれ現実の物価上昇率がターゲットを飛び越えてしまう可能性があるという点です。私どもの現在のコミットメントでは、そんなに早い段階から引き締めることは考えないということですので、その意味では、通常のインフレーション・ターゲティングよりも、むしろ、インフレの方向にリスクをとっている、ということが出来ます。ターゲットを設けて手前で引き締め方向に舵を切る可能性を孕むコミットメントを現時点ですることが本当によいのか、ある程度の一時的なオーバーシュートは不可避なものとして受容すべきなのか、いずれの場合も期待の安定化をどう図るか、これは非常に大きな論点です。

 次に、ターゲットを設定する場合には、目標をあるレンジで示す場合にも、ピンポイントの数字で示す場合にも、それを(厳密ではないにしても)ある期間内に実現することを目指すことになりましょう。従って、確実とは言えなくてもある程度の成算を持ってそれを実現する手段を有していることが、ターゲットに信認を得るための前提だと思われます。この点については、「ターゲット達成のためには、どのような非伝統的手法でも大胆に採用する」ことだけを約束すれば足りる、という議論もしばしば耳にします。そして、エコノミストの中には、日本銀行が金融政策の有効性に自ら懐疑的であるが故に強いコミットメントが打ち出せず、期待に働きかける効果を弱めていると、批判的な心証を形成している向きもあるようです。

 しかし、バブル崩壊後、持続的成長径路への復帰期待が何度も裏切られて来た中で、日本銀行が単にアナウンスメントをするだけで人々にそれを信じてもらうことが出来、すべての歯車が良い方向に回転する、というほどうまい話があるとは思われません。偶々海外経済が急激なブームを迎えるといったような僥倖に恵まれない限り、結局のところ、日本銀行のアクションが経済活動の刺激に繋がる径路を具体的に示せて、初めて、期待に働きかけるアナウンスメント効果も本物となるのだと思います。その意味で、量的緩和と併行的にトランスミッション・メカニズムの改善策を地道に積み重ねて行くことが重要だと思われます。

 勿論、インフレーション・ターゲティングが学界でかなり広い支持を得ていること、少なからぬ中央銀行が様々な態様でこれを導入しており、インフレーション・ターゲティングは、中央銀行にとって透明性を向上させる上での大事な道具建ての一つであることは、私どもも十分に認識しております。その意味で、インフレーション・ターゲティング的な手法を頭から否定する積りはありません。むしろこの先、金融緩和政策がその役割を全うして行く過程で、日本銀行の行動体系をどのように編成し直して行くか、その際インフレーション・ターゲティングのような手法を組み込む余地があるのかどうか、真摯に検討して参りたいと考えております。このように幅広く検討が進められていくうちに、どのようなタイミングで、どういうものが「結晶」として生み出されて行くことになるか、現時点では未知数としか申し上げようがございません。

(2)緩和効果を行き渡らせるための方策

 そのように考えると、当面とくに重要な課題は量的緩和効果を行き渡らせるために、具体的に何が出来るのか、何をなすべきか、ということだと思います。

 量的緩和政策が目指しているのは、日本銀行当座預金という姿の流動性を大量に供給することを通じて、企業や家計の金融環境を改善し、実体経済に対して良い影響を及ぼして行くということです。ところが、現実には量的緩和の経済・物価への刺激効果が強くないということであれば、それは、日本銀行が流動性を供給した後、企業や家計部門への緩和効果伝達径路が途切れている、供給された流動性が金融部門の中に止まって空回りし、外へ滲み出さない、あるいは低金利が十分緩和的に作用していないということになります。

 こうしたいわゆる金融の目詰まり現象は、不良債権問題などの重圧から金融機関の金融仲介機能が低下していることと深く関連しています。従って、緩和効果を行き渡らせる上で最も重要なことは、金融機関の健全化努力を積極的にサポートしていくことです。しかし、そうした努力だけではなく、日本銀行としては、これと併行して、金融調節や企業金融の面で新しい工夫を凝らしていくことも欠かすわけには行かないと考えております。

 ご承知のように、日本銀行は4月初の金融政策決定会合において、資産担保証券市場を通じる企業金融活性化のための新たなスキームの検討を開始することを決定しました。

 今回の措置は、資産担保証券という民間債務を日本銀行がアウトライトで買取る─つまり、クレジット・リスクの世界に、日本銀行が敢えて一歩踏み入れる─という点で、中央銀行としては極めて異例の措置であります。

 ただ、資産担保証券は、信用リスクのプール効果を利用して個々のリスクを集計した場合よりもリスク量の削減を図ることが出来ること、またリスク度の高低階層構造を作ることによって、リスク選好の異なる投資家を呼び込むことが出来るという商品特性を有しています。

 今回、日本銀行が資産担保証券の買い入れを検討することにしたのは、金融機関の信用仲介機能が万全でない中で、そうした商品特性—金融の技術革新によって可能になった商品特性ですが—を上手く活用することに成功すれば、金融機関貸し出しから市場金融への橋渡しを通じて、企業金融、特に中小企業金融の円滑化に資する新しいルートを拓くことが出来ると考えたからであります。

 なお、金融緩和の手段として、日本銀行は資産担保証券だけでなく、このほか株式関連や不動産関連のものも含め、伝統的な範囲を超えてどのような資産でも思い切って購入すべきではないか、との議論も聞かれます。日本経済が厳しい状況にあるだけに、日本銀行としては、持続的経済成長軌道への復帰に役立つものであれば、あらゆる可能性を排除せずに真剣に検討しなければならないと思います。そのことを申し上げ、取り敢えず本席では、日本銀行がどのような資産を買い入れるべきか、また買い入れるべきでないかを考える上で、幾つかの重要な視点を説明しておきたいと思います。

 第一の視点は、既に申し上げたこととやや重複しますが、日本銀行が当該資産を買い入れた後、緩和効果が具体的にどのように経済のすみずみに伝わるか、トランスミッション・メカニズムの改善に本当に役立つかどうか、ということです。

 第二の視点は、日本銀行による当該資産の買い入れが市場機能を歪めないかどうか、ということです。

 今ほど資産担保証券について、日本銀行が敢えてクレジット・リスクをとるという話をしましたが、そうした行動がマーケットにおける価格形成を歪め、クレジット・スプレッドがリスクを反映しなくなった場合には、クレジットの供給は増加せず、金融緩和効果は却って阻害されかねません。

 むしろ、私どもとしては、折角日本銀行がリスクをとって新しい資産の買い入れ措置に踏み切る場合には、それが触媒となって、市場の発展を促す効果を持つようであれば、それが最も望ましいと考えております。

 今回、資産担保証券の買い入れを検討するに当たり、私どもが市場関係者にパブリックコメントをお願いしたのも、市場における価格発見機能を壊さず、かつ願わくば、市場の発展を一層促すような関与の仕方を見出すことが大切と考えたからであります。幸い、市場関係者から貴重なご意見を多数頂きましたので、目下これを参考としつつ具体案の作成を急いでいるところであります。

(3)中央銀行にとっての自己資本の役割

 今ほど、資産担保証券の買い入れを日本銀行が実行すれば、クレジット・リスクの世界に、足を一歩踏み入れることとなると申し上げました。日本銀行の自己資本毀損の可能性を孕む問題だということです。

 日本銀行では、先に、銀行保有株式の買い入れに踏み切っており、既にその時から、現下の厳しい状況の下では、中央銀行の使命達成上どうしても必要と判断される場合には通常では考えられないほど高いリスクをとることも敢えて辞さないとの決意を固めております。しかし同時に、これには限界がある、財務の健全性を毀損しない範囲内に止めなければならない、そういう方針も確立しております。このため、銀行保有株式の買い入れに際しては、その面への慎重な配慮をいたしましたし、今回、資産担保証券買い入れの具体案を作成するに当たっても、リスクの評価その他の面で十分工夫を凝らして参りたいと考えております。

 ところで、一般的にいって、中央銀行の財務の健全性、とくに自己資本の役割について、どのように考えるべきでしょうか。

 私どもも、中央銀行が自己資本基盤の健全性に拘ることに対し、経済学の観点から違和感を覚える方がいらっしゃることは承知しております。その背後には、中央銀行は、銀行券を無制限に発行できるのだから、仮に債務超過に陥っても商業銀行と異なり破綻することはなく、業務は継続できる筈だという考え方があります。

 しかし、それでは、現実に大多数の中央銀行がかなりの額の自己資本を維持することに努力を傾注していることをどのように理解すれば良いのでしょうか。

 また、中央銀行が大規模な債務超過に陥る事例は発展途上国などでしばしば生じますが、その際、きちっとした資本回復が図られないと、理論的には問題ない筈であっても、実際には政策遂行能力が著しく阻害される、という事例も見られます。

 これら現実の中央銀行の行動や経験からすると、中央銀行が自己資本基盤に拘るのは、必ずしも純粋に経済理論的な動機に立脚しているからではなく、むしろ、より広い政治経済学的な知恵なのではないか、と考えられます。これを分かり易くいえば、「中央銀行は与えられた自己資本の範囲内でリスクをとるべき」という箍を外すと、途端に、中央銀行の機能と政府の機能との境目が不明確になってしまう、ということではないでしょうか。

 例えば、ある国の中央銀行の自己資本が減少し、政府の財政的な支援に依存せざるを得なくなった場合のことを考えてみましょう。この場合には、中央銀行が自らの判断で適切な政策や業務の運営を行うことが困難となり、(あるいは、実際にはそこまで行かなくても、困難を来すのではないかとの見方が広がり)、結局、通貨の信認を維持することが難しくなる可能性があるということではないでしょうか。

 この議論をさらに推し進めて行くと、最後に、民主主義社会における中央銀行のあり方、という本質的な問題に到達します。

 中央銀行が大きなリスクをとっていろいろな資産を購入する場合には、二つの問題を思い起こさせます。一つは、中央銀行収益減少に伴う納付金削減や最悪の場合損失補填のための政府出資を通じて納税者の負担につながるという問題です。もう一つは、買い入れ資産の選択如何によってはミクロの資源配分にも影響を与える可能性があるという問題です。

 それは、結果的に中央銀行が財政政策の領域に非常に近いところへ入り込んでしまうことを意味しています。民主主義国家においては、国民の税金は、議会の予算承認を経て、財政支出という形で使われるのが一般ルールであり、市場メカニズムによらない政策的な資源配分は、基本的に政府の役割だと考えられます。

 そうである以上、リスク資産の買い入れには、中央銀行自身が節度を持って臨むことが大切です。

 しかし同時に、こうした問題に対し明確かつ機械的な線引きを行うことは、難しいことも事実です。実際問題として、中央銀行がリスクを少しでも多くとれば、即、財政政策の世界に踏み込むこととなるので認められないということになると、極端にいえば中央銀行としては、短期の国債しか買えないことにもなりかねず、必要な政策を果断に実行することが出来なくなってしまいます。

 従って、現実的な対応としては、中央銀行は、やや長い目で見て適正な自己資本の水準を保つことを目途としつつ、その範囲内で情勢に即して機動的に行動する、そういうプラクティスが多くの国で確立して来ているのではないでしょうか。

 このように考えると、国民の理解を得て、中央銀行はある程度のリスクをとり機動的に行動する、そしてリスクをとった結果自己資本が低下した場合にはそれを回復させる行動に支持を求める、そうした形で民主主義の枠組みと中央銀行行動の機動性との調和が図られて行く、ということになるのではないか、と思います。

4.おわりに

 10年前の金融学会で私は、ケインズが引用して有名になった「社会の存続基盤を転覆する上で、通貨を堕落させること以上に巧妙で確実な方法はない」という言葉を引用しつつ、この言葉はしばしばインフレの弊害を端的に表現したものとして、人口に膾炙しているが、社会の存続基盤を保つという意味では単に通貨価値の安定ということだけでなく、決済システムの安定をも含めた言葉として捉えるべきではないか、ということを申し上げました。その考えは今も些かも変わっておりません。

 ただその中で、通貨価値の安定に関しては、今や中央銀行はデフレーションという新たな強敵とも正面から闘わなければならない、これからはインフレーションに対しても、デフレーションに対しても、完全に対称的に対処して行かなければならないと認識していることを強調させて頂きたいと思います。

 ところが、われわれが現在直面しているデフレーションに対し、本当に実践的な処方箋は、現在のマクロ経済学や金融論の教科書にはまだ十分に書かれていないと感じております。ただ、極く最近の米国での研究成果などを見ると、日本銀行が過去数年悩んで来た問題を、理論的な形で取り扱い、ゼロ金利制約の下での金融政策や財政政策の効果について興味深い研究がみられ始めております。私どもとしては、内外においてそうした研究が今後大いに進展するよう期待しております。

 そして、デフレ脱却のために闘っている日本銀行の経験は、いずれ、21世紀の金融論の教科書に重要な何章かを加えることになるものと信じております。

 ご静聴誠に有難うございました。

以上