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日本経済と金融政策
2003年10月27日、千葉商工会議所における中原審議委員講演要旨
2003年10月27日
日本銀行
[目次]
1.はじめに
本日は、千葉県経済を代表する皆様の前で講演する機会を得まして大変光栄でございます。お集まり下さった方々はもとより、このような機会を設けて頂きました千葉会頭はじめ、千葉商工会議所の方々にも厚くお礼申し上げます。
本日の講演に先立ち、当県の企業経営者の方と懇談する機会を得ました。そのときお伺いしたお話からは、「千葉県は地方経済という言葉で一括りにできない」、「千葉県は多様性に富んだ経済構造を持っている」という印象を持ちました。首都圏の台所として農水産業や食品産業が盛んなほか、南部を中心として観光資源も豊富です。製造業では臨海地帯の鉄鋼や石油化学などに加え、先端技術という面では、湾岸一体となってバイオの先端企業が集積しつつあります。また外資系流通業者の投資が積極化している地域も出てきました。業況という面においては、臨界地帯の素材関連の製造業が繁忙度を高めている一方、古くからの商店街や建設関連企業は大変な苦労をされていると伺っております。少子高齢・過疎化が進み、経済的不振・厳しい財政事情に悩んでおられる地域もあると伺いました。浅薄な知識を省みず、敢えてお伺いした内容をまとめますと、「千葉県経済が現在抱えている、そしてこれから取り組まねばならない課題は、日本経済が抱える課題そのもの」ということかもしれません。また一面、経済構造が多様性に富むと言うことは将来の可能性も多く秘めているものであることも付言しておきたいと思います。
本題に入る前に2点お願いしたい点がございます。一つは、今月末、日本銀行は、「経済・物価の展望とリスク評価」として、経済・物価の見通しとそのリスクに関する見解を発表する予定にしております。本日、私がお話しする内容は、この見解とは無関係であり、あくまでも審議委員の一人としての意見でございます。二番目は、講演は50分程度にとどめ、その後に皆様のご意見や日銀に対するご要望や金融政策に関するご意見を是非お伺いしたいということです。先程、千葉会頭よりご紹介頂きましたように、私は40年間民間に身を置いて参りましたが、日本銀行に職を得てから早2年半近く経過しようとしております。室にこもって机の上で仕事をしておりますと、どうしても生きた経済の動きや情報に接する機会が限られてまいります。先般、東京の下町のある工業会の会長さんから、「個人保証をしたこともない人が中小企業経営や金繰りの苦労がわかるわけがない」と言われました。この機会に皆様の毎日のご商売の実感を少しでも拝聴させていただければ今後の金融政策を考える上でも大変参考になります。
それでは、始めに、我が国経済の現状はどうか、先行きをどのようにみているかという点からご説明したいと思います。
2.日本経済の現状と見通し
(1)経済の現状
わが国経済の現状を一言で申し上げれば、回復の基盤が整い、ベクトルが漸く上に向き始めたという段階ではないでしょうか。景気は2002年1月に谷をつけた後、全体としては緩やかな回復過程にありました。しかし、本年に入ってイラク情勢などのいわゆる地政学的リスクやSARSの影響などから世界経済全般に不透明感が高まり、アジア向けを中心に増勢を続けてきたわが国の輸出も伸び悩み始め、加えて株価の下落や金融システムの不安などから我が国の景気は停滞感を強めていました。
しかし、夏場を過ぎ、地政学上のリスクやSARSの影響等海外の不透明要因が払拭され、停滞していた世界経済にも前向きの動きが出てきました。米国経済は雇用に弱さを残すものの消費を中心に回復を鮮明にし、第3Qは4~5%のかなり高い成長となる見通しが強まっています。中国はSARSの影響を一時的には受けましたが、ここへきて力強い成長のパスに復帰しています。タイは内需が好調のようですし、NIES諸国もIT関連財の出荷が活発化しています。これに伴い、我が国の輸出もアジア向けを中心に増勢に転じています。消費は引続き弱めの動きが続いていますが、雇用や所得は下げ止まって来ました。リストラの進展から企業収益も大幅に回復、企業の設備投資も、先日の短観やその他のアンケート調査をみても今年度はプラスで着地しそうです。この間、非居住者の資金が株式市場に流入し、株価は4月の底値から大幅に回復しました。このような中で、短観にも見られるとおり企業の業況感も改善が進んでいます。
以上、日本の景気は持ち直しの動きが出始めたことは確かですが、未だ輸出比率の高い大企業・製造業中心の回復であり業種の広がりも限られています。これが非製造業や中小企業、さらに家計まで含め経済全体の底上げにつながるかどうかは予断を許しません。
他方、このところ企業は血の滲むようなリストラの努力を続けてきており、その結果、経営や財務の体質が大幅に改善されていること、不良債権処理に一定の進捗が見られ、株価の上昇もあって銀行のリスクテーク能力も向上していることなどから、今回の景気回復は緩やかながらもその持続性が予想を超えるようなものになる可能性もあることに留意したいと思います。
(2)内需の見通し
それでは2003年度後半から2004年度にかけての景気の見通しはどうか、どのようなリスク要因が考えられるでしょうか。先ず内需の需要項目別にみてみますと、設備投資は、緩やかに持ち直すものとみられます。ある設備投資関連財を供給している企業の経営者は、「選別的な投資スタンスや価格引下げ圧力は強い」ため、「ものが動き始めている割には業況が改善しない」という感触をもたれています。投資をする側においては、稼働率はなお低く、短観の結果をみても設備の過剰感が残っています。結局、最終需要に力強さがみられず、技術進歩が激しい中で投資収益の回収に自信が持てないのです。また、「増産投資や能力開発投資はコストの安い海外で」という先も増えています。反面、プラスの材料として、企業収益が好調でありキャッシュフローが潤沢なことやまた設備のビンテージが高まっているということがあげられます。先程言及しました設備投資関連財企業の経営者は、「次世代技術を応用する等、差別化された商品へのニーズは強い」とも指摘されています。強弱両面の材料がある中、2003年度から2004年度にかけて、設備投資は能力増強投資ではなく、技術革新や新製品開発に伴う投資と旧い設備の更新投資が中心であり、その伸びは緩やかなものに止まるとみられます。
個人消費についてはどうでしょうか。個人消費に影響する要因の中で有効求人倍率や雇用者所得など雇用関連の指標は下げ止まりから緩やかな改善への動きが見られます。今後、企業収益の好調から循環的な所得上昇局面に入る可能性はないとは言えませんが、一方で医療保険料率の引上げや年金給付減などの可処分所得減少の要因もあります。また、消費税増税や年金改革の議論の活発化は、人々の将来不安を増大させるかもしれません。経済構造の変化の中で雇用が増えるとしてもパートなどの非正規雇用であり、人々の将来の雇用不安は、払拭され難いと思われます。資産価格については、株価の上昇の一方で土地の値下がりは止まっていません。好調だったマンション販売もやや息切れの様相ですし、住宅ローン減税の帰趨にもよりますが、住宅投資は緩やかな減少が続くと考えます。これらを背景に、家計のマインドは決して手放しで前向きにはならず、消費は基本的に横這いの動きが続くものと思います。
(3)外需の持続性
足許の景気の牽引役である輸出はどうでしょうか。この動向は、海外景気、日本からの輸出先の中でウェイトの高い米国とアジア経済如何と言えそうです。
まず、米国経済の先行きをみますと、年度後半には、個人消費において減税による本格的な押上げ効果が見込まれます。企業部門も生産性向上が続いており、企業収益は第2Qぐらいから大きく回復してきています。今後、循環的に前向きの企業活動(生産拡大・在庫積み増し、設備投資の回復)が本格化する基盤は出来上がってきているように思います。既にIT関連の生産・出荷は前年を大きく上回っています。このため米国経済全体としては、本年第3Qから潜在成長率を上回る安定的な成長過程に入っていくとみるのが適切でしょう。しかし、いくつか気になる点もあります。ひとつは雇用・所得面です。今回の回復は1990年代初頭のジョブレス・リカバリーに例えられますが、その時期と比較すると、雇用者数から見る限り、今回の調整の方が厳しいことが分かります。製造業の雇用者数は減少の一途を辿っていますし、非農業部門の雇用者数も、9月は若干持ち直しましたが、8月までは7ヶ月連続の雇用者減となりました。また、今回の回復局面を支えるのは、低金利に支持された住宅投資と住宅価格上昇による消費に対する資産効果ですが、これがどこまで続くのかが問題です。家計の債務残高は、歴史的にみても極めて高い水準にありこれに修正が入る可能性もあります。今後の長期金利の動向や減税効果の剥落にも留意しないといけない局面になっていると思います。
また、旧くて新しい問題ですが、今更申し上げるまでもなく、財政収支と経常収支の双子の赤字は対GDP比極めて高い水準に達しています。これが10年から20年といった長期の健全な経済発展とは両立しえないことは当然であり、米国の抱える大きなリスク要因の一つです。
アジアについては、何といっても中国が元気です。建設投資や個人消費中心に拡大が続いています。所得水準の向上から、こうした動きは当面持続するでしょう。ASEAN、NIES諸国においても内需も含め総じて順調な拡大が期待できると思いますが、これも米国と中国の経済動向次第と言うところがあります。
(4)物価の動向
物価に目を転じると、9月の国内企業物価指数(国内CGPI)は、前年同月比-0.5%と5月以来マイナス幅を縮小しているうえ、前月比では+0.1%と3ヶ月連続でプラスとなりました。鋼材や紙・パなど中国を中心とする外需の好調な素材関連を中心に、国内でも値戻しが進んでいるからです。素材関連メーカーの方からは、「販売価格は引き続き強含みで推移している。特に、中国向けの製品は全く足らない状況であり、何十年振りかの高値となっている」という話を聞きます。また、消費者物価(全国、除く生鮮食品)は、たばこ税の引き上げ、診療報酬の引き上げといった特殊要因が影響して、7月には前年同月比で-0.2%、8月には-0.1%となりました。特殊要因は寄与度ベースで0.3~0.4%ですので、特殊要因を除いても前年同月比で下落幅が縮小していると申し上げてもよいでしょう。これから年度後半にかけて、冷夏による米価の上昇が消費者物価に影響する可能性もあり、一時的にせよ物価の下落幅がさらに縮小する可能性があります。
もっとも、国内CGPIおよびCPIとも下落基調が一服し始めているとはいえ、多くの特殊要因がその背景にあり、当面デフレが収束する目途はたっていないと言わざるを得ません。需給ギャップは、基本的には縮小はしているものの、現状まだかなり緩和した状態にあるとみられるためです。また、所得が増えない中でサービス価格も上昇しません。国内CGPIにおいては、輸入競合品とそれ以外の物価動向をみると、明らかに輸入競合品の値下がりの大きいことが分かります。廉価輸入品が増加し、外資大手流通の本邦への直接投資が進展しています。メーカーが価格支配力を持てない中で、このような動きは消費者物価を下押しする要因となっています。さらに、現在の円高が続けば、これも物価の上昇を抑制することになります。
少し視点が異なりますが、デフレの克服という点において、企業行動および価格支配力に注目した場合、より根深い問題があるように思えます。業況不振に直面した場合、大方の本邦企業は、売上高増加よりリストラによって乗り切ろうとします。ブランド力の確立や新製品の開発によって売上を増やすという前向きの企業行動で乗り切る動きは限られるのではないでしょうか。こうした縮み指向は、価格支配力を弱め、さらに次のデフレを生むことになります。今後、「付加価値の増加によって収益を稼得する」という行動がでてこないと、物価の面で目立った改善が出てこない可能性があります。
なお、このところ、GDPデフレーター、就中、設備投資デフレーターは下落を続けており、国内CGPIやCPIとの乖離が目立っています。ただ、これは、一般的なデフレが深化しているというより、GDPデフレーターが技術進歩による物価下落を織り込みやすい統計方法を採用しているために下方へのバイアスが生じているとみるのが適当でありましょう。
(5)企業収益の改善
2003年3月期の企業収益は大幅に改善しました。この原動力はリストラです。短観をみても、企業は売り上げ横這いのまま経常利益を大幅に増やす様子がみてとれます。この傾向は今後も続くでしょう。企業の損益分岐点をみますと、製造業は既に前回の景気回復局面のレベルを下回っていますし、非製造業もかなりの低下をみています。この結果、9月の短観では、大企業・製造業の業況判断DIが2年9ヵ月振りにプラスになり、またレベルは低いのですが、中小企業の業況も予想を上回って改善しています。就中、輸出比率の高い電子機器部品や鉄鋼など素材関連の大企業・製造業では、収益絶好調といえる企業もあるようです。ただし、前にも申し上げたとおり、業種の広がりはまだ限られており、非製造業や中小企業も含めた経済全体の底上げにつながる動きはまだみられません。
一方、企業収益の先行きに暗い影を投げ落としているのが為替の動向です。内閣府の「企業行動に関するアンケート調査」(2003年/4月)によると、製造業の輸出採算為替レートは約115円近辺ですので、足許の110円程度を超えてさらに円高が進む場合には、今後の企業の売上・収益計画を下振れさせるリスクがあります。足許の経済の回復が輸出に依存する度合いが高まっているだけに、円高が実体経済へ与える影響も大きいのではないかと懸念されます。加えて株価への影響も心配です。また、この円高傾向が長期化すれば、輸入代替の動きが強まり、生産の海外移転など産業の空洞化に拍車がかかることになるでしょう。後程、金融政策と為替の関係について申し上げますが、円高が実体経済に与える影響については、最大限の注意を払ってみていくつもりです。
(6)金融資本市場の動向
為替以外の金融資本市場の動き、先行きの留意点は何でしょうか。本年夏には長期金利が急上昇しました。これは、春先から10年物国債金利が0.4%まで急落するなど市場が過熱していたことに対する反動に加え、景気の先行き不透明感が後退し回復期待が高まったことや日本銀行の金融緩和姿勢への見方が揺いだためです。足許、長期金利やターム物レート上昇は一服しつつあります。実体経済での需資の弱さや景気の現実が再認識されたこと、日本銀行が「金融緩和姿勢に変化がない」ことを十分に市場へ伝えたためです。事実、市場は一応の安定を取り戻したようです。しかしながら、財政の赤字累増のもと金融機関の国債保有はなお極めて高い水準にあり、今後長期金利には構造的に上昇圧力がかかりやすい地合が続くことは注意を要します。
長期金利の急上昇をもたらした一つの要因は株式市場の活況でした。日本の株価は、4月後半に日経平均で7千6百円台の安値をつけた後、ここまでに40%以上の上昇を見せています。きっかけは、欧米株式市場の上昇を背景とした、海外のファンドによるウェイト調整の買いと言われています。もともと割安感のあったところに企業業績の回復期待が加わり、また、りそな銀行への公的資金注入からこれ以上の銀行の破綻は封じ込められたとの認識が海外で強まったことから、その後も海外投資家による買いが続いています。特に、銀行株については、3月までの株安→金融システム不安→株安という悪循環からは、様変わりです。
先行きの留意点としては、やはり長期金利、円相場および株式相場がどのような相関をもって動いていくかでしょうか。これらは、漸く回復基調を明確にした景気に大きな影響を与えます。景気回復の期待感が高まるにつれて株価は上昇しますが、同時に長期金利にも上昇圧力がかかります。問題は、長期金利の上昇が、実体経済の回復に見合ったものになっているかどうかです。量的緩和政策によって供給された潤沢な流動性は、国債投資に集中しており、金融機関の国債保有率は高まっています。需給面や財政規律に対する懸念から長期金利が急上昇した場合、金融機関経営に与える影響には注意を要します。また、これが株価の下落に結びつく場合、金融機関のリスクテーク能力がスパイラル的に縮小するリスクもあながち否定はできません。今のところ債券オプションのインプライド・ボラティリティ等、先行きの変動を予想させる指標は落ち着きつつありますが、今後注意深く見ていかねばなりません。
以上、先行きの動きをまとめますと、我が国経済は、本年4月の「経済・物価の展望とリスク評価」で申し上げた、輸出を中心として緩やかな回復に向かうメインシナリオを維持しています。しかし、これまで申し上げたとおり、先行きの不安材料も色々と抱えています。企業経営者の中には、「跛行性が目立っている。先行きの景気を俯瞰すれば、一本調子で伸びるというよりも一歩一歩足許を確かめながら全体としては良い方向に向かっていくということではないか」と表現される方もおられます。私も同様の感触をもっています。
3.量的緩和政策と今後の政策運営
(1)量的緩和政策の評価
次に、こうした実体経済に対して、日本銀行がどのような政策を行ってきたのか、そしてどのような政策を講じていくつもりなのかという点に移ります。
日銀は2001年3月、現在の金融政策の基本的考え方である量的緩和政策を採用しました。日本銀行の基本的な役割は、世の中に出回るお金の量、いわゆるマネーサプライを調節し物価の安定(これはインフレを抑えると同時にデフレを解消することも当然含みます)を図ることにあります。金利がプラスの水準にあるうちは、これを引き上げたり引き下げたりすることにより、お金の調達の容易さや銀行の貸出態度に影響を与え、お金の量をコントロールすることができました。しかし、金利水準が殆どゼロに近くなった状態では金利をマイナスにすることはできませんので(これは必ずしも不可能ではありませんが、色々な副作用もありそのような政策を採ることは現実的ではありません)、景気が悪くなり物価が下がっていわゆるデフレの傾向が強まる中で、マネーサプライを増やすことが困難になります。そこで、日銀は、2001年3月から銀行や証券会社から国債や手形を買ういわゆる流動性の供給オペにより、金融機関が持つ日銀への預け金、即ち当座預金について、必要な準備率を大きく上回る一定の残高を維持させる新しい政策を採用しました。これが量的緩和というものです。無利息の日銀への預け金、すなわち当座預金の量が増えれば、銀行はそれをもっと有利な民間への貸出等色々な民間資産に振り向けることが期待されます。その結果としてマネーサプライが増えることを狙ったのです。
量的緩和政策が当初狙った効果は、この他にさらに2つありました。一つは潤沢な流動性供給によって、金融資本市場の動揺を抑え金融システムの不安定化を防止しようとしたことです。当時は、不良債権処理が捗々しく進んでいないことや、株価の下落によって金融システム全体への不安が高まっていました。このため「お金は潤沢にあるので流動性不足による信用不安は生じない」ということを示す必要があったのです。二番目は、中長期金利の低位安定です。潤沢な流動性の供給によって実質的に短期ではゼロ金利を実現し、この政策をデフレが現実に解消するまで続けることを約束することで、実質ゼロの金利がかなりの期間続くものとの市場の期待を生じさせようとしました。具体的には、「生鮮食品を除く消費者物価前年比が安定的にゼロ%またはプラスに達するまで量的緩和政策を続ける」ということを日銀としてコミットしたのです。
こうした量的緩和のスキームにのっとり、当座預金目標は当初の5兆円から30兆円前後に増加、お金を供給するための手段として、毎月の長期国債買切り額を0.4兆円から1.2兆円に拡大、預保向けや交付税特会向け貸付債権等の適格担保化などオペのための担保の拡大も行ってきました。このほか、金融システム安定化のため、中央銀行の政策としては極めて異例ですが、銀行保有株の買取りや、中小企業への金融緩和の浸透と流動化証券の市場育成のための中小企業向け資産担保証券の買取りもスタートさせました。
効果の面から言えば、潤沢な流動性供給を通じた市場の安定、および中長期金利の低位安定は確実に実現したといえます。量的緩和以降、金利の変動幅は大きく減少し、中長期金利も大幅に下がりました。しかし市中に出回るお金の量を増やすという点では、明確に効果があったとは言えません。市中金融機関の当座預金と銀行券の合計であるベースマネーは、ピークは前年比で30%以上の伸びに達し、現在でも20%程度の伸びを示していますが、マネーサプライは前年比2%程度の伸びしか示していません。しかしながら、徹底的な流動性供給が金融システムの不安定化を防止し、中長期金利を低位安定化させ、さらなるデフレの深刻化を防いだことは事実です。不良債権問題が改善の方向に進み、また実体経済に前向きの動きが始まり株価が上昇する中で、引き続いての潤沢な流動性の供給が金融機関の貸出行動の積極化を後押しすることは疑いのないところと思います。
(2)今後の金融政策の軸足
現在日銀に与えられた使命は、景気回復が確実なものとなりデフレが解消するまで、潤沢な流動性供給と中長期金利の安定を通じて市場に安心感を与え続けることです。今後の金融政策の軸足は、量的緩和政策を「消費者物価前年比が安定的にゼロ%またはプラスに達するまで続ける」というコミットを愚直に守ることと認識しております。今月10日の金融政策決定会合で国債レポによる流動性供給オペの期間の延長、当座預金目標額の上限の32兆円への引き上げを決定するとともに、現在の「消費者物価が安定的にゼロまたはそれ以上になるまで量的緩和を続ける」というコミットメントを明確化しましたが、これはまさにこの趣旨によるものです。日銀の量的緩和継続の意思が少しでも市場から疑われることのないようコミットメントをさらにはっきりさせようとするものです。また目標上限の引き上げは、量的緩和の強い意思を具体的に示すため流動性供給のオペを必要なときにタイミング良く機動的に行えるよう、上方に多少ののりしろをもっておこうとするものです。その意味では、これは、景気が下方にシフトするリスクを未然に防止するという意味での追加緩和ではありません。
一方でお金の供給の仕方・手法についてもさらに研究していく必要があります。ABSやシンジケート・ローンのような新しい金融商品をオペの手段あるいは担保とする資金供給等、肌理細かな流動性供給の工夫がさらに必要だと思っています。ようやく景気に明るさが見え、企業にも前向きの動きが出て来た今、潤沢な流動性供給が、この動きをさらに後押しすることが期待できると思います。また今後、為替や長期金利の変動が大きくなる場合、金融政策でそれらを直接コントロールすることは困難ですが、その変動が景気に悪影響を与える恐れが高まる場合には、量的緩和のスキームの中で機動的に動くべきだと思っています。
ここで若干、金融政策と為替の関係について言及したいと思います。金融政策は為替水準を直接操作することは目標としていません。しかし、それが実体経済に影響を与える懸念が強まる場合には、金融政策としては更なる緩和で対応すべきでしょう。その場合、金利がプラスであれば下げればよいですが、名目金利がゼロの場合、そのやり方が議論となります。ドルを例にとれば、為替相場の変動は円とドルのどちらの需要が強いかを表しています。その需要は様々な要因によって決りますので一概に言えませんが、理論的に言えば、円のマネーサプライが増加し、これが物価や市場のインフレ期待を上昇させるといったメカニズムの働く場合には、円安方向に働くことが期待されます。この場合、量的緩和政策が有効に作用するのかどうかが問題となりますが、量的緩和の操作対象であるベースマネーとマネーサプライとの関係が現在は不確実であり、量的緩和が為替相場に与える影響も必ずしも明確ではありません。ただ、世界的に景気回復が進む中、日本が量的緩和の強化により長短金利水準を低位に維持すれば、円の先安感を醸成することにつながる可能性はあります。いずれにしても、為替の変動が実体経済に悪影響を及ぼす蓋然性が高まる場合、量的緩和政策として採り得る範囲で新たな対応を考えていくつもりです。
(3)金融政策の透明性について
金融政策について、最後に、透明性に対する考えをお話ししたいと思います。新日銀法施行以来、政策決定の透明性を向上させるために日本銀行は議事要旨の公開をはじめ様々な施策を行って参りました。先日の決定会合では、経済・物価情勢に関する日本銀行の判断についての説明の充実、前述した量的緩和政策継続のコミットメントの明確化を行いました。もちろん、さらに改善する努力を続けねばなりません。金融政策について高い独立性を与えられていることの当然の代価だからです。また、その不断の努力は、政策の有効性を高めることにも繋がるからです。
透明性向上のための根本的な考え方として、まずは、なぜ今このような政策を採っているか、市場参加者に十分説明することが必要と認識しています。次に、中央銀行が何を目指しているかについて、市場参加者が予想しやすい環境を作らねばなりません。間違わないで頂きたいのは、これは、必ずしも将来どのような政策を採るのかについて開陳することを意味するものではないことです。中央銀行の見方について、より多くの情報を市場に提供する、そしてその情報の提供によって自然と市場の予想が調整されていく。これらの過程が、期待を安定化させ、市場の大幅な変動が実体経済へ大きなマイナスの影響を与えるのを未然に防ぐことになります。これが金融政策に透明性が求められる大きな理由です。当然ながら、こうした調整によって、金融政策変更に対する市場の反応の予想可能性は高まります。つまり、中央銀行も正しいシグナルを受取れることになるのです。
私はこのような透明性向上の観点から中央銀行が出すべき情報の一つとして、物価安定の定義の中で望ましい物価上昇率を具体的数値で示すことが必要ではないかと思っています。目標を設け、ある一定期限内に達成を義務付ける政策に対し、「長期金利の上昇等経済の不安定化を伴うような形で性急に達成を目指すものではない」という趣旨を明確にするため、「インフレ参照値」と呼んでもよいかもしれません。中央銀行の目指している方向性を示し、市場に適正な予想をしてもらう、市場の期待を安定化させるための情報の一つです。
透明性向上とは「常に市場の中に身をおいて考えること(in the market)、市場の予想を攪乱させないこと、市場に中央銀行の考え方を正確に理解してもらうこと」と集約できるかもしれません。中央銀行は、経済やマーケットを自分の思い通りに動かすことはできないし、また動かすべきではありません(not over the market)。
4.日本経済の当面の課題
最後に、日本経済の当面の課題は多数ありますが、ここでは「経済構造の二極化と中小企業問題」、「中国の動向と日本経済への影響」および「不良債権処理の進展状況と金融システムの安定」の三点について若干申し上げたいと思います。
今次景気回復局面は、昨年1月に始まっていますので、既に20ヶ月続いています。浮揚感に乏しいとはいえ、長さだけは前回の景気回復局面に並ぶ水準です。今後、できるだけ早く景気を自律的な回復メカニズムにのせないと、前回の回復局面のように短命で終ってしまう可能性もあります。自律的な回復メカニズムにのせるためには、こうした課題に確かな方向性を示すことが求められています。
(1)経済構造の二極化と中小企業問題
経済構造の二極化は、経済のグローバル化と市場原理の浸透の下で色々なレベルで進んでいます。個人資産の蓄積度合い、雇用と人材のミスマッチ、都市部と地方の経済活性度、企業の勝ち組と負け組、製造業と非製造業、大企業と中小企業等、経済的な格差がじりじりと拡大しているような感じがしています。今回の景気回復局面において、その恩恵は今のところ輸出型の大企業・製造業が中心です。中小企業や非製造業にまでなかなか及んでいません。例えば、「法人統計季報」によれば、4~6月期の経常利益も、製造業が前年比+36.3%増加したのに対し、非製造業は+1.6%の増加に止まっています。短観の業況判断DIをみますと、大企業は循環的な動きを繰り返していますが、中小企業は過去の景気循環の過程を通じてトレンドとして水準を切り下げています。景気後退の影響は強く受ける一方、回復の際の浮揚感に乏しいままに次の循環に移ってしまうと言うことでしょうか。
近年、大企業と中小企業の業況感にこうした二極化が進んでいる背景として、グローバル化に伴う国内産業の空洞化と金融環境の変化が指摘できます。中国に直接投資した企業は、件数・金額とも高水準で推移しています。従来、下請の中小企業にとって安定した納入先であった親会社も現地生産を進め、「価格・品質で問題なければ仕入先にはこだわらない」というスタンスに転換しています。先日、当県の中小企業の経営者の方からは、「親企業の海外移転によって、明日には納入先が無くなることもあるという前提で操業を続けている」という身の引き締まるような話も伺いました。投資・雇用機会の海外流出は、国内需要の減少を意味しますので、中小企業のみではなく、市場が国内に限られる大企業を含む非製造業にも大きな影響を与えます。また、金融という面でも、中小企業に厳しい環境になりました。親会社からの信用供与は削減され、決済も現金取引が増え、企業間信用は縮小の一途です。旁々、銀行も、リスクの高い先への貸出に慎重になる、あるいはリスクに見合ったリターンを獲得するため貸出金利の引上げを図っています。
中小企業や非製造業は、従業員や雇用者数において、日本経済の中で大きなウェイトを占めています。今後の雇用機会を増やし社会の安定を維持していくために、中小企業や日本では相対的に弱い非製造業の発展を図ることはきわめて重要と思います。特に財務基盤の弱い、また経営資源の投入の余力が限られている中小企業が今後どのようにして生き残っていくか大変難しく重い課題だと思います。先日、東京大田区の商工会議所の方から興味深い事例を伺いました。大田区は高い技術を持つ、たとえばシリコンの中にカーボンナノチューブを織り込んだり、光ファイバーの接続端子を微細加工する等のグローバル・ニッチェ企業、歴史のある中小企業も多いそうです。大田区では、これらの企業をネットワーク化したり工業団地に集積し、「各社の技術を結集し協力して新しい分野を開発しよう」という複数企業の相互のコラボレーションを推進しているということを聞きました。また、しぼり技術を持ったプレス業者が照明器具を作ったり、生地の卸売業者がプリント可能な紙を生産する等、単なる大手の下請け企業と言う立場から脱皮し、コア技術を生かして最終財新製品の開発を進める動きもでているそうです。新しいビジネス機会を広げていくには、このように外部の資源を活用したり、お互いに連携してネットワークとして強みを発揮していくことが必要でしょう。また、コスト競争力をつけるため、付加価値の低い工程を海外に移転したり、中国の協力工場に生産を委託する中小企業も増えていますが、このような動きをサポートすることも必要です。情報の少ない中小企業にこのようなサービスを提供するのは、公的な機関や金融機関の役割です。海外進出において中小企業は数多くの失敗例があります。「現地の協力工場として育成しようとしていた地場企業に技術も販売先も奪われた」、「債権回収に出向くと、『日本人は漢字を無料で盗んだではないか』と罵られた」と笑うに笑えない話もあります。中小企業は、法務・会計、内部管理、現地の商慣行等のノウハウに乏しいのです。従来、中小企業の海外進出では、親企業や商社がこうした間接部門を担ってくれました。中小企業は「もの作り」に専念できたのです。しかし、大企業も商社も、そうした余裕が無くなっています。中小企業の支援団体では、「貿易や海外進出の実務を教えて欲しい」という中小企業からの問い合せが多いそうです。公的機関や民間金融機関には、中小企業に対し、こうしたノウハウを積極的に供与することが求められています。
(2)産業の空洞化への対処と中国問題
課題の二つ目は中国の問題です。今回の景気回復局面を主導する輸出の中心はアジア、就中、中国です。鉄鋼や化学等の素材産業の中には、「好業績の殆どは中国要因」と説明される先もあります。「中国を脅威として捉えるのではなく、豊かになりつつある13億人の魅力のあるマーケットと捉えるべきである」、「欧米への輸出や日本への逆輸入のための生産拠点から、中国国内市場に対する販売拠点へ」と認識を変える企業も増えてきました。このような認識の下で、日系企業の中国進出が加速しており、我が国経済の空洞化を深刻なものにしています。
対中投資の歴史を振り返ってみますと、先ず円高と日米貿易摩擦を背景として、80年代に盛り上がりをみせました。また、90年代初頭には、バブル期と重なり、毎年20億ドル以上の直接投資を記録した第二次ブームが訪れます。そして今回の第三次ブームです1。今回が今までと異なるのは、先程申し上げたように、WTO加盟を機に中国が市場として意識され始めたということかもしれません。国際協力銀行の調査によると、対中投資の理由は「安価な労働力」から「市場規模・今後の成長性」に移行しつつあります。また、ここへきて労働集約的な産業ではない、先端的な付加価値の高い産業の中国への移転が始まっていることも今回のブームの特徴として指摘できます。付加価値の高い産業、即ち、輸出型の大企業・製造業です。では、日本国内の空洞化の影響はどの程度なのでしょうか。在外日系製造業による第三国向け売上と日本本社向け販売を、それぞれ輸出代替と逆輸入によって空洞化がもたらされた大きさとみなしますと、2000年度では全地域合計で約15兆円、中国はその1割近くを占めています2。企業の進出状況をみますと、国内空洞化による影響は、今後さらに大きくなることが予想されます。中国への生産移転による空洞化は、当然ながら日本ばかりでなく、多かれ少なかれ米国や台湾などのNIES諸国にとっても避けられない問題です。このような背景の下で、米国の対中貿易赤字が急増しており、元の切り上げの圧力が高まってきました。ただし、中国の対米輸出の急増の裏にはアジア周辺国や日本からの原材料や部品の輸入の急増があり、中国の貿易黒字は2002年で300億ドル程度と比較的モデレートなものとなっています。もちろん、巨大な直接投資により外貨準備は急増していることはご承知のとおりです。我が国でも元切り上げを主張する声も多く聞かれますが、単純な元の切り上げが空洞化阻止や国際収支の調整をもたらすかと言えば、私はかなり疑問に思います。既に多くの大企業が中国でビジネスを展開しています。その大部分は中国市場の内販よりは、中国から欧米や日本への輸出を狙っています。我が国としては、元の切り上げは全体としてマイナスの影響を受ける部分も大きいのではないでしょうか。むしろ、元の切り上げによって中国経済が動揺することを憂慮されている企業経営者の方が多いのではないでしょうか。また、今中国に進出している中小企業は、日本国内でうまくいかず、何とか中国で再起を図ろうとしている先も多く含まれています。元の切り上げを行えば、その最後の望みを絶つことになるかもしれません。日経新聞のアンケートでも、中国に進出している企業の約6割が元の切り上げに反対という結果がでています。
さらに言えば、元の切り上げによって、日本経済の空洞化を防ぐというのは、極めて不確実な方法です。そもそも日本の三十分の一、四十分の一という労働コスト、無尽蔵に近い中国の労働資源を考えると多少の元の切り上げでコスト格差を是正し空洞化を防ぐことは不可能です。我が国の労働コストの高さを考えれば、元が切り上げられると、企業は他の労働コストの低い通貨の安い途上国へ進出先を変えるだけでしょう。
経済のファンダメンタルズから言えば、高い生産性の国の通貨は切り上がり、低い国の通貨は切り下がるのが通例です。日中間で圧倒的な労働コスト・労働生産性の差があるのならば、中長期的に、弾力的な為替相場決定のメカニズムに変えていくのが望ましい方向であろうと思います。しかし、本邦企業の中国展開の現況を踏まえると、まずは、進出企業が十分な知的所有権の保護や金融サービスを享受できるようにすることが先決です。また、金融サービスの分野では、邦銀の出店規制、人民元の業務制限・地理的制限の緩和が望まれます。現在の規制の下では、中国を含めたアジア地域での本邦企業へのキャッシュ・マネジメント・サービス提供など望むべくもありません。
さらに重要なことは、日本経済全体として、中長期的な成長の源泉を変えることが先決です。雇用の受け皿として、サービス産業自体のパイを拡大しなければなりません。製造業においては、付加価値の少ない生産工程は海外に移転、国内は研究開発等の高付加価値分野、ハードウェアに付随するサービス業務などに付加価値の源泉を求めていくことが重要です。このためには、先程述べた中小企業の振興策、投資減税や研究開発減税等のインセンティブも必要でしよう。
「お題目は分かるが、実際にどうやるかが難しい」という声が聞こえてきそうです。しかし、工夫の仕方ではないでしょうか。例えば、財とそれに関連したサービスを組み合わせることで、雇用に結び付けていくことが可能です。携帯電話のショップは、街中至る処でみかけるようになりました。このショップで多くの方が働いていらっしゃいます。10年前には、この産業はなく労働人口がゼロだったものです。ゲームソフトやコンテンツなどの産業も新しい担い手です。中小企業でも、ある食品加工機器メーカーからは、「製品販売後のサービス収入が売上の大部分」という話を聞きました。納入した大手スーパーの売れ筋商品に併せ、切り餅が売れ筋となれば切り餅加工機、お寿司が売れ筋となればお寿司加工機という具合に機器のメンテナンスを行うのだそうです。住宅メーカーは今や家を売るだけではなく、金融や賃貸物件斡旋、管理、リフォーム等住宅というテーマに係る全ての分野にわたるサービス業務やソフトを提供しているという話です。これらは、いずれもハードに付随したソフトをビジネスモデル化していく動きです。
- 1「日本経済の構造調整と東アジア経済」(財団法人:日本国際問題研究所)第8章 野中義晴著
- 2同上 第3章 大木博巳 著
(3)不良債権処理の現状評価と今後の金融機関経営
最後に金融システムや不良債権処理に言及したいと思います。1990年代から足許にかけて、80兆円を超える不良債権処理、および10兆円を超える公的資金が投入されましたが、その後も不良債権残高は累増していました。資産価格の下落、地方経済の疲弊、非製造業や中小企業の不芳といった経済構造の変化が同時に進んだためです。1997年や2001年の景気失速局面においては、金融システムへの不安が実体経済に大きな悪影響を与えました。しかし、今次景気回復局面において、少し様子が違ってきたようにみえます。大手銀行の開示不良債権について、2002年/3月末と2003年/3月末を比較すると、大きく減少しているのが分かります(2002年/3月末28.4兆円→2003年/03月末20.7兆円)。政府のオフバランス化方針の進捗状況(主要12行)をみると、来年度末までに80%の処理率を求められているもの(2001年度上期・下期発生分)の進捗率は70%前後、50%の処理率を求められているもの(2002年度上期分発生分)はすでに目標を達成しています。なお、銀行によっては、債務者区分において、要注意先から要管理先・破綻懸念先への下方遷移が減少し、下方遷移よりも上方遷移の方が件数・金額とも増加している先もあるようです。不良債権の減少は、第一義的には銀行が処理を積極化したためですが、企業の収益体質が本当の意味で筋肉質になってきたことも背景として指摘できます。「本業で収益を上げている先は処理ではなく再生の対象である」として、銀行側もそれを積極的にサポートしました。
また、銀行自身も経営体力強化に取り組んできました。大手銀行の保有株式について、2001年3月末と2003年3月末を比較すると、日銀や銀行等保有株式取得機構への売却もあって約半減しています(2001年/3月末31.5兆円→2003年/03月末14.8兆円)。増資や株式保有の減少から株価に対する銀行の抵抗力は格段に向上しています。加えて足許の株価の上昇もあり、銀行の経営体力も増強されたと考えてもよいでしょう。銀行の経営体力強化は、須らく金融システム安定につながります。不良債権処理の進展、金融システムの安定は、経済の不透明感を除去することでしょう。
ただ、不良債権処理が道半ばであることは確かです。また、金融機関経営については、現在なおいくつかの問題が提起されたまま結論が出ていません。
一つは公的資金の問題があげられます。過去2回の金融機能安定化法および早期健全化法に基づいた注入や最近におけるりそな銀行への預金保険法第102条に基づいた注入は、何のための資本注入であったのかという問題を改めて考えてみる必要があると思います。公的資本注入は、基本は預金者を保護し金融システムを安定化させるために行うものです。この目標以外に使うのならば、注入の意味を明確化する必要があります。ペイオフ解禁を控え、破綻前の予防的な注入に関する法整備が金融審議会のテーマに上がっていますが、新たなスキームによる公的資金の注入に当っては、先ず原点に帰って、「何のための注入か」という点を明確にするとともに、そのスキームが本当に実効あるものとなるのかどうか十分に説明責任を果たしていく必要があると思います。
不良債権処理を進めるうえでのもう一つの問題は、中小企業と銀行とのリレーション、銀行の収益力向上という点です。いわゆる「竹中プラン」の下、銀行は不良債権処理と資産圧縮、収益力強化の三方面作戦に取り組んできました。そうした中、中小企業の中でもリスクの高い先に対して、貸出態度が慎重になり、リスクに見合ったリターンを稼得するため金利引上げを要請するのは自然の成り行きと言えます。「中小企業の場合、借入は擬似資本に近い」にもかかわらず、「当然書き替えてくれると考えていた単名手形借入について、『一覧払いなので返してもらいたい、出来ないならば金利引き上げに応じてもらいたい』と言われた」という声をよく聞きました。足許、経済環境の好転によって銀行の貸出態度も多少軟化してはいますが、日銀のローン・サーベイによるとまだまだ厳しい先も残存しているのが分かります。
こうした状況を改善するには、中小企業自らコア業務を強化するなど新しい経済構造に自ら適応していく経営改革が必要です。旁々、金融機関は中小企業との取引に工夫を凝らし、日本の企業と銀行の伝統的な関係のよい部分を残し取引先企業を育てる姿勢が必要と思います。最近この方向に向けての銀行の積極的姿勢が感じられる動きが出始めていますが、当局サイドもこれをサポートしていく、コーディネートされた姿勢をさらに強めていくことが望ましいと感じています。
収益向上策を考えるため、金融業界を取り巻く大きな環境変化を今一度整理してみますと、先ず第一に、情報通信技術の応用により異業種からの参入や業態間の垣根が徐々に低くなりつつあることをどう利用するかという点があります。認証技術やWEB技術などを利用した金融サービスはまだまだ拡がる分野であり、規模の拡大とともに収益性も高まるでしょう。第二に、個人金融の分野では預貯金の700兆円をどうビジネスに結び付けていくかです。個人資産管理業務においては、今後、金融知識に精通した団塊の世代が主な顧客になります。単に金利だけではなく、証券や保険分野も含めた総合的な取引が求められるでしょう。既に銀行窓口での投信販売や保険販売は一つの収益源として育ちつつあるようです。例えば、個人のライフサイクルに併せ、クロスセル(幅広い金融商品の提供)、アップセル(高度、複雑な金融商品の提供)にビジネス機会を求めることは可能と思います3。第三に、企業への融資業務では、全体のパイが縮小している中で、付加価値の高い企業金融サービスとしてどのようなビジネスを展開すべきかというポイントです。この点でも、中小企業取引は一つのビジネス機会を提供するのではないでしょうか。中小企業の財務リストラは遅れており、その必要性は非常に高いと言えます。
中小企業に対する売掛債権や資産の流動化などによる資産のオフバランス化などは、もちろん既に始まっていますが、このような市場はまだまだ広げられるのではないでしょうか。中小企業金融円滑化と銀行の収益向上、この二つは決して対立しません。むしろ、処理から再生に大きく舵が切られようとしている今だからこそ、Win-Win dealのチャンスであり、リレーションシップ・バンキングの目指している方向性とも合致するのではないでしょうか。
なお、ここで一言付け加えたいのは、銀行の新しいビジネスモデルの展開に当って、業容拡大とともにコンプライアンス面でのバランスをとる必要もあるということです。利益相反による規律喪失は、担保金融の弊害と共に、金融機関が90年代に学んだ重要な教訓です。企業再生における再生ファンドとの取引・Due Diligenceの中身、個人取引における自行内のフィナンシャル・アドバイザーの在り方等、規律の必要性も同時に強く指摘しておきたいと思います。
- 3「儲かる銀行をつくる」山本真司著
5.おわりに
足許、景気回復基調が徐々に確かなものとなってきたことで、企業経営に携わる方の顔も明るくなってきたようです。多くの構造問題を抱える日本経済にとって天与の機会と考えるべきでしょう。中長期的な課題への取組みを明確にし、何とか自律的、かつ長期的な回復基調にのせなくてはなりません。
失われた10年と言われ、21世紀を迎えても、なお日本経済は苦しみ続けました。実体の無い経済拡大の桎梏が余りに大きかったと言わざるを得ません。この先も、グローバル化の進展、少子高齢化、地政学上のリスク等々、大きな環境変化が待っていることでしょう。しかし、厳しい時代を乗り切ってきた企業は、過去と比較し、明らかに変化に強くなっています。足許の景気回復のドライビング・フォースは、政府の構造改革や金融機関の不良債権処理の進展ではなく、企業の経営革新と逞しい企業家精神だと思っています。また、個人の意識も家計行動も大きく変わっていきそうです。金融機関の融資を担当されている方とお話しした際、「この3年間、銀行と共に血を流しつつも生き残ってきた企業には何かがある。もはや我々としても徹底的な支援という選択肢以外有り得ない」という言葉を聞きました。厳しい経済環境と苛烈な競争の中で、世界に伍し新商品を育て市場を開拓する自信をつけた逞しい企業が増えているということでしょう。疾風に勁草を知る。経済運営の末端に携わる者として、緊張感とともに、大いなる力強さも感じております。
私が本日申上げたかったことは以上です。ご静聴頂きまして感謝致します。
以上