ホーム > 日本銀行について > 講演・記者会見・談話 > 講演・記者会見(2010年以前の過去資料) > 講演・挨拶等 2005年 > 日本経済の現状・先行きと金融政策──高知県金融経済懇談会における須田美矢子審議委員挨拶要旨
日本経済の現状・先行きと金融政策
高知県金融経済懇談会における須田美矢子審議委員挨拶要旨
2005年9月28日
日本銀行
[目次]
1.はじめに
日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、正副総裁および政策委員会審議委員、いわゆるボードメンバーが、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせていただいております。本日は、高知県の各界を代表する皆様方にご多忙のなかをお集まりいただき、親しくお話しする機会が得られましたことを誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃、私どもの高知支店が大変にお世話になっております。この場を借りて厚くお礼申し上げますとともに、今後ともよろしくご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。
本日、私からは、日本経済の現状・先行きと金融政策についてお話しさせていただき、最後に高知のこれからについて僭越ながら私の意見を少し述べさせていただいた後、皆様方から当地の実情に即したお話や忌憚のないご意見を承りたいと存じます。
2.足許の日本経済の動向
日本経済の現状
日本の景気の現状をみますと、全体としては回復を続けており、私ども日本銀行が本年4月に公表した「経済・物価情勢の展望」(所謂「展望レポート」)の見通しに沿った動きであると思います。ただ、7月に行いました中間評価1 で示しましたとおり、輸出が中国向けを中心にやや下振れている一方、国内民間需要がやや上振れています。足許の景気の動きをやや仔細にみますと、想定比下振れている輸出は緩やかながらも増加を続けており、足許持ち直しの動きが強まっているように思います。生産も多少の振れはあるものの増加傾向にあります。また、企業収益は高水準を維持しており、これを背景として設備投資も引き続き増加しております。そうした中で、雇用・賃金の改善を映じて雇用者所得も緩やかな増加を続けており、個人消費も底堅く推移しています。
ただ、こうした景気の回復に対して実感に乏しい地方があるのも事実です。私どもがそうした地方で景気についてお話をさせていただきますと、「日本銀行は地方の実態がわかっていないのではないか」とお叱りを受けますが、けっしてそのようなことはありません。実際、高知支店が公表しております「高知県金融経済概況」では、「最近の県内景況は、企業の生産活動に改善の動きがみられ、製造業の業況感は着実に改善しているものの、全体としてみると、なお回復感に乏しい状態が続いております」と判断しておりますし、本年4月から公表している「地域経済報告」(さくらレポート)2をご覧いただければ、東海地区等で回復感が強い一方、北海道地区等では回復感が弱いといったように地域によって回復感に差があることがわかります。
この地域による回復感の違いは、景気の循環要因よりもその地域がかかえる構造調整要因がやや強めに出ていることにあると思われます3。経済が潜在的な力を発揮していくためには、不断に発生する経済構造の変化に応じて経済資源を効率的に再配分することが必要ですが、それが何らかの要因によりうまくいかなくなっていることが構造調整問題であると捉えられます。1990年代以降の日本では、その間に大きく進んだグローバル化、情報化、少子高齢化といった環境変化に応じて経済資源を再配分することが必須です。これに対して、硬直的な企業経営システム、内向きの所得再配分システムと非製造業の非効率性、バブルの生成と崩壊に伴う負のストック問題、貯蓄・投資バランスを巡る問題など構造調整を阻害する要因が多々存在しましたが4、企業サイドの経営努力による阻害要因の克服の結果、過剰雇用、過剰設備、過剰債務といった三つの問題がほぼ解決しつつあります。財政が抱える問題を除けば、企業の財務体質や収益力は改善しました。こうした努力の結果が、設備投資や雇用者所得の増加に結びついていると考えられます。もっとも、地方経済においては、公共投資が基調として減少傾向を辿っている中で、都市部への人口流出が加速しており、そのことが新たな構造調整問題になってきています。先日、公表されました基準地価をみても、東京の商業地が15年振りに前年比プラスとなった一方、商業地・住宅地とも前年比マイナス幅が拡大した地方もあります(図表1)。高知県でも商業地のマイナス幅は縮小したものの、住宅地では前年比マイナス幅が拡大しています。これは少子高齢化の流れの中で、東京だけに限らず地方都市でも中心部に人が集まり、その他の周辺部の人口が減少するということを示していると考えられます。本日の最後に少し触れさせていただきますが、いかにして人を呼ぶかというのが、地方の活性化のためには不可欠だと思います。いずれにしても今申し上げましたような少子高齢化や都市と地方の二極化といった長期的な構造問題は存在していますが、企業が直面する構造調整がかなり進捗してきたこともあり、日本全体でみれば、構造調整要因から景気が再び後退するような可能性は少ないと考えていますし、仮に景気が減速しても、それをきっかけに大きく落ち込むようなフェーズではなくなっていると思います。
さて、それでは景気の循環要因の方はどうなっているのかについて申し上げます。まず、昨夏頃からみられていた「踊り場」についてですが、——私自身、「踊り場」という言葉は曖昧なので好きではないのですが——景気回復期における経済活動の一時的な横這い圏内の動きを「踊り場」と定義しますと、これを主に演出しておりましたIT関連分野の調整は終了したと判断しております。電子部品・デバイスの在庫循環は、在庫調整終了の判断基準である45度線にほぼ到達していますし、7~9月の生産は増加に転じる見込みです(図表2)。また、情報関連の輸出も増えてきておりますし、NIEs・ASEANでもIT関連分野やエレクトロニクスの輸出が改善しているとのことです。
また、4~6月期のGDP成長率も前期比年率+3.3%と市場の事前予想を上回る伸びとなりました(図表3)。需要項目別にみると設備投資と個人消費が日本の景気を牽引していることがわかります。こうした点について、先日公表されました法人季報をみますと、設備投資については、業種別にも不動産業、卸・小売業などでも大幅に増加しており、裾野が広がっているように思います。また、その背景にある企業収益等につきましても、売上高経常利益率やキャッシュ・フローをみると、製造業、非製造業、大企業、中堅・中小企業ともさらに改善しています(図表4、5)。この間、労働需給を反映する指標が改善傾向を続けているうえ、賃金ではパート比率の上昇一服や夏期賞与の支給額が前年を上回ったこと等から雇用者所得は緩やかに増加しています(図表6、7(1))。更に消費者コンフィデンスも引き続き良好であり、こうしたことを背景に個人消費も底堅く推移しています(図表7(2))。したがって、「踊り場」からは脱却したと判断してよいのではないかと思います。
自動車販売や百貨店販売等、7月入り後の景気指標に弱いものが散見されるのも事実ですが、これは高めの伸びとなった1~3月の後、4~6月も堅調に増加を続けたことの反動減と考えられます。家電販売や旅行といった分野は好調です。また、消費者物価指数をみると衣料品や身の回り品は前年比でプラスを続けておりますが、こうした品目は、コストプッシュよりデマンドプルでなければなかなか価格が上昇しない品目であり、個人消費が堅調なことを示唆している可能性があります(図表8(1))。また、雇用・所得面でも、流動性制約があると想定される若者の雇用の増大、失業期間の低下などによる雇用不安の低下、パート化比率の上昇一服や派遣社員の賃金上昇などによる一人当たり賃金の上昇等がみられ、個人消費の堅調さの裏付けになると考えられます。こうしたことを踏まえれば、個人消費の一時的な振れであって、予想以上に好調だった4~6月に対する若干のスピード調整が行われているのであり、バックギアに入ったわけではないと現時点では判断しております。
いずれにしても、これから発表される各種景気指標や来月初に公表予定の短観で企業収益、設備投資、雇用者所得、個人消費等の動向を確認し、着実な回復を続けているかどうかを確認したいと考えています。
この間、物価については、マクロの需給バランスが基調として改善を続けている中で、国内企業物価は、原油価格上昇の影響等から上昇しています(図表9(1))。一方、消費者物価(除く生鮮食品)は電気・電話料金引き下げの影響もあって小幅マイナスになっていますが、特に規制緩和・競争激化が価格の低下となって現れている公共サービス等を除いたものでみると、昨年度下期も、今年度入り後(7月まで)もプラスになっています5(図表9(1)、8(2))。
- 1日本銀行は、毎年4月と10月の年2回、金融政策決定会合の決定を経て、「経済・物価情勢の展望」(所謂「展望レポート」)において、日本銀行の経済・物価情勢に対する見通しを公表しています。さらに、そこで示した標準的な見通しについて、上振れまたは下振れが生じていないか、3か月後(1・7月)の金融政策決定会合で中間評価を行い、「金融経済月報」の「基本的見解」の中で公表することとなっています。また、「経済・物価情勢の展望」では、政策委員による実質GDP、国内企業物価指数、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の見通しを参考計表として掲載しています。こうした見通しの公表は、金融政策の透明性向上という観点から、日本銀行の金融政策運営に対する考え方や、経済・物価情勢についての見方を、より分かりやすく伝える取組みの一環として行っているものです。
- 2「地域経済報告」は、日頃、日本銀行本支店が行っている企業ヒアリングで得られた情報を基に、地域経済に関する各種データを活用しながら取りまとめたもので、政策運営を支える経済調査の充実と、その成果の幅広い共有を狙いとして、本年4月より作成・公表を開始しました。今後も、年4回、支店長会議開催の都度、作成・公表致します。
- 3詳しくは、須田美矢子「日本経済の現状・先行きと構造調整」(山口県金融経済懇談会における挨拶要旨<2004年10月6日>)をご参照ください。
- 4構造問題に対する分析は、翁邦雄・白塚重典「資産価格変動、構造調整と持続的成長:わが国の1980年代後半以降の経験」、『日本銀行金融研究所ディスカッション・ペーパー』、No.2004-J-22や前田栄治・肥後雅博・西崎健司「わが国の『経済構造調整』についての一考察」、『日本銀行調査月報』、2001年7月号をご参照下さい。
- 5消費者物価において、固定電話通信料等「公共サービス」と、「財」の中に含まれる「電気・都市ガス・水道」を合計したものを「広義公共サービス」と考え、消費者物価(除く生鮮食品)から控除して算出しています。具体的には、昨年度下期が前年比+0.03%、今年度入り後が同+0.11%です。なお、この考え方の詳細については、須田美矢子「日本経済の現状・先行きと物価」(函館市における金融経済懇談会での挨拶要旨<2005年2月8日>)をご参照ください。
日本経済の先行き
さて、日本の景気の先行きについてですが、「踊り場」を脱したことにより回復は明確化し、2005年度も潜在成長率を上回る成長が実現すると考えています。すなわち、海外経済が米国や東アジアを中心に拡大基調を続けると予想される下で、輸出の伸びは次第に高まっていくとみられます。また、設備投資や個人消費といった国内民間需要も、先程申し上げたように構造調整が進捗している中で、高水準の企業収益や雇用者所得の緩やかな増加を背景に、引き続き増加していく可能性が高いと思われます。こうした状況の下で、生産も増加基調を辿ると予想されます。ただ、IT関連分野の調整が終了したからといってV字型の景気回復が実現するわけではなく、あくまでも緩やかなものであると思っております。これは2006年度を展望しても同様であると思います。
この先行き見通しにおいて、私が一番気にしているのが、海外経済が潜在成長率程度の拡大を想定どおり続けられるかどうかです。内需に好調さが伺われるため、日本の景気回復のエンジンは「外需」から「内需」にシフトし、「内需」というエンジンで景気回復の継続が可能であるとの見方もありますが、私としては「好調な海外経済」というエンジンなしには着実な回復は難しいと考えております。こうした中でもっとも気になるのが、最近の原油価格の高止まりあるいはより一層の上昇が世界経済に与える悪影響です。
そもそも、原油価格の高騰については、(1)実需を反映しているため、原油価格の高騰により景気が減速すれば価格は低下すると想定できること、(2)仮に高止まりしても、産油国まで含めればグローバルな所得再配分効果もあるためトータルの影響としては限られていること、(3)インフレ率が総じて安定しているもとでは急激な金融引き締め政策をとる必要がないこと、(4)エネルギー節約の進展などから、かつてのような悪影響はないのではと考えてきました。ただ、足許のアジアの状況や米国を襲ったハリケーンの被害をみると、今後ともその考えで問題ないのか少々不安になります。
まず、アジアの国々は、これまで原油価格の上昇のコストを財政に負担させることで、相対価格変化に対する要素配分見直しを阻害してきた面があります。中国では、エネルギー価格が統制されていることもあり、価格上昇による需要の調整が限定的にしか見込めないため、「量」の不足の深刻さが増しつつあり、エネルギー制約が経済成長の足かせになる可能性も無視できないように思います。アジアの他の国々では、財政赤字に与える悪影響を回避すべく、価格統制が緩和され、物価上昇圧力が増しているようなケースも散見されます。実際にインフレ率も上昇し、引き締め政策を採る先がみられるほか、一部の国では為替レートが年初来最安値を記録しつつあり、これに対する外国為替市場介入も余儀なくされています。中国では企業収益が低下しつつあるとの声も聞こえてきますが、エネルギー価格の上昇を誰がどのように負担しているのかがみえないので余計気がかりです。足許、東アジア諸国・地域では、輸出が緩やかな増加傾向にあるにもかかわらず、生産は輸出と必ずしもパラレルに増加していないとのことであり、これが単なる在庫調整のためのラグなのか、それともエネルギーの原単位が大きい中で物価上昇圧力の増加等に伴い内需に何某かの変調を来たしているのか、見極める必要があると思っています。
米国は、潜在成長率程度の成長を続けており、先行きも依然として世界経済の牽引役になると考えています。ただ、今回米国を襲ったハリケーンの被害は原油の「価格上昇」の問題だけではなく、「量の制約」の問題も惹起した可能性があります。また、ニューオーリンズは物流の拠点としても重要な場所であり、この面の影響も考慮しておく必要があります。今のところは、ハリケーンの影響は米国政府関係者等の言うとおり一時的である蓋然性が高いと思っていますが、原油・ガソリン価格の高騰の持続性如何では、インフレ懸念が再燃する可能性もありますし、ガソリン価格の上昇等が実質可処分所得の伸びの低下を通じて個人消費に直接的な悪影響を及ぼす可能性も無視できません。
米国景気を牽引しているのは、個人消費と住宅投資ですので、只今、申し上げた原油価格高騰の問題のほか、低位安定している米国の長期金利が何某かのショックで上昇しますと、景気拡大に水を浴びせる格好になりかねません。こうしたこともリスクとして認識しておきたいと思います。その場合、経常収支赤字や財政赤字が大きいだけに、為替レートや海外金利などを通じて海外経済に大きな影響が及ぶ可能性があります。
いずれにせよ、不確実性の高まり自体、金融市場に何某かの影響を与えると考えられますので、エマージングマーケットを含めて今後の為替・金融市場の動向を注意してみていきたいと思います。ただ、今申し上げたようなリスクには留意が必要であると思いますが、現時点では景気の先行き見通しを修正しなければならないような事態にはなっていないと考えています。
この間、物価については、国内企業物価は、原油高等を映じて上昇を続けると考えられます。また、消費者物価(除く生鮮食品)については、先程も申し上げたような「広義公共サービス」や一時的と思われる要因を控除すればジリジリと上昇圧力を高めています。今後、最近の前年比マイナスを演出している一時的な要因の影響が薄まっていくことにより、ジリジリと上昇圧力を高めているコアの部分が表に出てくるため、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、年末頃にかけてゼロ%以上になる可能性が高いとみております。もちろん、グローバルな物価上昇、賃金や原油を始めとする原材料価格の上昇や需給ギャップの縮小により物価上昇圧力が更に高まるリスクは否めません。例えば、サービス業の賃金をみますと足許改善しており、サービス価格の上昇につながる可能性もあると考えられます(図表9(2))。ただ、消費者に対する国内外の企業間の競争が激しい中で、ユニット・レーバー・コストがドンドン上昇するようなことは考え難いことを勘案すれば、例え消費者物価(除く生鮮食品)の前年比がゼロ%以上になっても、前年比プラス幅が急速に大きくなっていくのではなく、基本的に物価はゆっくりとしか上昇しないと考えています。それは、賃金の伸びが緩やかであることや土地等資産価格の上昇もごく一部以外はマイルドなものに止まっていること等からも推察できます。
なお、「デフレからの脱却」といった言葉が景気回復を代替するような言葉として使われていますし、最近は名目成長率とデフレ解消を結びつけるような議論も聞かれるところです。「デフレ」という言葉の意味は人によって区々であり、曖昧なものだと思いますが、人々が「デフレ」という言葉でイメージする状況は、「景気が大きく後退し、物価も下落する」というものではないかと思います6。私は、物価が下落しているかどうかという観点に過度に焦点を当てた議論の仕方はあまり生産的であるようには思いませんし、特定の指標だけで判断するつもりもありません。したがって、金融政策の面では、量的緩和政策の解除について定義が曖昧な「デフレからの脱却」ではなく、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比の動向がその条件になっています。いずれにせよ、金融経済情勢を判断するうえでより重要なのは「デフレ」から脱出したか否かを議論することではなく、景気の回復が続くかどうかを丹念に検証していくことだと考えております。
- 6そもそもデフレの定義としては、(1)不況、景気後退をさす場合、(2)物価下落を伴った景気の低迷をさす場合、(3)景気の状況にかかわらず物価の下落をさす場合、(4)物価下落のうち需給緩和による部分のみをさす場合、等があります。因みに、政府は2001年3月の「月例経済報告」で、「デフレ」を「持続的な物価下落」としておりますし、国際通貨基金(IMF)では「デフレ」を「2年以上物価が継続的に下落していく現象」としています。その意味においては、物価下落の象徴になっている消費者物価の前年比がプラスを続け、年度でみてもプラスになれば、持続的な物価下落には当てはまらず、デフレは解消したと言えるのかもしれません。また、日本銀行情報サービス局が実施している「生活意識に関するアンケート調査」(第23回)<2005年6月調査>の結果をみると、「1年前と比べると物価は何%程度変化したと思うか」との問いに対しては60.5%の方が「0.0%」(平均値は+0.8%)と、「1年後の物価は何%程度変化すると思うか」との問いに対しては59.5%の方が「0.0%」(平均値は+1.6%)と回答していますので、物価の下落という意味において国民の感覚としては既にデフレではないのかもしれません。
3.金融政策—中央銀行の信認と期待インフレ率の安定を求めて−
物価の安定と中央銀行の信認
最近、小中学生にお金の大切さや日本銀行の仕事——お金を安心して使えるようにすること——について講義する機会が何度かありました。そこでは単なる紙切れであるお札に価値があるのは、人々がお札に価値があると信じているからで、信じ続けてもらうためには物価の安定をはかることは大事な仕事であるという話をしてきました。日本銀行に対する信認を維持し続けるためには、金融政策を通じて物価の安定を図ることが重要であることを改めて確認したところです。
金融政策の目的は物価安定にあって、日本銀行法第2条で通貨および金融の調節の理念として「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」と定められています。今日では、国民からみて「インフレでもデフレでもない状態」を意味する物価の安定と持続的な経済成長とがトレードオフの関係にあるのではなく、物価の安定が持続的な経済成長のための前提条件であるとの見方が一般的です。物価の安定が維持されれば将来の不確実性とそれに伴うリスクプレミアムが低下するとともに、個々の価格変化が発する情報を個々の経済主体が正しく認識できるようになり、効率的な資源配分につながるからです。また物価が安定していないと債務者と債権者の間で予期しない所得分配が生じ、それが社会的公正に対する国民の信頼を低下させ、中長期的な経済成長に悪影響が及ぶことが懸念されますが、これも回避できます7。
物価の安定を達成するためには、私どもが物価安定を重視しそのために努力していることを示すだけでは不十分で、物価の安定に向けて政策の一貫性を保ち、先行きの物価の安定に対する国民の信認を確立し、インフレ期待もデフレ期待もない状態を保持することが大事です。そのためには物価安定の定義、政策対応のあり方などについて透明性を高めるために工夫を重ねていく必要がありますし、情報発信ないしは市場との対話の向上をも心掛けていく必要があると思います。また信認を維持するためには、物価・実体経済について良好なトラックレコードを積み重ねていくことも大事ですし、政府との関係ではお互いに信頼関係を維持した上で独立性を高めておくことも重要です8。
以下では、実効性のある金融政策を行うためには、信認と先行きの物価安定期待の維持が重要だという観点から、それに役に立つかどうかを判断基準として、海外の経験や日本の過去の経験をも参考に、今後の金融政策のあり方についての私の個人的な見解を述べたいと思います。
なお、このようなお話をすると、インフレーション・ターゲティングの採用について賛否を問われることになりがちです。しかし、そもそもインフレーション・ターゲティングの採用という言葉で意味している内容が時期により論者によってあまりにも異なっており、賛成も反対もしようがないというのが私の正直な感想です。重要なことはインフレーション・ターゲティングを採用すべきかどうかと言う漠然とした議論ではなく、どのようにすれば金融政策の透明性を高め、アカウンタビリティ(説明責任)を果たしていけるかについて、より具体的な議論をすることだと思います。
- 7そのほか資源の無駄遣いのコストも避けられます。物価の安定を巡る問題については、2000年10月に出された『「物価の安定」についての考え方』日本銀行(2000年10月)をご参照ください。また、その後、2001年4月より「物価に関する研究会」が開かれましたが、白川方明、門間一夫「物価の安定を巡る論点整理」(第3回物価に関する研究会報告資料)<2001年10月>や早川英男、吉田知生「物価を巡る概念的諸問題——ミクロ経済学的検討——」『調査統計局Working Paper Series』、Working Paper 01-5(2001年5月)をはじめとした提出論文や議事要旨もご参照ください。
- 8信認のサーベイとしては、例えば、安孫子勇一・早川英男、「政策当局に対する「信認」とその意義」、『金融研究』、第5巻第3号(1986年)、デビット・ローマー『上級マクロ経済学』、セクション9.4.「低インフレーション金融政策の動学的不整合性」、藤木裕『金融市場と中央銀行』、第4章「中央銀行制度の経済理論」などがあります。また、バーナンキFRB理事(当時)も信認についての学説史を簡単に述べています(Bernanke, B.S.(2004)"Remarks to the Conference on Reflections on Monetary Policy 25 Years after October 1979")。
景気物価情勢の現状・先行き判断の重要性
金融政策は通常はオーバーナイトの金利に働きかける政策です。現在、日本では量的緩和政策を採用し、金融機関に対する資金量(当座預金残高)を主たる操作目標にして金融政策を行っていますが、金利面ではゼロ金利政策です。他方、設備投資など主たる経済活動は長期金利などオーバーナイトよりも長めの金利によって影響を受けます。長期金利は将来のオーバーナイト金利の予想とリスクプレミアムによって決まりますが、将来のオーバーナイト金利の予想は当然ながら金融政策の先行きをどうみるかによって決まってきます。つまり、長期金利の決定には金融政策の今後がどうなるかが重要な意味を持ちます。一般的に、金融政策について、(1)物価安定という政策目標を明らかにし、(2)経済物価情勢についての中央銀行の見方を明確に示すとともに、(3)経済物価情勢と政策対応とを一貫性をもって関連づける政策運営がなされていれば、政策の予測可能性が高まると思われます。
金融政策の予測可能性が高まればリスクプレミアムは小さくなりその分長期金利も低くなります。それに加えて私どもが経済物価情勢について正しく判断し、適切な政策対応を実際に行い、その実績を積み重ねていくことができれば、物価安定維持について国民から信頼されるでしょうし、先行き物価安定期待も維持され、政策の効果についても結果的によいパーフォーマンスが得られるでしょう。
もっとも、現実はこのようにうまくいくとは限りません。経済は生き物であって、日々変化しているものの、それをリアルタイムに捉えることは困難です。金融政策を決定するボードメンバー9人のうちの一人となって4年半が経過しましたが、今でも非常に頭を悩ますのが、経済物価情勢の足許あるいは先行きについての判断です。実際、日々手にするデータやその分析を蓄積していっても、データは十分ではなく、公表は遅く、かつ強弱両方のデータやデータの振れがトレンドの把握を難しくしますので、判断に困り、もう少し様子をみて判断したいと思うことが少なからずあります。そのとき手にしている情報をもとに経済物価の情勢判断を間違わないように最善の努力をしているつもりですが、過去の自分の情勢判断を事後的に振り返ってみると、大きなものではありませんがハズレがないわけではありません。もっとも、日本の経済物価情勢についてはこれまで日本の景気回復の重しとなっていた三つの構造問題がほぼ解決しつつあるため、国内発のリスク要因で景気が下振れするリスクはかなり低下しています。先行きの経済物価情勢を考えるうえでは主たる関心事は先程述べましたような原油価格や米国・中国など海外経済についての上振れ・下振れリスクです。
このように様々な不確実性を各国経済は抱えていますので、経済物価情勢の現状・先行きの判断は、リスクの評価如何で人によって異なってきます。政策判断は経済物価についての情勢判断に基づき行われますので、政策の枠組みがどのようなものであれ、情勢判断が政策担当者間で異なれば、各人が望ましいと考える政策内容も異なってきます。つまり先程示した(1)政策目標の明確化と(3)経済物価情勢と政策とを一貫性をもって対応づけるような政策運営がなされていても、(2)の経済物価情勢についての現状・先行きの判断能力が欠けていれば、信認も得られないと思います。
私は政策に対する信認をえる最短の近道は、経済物価情勢についての現状・先行き判断をできるだけ正しく行い、それをマーケットと共有することであると思っています。
現在、政策運営にあたって、先行きの判断が次第に重要視されるようになってきていますが、マクロのデータだけでなくミクロやヒアリング情報、サーベイデータなどの質的情報も活用して、実体経済を把握し分析能力を向上させていくことの重要性をひしひしと感じています。
金融政策におけるルールと裁量
(1)の物価安定目標についてですが、物価の安定が金融政策の目標であるという考え方はかなり広がっていますが、次に物価安定を数値化して公表するかどうかが議論の対象になります。(3)の政策対応については、物価目標に対する政策対応をどの程度ルール化するかというのが一つの論点になります。物価安定目標と政策対応の厳密性の程度によって、様々な政策の枠組みを導くことができます。
政策のあり方を巡っては、ルールか裁量かという観点からしばしば論じられてきました9。金融政策を中央銀行の自由裁量にまかせていては物価の安定と持続的な経済成長は実現できないということから、さまざまな政策ルールが提案されてきています。確かに政策運営をルール化できればわかりやすくなるでしょう。しかし、実際の経済には様々なショックが日々発生していますし、経済構造も変化しています。経済や政策の分析手法も改善し知識が蓄積されています。したがって、政策対応として機械的で単純なルールに従うことが信認を高めることにつながるとは思いません。
実際、キングBOE(Bank of England、英蘭銀行)総裁も、経済物価情勢の先行きについての判断と、政策対応の説明の難しさを指摘し、政策対応としては機械的で単純なルールは信頼できないとし、大雑把だが経験に基づく政策運営方法が望ましいとしています10 。機械的で単純な政策ルールの代表例であるテイラールールについて、テイラー自身、最初から実際の政策運営に機械的に使われるべきものではないと強調していましたし、今もそうだと述べています11。
かつてはルール化のイメージがあったインフレーション・ターゲッティングですが、今日それを採用している国の政策運営は短期的なショックに対しても柔軟に対応していくという意味でますます裁量的になっています。他方、裁量政策のイメージがあった非採用国はより物価安定を意識した金融政策を行うようになっています。その背景には透明性の重要性とその向上の必要性が、日本を含め政策の枠組みにかかわらず意識されるようになり、そのための努力がなされてきていることがあります。グリーンスパンFRB(米国連邦準備理事会)議長はインフレーション・ターゲティング採用国も非採用国の米国も日本も、実際の政策運営は非常に似てきていると指摘しています12。主要先進国において、現時点においても完全にルール化された政策を採用している国も完全な裁量政策を採っている国も存在せず、どの主要国も制限された裁量政策を採用しているということだと思います。それでは両者と主たる違いとなる物価安定の数値化・公表化の意味はあまりないことになるのでしょうか。実際には、物価安定を数値化し公表すべきかどうかを巡って議論が分かれています。相違点として主として議論の対象になっているのが、長期期待の安定性確保と政策の機動性・柔軟性の確保の程度についてです。
- 9ルールか裁量かという観点から論じたものとして、例えばGreenspan, A.(1997)"Rules vs. discretionary monetary policy", At the 15th Anniversary Conference of the Center for Economic Policy Research at Stanford Universityがあります。金融政策ルールの基本的考え方については、小田信之・永幡崇、「金融政策ルールと中央銀行の政策運営」、『日銀レビュー』、2005-J-13(2005年8月)をご参照ください。
- 10クリケットで野手がボールをキャッチするのにどのようにしてボールの落下点まで到達するかという例を用いて説明しています。詳しくは、King M.(2005)"Monetary Policy: Practice Ahead of Theory" Mais Lecture 2005をご参照ください。
- 11詳しくは、Taylor, J.B.(2005)"Lessons Learned from the Greenspan Era", At a symposium sponsored by the Federal Reserve Bank of Kansas City, Jackson Holeをご参照ください。また、バーナンキFRB理事(当時)もFRB(及び他の多くの主要中銀)においてテイラールールといったシンプルなフィードバックルールよりも先行きに基づく政策の方が重要で、次第に支配的になってきたと指摘しています。詳しくは、Bernanke B.S.(2004)"The Logic of Monetary Policy", Before the National Economists Clubをご参照ください。
- 12詳しくは、Greenspan, A.(2004)"Risk and Uncertainty in Monetary Policy", At the Meeting of the American Economic Associationをご参照ください。また、カンザス連銀シンポジウム「グリーンスパンの時代」の終わりの言葉で、グリーンスパンFRB議長は、目標を数値化したインフレーション・ターゲティングが世界の中央銀行行動を識別する重要な特性だという考えには依然として納得がいかないと述べています。詳しくは、Greenspan, A.(2005)"Closing remarks", At a symposium sponsored by the Federal Reserve Bank of Kansas City, Jackson Holeをご参照ください。
英国の事例と一考察
まず、インフレーション・ターゲティングも制限された裁量政策となっている点についてですが、日本銀行に物価目標を数値化して公表すべきであるないしはインフレーション・ターゲティングを採用すべきであると論じている人の中にはこの点を理解せず、数値化・公表すれば目標インフレ率と足許のインフレ率の乖離を埋めるように金融政策が運営されることになるのでわかりやすくなるとの思い込みもみられます。インフレーション・ターゲティングを採用しそのもとでうまく金融政策運営を行ってきた英国の例で、そうではないことを示しておきたいと思います。
BOE(英蘭銀行)が独立性を強めた1997年5月以降の金融政策変更時の状況について、インフレ目標値とインフレ率の直近の実績値とを比較してみますと、金利を変更した場合、その多くのケースは、足許直近のインフレ率との比較から想定される金利変更の方向とは逆方向の変更であったか、目標値と直近値が一致しているときの金利変更であったことがわかります(図表10)。BOEでは2年程度先の将来のインフレ率を予想し、それと目標インフレ率との対比で政策変更の可否が判断されますので、足許のインフレ率との対比でこのような結果となってもそのこと自体でBOEに対する信認が問われるということでは当然ながらありません。もっとも、インフレーション・ターゲティングを採用したら金融政策運営はインフレ率の実績値に基づき運営するからわかりやすくなるものだと誤解されていた方については、そうではないことがわかっていただけたのでないかと思います。
次に政策の柔軟性の程度についてですが、BOEの金融政策の柔軟性が示されている例として、2004年5月の金利引上げについてみておきたいと思います。2004年5月には、足許のインフレ率が物価安定の数値定義の下限に近づく中でBOEは利上げを全会一致で行いました。住宅価格高騰の先行きを見据え、足許物価が安定の範囲内の下限近くであったとしても、より長い目でみた物価の安定のためには引締め政策をとらざるをえないと判断したのだと思います。BOEに信認が備わっていなかったとしたら、そのような政策決定を対外説明するのは容易でなかったと思います。
2000年に日本銀行で物価の安定について数値化ができるかどうかを考えたときに、それが難しいと判断された理由の一つに1980年代後半以降の資産バブルとその崩壊の経験があげられています。この経験は物価がある限られた期間に安定していても経済の持続的な発展が保証されるとは必ずしもいえないことを示しています(図表11)。BOEは日本の経験を学んでいるからこそ、より長い目でみた物価の安定を求めて、引締め政策をとったと考えられますが、日本銀行で、物価安定目標を数値化し公表していた後にこのようなことが生じたとしたら、BOEのように柔軟な政策がとれるでしょうか。あるいはBOEにおいて物価安定の下限値を割ったとしても、長期的な物価安定という観点から利上げをすることができたでしょうか。
英国において政策運営を難しくしているのは住宅価格高騰が一因だと思われます。住宅バブルないしはその兆候は米国や欧州大陸にもみられます。また原油の高騰や技術革新による生産性の向上などの影響が強く作用しているときにも、そのときの持続的な経済発展と整合的なインフレ率は、中長期的な望ましいインフレ率とは乖離する可能性があります。持続的な経済発展のためにどの程度中長期的な目標インフレ率からの乖離を国民に受け入れてもらえるのかについて、物価安定目標が数値化・公表されているかどうかで差があるのかどうか、判断が分かれるところだと思います13。
もう一つの論点は長期的なインフレ期待の安定性についてです。キングBOE総裁はインフレーション・ターゲティングのメリットは目標を公表することとそれによる期待インフレの安定化にあるという点を強調しています14。実際、インフレーション・ターゲティング採用国と非採用国では期待形成が異なり、採用国の長期インフレ期待は足許のインフレ率によって影響を受けず安定的となっている一方で、非採用国のインフレ期待は過去のインフレ率に引きずられているとの分析がみられます15。ただ、この長期インフレ期待の安定性についてはこれまでの実績です。今後、様々なショックが生じることが考えられますので、インフレーション・ターゲティングがあるから期待インフレが安定化するというのも余りにもナイーブ過ぎる議論のように思えます。最近、キングBOE総裁は、英国ではインフレ率が安定的であるが、油断大敵で、大きなショックが起こった場合に実際のインフレ率が物価安定レンジから飛び出ると、期待インフレ率が安定し続けるとは限らないと述べています16。このことは柔軟性の許容度と期待インフレ率安定の間には緊張関係がある可能性を示唆しています。
結局、物価安定の数値化・公表化が、柔軟性の程度、期待インフレ率の安定性の程度にどの程度の違いをもたらすか、過去のトラックレコードにも影響を受けるため、必ずしも定かではありませんが、原油価格の高騰などの経験がその違いをより明らかにする可能性がありますので、もう少し様子をみていく必要があると思っています。
- 13米国FOMCのボードメンバーでインフレーション・ターゲティング反対者は、インフレーション・ターゲティングを採用すると、政策の機動性・柔軟性が失われることを反対理由の一つに上げています。詳しくは、Ferguson, R.W.(2002)"Remarks at the Graduate Institute of International Studies"やKohn, D.L.(2003)"Remarks at the National Bureau of Economic Research Conference on Inflation Targeting"をご参照ください。
- 14詳しくは、King M.(2005)"Monetary Policy: Practice Ahead of Theory" Mais Lecture 2005をご参照ください。
- 15インフレーション・ターゲティングが長期インフレ期待を安定させたという実証分析については、例えば、Levin, A.T., Natalucci, F.M. and Piger, J.M.(2004)"The Macroeconomic Effects of Inflation Targeting", Federal Reserve Bank of St. Louis Review: July/August 2004やGurkaynak, R.S., Sack, B and Swanson, E.(2005)"The Sensitivity of Long-Term Interest Rates to Economic News: Evidence and Implications for Macroeconomic Models", The American Economic Review: March 2005をご参照ください。
- 16詳しくは、King M.(2005)"Remarks to the Central Bank Governors' Panel", At a symposium sponsored by the Federal Reserve Bank of Kansas City, Jackson Holeをご参照ください。また、グリーンスパン議長も同様な意見を述べています。詳しくは、Greenspan, A.(2004)"Risk and Uncertainty in Monetary Policy", At the Meeting of the American Economic Associationをご参照ください。
時間を通じた政策の一貫性
なお、物価安定の数値化と公表については、政策の一貫性・継続性という観点から、ボードメンバーの交代とそれに伴う信認の変化を避けるためにも望ましいとの議論も見受けられます。今日、米国で物価安定目標の数値化と公表あるいはインフレーション・ターゲティングの議論が、グリーンスパンFRB議長の反対にもかかわらず盛んに論じられていますが17、このような議論がなされる背景には、彼が退任したあとどうやって米国FRBは信認を保つかという問題意識があります。日本についても同様の問題があります。前のボードメンバーが決めたコミットメントを後から来たメンバーに強制はできません18。しかしそれを巡って議論が行われる事自体、政策の一貫性という点で信認を損なう可能性があります。長期的な物価安定目標としてメンバーにかかわらず変更されることのない物価目標数値が採用できれば信認の変化を心配する必要は小さくなるかもしれません。また、ボードメンバーそれぞれの情報発信もクリアになるという側面もあります。もっとも、新メンバーが数値を変更できるということなら、意味を持たないかもしれません。
また、米国においては物価安定の数値化・公表化についての議論は政治や政府との関係についても指摘されていますが、物価安定の数値化・公表化が政治や政府との関係で、信認を強めることになるのかどうかも、重要なテーマだと思っています19。
政策の枠組みのあり方について変更するときには、こういった制度要因も含め、メリット・デメリットをしっかり分析する必要があると思います。
- 172005年2月のFOMCのミニッツ(Minutes of the Federal Open Market Committee, February 1-2)に、賛否両論が示されている。また賛成派の議論として、ラッカー地区連銀総裁の講演(Lacker, J.M.(2005)"Inflation Targeting and the Conduct of Monetary Policy" at University of Richmond)、反対論としてコーンFRB理事の講演(Kohn, D.L.(2003)"Remarks at the National Bureau of Economic Research Conference on Inflation Targeting")、ファーガソンFRB副議長の講演(Ferguson, R.W.(2002)"Remarks at the Graduate Institute of International Studies")があります。また、プール地区連銀総裁やバーナンキFRB理事(当時)も、物価安定目標の公表が望ましいとの議論をしています。詳しくは、Poole, William.(2004)"FOMC Transparency" at Ozark Chapter of the Society of Financial Service Professionals:Bernanke B.S.(2004)"Inflation Targeting", Federal Reserve Bank of St. Louis Review: July/August 2004をご参照ください。
- 18藤木裕、「金融政策における委員会制とインセンティブ問題」、『IMES Discussion Paper Series』、2005-J-14(2005年8月)では、現在のボードメンバーが将来のボードメンバーの意思決定をどの程度制限できるかと問題提起をしているが、未解決の問題であるとしている。
- 19米国にとってインフレーションターゲットを採用しにくい政治的理由については、Meyer, L.H.(2004)"Practical Problems and Obstacles to Inflation Targeting", Federal Reserve Bank of St. Louis Review: July/August 2004やGramlich, G.E.(2005)"Remarks at the Euromoney Inflation Conference"をご参照ください。
物価安定の数値化の具体的な選択
物価安定目標の数値化・公表を巡っては、あと二つ政策実施上、重要な問題があります。一つは物価安定の数値化について具体的な数値の選択に関する論点、もう一つは物価安定の数値の公表のタイミングについての論点です。
物価安定とは、概念上はゼロインフレと答えることができますが、具体的な数値でそれを示すことは容易ではありません。物価の安定の数値化を巡る論点としては、現実の物価上昇率が正しく測定された物価上昇率を上回る傾向があるという問題(物価指数の上方バイアスの問題)や金利はゼロ以下にならないという制約などからデフレになるとコストがかかるので、それを避けるために若干プラスの上昇率を目標とすべきであるといった金融政策上の議論などがありますが、それらの問題がどれだけ具体的に数値を押し上げることになるかは、バイアスの程度、潜在成長率の大きさや賃金の下方硬直性の程度、ゼロ金利下での政策運営の工夫などによって異なってくるため、それら問題をクリアした上である数値を導出することは非常に困難です。とはいえ概念上のゼロインフレを具体的な数値に落としたら、長期的にみて若干プラスのインフレ率となるだろうという私のこれまでの大まかな判断は変わっていません。
問題はそれが変動するということです。物価指数のバイアスは技術革新や規制緩和など、経済の様々な変化に伴って生じること、また、指数作成当局はバイアスをなくすよう努力を重ねていることなどから、一定であるとは考えられません。また、資産価格の変動や生産性の上昇などが生じている状況では、持続的な経済成長と整合的な物価の安定の数値は長期的なものとは異なるということは先程述べたとおりです。このように望ましい物価安定を表す数値が時とともに変化するからといって、それに合わせて目標インフレ率も変更させれば、目標インフレ率の数値化が物価の期待を安定化させるアンカーにもなりません。信認を得るという観点からは、物価安定の数値化にあたってはかなり長期にわたって妥当なものであることが望ましいと思います。
また、政策目標として国民すべてが納得のいく物価指数を一つ選ぶことも難しいと思います。資源配分という観点からは価格が変化しにくい財・サービスをとりだして、それで構成される物価の安定を考えるべきという考え方もあります 20 。消費者物価のコアの部分にエネルギー関連品価格を入れるべきかどうかも議論のあるところです。一時的な変動要因は物価安定の数値化の定義からはずすという考えもありますが、今日の原油の高騰は必ずしも一時的な要因とは捉えられず、実際それが人々のインフレ期待や消費行動に影響を与えていることを考えると、エネルギー価格を除いて考えればよいと簡単にいうわけにはいきません。要するに、エネルギー価格の動きが一時的な場合と捉えてよい場合とそうでない場合がありますので、物価指数に入れるべき具体的な項目を最初に決めておくことの難しさを示している一例だと思います。
物価安定とは国民にとっての安定でありますので、国民の合意が得られないのような数値化は意味をもたないと思いますが、いずれにしても物価指数の選択を巡って、国民の間で賛否について議論が広がり、中央銀行が選択した物価指数への不平不満がでてくるようですと、それを公表することによって信認が増すことにはならないと思われます。
数値についても同様です。この点、日本の国民は物価についてどちらかといえば下がるほうがよいと思っています 21 。今後高齢化社会をむかえ、ますますそのように考える国民が増えると思われますが、「物価の安定は具体的にはプラスのインフレ率です」ということになったとして、物価指数は個々人の物価の実感とは必ずしも合っていないということもありますので、それに国民が納得するかどうかは定かではありません。
他方、財政を含め債務をかかえているものはより高い数値を望む可能性があります。インフレは債務の実質価値を低下させるからです。但し、かつては財政債務問題の解決のための調整インフレ論的な主張もみられましたが、国民との対話で国民が納得するような数値目標が定められるのであれば、このような調整インフレ論の台頭は阻止できるかもしれません。
また数値を具体化する場合に、国際的な観点からの比較も重要です。日本はこれまで海外よりもインフレ率が低く、為替レートについてはトレンドとしては円高基調にありました(図表12)。インフレの許容度については国民性によるところもありますが、物価目標の格差が内外で生じ、日本のインフレ目標値が海外よりも低いとなると、為替レートはトレンドとして円高が続くと導きだされ、それを巡って議論が起こるかもしれません。このように様々な論点を考慮に入れると、国民の信認を得るような形で、ピンポイントで物価安定の数値化をすることは非常に難しいといわざるをえません。政策の分かりやすさという点からはピンポイントの方が望ましいと思いますが、物価安定の数値化はある一定の幅を持ったものとならざるをえないのではないかというのが現在時点での私の考えです。
- 20詳しくは、木村武・藤原一平・黒住卓司、「社会の経済厚生と金融政策の目的」、『日銀レビュー』、2005-J-9(2005年5月)をご参照ください。
- 21日本銀行情報サービス局が実施している「生活意識に関するアンケート調査」(第23回)<2005年6月調査>の結果をみると、物価が下がっていると回答した人(全体の18.4%)のうち52.2%が、物価が下がっていることは「どちらかと言えば、好ましいことだと思う」と回答しています。
公表のタイミング
つぎに、公表についてですが、「晴れているときに屋根を修理すべきだ」22といわれるように、公表するのであれば、基本的には平時の状態で公表すべきだと思います。中央銀行の目的は物価安定であるということは既に幅広く認識されている状況下で、実際のインフレ率がその目標の範囲に入っているときに物価安定の数値が公表されたとしましょう。金融政策の方向性についてもまた期待インフレ率についてもどちらかに変化する必然性はありませんし、公表に対して落ち着いて対応が可能だと思います。
他方、実際のインフレ率が目標インフレ率の範囲からはずれている時期に物価安定の数値を公表するとどうでしょうか。それが中長期的な物価安定の定義ということで導入されたものであっても、なかなかそこに到達しないというのであれば短期的な政策目標にされるリスクがあります23。いつまでも目標から離れていますと信認を損ないかねませんので、アグレッシブな政策対応を余儀なくされますと、かえって実体経済変動が不安定化し、信認が失われかねません。金利がついていたとしても非常に低く、政策手段も十分に手元にない場合には、金融政策が物価に波及するメカニズムやタイムラグに大きな不確実性がありますので、なおさらです。またその間、物価安定目標の数値化・公表化でインフレ率の期待形成が目標値の近辺で安定するように最終的には収束していくとしても、それまで期待インフレ率が過去のインフレ率の影響を大きく受けていたことを考えますと、そこへ収束するスピードは信認の程度にも依存して人それぞれだと思いますので、当面はインフレ期待が拡散してしまうかもしれません。こうしたことを考えますと、このような形での物価安定の数値公表化は避けるべきだと思います。
いずれにせよ、物価の安定について、長期的に維持でき、かつ信認を向上させことができる形で数値化・公表ができるのか、それとも私どもが2000年に物価の安定について議論して出した結論、つまり、物価の安定を(1)多様な物価関連指標による物価変動の性格の点検、(2)物価安定の持続性、(3)経済の健全な発展との整合性という三つの観点から判断するという現在の考え方を持続させた方がよいのか、将来判断する必要があると思っています24。
- 22詳しくは、Faust, J and Henderson, D.W.(2004)"Is Inflation Targeting Best-Practice Monetary Policy?", Federal Reserve Bank of St. Louis Review: July/August 2004をご参照ください。
- 23詳しくは、Kohn, D.L.(2004)"Inflation Targeting", Federal Reserve Bank of St. Louis Review: July/August 2004をご参照ください。また、インフレーション・ターゲティングの一人歩きのリスクについては、翁邦雄、「ゼロ金利下の金融政策運営について:現状と今後の課題——金融学会春季大会報告要旨——」(2000年5月)をご参照ください。
- 24日本における金融政策の採用判断にあたっての考え方については、翁邦雄、白塚重典、藤木裕、「ゼロ金利下の金融政策——中央銀行エコノミストの視点——」、『IMES Discussion Paper Series』、2000-J-10(2000年4月)や翁邦雄、小田信之、「金利非負制約下における追加的金融緩和策:日本の経験を踏まえた論点整理」、『IMES Discussion Paper Series』、2000-J-23(2000年9月)が参考になります。
当面の金融政策
さて、当面の政策運営についてですが、量的緩和政策を採用してからすでに4年半が経ち、量的緩和政策継続期間についてのコミットメントが満たされる時期が近づきつつあるとの声が聞かれます。量的緩和政策の継続条件として、消費者物価にコミットしている部分がありますので、実際に消費者物価のマイナス幅が小さくなると、市場に織り込まれている出口までの期間が短くなるのも頷けます(図表13)。
私自身は、文字通り、消費者物価が安定的にゼロ以上で推移するかどうかを、解除の重要な判断基準としたいと思っており、今のところ、量的緩和政策の解除の時期が近づきつつあるとみています。今後、量的緩和政策の継続期間(時間軸)の短縮効果が市場にどのようにでてくるのか、時間軸についてマーケットと私どもの見方があっているどうかということとともに、まだ足許はコミットメントが満たされていませんので、コミットメントが満たされるようになるまでの間、予断をもたずに経済物価情勢の現状・先行きをしっかりとみていきたいと思います。
なお、金融調節については、コミットメントが満たされるまでの間、時間軸が短くなるにつれて、短めの金利も次第に0.001%といったような極限状態から乖離していくようになります。そうなりますと、短めの期間のオペも札割れしなくなる可能性が高まり、金融調節の環境が年前半のように厳しくなる可能性はなくなるように思われます。そのようにオペ環境がよいということがあくまでも前提ですが、コミットメントが満たされるまで、当座預金残高目標は現状維持を続けることがよいと思っています。オペ環境がよいもとでの残高目標の引き下げは出口論と混同される可能性があるので、私としては避けるべきだと思っています。
量的緩和政策は簡単にいえば、潤沢な資金供給、ゼロ金利、時間軸の三つのパートから構成されています。そして量の効果は流動性不足による信用収縮を回避できたという意味では景気の下支え効果はあったものの、それを除くとこれまでのところ量自体の効果は目にみえる形では殆どなかったというのが私の現時点での評価です。したがって、量的緩和政策の今日における効果は時間軸効果とゼロ金利効果からなっていると捉えています。そしてコミットメントの達成が次第に近づくにつれて、このうち時間軸効果が次第に小さくなり、コミットメントの成立時、つまり量的緩和政策解除時点においては、実態としては、時間軸効果のないゼロ金利状態に到達することになります。
量的緩和の解除それ自体は、実態として時間軸のないゼロ金利状態下で、日々の調節を当座預金ターゲットから金利ターゲットに変更することでしかありません。量的緩和政策の解除開始以降、時間軸効果がゼロのゼロ金利を出発点として最初の着地点は、低金利を想定していますが、そこまでどの程度の時間をかけて調整していくことになるかは、経済物価情勢、金融市場状況、金利機能の回復度合いなどに依存します。また、もっとも重要な着地点の金利については、経済物価情勢如何に決定的に依存します。いずれにしてもそれがどの程度かは前もっては何ともいえません。ここまで極限に近いゼロ金利に慣れ親しんできたこともありますので、一時的には多少の混乱もあるかもしれませんが、最初の着地点まで少しずつ調整を進めていくというスタンスが望ましいと思っています。
私どもは展望レポートで「枠組みの変更やその後の金融政策運営については、経済がバランスのとれた持続的な成長過程を辿る中にあって、物価が反応しにくい状況が続いていくのであれば、余裕をもって対応を進められる可能性が高いと考えられる」と申し上げております。例えコミットメントが満たされてから量を減らす作業を行っても物価はゆっくりと上昇するという状況であれば、現在の非伝統的な金融緩和政策から通常の金融緩和政策に向けて、漸進的に対応することが可能であると思っています25 。もちろん先程述べましたように想定以上に物価の上昇スピードが速まるリスクもありますので、機動的な政策対応の可能性も頭の片隅にはおいていますが、適切なタイミングで量的緩和政策が解除できれば、解除直後の低金利から慌てて金利引き上げを行うようなことは回避できると考えております。
いずれにしても、その時々の金融経済情勢をつぶさに観察し、将来を睨んで適切な金融政策を行うのが私ども日本銀行の使命であると考えております。
なお、量的緩和政策を解除するにあたり、新たに何らかの時間軸効果をつけて、量的緩和政策の最終点における金利面での緩和度合いをもっと強化することは、望ましくないと思います。2001年3月に、ゼロ金利制約に直面する下で金融緩和効果を生み出すために将来の金融政策を拘束(短期金利を現実の消費者物価にリンク)したわけですが、このことを言い換えると、消費者物価以外の面で何が起きても金融政策(ゼロ金利)は動かさないことを約束したものです。時間軸効果が生まれるのはまさにそうした拘束があり、そうした政策運営は2001年の時点では適切であったと思いますが、金融経済情勢がここまで回復してきたもとでは、そうした拘束は適切ではありません。また、過去の経験からわかるように(図表14)、量的緩和政策の解除条件について、これまでその条件が満たされたかどうかという議論が台頭するたびに長期金利が上昇するとともに変動してきました。このような条件を解除時に新たににつければ、またその条件が満たされるかどうかを巡って将来、再び金利が不安定化する可能性は否めません。この点からも政策の動きをある一定期間止めてしまいかねない条件を新たに付加することは望ましくないと思います。
また、脱却時にインフレーション・ターゲティングを採用してはいかがかとの議論もありますが、物価目標の数値化とその公表も含めてその影響を考えてみますと、その下限が実績値よりも上に設定されたとすると様々な問題が生じ得ますし、期待インフレについてはばらつきが生じる可能性があると思います。
実際、量的緩和政策への移行時(2001年3月)のコミットメントの付加と、2003年10月のコミットメントの明確化は、ゼロ以上という意味で物価目標を定めた、あるいは物価目標をより明確にしたということも可能です。そこでそのときの金利や期待インフレの動きをみてみますと、いずれのケースも短期金利は低下したものの長期金利が上昇し、イールドカーブがスティープ化しました(図表14)。なお、この間、その時の足許の期待インフレ率を民間エコノミスト等によるサーベイ調査でみてみると、横這いとなっています。このような金利の変化の背景にはそのときどきで個別の理由があるでしょうが、この二つのケースは期待インフレ率が人によって、またはどのような時間的視野で期待形成をしているかによって、異なる影響を受けた可能性を排除できません26。したがって、この時点で新たな枠組みを組み込むことは、量の調整に加えて新たなインフレ期待の変動のショックを加えることになりかねません。これはリスクプレミアムを上昇させる可能性があります。
また、ゼロ以上というよりはもっとプラスの数値を公表すれば、この二つのケースよりもより一層長期金利が上昇する可能性があります。図表12には内外の長期金利差とインフレ格差が示されていますが、インフレ率の高い国の方が長期金利が高いことがみてとれます。つまり、内外では実質金利が均等化する傾向があります。海外の数値目標にあわせて物価安定の数値化を行い、期待インフレ率が外国に鞘寄せされていけば、長期金利も同様に鞘寄せされるでしょう。
以上のことから、私としては、少なくとも普通の金融緩和政策にシフトするまでは、物価目標を提示するなどして期待インフレ率を非連続的に変化させる可能性のあるものを組み込むのは慎んだほうがよいと考えています。
- 25漸進主義については、須田美矢子「日本経済の現状・先行きと構造調整」(山口県金融経済懇談会における挨拶要旨<2004年10月6日>)をご参照ください。
- 26詳しくは、翁邦雄・白塚重典、「コミットメントが期待形成に与える効果:時間軸効果の実証的検討」、『金融研究』、第22巻第4号(2003年)や植田和男「流動性の罠と金融政策」(日本金融学会での特別講演<2001年>)をご参照ください。なお、植田(2001)では、英国でも同様なことが起こったとも指摘しています。
4.おわりに
最後に、高知で金融経済懇談会を開催するにあたって、事前の勉強等を通じて、いくつか感じたことをお話したいと思います。
高知県経済の現状をみますと、全体としては、なお回復感に乏しい状態が続いています。製造業については、企業の生産活動に改善の動きがみられることなどから、業況感が着実に改善していますが、太宗を占める非製造業では、建設業をはじめ、観光や小売等個人消費も総じて不冴えな状況が続いています。7月に私どもの高知支店が公表した短観の結果をみても、高知県の企業経営者の業況判断DIは、2000年の水準まで回復してきていますが、依然としてかなり低い水準に止まっており、全国との比較では、地域間格差が色濃く残っている状況にあります。
こうした背景には、直接的には高知県経済において依存度の高い公共支出の減少の影響が大きいと思われますが、経済のグローバル化に伴う競争の激化、さらには、製造業のウェイトの低さや林業・農業・漁業就業者の高齢化・人口減少、といった様々な構造要因が作用しているものと考えられます。しかも、これらの要因はいずれも高知県経済が中長期的に向き合って解決していかざるを得ないものであり、地域経済の活性化が大きな課題となっている所以です。
私は、高知県経済の将来を再構築する鍵となるのは、各産業、企業等における新たな挑戦であると考えます。財政問題もあって公共事業に頼れないのは明白ですが、それだけに民間が「企業家精神」を発揮するチャンスでもあると思います。高知県には高度な専門技術を背景に、規模は小さくとも高い世界・国内シェアを誇る立派な企業が少なくないと聞いています。
一方、高知県と聞くと、私は「かつお」、「四万十川」、「園芸農業」、「早場米・二期作」といったことを連想します。実際に、森林面積率全国一とのことですし、高知平野では古くからハウス栽培も行われ、太平洋に目を転ずれば黒潮に育まれた豊かな水産資源があります。「豊かな自然=観光」という考えは日本各地で聞かれるところですが、林業・農業・漁業において「企業家精神」を発揮し、製造業やサービス業と連携して、本来の意味での「産業」として活性化していくことが、製造業のウェイトの低さや少子高齢化をカバーする一策ではないでしょうか。
林業についていえば、地球温暖化対策という点からも、森林の整備は重要です。また、業として成り立つためには、量を確保できるようにする必要があるでしょうし、加工技術の改善も必要でしょう。自然の中で働いてくれる若い人を集める必要もあるでしょう。是非知恵を絞っていただきたいと思います。また、お隣には成長著しい文字通り「大国」の中国がいます。生活水準が向上してくれば高品質の農産物に対するニーズが強まることも予想できます。もちろん国内においても高齢化社会の中では安心して食べられるものに対する需要が高まると思います。温暖で多雨多照という気候は、日本のなかでも限られた地域にしか与えられていない特権です。この特権をフルに活用していただきたいと思います。
高知県は、独創的な発想で日本の歴史を大きく動かした人物を数多く輩出したように、時代の変化を先取りする創造性豊かな人材の宝庫だと思います。また、今や日本各地で催されている「よさこい祭り」の本家でもあります。このような時代を先取りする豊かな創造性や地の利を活かし、「さすが、高知」と言わしめるような取り組みが増え、県経済全体として大きな成果に繋がっていくことを誠に僭越ながら期待しております。
私の話はこのくらいにしまして挨拶とさせていただき、皆様方との意見交換に移らせていただきたいと存じます。ご清聴いただきまして、誠にありがとうございました。
以上