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日本の金融システムの将来像
--経済産業研究所主催シンポジウム「日本の金融~企業と金融機関の関係を問い直す」における岩田副総裁講演要旨
2006年2月17日
日本銀行
目次
- はじめに)
- 金融システムの将来像を巡る4つの視点
- 銀行を中心とするシステムの変化
- リスク分担のあり方からの視点
- 公的金融の役割
- 少子高齢化が進展していることからの視点
- 金融システムの安定性の視点
- 決済システムにおける銀行の役割
- 中央銀行の役割
- 参考文献
はじめに
本日は、経済産業研究所の政策シンポジウム「日本の金融~企業と金融機関の関係を問い直す」にお招き頂き有難うございます。日頃より刺激的で知的な活動成果を生み出しておられる研究所が、中小企業を中心とする日本の金融問題に関するセミナーを開催されることは、日本の金融機関が、厳しいバランスシート調整の局面を経て、2005年4月のペイオフ全面解禁を無事通過した後、新たな事業展開に乗り出そうとしている現在の状況に鑑みますと、極めて意義深いことと思います。
金融システムの将来像を巡る4つの視点
日本の金融サービス業を取り巻く環境は、大きく変わりつつあります。すなわち、情報通信技術の発達と、デリバティブなど金融技術の急速な進歩を背景として、金融市場のグローバリゼーションが進展しています。また、国内では、少子高齢化の流れが強まっています。こうした中で、わが国の金融サービス業は、新たなビジネス・モデルの構築を図るという課題に直面しています。
グロ−バリゼーションの進展は、資金調達や運用の機会の広がりを通じて人々に新たな収益獲得とリスク分散の機会をもたらすほか、M&Aなどを通じた外国からの新規参入を容易にすることによって、金融機関の間の競争を促す効果を持ちます。さらに、少子高齢化の進展は、すでに足元の資金の流れや金融構造に大きな影響を与えつつあります。日本の金融を巡る環境の変化に伴い、金融システムも大きな構造変化を遂げつつあります。
本日は、この大きな構造変化の中にある日本の金融システムの将来像を以下の4つの視点から論じてみたいと思います。
まず、第一に、銀行を中心とする金融仲介システムの進化・発展という視点です。第二に、経済全体のリスク分担のあり方の変化という視点です。第三に、個人のライフ・サイクルを通じた金融サービスのあり方という視点です。そして第四に、金融システムの安定性という視点です。
銀行を中心とするシステムの変化
戦後日本の金融システムは、「銀行を中心とする間接金融優位の金融システム」であるとしばしば言われます。そして、アメリカやイギリスの「市場を中心とする金融システム」は、企業部門における技術進歩のスピードが速く、またグローバル化が進んだ環境により適合したものであり、日本やドイツの「銀行を中心とする金融システム」は、先進国にキャッチアップする場合に適合しているとされることがあります1。こうした指摘は、現実の一面を興味深く描写していますが、一方で、21世紀における望ましい金融システムを論ずる際に、「銀行中心のシステム」と「市場中心のシステム」のいずれのタイプが優れているか、という問題設定は、あまり有用でないように思われます。
「よい金融システムをもつ国は、より高い成長を促進することが可能になる」との視点から、「銀行を中心とする金融システム」と「資本市場を中心とする金融システム」のいずれがより成長促進的であるのかという問題について実証分析を行ったものもありますが、明確な結論は得られていません2。この問題は、つきつめれば、市場における資金の出し手と受け手の間の情報の非対称性を克服する方法として、価格発見や市場を通じる企業の規律付けなど市場がもつ機能を重視するのか、それとも銀行が行なっている情報収集・生産機能を重視するのかという点であります。しかし、いずれの方法がより優れているかをはじめから決め付けることは難しいでしょう。市場が持つ、有望な投資プロジェクトや企業を発見・選別する機能と、銀行の持つモニタリング機能には、相互に補完性があると思われるからです。
むしろ重要なことは、総体として経済に提供される金融サービスの量と質が高まり、ミクロ的な資源配分を改善していくことでしょう。そのためには、金融取引の持つ様々なリスクを組替えたり、分散させたりする金融技術の発達が求められ、現実に急速な進歩を遂げています。また、こうした金融技術が活かされるための仲介チャネルの発達も必要です。高度化した金融技術を駆使した複雑な金融商品の登場は、一方で、個人や企業が直接「高度に発達した金融資本市場」に参加することの費用を高める側面も有しています。この参加費用を低減させるよう、多様なチャネルを通じる金融仲介の担い手が求められることになります。この金融仲介の担い手は、伝統的な銀行部門であるとは限らず、ノンバンク、商社や情報関連企業など様々な分野の担い手が考えられます。「ファンド」と総称される投資ビークル——そこに含まれるものは、広く資金を集め、広く流通する株・債券や不動産に大規模に投資を行うものもあれば、非公開企業への投融資を対象に比較的小規模に組成されるものまで様々ですが——も、こうした金融仲介の担い手の一例と言えましょう3。これらに加えて、経済発展における金融システムの役割については、法の下での権利や契約の執行を保証する法制度・インフラストラクチャーがどの程度整備されているのかという論点も重要と思われます4。
- 1戦前の日本は、レッセフェールの色彩の強い「市場を中心とする金融システム」でしたが、1927年の金融恐慌時における銀行法の成立、戦時経済、戦後の修正を経て、戦後の「銀行を中心とする金融システム」が成立しました。内藤純一(2004年)は、これを「1930年モデル」と呼んでいます。
- 2Levine(2002年)を参照して下さい。
- 3日本においても「ファンド」が重要な役割を演ずる「ファンド資本主義」の時代が生まれつつあるとする論者もいます。これらのファンドが健全に発展していくためには、情報開示が十分でないという批判にも答えてゆく必要があるでしょう。例えば、武藤泰明(2005年)を参照して下さい。
- 4経済発展の過程で法制度やファイナンスが果たす役割についてはLaPorta, Lopez - de - Silanes, Shleifer and Vishny(1998年)を参照して下さい。
リスク分担のあり方からの視点
第二に、経済のリスク分担のあり方という観点から考えてみたいと思います。従来のわが国における「銀行を中心とする金融システム」においては、信用リスクや市場リスクなどが銀行部門に集中しやすいという特徴がありました。そもそも、量的に銀行与信が多いというだけでなく、日本のメインバンクが提供するローンは、企業にとって単なる債務ではなく、長期的な顧客関係に基く「関係依存的なローン」であり、コーポレート・ガバナンスや破綻リスクに直面した企業への支援を始め様々な機能を果たしてきたため、与信リスクの客観的評価が難しく、また容易にリスクを移転できないという側面もありました。こうしたことが、他国と比べて不良債権問題の解決に時間を要した背景であったとも言えるでしょう5。
最近では、ローンの有する様々なリスクを分解し、各リスクに見合った形で資産の価格付けを行い、適切にリスク管理するための工夫がみられ始めています。さらに、銀行部門に集中しているリスクを市場参加者に広く分担してもらうための取り組みも活発になっています。
例えば、銀行が提供するローンに対して財務特約を付けることによって、財務上の制限や情報開示の義務付けがなされ、金融機関によるモニタリング機能の強化あるいはアウトソ−ス化により、企業の経営問題に関する早期対応が可能になると期待されます。また、ローンの提供に伴うリスクを複数の金融機関が分担するという、企業との新たなリレーションに基礎を置くシンジケート・ローンも大きく成長しています。すでにその市場規模は残高ベースで30兆円を超えており6、その債権売買市場も徐々に拡大してきています。また、ローンの組成にかかるリスクを移転する仕組みとして、貸出債権の証券化があります。証券化市場では、住宅ローンを裏付けとするRMBSの発行が増えているほか、地方公共団体や地方銀行によるローン担保証券(CLO)や社債担保証券(CBO)の組成も進められています。借入企業との関係を維持しつつ信用リスクを移転する方法として、クレジット・デリバティブの活用も広がっています。
企業の誕生から成長、衰退、そして再生という一連の過程において、切れ目なくリスクの担い手が現れることも重要です。とりわけ、日本の金融仲介機関は、企業再生、事業の再構築についてのノウハウを蓄積してきており、日本経済の活性化に向けてさらに市場が拡大するものと期待されます。この分野でも、銀行や商社に加えて、ファンドの果たす役割が増しています。
例えば、再生ファンドは、対象企業の債権を買い取って、それを株式や別の債権に転換します(債務の株式化、債務の劣後化)。あるいは、直接企業の株式を買い取り(バイアウト・ファンド)、企業が再生した時点で投資を回収します。銀行が保有する債権を自ら出資した「再生ファンド」に売却し、企業の再生を行なう場合もあります。ファンドのほかに証券会社などが自己資金を拠出し(「プリンシパル投資」)、「バイアウト」を行なう場合もあります7。
これまでの「再生ファンド」は、企業の過剰債務を圧縮するための債務買取りが中心の「日本型債務圧縮ファンド」が主流であったと言われています。しかし、地域再生のためのファンドは、単に不良債権の圧縮を図るだけでなく、その後のリレーションシップを維持することを通じて、ビジネスを拡大してゆくことが重要です8。今後も、日本に最も適した企業のガバナンス構造を構築してゆくという視点をもって事業再生関連のビジネスを進めることが求められていると言えましょう。
- 5メインバンクが提供しているのは、単なるローンではなく、エクィティとしての側面も備えていました。これを「擬似エクィティ」と呼ぶ論者もいます。高田=柴崎(2004年)を参照して下さい。
- 62005年末時点の国内で組成されたシンジケート・ローンの残高は、ターム・ローンとコミットメント・ラインの合算で約34兆円となっています。
- 7アメリカにおいては、この企業再生に関連する金融サービスは、「プライベート・エクィティ・ファンド」によって担われることが多いようです。中小企業関連の「地域再生ファンド」は、地方銀行を中心にして民間ファンドおよび地方自治体やその関連団体など公的機関が関与することが多いようです。本コンファランスにおける松尾論文や田頭論文に指摘されているように、公的機関の参加には、税制面のみならず多くのメリットがある一方で、公的機関が債権の売却を行なわないために清算や私的整理の障害になっている場合もあることにも注意が必要でしょう。中小企業向け融資についても、様々な新たな試みが行なわれています。リレーションシップ・バンキングの再構築もその1つです。また、浜松の光電子産業や札幌のバイオ産業のように、大学との連携を強めながら、地域に根差した技術を活用した地域活性化の試みがあります。この地域活性化支援の枠組みを地方の金融機関がコーディネイトするなど、地域社会において新たなリレーションを構築する例も見られます。また、産学協同の下で地域に密着したコミュニティ・ビジネスを展開する金融サービスも重要です。従来の銀行貸出に加えて新たな「市場を経由する信用仲介チャネル」が豊かに発展してゆくことが期待されます。
- 8金融庁の「リレーションシップ・バンキングの機能強化に関するアクションプログラム」(2003年3月)や「地域密着型金融の機能強化の推進に関するアクションプログラム」(2005年3月)も同様の認識を示しています。政府系金融機関は、地域金融機関と連携して、ベンチャー企業育成、インキュベーション・ファンドの導入、事業再生におけるDIPファイナンスなど新たな金融手法の展開にアレンジャーとしての機能を果たしています。新たな市場の形成に対する呼び水効果を「民営化された金融機関」がどのように実現するのか、また調停者やアレンジャーとしてのサービスに適切な価格付けが行なわれるのか注目されます。
公的金融の役割
通常、民間では負うことが困難な大きなリスクを伴う事業について公的金融の役割があるとされます。とりわけ、公的金融は、徴税権を背景に低い金利で長期の資金を調達することが可能な政府をバックにしているために、損失の分担について長い期間にわたって費用を按分できるという意味で、時間的なリスク分散を行なうことが出来ます。
日本は、地震や台風、火山の噴火など巨大な被害をもたらす自然災害が発生するリスクが高いといえます。ところで「バリュー・アット・リスク」(VaR)という「一定確率の下での最大損失額」を示す指標は、海面下で生活するオランダ人が、まれに発生する大きな暴風雨に対して、どの程度の高さの堤防を築けば安全かという問題に対処することから生まれました。気圧配置、海流や季節風など様々な要因が積み重なることによって1世紀に1度しか発生しないと予想されるような災害("パーフェクト・ストーム")が発生した場合にも人的被害を回避できるように、との発想から生まれた概念(VaR)がBISなどのリスク管理手法として取り入れられていることは興味深い事実といえます。
この自然災害に対して民間による保険や再保険、また「保険契約の証券化」を通じるリスク分散によって、最適なリスク管理が可能であるかどうか問題があります。現実には、保険会社や再保険を行なう保険会社のリスク引受け能力には限界があります。日本の場合にも、地震保険は、大きな地震があった場合に、保険会社によるリスク引受け能力には限りがあるために再保険によって政府が保険責任を分担する制度になっています。同時に、政府は、防災プロジェクトの推進や建物の耐震構造基準を強化することによって事前に災害による損失を小さくすることやリスクの正確な把握を可能にします。自然災害に対する保険の例は、公的金融が、民間市場の機能を補完するばかりでなく、向上させることも可能であることを示唆しています。
日本の公的金融システムは、郵政三事業という入口における民営化から政府系金融機関改革という出口にいたるまで大きな変革期にあります。地震保険の例が示すように、民間市場や民間金融機関の機能を補完するばかりでなく、発展させる役割を演ずることが重要なポイントであると考えられます。
いずれにしても、重要なことは、民間金融機関、公的金融機関を問わずリスクの評価とその管理をしっかりと行ない、リスク・エクスポージャーに関する情報開示を進めることです。
少子高齢化が進展していることからの視点
第三に、少子高齢化の下で資金の流れが大きく変化しつつあります。すでに、家計部門の貯蓄率は、2004年度に2.8%まで低下しています。個人はこれまでのような預貯金をする主体ではなく、多様な金融サービスを需要する主体へと変化しつつあります。とりわけ、退職世代は、若い時代に蓄積した資産からの収益によって生活してゆくことになるので、資産の効率的な運用を通じて収益率を高めることが重要になります。こうした環境の下で、わが国の金融機関は、リテール・バンキング・サービスの高度化に注力していますが、その取り組みはまだまだ緒に付いたところ、との評価もあるようです。
日本の平均的な家計が保有する最も大きな資産は人的資本です。ついで、住宅、最後に金融資産です。日本の家計は、安全志向が強く、金融資産保有の内訳をみるとリスクの低い安全資産を保有する比率が高いといえます。しかし、住宅資産をリスク資産に含めてみると、日本の家計は、土地価格が高いこともあって、必ずしも安全資産選好が強いとも一概にはいえません。ただし、住宅サービスや子供に対する教育サービスは家計にとって必需財であり、住宅資産の購入は、必要不可欠な支出であるとすれば、住宅資金蓄積の必要から、リスク回避的な金融資産保有が促進されるとみることも出来ます。
さらに企業の業績に賃金が連動したり、企業に特定した人的資本の形成が重要な場合には、個人は、働いている企業に投資し、株式を保有しているのと同じリスク配分をしていることになります。この場合、金融資産蓄積過程における株式保有は小さくなってもおかしくありません。また、労働市場における雇用の流動性が高まる場合には、金融資産保有による損失を労働所得によって相殺することが可能になるので、株式保有比率が高まる可能性もあります9。
グローバルな視点に立って、ライフ・サイクルを通じて個人が直面する経済リスクを適切に管理することは一層重要になるでしょう。21世紀の日本の金融機関は、そうした個人の需要に応えるビジネスを展開することが求められています。
さらに、高齢化に伴う経済リスクをどのように分担するのかも重要な問題です。公的年金は、退職世代の労働所得に関するリスクを社会的にプールし、若い世代と老いた世代の間でリスクを分担する仕組みであると言えます。この公的年金の積立金が主として安全資産で運用される場合には、家計にとっては、強制的な貯蓄を通じて安全資産を保有することになります。強制的な貯蓄は、若い世代にとって自由な資産選択の機会を奪うこともあって、リスク回避的な金融資産形成を促進する効果があります。同時に、個人が公的年金の積立金を通じて安全資産保有比率が高まると考える場合には、自らの金融資産形成においてはリスク資産保有割合を高める可能性があります10。日本の場合には、住宅サービス、子供のための教育サービス、公的年金の積立ては、個人のリスク回避的な金融資産形成を促進する効果が大きかったように思われます。
- 9日本の少子高齢化が、貯蓄率、労働生産性、金融資産保有や収益率に与える効果については、Iwata(2004年)、人的資本の形成が個人の資産蓄積に与える効果については、Campbell and Viceira(2002年)を参照して下さい。
- 10ロバート・シラー(2004年)は、高齢化がもたらす経済リスクを世代間で分担する仕組みとして、退職世代の人口割合に比例した拠出金を労働所得から徴収することを薦めています。例えば、アメリカの場合には、退職年齢人口が全人口にしめる割合が11%であるため、労働所得の11%を公的年金の拠出金にすることを提言しています。しかし、日本の場合は、2050年に退職世代人口が生産年齢人口に占める割合が50%になると予測されています。日本のように人口構造の変化が激しい社会において、この提案をそのまま適用することには無理があるでしょう。
金融システムの安定性の視点
第四に、金融システムの安定性をどのようにして確保するかという視点からは、グローバルな問題と国内の問題の2つに分けることが出来ます。いずれの場合でも、金融機関経営に内在する様々なリスク−信用リスク、市場性商品の価格変動リスクからオペレーショナルなものまで実に多様といえます−が顕現化し、しかも連鎖していくシステミック・リスクの発生に対してどのように対応するかという点が最も重要です。と言いますのは、個別の経済主体は、取引相手先のデフォルトに対しては、様々な対策をとることを厭わないけれども、第三者のデフォルトに起因するシステミック・リスクを削減するという私的な動機をもたないからです。
グローバルな金融システムの安定性確保について国内の問題と異なる点は、システミック・リスクを低減する上で必要な世界の中央銀行や金融機関の健全性をグローバルに監督する当局が存在しないこと、そして世界共通の法制度が整備されていないことにあります。そうした中で、BIS規制とそのほかの国際的な取り決めや民間団体の自主的な規制は、国際業務に携わる各国の金融機関の健全性を高めることによって、グローバルな金融システムの安定性に貢献するものと考えられます。また、市場メカニズムを活用しながら、金融システムを安定化させる試みについての提案も、注目されます。
今日のグローバルな市場の取引では、銀行のみならず機関投資家が大きな役割を演じています。アジア通貨危機といった資本収支や対外債務の大幅な変動に起因する21世紀型の金融危機を事前に防止する上では、銀行部門のみならずグローバルな機関投資家やヘッジファンドの役割にも注意を払う必要があります。特にヘッジファンドは近年規模を急速に拡大しており、グローバルな市場での影響力を高めてきていますが、少数投資家による私募形式であることから、その投資活動についてはよく分かっていないのが実情です。こうしたことから、ヘッジファンドの活動状況に関する情報を如何に充実させ透明性を高めていくか、という点が、国際金融市場の安定性を確保していくうえでも重要な課題となってきているように思います。さらに、ファンドマネジャーの報酬体系が、ファンドの取引行動に与える影響などについても、分析を重ねる必要があるように思われます11。
ロバート・シラーら(1999年)は、経済危機の原因となる各国経済の所得変動リスクをグローバルに分担する仕組みとしてGDPの一定割合を配当として受け取ることが出来る証券を取引する「マクロ市場」を導入することを提案しています。個別の国が直面する、その国に固有のリスクをグローバルな投資家の間で分担することによって、個別の国が経済危機発生によって蒙るであろう損失のリスク負担を大きく削減することが可能になると主張しています。株式市場における上場投資信託(ETF)は、この名目GDP連動証券と類似しています。しかし、マクロ市場は、上場企業の収益のみならず自営企業の収益や人的資本に対する収益(労働所得)をカバーするものであり、かつ株式市場よりももっと長期にわたる経済変動リスクをヘッジしようとするものです。
この証券の価格は、支払われる配当の割引現在価値ということになります。もとより、過去の価格、収益や割引率に関するデータが存在していませんし、GDPには計測誤差や改訂があります12。この証券を導入する上で必要とされる長期的なリスク評価を可能にするデータ・ベースが不足しています。また、リスク分散といっても、景気変動の連動性や通貨危機の伝染効果といった外部性をどのように考慮するのかといった問題もあります。しかしながら、個人の長期にわたる所得変動に対する「生計保険」についてのシラーの提案と同様に、21世紀の国際的な金融システムのアーキテクチャーにおけるリスク分担のあり方を考える上で、重要な問題提示をしているといえます。
- 11アジアにおいても、通貨当局間のスワップ協定締結による為替レート変動に対するリスク低減や各国の資本市場を大きく発展させることを通じて、保有する外貨建て資産のリスク分散を行なう試みが着実に前進しています。
- 12シラー(2004年)は、新たな市場の創設について「永久先物」を活用することを示唆しています。シラーの提案のほかに、実質成長率に連動した国債の発行提案もあります。現実に1994年にブルガリアで金利が実質成長率に連動した債券が発行されたことがあり、2002年にはマクロ経済変数を対象とした合成オプションからなる経済デリバテイブ商品も登場しています。
決済システムにおける銀行の役割
グローバルな金融システムのみならず国内の金融システムの安定性にとって最も重要なことは、システミック・リスクの発生を防止することです。
現在、どの国でも銀行部門が、支払い決済機能を担っています。ところが銀行部門は、同時に貸出を通じて信用創造を行なっています。貸出を行なう場合に、借り手企業の投資プロジェクトについて借り手の方が貸し手の銀行よりも多くの情報をもっているという「情報の非対称性」があります。そのために、銀行の貸出は、負債である預金よりも市場価値の評価が難しく、流動化しにくいと言えます。とりわけ、金融環境が悪化した時点で市場に売却しようとすると、損失が大きなものとなり、バランスシートを傷つけることになります。さらに銀行は、インターバンク市場を通じて他の銀行と資金の貸し借りを行ない、流動性ポジションの調整を行なっています。バランスシートが傷ついた銀行が、インターバンク市場で流動性不足から債務不履行になると、それは銀行システム全体、さらには金融システム全体に波及することになります13。
このようなシステミック・リスクを防止するために、銀行の資産保有を流動性の高い安全資産に限定してはどうかという提案があります。日本においても21世紀型の金融システムのあり方として、この「ナローバンク制度」を導入してはどうかという提案があります(内藤純一(2004年))。この提案の一つの問題は、インターバンク市場には銀行以外の主体も参加しており、それらの主体の流動性不足による債務不履行もシステミック・リスクを引き起こす可能性があることを十分に考慮していないところにあります。また、銀行を、多様なリスクをプールすることによって市場に流動性と収益の最適な組み合わせを提供する主体であるとみた場合に、ナローバンクが、資産保有について制約が加わったままで十分に収益をあげることが可能かという問題もあります。
- 13流動性の不足が、第三者に影響を与えるという意味で、流動性は外部性をもっており、公共財の性質をもっているといえます。
中央銀行の役割
これまで、わが国の金融システムの将来像を描くに当たって重要と思われる点を、4つの切り口から論じてきました。最後に、金融システムの将来の発展に向けて、日本銀行が果たすべき役割について触れたいと思います。
金融システムの安定という観点については、日本銀行は、決済システムにシステミック・リスクが発生し、システムの安定性が脅かされることがないか常にモニターしています。さらに、現金・日本銀行当座預金という最終的な決済手段と決済システムである日銀ネットを提供しています。また、金融システムの安定性を維持するうえで必要と判断する場合には、レンダー・オブ・ラスト・リゾートとして流動性を供給しています。
このほか、金融サービスの高度化や金融市場の整備を通じて、日本の金融資本市場の健全な発展を促進するという観点からも、様々な取り組みを行っています。
最後に、金融システムがいかなる形で進化していくにせよ、マクロ経済の安定性を確保することが重要です。これまで日本経済は、デフレと金融システムの不安定性に悩んできました。そうした中で日本銀行は、量的緩和政策の下での大量の流動性供給によってシステミック・リスク発生のリスクを低減し、デフレ・スパイラルの防止に努めてきました。
日本銀行は、コア消費者物価の前年比が安定的にゼロ%以上となるまで、潤沢な資金供給を行うという「政策持続のコミットメント」を行なうことによって、「物価安定の錨」を提供してきました。物価上昇率もわずかであるけれどもプラスの領域に入ってきています。景気も堅調な回復を続けていることから、量的緩和政策が解除される可能性は次第に高まってきています。仮に量的緩和政策を解除し、ゼロ金利を含む金利政策を展開して行く場合にも、人々の物価安定に関する期待を安定化させるような新たな工夫を積み重ねていくことが求められています。
いずれにしましても、過去10年の日本の経験は、21世紀における金融システムのあり方や中央銀行の役割を考えるうえで、多くの示唆を与えているといえます。
以上
参考文献
- 齊藤誠「日本の「金融再生」戦略:新たなシステムの構築をどうするか」中央経済社 2002年
- 高田創・柴崎健「銀行の戦略転換:日本版市場型間接金融への道」東洋経済新報社 2004年
- 内藤純一「戦略的金融システムの創造」中公叢書、中央公論社 2004年
- 武藤泰明「ファンド資本主義とは何か」東洋経済新報社 2005年
- ロバート・シラー「新しい金融秩序」訳田村勝省、日本経済新聞社 2004年
- 和田勉「事業再生ファンド」ダイヤモンド社 2004年
- Athanasoulis, S., Shiller, R., and E. van Wincoop, "Macro Markets and Financial Security," Federal Reserve Bank of New York Economic Policy Review, April 1999
- Campbell,J.Y., and L.M.Viceira, (2002), Strategic Asset Allocation: Portfolio Choice for Long-Term Investors, Oxford University Press, 2002
- Iwata,K.,"Japan's Economy under Demographic Changes," Summary of a speech at the Australia -Japan Economic Outlook Conference in Sydney, December 2004
- LaPorta R., Lopez-de-Silanes,F., Shleifer. A., and Vishny,R. W.,(1998) "Law and Finance," Journal of Political Economy,106, pp.1113-1155
- Levine, Ross(2002), "Bank-Based or Market-Based Financial Systems :Which Is Better?," Journal of Financial Intermediation, 11, pp.398-428