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富山県金融経済懇談会における中原審議委員挨拶要旨
2006年3月23日
日本銀行
目次
はじめに
本日は、富山県の金融経済界を代表される皆様の前でお話を申し上げる機会を得まして大変光栄でございます。日本銀行が富山事務所を開設致しましたのは昭和20年ですが、昨年、60周年、いわば還暦を迎えております。こうした長い歴史は、地元の皆様の深いご支援とご協力なくしてはあり得ません。本日ご臨席頂きましたことと併せ、厚く御礼申し上げます。
日本銀行は、今月9日に開催致しました金融政策決定会合において、これまで5年の長期に亘った量的緩和政策、すなわち、「量」である日本銀行にある金融機関の当座預金の残高を金融調節の目標とする政策を解除し、代わって「金利」を日々の調節の目標とする枠組みに移行することを決定しました。本日は、まず今回の金融政策変更の内容に関しまして簡単にご説明させて頂いた後、日本経済の現状と見通しおよび今後の金融政策の運営につきまして、一政策委員としての私の見方も織り交ぜながら、お話させて頂ければと存じます。
なお、本会の趣旨は皆様からお話を頂戴することにありますので、私からのご報告は簡単に止め、その後は、景気の現状や金融政策についての皆様のご意見や日本銀行に対するご要望などを是非お聞かせ頂ければと存じます。日本銀行の部屋にこもって机の上の仕事をしておりますと、どうしても活きた経済の動きや情報に接する機会が限られて参ります。この機会に皆様の毎日のご商売の実感を少しでも拝聴させて頂ければ、今後の金融政策を考える上で大変参考になります。
1.量的緩和政策の解除について
(1)今回の政策変更の内容
皆様ご承知の通り、日本銀行は、今月9日に開催致しました金融政策決定会合において、これまで5年もの長期に亘って継続して参りました量的緩和政策を解除し、いわゆる「ゼロ金利政策」に移行するとともに、併せて、金融政策の透明性をしっかりと確保するため、日本銀行の各政策委員が「中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率」を具体的な数値として示し、これを基に経済・物価情勢を点検する、という新たな枠組みを採用することも決定致しました。
まず、量的緩和政策の解除につきまして申し上げたいと思います。日本銀行では、2001年3月より、金融政策を運営する上での金融調節の目標を、日本銀行にある民間金融機関の当座預金残高(以下、当座預金残高)として参りましたが、今般、その目標を無担保コール・オーバーナイト物の金利に変更した上で、その水準を概ねゼロ%近傍で推移するように促すことと致しました。これまでの量的緩和政策の下では、当座預金残高が30~35兆円程度となるように、手形や国債の売買等を通じて市場に資金を供給して参りましたが、今回の政策変更の結果、この当座預金残高は、金融機関が必要とする水準、すなわち、基本的には準備預金として必要な残高に近い水準まで、今後数か月をかけて削減していくこととなります。
これまで行って参りました極めて多額の資金の供給を一挙に絞り、当座預金残高の削減を急ぎ過ぎますと、金融市場での取引に混乱が生じる可能性がありますことから、その削減は、今後数か月をかけて、市場を十分に点検しながら徐々に進め、この間、オーバーナイト物の金利はほぼゼロ%となるよう資金の需給の調整を行います。この削減の過程におきましては、金融機関の手許には引き続き、いわば必要以上のお金が当座預金として残ることとなりますので、オーバーナイト物以外の短めの金利も、これまでと同様にゼロ%近傍で推移することが予想されます。また、これまで資金供給のための一つの手段として月間1兆2,000億円の長期国債の買い入れを行って参りましたが、これは当面継続致します。更に、いざという時の金融機関の資金繰りにおける流動性を支援するための「補完貸付制度」も現状のまま運用することとしております。
(2)政策変更に至った背景
2001年3月、当時、不良債権問題に端を発しました金融システムに対する不安が横溢する中、日本経済は大幅な景気後退と深刻なデフレに陥るリスクに直面していました。このような中で、更なる景気の悪化を食い止め、物価の継続的な下落を防止し、持続的な成長の軌道復帰のための基盤を整備するとの観点から採用されたのが、量的緩和政策であります。いわば、デフレ・スパイラルに直面して、日本経済に対する緊急の処方箋として採用された、世界でも例のない政策と言ってもよいでしょう。また、この政策の下での潤沢なお金の供給に合わせ、消費者物価指数(全国、除く生鮮食料品。以下同じ)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、この量的緩和政策を継続するという明確な「約束」を行いました。これは、量的緩和政策とその下での事実上のゼロ金利が、物価がゼロ%以上に上昇するまで続くとの期待を人々に与え、より強い金融緩和効果が生じることを狙った一つの工夫でした。
現在の日本経済をみますと、内外需とも順調に増加し、着実な回復基調を辿っています。先行きにつきましても、幾つかのリスクや不透明要因は引き続き残るものの、当面、潜在成長率をやや上回るペースでの回復の構図が崩れる様子はみられません。需給ギャップは緩やかながらも改善を続けており、消費者物価指数の前年比上昇率はプラスに転じています。1990年代の2度の回復過程と比べますと、今回の回復は、企業体質の大幅な改善を伴っていること、息の長い回復過程が続く中にあっても企業経営者が引き続き慎重な姿勢を崩していないこと、不良債権問題を克服し金融システムが概ね正常に回復していること、米国や中国を中心とした世界経済が息の長い成長を続けていること、中長期的な日本経済の構造改革に向けた動きを伴っていること、などの点で大きく異なっています。いわば日本経済の持続的回復のメカニズムが漸く定着する兆しがみえてきたとも言えます。こうした情勢を踏まえ、今般、量的緩和政策という異例の政策から脱却する環境が整ったとの判断に至った次第です。
(3)量的緩和政策に対する評価
さて、量的緩和政策の効果は、どのように評価すべきなのでしょうか。理論的にも、また現実的にも、その効果には種々の議論はありますが、私は、単なるゼロ金利政策を超えるものとして一定の評価が与えられるべきであると思っています。潤沢な「量の効果」は、金融システム不安の拡大を抑え、銀行の信用仲介機能の回復を促し、極めて緩和的な金融環境を維持することで、債務・雇用・設備という「3つの過剰」に悩む企業がそのバランスシートを調整することに貢献しました。また、消費者物価の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上になるまで量的緩和政策を継続するという「約束」、いわゆる「時間軸」の効果は、将来に亘っての潤沢な資金供給と金利の低位安定についての安心感を生み出し、これが市場参加者だけではなく、企業・家計のデフレ期待を後退させることを通じて、実体経済を底支えし、デフレの更なる深化を食い止めることに寄与したと言えると思います。
これまで余り明確でなかった「リバランス効果」、すなわち、潤沢な資金の供給により、銀行や企業・個人がその資金をよりリスク度が高い資産に振り向けるという効果、につきましても、ここに来て、明確に現れ始めたと言ってよいでしょう。銀行が貸出を積極的に拡大し始めたことや、企業部門が設備・雇用・債務の「3つの過剰」を解消し、事業ポートフォリオの見直しや強化を進め始めていることは、このような効果が現れ始めているものと言えましょう。
2.日本経済の現状と今後の見通し
(1)着実な回復基調を辿り始めた日本経済
以上、日本銀行が前回の金融政策決定会合において量的緩和政策を解除し、金利を目標とする政策運営の枠組みに移行するに至った背景を簡単に申し述べました。次に、日本経済の現状と今後の見通しにつきまして、やや詳しくお話させて頂きたいと思います。
まず、日本経済の現状につきましては、内外需がともに緩やかな増加を続ける中で、3月の日本銀行「金融経済月報」にございますように、「着実に回復を続けている」と言えましょう。また、昨年10月の「経済・物価情勢の展望」1でお示しした「経済・物価情勢の見通し」における標準シナリオと比較しましても、「幾分上振れて」推移しているとみています。
- 1日本銀行は、毎年4月と10月の年2回、金融政策決定会合の決定を経て、「経済・物価情勢の展望」(いわゆる「展望レポート」)において、日本銀行の経済・物価情勢に対する見通しを公表しています。昨年10月の展望レポートにおける政策委員の大勢見通しをやや詳しくみますと、今年度の実質GDP成長率のレンジは+2.2~+2.5%、中央値は+2.2%、同消費者物価前年比上昇率はそれぞれ0.0~+0.1%と+0.1%になっています。また、2006年度は、実質GDP成長率はそれぞれ+1.6~+2.2%と+1.8%、消費者物価前年比上昇率では+0.4~+0.6%と+0.5%になっています。なお、本年4月に公表が予定されている次回展望レポートでは、2006年度および2007年度の見通しが対象となる見込みです。
例えば、今月13日に発表されました昨年10~12月期の実質GDP成長率は若干下方修正されたとはいえ、前期比年率5%を超える高い伸び率となりました。また、本年入り後の諸経済指標をみましても、素材関連産業、例えば、鉄鋼や石油化学製品などの一部に生産や在庫の調整の動きがみられますものの、実体経済面での指標は総じて改善を示しています。昨年の夏場にややスローダウンしました生産や輸出も増加に転じているほか、好調な企業収益と潤沢なキャッシュフローを背景に設備投資も順調に拡大を続けています。また、家計周りでも、雇用環境や所得環境の改善が明確となる中で、個人消費の底堅さは今後も持続する可能性が高いとみられます。更に、こうした景気回復の裾野は、従来の製造業や大企業が主導する形から非製造業や中小企業に、大都市圏中心から地方に、徐々に広がり始めてきていることも見逃せません。これらの点を考え合わせますと、先行きの景気拡大の持続性については、次第に自信が持てる状況になってきたと思います。
こうした動きの一例として、ここで当地富山県経済の情勢につきまして一言述べさせて頂きたいと思います。
富山県経済も、日本経済の動きと同様に、緩やかな回復を続けています。企業の景況感をみましても、昨年12月の短観の業況判断は、製造業、非製造業とも9月時点の調査に比べて大幅に改善しており、全産業ベースでは全国を上回る水準で推移しています。生産面でも、金属製品は引き続き弱含んでいますが、一般機械、化学は増勢を保っていますほか、主力の電気機械もデジタル家電関連や携帯電話関連を中心に増加基調を続けており、総じてみれば幾分増加傾向を強めています。2005年度の設備投資計画も、高水準の前年度を更に1割方上回るなど着実に増加しています。また、雇用情勢も有効求人倍率が20か月連続で1倍を超えるなど、長期に亘って改善傾向を辿る中にあって、個人消費も全体としては持ち直してきています。こうした下で、先行きにつきましても、緩やかな回復を続けるとの見方が強まってきているとみられます。
(2)先行きの景気見通しとリスク要因
このように日本経済は、足許では着実な回復基調を辿っていますが、2006年度から2007年度にかけての景気を考える上では、依然として幾つかのリスクや不透明要因が残っていると考えます。以下、こうしたリスク要因について簡単に述べたいと思います。
第一に、海外経済、特に米国、中国経済の先行きに対する不透明感は、このところむしろ増加していると感じています。まず、米国経済につきましては、足許、潜在成長率近傍での安定成長を続けるとの見方が大勢ですが、住宅投資の鈍化が個人消費の伸び悩みに繋がる懸念、賃金コストの上昇やエネルギー価格上昇による企業収益の伸び悩みの惧れ、インフレ警戒感の高まりと利上げ継続の可能性、等を考えますと、2006年後半から2007年にかけて、若干スローダウンする局面も出てくるのではないかと思います。また、中国経済につきましても、足許は順調ながら、先般の全人代でもテーマとなっていましたように、高成長が生み出す社会構造面での歪みが解消されている訳ではなく、現在の成長の枠組みが崩れるリスクを依然として内包したままであることに変わりはないとみています。また、中近東情勢などの地政学的リスクや鳥インフルエンザの問題も先行きのリスク要因であることに変わりはありません。
いずれにしましても、日本経済の先行きを展望する上で、外需の動向は引き続き重要であり、今後、海外経済がスローダウンするリスクには注意していく必要があると考えています。
第二は、原油価格の動向です。当初、原油価格の高騰が日本や世界経済に大きな影響を及ぼすのではないかと懸念されて参りましたが、これまでのところ、その影響は限定的といえましょう。しかしながら、現在の原油高が構造的な問題によるものであり、短期間での解決が困難であることや、中近東地域を中心とした地政学的リスクが高まってきていることなどを考えますと、当面原油価格は高値圏で推移するとみられます。今後とも、原油価格の上昇が、他の資源価格の上昇と相俟って、企業収益などの実体経済面に与えるリスクには注意が必要と考えます。
第三は、国内企業の収益動向についてです。大手証券会社による上場企業の2006年度収益予想をみますと、今のところ、2005年度に続き大幅な増益が予想されています。しかしながら、最近の動きをみますと、損益分岐点や労働分配率には底打ち感がみられる中、ベア復活の動きや人手不足を背景に人件費の増加圧力がこれまでに比べやや強まってきていることや、原油・資源価格の再上昇リスクも引き続き残っていることなど、今後、更なるコストアップが懸念される状況にあることは否めません。これまでの国内景気拡大を支えて来ました柱の1つが好調な企業収益であったことを考えれば、グローバルな競争環境が続く下で、最終製品を中心に、こうしたコストアップを販売価格に転嫁できず、企業収益が悪化に転じる動きが出てきた場合には、景気の持続性に及ぼす影響は無視できないと思われます。
第四に、今後の家計支出の行方です。足許の家計支出につきましては、長期に亘り景気が回復基調を辿っていることや団塊世代の退職を控えていることなどを背景に雇用・所得環境が改善を示す中、総じて堅調に推移していると言えます。もっとも、国内自動車販売の不振がやや長引いている感じがしますほか、これまで好調であった住宅市場もやや陰りがみられ始めていることなど、気になる動きもみられます。また、2007年度までを展望しますと、税や年金保険などによる今後の家計の負担増加の影響も懸念要因のひとつです。更に、昨年来好調な株式相場がコンフィデンス面でも現実の購買力の面でも足許の堅調な消費を支えているとみられ、欧米に比べやや割高感のある株価の先行き反転リスクが個人消費に及ぼす悪影響にも留意が必要と考えています。
第五に、金融資本市場や為替市場の動向についてです。株式市場では、今年に入って海外投資家からの買いが一服しており、株価の上値が徐々に重くなっているようにみえます。今後の市場動向次第では、企業や家計のマインド面への影響に留意が必要です。また、為替市場につきましても、これまで円の実質実効為替相場が大きく円安に推移してきたことが、企業収益を押し上げ、着実な景気回復に寄与してきたことは間違いありません。ドル円相場は、このところやや方向感に乏しい展開となっていますが、米国の基礎的不均衡に解決の目途がない中で、今後とも、為替相場の動向には注意が必要です。
最後に、欧米をはじめとし、エマージング諸国を含めた多くの国の中央銀行は、インフレに対する懸念を強めており、金融政策においても引き締め方向に舵を切り始めていることです。長年に亘りリフレ的な政策が続けられてきた結果として、世界の流動性は極めて潤沢な状況が続いて参りましたが、現在、この流動性の吸収が始まっています。このような金融政策の動きが、グローバルな金融市場の動きを通じて、実体経済に大きな影響を及ぼす可能性にも注意しておく必要があると思います。
以上、幾つかのリスク要因を挙げましたが、こうしたリスクが顕現する蓋然性は、現在のところ、必ずしも高いと判断している訳ではありません。しかしながら、今後、構造改革、財政改革が更に進む中で、金融政策への負荷はどうしても高まることは避けられず、景気が減速するリスクをなお意識しておく必要があると思います。先行き予想されるリスクがどちらに傾いているかを判断し、その影響を最小に止めるべく、プリエンプティブに政策対応するというリスク・マネージメント的な考え方で金融政策を進めていくとすれば、上に述べたような様々なリスク要因について引き続き注意していくことが求められると考えています。
(3)緩やかな上昇をみせ始めた物価動向
次に、物価の動向についてお話したいと思います。まず、最近の国内企業物価をみますと、需給環境が改善する中で、原油・素材価格の上昇を反映し、素原材料や中間財を中心に着実に上昇基調を辿っていますほか、これまで前年を下回っていた最終財価格も昨年秋より上昇に転じました。また、企業向けサービス価格につきましても、漸く下げ止まりの気配が窺われてきています。こうした中、消費者物価の前年比上昇率につきましては、昨年秋口より僅かながらプラスに転じ、本年1月分につきましては、これまでに比べ上昇率が若干ながら拡大しています。これは、石油製品価格の上昇に加え、米価格や電気・電話料金の引き下げの影響が剥落してきたことが主因ではありますが、こうした要因を除いてみましても、足許の消費者物価は若干の上昇に転じてきており、その基調が定着する蓋然性は高まっていることは事実であります。
こうした物価上昇基調の背景としましては、日本経済が着実な回復基調を辿る中にあって、経済全体の需給ギャップが緩やかながらも改善を続けているほか、賃金の増加が次第に明確になり、これまでの物価の下落圧力となっていたユニット・レーバー・コスト(単位当たり労働コスト)も前年比でみてマイナス幅が縮小してきていることが挙げられます。
もっとも、先行きの物価の基調がプラスに転じていくのはその通りとしましても、なお多くの不透明要因は残っており、手放しで楽観視できると考えている訳ではありません。これまでの企業の積極的な設備投資を背景に日本経済の潜在成長率が上昇している可能性がある中、経済全体の需給ギャップの縮小ペースは依然として緩慢であり、最終財を中心とするグローバルな供給圧力も引き続き存在しています。また、供給サイドである企業の価格支配力は依然として相対的に弱いままです。このような事実を勘案しますと、これまでの「実体経済の動きに物価が反応し難い状況」には大きな変化が生じているとは思われません。また、先程申し上げましたように、現在の消費者物価の前年比上昇率はプラスに転じては来ましたが、昨年12月までのプラス幅は極めて小さく、本年1月単月の上昇率をもってプラス基調が完全に定着したと判断するには、もう少し時間をかけて分析することが必要ではなかったかと思います。これまでの消費者物価上昇の背景には、石油製品価格の上昇など多くの特殊要因が影響していること、来年度は診療報酬や電力料金、通信料金などの物価引下げ要因が考えられること、消費者物価指数の基準年次改訂が物価のマイナス方向に働くと思われること、など種々の要因の動き次第で、先行きの物価が再び前年比でマイナスに転じるリスクにはなお注意しておく必要があると考えています。
3. 今後の金融政策運営について
(1)「物価の安定」と新たな金融政策運営の枠組み
次に、今回の金融政策変更におけるもう1つのポイントであります、新たな金融政策運営の枠組みについてお話ししたいと思います。これは、「量」を政策運営の目標とする枠組みから、「金利」を目標とする枠組みへの移行という重大な局面に際しまして、これまで以上に金融政策運営の透明性を高めることにより、政策の予見性を高め、期待を安定させることを狙ったものです。
今回導入しました新たな枠組みでは、まず、日本銀行としての「物価の安定」についての基本的な考え方を整理するとともに、各政策委員が「中期的にみて物価が安定していると理解する」消費者物価の前年比上昇率2は0~2%程度であり、その中心値の大勢は概ね1%程度であるということを明示しました。併せて、この「物価の安定」についての考え方を念頭に置いた上で、今後の金融政策の運営方針の決定に際して、「先行き1年から2年の経済・物価情勢について、最も蓋然性が高いと判断される見通しが、物価安定の下での持続的な成長経路を辿っているか」、「より長期的な視点を踏まえつつ、物価安定のもとでの持続的な経済成長を実現するとの観点から、重視すべきリスクはどういったものがあるのか」、という新たな2つの「柱」に基づいた経済・物価情勢の点検を行い、展望レポートで定期的に公表することとしました。
- 2日本銀行を含め各国中央銀行では、金融政策の運営に当たり、様々な物価指数をモニターし、分析していますが、金融政策の説明においては、家計の消費支出を対象としており、人々に身近であること、速報性がある一方で事後の改訂幅が小さいことなどから、消費者物価指数が用いられることが多いといえます(日銀レビュー「金融政策の説明に使われている物価指数」<2006年2月>をご参照ください)。また、今回の「新たな枠組み」でお示しした消費者物価は生鮮食料品を除くコア消費者物価ではなく、ヘッドラインとしての消費者物価です。中長期的にみれば、生鮮食料品の価格変動は一時的であり、コア消費者物価とヘッドラインとしての消費者物価の差は無視し得るものと考えています。
日本銀行は、日本銀行法に定められています「物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資する」との理念に基づいて金融政策の運営を行っています。この「物価の安定」という意味は、「家計や企業等の様々な経済主体が物価水準の変動に煩わされることなく、消費や投資などの経済活動にかかる意志決定を行うことができる状況」と考えています。この考え方は、FRBをはじめ多くの中央銀行が共通して持つ考え方です。持続的な経済成長を実現させ、資源配分や経済構造に歪みを生じさせないために不可欠な前提条件が「物価の安定」です。また、「物価の安定」に向けての政策運営におきましては、金融政策が実体経済に効果が波及するまで時間的なラグが存在することや、物価の短期的な変動を全て政策対応により吸収しようとすると経済の変動がかえって大きくなるリスクがあること、などを勘案する必要があります。この観点から、実際の金融政策運営における「物価の安定」とは中期的な立場から目指すものであると考えています。
私自身は、就任以来、日本銀行として「物価の安定」をその政策の目的とする以上、この「物価の安定」を果たす上で何が「望ましい物価上昇率」であるのかということを明らかにすべきであると主張して参りました。「望ましい物価上昇率」を具体的な数値で示すことによって、政策の透明性を高め、量的緩和政策の解除の過程では、政策のアンカーとして、ある種の「時間軸効果」も期待できるのではないかと考えて参りました。私個人としましては、消費者物価の持つ統計としてのバイアスやデフレに戻らないための糊代を考慮しますと、「望ましい物価上昇率」の水準は、消費者物価の前年比上昇率で「1~2%程度」が適当なのではないかと考えています。今回の「物価の安定」の数値化は、あくまで個々の政策委員が理解するものを幅で示したに過ぎず、その意味では、政策のアンカーとしての役割は制約されたものとならざるを得ませんが、このように数値で具体的に示しましたこと、特に大勢としての「中心値」を示したことは画期的なことであり、政策の透明性向上の観点からは、一定の評価は得られるものと考えています。
(2)今後の金融政策運営上のポイントと留意点
次に、今後の金融政策運営上のポイントと留意点に関し述べたいと思います。前に申し上げました通り、当座預金残高は今後次第に削減されることになりますが、これは数か月程度の期間を目途としつつ、金融市場の状況を十分に点検しながら徐々に進めていく方針です。すなわち、当座預金残高が金融機関の所要準備預金残高3に基づく所要の水準まで縮小する過程につきましては、削減は慎重なペースで実施され、この間、オーバーナイト物の金利はほぼゼロ%に維持され、それ以外の短期金利も極めて低い水準に止まることになるでしょう。
- 3預金取扱金融機関が法律に基づいて行う日銀当座預金に保有する準備預金の残高と、日本銀行と郵政公社との契約に基づき、郵政公社が日銀当座預金に保有する預金の残高との合計を指し、現在、約6兆円となっています。
当座預金残高が所要の水準にまで削減された後の政策運営につきましては、基本的にその時点における景気・物価の展開や金融情勢に基づくものとなります。しかしながら、現時点で敢えて申し上げるとすれば、持続的な成長が続く中でも、今後の需給ギャップの減少ペースが緩やかであり、物価の上昇圧力が抑制された状態が続いていくと判断されるのであれば、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が引き続き維持されることになると考えられます。この点は、金融政策としては、いわゆるビハインド・ザ・カーブ4となることを意味します。一部には消費者物価がプラスとなる中、極めて低い金利を続けると実質金利をマイナスに維持することになり、資産バブルを招くとの批判があります。時間の制限もありここで議論することは避けたいと思いますが、私は、幾つかの理由から、かつてみられたような、株式市場や不動産市場、更にはゴルフ場会員権や美術品・絵画などに亘る全面的な資産バブルが発生するリスクは極めて小さいと思っています。行政改革、財政改革、規制緩和、国際競争力強化、少子高齢化、労働力人口の減少など、多くの課題を負う日本経済にとりましては、なお構造的に持続的な成長経路を下押しする要因に、より注意すべきであります。中長期的・構造的な政策課題に循環的な景気変動を安定化させるための金融政策を対応させるべきではないとの議論もありましょうが、大きな資源配分の歪みや経済の非効率性が生じる惧れがない限り、今の日本経済にとって必要なことは、可能な限り相対的に緩和的な金融環境を維持していくことではないかと思っています。
- 4実体経済や金融市場の動きに対して、金融政策面での対応をやや遅れ気味に行う(後手に回る)ことを意味します。
また、このところ、中立金利がどの程度の水準にあるのか、日本銀行はどのようなペースで金利を引き上げていくのか、に関心が向き始めています。ここで大事なことは、中立金利という概念は、その定義や推計時の前提の置き方、自然利子率の計算の前提となる経済モデル、需給ギャップや潜在成長率の計算方法、期待インフレ率の大きさ、など、種々の条件をどのように置くのかによって変わり得る幅の大きい概念であるということです。また、中立金利の問題は、前に述べましたように、日本経済に課せられた中期的な課題の解決の過程と平仄をとりながら検討していくべき問題であり、日本銀行としても、今後分析を深め、その概念や凡その水準を市場と共有していくことは必要ですが、今の段階で具体的な水準やそれに向けての金利の経路がどうあるべきかを議論する条件は未だ整っていないように思います。
以上、今後の金融政策運営上のポイントとして申し上げたことは、今回の量的緩和政策の解除の決定を受けて、日本銀行がお示ししました「金融調節方針の変更について」の中で十分に説明を尽くしたところであります。しかし、その後の市場をみますと、当座預金残高削減後の金融政策運営の姿勢や金利の経路につきまして、なお不透明感が完全に払拭されていないようです。大きな政策変更後のこの不安定な時期において重要なことは、肌理細やかで市場フレンドリーな姿勢で市場との円滑な対話を図り、政策の透明性と予見性を高め、期待の安定化を図ることにあります。期待の安定化を図るためには、中央銀行が口先で期待をマニュピレートするのではなく、市場や実体経済の足許および先行きや、経済構造面での政策的課題、更にそれらを踏まえての金融政策の先行きの経路につきまして、市場と認識を共有していくための努力を重ねることが必要だと思います。
今回の量的緩和政策の解除に至る前の段階でも、残念ながら解除のタイミングに関しまして市場の見方が大きく揺れ動きました。不必要な外部からの声によって政策の冷静な議論が歪められるとともに、市場の期待や価格形成が撹乱させられる、そして、その結果が再び政策判断に影響を与える、というような悪循環が、政策の信認を失わせる結果となるリスクについて、中央銀行の立場から十分認識するとともに、広く外部の理解を求めていくことが必要ではないかと感じています。
終わりに
足許、景気回復基調が確かなものとなり、その持続性につきましても自信が持てる状況になって来ましたことは、これまで縷々述べて参りました通りです。しかしながら、先程から申し上げているように、「財政赤字と少子高齢化の問題」、「グローバル化の下での企業の世界的な競争力維持の問題」、「大企業と中小企業、大都市と地方といった二極化の問題」等々、日本経済はなお様々な問題を抱えています。いつも申し上げておりますが、このような問題の解決に向けた真のドライビング・フォースは「民」の強い意志であり、こうした様々な問題を抱える中にあっても、日本企業は、適切かつ機敏に対応できるだけ底力をつけてきているように感じています。
また、今後の日本経済がこうした問題を解決しながら着実な成長を遂げるためには、「人」の問題も重要になってくると思います。今回当地を訪問するのに際し調べてみましたところ、当地の「人」の豊かさを改めて感じた次第です。例えば、金融人として私の大先輩に当たります安田善次郎氏に始まり、漫画家の藤子・F・不二雄氏など、才能豊かな方々の多彩な顔ぶれに驚きました。また、ノーベル賞受賞の日本人はこれまで12名おります。このうち、利根川進氏および田中耕一氏のお二方が当地ご出身またはゆかりのある方と聞いています。「勤勉」、「堅実」、「教育熱心」といった当地の県民性が、こうした形で花開いていると言えるのではないでしょうか。
ご静聴頂きまして感謝致します。
以上