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経済のグローバル化と金融政策

コロンビア大学日本経済経営研究所創立20周年カンファレンスにおける福井総裁講演要旨

2006年5月15日
日本銀行

目次

はじめに

 日本銀行の福井でございます。コロンビア大学・日本経済経営研究所の創立20周年に当たって、お話する機会を頂き、光栄に存じます。本日は、「経済のグローバル化と金融政策」というテーマで、世界経済の力強い拡大の背景にあるグローバル化という現象にどのような特徴があるか、また、そのもとで金融政策がどのような課題に直面しているか、といったことについてお話したいと考えています。

世界経済の力強い拡大

 まず、世界経済の力強い拡大についての話から始めたいと思います。

 世界経済の最近数年間の成長率は、その前の数年間に比べ、かなり高い伸びとなっています。国際通貨基金(IMF)によると、世界経済の成長率は、2004年には5.3%、2005年は4.8%の高い伸び率を記録し、2006年から2007年にかけても5%弱の成長が続く見通しとなっています。2003年までは、若干の振れはありますが、概ね3%台の伸び率でした。数年に亘って5%前後の高成長が続くというのは、1970年代初頭まで遡らないと、見つけることはできません。

 国別の内訳をみると、先進国の成長率は以前に比べてとりわけ高くなっているという訳ではありません。むしろ、新興諸国が次々とテイクオフしており、そのプレゼンスを高めてきていることが、成長率の引き上げに大きく寄与しています。とくに、アジアの新興諸国は、高い成長率を何年にも亘って続けてきており、換算に用いる為替レートとして購買力平価を用いると、2005年の世界経済に占めるウエイトは27.1%まで上昇してきています。この数字が、米国と日本を合わせた26.5%を若干ながら上回ったことは、換算レート次第とは言え、特筆すべき事実と言えましょう。このように、新興諸国の経済は、先進国と並んで世界経済の牽引車としての役割を果たし得るほど大きくなってきています。

国際分業の一段の進展

 こうした新興諸国の成長に、経済のグローバル化とそのもとでの効率的な国際分業の進展が大きな役割を果たしていることは言うまでもありません。一般に、国際分業というと、新興諸国が労働集約的な財の生産を拡大し、先進国が資本集約的な財の生産に特化する、というようなイメージがあります。確かに、十数年前までの「国際化」の時代にはそうした現象が多くみられました。しかし、現在の「グローバル化」の時代に実際に起きていることは、もっとダイナミックな動きであるように思います。

 まず、国際分業の姿がより重層的なものになっています。そもそも、特定の産業なり製品について、資本集約的か労働集約的かという分類を一方的に当てはめることが難しくなっています。一つの製品が供給者から消費者の手に渡るまでには、開発、調達、製造、流通、在庫管理、販売、そして広報と様々な過程を経ることになります。先進国の企業は、近年、生産だけでなく様々な種類の拠点を新興諸国に設け、工程ごとに地域の比較優位を最大限活用するようになっています。その意味で、現在の国際分業体制は、製品単位ではなく工程単位で最適化される方向に向かっていると言えます。いわゆる、サプライチェーン・マネジメントは、情報通信技術の発達を背景に、製品なりサービスを世の中に送り出すまでの工程をグローバルにコントロールする手法です。先進国のソフトウェア開発やコールセンター業務の一部が新興諸国の労働力によって担われていることも、こうした工程ごとの国際分業の一例と言えましょう。今や、多くの企業は、国内だけでなく全世界を念頭に、生産資源の最適配置を行い、より効率的かつより弾力的な供給体制を構築しようとしています。また、このようにして、経済のグローバル化は、新興諸国が有する労働のアベイラビリティを大きく高めてきました。

国際金融資本市場の発達と比較優位構造の変化

 さらに、資本を巡る状況にも変化がみられています。先程述べたように、先進国の企業は、大企業、中小企業にかかわらず、直接投資のかたちで新興諸国にどんどん進出しています。また、投資家のポートフォリオ構成における国内資産偏向、いわゆるホームバイアスはかなり緩和され、先進国は、直接投資以外、すなわち株式投資などのかたちでも資本の輸出を活発化させています。おそらく、情報通信分野での技術革新を背景に相手国の情報が入手しやすくなっていることや、国際金融資本市場での取引基盤がより整備されてきたことなどが、こうしたホームバイアスの低下をもたらしているものと思われます。

 このような国際的な金融資本市場の変化やそのもとでの資金の流れを踏まえると、新興諸国であっても、資本が不足しているとは言い切れません。実際、新興諸国では、労働集約的な財のみならず、資本集約的な財に分類されるものについても、生産を拡大しており、先進国では、新興諸国からの輸入圧力が一段と高まっています。輸入圧力の高まりは、競争環境の激化やそれに伴う企業の価格支配力の低下をもたらし、全体として製品安の傾向が続いてきています。

 ただし、こうした状況は、先進国にとって、必ずしも脅威を意味するものではありません。先進国の多くの企業は、情報通信、環境、エネルギー、医療など、先進的な技術に対するニーズが世界的に強まりつつある分野で、企業努力を重ねてきています。これは、先進国の持っている技術や知識に関する比較優位を活かすための取り組みと捉えられます。国際分業を考える際には、資本、労働だけでなく、技術・知識までを含めた各地域の比較優位構造を念頭に置くことが不可欠になってきていると考えられます。

経済のグローバル化と国内物価

 さて、経済のグローバル化の進展は、金融政策運営に対しても多くの課題を投げかけています。以下では、そのうち、(1)グローバル化が国内物価に与える影響、(2)金融資本市場の国際的な連関の強まり、という2点を取り上げることにします。

 近年、多くの国でインフレ率の低下傾向が続いてきました。その要因としては、各国の慎重な金融政策運営により人々のインフレ期待が抑えられてきたことや、情報通信分野を中心とする技術革新が製品価格の下落をもたらしていることなどと並んで、経済のグローバル化が大きな影響を与えています。経済のグローバル化は、先程申し述べたような世界的な供給力の増大、各国の対外開放度の高まり、企業間の競争激化などを通じて、国内物価の押し下げ圧力として働くからです。また、国内物価がグローバルな需給環境に影響される程度が高まるため、国内景気に対する物価の感応度が低下するという現象も起きています。ちなみに、わが国では、景気が回復しても物価はなかなか上がらないという状況がかなり前から続いてきました。こうした現象の背景の一つには、地理的に近い東アジア諸国からの製品供給面の影響を早い時期から受けてきたという事情が指摘できます。現在、物価の景気に対する感応度の低下は、新興諸国が次々とテイクオフする中で、わが国だけでなく世界的にも広く観察されるようになっています。ちなみに、最新のIMFによる研究によれば、先進国の物価の国内景気に対する感応度は、かつてと比べ3割方低下していると推計されています。

 このような現象は、景気の拡大と物価の安定が両立しやすくなるという点で、これまで、経済の望ましい展開を可能とする要因として働いてきました。本日お話してきた世界経済の力強い拡大も、高い成長のもとでも物価の安定が保たれ、強い金融引き締めを必要としてこなかったこと、言い換えれば、経済活動にとって金融面での好環境が維持されていたことが重要な背景になっていると考えられます。

新しい物価環境と金融政策

 しかし、このことは、残念ながら、物価安定を目的とする金融政策の運営が容易になることを意味している訳ではありません。むしろ、中央銀行に対して新たな課題を投げかけています。

 第1に、経済のグローバル化がいつまでも物価押し下げ効果を持ち続ける保証はありません。実際、最終製品の価格下落により物価の上昇圧力が抑制される一方で、それと対照的な現象も顕著になっています。具体的には、供給力のスムーズな拡大が難しい一次産品などでは、新興諸国の所得増加などを背景とした需要の増加ペースに供給が追い付かず、価格が高騰しています。原油価格は言うに及ばず、銅や亜鉛、アルミなどの非鉄金属なども大きく上昇しています。こうしたグローバル化に伴う世界的な需要増加ということまで含めて考えると、実は、グローバル化が物価押し下げ要因になるのか、押し上げ要因になるのか、必ずしも確定的なことは言えません。これまでのところ、一次産品の価格上昇が、他の製品への波及やインフレ心理の高まりを通じて、各国の国内物価を大きく押し上げるには至っていません。しかし、世界全体の供給余力が次第に乏しくなっていけば、こうした好環境が気づかないうちに大きく変化しているというリスクには十分気をつけなくてはなりません。

 第2に、ただ今申し述べたリスクの把握という課題と関連しますが、物価の国内景気に対する感応度が低下しているということは、これまで慣れ親しんできた経済活動の「体温計」の感度が低下しているということも意味します。そうなると、中長期的にみて物価の安定を実現するためには、当面の物価上昇率を政策運営のガイドポストとするだけでは不十分になってきます。より長い目でみて経済活動や物価の振幅を大きくしそうなリスクをできるだけ敏感に察知して、適切に対応することがいっそう重要になります。実際、近年、先進各国の中央銀行が直面してきた課題は、必ずしもインフレやデフレの古典的なケースだけではありません。中央銀行は、資産価格の変動、金融システム不安、国際的な通貨危機、さらには地政学的な要因に基づく市場の不安定化など、実に様々な問題に対応してきました。これらの問題は、一歩対処を誤れば、中長期的には経済活動ひいては物価の安定を阻害することになるからです。短期的に物価の感応度が低下している分、中央銀行としては、こうした中長期的なリスクをしっかり見極めるとともに、それを国民や市場参加者に説得的に提示していく能力を磨かなければなりません。

金融資本市場の国際的な連関の強まり

 さて、経済のグローバル化という現象を金融の側面から捉えると、各国の金融資本市場のつながりはますます密接なものとなり、むしろ金融資本市場の一体化と形容した方が良い状況となっていることを意味しています。株価については、以前より、各国間で高い連動性が観察されてきました。各国の長期金利については、基本的には、当該国の経済や物価に関する市場の見方を反映していると考えられますが、日本、米国、欧州間の連動性は、このところ、かなり高まっているように見受けられます。

 一般に、国際的な金融資本市場において資金の流出入が活発化し、裁定機能を含めた市場機能が高まること自体は、国際的な資金配分の効率化に資するものと考えられます。先程述べた「ホームバイアス」の後退ということも、そうした市場の効率化の一つの表れと捉えられます。しかし、金融資本市場の国際的な連動性の高まりは、同時に、経済に対する様々なショックの影響が、金融資本市場の変動を通じて、世界の隅々まで直ちに伝わり、場合によっては増幅される可能性がある、という側面も有しています。これまでグローバルに金融環境の安定が維持されてきたことは、世界経済の持続的な拡大を支える要因の一つとして寄与してきたと考えられます。それだけに、インフレ心理の高まりなど何らかの要因から国際的な資金フローや金融資本市場における価格形成が急激に変化し、それが世界経済全体に悪影響を及ぼすリスクについては、十分注意する必要があると考えられます。

 このような国際金融資本市場の状況を踏まえますと、市場の中で政策を運営する中央銀行としては、より効果的で、かつ市場の安定を確保できるような情報発信の手法に一段と工夫を凝らしていく必要があります。折しも、日米双方で、中央銀行の政策運営が転機を迎えています。日本では、先般、過去5年に亘って継続してきた量的緩和政策を解除し、特定の経済指標つまりCPIに政策運営を結び付けた「約束」のレジームから離脱しました。このことは、経済・物価情勢に応じた弾力的な政策運営という本来のあり方に戻ったことを意味しますが、5年の長きに亘って異例に予測可能性の高い世界に慣れてきた市場参加者には、まだ戸惑いが残っているかもしれません。また、米国においても、measuredペースでの段階的な利上げという、当面の金融政策運営に関する不確実性がきわめて低い局面は転換しつつあるという認識が市場では広まっています。このように、金融資本市場の国際的な連関が強まっている中で、日米の中央銀行が市場との新しい関係を創り上げていくという課題に直面しています。

おわりに

 日本銀行は、先般の量的緩和政策の解除に当たって、新たな金融政策の枠組みを策定しました。新たな枠組みは、3つの構成要素から成り立っています。第1に、政策委員会メンバーによる「中長期的な物価安定の理解」として、CPIでみて0~2%というレンジを公表しました。第2に、2つの「柱」に基づいて経済・物価情勢の点検を行うことにしました。これは、経済が辿りそうなもっとも蓋然性の高いシナリオと、先程も申し述べたようなより中長期的にみたリスク要因の両方をあわせて点検する方法です。第3に、こうした点検を踏まえて当面の金融政策運営方針を整理し、公表することとしました。

 今回の枠組みは、本日お話したような金融政策運営の課題、例えば、中長期的なリスク点検の必要性や、市場との新たな関係の構築といった要請にも応えるものとなっていると思っています。日本銀行は、4月に公表した展望レポートで初めてこの枠組みを適用しました。日本銀行を含め、各国の中央銀行は、金融政策の運営に当たっての考え方を分かりやすく市場や国民に説明するために、様々な努力を行っていますが、その具体的な方法は、それぞれの中央銀行が置かれた経済環境や制度的枠組みの違い等を反映して異なると考えられます。我々は、今後とも、時代の変化を踏まえ、できればそれを先取りしつつ、金融政策の運営手法やコミュニケーション方法をさらに改善させていく方針です。本日ご列席の皆様方には、ぜひレポートをご一読頂き、忌憚の無いご意見ご批判をお寄せくださるようお願いして、本日の私からのお話を終わることとします。

 ご清聴ありがとうございました。

以上