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最近の金融経済情勢と金融政策運営
福岡県金融経済懇談会における水野審議委員挨拶要旨
* 英訳(抜粋)を、英語版ホームページに掲載しました(2006年9月4日)。
2006年8月2日
日本銀行
目次
- 1.景気判断のアップデート~景気を牽引する設備投資~
- 2.グローバルなマネー・フローの変化
- 3.今後の金融政策運営
- 4.補完貸付金利について
- 5.構造変化した短期金融市場
- 6.証券市場の活性化に向けて
- 7.金融システム安定化に向けた課題
- 8.結びにかえて
本日は、ご多忙の中、福岡県の行政および経済界を代表される皆様のご出席を賜り、懇談の機会を得ましたことを大変ありがたく、また光栄に存じます。日頃は、日本銀行福岡支店が、金融・経済の調査等々で大変お世話になっております。厚くお礼申し上げますとともに、今後ともよろしくご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。
さて、本日は、景気判断をアップデートした後、金融政策運営、私が関心を持っているトピックスについて触れたいと思います。そして、最後に、簡単ではありますが、福岡県を訪問させて頂いた印象を申し上げたいと思います。
1.景気判断のアップデート~景気を牽引する設備投資~
わが国の景気は緩やかに拡大しています。好調な海外景気を反映して、輸出は増加を続けています。株式市場では、素原材料価格の上昇分を価格転嫁できるか不透明なため、先行きの企業業績に対する不透明感が強まっているようですが、設備投資は引き続き増加しています。また、雇用者所得の増勢に力強さはなく、天候不順の影響もみられているものの、外食産業売上高や旅行取扱額などサービス関連の個人消費は好調です。住宅投資は緩やかに増加しています。旺盛なオフィス需要を背景に、都心部を中心に建設投資は増勢を維持しています。このように、内外需要の増加が続く中で、生産も増加を続けています。
以上を踏まえて、7月の金融経済月報では、景気の現状認識に関する冒頭表現を、従来の「着実な回復」から「緩やかに拡大」に変更しました。
先行きについても、海外経済の拡大を背景に輸出は増加を続けていくとみられ、国内民間需要も引き続き増加していく可能性が高く、物価安定のもとで息の長い拡大を続けるとみています。金融経済月報では、先行きの景気判断について、「緩やか」な「拡大」という表現を、5月から3か月連続で使っています。
この表現は、景気全体の「水準」やマクロ的な需給ギャップの面で、供給超過状態が解消し、需要超過状態に入ったという「局面の変化」を指摘したに過ぎません。月報の冒頭表現を変更したことについて、「景気判断を大幅に上方修正した」「景気回復のスピードが加速している」と解釈しないでいただきたいと思います。
また、7月13日・14日の金融政策決定会合では、4月末公表の「展望レポート」の中間レビューを行いました。「展望レポート」で最も蓋然性が高いと判断される先行きの経済情勢の「見通し」について、全体としては「見通しに概ね沿っていると予想される」、すなわち「オン・ザ・トラックで推移している」と判断しました。
「展望レポート」で景気の下振れ要因として指摘した「在庫調整の可能性」については、4~6月期の鉱工業生産の増勢は緩やかなものの、出荷と在庫のバランスは改善しているため、仮に年度後半以降に在庫調整が発生しても軽微なものにとどまる公算が高そうです。例えば、足許は増勢一服となっている電子・デバイスの生産は、新規生産ラインの稼動もあって、7~9月期には再び増加する見込みです。液晶テレビや携帯電話向け需要の好調が持続しており、そうした需要に見合った動きとみております。
「展望レポート」で上振れ要因として指摘した「企業の投資行動の一段の積極化」が顕現化する可能性は、高まってきたのではないかとみています。すなわち、設備投資は、加速するとまでは言い切れませんが、増加モメンタムの持続と広がりがみえ、減速感はみられません。
機械受注(船舶・電力を除く民需)、建築着工床面積といった設備投資の先行指標は堅調に推移しています。最近の設備投資増勢の主因は、「3つの過剰問題」の解決にメドをつけた非金融企業が設備投資に前向きになったためであると判断されます。
日銀短観(6月調査)で2006年度の設備投資計画をみると、大企業・製造業は前年度比+16.4%と、昨年同時期並みの高い伸びとなりました。大企業・非製造業も同+8.9%と高めの伸びとなっています。内訳をみると、電力(維持・更新)、運輸(安全対策)、不動産(都市再開発関連)、情報サービス(アミューズメント施設)、飲食店・宿泊など、幅広い業種で増加が計画されています。中小企業の設備投資計画についても、製造業では前年度比-1.3%(前回調査比+16.3%の上方修正)と、近年で最も強かった2004年度と遜色のない計画となっています。ただ、非製造業は前回からの修正幅が小さく現時点では前年度比-14.6%にとどまっています。2005年度が同+11.7%と高めの伸びで着地した点を考慮すれば、底堅いとみることもできますが、不動産業(同-66.4%)や卸・小売業(同-25.0%)など金融環境に敏感な分野の設備投資計画は慎重なものにとどまっています。
大企業では、設備投資のほか、M&A、配当といった支出行動をこれまで以上に積極化させる動きがみえ始めました。素原材料価格の高騰から、企業の売上高経常利益率の改善は鈍くなり、2006年度の収益は引き続き増加するが伸び率の鈍化を見込む先が少なくありません。営業キャッシュフローは引き続き高水準で推移していますが、資金需要が旺盛な業種を中心に資金余剰が解消する企業も増加してきました。
こうした流れを受けて、外部資金を必要とする企業は増加傾向にあります。主要銀行貸出動向アンケートなど企業の資金需要に対する金融機関サイドの見方を窺うと、大企業については経常運転資金を中心に借入需要が幾分増加しているとみる向きが増えています。金融機関の与信姿勢は全体としては積極的で、大手行・地銀・地銀IIの6月の貸出残高(特殊要因調整後)は前年同月比+2.6%と5月の同+2.0%に比べプラス幅が拡大しています。この間、市場金利の上昇を受けた貸出金利の上昇などを反映し、最近ではスプレッドの縮小に歯止めがかかる傾向も窺われます。また、直接市場では、社債の発行スプレッドは拡大傾向にあり、CPの発行レートも幾分上昇しています。もっとも、こうした調達コストの上昇によっても、設備投資が資金繰り面から大きく制約されるとは思えません。
財政に目を向けると、財務省が7月3日に公表した2005年度決算概要(剰余金見込み)によれば、国の一般会計税収の累計は49兆654億円と、当初予算額を5兆584億円、補正後予算額を2兆234億円上回りました。内訳は、所得税が9,029億円、法人税が8,005億円であり、税収が当初予算額を上回るのは3年連続となります。2005年度の税収は前年度比+3.5兆円程度となりましたが、定率減税の縮減分2千億円弱を除き、大半が景気回復に伴う自然増収です。非金融法人企業の課税所得の増加を受けて、2005年度の法人税収が当初予算11兆5,130億円から1.8兆円程度も上振れしました。2008年度になれば、大手行など金融機関が法人税を納付するため、法人税の所得弾性値はさらに上昇することが見込まれます。
非金融法人企業の課税所得の増加は、設備投資や人件費など税務上損金算入が可能な支出へのインセンティブを高める要因です。すなわち、税収動向からも、「企業の投資行動の一段の積極化」を読み取れます。なお、2005年度の歳出の不用額のうち国債費は8,843億円にのぼります。以上は、今後も景気回復に伴ういわゆる「良い長期金利の上昇」ならば、税収増加で利払い負担増加はまかなえる可能性が高いことを示唆していると思います。
日本銀行は、「展望レポート」の冒頭部分で「成長率の水準は、景気回復局面に入って既に4年以上経過する中で、今後景気は、成熟段階に入っていくと考えられるため、2006年度は2%台半ば、2007年度は2%程度と、潜在成長率近傍の水準に向けて徐々に減速する可能性が高い。」と記述しました。ただ、仮に設備投資の増勢が持続した場合、2007年度にかけての経済成長率の「見通し」を上方修正する可能性が高まってきます。
6月短観を受けた後、一部では、「設備投資は堅調であるものの、過熱感がある、あるいは、加速する可能性がある、という程ではない。」といった見方もあります。個人的には、10月2日に公表される日銀短観(9月調査)で2006年度の設備投資計画がさらに上方修正される可能性が高いと判断していますが、設備投資が過熱気味かどうかを判断するにはもう少しデータをみる必要があると思います。もっとも、仮に設備投資は現状程度の好調な状況を維持するという見方が適切ならば、以下の見方のうち、少なくともそのひとつを受け入れる必要が出てきます。すなわち、(1)わが国の潜在成長率は日本銀行が想定する+1.5~+2.0%を上回っている可能性が高い、(2)成熟局面に入る時期は、4月時点の本行の想定よりも後になる可能性が高い、という2つの見方です。個人的には、どちらの可能性も高まってきたように思います。
仮に上記の私の見通しが適切な場合、生産性上昇率の上昇を受けて潜在成長率は+2.0~+2.5%程度までさらに上振れる可能性があります。この場合、2006年度は景気回復のモメンタムは衰えず、1990年代の米国経済のように「高成長と低インフレ」が共存する理想的な景気回復局面が長期間にわたる可能性が出てきます。生産性の上昇はディスインフレ状況が持続する可能性を高めますが、むしろ、いわゆる「中立的な政策金利」と足許の政策金利の水準のギャップが拡大した状況を放置すると、資産価格インフレが発生するリスク、景気の上振れを通じたインフレ期待の高まり、が懸念されます。その結果、「ビハインド・ザ・カーブな金融政策運営」の度合いが強まることになりかねません。
2.グローバルなマネー・フローの変化
背景
経済ファンダメンタルは、主要国のみならず、一部を除き新興成長国でも良好であるにもかかわらず、5月~6月にかけて世界の金融市場は大きく動揺しました。5月~6月に発生した世界的なマネー・フローの変化、あるいは、資産価格のリプライシングが発生した背景には、二つの要因があると考えています。
ひとつは、市場参加者のインフレ期待の上昇、金利先高観の高まり、があると思います。市場参加者が、金融市場を取り巻く環境が、従来の「グローバル・ディスインフレ」「マーケット・フレンドリーな緩和的な金融環境」から、「グローバルなインフレ期待の高まり」「インフレ予防的な主要国の金融政策運営」へと変化する可能性、を先取りしたものと判断されます。1990年代半ば以降、金融市場ではグローバルなディスインフレを前提として価格形成がされてきました。主要国の中央銀行は、景気回復局面でもインフレ期待が抑制されていたため、大幅な金融引き締めに踏み切る必要はなく、最近では1回の利上げ幅が25bpという「ファイン・チューニング」的な金利調整が主流となってきました。
しかし、世界経済は想定以上に強く、グローバリゼーションによる主要国のインフレ圧力抑制にも限界がみえてきました。IMFは4月、2006年の世界の実質GDP成長率の見通しを、昨年9月の4.3%から+4.9%へ引き上げたように、世界経済は力強い拡大をみせています。来年末までにインフレ圧力の緩和が期待できるのは、米国のみです。東アジアとユーロ圏諸国はインフレ上昇圧力が持続すると見込まれます。すなわち、世界のインフレ上昇圧力は、今年から来年にかけて持続する公算が高いと見込まれます。実質GDP成長率が潜在成長率を上回る国が多い中、エネルギー価格は上昇傾向を続けると予想されます。
「中国が世界にデフレを輸出している」と言われて久しいですが、中国でも賃上げやコスト上昇を輸出価格に転嫁する動きが散見され始め、FRBのコーン副議長は7月6日の講演で、1990年代からの世界経済のグローバル化について、「中国など新興成長国の為替相場自由化、内需拡大などが進めば、主要国での物価抑制効果は薄れていく。」といった趣旨の発言をしました。また、世界的な金利上昇について、「もし低金利が続けば、インフレ高進のリスクが高まる。主要各国の利上げは、安定成長のために必要である。FRBの引き締めについても、インフレ加速見通しが強まることは、金融引き締めによる景気減速よりもさらに大きな影響がある。」と、FRBはインフレ抑制を重視する姿勢を変えていないことを示唆しました。
主要国の中央銀行は、足許で高まってきたインフレ期待を抑制するため、「金融政策の正常化」を進めています。米国、ユーロ圏のインフレ率はFRBとECBがそれぞれ居心地の良いと考えている水準を上回っています。FRBは中立金利を上回る水準まで政策金利を引き上げたと見込まれますが、住宅投資の減速も今のところ「想定の範囲内」と判断しているようです。7月19日・20日のバーナンキ議長の議会証言においてFRBは2006年と2007年のコアPCEデフレーターの見通しを上方修正しています。米国の4~6月期の実質GDPは前期比年率+2.5%と1~3月期の同+5.6%から大幅に減速しました。ただ、FRBが注目するインフレ指標のひとつであるコアPCEデフレーターは前期比年率+2.9%と1~3月期の同+2.1%から上昇しました。前年同期比でも+2.3%と1~3月期の同+2.0%を上回りました。今回のGDP統計は、成長率の鈍化とコア・インフレ率の加速を示唆する内容となったため、FRBからみれば強弱入り混じった内容といえます。設備投資の減速(4~6月期は前期比年率+2.7%と1~3月期の同+13.7%から減速)はやや想定以上でありましたが、この程度の成長率の減速では、来年中に多くのFRBのメンバーが居心地良いと考えるコアPCEデフレーターの水準まで低下するメドはたたないと思われます。
このように、FRBがインフレ圧力を警戒している一方、金融市場はもっぱら米国の景気減速を示唆する経済統計に敏感に反応しています。一部では、「グロース・リセッション」や「ミニ・スタグフレーション」に陥る可能性さえ、議論されています。
もっとも、米国の2006財政年度の歳入見通しをみると、企業業績は堅調で、家計の所得環境は良好であることを示唆しています。米国の行政管理予算局(OMB)は7月11日、2007年度予算教書(2月6日)において公表した2006~2011財政年度の財政収支見通しを改訂しました。それによれば、2006財政年度の財政収支見通しは前回2月の4,230億ドルの赤字から今回7月は2,960億ドルの赤字へと大幅に上方修正されました。2006財政年度の改訂後の歳入見通しをみると、(1)所得税は予算教書公表時の9,980億ドルから7月は1兆630億ドルと650億ドルの上方修正、(2)法人税は2月の2,770億ドルから7月は3,320億ドルと550億ドルの上方修正となっています。
ガソリン価格高騰の影響で、家計部門のマインドは若干悪化していますが、6月の時間当たり賃金は前年同月比+3.9%、コアCPIは前年同月比+2.6%となりました。実質賃金上昇率がプラスで推移している限り、個人消費の失速は考えにくいところです。個人的には、米国経済の懐は深く、引き続き「軟着陸シナリオ」となる蓋然性が高いのではないかとみています。
市場参加者も政策当局も、インフレが加速するシナリオは描いていませんが、欧米主要国の中央銀行はインフレ期待を抑制する姿勢を打ち出しています。グローバルにインフレ懸念が静かに広がってきました。また、日米の金融政策運営については昨年までのように予測可能性が極めて高い「異例な局面」が終わり、不確実性が高まってきました。金融市場と中央銀行のハネムーン・ピリオドは終焉しつつあると言えるかもしれません。
そうした中で、リスク・アセット(主要国の社債・新興成長国の株価など)に投資する際、リスク・プレミアムが上昇することが見込まれます。5月~6月にかけての世界的な金融市場の調整について、ファンダメンタルズに目立った変化がなく、想定外の市場同士の相関の高まりや資産価格下落が過度に増幅されたため、世界の投資家によるポジション調整の色彩が強いという意味で、「Global Risk Reduction」と言われることがありますが、個人的には、「リプライシング」という表現が適切だと思っています。
もうひとつは、「行過ぎた資産価格上昇に対する調整」です。健全なファンダメンタルズ及び緩和的な金融環境を背景に、2005年から2006年4月頃まで、世界の投資マネーはいわゆる「search for yield」の動きを強め、株式、コモディティ、ハイ・イールド債など、リスクの高い金融資産に向かいました。こうした投資マネーの中で大きなプレゼンスを持ち始めているのは、年金ファンド、ヘッジファンド、ペトロ・マネー(産油国の資金)です。
世界の債券・株式市場の期待リターンが低下したこともあって、本邦の年金基金はヘッジファンド(ファンド・オブ・ファンズ形態が主流)、不動産投資(最近では海外REITへの投資も増加)、プライベート・エクィティ、クレジット商品など、運用資産全体に占めるオルタナティブ投資のウエイトを5~10%に引き上げています。コモディティ商品については、2004年から2005年にかけてアセット・クラスのひとつとして認知され始めました。欧米諸国の年金基金は、リスクの高い投資対象と理解しながらも、期待リターンの高さにひかれて、2006年からコモディティ市場に本格的に参入しました。国際商品市場の市場規模は、年金資金の分散投資の対象として小さすぎるにもかかわらず、巨大な年金資金が流入したため、「需給のミス・マッチ」が発生し、春以降はファンダメンタルズでは到底説明できない水準まで市況が上昇しました。
その後、米国のインフレ懸念が浮上し、主要国の株式相場は調整局面に入りました。ヘッジファンドの利益確定の時期と重なったこともあり、ブラジル・インド・ロシアなどBRICs諸国をはじめとする新興成長国の株式市場の流動性が予想以上に乏しく、エマージング・マーケットを得意とする市場参加者の顔色が次第に険しくなりました。一部のヘッジファンドは解約に備えてキャッシュ化のため、あらゆるポジションを手仕舞う動きをみせたとみられ、グローバルにファンダメンタルズで説明できない動きが続きました。4月のG7後、対米ドルで円及び東アジア通貨が強含んだこともあって、わが国を含むアジアの株式相場も軒並み調整を受けました。インフレ期待が高まる中、本来ならば反騰するはずのコモディティ相場も利食い売りから軟調な展開となりました。
国際決済銀行(BIS)が6月26日に公表した「年次報告書」によれば、「2002年6月~2005年6月までの3年間に石油輸出国は石油収入1.2兆ドルのうち約5分の1にあたる2,000億ドルが、米国の短期及び長期の有価証券に投資された。ただ、この数字は氷山の一角に過ぎない可能性がある。石油輸出国とアジア諸国による米ドル建て証券への投資推計額は、全体のエクスポージャーより低く見積もられていると見込まれる。特にアジア地域の外国政府や中央銀行による対米証券投資への強い需要が、米長期金利が低水準で推移している一因となっている。」と指摘しました。金融市場では、原油輸出国のその他の資金は、金・銀・非鉄金属などのコモディティ、日本株にも投資されたはずであるとの見方が聞かれます。
5月~6月の世界的な金融市場の混乱によって、エマージング・マーケットを得意とするヘッジファンドは巨額な損失をこうむったといわれています。しかし、1990年代に比べ、市場参加者のリスク管理体制は格段に強化されています。ヘッジファンド業界の運用資産は1兆ドル程度まで膨らんでいますが、マクロ系のヘッジファンドでも様々な運用手法を取り入れた「マルチ・ストラテジー」型の運用手法により、リスク分散が効くようになっています。今後5年程度を視野に入れた場合、ヘッジファンド業界は、(1)年金資金の運用を受託するミドル・リスク、ミドル・リターン型のヘッジファンド、(2)解約できない期間が長く大富豪の資産運用を行うハイ・リスク、ハイ・リターン型のヘッジファンドに分かれてくると思います。
IMFは4月、2006年の世界の実質GDP成長率の見通しを、昨年9月の+4.3%から+4.9%へ引き上げたように、世界経済は好調を維持しています。新興成長国については、大半が経常収支黒字国となり、保有する外貨準備は大幅に増加し、将来必要な資金を長期資金によってファイナンスしています。新興成長国の多くが経常収支赤字で、銀行を中心とする短期資金の流入によってファイナンスしていた1997年~98年の東アジア通貨危機当時とは相当状況が異なっています。
7月中旬に「世界同時株安の再燃か?」と懸念される局面が一時的にありましたが、大きな調整には至りませんでした。5月~6月にかけての世界的な金融市場の混乱の教訓はいかされているように思います。すなわち、リスク性の高いアセット・クラスに投資する際、(1)十分なリスク・プレミアムが上乗せされているか、(2)資金回収(益出しや損切り)に動こうとする場合の流動性は十分に高いか、(3)市場参加者の顔ぶれはどうか、について従来以上に慎重な検討が加えられる結果、信用度・流動性の高い資産が相対的に選好されやすい環境に変化しつつあると思います。新興成長国の株式市場を例にとると、一般的に、まとまった規模で株式を購入することは比較的容易である一方、相場下落局面で退出しようとする際、流動性が乏しく、アスク/ビットは拡大気味になります。
7月下旬以降、グローバルに株式相場は久々に反発らしい反発をみせています。また、主要国の債券相場は、株価相場が反発しているにもかかわらず、落ち着いた動きをみせています。
一般的に、相場の「水準調整」は中長期的に相場上昇局面において避けて通れません。また、グローバリゼーションの進展によって、国際間の資本フローが巨額化する中、相場の「トレンド」と「水準調整」の見極めが困難になってきました。5月~6月にかけての世界同時株安は、株式相場の調整幅が大きく、長い時間を要しただけに、単なる「水準調整」ではなく、「新たなトレンド」であると見誤る市場参加者は少なくなかったと思います。しかし、5月初め~7月末にかけての金融市場の動向は、経済ファンダメンタルズで説明がつかない株価の調整は、「時間が解決してくれる」と割り切ることが適切であることを教えてくれたように思います。
原油価格急騰がリスク
今後の金融市場のリスク要因は、地政学的リスクの高まりを受けて原油価格が急騰するリスクです。北朝鮮を巡る情勢が不安定化している中で、ムンバイでの爆弾テロ、イスラエルによるレバノンへの大規模空爆、それに対するヒズボラの応酬など、中東情勢は一段と緊迫化してきました。地政学的リスクは地域的な広がりをみせると同時に、複雑化してきました。
6月中旬以降、主要国の中央銀行による「金融政策の正常化」の流れを織り込んで、世界的なリスク資産のリプライシングが漸く終焉に近づき、主要国の株式相場に底入れ感が出つつありました。しかし、地政学的リスクの高まりが、期待していた業績相場の出鼻をくじいた格好となりました。リスク・テイカーは、ポジションを調整しつつ、中東情勢について最悪のシナリオに備えているようです。
中国の原油輸入量をみると、景気に過熱感のあった2004年は前年比4割近い伸びを示していましたが、政府の過熱抑制策もあって、2005年は前年比一桁台の伸びに落ち着いていました。しかしながら、2006年入り後は再び投資を中心に景気に過熱感がみられていることから、1~6月期累計では前年同期比+15.4%となるなど高い伸びを示しており、今後も高成長の継続や戦略備蓄の推進により、高水準の原油輸入の継続が予想されます。
最近のEIAのレポートでは、米国とユーロ圏とのガソリン価格差を背景として、ユーロ圏から米国へのガソリン輸出が増加しているため、仮に米国に今年も昨年のハリケーン到来時のような事態が発生した際には、海外から更に大量のガソリンを輸入することは困難」とされています。こうした見方に沿えば、仮に米国で大型ハリケーンが接近というニュースだけで原油価格が大幅に上昇しても不思議でないとの見方が増えてきました。中東情勢については最悪のシナリオが織り込まれている感があるため、地政学的リスクの高まりだけで、WTI期近物が一気に1バレル=80ドル台に定着する可能性は低いと思われます。しかし、世界経済が力強い拡大を続けるなか、原油価格は下がりにくい状況は続くと見込まれます。年末に向けて原油価格のアップサイド・リスクには引き続き注意していきたいと思います。
なお、ロシアの石油生産量は現在、サウジアラビアに次いで世界第2位、輸出量では第1位です。一方、天然ガスについては、生産量、輸出量、確認埋蔵量のいずれも世界第1位です。中長期的にロシアのエネルギー政策が世界の政治・金融情勢に多大な影響力を与える可能性があります。
中国の景気過熱抑制策
4月末公表の「展望レポート」でも、中国経済について2006年・2007年については上振れリスクがあることを明記しましたが、マネーサプライや銀行貸出の伸び率をみても大きく減速する兆しはみえません。7月18日公表の中国の4~6月期の実質GDPは前年同期比+11.3%と1~3月期の同+10.2%を上回り、2006年上期では同+10.9%となりました。
市場予想を上回る実質GDP成長率を受けて、中国人民銀行は7月21日、預金準備率を0.5%引き上げ、原則として8.5%にすると発表しました。今回の措置は、過剰流動性を背景とした銀行貸出増加の抑制が主眼だと思われます。預金準備率の引き上げは、信用創造の供給額を直接的に抑制する効果はあるものの、多分にアナウンスメント効果の色彩が強いように思われます。過剰流動性の吸収が目的なので、外資流入を加速しかねない政策金利引き上げではなく、預金準備率の引き上げが選択されたと推察されますが、中国の金融環境に大きな影響を与えるとは思えません。
中国の温家宝首相は7月26日、「土地や貸出の管理および市場参入の審査を強化することなどを通じて、過剰な固定資産投資の過熱を防ぐ」必要性を訴える演説をしました。中国ウォッチャーの間では、大胆なマクロ経済政策の見直しに踏み切る可能性は低いとの見方が大勢ですが、建材の市況や、建設機械の業況などにも大きな影響を与えるだけに関心を呼んでいます。
7月分の経済統計で景気加速感が強まれば、追加的な引き締め措置が実施される可能性はあります。中国経済の下振れは、それが短期的なものであっても、わが国で在庫調整が発生する可能性があります。年後半の中国の景気過熱抑制策について注意していきたいと思います。また、中国の国内では、人民元の為替相場を柔軟性のない状態にしておくことが中国経済に与える負担を認識する声が増え始めているように伺われます。大局的に言えば、為替市場の改革を進めて弾力性を高める方向に動いてきています。ただ、中国の為替政策に関する様々な思惑は、グローバルなマネー・フローの変化に影響を与える可能性には留意する必要があると思います。
株式相場と金融政策
日米株価の相関関係をみると、5、6月の調整局面において、日本の株式相場は急速に米国の株式相場の影響を受けやすくなりました。米国市場では、「8月のFOMCでは追加利上げはあるものの、その後は様子見に入る可能性がある」との期待もあって、6月のコアCPIが4ヶ月連続で前月比+0.3%と高い数字になったにもかかわらず、7月下旬は債券・株式相場ともに底堅い展開をみせました。もっとも、(1)バーナンキ議長は7月19日の米上院での議会証言における質疑応答のセクションで、米国経済のリスクとして、住宅投資をはじめとする景気減速ではなく、「インフレ圧力上昇、中東情勢(地政学的リスク)、原油価格高騰」を指摘し、FRBの関心は景気減速の回避ではなく、インフレ期待の抑制であるとの見方も与えたこと、(2)米議会に提出したFOMCの最新のコアPCEの見通しは、2006年・2007年ともに上方修正されていること、(3)6月28・29日開催のFOMC議事要旨によれば、一部のハト派と言われるメンバーを除き、FRBはインフレ圧力上昇への警戒感を緩めていないことが言及されていること、からも、市場参加者は偏ったシナリオをとることが難しいかもしれません。
今後、わが国における金利機能の復活は、国際市場間の資金移動をさらに加速させ、相場の「水準調整」の規模と期間を増幅する可能性が高くなります。しかしながら、私は、株式市場のセンチメントに振り回されず、経済・物価情勢に応じて適切な金融政策運営を行うことが重要だと考えています。
わが国では、金融市場動向を眺めて、近い将来の金融政策運営へのインプリケーションが議論されることが多いと思います。特に、日本の金融市場参加者の間では、株価動向と金融政策をダイレクトにリンクさせる議論が少なくないようです。海外投資家の間では、「なぜ、日本の市場参加者やメディアは、日本銀行の金融政策が、株式相場と円相場の動向によって大きな影響を受けると考えるのか、理解に苦しむ。」という声を聞くことが少なくありません。中央銀行にとって資産価格動向は、「持続的な物価安定を通じて、経済の健全な発展に資する」という政策目標を実現するために参考とすべき重要な「情報変数」です。日本銀行も同様な考え方にたっています。株価や長期金利など資産価格動向は注視していますが、動きそのものが金融政策運営に決定的な影響を与えるとの見方は誤りです。
3.今後の金融政策運営
日本銀行は、7月14日、次回の金融政策決定会合までの金融市場調節方針を、「無担保コールレート(オーバーナイト物)を、0.25%前後とする」ことを決定しました。また、補完貸付について、その適用金利を0.40%とするとともに、利用日数にかかわる上限を設けない臨時措置を当面継続することにしました。
経済・物価情勢が着実に改善していることから、金融面からの刺激効果は次第に強まってきています。このような状況のもとで、これまでのゼロ金利を維持し続けると、結果として、将来、経済・物価が大きく変動する可能性があります。そのため、日本銀行は、新たな金融政策運営の枠組みにおける2つの柱による点検を踏まえた上で、経済・物価が今後とも望ましい経路を辿っていくためには、この際金利水準の調整を行うことが適切と判断しました。
個人的には、(1)前回6月の金融政策決定会合で、ファンダメンタルズからはゼロ金利を解除できる要件は備わっていたが、5月の全国消費者物価指数(除く生鮮食品)や日銀短観(6月調査)など、その後の経済・物価情勢も「展望レポート」で示した「見通し」に沿っていることが確認できたこと、(2)5月下旬にGCレートの上昇をきっかけに一時的にコールレートが上昇したが、6月16日~7月14日までの積み期間においてコール市場は若干落ち着きをみせつつあったこと、(3)7月のゼロ金利解除は金融市場で確実視されており、政策変更を見送った場合はサプライズとなり短期金融市場で金利が急騰した可能性があったこと、も指摘したいと思います。全員一致で、「無担保コールレート(オーバーナイト物)を、0.25%前後とする」ことが決定されたように、機は熟していたように思えます。
先行きの金融政策運営については、今後とも経済・物価情勢を丹念に点検しながら運営していくつもりです。経済・物価情勢が「展望レポート」に沿って展開していくと見込まれるのであれば、政策金利水準の調整については、経済・物価情勢の変化に応じて徐々に行うことになります。この場合、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高いと判断しています。これまで繰り返し説明しているとおり、金利水準の調整は、経済・物価情勢をよく見極めながら、「ゆっくり」と進めていくということです。
また、個人的には、(1)3月9日の量的緩和政策の枠組みの変更に続き、ゼロ金利という異例な金利政策を修正し、「金融政策の正常化」に向けてさらに前進させること、(2)国債と一般債(社債・地方債・政府保証債等)のスプレッドをファンダメンタルズに合致したスプレッドに近づくようなきっかけをつくること、(3)金利機能を回復させ、市場参加者が将来の金融政策の展開を予想せざるをえない環境を醸成し、金融資産の適切な価格形成を通じて、わが国の金融サービス業の発展に貢献すること、も期待しています。
私は、6月26日に行った一部通信社とのインタビューで、ゼロ金利解除後の「Communication Policy」で最も重要な点は、(1)連続利上げの思惑が強まらないようにする、(2)今後の金融政策運営も「Data Dependence(データ次第)」かつ「フォワード・ルッキング」な姿勢で行なう、(3)短期金融市場および債券市場では、まだ低金利時代の「慣性(inertia)」が残っているため、予断を持って金融政策の正常化を進めるつもりはない、というメッセージを送ることが重要だとコメントしました。
市場参加者は、量的緩和政策の枠組み変更後も、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率の動きに強い関心をもっているようです。物価統計は政策判断の重要な指標ですが、特定の指標に過度に囚われることは適当ではありません。今後の金融政策運営は「Data Dependence」で行うつもりですが、これは、コアCPIインフレ率だけでなく、あらゆる経済・物価指標を注視することを意味します。
そうした中で、個人的には、一般職業紹介状況(特に有効求人倍率・常用雇用者数)、毎月勤労統計(特に所定内給与・常用雇用者数)、労働力調査(特に非農林雇用者数)など労働市場関連の統計に注目しています。景気回復の持続性をみる上では雇用・所得環境、物価のトレンドを見極める上では賃金動向を注目しています。また、想定外の景気上振れ要因として、住宅関連統計にも注目しています。
日本銀行はゼロ金利を解除しましたが、極めて緩和的な金融環境は維持されています。日本銀行の「金融政策の正常化」が金融市場に悪影響を及ぼすことがないように、市場参加者とできる限り「金利観」を共有し、サプライズを与えない金融政策運営を行っていくつもりです。もっとも、「金融政策の透明性向上」は、金融政策運営の「次の一手」を強く示唆することではありません。今後1年~2年後の経済・物価情勢に関する本行の見通し、及び、金融政策運営の考え方をアップデートすることで、「説明責任」を果たしていきたいと思います。
金融政策の引き締め・緩和の度合いを測るひとつの尺度として、実質金利の概念があります。個人的には、実質政策金利を試算する際、「政策金利—期待インフレ率」、を使うべきだと考えています。日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」における物価に対する人々の意識の変化、あるいは、内閣府の「消費動向調査」における物価に対する意識をみると、消費者の期待インフレ率は、足許(5月、6月)の消費者物価(除く生鮮食品)の前年同月比上昇率である+0.6%に比べてかなり高い数字になっています。どちらの物価の意識調査による数字も相当幅をもってみる必要はありますが、消費者のインフレ期待が高まる方向にあると判断するには十分だと思います。
6月の全国消費者物価(総合)は前年同月比+1.0%と4月の同+0.4%、5月の同+0.6%を上回りました。主因は生鮮食品が同+9.8%と5月の同+2.1%から急上昇したためです。ただ、最近のガソリン価格、生鮮食品、ティッシュ・ペーパーなど消費者が頻繁に購入する商品の価格上昇は、消費者のインフレ期待を高める要因だと思います。消費者のインフレ期待に加え、労働需給逼迫による緩やかな賃金上昇率の上昇は、加工業種が素原材料価格の上昇分を消費者に価格転嫁しやすい環境を醸成すると見込まれます。
今後の金融政策運営を考えるうえで、「実質政策金利のマイナス幅がさらに拡大するなか、金融政策面からの景気刺激効果が一段と強まり、中長期的にみると経済活動の振幅が大きくなるリスク」、「原油価格高騰がインフレ期待を押し上げるリスク」、「資産価格インフレが発生するリスク」について注意は怠れません。一方、中東情勢の緊迫化など地政学的リスクの高まりを受けた原油価格高騰や世界同時株安の可能性についても注意すべき状況にあり、予断を持たずに金融政策運営を行いたいと思います。
気がかりなのは、本行サイドから「ゆっくりとした金利水準の調整」という情報発信をすることが、「年内の追加利上げはない」と誤って解釈され、長期金利がファンダメンタルズの改善にもかかわらず、低下してしまうリスクです。
わが国の経済・物価情勢が「展望レポート」の「見通し」に沿って動いた場合、あるいは、株価が上昇傾向をみせた場合、市場参加者の「金利観」は相当変化する可能性があります。また、仮に、私が想定しているように、「展望レポート」の「見通し」よりも2007年度にかけて景気・物価情勢が上振れて推移する可能性が高いとの見方が有力となった場合、今後の長期金利の振幅は、結果的に、大きくなります。
個人的には、当面、わが国の経済指標、米国の経済・金融情勢や地政学的リスクについて情報収集したいと考えています。そして、10月31日公表予定の次回の「展望レポート」で、2007年度にかけてどのような経済・物価情勢の先行き見通しを提示すべきか、また、金融政策運営についてどのようなフォワード・ルッキング・ランゲージを盛り込むべきか、じっくりと考えてみたいと思います。
なお、最近の債券相場について簡単にコメントしたいと思います。国債イールドカーブの5年セクターまでは「金融政策の正常化」を意識した動きをみせています。一方、5年超のセクターでは、実質金利がマイナスという極めて緩和的な金融環境が将来修正される可能性があるにもかかわらず、私の想定以上に低い水準で推移しています。また、7月に入り、ゼロ金利解除を挟み、インプライド・ボラティリティーの低下は顕著で、残存年限によっては今年2月以来の水準まで低下しています。
中期的に長期金利の乱高下を最小限に抑制するためには、透明性の高い金融政策運営に加え、短期金融市場の安定、適切な国債管理政策、が不可欠です。市場参加者の主体的な価格発見行動を通じて、短期金融市場において安定的な金利形成が行われていくことを期待しています。また、国債発行当局には、(1)量的緩和政策が解除された現在、かつてのように銀行部門に国債消化を期待できないため、国債の平均発行年限を段階的に長期化させること、(2)海外投資家や年金勢のニーズが高い物価連動国債の発行増や発行年限の多様化など内外の市場参加者のニーズを踏まえたフォワード・ルッキングな国債管理政策を行うこと、をお願いしたいと考えています。
4.補完貸付金利について
ゼロ金利を解除した7月14日の金融政策決定会合では、補完貸付金利をどの水準に設定するかという論点がありました。既に福井総裁が記者会見で明らかにしているように、0.4%あるいは0.5%のどちらに設定すべきか議論した結果、0.4%に設定する提案が賛成6、反対3で決定されました。
短期市場参加者からは、金融政策決定会合後、「市場機能を重視する姿勢に変化がないことを示すためには、補完貸付金利は最低でも0.5%に設定すべきでなかったか?」、「金利機能の回復を促すためには、ターム物金利を含め短期金利の変動余地を広げて、裁定取引が発生しやすい環境を作る方が近道である。」など、ご批判をいただきました。
ただ、個人的には、補完貸付金利を0.4%と0.5%のいずれかにするかは、テクニカルな問題と思っています。ゼロ金利解除後の金融市場が比較的安定したのは、「経済・物価情勢が展望レポートに沿って展開していくと見込まれるのであれば、展望レポートで述べた「ゆっくりと金利水準の調整を行うことができる」というフォワード・ルッキング・ランゲージを声明文に盛り込んだことが好感されたためだと判断しています。
7月の金融政策決定会合の前に、一部の短期市場参加者の間では、(1)ゼロ金利解除後、補完貸付金利の新しい水準にかかわらず、GCレポレート(T+2)は0.30~0.35%で落ち着く可能性が高い、(2)無担保コールレート(オーバーナイト物)とGCレポレートの間で裁定取引が活発化し、短期金利・長期金利ともに低下地合いになる、という見解でした。実際、7月下旬時点のGCレポレート(T+2)は、30bp台前半で取引が成立しています。株式相場は反発しましたが、長期金利は安定して推移しました。個人的には、補完貸付金利を50bpに設定していても、結果は同じであったと思います。
以下で、補完貸付制度のあり方について、個人的な所感を述べさせていただきたいと思います。
(1)補完貸付金利の位置付け
現在、日本銀行の操作目標は「無担保コールレート(オーバーナイト物)」です。補完貸付金利は今日では、日本銀行の受動的貸出ファシリティの金利として無担保コールレート(オーバーナイト物)の上限を画す役割を果たすものであり、かつての「公定歩合」とは大きく異なるものです。したがって私としては、補完貸付金利はもはや日本銀行の金融政策スタンスを象徴的に示すものではないし、その水準については、あくまで「市場メカニズムを確保しつつ市場の急激な変動を防ぐ上でどの程度の金利とすることが望ましいか」という視点から考えていくべきだと思います。
(2)0.4%という水準について
7月14日の補完貸付金利を巡る議決において私がどのような投票を行ったかについては、お答えを差し控えさせていただきます。後日の議事要旨公表までお待ちください。
その上で、私の基本的な考え方を申し上げれば、短期金融市場においては、各市場参加者がそれぞれ、自らの流動性水準や金利観などを踏まえながら主体的に運用・調達を行っていくことが望ましく、そうしたことが市場機能の回復や円滑な金利形成のためにも重要であると思います。一方で、中銀の貸出金利が低すぎるが故に、市場での主体的な資金調達や流動性管理のインセンティブが阻害されたり、さらには、中銀貸出が先行きの政策金利引き上げの思惑などを背景に過剰に利用されるといったことは、本来、あまり望ましいこととは言えないように思います。各国のケースをみても、市場で形成される銀行間金利と中央銀行のロンバート貸出金利などとの間には、かなりのスプレッドが確保されているケースが多いように思います。
現在、補完貸付金利は0.4%、無担保コールレート(オーバーナイト物)との差は僅か0.15%ポイントであり、利用期間制限が撤廃された状況が維持されていることを併せて考えても、中銀として、コール市場の安定的な金利形成の方にかなり手厚い配慮を行ったものであるといえます。同時に、只今申し述べたようなことを踏まえれば、補完貸付金利とコールレートとの妥当な水準については、コール市場の機能回復の状況なども踏まえながら、今後とも検討を続け、状況に応じて適切な対応を図っていくべきであると考えます。
(3)補完貸付制度の金利安定効果について
また、補完貸付金利はあくまで、無担保コールレート(オーバーナイト物)などごく短期の金利について、その急激な飛び上がりを抑える機能を果たすものと考えられます。逆に言えば、これより長めの金利について、ロンバート金利が何らかの抑制的な役割を果たすといったことは、考えにくいように思います。
長めの金利の安定にとっては、まず何よりも、市場参加者の経済・物価見通し、とりわけ中長期的な物価見通しが安定的に推移することが前提となります。そのうえで、そうしたシナリオの下での中央銀行の政策運営が市場参加者にとって予測しやすいものであること−やや難しい言い方をすれば、中央銀行の「政策反応関数」が外部にとってわかりやすいものであること−が重要であると考えられます。
こうしたことを踏まえ、日本銀行は先日の政策変更に際し、今後の政策運営について、先行きの政策の自由度・機動性を損なわない範囲で、極力わかりやすいメッセージを発するよう配慮したつもりです。政策変更以降、市場金利は総じて安定的に推移していますが、私としては、これは先行きのインフレ予想が安定しており、日本銀行の金融政策運営についても、これが経済・物価情勢との関係でサプライズとなることが予想されていないことによる面が大きいと思います。一方で、補完貸付金利の水準が何らかの影響を及ぼしているといったことはないように思います。
5.構造変化した短期金融市場
日本銀行は、3月の量的緩和政策の枠組み変更、及び、7月14日のゼロ金利解除に向けて議論を深める際、テクニカルな要因とはいえ、短期金融市場の機能低下や構造変化について意識せざるをえませんでした。
コール市場の取引規模の縮小は、「ゼロ金利政策(1999年2月~2000年8月)」や「量的緩和政策(2001年3月~2006年3月)」という異例な金融政策運営の枠組みだけでなく、RTGSの導入や取引慣行の変化による面も見逃せません。例えば、RTGS導入前かつゼロ金利政策前の1997年12月と2005年12月を比較すると、コール取引残高は39兆円程度から21兆円程度へと半減し、取引フローも3分の1~4分の1に減少しました。
改めて言うまでもないことですが、日本銀行は日頃から、金融市場局や金融機構局による市場参加者へのヒアリング、短期金融市場のモニタリングなどを通じて、市場の構造変化のフォローに努めています。
量的緩和政策が続いた中で、無担保コール市場では、(1)取引規模の縮小、(2)取り手・出し手の顔ぶれの変化、(3)決済金額削減額(ネッティング)へのインセンティブの弱さ、(4)クレジット・ラインの縮小や短資会社(以下「短資」)を仲介しない相対取引の増加、などが観察されました。この背景としては、量的緩和政策による運用メリット減少・オペによる調達拡大、大手銀行の「預金超過」化によるコール市場での調達ニーズ低下、都銀の統合によるメガバンク化とカウンター・パーティー・リスクに対する意識の高まり、があると分析していました。
一方、有担コール市場では、限られた少数の出し手と取り手が中心のマーケットになっています。いわゆる担保を付した取引ですが、資金と担保が同時に受け渡しされない決済となっているほか、担保の掛け目が額面ベースであることなどから、余り利用は広がっていません。量的緩和の解除に伴って、この状態がどのように変化していくか、という点にも注目していました。
この間、レポ市場や現先市場では、国債発行残高の増加に伴う証券会社(以下「証券」)のファンディング(GC)・玉繰り(SC)ニーズが高まり、取引残高が増加しました。本行の短期資金供給オペも、レポ・現先市場での調達に匹敵するファンディング手段になっていました。
私は、量的緩和政策が解除され、当座預金残高が減少に向かう局面で、当初は、(1)オペ残高の減少に伴い、コール市場など短期金融市場での資金調達が増加する、(2)そのような形で短期金融市場での取引ニーズが高まる一方、長く続いた量的緩和政策の弊害として市場機能が円滑に回復しにくい状況は暫く続く、と予想しました。そして、暫くした後、(3)短期金利上昇に伴って、短期市場参加者の運用・調達行動が変化し、裁定メカニズムが作用し始める、(4)各市場参加者が市場機能回復に向けた準備を本格化させる、と予想しました。そして、最終的には、資金の偏在が徐々に調整されていくのではないか、と考えました。上記の(3)については、短期金融市場の機能回復に伴い、市場参加者の先行きの金利見通しに基づくコール市場、ターム物市場(コール、レポ、短期国債、CP、CD等)での金利裁定の動きも活発化し、これが短期のイールドカーブの安定的な形勢につながっていくことを期待しました。
量的緩和政策を解除した3月時点では、(1)資金と担保の偏在が少しずつ解消されるか、(2)短期金融市場の主要な参加者が、妥当なリスク評価に基づくクレジット・ラインの再構築を行っていくか、(3)日中コール取引が活性化するか、(4)短期金融市場参加者の事務体制がどのようなスピード感で進捗するか、(5)短期金融市場の参加者による各種取組みの進捗について日本銀行としてモニタリングを強化できるか、という市場機能面の課題が残っていました。このような問題意識は、昨年10月公表の「展望レポート」、今年1月公表の「金融市場レポート」を通して、市場にメッセージを送ったつもりです。例えば、後者では、「日本銀行としては、今後、資金繰りや金利リスクの運営・管理といった観点から市場参加者の市場行動がどのように変わっていくのか、それが(中略)構造変化と相まって短期金融市場にどのような影響を及ぼすのか、市場が十全な機能を発揮していくためには何が必要か、といった点について、市場参加者と意見交換を深めていく方針である。」と記述しました。
量的緩和政策の解除後、短期金利が動き始め、コール市場への運用回帰の動き、短期市場間の裁定取引がみられ始めました。例えば、翌日物のマーケットでは、レポ、ユーロ円、無担保コールなどの間で有利なレートを求めて運用・調達資金が動くようになりました。一部の機関投資家は、ビジネス・ライクな判断から銀行とのDDを引き上げて、短資会社経由で、貸出が伸びている地銀向けの資金放出に切り替える動きがみえます。系統金融機関では、系統内の預け金よりコールレートの方が有利であるため、コール運用に切り替える先も出てきました。また、ターム物の金利とボラティリティー上昇から、短期国債とスワップを使った裁定取引などが急増しています。クレジット・ライン開設、運用体制強化など、短期金融市場の機能回復に向けた動きもみえ始めました。現在、短期市場で最も活発に調達を増やしているのは、外国銀行(以下「外銀」)と証券です。金利がつくようになって、円の資金ポジションが拡大してきているためです。
さて、量的緩和政策の枠組みを変更する前の時点で意識されていた課題が、解除後にどうなったか、について私の分析をコメントしたいと思います。なお、日本銀行金融市場局による分析については、7月31日に公表した「金融市場レポート(追録)、量的緩和政策解除後の短期金融市場の動向」を参照して下さい。
- 無担保コール市場では、2005年以降、徐々に増加傾向にあった市場残高は、量的緩和政策の解除後、さらに拡大し、今年5月末時点の残高は、2月末対比で2兆円強の増加となりました。当日の余剰資金をコール市場に放出する動きが徐々に広がってきました。増加分は、専らオーバーナイト物の増加によるものです。取り手は外銀、証券の増加が顕著である一方、出し手は、コールレートの上昇につれ、地銀、生保、投資信託(以下「投信」)などが回帰しつつあります。
- ゼロ金利下でも、無担保コール市場における課題であった「クレジット・ラインの再構築」が着実に進捗してきました。
- レポ・現先の市場残高は量的緩和政策の解除後も着実に拡大しました。レポ市場は、短期国債を含めた国債発行額の増加という構造的な要因のほか、本行の資金供給オペの減額に伴い、代替的な資金需要がまずレポ市場に向かったこともあって、翌日物取引を中心に拡大しました。
- 5月末時点の有担保コール市場の残高は、信託が他の短期市場に運用をシフトさせたことを主因に、2月末対比で3兆円強の減少となりました。利用者の少ない市場という状況に変化はなく、他の市場との裁定なども余りみられません。
- 日銀当座預金残高が15兆円程度を下回った5月以降、GCレポレートがいち早く上昇し、裁定取引を通じて円転レートや無担保コールレートに波及する動きが顕著となりました。GCレポレートが無担保コールレートに比べて高止まりする傾向が続くなど、レポ市場と無担保コール市場等との間の資金の流れや裁定が、必ずしも円滑ではない面も窺われました。
- このようにレポレートが上昇した背景は、出し手の広がりが意外に少ないことにあります。GCレポ市場の取り手はもっぱら日系証券と外資系証券ですが、出し手は都銀等が3割、信託が6~7割を占めています。この点は、地方銀行など多数の出し手が存在する無担保コール市場とは対照的です。このため、価格形成においては心理的に出し手の影響力の大きさが意識されやすくなっているように思います。また、GCレポレートの上昇に伴って、補完貸付制度の利用が増加しました。
- ターム物金利の上昇した背景を需給面からみると、(1)資金の出し手のタームでの資金放出・運用の慎重化、(2)金利上昇観測が強まる下でのFB大量発行による短期国債市場の需給悪化、(3)そうした中での証券会社のTB/FBの在庫増加、などを指摘できます。
個人的には、量的緩和解除後も、ゼロ金利状態が続く限り、裁定取引はなかなか働きにくく、短期金融市場の機能回復にはゼロ金利解除はあまり遅くならない方が良いと思っていました。一般的に、短期市場のイールドカーブがある程度スティープ化していた方が、短期金融市場は安定します。これは、様々な裁定取引の機会が発生するため、市場参加者が増加するためです。わが国の景気回復局面は長期化する公算が高い中、「金融政策の正常化」の持続が意識される形で、緩やかに金利先高観が高まる状態が理想的だと考えています。
今後も、短期金融市場で金利先高感が強まる局面になった場合、補完貸付制度が頻繁に活用される可能性がありそうです。仮に補完貸付金利が頻繁に活用される、または、巨額な資金調達が行われる場合、積み期間中の個別金融機関の準備預金残高の進捗度合い、そして全体の資金需給が予測しにくくなります。よりきめ細かい金融市場調節を暫く続ける必要がありそうです。
短期金融市場の機能回復が完全でないため、日本銀行としても、補完貸付制度の利用制限期限を外した状況を維持するなど相応の方策を採っていますが、市場参加者におかれても、それぞれが短期資金の調達・運用、流動性管理面で十分な対応を採っていただきたいと思います。
大手銀行の預金超過化により、短期金融市場全体として、信用力・担保力が高い大手銀行からその他の先に資金が流れる構図に変化しました。無担保コール市場でも、外銀や証券が主要な取り手として調達額を増やしています。こうした中、クレジット・ライン拡充の進捗度合いが市場機能向上のカギとなります。資金の出し手による資金放出や運用が慎重であると、ゼロ金利解除後も、資金の取り手は本行の資金供給オペに依存せざるをえず、市場機能の回復が遅れます。
市場参加者が、コール市場やFB・TB・CD等の短期金融市場において、価格発見機能を十全に発揮していけば、短期金融市場の一段の活性化やイールドカーブの安定的な形成にもつながっていくように思います。
7月14日のゼロ金利解除に伴い、市場機能が自律的に回復を促すメカニズムがより強く働くことになると予想されますが、各市場参加者の主体的な取組みに依存する面も多いです。日本銀行としては、市場機能の回復に向けた市場参加者の取組みを支援していきたいと思います。
6.証券市場の活性化に向けて
今年に入ってから、証券市場においては、システム面でのトラブルや、監査法人を巡る問題、さらにはインサイダー取引など、証券市場の信認を揺るがす問題がいくつか発生しています。この点につきまして、個人的な感想を申し述べてみたいと思います。
金融資本市場の発展にとっては、市場参加者が価格の発見や取引をなるべく自由に行っていける環境が重要となります。その上で、そうした自由な活動を長期的に担保していく上では、市場参加者による自己規律なども重要となります。資本市場の発展には、規制緩和、市場規律(モラル維持)、金融インフラの整備、ディスクロージャー(企業会計の透明性向上)は重要です。市場メカニズムが働くには、「市場原理」だけではなく、「市場規律」が十分に機能する必要があります。証券取引法で禁止されていないが、法のスキマをついて収益をあげることを敢えてしないという「市場規律」が定着することが重要です。
例えば、市場参加者による自主規制や情報開示などは、市場の価格発見機能や公正な取引の確保といった観点に加え、過度の規制を防止するとともに市場への信認を確保し、わが国証券市場の健全な発展を実現していくためにも重要となります。逆に、自由が「放縦」につながっていく場合には、結局、多くの人が市場から退出したり、過度の規制強化を招いてしまうことなどを通じて、証券市場の長期的な発展を阻害することにもなりましょう。
証券市場における事件発生に際しては、しばしば、規制の緩和が行き過ぎたせいであり、規制の再強化が必要であるといった見解が聞かれることもありますが、こうした議論には十分な注意が必要です。金融市場を揺るがすイベントが発生すると、潮目が「規制撤廃(deregulation)」から「規制強化(re-regulation)」へと振り子が大きく振れることがあります。今年の一連の金融不祥事を受けて、そのような動きが強まる可能性があります。しかし、やみくもな規制強化、あるいは、株式市場の流動性の抑制策(値幅制限の縮小など)は、真の「投資家保護」にはならないように思います。
米国では、2001年末~2002年にかけて、エンロンやワールドコムの破綻をきっかけに、企業に厳格な情報開示を求める企業改革法(Sarbanes-Oxley Act)が導入されました。しかし、最近では、企業に徹底した情報開示を要求するSox法が米国企業の競争力低下を招くリスク、について多くの識者が指摘するなど、潮目が変化する兆しがみえます。また、幸いにも、米国は資本市場が成熟し、市場メカニズムや競争原理が働きやすく、企業が自主的にガバナンス強化に動いたため、資本市場の透明性と流動性が高まりました。
一方、わが国は、資本市場が相対的に未成熟で、個人投資家の株式投資の経験も浅いです。今年の一連の金融不祥事を受けて、規制強化に向けて振り子が大きく振れた場合、株式市場の流動性が低下する望ましくない結果となりかねません。政府が「貯蓄から投資へ」というキャンペーンを始めて久しいですが、昨年あたりから個人マネーが預貯金からリスク資産に漸くシフトし始めました。安易な「規制強化」に振り子が振れすぎず、「貯蓄から投資へ」の方向性、証券市場の活性化という問題意識が堅持されることを期待しています。
健全な資本市場に向けたインフラ整備も不可欠です。日進月歩のIT技術の進展によって、システム技術のライフ・サイクルは短期化しています。システム技術が高度化・複雑化する一方、システムに通じたプロパーの人材の育成は一朝一夕にはできないため、システムに関する潜在的なオペレーショナル・リスクは増大傾向にあります。アウト・ソーシングは進展しています。ただ、外注を活用する場合、外注先に銀行側の意図や業務のニーズを的確に伝え、システムに反映させていくための努力や工夫が必要となります。これが十分でなければ、業務の効率性の低下やオペレーショナル・リスクの増加といった問題を伴うことにもなり得ます。業務委託先の作業については発注者としてプロパー職員が管理・監督・指示する責任があり、これを怠った場合には責任を問われることになります。外注先の活用にはおのずと限界があると思われます。
なお、長期間にわたる不良債権処理を解決する過程で、コスト削減の一貫としてオペレーション部門の非正社員比率を引き上げてきた民間金融機関は少なくないようですが、事務ミスを減らすためのバックオフィス機能の強化も不可欠と思います。
7.金融システム安定化に向けた課題
バブル崩壊後の日本経済の復活で、製造業の底力が目立ちました。しかし、欧米主要国と同様、わが国でも「経済のサービス化」が徐々に進展すると思います。イギリスや米国と比べると、わが国の金融サービス業は発展途上といえそうです。機関投資家、個人を問わず、運用難に陥っている中、特に資産運用ビジネスは成長分野ではないかと思います。金融サービス業を発展させるために、わが国が短期的、中長期的にそれぞれ取り組んでいくべき課題は少なくありません。
わが国の金融システムは全体として安定性を回復しています。第一に、不良債権比率(不良債権/総与信)をみると、大手行が2001年度の8.7%をピークに、2002年度は7.1%、2003年度は5.1%、2004年度は2.9%、そして2005年度は1.8%まで低下しました。地域銀行はやはり2001年度の8.1%をピークに、2002年度7.9%→2003年度6.9%→2004年度5.7%→2005年度4.6%と順調に低下しています。第二に、信用コストは大手行・地域銀行ともに減少傾向にあります。2005年度の大手行の信用コスト率(信用コスト/貸出残高)は、多額の貸倒引当金の戻入れ発生を背景に-0.18と、マイナスに転じました。第三に、フィー・ビジネス収入の増加が、銀行収益の増加に明確に寄与してきました。これらを背景に、2005年度は大手行・地域銀行とも過去最高益を記録しました。
信用リスク、金利リスク、株式リスク、オペリスクといったカテゴリー毎のリスク量を計算し、中核的な自己資本(Tier1)と対比すると、リスクの総量は自己資本を下回っており、銀行部門のリスクテイク能力が全体として一段と回復していることが確認できます(2006年7月20日に公表した「金融システムレポート」(以下、FSR)の図表17をご覧ください)。
もっとも、邦銀にとって、収益性の向上はなお今後の大きな課題であるように思います。
まず、現在の銀行の高収益は、引当金の戻入れなども含めた信用コストの大幅な減少によって大きく後押しされています。こうした引当金の戻入れは、(1)数年前に多額の引当金を計上した時期、すなわち、大きな不良債権問題を抱えた時期があり、(2)その後企業の業況が広範に改善する、という2つの条件が重なって実現する一時的なものであり、今後はこうしたフォローウインドは期待しにくいと考えられます。いずれにせよ、先行き、引当金の振れが再び銀行収益に大きな影響を及ぼすといった事態を防ぐためには、やはり、各行が信用リスクを貸出利鞘に適切に反映させ、その時々で発生する信用コストをこの中で吸収できるような与信運営を行うとともに、日々変動する各種資産の経済価値を、銀行も含めた関係主体が一貫した目線で適切に評価し対応していくことが重要だと思います。
また、世界的にみても、景気回復と金融緩和の並存が長期にわたって続いてきた中で、企業のデフォルトは大きく減少し、企業向け貸出の信用コスト率も大きく低下しています。すなわち、現在の信用コスト率の低水準は、過去数年間の経済・金融環境を反映した、世界共通の現象と捉えることもできます(FSR図表40を参照)。したがって邦銀には、信用コストの先行きについてwishful thinkingをすることなく、先行きの環境変化に対する十分な備えが求められます。
さらに、信用コストの低水準が続くことは、銀行の長期的な収益性や付加価値創造といった観点からは、必ずしも歓迎すべきものといえない面もあります。すなわち、銀行業はそもそも、素人ではマネージが難しい信用リスクなどをプロとして管理することを通じて収益や付加価値を産み出す産業です。したがって、「リスクをとる」ことこそが銀行の収益の源泉であり、信用リスクがもともと低い貸出から収益を継続的に得ていくことは難しくなっていくはずです。また、そうした借入先は、長い目でみれば、先ほど申し述べたような直接金融市場へのシフト、すなわち、「ディスインターミディエーション」を進めていくと考えられます。
こうしたもとで、例えば米銀は、カードローン等、比較的信用リスクの高い個人向け与信市場を開拓することで、新たな収益基盤を確保しようとしてきました。この間邦銀は、過去数年間に限って言えば、企業向けの貸出ポートフォリオを保有し続けることが、引当金の戻入れ等を通じて収益の改善につながってきた面もあったように思います。しかし、これはあくまで一時的な動きであると考えられます。邦銀がこの間、海外主要行とは異なり、相対的に高格付企業への貸出ポートフォリオを維持した一方で、新たなリスクを求めていく活動といった面では、海外主要行に比べてやや遅れをとってきた面もあるのではないかと感じています。
もちろん、これまでわが国の金融システムにとって、不良債権問題の克服と信認の回復が最大の課題であった中では、資本のバッファーの範囲にリスクを抑え込むことがまず優先的な課題であったといえます。この点、現在、繰延税金資産の資本に対する比率の低下、株価の底入れ、都心部の地価反転、規制緩和など金融システムを取り巻く環境は改善し、銀行の資本は質・量の両面でさらに充実しています。金融システムは全体としては不良債権問題を克服し、資本充実と信用リスクの減少を背景に、銀行の資本制約は一段と緩和しています。もっとも、「資本の余裕」は「資本の低収益性」という問題と裏腹であり、銀行は今後、資本の収益性をどう高めるかという課題にますます直面することになります(FSR図表17を参照)。わが国の金融システムが安定性を回復し新しいフェ−ズに入っている中、銀行、とりわけ大手行には、ROEの向上など収益力をどのように高めていくかという「次なる課題」にチャレンジしていっていただきたいと考えています。幸い、グローバルな経済環境は本邦金融機関の経営環境の好転に寄与しています。
そのための方策として、いくつか、私の考えを申し述べてみたいと思います。
第一に、銀行には、自らのリスク管理能力の更なる向上と、その能力の下でリスクを採れるような新たなビジネスの開拓という活動を、同時に進めていってほしいということです。銀行が国内の企業向け貸出や、さらには不動産関連融資、住宅ローンといった、これまでも注力してきた分野で「パイ」の取り合いを続けるだけでは、わが国銀行セクターの長期的発展の展望は描きにくいように思います。すなわち、高格付企業は、長い目でみればますます直接金融市場へのシフトを強めていくでしょうし、人口減少社会に突入しているもとで、住宅ストックも——質の面はともかく——量としては充足の方向にあります。こうした中での既存分野の食い合いは、結局、利鞘縮小に象徴されるような収益性の低下や、国内景気や資産価格の変動に脆弱な体質の残存につながりかねないように思います。
第二に、海外戦略の再構築を急ぐことです。邦銀は、国内の金融システム不安が続く中、海外業務の縮小を続けてきました。この過程で、グローバルな投資銀行業務の展開などを行ってきた欧米の有力金融機関との間では、海外でのリスクテイクとリスク管理を通じて収益を生み出して行くといった面、あるいは、グローバルな投資銀行業務の展開の面で、競争力にやや格差が生じてしまった面はあろうかと思います。もちろん、バブル期のような、リスク管理能力を伴わないリスクテイクの拡張といったことを繰り返すわけにはいきませんが、金融機関の国際競争はさらに激化するなか、グローバルな業務展開を目指す金融機関は、「スピード感」を伴った経営判断が不可欠になってきています。欧米の金融機関との収益力格差を縮小するための手段として、「国境を越えたM&A」を通じたリスク管理ノウハウの獲得、進出先の地域での人材確保・ネットワーク拡大、なども選択肢に入れて、海外戦略を再構築していく必要があると思います。
第三に、「資産運用ビジネス」を強化することです。国内家計部門の抱える大きな貯蓄の運用において、わが国金融機関がどのように付加価値を高めていけるかも大きな課題です。少子高齢化が進行する中で、家計の資産運用ニーズは多様化しており、年齢や家族構成などに応じて、安全性や流動性、キャッシュフローのパターンなどに関するニーズも異なります。近年、規制緩和の下で銀行による投資信託の窓口販売が可能となる中、銀行による投資信託の販売はかなりの伸びを示しています。このことを逆に言えば、家計の多様化する資産運用ニーズに対応する「資産運用ビジネス」は将来性の高い分野だと思います。欧米の主要金融機関ではプライベート・バンキングは収益の大きな柱のひとつになっています。米国では運用資産規模が1兆ドルを超える巨大な資産運用会社が誕生しています。そのシナジー効果がどれほど大きいかは不透明な面はありますが、わが国の資産運用会社は規模のメリットをさらに追求していく必要があると思います。
第四に、わが国の金融システムの構造的問題への対応を進めることです。構造的問題としては、(1)資金仲介に占める銀行貸出のシェアが欧米主要国に比べて大きいため、信用リスクが銀行部門に集中しやすい構造は基本的に変化していないこと、(2)銀行セクターが大量に国債を保有しているため、邦銀のバランスシートへの金利リスクの集中をもたらしていると同時に、低収益性の一因にもなっている、を指摘できます。
構造的問題への対応策として、個人的には、(1)銀行のバランスシートの単純な縮小ではなく、企業・家計部門の金融ニーズの充足と、銀行部門のリスク分散・収益確保を同時に達成する、(2)企業向け与信において能動的な与信ポートフォリオ管理を行うと同時に、クレジット市場を育成する、(3)バランスシートを使う金利収益から、バランスシートを使わないフィー・ビジネスへの転換をさらに進めることで、収益性を改善する、(4)銀行のガバナンス構造を変化させる、株式市場の構造変化を活用した「グローバルなM&A」を活発化する、(5)銀行部門に対する各種の公的サポートを「平時モード」に復帰させる、(6)バーゼルIIも含めた金融システム政策の国際的な潮流に乗って、金融当局は市場規律を重視し、最小限の介入にとどめる、ことが望ましいと思っています。
日本銀行としては、金融機構局を中心に、考査、オフサイト・モニタリング、金融高度化セミナー等を活用しながら、金融機関に「リスク管理の高度化」の重要性について、認識を共有していただく努力を続けていくつもりです。リスク管理の高度化は、単に個別金融機関の経営悪化や破綻を未然に防ぐことにとどまらず、本邦金融機関が新たなビジネスを開拓していくことを可能とし、わが国金融産業の長期的な発展を実現するという観点からも、重要であると考えています。個人的な見解ですが、マクロ・プルーデンス政策を担当する日本銀行としては、金融サービス業全体が安定的に収益をあげることができるビジネス・モデルをつくるために、民間金融機関と一緒になって知恵を出し合っていく関係になっていきたいと思っています。
なお、金融行政サイドには、行政処分への脅威をバックに民間金融機関に対して箸の上げ下げに至るまで細かい要求をするのではなく、わが国の金融サービス業を欧米主要国と遜色のない水準に引き上げるためには、どのような対話を民間金融機関としていくべきかを常に意識していただきたいと思います。金融政策運営において「市場との対話」を通じて信認を得ることが重要である一方、マクロ及びミクロのプルーデンス政策については「金融機関と行政サイドの相互信頼感」が重要だと思います。
8.結びにかえて
以上、日本全体の金融経済情勢や金融政策運営その他のトピックスについて、私の考えを述べてきましたが、最後に、福岡県経済の現状と特徴について思うところを若干申し上げたいと思います。
福岡県経済は、足許では天候不順の影響により個人消費面で弱い動きがみられる点が心配されますが、基調としては日本全体と概ね同様の情勢にあるとみています。先行きについても、行政と民間の協調による取組みによって、地元企業の活力が引き出され、息の長い回復を続ける素地が出来つつあると思っています。
当地の特徴としては、ヒトを惹きつける文化があるとの印象を持っておりました。ビジネスの世界では、「アジアの玄関」という地理的な環境が進取の気風溢れる文化と相俟って、自動車、IT関連等の生産拠点を引き寄せており、加えて商業施設やベンチャー企業の集積もみられています。ビジネス以外の世界では、地元に根差した「食」、「スポーツ」、「祭り」、「伝統」等が、国内のみならず海外からも多くの観光客を惹きつけています。こうした文化を基盤とした様々な取組みは、福岡県だけではなく、九州地域で一体となった動きに繋がり、「九州地域戦略会議」が設立されています。更には、アジアとの連携強化にも取り組まれています。
このように当地に惹きつけられた資源がもたらす利益、いわゆる集積の利益を持続的に獲得するためには、産業構造の変化や技術革新等に対応できるイノベーションを続けることが大事であることは言うまでもありません。当地では、ベンチャー企業の支援や新産業の育成を積極的に進められており、この点でも心強く思います。
こうした企業活動および行政による環境整備が高い成果を生み出し、福岡県および九州地域経済を一層活発化することを期待したいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
以上