ホーム > 日本銀行について > 講演・記者会見・談話 > 講演・記者会見(2010年以前の過去資料) > 講演・挨拶等 2006年 > 資本市場と銀行システムの進化
資本市場と銀行システムの進化
ユーロマネー日本資本市場コングレスにおける岩田副総裁講演要旨
2006年9月28日
日本銀行
目次
- (はじめに)
- (日本における金融システムの進化過程)
- (戦前の金融システムとの比較)
- (戦中の統制経済の下での金融システム)
- (戦後のリレーションシップに基礎をおく金融システム)
- (「市場に基礎をおく間接金融システム」への移行期)
- (リスクの市場化)
- (貸出債権の流動化)
- (証券化)
- (クレジット派生商品)
- (金融サービスの機能:資本市場と銀行システム)
- (開放経済体制の重要性)
- (グローバリゼーション進展の下での金融仲介の役割)
- 参考文献
はじめに
本日は、「ユーロマネー」主催による「日本資本市場コングレス:再成長への投資」にお招き頂き有難うございます。日本経済は、長い停滞をくぐり抜け、経済の基礎条件の改善を背景にして、5年目の景気拡大を享受しています。「再成長への投資」と題するコングレスが開催されること自体が、日本経済の再生、金融の再生を示唆しているように思います。日本における金融機関が、多様で新たな事業展開に乗り出しつつある今日、資本市場の発展に関するコングレスが開催されることは、極めて意義深いことと思います。
日本における金融システムの進化過程
金融システムは、経済発展の過程において次第に進化していくものであるといわれています。明治以降の日本の金融システムの進化過程を振り返ってみますと、以下の5段階に区分することが出来ます。
- (1)明治初期から1900年頃までの近代的な金融システム(「明治大正経済システム」)形成の時代
- (2)1900年から1930年代半ばまでの「資本市場を中心とする金融システム」発展の時代
- (3)1930年代半ば以降の戦時下の「金融統制」の時代
- (4)戦後の「リレーションシップに基礎をおく金融システム」(「銀行を中心とする金融システム」)発展の時代
- (5)1990年代半ば以降の「市場に基礎をおく間接金融システム」へ移行する時代
戦前の金融システムとの比較
一見しますと、1990年代後半以降の日本の金融システムが、「市場に基礎をおく間接金融システム」への移行期にあることは、戦前の「資本市場を中心とする金融システム」の時代への復帰を意味しているように見えます。
確かに、戦前においては、企業の資金調達に占める金融機関からの借入金の比率は、ストックでみると5%程度の低い水準で推移していました(星=カシャップ(2006年))。さらに、1913年に、株式市場の時価総額対名目GDP比率は、日本が0.49であり、アメリカの0.39を上回っていました(ラジャン=ジンガレス(2006年))。2005年の時点でこの比率は、アメリカでは1.26、日本は1.16となっています。
しかし、単純な統計の数字のみで金融システムの比較を行なうことは危険です。何故なら、戦前に金融機関からの借入比率が低い水準で推移していた理由は、単に銀行部門の発達が未熟であり、審査能力が不十分であったことによると解釈することも可能だからです。現実に、銀行は、格別の審査を要しない地方の(大地主・起業家である)名望家に貸付を行い、他方、名望家は、その銀行からの借入金で企業が発行する社債や株式を購入し、また逆に、保有している社債や株式を担保として金融機関から借入れを行うという形で、銀行貸出が企業に間接的に融資されていた面があるからです(池尾和人(2006年))。
さらに資本市場を中心としたシステムには、法制度を含めた市場のインフラストラクチャーの整備が必要です。戦前には、投資家保護や公正な市場取引を行なうための制度的な基盤が十分整備されていませんでした。その結果、社債の乱発に対して、1930年代に「社債浄化運動」が起こり、市場取引に制限が加えられるようになったことはよく知られています。
戦中の統制経済の下での金融システム
戦前の「資本市場を中心とする金融システム」は、やがて戦時統制経済の下で銀行部門を通じた資金配分システムにとってかわられることになりました。戦時統制の下で、資本市場はその機能が抑圧され、企業は資本市場からの資金調達が困難になり、銀行借入れに依存するようになりました。その後、この戦時体制下の銀行を中心とする金融システムは、戦後の経済改革を経て、「リレーションシップに基礎をおく金融システム」へと進化していきました。
戦後のリレーションシップに基礎をおく金融システム
この「リレーションシップを中心とする金融システム」は、相対型の市場取引を基礎にして、銀行が取引先企業のコーポレート・ガバナンスに重要な役割を果たすという仕組みでした。この金融システムは、「人為的な低金利政策」と「業務分野規制」という「金融抑制」を通じて、銀行にレントを配分し、銀行に信用供与のインセンティブを与えるものでした。そして、このシステムは、1970年代初めに、日本が欧米諸国の経済水準に追いつくという目標を達成するために必要な資源配分を実現する上で有効に機能してきました。
しかし、1980年代半ばの資産市場のバブルの発生と崩壊の過程を経た後、90年代半ばの金融ビッグバンの実施を通じて、日本経済は、新たな金融システム構築を模索するようになります。
内部資金を蓄積した大企業が「銀行離れ」をし、銀行が貸出を通じて実施していた企業活動の監視が弱まるとともに、他方で、資本市場における投資家による監視も十分に確立していないという、いわばコーポレート・ガバナンスが十分に機能していない状況が生じました。この状況の下で、銀行による金融保険・不動産・建設の分野を中心に過剰投資が行われ、株式および不動産市場の資産価格バブルが発生しました1。この結果、市場規律を軸にした企業のコーポレート・ガバナンスを再構築することの重要性が指摘されるようになりました。
また、資産価格バブル崩壊後のバランスシート調整過程において、技術革新によって産業構造が大きく変化する環境のなかで、「銀行部門にリスクが集中する金融システム」についても、そうした変化に応じた変容が求められることが広く認識されるようになりました。
さらに、新規の事業を起こし、金融を含めた新技術を積極的に開発し、新規参入を促進する上で、市場機能を活用することの重要性についての認識が深まるようになりました。こうしたプロセスを経て、1990年代半ば以降、日本の金融システムは、「市場に基礎をおく間接金融システム」へ向けて変容し、進化する移行期にあると言えます。
- 池尾和人(2006年)は、1980年代半ばの資産市場のバブルは、戦後日本における開発主義の暴走の結果であると論じています。すなわち、「金融抑制」を通じる銀行部門へのレント供与が銀行と金融当局の間での既得権益と化し、それが必要以上に継続した結果、過剰投資を招いたと論じています。他方で、金融自由化によってレントが失われるのではないかとの危機感から、過剰投資を行なったという説もあります(鶴光太郎(2006年))。また、「リレーションシップに基礎をおく銀行システム」は、継続的な顧客関係を維持することによって、市場中心のシステムに比べ、異時点間の資金配分に比較優位がある一方で、銀行による情報独占などによって事後的に高い金利が設定され、結果的に企業の投資を抑制するという事態(「ホールドアップ問題」)が発生する可能性があります。
「市場に基礎をおく間接金融システム」への移行期
この移行期の過程では、従来の相対型の金融取引においても市場メカニズムの活用が求められることになります。例えば、銀行貸出のリスク評価をしっかりと行い、リスクに応じた利鞘を設定することが求められています。かりに「信用リスク」の市場取引が行われるようになれば、銀行はリスク評価をより正確に行うことが可能になります。残念ながら、日本の銀行の利鞘は、企業への貸出や、家計部門への住宅ローン市場における競争が激しいこともあって、欧米諸国と比べて小幅な状態が続いています。
さらに、銀行が信用リスクをすべて引き受けるのではなくて、広く市場にリスクを負担してもらう「リスクの市場化」を可能にする仕組みを確立する必要があります(氏家純一(2004年))。
リスクの市場化
リスクの市場化を実現するためには、「金融仲介」のプロセス自体が、銀行と企業や家計との間の相対型取引ではなく、市場を経由した取引を通じて行なうことが求められます。例えば、さまざまな「集団投資スキーム」、投資法人、ヘッジファンドなどを利用して、金融仲介者が最終的な資金提供者である投資家の資金をプールして、市場で運用することになります。ちなみに、「集団投資スキーム」の代表例として投資信託があります。2006年6月に、家計部門が保有する投資信託は56兆円と大きく増加しましたが、家計保有の金融資産に占める割合は3.7%に留まっています。
また、企業など最終的な資金調達者のために、金融仲介業者が、市場から資金を調達するという「金融仲介」が行なわれます。ここでの金融仲介業者としては、消費者金融などのファイナンス・カンパニー、プライベート・エクイティ・ファンドや事業再生ファンドなどさまざまなファンド、さらに既存債権の流動化や証券化に携わる金融機関がその例としてあげられます。
貸出債権の流動化
例えば、貸出債権の流動化の例として、シンジケート・ローンをあげることが出来ます。シンジケート・ローンとは、1つの銀行がある企業に全額貸し出すのではなく、ほかの銀行や投資家の参加を仰いだり、あるいは、融資残高の1部あるいは全部を別の投資家に売却する手法です。日本の場合には、損保や生保が加わっている場合もありますが、地方の金融機関など金融機関というグループ内の取引が主流になっており、広い範囲の投資家の参加は限定されています。さらにシンジケート・ローンを市場で売却することは、まだ一般的に行われていません。いずれにしても、債権の流動化はまだ緒についたばかりであり、例えば、日本におけるシンジケート・ローンの組成額(2005年度)は約26兆円であって銀行貸出の1割にも達していません。
証券化
証券化は、貸出債権を貸出債権のまま売却するのではなく、貸出債権をプールして、小口の証券の形に作り変えた上で売却するものです。住宅ローンの証券化(MBS)やローン担保証券(CLO)など中小企業向け債権の証券化が行われています。しかし、日本における証券化市場の規模は、欧州の4分の1、アメリカの70分の1に留まっていると言われています。
さらに、日本における証券化の課題の1つは、証券化された債権の劣後部分やエクイティをオリジネーター(銀行など)が買い取るケースが少なくないことです。偏在するリスクを市場の様々な投資主体が広く薄く負担するという形になっていません。また、リース料債権などは、譲渡禁止特約がついていることも少なくないので、これを個別に解除する必要があります(池尾和人編著(2006年))。
クレジット派生商品
このほか、「リスクの市場化」を実現する方法として、クレジット・デリバティブズがあげられます。企業の信用リスクのみを取引対象とするクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)はその例です。信用リスクが市場で取引されることによって、信用リスクの評価をより正確に行うことが可能になります。
近年、邦銀によるCDSの売買額も増加していますが、外国金融機関による取引が主流であり、ヘッジファンドはこの市場において様々な裁定取引を行なっています。
金融サービスの機能:資本市場と銀行システム
市場を介在する金融仲介過程においては、多様で専門的な金融サービスが付加された資金が、資本市場を通じて取引されることになります。この「市場に基礎をおく金融システム」が円滑に機能するためには、企業の側における情報開示のルール整備に加えて、投資家保護や受託者責任を明確にする法制度の整備が不可欠です。
金融システムの進化過程を検討する上では、金融システムが「銀行を中心」とするものであるか、それとも「市場を中心」とするものであるかということよりも、現実に提供される金融サービスの質と量、およびそれが果たしている機能に着目することが重要です。「市場を中心とするシステム」が常により成長促進的であるという実証結果は、得られていないからです(岩田(2006年))。
ここで、金融サービスの機能としては、円滑な決済、異なる時点間、異なる地域間の資源配分、リスク管理、意思決定に必要な情報の提供などがあげられます。銀行システムは、円滑な決済サービスを提供し、長い期間にわたる顧客関係を通じて異時点間の資源配分を改善する上で比較優位があるといわれます。他方で、市場には、企業の買収などによる企業活動の規律付けや事業の再構築などを価格シグナルを通じて促進することにより資源配分を改善する機能があります。重要なことは、銀行システムが提供する情報収集・生産活動と市場が提供する機能には補完性があることです。銀行システムが提供する金融サービスと資本市場が提供する機能を適切に組み合わせ、資源配分をより効率的に行う金融システムにしていくことが求められていると言えます。
開放経済体制の重要性
戦後の「リレーションシップに基礎をおく金融システム」が、1920年代の金融恐慌や1930年代半ば以降の統制経済の影響を強く受けて形成されたことは多くの論者が指摘するところです。しかし、統制経済の特徴は、それが開放経済を前提としたものではなく、既存の体制を維持し、新規参入を抑制する反市場型の閉鎖経済システムであることです。
日本の金融システムの進化過程を振り返ってみますと、銀行システムが未成熟な段階であった戦前の「資本市場に基礎をおく金融システム」は、戦中の閉鎖経済によってその展開が中断、阻害されたと言えます。戦後は、開放経済体制が確立されるにつれて、緩やかな金利規制と業務分野規制によって維持されていた「リレーションシップに基礎をおく金融システム」にも、市場を介在する取引が次第に拡大してきました。
市場活動はもともと外に対して開かれたものであり、開放経済体制の拡大は市場活動を活発にする傾向があります。開放経済は、新規参入と新たな競争をもたらし、既得権益の維持を困難にすることによって、金融システムの効率性を高めるように作用する傾向があります(ラジャン=ジンガレス(2006年))。日本の銀行システムも、開放経済体制が確立し、拡大するなかで、資本市場とのダイナミックな相互作用を通じて、より多様で効率的な金融サービスを提供するように進化してきたとみることが出来ましょう。
グローバリゼーション進展の下での金融仲介の役割)
さらに、グローバリゼーションが進展している状況の下では、金融仲介も国境を越えて行なわれることになります。先進国間では、資本は、資本収益率や生産性の低い国から高い国に移動しています。しかし、先進国と新興国や発展途上国の間では、逆のケースがしばしば観察されます。これは新興国や発展途上国において流入した資本を活用するノウハウが十分でなかったり、人的資本の蓄積が不足していることに加えて、国内の金融市場が未発達で、金融仲介機能が効率的でないために、国内で行われるはずの金融仲介が、金融市場がよく発達した国を経由して行なわれるケースがあるからです。
先進国の間で発生する経常収支の不均衡は、資本が資本収益率や生産性の低い国から高い国へ国際移動することが一因になっている可能性が強いと言えます。しかし、アジア通貨危機以降については、新興国とアメリカの間の経常収支不均衡は、新興国における金融仲介機能が効率的でないことが不均衡発生の要因になっている可能性があります(Prasad=Rajan=Subramanian(2006))。
新興国では、国内で魅力的な投資対象になる金融資産が十分に提供されていないために、流動性と高い収益を提供してくれるアメリカの金融資産(国債やエージェンシー債)を購入し、蓄積する傾向が生ずることになります。
他方、アメリカが、新興国への海外直接投資の形で資金を還流すると、国際的な金融仲介の結果として、新興国においてより効率的な資源配分が実現されることになります。同時に、アメリカへの資本流入が資本流出を上回る限り、経常収支の不均衡は持続することになります2。
こうした状況の下では、金融サービスの自由化や資本市場の発展を通じて新興国の国内で金融仲介が効率的に行われるようになると、アメリカへの資本流出が抑制されることになり、経常収支の不均衡も是正される可能性があります。
アジア地域においては、伝統的に「銀行を中心とした金融システム」が主流でした。戦後日本の経験に照らしてみると、アジア地域における金融仲介機能の向上のためには、銀行システムの改革に加えて、国内の資本市場の発展を促進することが有用であると考えられます。
ちなみに、日本銀行をはじめとするアジアの中央銀行の集まりであるEMEAP(東アジア・オセアニア中央銀行役員会議)3が2003年以降、推進している「アジア・ボンド・ファンド・プロジェクト」の目的は、アジア諸国の国債や準ソブリン債への投資促進を企図し、アジアで蓄積された資金をアジアの資本市場に回し、その発展を後押しすることにあります。第一段階のアジア・ボンド・ファンド1ではアジア諸国の政府などが発行したドル建ての債券が投資対象でしたが、第二段階のアジア・ボンド・ファンド2では、自国通貨建ての債券も投資対象になりました。金融サービスの自由化や資本市場の発展を通じ、アジア地域の金融仲介機能がより効率的になることによって、グローバル・インバランスが是正される可能性があることについて、留意する必要があると思います。
- 2アメリカでは、住宅関連証券(RMBSやAgencyMBS)が、2003年に1.8兆ドル(160兆円)に達しています。住宅ローン7兆ドル余りのうち4兆ドル強が証券化され、このうち3.4兆ドルはAgency債になっています。ファニーメイ債、フレディマック債の5分の1を日本やアジアの投資家が購入しています(池尾和人編著6章(2006年))。なおアメリカの経常収支不均衡の発生に関する、国境を越えた金融仲介活動の重要性についてのモデルを用いた分析については、Caballero=Fahri=Gourinchas(2006年)を参照してください。
- 3EMEAPとは、Executives’ Meeting of East Asia and Pacific Central Banksの略称で、1991年に日本銀行が提唱して発足した会合です。メンバーは、オーストラリア準銀、中国人民銀行、香港金融管理局、インドネシア中銀、韓国銀行、マレーシア中銀、ニュージーランド準銀、フィリピン中銀、シンガポール通貨庁、タイ中銀及び日本銀行の11中銀・通貨当局です。
以上
参考文献
- 池尾和人「開発主義の暴走と保身─金融システムと平成経済」NTT出版、2006年
- 池尾和人、財務省財務総合政策研究所(編著)「市場型間接金融の経済分析」日本評論社、2006年
- 岩田一政「日本の金融システムの将来像」経済産業研究所主催シンポジウム「日本の金融~企業と金融機関の関係を問い直す」、2006年2月17日
- 氏家純一(編著)「日本資本市場の挑戦」東洋経済新報社、2004年
- 鶴光太郎「日本の経済システム改革─失われた15年を越えて」日本経済新聞社、2006年
- 星岳雄、A.カシャップ「日本金融システム進化論」日本経済新聞社、2006年
- ラグラム・ラジャン、ルイジ・ジンガレス「セイヴィング・キャピタリズム」慶応義塾大学出版会、2006年
- Caballero,R.J., Farhi,E., and Gourinchas,P., (2006) “An Equilibrium Model of “Global Imbalances” and Low Interest Rates”, NBER Working Paper No. 11996
- Prasad,E., Rajan,R., and Subramanian,A., ”Foreign Capital and Economic Growth”, paper presented at the Federal Reserve Bank of Kansas City, 2006 Economic Symposium August 24-26, Jackson Hall, Wyoming