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わが国経済の展望と金融政策
きさらぎ会における福井日本銀行総裁講演要旨
2006年11月7日
日本銀行
目次
(はじめに)
日本銀行の福井でございます。本日は、このように多くの皆様の前でお話する機会を賜り、厚く御礼申し上げます。
日本銀行では、4月末と10月末の政策委員会・金融政策決定会合において、わが国の経済・物価の先行き見通しを記述した「経済・物価情勢の展望」というレポートを決定し、公表しています。私どもではこのレポートを「展望レポート」と呼んでいます。本日は、先週公表したばかりの最新の展望レポートの内容をご紹介しながら、内外経済の現状と先行きについての日本銀行の見方をお示しするとともに、私どもの金融政策運営の考え方についてもお話したいと思います。
(世界経済の動向)
それでは、最近の世界経済の動きから、本日の話を始めたいと思います。
まず、米国をみますと、住宅投資が減少に転じているなど、景気拡大テンポの鈍化は、これまでに比べて明確となってきています。ただ、現時点では、設備投資や生産が増加を続けているほか、個人消費も、底堅さを維持しており、その減速の度合いは総じて緩やかなものとなっています。一方、ユーロエリアでは、これまでの生産増加と企業収益の改善が雇用環境の好転や設備投資の増加につながっており、景気回復の動きがより確かなものとなっています。この間、中国では、内外需ともに力強い拡大が続いています。足もとの固定資産投資は、政府・人民銀行が過熱抑制策を採っているもとで、やや減速していますが、引き続き高い伸び率であることには変わりがありません。また、中東など産油国では、原油価格のこれまでの上昇により対外収支が大幅に好転していることもあって、好況が続いています。それ以外の新興諸国でも、景気拡大が続いています。このように、米国の景気拡大は鈍化していますが、他の国の経済成長が補う形で、世界経済全体としてみれば、力強い拡大を続けています。先行きも、地域的な拡がりを伴いながら、しっかりとした拡大を続けていくとみられます。
国際通貨基金(IMF)によれば、世界経済は、2004年には5.3%、2005年は4.9%と、2年連続で5%前後の高い伸び率を実現しています。先行きも、2006年は5.1%、2007年は4.9%と、同程度の高成長が続く見通しとなっています。このように数年に亘って5%前後の高成長が続くのは、1970年代初頭以来30年振りのことです。国別の内訳をみますと、先進国の成長率は、とりわけ高くなっているという訳ではありません。むしろ、経済のグローバル化が進展するもとで、新興諸国が次々とテイクオフし、そのプレゼンスを高めてきていることが、成長率の引き上げに大きく寄与しています。特に、アジアの新興諸国は、高い成長率を何年にも亘って続けてきた結果、世界経済の牽引車としての役割を果たし得るほど、世界経済に占めるウエイトを大きく高めています。ちなみに、最新の見通しを4月時点の見通しに比べると、米国の成長率は下振れているのですが、アジアの新興諸国の成長率が大きく上振れたことから、世界経済全体としては、むしろ上方修正となっています。
(日本経済の現状)
次に、わが国経済の現状に話の焦点を移したいと思います。
今回のわが国の景気回復は、2002年1月に始まりました。それから4年10か月を経過し、いよいよこの11月で戦後最長の景気拡張期間であった「いざなぎ景気」(57か月)を超える長さとなります。
足もとをみますと、輸出は、今ほどお話した世界経済の拡大とともに、増加を続けています。地域別にみますと、米国向けは、自動車関連の伸びがやや鈍化していますが、全体としては、堅調な伸びを維持しています。欧州向けや東アジア向けも堅調な増加を続けているほか、その他地域向けについても、産油国などを中心に、高い伸びとなっています。
国内面では、企業収益は、原油など原材料価格の高騰にもかかわらず、高水準を続けており、中でも製造業大企業では、輸出の増加に円安も加わって、期を追って上方修正が行われています。こうしたもとで、企業の業況感は総じて良好な水準で推移し、設備投資も増加を続けています。日本銀行調査統計局が実施している「全国企業短期経済観測調査」——いわゆる「短観」の9月結果によると、2006年度の事業計画が実現すれば、経常利益は2002年度以降5年連続の増加、設備投資については、2003年度以降4年連続の増加となります。
最近の設備投資の積極化は、製造業から非製造業へ、大企業から中小企業へと、より広い範囲でみられるようになってきていますが、現時点での主役は、引き続き製造業です。その背景には、企業が、海外における収益機会の増大を意識しつつ、設備増強による供給体制の強化に努めていることがあります。日本がバブル崩壊後の厳しい調整を迎えていた1990年代には、新興諸国の供給力を国内の雇用を奪う脅威と捉える見方もありました。しかし、こうした見方は一面的であり、実際には、新興諸国経済の飛躍は、日本経済が新しい時代に向けての発展の基盤を整える上でも、大きな役割を果たしてきています。中でも力強い発展を続けるアジアとの間で、新たな国際分業体制と相互依存関係を建設的な形で構築できたことは、わが国経済の発展にとって極めて重要であると考えています。
例えば、わが国のアジア諸国からの輸入は、かつての労働集約的な財である衣料品や軽工業に代わって、加工度の比較的高い情報関連等の機械類のウエイトが次第に増加してきています。これには、わが国の企業が生産過程の最適化を追求する中で、日本からアジアへの直接投資が増加したことの寄与が大きいとみられます。こうした投資によって創出された生産と雇用機会により、アジア経済は、世界の「供給基地」としてだけでなく、潜在力の大きな「市場」としての意味を高めています。そして、アジア経済を一つの牽引役として世界経済が拡大しているもとで、わが国にとっても輸出増大が実現するという好循環が働いていると考えられます。
今回の局面の特徴の一つとして、多くの企業は、投資採算を厳しく見定める姿勢を堅持しており、単に供給力を高めるのではなく、老朽化・陳腐化した既存設備の更新を加速するなどして、効率性を高めることに取り組んでいることを挙げられると思います。こうした企業行動は、グローバルな競争が激化し、資本市場からの規律も強まるもとで、企業価値の向上を強く意識した経営が根付いてきていることを反映しているものと思われます。
企業部門の好調は、家計部門にも緩やかながら着実に波及しています。有効求人倍率が上昇し、完全失業率は低下傾向を辿るなど、労働需給は引き締まり傾向を続けています。新卒採用の回復もあって、雇用者数は着実に伸びていますが、そうした中にあっても、これまでのところ、賃金の伸びは緩やかなものとなっています。これには、企業サイドが人件費抑制姿勢を容易には緩めない一方、労働者サイドでも、過去の厳しい労働環境の経験から、賃上げよりも安定的な雇用を志向する面がなお残っているためではないかと考えられます。
もっとも、労働力人口が頭打ちとなる中で、雇用者数の増加が続くとすれば、マクロ的な労働需給の更なる引き締まりは避けられません。既にパートや派遣労働者で賃金が上昇し始めているほか、主要企業では正社員を含めて雇用者数をかなり増加させる計画にあります。そうした中で、企業と労働者の行動は次第に変化し、所定内給与を含め賃金の上昇圧力は徐々に高まっていくと想定されます。百貨店売上高やスーパー売上高といった指標は、天候が不順であった7月までは弱めの動きとなっていましたが、8月、9月は落ち込みを取り戻しています。家電販売やサービス関連支出などは、引き続き良好に推移しています。恒常的な所得の変化と認識されやすい所定内給与が上昇していくにつれて、耐久財やサービスの支出を中心に、個人消費の持続性はより高まっていくと考えられます。
このように、わが国の景気は、生産・所得・支出の好循環が働くもとで、緩やかに拡大しています。外需の動向が強い追い風となってきていることは間違いないと思いますが、日本経済の現状について、単なる「外需の恩恵」によりもたらされたものと評価することは適当でないように思います。
以上のように景気拡大が続くもとで、物価を巡る環境も徐々に変化しています。第1に、設備や労働といった資源の稼働状況は高まっています。短観における企業の判断をみますと、過去十数年で初めて、設備の過剰感が解消しています。雇用については、労働市場の需給改善が進む中で、むしろ不足感が強まってきています。経済全体の総需要と潜在的な総供給能力との差である「需給ギャップ」を推計しますと、長らく続いた供給超過状態が解消して、現在は需要超過状態に入ってきています。第2に、労働需給が改善し、人手不足感が比較的広い分野でみられる中で、賃金は、緩やかながらも上昇しています。一方で、生産性の上昇が続いているため、製品を1単位作り出すための労働コスト、すなわち、ユニット・レーバー・コストは、低下を続けていますが、賃金が緩やかな上昇基調を続けるもとで、低下幅は一頃に比べて明確に縮小しています。第3に、各種サーベイ調査に示されるように、企業や家計の物価見通しは上方修正されてきています。短観をみますと、販売価格が3か月前に比べて「上昇」したと回答する企業の数は、多くの業種で増えており、特に消費者物価との関連が深いと考えられる小売業では、先行き「上昇」すると回答する企業の数が「下落」すると回答する企業の数を上回っています。日本銀行情報サービス局が一般の方々四千人に対して実施している「生活意識に関するアンケート調査」では、現在の物価に対する実感として「上がった」との回答が約6割となり、1年後の物価については「上がる」との回答が約8割を占めるに至っています。
(日本銀行の経済・物価見通し)
4月の展望レポートにおいて、日本銀行は、2006年度から2007年度にかけて、企業部門から家計部門への波及が進むもとで、両部門のバランスがとれた形で息の長い拡大を続ける、との見通しを示しました。これまでお話してきた経済・物価の姿をこうした4月時点の見通しと比べますと、収益や設備投資など企業部門は幾分強め、賃金や個人消費などの家計部門は幾分弱めとなっていますが、全体としてみれば、概ね見通しに沿って推移していると判断されます。
その上で、10月の展望レポートでは、先行きも、4月時点の見通しに概ね沿って推移することを再確認したところです。すなわち、2006年度後半から2007年度を展望しても、内需と外需がともに増加し、企業部門から家計部門への波及が進むもとで、息の長い拡大を続けると予想されます。景気拡大が長期化し、成熟段階に入っていくにつれて、設備投資の伸びは緩やかなものとなっていくとみられますので、成長率の水準は、2006年度は2%台半ば、2007年度は2%程度と、潜在成長率近傍に向けて徐々に減速する可能性が高いと考えられます。
物価面では、国内企業物価指数は、原油価格をはじめとする既往の国際商品市況高などを背景に、4月時点の見通しに比べて上振れて推移しています。先行きについては、原油価格をはじめとする商品市況や為替相場にも左右されますが、上昇基調を続けるとみられます。消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)については、前年比のプラス幅が次第に拡大するもとで、2006年度は0%台前半、2007年度は0%台半ばの上昇となると予想されます。
なお、消費者物価指数は、2006年8月に、従来の2000年基準から2005年基準に改定され、同時に前年比計数が2006年1月分に遡って改定されました。私どもの見通しでも、4月時点では2000年基準の消費者物価指数を用いていましたが、今回の見通しでは2005年基準の指数を用いています。4月時点では、基準改定による低下幅について、前回1995年基準から2000年基準に改定された時並みの下方改定、すなわち0.3%ポイント弱となる可能性があるとみていました。実際の低下幅は1月から7月の平均でみて0.5%ポイント前後と、それよりも大きかったのですが、これには、移動電話通信料など既存品目の一部で指数計算方法の見直しが行われたことが影響しています。こうした影響は、見直しが行われた時点から1年を経過した時点で剥落するため、新旧基準の乖離幅は今後縮小すると考えられます。以上を踏まえますと、今回の見通しは、2000年基準で示した前回の見通しと比べ、基調的な判断に変わりはありません。引き続き、先行きにかけて前年比のプラス幅が次第に拡大していくという姿を基本シナリオに据えてよいと思います。
(経済情勢に関する上振れ・下振れ要因)
以上を総括すると、これまでのところ、4月時点の見通しが概ね維持されていることになります。しかし、見通しには、その常として、上振れまたは下振れの可能性があります。先行きの経済情勢については、以下のような上振れまたは下振れの要因があることに留意する必要があると考えられます。
第1に、海外経済の動向です。
今回の見通しでは、輸出環境について、米国経済は、足もと減速していますが、先行きは安定成長に軟着陸していく可能性が高く、海外経済全体としては、地域的な拡がりを伴いつつ拡大を続けるという見方を前提としています。こうした見方は、先ほどご紹介したIMFの世界経済見通しだけでなく、他の国際機関や民間調査機関の見通しでも概ね共通する見方となっているように思います。新興諸国における景気の自律性は高まってきており、米国経済が多少減速しても世界経済の力強い成長は損なわれないとみられます。最近の輸出動向をみますと、資本財や自動車といった日本企業が競争力を有する製品を中心に、仕向け地域の裾野が拡がっています。ちなみに、9月短観をみても、海外での製商品需給に関する企業の判断は、最近、先行きとも、小幅ながら需要超過で推移しており、企業も、少なくとも現時点においては、米国経済の減速が企業の直面する需要に大きな影響を与えるとはみていないことが分かります。
もっとも、米国経済については、住宅価格の調整が予想以上に急激なものとなった場合、個人消費の伸び率低下などを通じて、一段と減速する可能性があります。米国経済が予想外に減速した場合には、IT関連の調整圧力が誘発されることも考えられます。ブラジル、ロシア、インド、中国の4国、すなわちBRICsの急成長もあって、IT関連の世界需要は着実に拡大基調を続けていますが、世界的な供給拡大のペースも速いため、米国市場が冷え込めば、需給バランスが崩れる可能性があります。一方、米国において、目立った減速がみられなければ、同国内の設備や労働といった資源の稼働状況が高いもとで、インフレ予想が高まっていくことも考えられます。これまで、各国の適切な金融政策運営などを通じて、物価上昇圧力が抑制されるもとで、金融環境の安定が維持されてきたことが、世界経済の持続的な拡大を支える要因の一つとして寄与してきました。それだけに、こうした構図に変化が生じる場合には、国際的な資金フローや金融市場における価格形成の変化を伴いながら、世界経済全体に悪影響が及ぶリスクも考えられます。現時点においては、原油価格の下落もあって、米国景気が緩やかに減速するもとでインフレ圧力も徐々に緩和していくというシナリオが実現する蓋然性は高まってきているとみられますが、米国における景気の下振れあるいはインフレの加速といったリスクは、顕現化した場合の影響度が小さくないだけに、引き続き注視していく必要があります。
このほか、ユーロエリアでも、ユーロ高のもとで、欧州中央銀行(ECB)が政策金利の引き上げを続けており、景気回復の持続性について注意してみていく必要はあると思います。ドイツでは、2007年1月1日からの付加価値税引き上げなど、財政再建に向けた動きが本格化しており、これが短期的には景気下押し要因となり得るという見方もみられます。一方、中国では、力強い拡大が続いてきていますが、固定資産投資や輸出の動向次第では、見通し期間中の成長率が上振れる可能性があります。行政面の措置が当面の投資の伸び率を抑制するとしても、緩和的な金融環境が継続していることなどを踏まえると、景気の上振れとその後の反動が生じるリスクは依然として払拭されていないと考えられます。また、原油価格をはじめとする国際商品市況も、その状況如何では、世界経済の先行きに影響を与える可能性があります。
第2の上振れ・下振れ要因は、企業の投資行動です。
製造業を中心に設備投資が積極化していますが、これまでのところ、全体として資本ストックが過剰に積み上がっている状況ではありません。個々の企業は、投資案件を厳しく見定めているため、設備投資が積極化しているといっても、全体としてみれば、依然キャッシュフローの範囲内にあり、また、資本ストックの伸びも緩やかとなっています。資本ストックの伸びが過大なものであるかどうかを評価するに当たっては、緩やかな成長が続いている国内市場だけではなく高成長を続けている海外市場の動向についても勘案することが必要であると考えられます。
ただし、景気の緩やかな拡大が続く中で、金融環境は極めて緩和的な状態が続いてきています。短期金利は、経済や物価との関係からみて、極めて低い水準で推移しています。また、為替レートは、円安基調で推移しており、実質実効為替レートは、1985年のプラザ合意直後以来の円安水準となっています。そのように極めて緩和的な金融環境のもとで、企業が、期待成長率や資金調達コスト・為替相場見通しなど、採算に関する楽観的な想定に基づいて投資を一段と積極化する場合には、成長率が一時的に大きく上振れる反面、その後は資本ストックの過剰な積み上がりの反動が生じ、調整を余儀なくされる可能性があります。
また、大都市を中心に地価の上昇地点が広範化してきています。こうした地価の持ち直しの動きについては、基本的には、経済の先行きに対する見方が好転し、土地を利用した事業が産み出す収益に対する人々の期待が高まってきていることを反映していると考えられます。全体として、地価の行き過ぎた上昇を懸念する状況にあるとはみていませんが、こうした資産価格の動きも、民間需要を押し上げる方向に作用することが考えられます。
(物価情勢に関する上振れ・下振れ要因)
経済情勢に関する上振れ・下振れ要因について述べましたが、物価の先行きについても、上振れ・下振れ両方向の要因に留意する必要があります。そうした例としては、原油をはじめとする商品市況の動向に加えて、景気の動き、すなわち需給ギャップの変化に対して、消費者物価がどの程度反応するか、といったことが重要と考えています。
今回の消費者物価指数に関する見通しは、マクロ的な需給ギャップが需要超過幅を緩やかに拡大していくもとで、賃金の上昇圧力の高まりもあって、前年比のプラス幅を次第に拡大していくというものです。その際、物価上昇率の伸びが目立って高まることまでは想定していません。これは、近年、わが国だけでなく海外を含めて、需給ギャップに対する物価の感応度が従来に比べ低下している可能性を勘案したためです。
こうした傾向の背後には、規制緩和や情報通信技術の発達といったことに加えて、既に述べた世界経済の力強い成長とそのもとでの経済のグローバル化の進展があります。例えば、新興諸国から輸入される製品との競合が強まれば、国内の需給ギャップが需要超過方向に転化しても物価上昇圧力が高まりにくいことになります。また、企業価値を高めるグローバルな競争が強まっているとすれば、企業は、労働需給の引き締まりのもとでも従来以上に賃金の抑制に努めようとすると同時に、生産性の上昇にも取り組む結果、物価上昇圧力が抑制されることが考えられます。
もっとも、需給ギャップに対する物価の感応度は、規制緩和や情報通信技術の発達、経済のグローバル化などの影響の現れ方によって異なり得るものであり、かなりの幅をもってみておく必要があります。仮に今回の見通しで想定したほど実際の感応度が低下していないならば、物価は上振れる可能性があります。また、需給ギャップに対する物価の感応度が短期的には低い場合であっても、いずれかの時点では、インフレ予想の上昇と相まって、賃金や物価の上昇率が高まる可能性があります。一方、需給ギャップに対する物価の感応度が思っていた以上に低ければ、経済が上振れても物価はなかなか反応しないことになります。見通しでは、景気拡大の長期化に伴って、生産性の上昇が鈍化し、賃金が上昇することを想定していますが、企業サイドが人件費抑制姿勢を緩めず、労働者サイドも賃上げよりも安定的な雇用を志向するという、先ほど述べたような労使双方の行動パターンが予想以上に根強く、賃金の上昇が遅れるような場合には、物価が上昇しにくい状態が続くことも考えられます。
このほか、原油をはじめとする商品市況の動向も物価に影響を与えます。原油市況は、夏場にかけて既往最高値を更新したあと、反落しましたが、引き続き高値圏で推移しており、先行きについては、地政学リスクの動向などによって、上下両方向に大きく振れる可能性があります。
(金融政策運営)
以上に述べた経済・物価の見通しを踏まえて、今後、日本銀行が金融政策をどのように運営していくかについて、お話したいと思います。
日本銀行では、2001年に採用した量的緩和政策を本年3月に解除する際に、やや長い視点に立って、金融政策運営の透明性をしっかりと確保する観点から、「新たな金融政策運営の枠組み」を導入しました。この枠組みでは、「中長期的な物価安定の理解」——消費者物価の前年比で表現すると、0~2%程度という理解を念頭において、2つの「柱」に基づく経済・物価情勢の点検を行い、その上で、当面の金融政策運営の考え方を整理し、公表することとしています。
まず、第1の「柱」、すなわち、先行き2007年度までの経済・物価情勢について最も蓋然性が高いと判断される見通しについて、政策金利に関して市場金利に織り込まれている金利観を参考にしつつ点検しますと、既に述べた通り、内需と外需がともに増加するもとで景気拡大が続くとみられます。また、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比は、需給ギャップが需要超過幅を緩やかに拡大し、ユニット・レーバー・コストからの下押し圧力が減じていくもとで、2007年度にかけて前年比プラス幅が次第に拡大していくと予想されます。このように、わが国経済は、物価安定のもとでの持続的な成長を実現していく可能性が高いと判断されます。こうした見通しは市場や企業が先行きの政策変更を織り込んだ上で意思決定していることを前提としたものですので、経済・物価が今後とも見通しに沿った動きを続けていくためには、政策金利水準の調整を行っていくことが必要となってくると考えられます。
次に、第2の「柱」、すなわち、より長期的な視点を踏まえつつ、確率は高くなくても発生した場合に生じるコストも意識しながら、金融政策運営という観点から重視すべきリスクを点検しますと、現在、設備投資などの面で行き過ぎが生じている訳ではありませんが、企業の収益率が高水準となり、物価もプラス基調で推移している状況下、金融政策面からの刺激効果は一段と強まる可能性があります。例えば、仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く継続するという期待が定着するような場合には、金融行動・投資活動などを通じて、中長期的にみて、経済活動の振幅が大きくなり、ひいては物価上昇率も大きく変動するリスクは意識する必要があります。
一方、今後の展開次第では、景気拡大や物価の上昇が足踏みするようなことも考えられるかと思います。ただ、そうした場合にあっても、現在は、金融システムの安定が回復しており、企業の設備、雇用、債務の過剰も解消されてきていることから、ショックに対する耐性は高まっているとみられます。現に、2004年夏にIT関連分野での調整が深まったことを受けて、景気が踊り場局面入りした際にも、経済は程なく回復のモメンタムを取り戻しました。このように、仮に景気の拡大や物価の上昇が足踏みするようなことが起こったとしても、一頃のように、それが物価下落と景気悪化の悪循環に転化するリスクは小さいと考えられます。
先行きの金融政策の運営方針については、今ほど述べたような2つの「柱」に基づく点検の結果、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持しながら、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行うことが適当であると考えられます。
こうした調整は、中長期的に、物価の安定を確保し持続的な成長を実現していくことに貢献するものと考えられます。実際に物価や経済に問題が起こってから対応すると、調整は急激なものとなり、どうしても景気は波を打つことになります。ポイントは、そうしたことを避けるために、フォワード・ルッキングに行動していくということです。あくまで、景気を長続きさせるためのものであって、決して成長の芽を摘み取るものではありません。また、これまでも繰り返し説明してきた通り、日本銀行では、予め決められたスケジュールでの金利引き上げは想定していません。金利水準の調整は、経済・物価情勢を丹念に点検しながら、ゆっくりと進めていくことになります。
(おわりに)
「新たな金融政策運営の枠組み」においては、日本銀行の金融経済情勢に関する判断や金融政策運営に関する基本的な考え方について、丁寧に対外説明していくことが、非常に重要です。日本銀行では、本日ご説明した展望レポート以外にも、金融政策決定会合の議事要旨や金融経済月報、記者会見、講演、ホームページの充実などを通じて、多くの情報発信を行ってきています。7月に、5年以上の長きに及んだゼロ金利を解除した際にも、金融市場は安定して推移しました。この点は、海外の中央銀行や国際機関からも高い評価を得ているところですが、情報発信を通じて日本銀行のメッセージが市場参加者に浸透し、「新たな金融政策運営の枠組み」が市場との対話において有効に機能していた証左だと思います。新たな枠組みのもとで、しっかりと情報発信を行っていくことは、市場とのコミュニケーションの活性化ということにとどまらず、金融政策の有効性を十二分に引き出していくことからも、重要であると考えています。日本銀行としては、適切な金融政策運営を通じて、わが国経済が物価安定のもとでの持続的な成長を実現していけるよう、引き続き貢献して参りたいと考えています。
ご静聴有難うございました。
以上