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新たな時代を迎えた日本経済と金融

(大阪大学金融・保険教育研究センター設立記念講演福井総裁挨拶要旨)

2006年11月27日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.変貌しつつある日本経済
  3. 3.金融システムの現状
  4. 4.金融機能のさらなる強化に向けて
  5. 5.おわりに

1.はじめに

 日本銀行の福井でございます。大阪大学金融・保険教育研究センターの設立を記念してお話する機会を頂き、大変うれしく存じます。本日は、この数年間に明確な改善がみられた日本経済および金融システムの現状と、今後一段と重要性を増す金融機能を巡って、お話し申し上げます。

2.変貌しつつある日本経済

日本経済の再生とその背景

 日本経済は息の長い拡大局面にあります。デフレスパイラルの危機は去り、地価も主要都市を中心に上昇地点が増えてきているなど、現在の日本経済は、数年前とは見違えるように改善しています。日本経済がバブル崩壊以来の低迷期を抜け出し、再生しつつある背景として、次の三点を挙げることができます。

 第一に、世界経済の順調な拡大です。国際通貨基金(IMF)によると、世界経済の成長率は、2003年に4%強、2004年、2005年には5%前後まで高まり、2006年、2007年も引き続き5%近傍で推移する見通しになっています。世界経済が数年にわたって5%前後の高成長を続けるのは、1970年代初頭以来です。中国、インド、東欧などの新興諸国がテイクオフし、先進国、資源保有国ともども、地球規模での好循環を生み出すに至っています。日本の景気拡大も、こうした世界的な経済変動の一側面として捉えることができます。

 第二に、バブル崩壊後、長らく日本経済の活力を削いできた「三つの過剰」——債務、雇用、設備の過剰——が、今は全体として解消し、雇用面ではむしろ不足感が強まりつつあります。そうしたもとで、企業は、生み出したキャッシュフローを、かつてのように債務の返済ではなく、設備投資や海外拠点拡充などの成長戦略に振り向けるようになっていますし、企業部門の回復が雇用や賃金の改善を通じて、家計部門にも及ぶようになっています。

 第三に、今申し上げた「三つの過剰」の苦しい調整過程を経ながらも、企業は縮小均衡に陥ることなく、イノベーションや市場開拓の力を保持してきました。これには、90年代から進められてきた各種の構造改革も、大きな支えになったと考えられます。規制緩和や会計ビッグバンなどの制度改革は、成長機会の拡大と、より公平で規律ある競争環境の整備を通じて、企業に「選択と集中」への決断を促してきました。当初は日本の競争力を脅かす側面ばかり強調されがちであった「グローバル化」についても、ここ数年で企業の適応が進み、アジアを中心に国際的な分業体制が新たに構築されてきています。

中長期的な課題と金融の役割

 以上のように、日本経済の足腰は着実に強まっており、世界経済の急減速など大きなショックに見舞われない限り、当面、拡大傾向が続く可能性が高いと予想されます。しかし、中長期的に日本経済を展望すると、総人口が既にピークを打ったもとで、高齢化が加速していきます。これによる生産年齢人口の減少は、他の条件が変わらなければ経済成長を引き下げる要因となり、年金、医療、介護など社会保障費の増大を通じて、次世代への負担を今以上に大きくすることになります。

 もっとも、こうした人口要因がもたらす逆風は、技術進歩や、経済全体でみた効率性の改善によって、克服することが可能です。とくに近年は、情報・通信技術の発達で国境がどんどん低くなっているため、一国の人口はその国の価値創出力にとって、制約条件にならない度合いが強まっています。たとえ国内雇用の拡大には限界があっても、企業はグローバルなネットワークを駆使して付加価値を生み出し、その成果は、価値創出のアイディアやプロセスに貢献した人々への報酬や、株価や配当など金融資産チャネルを通じて、家計にも還元されていきます。それが内需の好循環にもつながっていきますので、人口の減少や高齢化が進むもとでも、経済の発展は十分に可能だと思います。

 そういう生産性の高い経済を実現していくうえで、金融が果たす役割は重要です。グローバル化や情報化は、成長機会を拡大する一方で、ビジネスを取り巻く環境変化のスピードを速め、リスクの多様化・複雑化をもたらします。したがって、収益機会の発見・評価、リスクの分散・仲介、企業経営へのガバナンス、といった金融の持つ機能に、ビジネス・パフォーマンスが左右される度合いは高まっていくと考えられます。また、そうした重要な役割を担うがゆえに、金融業はそれ自体、高度な付加価値を創出しうる知識集約産業であり、情報技術、法律、会計、教育など多くの分野との相乗効果も働く産業です。これらを踏まえますと、金融機能の強化、金融業の発展は、日本経済の中長期的な成長をより確かなものとするうえで、欠かすことのできない要素だと思います。

 以上の認識を申し上げたうえで、次に日本の金融システムの現状についてお話しします。

3.金融システムの現状

安定を取り戻した金融システム

 大手銀行の不良債権比率——与信残高全体に占める不良債権の比率——は、2001年度末に8.7%まで上昇しましたが、その後、これを3年間で半分以下に低下させるという政府目標は余裕を持ってクリアされ、2005年度末は1.8%となりました。地域銀行の状況にも、程度の差はあれはっきりした改善がみられています。90年代のバブル崩壊以降、10年以上という長い時間を要しはしましたが、日本の金融システムは、全体として安定を回復しています。

 銀行の純利益についても、2005年度は、大手行、地域銀行ともに過去最高益を達成しました。こうした2005年度の好決算には、過去に計上していた多額の貸倒引当金を、経済情勢の好転などにより繰り戻すことができた、という一時的なプラス要因も寄与しています。しかし、そうした要因を割り引いても、銀行の収益が膨大な不良債権処理に足を引っ張られる状況は、過去のものとなりつつあります。収益の改善等から自己資本も回復しており、90年代末の金融危機以来、累次にわたり注入されてきた公的資金についても、大手行を中心に返済の動きが進んでいます。

新たなビジネスモデルの模索

 こうした金融システムの安定化と、資金需要の緩やかな回復により、銀行貸出は昨年以降、増加に転じています。もっとも、多くの金融機関のリスクテイク能力がほぼ同時に回復してきたこともあって、貸出を巡る競争はむしろ激しくなっており、利鞘には縮小圧力が根強く働いています。

 こうしたもとで金融界では、貸出手法のイノベーション、新種のリスクへの挑戦、成長市場における営業強化などを通じて、収益力の向上に取り組む動きが目立ってきています。不良債権処理という重い課題の克服に時間がかかった分、産業界より若干遅れてのスタートとなりましたが、金融界においても、経済や市場の構造変化に応じたビジネスモデルの再構築が、着実に模索され始めています。以下では、最近の金融機関行動にみられる具体的な特徴点を、いくつかご紹介します。

 第一に、住宅ローンの増加です。銀行の貸出残高全体に占める住宅ローンの割合は、90年代は1割前後で推移していましたが、最近は25%程度まで上昇しています。来年4月に独立行政法人となる住宅金融公庫が、数年前から融資残高を減らしており、こうした「官から民へ」の流れも民間のビジネスチャンスにつながっています。とくにここ2~3年は、景気拡大、都心回帰、金利や地価の底打ち感などを背景に、住宅市場そのものが堅調に推移しており、金融機関は商品設計の工夫も行いながら、資金需要の取り込みを図っています。

 第二に、新しいタイプの不動産関連融資への取り組みです。近年、大都市圏を中心としたビル建設の活発化に対応して、金融機関はノンリコース・ローンという形態の融資を強化してきています。これは、返済原資を不動産物件の賃料や売却金に限定する融資ですので、不動産の将来キャッシュフローに焦点を当ててリスクを評価し、それに見合う金利を設定する、という思考回路と平仄をとりやすい形態であると考えられます。この間、銀行融資のほかに、証券化による不動産ファイナンスも、J-REITを含む各種ファンドなどを通じて拡大しています。証券化は、不動産物件から生じるキャッシュフローを、リスクやリターンが異なる複数の金融商品に分解できる手法であり、様々な主体の間でのリスク分散を可能にしています。

 第三に、一般企業向けの貸出形態も多様化しています。例えば、シンジケート・ローンは、2005年度の組成額が20兆円強と、数年前に比べて倍増しています。シンジケート・ローンは、大型のローンを多くの貸手でシェアする形態であり、特定先への与信集中を回避できるなどリスクの分散効果が働きますので、借り手の資金調達コストの低下にもつながります。これとは別に、中小企業向けには、財務データが徐々に蓄積されてきていることなどを背景に、クレジット・スコアリング・モデルという統計的な審査手法に基づく、小口の無担保ビジネスローンも提供されるようになっています。

 第四に、いわゆる「オルタナティブ投資」への取り組みです。「オルタナティブ」とは、国債や社債など伝統的な投資対象とは「別の」という意味であり、仕組債、証券化商品、ヘッジファンドなどが含まれます。金融市場で進行するイノベーションの成果を、金融機関が自らの資産運用の中で活用していくという戦略ですが、うまく運用できればハイリターンとなりうる反面、リスクが複雑ないし見えにくいという特徴があります。

 第五に、手数料ビジネスが、収益源多様化の重要な柱となってきています。とくに近年は、株価上昇や規制緩和などの好環境を背景に、投資信託や年金保険の販売手数料が目立って増加しており、「貯蓄から投資へ」という家計行動の変化を、銀行も後押しする形になっています。それに加え、主として大手行では、シンジケート・ローンの組成や資産流動化ビジネスなど、企業向け金融サービスに関連した手数料収入も伸びています。

4.金融機能のさらなる強化に向けて

「守り」から「攻め」へ

 以上のように、日本の金融業は、業務の多様化などを通じて、「守り」から「攻め」へと徐々に軸足を移しつつあります。日本銀行自身も、金融機関に対する考査やモニタリングにおいて、従来は危機管理の側面を重視していましたが、昨年からは、リスク管理・経営管理の高度化や、顧客ニーズに応じた創造的な業務展開を支援することに、重点を置いています。

 ただ、日本の金融機関は、「守り」の期間があまりにも長かったために、欧米の主要金融機関には水をあけられてしまいました。過去10年余りの間、欧米の主要金融機関は、デリバティブや証券化を組み込んだ金融商品の開発、M&Aの仲介など、付加価値の高い分野を中心に、投資銀行業務を拡大してきました。国境をまたぐ事業再編の増加、ヘッジファンドや機関投資家を経由する資金の拡大など、グローバル市場の変化に呼応した成長戦略です。また、欧米主要金融機関は、個人向け業務の分野でも、カードローンや富裕層向けのプライベート・バンキングなどを、世界中で展開しています。

 これに対し、日本の金融機関は、お膝元のアジア市場ですら、グローバル・プレーヤーとしての影は薄くなってしまいました。もっとも、ごく最近では、大手行を中心に、財務の健全化やそれに伴う格付けの回復などをステップとして、国際業務で巻き返しを図る動きもみられ始めています。こうした動きが本格化し、グローバル経済の活力を金融ビジネスの成長にも取り込めるようになっていくかどうかは、大いに注目したいと思います。

 国内業務全般についても、蓄積されたデータやノウハウ、地理的条件など、それぞれ異なる状況に応じて、金融サービスの付加価値を高めていく余地が多く存在しています。個々の金融機関が収益性や将来性を見きわめて「選択と集中」を進めていけば、その過程で新たなシナジー効果も発見され、金融業は一段の再編を伴いながら、全体として強化されていくのではないかと考えられます。

リスク管理の重要性と課題

 金融機関が「守り」から「攻め」への転換を軌道に乗せていくためには、「攻め」に伴うリスクの増大を、把握しコントロールする経営力が不可欠です。以下では、金融業が管理すべきリスクにはどのような種類があり、現状どのような課題があるのか、三つに分けて述べたいと思います。

 第一に、信用リスクの管理です。与信がビジネスとして成り立つ基本は、借り手に大数の法則が働き、貸し倒れによる損失をある合理的な幅の中で予想できる、という点にあります。しかし、景気などマクロ要因が大きく変動した場合や、借り手が特定の地域や業種に集中している場合には、多くの借り手の信用状態が同時に悪化することもあります。また、大口の融資先については、その先が万一倒れた場合の損失だけでも、貸し手にとって大きなものとなりえます。このように、現実の与信ポートフォリオには、大数の法則が完全には働かないことから来る複雑なリスクがあり、確率は低くても備えておくべき損失の程度を、金融機関は把握しておかなければなりません。しかし、土地担保や長期的関係に基づく融資手法が長く続いてきた日本では、信用リスク計量化は新しい試みですし、その基礎となるデータの蓄積も必ずしも十分ではない、という難しさがあります。

 二番目のリスクは、金利や株価などの変動に伴う市場リスクです。市場リスクの計量化は比較的以前から行われていますが、最近は仕組債など変則的なリスクを持つ金融商品も増加しているため、相応に高度な管理手法が必要とされるようになっています。また、長らく金利の低位安定が続いてきただけに、金利の水準や変動性が将来高まる可能性を、その影響も含めてどの程度見込むかは、各金融機関に共通の課題です。さらに、変動金利の住宅ローンのように、金利が上昇すれば借り手の返済能力が低下する場合もあるため、金利リスクと信用リスクを完全に切り離して整理することはできない、という複雑さもあります。

 第三に、金融機関経営に関わるもう一つのリスクとして、業務リスク(オペレーショナル・リスク)があります。業務リスクとは、事務ミス、コンピューター障害、法令順守(コンプライアンス)への違反、災害、などから損失が発生するリスクであり、企業経営全般に高い規律が求められるようになってきている昨今、その適切な管理が重要性を増しています。金融機関が業務多様化の柱としている手数料ビジネスも、販売する金融商品が複雑化するにつれて、顧客とのトラブルなどが起きやすくなります。業務リスクは、内部統制の強化等によりリスク自体を減らすことが何よりも重要ですが、そうした経営アクションにつなげるためにも、計量化などを通じてリスクを客観的に捉える必要性が増しています。ここでも最も難しいのは、大きな不祥事や災害など、低頻度・高損失のリスクの捉え方であり、仮想シナリオを立てて損失を試算する手法など、世界の先進金融機関も含めて試行錯誤が続いています。

 以上のような多種多様なリスクをどのように認識、コントロールして、リスク対比リターンの高いビジネスを生み出していくかは、金融機関経営の核心です。多くのプレーヤーがリスクとリターンの管理技術を競い合えば、デリバティブなどリスクそのものを取引きする市場の拡大にもつながりますので、個々の金融機関の付加価値創造力が高まるだけでなく、金融市場全体でみたリスク仲介機能も進化すると考えられます。

繰り返してはならないバブル

 さて、90年代以降、グローバル化、情報化が進行し、金融ビジネス革新の好機とも言えた時期に、日本の金融界が不良債権に縛られて前に進めなかった事実を思い起こすと、バブルとその崩壊の歴史は二度と繰り返したくない、という気持ちが強くなります。バブルは所詮、弾けてみるまではわからない、という面は否定できませんが、結果的にあれほどのバブル膨張を許してしまった80年代の市場システムに、改善すべき点が多々あったことも事実です。

 その一つは、バランスシートの透明性が不十分であったことです。この点は、バブルの崩壊後についても、不良債権のマグニチュードを認識するうえで大きな障害となり、その処理を遅らせる一因となりました。ただし、90年代後半以降は、連結ベース、時価ベースを基礎とする会計制度への改革が順次進み、現在、ディスクロージャーの透明性は国際水準に近づいてきています。

 もう一つ、バブル当時の日本に十分でなかったのは、資産価格を期待キャッシュフローの割引現在価値で考える、という経済計算の習慣です。当時の地価形成については、税制の影響なども指摘されていますが、基本的には、「地価が下がることはない」という土地神話が根強く残っていました。地価の上昇を当然視する空気が強かったために、土地を持つ企業の株価上昇も説明がついてしまい、その企業と株を持ち合っている企業の株価上昇も、土地を担保とした融資拡大も、すべて表面上は辻褄が合ってしまいました。このように、相互に絡み合う金融市場の一角に「神話」が持ち込まれると、他の金融商品の市場価格も人々のリスク感覚も、歪められてしまいます。

 この点、近年は、資産価格を経済価値と結びつけて判断する国際標準の考え方が、日本でも定着しつつあり、ディスクロージャーの透明性向上と併せて、80年代と同じようなバブルの再来を防ぐ環境は、かなり整えられてきたのではないかと考えられます。しかし、歴史上のあまたの例を引くまでもなく、次のバブルは形を変えて忍び寄ってくる可能性があります。

 ディスクロージャーの透明性が向上したとは言え、金融イノベーションが進む過程では、相対的に開示規制を受けにくい新たな取引手法やプレーヤーが出てきます。また、いくら資産価格を経済価値から計算すると言っても、90年代末の世界的なハイテク株の高騰にもみられたように、計算の前提を甘く見積もり過ぎてしまう「判断の誤り」は、どの市場でも起こりえます。地球上のどこかでのミスプライシングが、複雑なデリバティブや投資スキームを通じて、想像しにくい場所にまでリスクを運んでくる可能性は、国際的な連関の強い時代にはとくに意識しておく必要があります。

 こうしたリスクを最小限にとどめるには、金融イノベーションの進行や市場プレーヤー層の変化などに合わせて、ミスプライシングが炙り出されやすい透明な市場環境を、整備し続けていく努力が要ります。そして何よりも、複雑化する様々な金融商品の価格について、経済価値との関係を巡る健全な議論が、行き交う土壌を育んでいくことこそ、重要だと思います。

5.おわりに

 以上、日本経済および金融システムの現状、およびこれからの金融に期待される役割などを述べてまいりました。重ねて強調しておきたいのは、グローバルに展開する企業の付加価値創出力や、それが家計の豊かな資産形成へとつながるメカニズムを、しっかりサポートする優れた金融機能が、これからの日本経済には欠かせない、ということです。

 金融機能の高度化を支える各種の計量的技法は、分析理論面でも、データ面、実証面でも発展途上にあり、金融界とアカデミズムの「産学連携」によって新たな知見を切り拓けるフロンティアが、広く横たわっています。リスクを巡る知的創造や教育の場が充実し、金融知識人の厚みが増していくことは、日本の金融機能の発展にとって大きな原動力になることでしょう。大阪大学金融・保険教育研究センターの活動におおいに期待いたします。

 ご清聴有難うございました。

以上