ホーム > 日本銀行について > 講演・記者会見・談話 > 講演・記者会見(2010年以前の過去資料) > 講演・挨拶等 2006年 > 最近の金融経済情勢と金融政策運営

「最近の金融経済情勢と金融政策運営」

岡山県金融経済懇談会における野田忠男審議委員挨拶要旨

2006年11月30日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.ゼロ金利解除以降の経済・物価情勢と先行きの見通し
    1. (1)緩やかな拡大を続ける経済情勢
    2. (2)上昇基調を辿る物価情勢
    3. (3)緩和的な環境が続く企業金融
    4. (4)息の長い成長が見込まれる我が国経済
  3. 3.先行きを展望するうえで留意すべきポイント
    1. (1)海外経済の下振れの惧れ
    2. (2)好調な企業部門に対して雇用者所得が伸び悩む惧れ
    3. (3)企業の投資行動が一段と積極化する可能性
    4. (4)実体経済と物価の相関に係る不透明性
  4. 4.今後の金融政策運営
    1. (1)ゼロ金利解除後の金融市場
    2. (2)金融政策の新しい枠組みと今後の金融政策運営
  5. 5.終わりに代えて~岡山県経済の現在と未来~

1.はじめに

 本日は、岡山県の行政および金融経済界を代表される皆様の前でお話を申し上げる機会を得まして大変光栄でございます。日本銀行の岡山支店は、幣行32支店の中で15番目の支店として誕生し、大正11年開設という長い歴史を持つ支店です。こうした長い歴史は、地元の皆様の深いご支援とご協力なくしてはあり得ません。本日ご臨席頂きましたことと併せ、厚く御礼申し上げます。

 この席では、まず日本銀行が先月末に公表いたしました「経済・物価情勢の展望(2006年10月)1」に基づいてお話しすることから始めたいと思います。「展望レポート」とは、先行きの経済と物価の見通しについて政策委員9名の意見を最大公約数的にまとめたものですが、ここでは、日本経済の現状と見通しおよび今後の金融政策運営につきまして、一政策委員としての私の見方も織り交ぜながら、お話しさせて頂ければと存じます。

 なお、本会の趣旨は皆様からお話を頂戴することにあります。日本銀行の審議委員に就任して以来、早や半年になろうとしておりますが、就任前に比べますと、マクロ経済に関する様々な統計や指標に接する機会が多くなってしまい、どうしても活きた経済の動きや情報、実際に経営に携わっていらっしゃる方々の考え方を直接得る機会が限られてしまいます。この機会に皆様の毎日のご商売の実感や地方経済の現状を少しでも拝聴させて頂ければ、私自身、今後の金融政策運営に係る考えをまとめていくうえで大変参考になることはいうまでもございません。従いまして、私からのご報告は簡単に止め、その後は、景気の現状や金融政策についての皆様のご意見、日本銀行に対するご要望などを是非お聞かせ頂ければと存じます。

  1. 1日本銀行は、毎年4月と10月の年2回、金融政策決定会合の決定を経て、「経済・物価情勢の展望」(いわゆる「展望レポート」)において、日本銀行の経済・物価情勢に対する見通しを公表しています。

2.ゼロ金利解除以降の経済・物価情勢と先行きの見通し

(1)緩やかな拡大を続ける経済情勢

 最初に、今年7月の金融政策決定会合で決定しましたゼロ金利解除以降の我が国の経済・物価情勢につきまして簡単に振り返ってみたいと思います。

 日本銀行は、7月14日に、3月の量的緩和政策解除以降も続けてきましたゼロ金利を解除し、金融調節運営方針の目標となる短期金利(無担保コールレート・オーバーナイト物)を0.25%前後に引き上げました。その後の我が国の経済情勢をみますと、輸出が堅調な中で、企業部門は幾分強め、家計部門は幾分弱めとなっていますが、総じてみれば「緩やかな拡大」基調を辿ってきています。

 先日発表されました第3四半期のGDP統計・速報値をみましても、個人消費は前期比マイナスとなりましたが、設備投資や純輸出の伸びが貢献し、全体では前期を上回る伸び率となりました2

 こうした動きをやや詳しくご説明します。まず、輸出は、海外経済の拡大を背景に増加を続けています。米国経済は、成長率を鈍化させてきていますが、今のところ底固く推移しています。昨日発表されました第3四半期の実質GDP成長率・改訂値をみましても、前期比年率2%強の伸びに止まっており、年初来からの成長鈍化を裏付ける結果となりましたが、速報値に比べれば若干上方修正されました。また、中身をみますと、修正前と変わらず、成長鈍化の主因は住宅投資であり、米経済の両輪である個人消費と設備投資は高い伸びを維持しています。その他の経済指標をみましても、現時点では、米経済はいわゆる軟着陸シナリオ——米国経済の調整局面が当面続くとしても、景気後退局面に陥るまでには至らず、どこかのタイミングで景気が回復に転じ、再び潜在成長率近傍の成長に戻るというシナリオ——に沿った動きを辿っているとの判断が適当であると思います。また、欧州経済も、企業・家計部門ともバランスのとれた高めの成長を続けていますほか、中国を中心とする東アジア諸国も引き続き堅調に推移しています。更には、中国以外のBRICsなど新興国の成長も目覚しく、海外経済は引き続き地域的拡がりをもって拡大を続けており、これまでのところ、輸出を巡る環境は良好です。

 また、企業収益が高水準を続け、業況感も良好な水準で推移する中、設備投資は引き続き増加しています。9月短観3をみますと、企業収益は伸び率こそ鈍化するものの、製造業、非製造業とも増加する見込みであり、売上高経常利益率でも既往ピークであった前年度並みの水準を維持しています4。こうした中で、2006年度の企業の設備投資額は前年度に続き今年度も2桁に近い増加率が続くと見込まれています5。また、こうした設備投資積極化の動きは、これまで製造業・大企業を中心に進んでいましたが、最近では、非製造業や中小企業でもみられており、裾野の広がりも確認されています。

 こうした企業部門の好調の影響は、家計部門にも徐々に波及しています。すなわち、短観などにみられますように、企業の人手不足感が強まる中で、有効求人倍率は1倍を超える水準が続き、完全失業率も4%丁度程度まで低下しています。こうした中、賃金の上昇ペースこそ鈍い6ものの、雇用者数の増加を背景に、マクロからみた雇用者所得は着実に増加しており、個人消費も緩やかな増加基調を辿っています。夏場には一部指標でやや弱めの数字もみられましたが、これは天候不順の影響や6月頃の株価下落による心理的影響といった一時的な要因を映じたものと考えています。

 このような内外需の増加を背景に、生産は緩やかながらも増加基調を継続しており、在庫も全体としては概ね出荷とバランスしている状態にあります。

 なお、今回の景気拡大は、2002年1月に始まって以来、今月で4年10か月となります。戦後のこれまでの最長の景気拡張局面は、1965年10月から1970年7月まで続いた「いざなぎ景気」でしたが、今回の景気拡張局面は、丁度、今月でこの「いざなぎ景気」を追い抜いて、戦後最長となったようです。

  1. 2具体的には、第3四半期の実質GDP成長率は前期比+0.5%(年率+2.0%)となり、前期(同+0.4%<同+1.5%>)を上回りました。需要項目別の前期比寄与度をみますと、個人消費に当たる民間最終消費支出は-0.4%と前期のプラス(+0.3%)からマイナスに転じましたが、設備投資、純輸出がともに+0.4%と全体のプラスに大きく寄与しましたほか、在庫も+0.3%となりました。
  2. 3「短観」の正式名称は「全国企業短期経済観測調査」といい、全国の企業動向を的確に把握し、金融政策の適切な運営に資することを目的として、業況等の現状・先行きに関する判断(判断項目)や、事業計画に関する実績・予測(計数項目)など、企業活動全般に関する調査項目について、日本銀行が全国の調査先企業に協力していただき、四半期ごとに実施する統計調査(ビジネス・サーベイ)です。
  3. 49月短観では、製造業および非製造業の2006年度経常利益の前年比伸び率は、それぞれ+1.8%、+1.9%と見込まれていますが、市場では、これまで発表された企業の中間決算や短観の前提となっている為替レートを考えますと、今後上方修正される可能性が高いとみられています。例えば、大手証券会社の9月調査によれば、2006年度の上場企業等の経常利益見通しは、前年比で2桁近い上昇が見込まれています。また、短観を基に売上高経常利益率をみましても、製造業は5.58%、非製造業が3.19%と既往ピークの前年度(それぞれ5.68%、3.20%)並みの水準に至っています。
  4. 59月短観を基に企業の設備投資額(全産業・全規模ベース)の前年比伸び率をみますと、2003年度に+3.5%とプラスの伸び率に転じた後、2004年度は+5.5%、2005年度には+8.9%まで上昇し、2006年度計画でも現時点で+8.3%の増加が見込まれています。
  5. 6この点については、「4.先行きを展望するうえで留意すべきポイント」で改めて触れます。

(2)上昇基調を辿る物価情勢

 以上のような景気拡大が続くもとで、物価情勢は引き続き緩やかな上昇基調を辿っています。

 国内企業物価は、これまでの国際商品市況の上昇などを背景に、前年比3%前後で推移しています。需要段階別にみましても、これまでの素原材料や中間財の上昇だけではなく、大幅なマイナスであった最終財も横這い圏内にまで回復してきています。また、消費者物価(全国、除く生鮮食品)は、今年8月の基準年次改定により遡及して下方改訂されましたが、新基準でみても、依然小幅とはいえプラス基調で推移しています。

 この消費者物価指数の基準年次改定の影響ですが、市場参加者の事前予想を下振れる結果となったことから、市場では「CPIショック」と呼ばれるほどの大きなサプライズとなりました7。もっとも、その中身をみますと、あくまで幾つかの統計上の技術的な要因による合わせ技であり、私としては、その背景にある物価を巡る「風景」や「風向き」、つまり物価の実勢がここに来て急に変わった訳ではないと認識しています。

 短観でも、企業の設備や雇用人員に関する判断はバブル期以降で最も不足方向に変化しており、設備や労働といった資源の稼動状況は着実に高まっていることは間違いありません。こうした資源の稼動状況が物価に与える影響を判断するための物差しの一つであるマクロ的な需給ギャップ(GDPギャップとも言われます)を推計してみましても、ある程度幅をもってみる必要はありますが、足許では、「需要超過」状態で、景気拡大が続く中で物価が上がり易い状況になっているとみられます。こうした点を考え併せますと、現時点では、物価の基調に関する判断を「緩やかな上昇基調」から変更する必要はないと考えています。

 なお、今回の「展望レポート」でも若干触れていますが、最近の地価動向について一言申し上げますと、バブル崩壊後の長期に亘る低迷を経て、大都市を中心に地価の上昇地点が徐々に拡がってきています。こうした動きを眺め、市場の一部には「不動産投資が過熱してきており、一種の不動産バブルの状態に陥っているのでないか」との見方もあります。ただ、私自身の経験も踏まえながら申しあげれば、最近の地価上昇は、基本的に、経済の先行きに対する見方が好転し、土地を利用した事業が生み出す収益に対する人々の期待が高まっていることを反映したものであると考えます。確かに、東京などの一部地域では、収益還元法では合理的に説明ができない案件が出ているのも事実ですが、それもどちらかといえば「点と点」の動きに止まっております。全国的にみれば、地価はなお低下しており、経済合理性の裏付けもなく、土地であるが故に価格が上がり、高値取引が「点から面」への動きとなって増えていくという、いわゆるバブルの状況にはなく、現時点では、地価の上昇を過度に懸念する必要はないと考えます。もっとも、地価は物価一般と違って一度上がり始めると上昇スピードが速いということもあり、今後とも、地価の動向については注意深くみていく必要があると思っています。

  1. 7消費者物価指数は、2006年8月に、従来の2000年基準から2005年基準に改定され、同時に前年比計数が2006年1月分に遡って改定されました。市場では、基準改定により、同指数の伸び率が0.2~0.3%ポイント程度下振れるとの見方が大勢でしたが、実際には、2006年1~7月の平均でみて0.5%ポイント程度の下振れとなりました。もっとも、このうち、移動電話通信料などで指数計算方法が変更されたことの影響の多くは、当該品目の指数の変化後1年を経過した時点で剥落するため、新旧基準の乖離幅は今後縮小すると考えられます(概要につきましては、日本銀行「経済・物価情勢の展望(2006年10月)」の「(BOX)消費者物価指数の基準改定について」をご参照ください)。

(3)緩和的な環境が続く企業金融

 こうした中、企業金融を巡る環境は、引き続き緩和的な状態にあります。

 7月のゼロ金利解除に伴う企業金融面への影響は、これまでのところ、限定的なものに止まっているようです。銀行貸出面からみますと、9月短観では、金融機関の貸出態度は、ゼロ金利解除前の6月調査と比べて、僅かながら悪化したものの、依然として極めて緩和的な状況にあることが確認できます。また、借入金利水準の判断につきましても、やはり「上昇した」とする先が増えましたが、これを銀行の新規貸出約定平均金利からみますと、上昇の足取りは重く、実際の貸出の現場においては、今回の金利引上げがストレートに浸透しているとはいえないようです。こうした点を踏まえますと、今のところ、今回のゼロ金利解除が、企業の銀行借入環境に及ぼした影響は限定的なものに止まっており、引き続き緩和的な状況にあるといえます。

 また、銀行からの借入環境に加え、CPや社債といった資本市場を通じた資金調達環境も良好な状況にあります8。企業のキャッシュフローは引き続き高水準であり、資金繰りも依然として潤沢な状況にはありますが、企業が設備投資や配当金を中心に支出活動を活発化させていることなどもあって、民間の資金需要も徐々に増加してきているようです。こうしたもとで、足許の民間銀行貸出をみましても増加基調を辿っています。

 なお、マネーサプライ(M2+CD)は、こうした動きとは異なり、足許、前年比0%台の低い伸びが続いています。これは、金融システムが安定し、預金以外の金融資産の収益率が高まる中で、家計や企業が、2005年3月まで続いた預金保険による全額保護の対象であった銀行預金から、マネーサプライの対象外である投資信託や国債などに資産運用先をシフトさせていることが影響しているとみられます。このように、近年では、マネーサプライの動きは、経済・物価情勢や金融環境と必ずしも同じ動きを示すとは限らないこともあり、日本銀行としては、現時点では、マネーサプライの伸び率鈍化についてそれ程懸念する必要はないと考えています。

  1. 8例えば、CP発行レート・社債流通利回りと国債流通利回りとのスプレッドである信用スプレッドについて、ゼロ金利解除前後の動きを比べると、ほぼ横這い圏内の動きに止まっています。

(4)息の長い成長が見込まれる我が国経済

 日本銀行は、今回の「展望レポート」におきまして、先行き2006年度後半から2007年度について、内需と外需がともに増加し、企業部門から家計部門への波及が進むもとで、景気は、緩やかながらも息の長い拡大を続けると予想しています。もっとも、既に今回の景気拡張局面がほぼ5年にも亘り続いており、更に持続するとすれば、景気自体は成熟段階に入っていくこととなり、成長のスピードも今後は徐々に低下していくことが見込まれます。「展望レポート」作成時の10月末時点で政策委員9名の見通しを取りまとめた結果をみましても、実質GDP成長率は、2005年度の3%台から、2006年度には2%台半ば、2007年度は2%程度へと、潜在成長率9近傍に向けて徐々に減速する形となっています10

 今回の見通しに関する基本的な考え方は、前回4月の「展望レポート」と大きな変化はありません。すなわち、(1)海外経済の拡大を背景に輸出の増加が続くこと、(2)企業部門の好調が続き、海外需要増も意識した積極的な設備投資が続くこと、(3)雇用者所得や配当の増加などを通じて、好調な企業部門から家計部門への波及が進んでいくこと、(4)極めて緩和的な金融環境が民間需要を後押しし続けること、の4点が、先行きの景気判断の前提やメカニズムとみています。

 こうした経済の見通しのもとで、物価を巡る環境も徐々に変化していくと考えています。先程も申しましたマクロ的な需給ギャップは、設備や労働といった資源の稼働状況が一段と高まる中で、今後も「需要超過」幅を緩やかに拡大していくとみられます。また、現在も低下しているユニット・レーバー・コスト(生産1単位当たりの人件費)も、景気拡大の長期化に伴って生産性の伸びが鈍化し、賃金の上昇も明確になる中で、下げ止まりから若干の上昇に転じていく可能性が高いとみられます。併せて、各種サーベイ調査で示されていますように、企業や家計の物価上昇率の見通しは、短期、中長期とも、徐々に上方修正されてきていることも見逃せません11

 物価指数に即してみますと、国内企業物価指数は、原油価格をはじめとする商品市況や為替相場にも左右されますが、引き続き上昇基調を辿るとみています。また、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)も、極めて緩やかではありますが、引き続き上昇基調を維持するとみています。「展望レポート」における政策委員の見通しをみましても、その伸び率は、2005年度のゼロ近傍から、2006年度に0%台前半、2007年度になり漸く0%台半ばに達するという極めてゆっくりとした上昇ペースとなっています12

 以上述べましたように、日本銀行としましては、今後の我が国経済の成長パスは、内外需ともに増加し、企業部門から家計部門への波及が進むもとで、景気成熟化に伴って成長のスピードは徐々に鈍化するものの、息の長い成長を続けると予想しています。もっとも、こうした見通し自体は、あくまで現時点で最も蓋然性の高いと判断されるものであり、幾つかの上振れ・下振れ要因が引き続き存在していることはいうまでもありません。私自身、こうした要因が顕現化する可能性が特段高いとみている訳でありませんが、我が国経済の先行きを展望するうえであくまでも留意しておく必要があります。そこで、以下では、これらの要因について、私なりの見方を加えながら、若干お話ししたいと思います。

  1. 9日本銀行では、我が国経済の潜在成長率の水準を1%台後半とみています。もっとも、潜在成長率の推計値は、経済構造の変化や技術革新のスピードなどによって時間とともに変化するほか、データの追加などによって事後的に変わる可能性があるため、幅をもってみる必要があると考えています。
  2. 1010月の「展望レポート」における政策委員による実質GDP成長率の大勢見通しでは、今年度のレンジは+2.3~+2.5%、中央値は+2.4%、2007年度は、それぞれ+1.9~+2.4%、+2.1%となっています。
  3. 11例えば、日本銀行が一般の方々を対象に行う「生活意識に関するアンケート調査」の9月調査結果では、1年後の物価について「上がる」との回答が全体の約8割を占めていますほか、その具体的な上昇率は平均で+5.1%と、前回6月調査の+4.8%に比べ若干上昇しています。
  4. 1210月の「展望レポート」における政策委員による消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率の大勢見通しでは、今年度のレンジは+0.2~+0.3%、中央値は+0.3%、2007年度は、それぞれ+0.4~+0.5%、+0.5%となっています。

3.先行きを展望するうえで留意すべきポイント

(1)海外経済の下振れの惧れ

 先程申しましたように、世界経済は、これまでのところ、総じて堅調に推移しており、世界経済に最も影響の大きい米国経済も、住宅市場の調整は続いていますが、現状では軟着陸シナリオの範囲内の動きに止まっていますことから、今後も、拡大基調が続くとの見方が大勢です13。しかしながら、やや詳しくみていきますと、各国・地域経済においてそれぞれリスクを抱えていることは否めません。

 まず、その米国経済ですが、懸念されていました住宅市場の冷え込みが一段と明確になってきています。先程の第3四半期のGDP統計でも、住宅投資は前期比で大幅な減少を記録しています。ただ、最近の住宅販売統計などから、これまでの一方向的な悪化に歯止めがかかりつつあるとの見方も可能であり、現に、市場には「住宅市場の最悪期は過ぎた」と指摘するエコノミストもみられます。しかし、10月の住宅着工件数が年率150万戸を割り込み、2000年7月以来の低水準となり、また、10月の住宅販売価格は、新築住宅で2か月連続のマイナスの後若干回復しましたが、価格面での底打ち感がはっきりと確認できるものではなく、住宅市場の調整は依然として続いているとみられます。市場では、住宅市場の冷え込みが個人消費全般に及ぼす影響は限定的であるとの見方が大勢です。ただ、こうした見方は、堅調な雇用環境やガソリン価格の下落、長期金利の低水準持続、株価上昇といった要因に消費がサポートされている中にあって、個人消費に対する住宅市場の影響が表面化していないという現状に引っ張られていることも考えられます。住宅市場の冷え込みが個人消費に及ぼす影響度合いについての不確実性は依然解消されておらず、仮に、住宅価格の調整が予想以上に急激なものとなった場合、個人消費の伸び鈍化などを通じて、米国景気が今後更に減速する可能性は依然として否めません。こうしたリスクの蓋然性は低いとはいえ、既に今週当たりから始まっているクリスマス・年末商戦を含めた今後の個人消費の行方につきましては、引き続き注意深くみておく必要があると考えています。

 また、米国経済につきましては、設備や労働といった資源の稼働状況が引き続き高水準で推移する中で、インフレ予想が高まってくる可能性もあります。ガソリン価格の下落などを受けまして、物価指数やGDPデフレータが足許低下しており、前回のFOMCのステートメントでも、物価上昇要因の中からコモディティとエネルギーの価格が外されました。しかしながら、FRBが警戒すべき根源的なインフレ圧力が低下したとみるのは早計でしょう。10月の失業率が5年半振りの低い水準になる中で、第3四半期の非農業部門の労働生産性の伸び率は前期比横這いにまで低下しており、ユニット・レーバー・コストも高水準にあるなど、賃金インフレ圧力が一段と高まっていることは疑いありません。最近のFRB高官の発言や前回FOMCの議事要旨などをみますと、インフレ警戒モードが依然続いているといえますが、インフレ圧力の抑制が後手に回ったと市場に判断された場合には、長期金利の上昇を招き、1990年の住宅不況時のように、住宅市場の低迷に拍車がかかる、更には、金融資本市場の反応等を通じて米国だけではなく世界経済全体にも悪影響を及ぼす、といったリスク・シナリオも一応は想定しておく必要はあろうかと考えます。

 いうまでもないことですが、我が国の対米向け輸出のウェイトは、低下してきているとはいえ2割強と依然として国別でトップであり、中国をはじめとする東アジア経由分を合わせると、米国は我が国の外需を支える最重要国です。米国経済の減速の度合いによっては、米国以外の国・地域は我が国の輸出にとってバリヤーになるどころか増幅器(amplifier)になりかねない点にも注意を要します。今回の景気拡張局面における外需の役割の大きさを考えますと、引き続き先行きの我が国経済の行方は、外需、就中、米国経済が握っているという点につきましては、自明のこととはいえ、改めて指摘しておきたいと思います。

 欧州経済につきましても、企業部門の好調が続く中で、個人消費が引き続き回復していることから、当面は景気拡大が見込まれています。もっとも、幾つかの企業景況感指数が頭打ちないしは低下に転じてきている中で、ECBによる金融引き締めの累積的な効果や最近のユーロ高の影響を見極める必要があることを考えれば、先行きについては、やや慎重にみておきたいと考えます。また、中国も、依然として10%を超える力強い成長を続けており、固定資産投資や輸出の動向次第では、見通し期間中の成長率が上振れる可能性がある一方で、今後、人民元の一段の切り上げに対して米国などの海外からの圧力が高まってくることも考えられ、これまでの成長スピードが鈍化する可能性もあります。加えて、足許やや落ち着きをみせている原油価格をはじめとする国際商品市況も、今後の展開如何では、世界経済の先行きに影響を与える可能性があります。

 こうした海外経済の下振れ要因が顕現化する可能性がそれ程大きいと考えている訳ではないということは、先程も申したとおりですが、海外経済が大幅に下振れした場合には、わが国経済にとって、外需という直接的な影響だけではなく、外需の増大を意識して能力増強による供給体制の強化に努めてきているとみられる企業の設備投資行動にも影響を及ぼし得るという点14も考慮しますと、今後の海外経済の動向には引き続き注視していくことが重要と考えます。

 例えば、我が国の電子部品・デバイス財をみましても、これまでの供給拡大ペースが速いだけに、今後の海外経済の動向如何では、今後、足許積み上がっている在庫の調整局面に陥る可能性については注意しておく必要があると思います。

  1. 13例えば、本年9月に国際通貨基金が公表しました「世界経済見通し」では、世界経済の実質成長率は、4月時点の見通しから若干上方修正され、2006年に+5.1%、2007年に+4.9%と高めの成長持続が見込まれています。
  2. 14近年の我が国製造業の設備投資増加における外需への意識の大きさにつきましては、石崎寛憲・川本卓司「近年の製造業の設備投資増加について」、『日銀レビュー』2006-J-17(2006年11月)をご参照ください。

(2)好調な企業部門に対して雇用者所得が伸び悩む惧れ

 次に、家計部門に関して述べたいと思います。日本銀行では、今後の景気拡大の過程におきまして、企業部門の好調さが家計部門に波及していく、すなわち、好調な企業収益が続く中で、雇用者所得も増加し、これが個人消費の力強さを増していくとの考え方に立っています。

 最近の雇用者所得をみますと、確かに2004年から前年比プラスに転じています。しかしながら、これをやや詳しくみますと、雇用者所得の増加は、雇用者数の増加を映じたものであり、一人当たりの賃金という面での上昇は極めて緩やかなものに止まっています。労働需給は明らかに引き締まっていますが、それにも拘わらず、賃金、特に個人消費への影響が大きいとみられるコアの賃金である所定内給与は殆ど増加していません。

 この主たる理由として、企業の人件費抑制姿勢があると考えています。例えば、日本経団連は、昨年12月に、企業経営者の考え方について、我が国経済のグローバル化が進むもとで、「国際的にトップレベルにある賃金水準をこれ以上引き上げることはできないとの判断に至る企業が大多数を占めるものと思われる」と表明し、本年7月には、「賃金水準の底上げを意味する賃金改善を実施しなかった企業が大部分を占めるとともに、業績は賞与・一時金に反映して従業員に報いるという考え方が定着した」と総括しています。また、いわゆる成果主義に基づく賃金制度を採用している大企業が、2005年初頭で全体の7割強に達しているとの調査結果なども踏まえますと、所定内給与は極力増加させないという方針 —— いわば「上方硬直化」 —— が既に制度として定着しているともみられます。一方、中小企業では、こういう制度とは関係なく、大企業に比べて収益改善のスピードが鈍いこともあり、総じてみれば労働者への分配を増やす余裕はそれ程大きくないとみられます。足許までの所定内給与の足取りは、まさにこうした動きを反映したものとなっています。

 ボーナスに関しましても、毎月勤労統計をみますと、一昨年の冬期から今回の夏期まで4期連続で前年比増加率が2%弱となっており、これまでの企業収益の伸びに比べれば相対的に低い水準に止まっています。

 2007年度からいわゆる団塊世代の退職を控える中、今後とも企業の採用意欲は根強く、労働需給は引き続きタイトな状況が続くと予想されます。こうした状況が長期化した場合には、どこかのタイミングで、労働力の供給源が底を尽き、賃金の明確な上昇に撥ね返ることとなります。但し、実際には、自営業からの流入、高齢者の就業継続ないし復帰、失業者の減少などの経路を通じて、前年比で1%強の雇用者増加が支えられてきており、当面は供給面のボトルネックが一気に生じる感じは必ずしも強くないように思えます。また、都市・地方間などのいわゆるミスマッチの問題も、需給タイト化が厳しくなるにつれてある程度は徐々に解消されてくるのでないか、即ち、潜在している労働力のスラックが顕在化してくる可能性もあります。

 このように、労働需給のタイト化が賃金の上昇に本格的に結び付くまでには今暫く時間がかかる可能性についても一概には否定できません。

 最近では、マスコミなどでも賃金の伸び悩みの問題が多く採り上げられるようになって参りましたほか、一部の大手企業が実質的に賃金を引き上げるという報道もみられています。我々が想定しております「労働市場の需給が着実に引き締まってきていることを踏まえると、いずれは所定内給与を始め賃金の上昇が明確になる可能性が高い。こうしたもとで、個人消費は着実な増加を続けるとみられる」とのシナリオが実現するかどうかを見極めるうえでも、今後の賃金を巡る動きには、今まで以上に注意深くみていく必要があると思います。

(3)企業の投資行動が一段と積極化する可能性

 これまでは景気下振れの要因について述べて参りましたが、3点目としましては、企業の投資行動が一段と積極化する要因を挙げたいと思います。

 ここ数年に亘り、企業は積極的な設備投資を行ってきましたが、私どもは、現状、全体として未だ資本ストックが過剰に積み上がっている状況ではないと判断しています。また、GDP統計をみましても、設備投資の前期比伸び率はここ3四半期連続して逓減しており15、こうした動きは、「企業は基本的に積極的な設備投資姿勢を堅持していく」ものの、今後は景気の成熟化に伴って、「設備投資の伸びは低下していく」という私どもの「展望レポート」のシナリオと概ね整合的に推移しているとも言えます。

 しかしながら、現在の金融環境が極めて緩和的な状況にあるもとで、企業経営者としては、これまでの慎重な経営スタンスを緩め、好調な収益に背中を押される形で、今後の投資行動を一段と積極化する可能性があります。最近の調査をみましても、設備投資の目的が「合理化・省力化」から「生産・販売能力の拡大」へシフトしているという結果が出てきています。私としては、企業経営者が、過剰設備という苦い経験に裏打ちされた投資採算を厳しく見定めるという慎重な経営スタンスを簡単に放棄し、一気に楽観主義に走ることはないと思っていますが、仮に設備投資増加のモメンタムが今後一段と高まる場合には、経済全体の成長率が一時的に大きく上振れる反面、その後は資本ストックの過剰な積み上がりの反動から調整を余儀なくされる可能性が全くないとは言い切れず、ある程度想定しておくことは重要と考えます。

 こうした企業経営者のマインド面での変化と企業業績および設備投資計画との関係につきましては、次回短観の結果なども踏まえて引き続き詳細な検証していく必要があると考えます。

  1. 15今年に入ってからのGDP統計における設備投資の前期比伸び率をみますと、第1四半期は+3.7%、第2四半期が+3.5%となった後、足許の第3四半期では+2.9%と徐々に伸び率が低下しています。

(4)実体経済と物価の相関に係る不透明性

 最後に、先行きの物価上昇についての不透明感の高まりについて申し上げます。

 既に申しましたように、現在の我が国経済の需給ギャップは、若干とはいえ「需要超過」の状態にあり、今後はその「需要超過」幅が緩やかに拡大するとみています。そうであれば、インフレ予想の上昇とも相まって、賃金や物価に上振れ圧力が加わり続けると考えられます。ところで、実際の物価指数の動きをみますと、足許の上昇圧力は極めて弱いものであり、伸び率自体も前年の水準を僅かに上回っているに過ぎません。これは実体経済が順調に拡大を続けても、なかなか物価が上昇しない可能性があることを意味しています。

 こうした需給ギャップに対する物価の感応度に係る不確実性の理由は幾つか考えられます。例えば、我が国経済のグローバル化が進むもとで、最終消費財を中心に、中国などのアジア諸国における低価格の商品が流入し、国内における需要増から生じる供給の制約を緩和する構造が定着してきていること、つまり、国内での需給バランスが必ずしも価格動向に直結しない傾向が強まっていることがあるのではないかと思います。

 また、こうした経済のグローバル化による低価格の輸入品が増加する中で、国内製品との競争を通じて、海外の低い労働コストが国内の労働コストを引き下げる圧力になっているとも考えられます。これを物価との関係で申しますと、ユニット・レーバー・コストが下押しされていることを意味します。もちろん、ユニット・レーバー・コストには、海外との競合が働き難いサービス関連の賃金も含まれますが、こうした我が国経済のグローバル化が賃金の上昇を抑制する方向に影響を及ぼしていることは明らかです。また、2番目の留意すべきポイントでお話しした賃金が伸び悩むような場合には、やはりユニット・レーバー・コストの引き下げ要因ともなります。

 繰り返しになりますが、今回の「展望レポート」での物価見通しでは、蓋然性の高いシナリオとして、ユニット・レーバー・コストは、下げ止まりから若干の上昇に転じていくことを想定しています。以上のようなことを併せ考えますと、ユニット・レーバー・コスト上昇のタイミングにつきましては、想定より後ズレするリスクがあることは念頭に置いておく必要があると考えています。

 このほか、潜在成長率の問題もあります。企業の設備投資がここ数年間2桁の伸びを続けていることなどを眺めて、市場には、我が国経済の潜在成長率が上昇しているとみる向きがあります。潜在成長率の上昇は、生産性の上昇を伴って、供給面から物価を押し下げる方向に働く要因となり得ることには留意しておく必要があります。もっとも、需要面からは、所得見通しの改善や期待収益率の高まりによる支出の増大を通じて物価を押し上げる方向に働くこととなります。

 なお、原油をはじめとする商品市況の動向にも引き続き注意が必要です。これらの市況の先行きを展望することは難しく、私としましても、上下両方向にリスクがあるとしか言えませんが、例えば、原油価格が今年になってピークをつけていることを考えますと、仮に今後も現在の価格がそのまま横這いで推移したとしても、物価の伸び率にはマイナス方向で寄与することになります。物価情勢に及ぼす影響の大きさを考えれば、先行きの物価を展望するうえで気を付けておく点の一つであると思います。

 原油価格に触れましたので、それとの係わりで物価に関してもう一言付け加えたいと思います。

 私は、物価情勢の判断に当たっては、物価指数の水準そのものもさることながら、物価の基調的な動き、言い換えれば、根源的なインフレ圧力とそのトレンドを重視しています。そこで、消費者物価についていえば、総合指数(ヘッドライン)から生鮮食品を除いたコア指数とともに、それから更にガソリンや灯油などの石油製品などのように変動幅(振れ)の大きい項目や制度的な要因で一時的に変動している項目——いわば「特殊要因」というもの——を除いた指数を、基調を判断するうえでのベースとしています。物価指数は、あくまでも遅行指数であり、その動向を「フォワード・ルッキング」な判断に結び付けていくには、自ずから短期的な変動を取り除いた指数の動きが重要であると考えるからです。

 ただ、だからといって、家計や消費者の実感に即した消費者物価の総合指数そのものを疎んじるものではないことは言うまでもありません。

4.今後の金融政策運営

(1)ゼロ金利解除後の金融市場

 最後に、ゼロ金利解除後の金融市場の動向に簡単に触れた後、今後の金融政策運営について述べたいと思います。

 日本銀行は、本年3月に量的緩和政策を解除し、7月には、無担保コールレート・オーバーナイト物の誘導目標を「概ねゼロ%」から「0.25%前後」に引き上げました。これにより、短期金融市場は、およそ5年振りに「金利のある世界」に戻りました。日本銀行では、このいわゆるゼロ金利解除が金融環境に大きな変化を生じさせることもあり得ることから、解除後の金融市場の動向、特に量的緩和政策導入以降、長年に亘って市場機能が低下していた短期金融市場の動きや、債券・株式・為替市場の参加者の動向に注目していましたが、総じて申し上げれば、大きな混乱もなく、非常に円滑に受け入れられたのではないかと思っています。短期金融市場では、政策変更直後こそ、コール市場やレポ市場でレートが強含む場面もみられましたが、時間の経過とともに、市場取引は円滑に行われるようになってきており、市場機能は着実に回復をみています。

 また、債券・株式・為替市場の動きをみましても、市場は総じて冷静に金融政策の変更を受け入れたように思えます。これは、市場参加者の多くが政策変更を事前に予想し、それを相場に織り込んでいたためではないかと考えられます。日本銀行では、金融政策運営の透明性向上を図るため、3月の量的緩和政策解除の際に「新たな金融政策運営の枠組み」を導入しました。やや手前味噌ではありますが、今回の政策変更に関して、市場参加者との対話がある程度スムーズに進むことができたのも、この枠組みが機能したことが要因の一つではないかと思っています。

(2)金融政策の新しい枠組みと今後の金融政策運営

 ここで、この「新たな金融政策運営の枠組み」につきまして簡単にご説明したいと思います。

 この枠組みを簡単に申しますと、日本銀行は、中長期的にみて物価が安定していると日本銀行の政策委員が理解する物価上昇率——「中長期的な物価安定の理解」と呼んでいますが——を念頭に置きつつ、この後ご説明します2つの「柱」による経済・物価情勢の点検を踏まえた上で、当面の金融政策の運営方針を決定するというものです。

 私どもが考えます「物価の安定」とは、「家計や企業等の様々な経済主体が物価水準の変動に煩わされることなく、消費や投資などの経済活動にかかる意思決定を行うことができる状況」であり、これは、持続的な経済成長を実現するための不可欠の前提条件であります16。日本銀行では、今年3月に、消費者物価指数の前年比が0~2%程度であれば、各政策委員の「中長期的な物価安定の理解」の範囲と大きくは異ならないと発表しています。

 次に、2つの「柱」による点検ですが、基本的には、金融政策運営の議論に際し、物価安定のもとで持続的な成長経路を辿っているかという観点からの点検を、2つの切り口から行うことを意味しています。まず、第1の「柱」では、先行き1年から2年の経済・物価情勢を展望するうえで、最も蓋然性が高いと判断される見通しについて、また、第2の「柱」では、より長期的な視点を踏まえつつ、例えば、発生の確率は必ずしも大きくないものの、発生した場合には経済・物価に大きな影響を与える可能性があるなど、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクについて、それぞれ金融政策運営を決定する都度点検することとしています。

 これに沿って、現在の経済・物価情勢を点検しますと、まず第1の「柱」について申せば、日本経済は、10月の展望レポートで示した見通しに概ね沿って、物価安定のもとでの持続的な成長を続けることができるとみています。もちろん、こうした見通しの前提としましては、上振れ・下振れ両方向での様々なリスク要因が存在しています。しかしながら、現時点では、こうしたリスク要因が、この見通しを変更しなければならないほど顕現化する可能性が高まっているとはみておりません。また、この見通しは、市場参加者などの経済主体が、先行きある程度の政策金利の上昇を織り込んだ上で意志決定を行っていることを前提としています。そのため、経済・物価情勢が見通しどおりに推移しているにも拘わらず、これに併せた政策金利の調整をしないとすれば、いずれ、より大きな調整が求められることとなり、経済活動の振幅を招き、我が国経済の息の長い成長を妨げる可能性を高めてしまうことになります。

 次に、第2の「柱」につきましては、第1に、金融政策面からの刺激効果が一段と高まり、企業の投資行動が一段と積極化することを通じて経済・物価の振幅が大きくなるリスク、第2に、海外経済の予想以上の減速など景気後退に繋がるような要因が顕現化し、景気拡大や物価の上昇が足踏みするリスク、の2つのリスク要因があるとみています。

 今回の「展望レポート」では、こうした2つの「柱」を点検した上で、先行きの金融政策の運営方針について「極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持しながら、経済・物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行う」とすることしておりますが、これは、4月の展望レポートにおけるスタンスと基本的に変わるものではありません。

 この先の金融政策につきましても、この枠組みのもとで、私としては、先程縷々お話しした「幾つかのポイント」に特に留意しつつ、経済・物価情勢全般を丹念に点検しながら、金融政策決定会合の都度適切に判断していきたいと考えています。今後の経済・物価情勢が「展望レポート」に沿って展開していくと見込まれるのであれば、政策金利水準の調整についても、経済・物価情勢の動向をしっかりと見極めながら、その変化に応じてゆっくりと行うことになると考えています。

 なお、今後の金融政策運営に関して若干付言しますと、これまでご説明してきましたように、日本銀行は、この「新たな金融政策運営の枠組み」に基づいて政策運営を行っています。この枠組みは、足許の経済・物価動向そのものもさることながら、それよりも金融政策が実体経済に影響を及ぼす時間的なラグなどを踏まえたうえで、より先行きの情勢を可能な限り展望して——これは「フォワード・ルッキング」という言葉で表現していますが、——金融政策運営を柔軟かつ機動的に行うという考え方が基本になっています。量的緩和政策の解除、さらにはゼロ金利解除といった政策変更時はもとより、日本銀行では、折りに触れて「フォワード・ルッキング」なスタンスの重要性を説明してきています。

 このスタンスは、かつての量的緩和政策継続のコミットメントのようにクリアカットではありませんので、理解していただき難いという面があるのは正直なところですが、それでも、市場参加者の方々にもかなり浸透してきたのではないかと思います。

 私は「市場は鏡」であると考えます。市場は、経済指標の一つひとつに敏感に反応し、それを一つひとつ積み上げると同時に、これまでの積み上げ分を修正していくというプロセスを経て、先行きの景気に対する市場なりの期待を映じた価格を形成します。私どもが発信する経済・物価情勢についての認識や金融政策運営に関する考え方・見方につきましても、こうした市場の期待形成に一定の影響を及ぼすものの一つであることは言うまでもありません。

 私どもでは、「市場という『鏡』に日本銀行の考え方・見方がどのように写っているか」という情報は、適切な金融政策運営を行っていくうえで最も重要なものの一つであり、市場そのものが持つ特性なども考慮しながら、この情報を絶えずチェックし、検証していくことが必要であると考えています。

  1. 16「物価の安定」の詳細につきましては、2006年3月9日に日本銀行が発表しました「新たな金融政策運営の枠組みについて」の「2.物価の安定についての考え方」をご参照ください。

5.終わりに代えて~岡山県経済の現在と未来~

 以上、日本経済の現状と先行き、および当面の日本銀行の金融政策運営についてお話して参りましたが、最後に、岡山県経済についてお話しようと思います。

 当地の景気は、業種間、企業規模間で好不調のばらつきはあるものの、全体としてはこれまでお話した全国の動きと概ね同じテンポで、回復を続けています。私どもの岡山支店の調査によれば、設備投資は概ね堅調に推移しているほか、輸出も海外経済の拡大を背景に増加しています。また、個人消費も底固く推移しているほか、住宅投資も総じて増加基調にあるとのことです。また、9月短観をみましても、業況判断DIは足許若干低下したものの、好調な企業収益を背景に引き続き高水準にあり、先行きの改善見込みも含めて考えれば、総じて良好な景況感を維持しているとみています。

 本日は、日本経済を見るうえでのポイントの一つとして、これまでのところ上昇テンポが鈍い賃金の先行きをどう考えるかというお話をいたしました。当地では、有効求人倍率が1.4倍近いなど、雇用の不足感の強まりという点では全国平均に先んじているようですので、その動向は日本全体を考えるうえでも大変参考になります。当地では、それにもかかわらず、やはり所定内給与が伸び悩んでいるようです。この点について、当地企業は、雇用の不足感が強い中でも、海外との競争を意識してコスト削減姿勢を緩めていないとか、他地域まで採用範囲を広げることによって地域間の労働需給ミスマッチを若干なりとも和らげる動きがあると伺っています。こうした動きは、賃金が上がりにくいことの説明にはなるのですが、同時に、労働需給の引き締まりが続けば、時間がかかってもいずれは賃金に跳ね返ってくることを示唆しているように思います。実際、当地でも、人材派遣会社の派遣料金が上昇しているなど、その萌芽は現われているようにみえます。地域経済に関するこうした情報は、日本経済全体を考えるうえでも大変貴重な材料になりますので、これからもよくみていきたいと思っています。

 岡山は、瀬戸内の温暖な気候、良質で豊かな水資源を有し、また、素材型産業から加工型産業まで幅広い業種に亘る生産拠点となっている水島臨海工業地帯が存在するなど、国内でも有数の「ものづくり県」であります。昨日は水島地域の工場を実際に訪問させて頂き、その感を一段と強くしました。また、東西、南北に延びる高速道路網により、中国地区はもとより、四国地区、阪神地区とも2時間圏域にあることに加え、岡山空港、水島港の整備拡張も進められており、生産販売・物流面における国内外に向けた「交通の要衝」でもあります。さらに、私どもの支店が、日頃皆様とお付き合いさせて頂いている中でも、中長期的に産業基盤や雇用基盤を強化する観点から、大学と行政、産業界・金融界が一体となって、技術革新を促進し、新技術や新事業、ベンチャー企業を育成する産学官連携の動きなど、当地の持つ「ものづくりの伝統」を土台とした様々な取り組みが行われていると伺っています。今後とも、こうした様々な取り組みが、岡山独自の経済の優位性を有機的に結合させることによって、岡山県経済に一層の活力を与えることを期待しております。こうした岡山県の取り組みが、地域経済の活性化という問題に光を放ち続けることを期待して止みません。

 本日は、ご清聴頂き、有難うございました。