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「日本経済の現状・先行きと金融政策」
佐賀市における金融経済懇談会での須田美矢子審議委員挨拶要旨

2007年1月25日
日本銀行

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.日本経済の動向
    1. (1)日本経済の現状
    2. (2)日本経済の先行き
  3. 3.フォワードルッキングな金融政策と説明責任
    1. (1)フォワードルッキングな政策の重要性
    2. (2)「新たな金融政策運営の枠組み」の再確認
    3. (3)足もとの指標と金融政策の考え方
    4. (4)市場との対話
  4. 4.おわりに

1.はじめに

 日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員、いわゆる「政策委員」(ボードメンバー)が、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせていただいております。本日は、佐賀県の各界を代表する皆様方に、ご多忙のなかをお集まりいただき、親しくお話しする機会が得られましたことを誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃、私どもの福岡支店ならびに佐賀事務所が大変お世話になっております。この場をお借りして厚くお礼を申し上げますとともに、今後ともよろしくご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。

 本日、私からは、日本経済の現状・先行きと金融政策についてお話しさせていただき、最後に佐賀のこれからについて僭越ながら私なりの意見を少し述べさせていただいた後、皆様方から当地の実情に即したお話や、忌憚のないご意見を承りたいと存じます。

2.日本経済の動向

(1)日本経済の現状

 さて、日本経済の現状をみますと、公共投資削減など財政再建に伴う景気下押し圧力が強まるもとでも、海外経済の拡大や緩和的な金融環境を背景に、緩やかな拡大を続けています(図表1)。その内訳をやや仔細にみますと、輸出は米国景気の減速にも拘らず、総じてみれば堅調な海外経済のもとで増加を続けています(図表2、図表3)。米国向けは、注目しておりましたクリスマス商戦がまずまずの結果となる中、自動車関連等を中心にしっかりとした増加を続けています。中国向けも、幅広い品目で緩やかな増加を辿っていますほか、NIEs・ASEAN向けについても、基調として増加傾向を続けています。

 内需に目を転じますと、設備投資は引き続き増加しています(図表4)。先に公表されました12月短観でみますと、背景にある企業収益は高水準で推移しているほか(図表5)、企業の業況感も良好な状態が続いています(図表6)1。また、雇用・所得環境につきましても、労働需給は引き締まりの傾向を続けており(図表7(1))、雇用者数は増加傾向を辿っています(図表7(2))。所定内給与は引き続き弱めの動きとなっていますが、雇用者所得は、雇用者数の増加が寄与するかたちで緩やかに増加しています(図表7(3))。このような雇用・所得環境のもと、個人消費は、雇用者所得の伸びに見合った緩やかな増加基調を継続しています。

 こうした内外需の増加を背景に、生産も増加を続けています(図表8)。業種別では、輸送機械(自動車)が輸出の好調を背景に高めの伸びを続けているほか、一般機械も半導体製造装置などを中心に増加しています。電子部品・デバイスでは、ゲーム機や国内携帯電話向けが減少していますが、デジタル家電向けや新型OSが発売されるパソコン向け等が好調に推移しており、全体でも増加基調となっています。

 この間、物価についてみてみますと(図表9)、企業物価指数は、足もと原油価格の下落を背景に石油・石炭製品がやや下振れているほか、これまで大幅に上昇してきました銅地金といった非鉄金属が頭打ちとなるなど、全体でも伸び率が鈍化しています。しかし、既往の原油や非鉄価格の上昇を転嫁する動きは引き続き広範化しています。国内企業物価指数を品目別にみてみますと(図表10(1))、全910品目のうち、前年比がプラスとなった品目数の割合は上昇傾向を辿っており、原材料価格の上昇が、中間財、最終財へ着実に波及している姿が確認できます。一方、消費者物価(除く生鮮食品)につきましても、前年比でみれば伸び悩んでいますが、上昇品目の比率は、財、サービスとも上昇を続けており、需給改善を背景に上昇に転じる品目の裾野が、徐々に広がっていることがわかります(図表10(2))。

 このように、日本経済は物価安定のもとでの持続的な成長の実現に向けて着実な歩みを進めていますが、昨年末にかけて公表されました各種経済指標がややまだらな様相を呈したこともあり、私どもではそれらについて、仔細に検討してまいりました。以下ではその内容について、ご紹介します。

  1. 1「短観」の正式名称は「全国企業短期経済観測調査」といい、全国の企業動向を的確に把握し、金融政策の適切な運営に資することを目的として、業況等の現状・先行きに関する判断(判断項目)や、事業計画に関する実績・予測(計数項目)など、企業活動全般に関する調査項目について、日本銀行が全国の調査先企業に協力していただき、四半期ごとに実施する統計調査(ビジネス・サーベイ)です。海外でも"TANKAN"の名称で広く知られています。

米国経済のソフトランディング・シナリオの蓋然性

 第一に、米国経済のソフトランディング・シナリオの蓋然性についてです。米国経済は、昨年末にかけて、これまでの金利引き上げの効果等から減速感をやや強めました。住宅販売や着工が落ち込み、住宅価格の調整も思いのほか進みました2。これに伴い、逆資産効果を通じた個人消費への悪影響が懸念され、FRB(米連邦準備理事会)のFOMC(米連邦公開市場委員会)メンバーが想定するソフトランディング・シナリオに対する懐疑的な見方が強まりました。この間、11月の米国供給管理協会(ISM)の製造業景況指数が、2003年4月以来3年7か月振りに50を割り込んだことも3、市場では材料視され、FRBの高官がインフレリスクへの警鐘を鳴らし続けていたにも拘わらず、逆にFRBが早晩利下げに追い込まれるとの見方が広がりました。米国景気の大幅な減速は、米国向け輸出のみならず、IT関連財を通じた東アジア向け輸出の下振れや、米国株価の下落や本邦企業の海外収益の減少などを通じた悪影響等も懸念されるため、標準シナリオの蓋然性にも影響を及ぼしかねません。こうしたことから、米国景気のソフトランディング・シナリオの蓋然性を確認する上で、クリスマス商戦の帰趨に注目していました。蓋を開けてみれば、12月の消費者信頼感指数が市場予想を上回る改善を示したほか4、小売売上高も前年を上回って推移したことから5、まずまずの結果であったと評価しています。このほか、住宅着工や中古住宅販売に持ち直しの兆しが窺われているほか、雇用統計も年末にかけて伸びを高めました6。ISM製造業景況指数も12月は反発しています7。このように、所得の増加や原油価格の低下効果が消費を下支えするもとで、住宅市場の調整が個人消費の急激な落ち込みをもたらすリスクは小さくなっており、ソフトランディング・シナリオの蓋然性が再び高まったとみています。市場でも、FRBが早期に利下げに踏み切るとの見方は、かなり後退しています。

 ただし、住宅価格の調整はまだ終息したわけではありません。中古一戸建て価格指数(OFHEO指数)は伸びが鈍化しているとは言え、依然として歴史的に高い水準にあります。今後とも、住宅価格が低迷し、個人消費を腰折れさせるようなことが起きないか、慎重にモニターしていく必要があります。また一方で、仮に米国の景気が望ましいほどには減速しない場合、逆にインフレ圧力が増大するというリスクが高まります。これに対してFRBの対応が遅れれば、その後の住宅価格の調整をより大きなものとし、景気のスウィングを拡大させてしまうことにもつながりかねません。FRBの高官が、実質成長率が鈍化している中にあっても、執拗にインフレリスクを警戒する発言を繰り返してきたのは、こうした意識が背景にあるからです。私どもとしましても、米国景気がソフトランディングする可能性が高まったからといって、気を緩めることなく、逆にインフレ圧力増大も念頭におきながら、情勢の把握・判断に努めてまいります。

  1. 2連邦住宅貸付機関監督局(Office of Federal Housing Enterprise Oversight)が発表している中古一戸建て価格指数(OFHEO指数)の前年比は、2006年第1四半期+12.9%、第2四半期+10.3%、第3四半期+7.7%と、上昇幅が縮小していますが、まだ底打ち感はでていません。
  2. 3Institute for Supply Managementが、製造業約350社に対して実施している月次アンケート調査です。生産、新規受注、入荷遅延比率、在庫、雇用の各項目について、前月と比較して「良い」、「変わらず」、「悪い」の3択で回答し、50を上回ると景気拡大、50を割り込むと景気後退を示唆しています。米国の景気動向を示す指標として、市場の注目度は高いものがあります。
  3. 4コンファレンスボードの消費者信頼感指数は、10月105.1、11月105.3の後、12月は109.0と市場予想を上回る改善を示しました。
  4. 5小売売上高の前年比は、10月+4.4%、11月+4.9%、12月+3.6%と、堅調に推移しました。
  5. 6米労働省の雇用統計をみますと、非農業部門雇用者数は、10月+79千人、11月+154千人、12月+167千人(速報値)と、市場予想を上回る増加幅となりました。
  6. 7ISM製造業景況指数は、10月51.2、11月49.5の後、12月51.4と反発しています。

個人消費関連指標の下振れ

 二つ目は、わが国の個人消費についてです。昨年7~9月のGDPベースの実質民間最終消費支出は、前期比-0.9%と、消費税引き上げ直後以来の下げ幅となりました。この背景として、天候不順や携帯電話やパソコンの新製品投入前の買い控えの動き(図表11)に加えて、実質民間最終消費支出を推計する際の基礎統計である家計調査の下振れが大きく寄与したとも言われています(図表12)。

 まず、天候不順の影響については、昨夏の平均気温が平年比低めに推移したため、気温の影響を受けやすい衣料品や電気・ガス代等への支出が抑えられた可能性が高いと考えられます。また、携帯電話の販売は、ナンバーポータビリティが導入された10月以降、新機種投入とともに増加に転じましたが、9月までは買い控えが発生し低迷を余儀なくされました。さらにパソコンについても、新型OS発売を1月に控え、低調な販売状況が続きました。この他、たばこが、昨年7月の増税の影響から大きく減少したことも響いています。なお、家計調査については、報告者負担の重さもあって、サンプルが限られているとか、高齢者に偏っているといった統計上の制約も指摘されています8

 このような特殊要因によって、7~9月の実質民間最終消費支出は、一時的に実勢より弱めに出た可能性は否定できません。実際、大型テレビやデジタル家電が好調な販売を続ける中で、新型ゲーム機や新型携帯電話等の売れ行きはその後伸びているほか、家計調査(消費水準指数)は7~9月に前期比-3.1%と落ち込んだ後、10~11月は7~9月対比+3.6%と大きくリバウンドしており、2006年夏場以降を均してみれば、緩やかな増加基調を辿っているとの評価が可能です。支店長会議での地方の個人消費判断もそれを裏付けていると思います9

  1. 8因みに、家計調査の持つ問題点を克服する目的で、2000年、当時の経済企画庁が総理府統計局との共同で検討を実施し、新たに作成を開始した家計消費状況調査によれば、支出総額の前年比は、4~6月+1.0%、7~9月+1.2%と、安定的に増加しています。
  2. 9「地域経済報告(さくらレポート)」でも、昨年7月から今年1月までの消費に対する評価は、概ね横這い圏内の判断を継続しています。

賃金の伸び悩み

 しかし、そもそもなぜ個人消費の伸びが緩やかなものに止まっているのでしょうか。それには、企業収益が好調で、かつ労働需給もタイト化しつつあるにも拘わらず、賃金が伸び悩んでいることが影響していると思われます。三つ目のポイントとして、この賃金の伸び悩みの背景について検討してみます。

 2002年初から始まった今回の景気拡大は、1965年以降57か月続いたいざなぎ景気を、期間では上回りました。それにも拘わらず「実感がわかない」とよく言われるのは、企業収益が好調であるにも拘わらず、賃金の上昇として跳ね返ってこないことに原因があるようです。その背景については、様々な議論がなされています。例えば、団塊の世代の退職に備えて給与レベルの相対的に低い若年層の雇用が増えている、或いは相対的に賃金水準の低い業種で雇用が増えている等の理由により、平均賃金が計算上上昇しないとの議論があります。確かにそうした面がないわけではありません。しかし、単にそうした見かけ上の理由だけであれば、人々の実感にはさほど影響しないでしょう。やはり企業の人件費抑制スタンスが、なぜ景気拡大が続く今でも維持されているのかが重要です。以下ではその背景をグローバル化に焦点をあてて実態をみておきたいと思います。

 短観で製造業の業況判断D.I.を業種別にみますと(図表13(1))、海外需給判断D.I.が「需要超過」である業種ほど、「良い」超幅が拡大していることがわかります。また、上場企業の決算におきましても、売上高や収益に対する海外セグメントの寄与が、近年急速に高まっている姿を確認することができます(図表13(2))。このように、今回の景気拡大は、堅調な海外景気を背景とする輸出を起点としたものであり、それが企業収益を押し上げることによって設備投資の活発化を促し、緩やかながらも着実な景気の拡大に繋がってきたと整理することができます。それと同時に、外国人持株比率が高まり、資本の面からもグローバル化が一段と進んだのも、今回の景気拡大における大きな特徴点です(図表14(1))。

 こうした輸出主導型の景気拡大に対しては、為替や海外経済のもつ不確実性を背景に、企業はその持続性に対して慎重にみる傾向が強いのも事実です。また、外国人投資家の持株比率が高まることによって、収益性の維持・向上がこれまで以上に意識され、企業が固定費的な色彩の強い所定内給与の引き上げや正規雇用の拡大に二の足を踏んでいるとの指摘も聞かれます。実際、業績が好調な業種では、確かに現金給与総額全体を増加させてはいますが、その中身をみますと、ボーナスによる一時金の支給というかたちで労働者に還元しているのが実態です(図表15(1))。また、労働生産性に見合った実質賃金との乖離を表した実質賃金ギャップを、業種別にみると(図表14(2))、外国人持株比率の高い業種ほど、実質賃金ギャップのマイナス幅が大きい、すなわち、労働生産性と比較して低い賃金しか支払っていないことを示唆しています。

 言うまでもなく、海外からの低価格品の流入という形でグローバルな競争が激化しているケースも少なくありません。繊維、木材・木製品、食料品といった業種がその典型で、国内市場における輸入品のプレゼンスの高まりを受けて、国内企業の業況回復が遅れており、他の好調業種とのコントラストが鮮明化しています。もちろん、こうした厳しい競争環境も、企業が人件費抑制スタンスをなかなか緩めない要因となっています。

 この間、労働者サイドでも、1998年の金融危機以降、リストラ圧力のもとで雇用確保を最優先課題として取り組んできたこともあり、経営者側に対しそれほど強い賃上げ圧力をかけてきませんでした。その結果、組合の賃上げ要求アップ率と、妥結率の乖離幅は急速に縮小し、最近では、ほぼゼロとなっています(図表15(2))10

  1. 10 ロンドン大学LSEフェローのロナルド・ドーアは、「働くということ」(中公新書、2005年)という著書の中で、「賃金所得のばらつきは、先進工業国のどこでも同様の現象がみられる持続的な傾向であり、(1)労働組合の力の低下、(2)技術の変化によって起こる技能の差、(3)低賃金開発途上国の参入による競争の激化、の3点が背景にある」と指摘しています。

IT在庫調整の深度

 四つ目は、標準シナリオの蓋然性を評価する上で個人消費と並び重要なポイントとなるIT調整圧力の深度です。IT調整がいつごろ、どの程度の深さでもって終息するのかを測るには、足もとの状況をしっかり評価する必要があります。鉱工業生産指数をみますと、電子部品・デバイスを巡る在庫出荷バランスが足もと悪化しています(図表16(1))。これは、先程も述べましたが、ナンバーポータビリティ導入に併せた新機種投入や新型OSの導入を控えた携帯電話やパソコンの買い控えに加え、一部新型ゲーム機の生産計画の遅れ等が背景にあるようです。このように、今回の電子部品・デバイスの在庫出荷バランスの悪化が、国内の、しかもある特定の財を起点にしたものであるという点で、2001年のITバブル崩壊、2004年夏の踊り場局面とは大きく事情が異なります。それら過去の二局面では、グローバルな調整圧力のもとでIT分野全般に出荷が大きく減少しましたが、今回は、世界半導体出荷が安定的な伸びを続けるなど、グローバル市場は良好な環境にあります(図表16(2))。このため、電子部品・デバイスの輸出は増加基調を持続しているほか、電気機器や情報通信機器の最終製品の国内販売は、総じて堅調に推移しており、単月の動きとしては、在庫出荷バランスの悪化に歯止めがかかりつつあります。今後、世界経済が変調を来たさない限り、そう遠くないうちにIT在庫の調整は進捗するとみています。

 ただし、電子部品・デバイスを巡る在庫出荷バランスの悪化が、生産の拡大と同時に起きていたことや、生産能力指数が上昇していることを踏まえますと、万が一企業が先行きの需要を読み違えていた場合の在庫調整リスクが、相当程度高まっているのは事実です。今後、デジタル家電、ゲーム機、携帯電話等の出荷が、堅調に推移していくか、きめ細かくチェックしていく必要がありそうです。

(2)日本経済の先行き

 以上の考察を踏まえたうえで、先般、昨年10月の「経済・物価情勢の展望」(いわゆる「展望レポート」)で示した「経済・物価情勢の見通し」に対しての中間評価11を実施しました。その結果、足もとは天候不順等の一時的な下押し要因もあって、個人消費を中心に幾分下振れているものの、先行きにつきましては、堅調な海外経済と緩和的な金融環境のもとで、生産・所得・支出の循環メカニズムが引き続き機能し、今後も緩やかな拡大を続けていくという、これまでの判断を維持しました。

 まず、輸出につきましては、海外経済が拡大を続けるもとで(前掲図表3)増加基調を辿ると見込まれます。米国経済は、2006年中に潜在成長率を下回るレベルまで低下した実質成長率が、ソフトランディング・シナリオの蓋然性が強まるもとで、2007年中には再び潜在成長率近傍のペースにまで回復していくとみています。また、東アジア経済につきましても、中国経済が高成長を続けているほか、NIEs・ASEAN諸国も米国景気の下振れから輸出は鈍化していますが、旺盛な内需に支えられ、総じてみれば緩やかな景気拡大が続くと思われます。

 個人消費につきましては、10~12月が7~9月の反動から一時的に伸びが高まりますが、2007年度にかけましては、基本的に、雇用者所得の増加テンポに合わせた緩やかな拡大傾向を辿ると考えています。すなわち、高いスキルが求められる職種では雇用のミスマッチによって賃金の上昇が目立っているようですが、総じてみれば、先ほど指摘しましたように、グローバル化の一層の進展を背景に、企業が収益性を重視した人件費抑制スタンスを維持する可能性が高いことから、賃金の上昇圧力が全体として急速に高まる可能性はかなり低いと思っています。雇用者所得の増加は、主として雇用者数の増加を中心とする緩やかなものに止まるとみられ、個人消費はそれと歩調を合わせて、身の丈にあった拡大を続けると考えています。

 一方、企業を取り巻く環境は、堅調な海外経済と原油価格の落ち着きを背景とする交易条件の改善等から、2007年度にかけても、良好な状態が続くことが想定されます。したがって、先程述べましたように、賃金を通じた家計部門への波及がなかなか進まない状況下、当面は、企業部門が主導するかたちでの緩やかな景気拡大が続く可能性が高いとみています(図表17)。

 最後に物価についてです。足もとでは、原油価格の調整を受けて物価指数は小幅な伸びを続けています。目先、原油価格が一段下押しすれば、一時的に伸び率がマイナスを付ける可能性もあります。しかし、世界経済が今後も拡大を続けるという想定のもとでは、このまま原油価格が下落を続けるとは考え難いと思いますし、相対価格の変化が一般物価に与える影響は一時的であるとの見方もできます。すなわち、原油価格の下方調整は、産出国から消費国への所得のトランスファーをもたらし、企業収益の増加や可処分所得の実質的な増加につながるため、実体経済にはプラスの効果が発揮されます。こうした点を勘案しますと、原油価格の下落を背景とする物価指数の調整は、中長期的にみれば必ずしもネガティブに捉える必要はないと思います。むしろ個人消費を下支え、マクロの需給環境を引き締める方向に作用するかもしれません。短観の需給判断D.I.や販売価格判断D.I.が順調にマイナス幅を縮小させてきていることや、設備・雇用判断D.I.が不足超幅を拡大させつつあること等を踏まえますと、今回の景気拡大に伴う需給の引き締まりが、着実に物価を押し上げる方向に作用し続けているのは確かであり、原油価格の調整に目処が立てば、再び上昇基調に戻ると思っています。

  1. 11日本銀行は、毎年4月と10月の年2回、金融政策決定会合の決定を経て、「経済・物価情勢の展望」(いわゆる「展望レポート」)において、日本銀行の経済・物価情勢に対する見通しを公表しています。さらに、そこで示した標準的な見通しについて、上振れまたは下振れが生じていないか、3か月後(1・7月)の金融政策決定会合で中間評価を行い、「金融経済月報」の「基本的見解」の中で公表することとなっています。また、「経済・物価情勢の展望」では、政策委員による実質GDP、国内企業物価指数、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の見通しを参考計表として掲載しています。こうした見通しの公表は、金融政策の透明性向上という観点から、日本銀行の金融政策運営に対する考え方や、経済・物価情勢についての見方を、よりわかりやすく伝える取組みの一環として行っているものです。

3.フォワードルッキングな金融政策と説明責任

 以上、紹介してまいりました「経済・物価情勢の見通し」に対する中間評価に基づき、1月の金融政策決定会合では、次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針を現状維持とすることが、賛成多数で決定されました。報道にもありますように、日本経済の先行きにつきましては、「見通し」に概ね沿って推移する可能性が高いとの認識で意見の一致がみられた一方、金融政策については意見が分かれたことになります。その意見の分かれ目になりましたのは、各委員の「見通し」に対する確信度合いということになりますが、こうした一見するとややわかり辛い結果が、金融政策運営に対する市場の見方を複雑化している面は否めません。そこで以下では、現在、日本銀行が採用しているフォワードルッキングな金融政策の解説を兼ねて、私なりの考え方を出来る限り噛み砕いて説明してみたいと思います。

(1)フォワードルッキングな政策の重要性

 金融政策の効果が実体経済や物価に波及していくプロセスは、経済構造などによって異なり得ますが、必ずある程度のタイムラグを伴います。したがって、金融政策は、十分長い先行きの経済・物価の動向を予測しながら、つまり、フォワード・ルッキングな観点から、運営することが必要となります。日本銀行では、量的緩和解除の際に「新たな金融政策運営の枠組み」として、このようなフォワード・ルッキングな枠組みを公表し、現在、そのもとで金融政策を実施しています。

 フォワードルッキングな政策のもつメリットは非常に大きいといえます。このような政策によって、政策を変更しなければ生じたであろう問題の芽を早めに刈り取ることができれば、そして中央銀行の政策を国民が信認していれば、国民の将来に対する期待も安定化しますので、金融政策の有効性が高まり、それは持続的な成長の実現に資することにもなります。OECDは加盟国の過去40年の景気循環について、一般的に景気循環の振幅が小さくなってきたと分析し、その一因として金融政策や財政政策が中期的な視点をより重要視するようになっていることをあげています12

 経済財政諮問会議で議論されている新中期計画(「日本経済の進路と戦略」)では、「適時適切な金融政策」という項目において、「再びデフレに戻ることのないよう、民間需要主導の持続的な成長と両立する安定的な物価上昇率を定着させる必要がある」とあります。日本銀行にとって、金融政策が目指すところは、物価安定のもとでの持続的な経済成長を実現させること(日銀法上は、「物価安定を図ることを通じて国民の健全な発展に資すること」)であり、そのためには、企業や家計が安心して経済活動を営んでいけるよう、フォワードルッキングな金融政策のもとで、経済や物価変動の振幅を出来るだけ小さくしていくことが重要です13

 フォワードルッキングな政策運営を行うには、経済・物価の先行きについて的確な見通しがなければなりません。そのためには、金融政策のベースとなる日本経済の先行き見通しを、現在得られる情報をすべて駆使して、確度の高いものに作り上げ、皆様からの信頼が得られるよう努力する必要があります。

 ただ、現実には、経済データのノイズや構造変化の見極めの難しさなどによって、私どもが示した経済・物価見通しに、不確実な要素が含まれていることは否めません。したがって、われわれのその見通しが、現時点で想定され得る最も蓋然性の高いシナリオであったとしても、それだけに依存して金融政策を行うわけにはいかないのです。それが上振れたり下振れたりするリスクを無視することはできませんし、それらが生じる確率の高さと、それらが顕現化したときの経済に与えるコストなどを考慮に入れて、望ましい政策パスを選択する必要があります14。「新たな金融政策運営の枠組み」はそのような考え方に沿ったものとなっています。今後、市場との対話力を高めるためにも、ここで改めて「新たな金融政策運営の枠組み」について、整理しておきたいと思います。

  1. 12"Ongoing Changes in the Business Cycle-Evidence and Causes,"Thomas Dalsgaard, Jorgen Elmeskov and Cyn-Young Park, ECONOMICS DEPARTMENT WORKING PAPERS NO.315,OECD,2002. を参照のこと。
  2. 13 政府と日本銀行は物価安定のもとでの持続的成長という意味では、共通の政策目標を持っていることになります。2006年12月14日と26日の経済財政諮問会議における福井総裁の発言をご参照ください。
  3. 14Alan Greenspan, "Reflections on central banking," at a symposium sponsored by the Federal Reserve Bank of Kansas City, Jackson Hole, Wyoming, August 26, 2005.をご参照ください。

(2)「新たな金融政策運営の枠組み」の再確認

 日本銀行では、以前から、4月と10月の年2回、経済・物価情勢の展望(いわゆる「展望レポート」)において、経済物価情勢の最も蓋然性の高い見通し(「標準シナリオ」)を示すとともに、その上振れ・下振れリスクに言及してきました。昨年3月に導入した新たな枠組みでは、「物価の安定」について基本的な考え方を明確化したうえで、それを念頭におき、標準シナリオを二つの「柱」により点検することとしました。さらに、その点検を踏まえたうえで当面の金融政策運営の考え方を整理し、その内容を展望レポートで公表することとしました。

 もう少し詳しく言いますと、4月と10月の展望レポートでは、標準シナリオを示すとともに、「中長期的な物価安定の理解」(現時点では消費者物価の前年比で0~2%程度)を念頭に、第1の「柱」で、「標準シナリオが物価安定のもとでの持続的な経済成長の経路を辿っているか」、との観点から点検します。さらに、第2の「柱」で、より長期的な視点をふまえつつ、物価安定のもとでの持続的な成長を実現するという観点から、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクを点検しています15

 昨年10月の展望レポートでは、標準シナリオを点検して第1の「柱」で「わが国経済は、物価安定のもとでの持続的な成長を実現していく可能性が高い」と評価するとともに、第2の「柱」では、金融政策面からの刺激効果が一段と強まり、中長期的にみると、経済活動や物価の振幅が大きくなるリスクがある、ということと、景気拡大や物価の上昇が足踏みするような局面も考えられるが、物価下落と景気悪化の悪循環に転化するリスクは小さい、と指摘しました16。この二つの「柱」による点検を踏まえ、先行きの政策運営方針については、「極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持しながら、経済物価情勢の変化に応じて、徐々に金利水準の調整を行うことになると考えられる」としました。このように、われわれの先行きの政策運営に関する情報発信は、二つの「柱」に基づく点検結果とセットになっています。なお、毎回の決定会合では前回決定会合以降に出てきた指標を中心に経済物価情勢の現状と先行きについて点検していますが、常に展望レポートのシナリオを意識しながらみています。

 現在の標準シナリオは、政策金利について市場に織り込まれたと見られる市場参加者の予想を参考にしつつ作成されています。現在は利上げが織り込まれていますので、それを前提に標準シナリオはつくられています。したがって、現実の経済物価情勢が標準シナリオに沿ったものであれば、おのずと市場の平均的な見方と大きく乖離することなく利上げに行き着くことになります。決定会合で政策の変更を検討する際には、その時点での経済物価情勢が標準シナリオに沿った動きであると判断されるかどうかという観点も大事ですが、それだけでなく、上振れ・下振れリスクとの関係で、その標準シナリオの実現性に対する確信度合いも重要になります。

 私自身、1月の決定会合に向けて、その確信度合いを高めてきました。米国景気については先ほど述べましたように、強めの指標を確認することにより、米国経済のソフトランディング・シナリオの蓋然性が高まったとみています。国内の個人消費については、もともと緩やかな雇用者所得の伸びに見合った形を想定しており、それほど強い姿を想定しているわけではありませんが、雇用者所得が緩やかに増加している状況に特に変化はみられていませんでしたので、夏場の落ち込みは一時的な振れ、かつ統計上の歪みと捉えていました。ここへきてそのような考え方で基本的に問題ないとの確信をより高めています。物価については、原油価格の下振れによって足もと下振れていますが、それは一時的な要因とみられ、かつ経済活動にはむしろプラスに働くと考えられます。私にとって関心あるのは物価の先行き基調です。GDP統計の改訂で、物価の基調を決める要因である需給ギャップとユニットレーバーコストの動きを点検しましたが、物価の基調判断に変更を迫るものではありませんでした。これらだけでなく、この間公表された様々な指標も、いつものごとく丹念に点検したことは言うまでもありません。なお、10月の展望レポートの第2の「柱」にあるように、「仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く継続するという期待が定着するような場合には、金融行動・投資活動などを通じて、中長期的に、経済活動の振幅が大きくなり、ひいては物価上昇率も大きく変動するリスク」は気がかりです。

  1. 15新たな金融政策の枠組みについて詳しく説明した講演として、福井総裁の昨年3月16日の講演をご参照ください。
  2. 16第2の「柱」はより正確には、「企業の収益率が高水準となり、物価もプラス基調で推移している状況下、金融政策面からの刺激効果は一段と強まる可能性がある。例えば、仮に低金利が経済・物価情勢と離れて長く継続するという期待が定着するような場合には、金融行動・投資活動などを通じて、中長期的にみて、経済活動の振幅が大きくなり、ひいては物価上昇率も大きく変動するリスクは意識する必要がある。一方、下振れのケースとしては、景気拡大や物価の上昇が足踏みするような局面も考えられる。ただし、金融システムの安定が回復し、設備、雇用、債務の過剰が解消されてきていることから、それが物価下落と景気悪化の悪循環に転化するリスクは小さいと考えられる」、としています。

(3)足もとの指標と金融政策の考え方

 12月の決定会合で現状維持の理由として、福井総裁の記者会見で足もとの消費や物価の弱さへの言及があったことが注目されました。もちろん、我々は毎日新たに出てくる様々な指標の数値をみながら、それをベースとして経済物価情勢の中期的なトレンドに変更が必要かどうかを点検していますので、その意味では、フォワードルッキングといっても、足もとの指標を全く無視していることにはなりません。

 とはいえ、何か特定の指数をとりあげてその値を重点的に予想に組み込んでいくということではありません。数値は振れますし、多くの経済指標においては、確定値になるまで数次に亘り過去のデータが遡及改訂されるという技術的な問題もあるからです。政策決定にとって重要な予測を一つの指標のそのときの値に依存させすぎますと、結果的には、意図とは異なる政策運営を行ってしまう可能性も否定できません。

 ダラス連銀のフィッシャー総裁は、実際に指数改訂によって政策判断が違ってしまったケースを例示しています。すなわち、「FOMCでは、2002年の終わりから03年の初めにかけて、コアPCEがコンフォートゾーンの下限である1%を割りそうになったため、金融緩和を実施し、金利水準を低く維持する約束を行ったが、後になってコアPCEが0.5%上方修正されたため、結果的に緩和しすぎとなってしまった」と指摘しています。このケースでは、不十分なデータがもたらした金融政策が、住宅やその他の市場で投機的な行為を増幅させたと述べています17

 後の利上げ開始の時期についても同じような問題が指摘できます。図表18は、FRBが物価として重視しているコアPCEが時間とともに改訂される様子を、月報からまとめたものです。これが改訂の全てを表している保証はありませんが、この図からは、かなりの頻度でデータの修正が行われていることがわかります。例えば、2004年6月末にFRBが利上げを開始したとき、四半期ベースでは公表されていたのは第1四半期までで、それは1.2%でしたが、数次に亘る改訂の後、最終的には1.8%となりました。第2四半期の数字は、最初は1.5%でしたが、最終的には2.1%となっています。つまり、改めて振り返ってみますと、連続利上げを開始した時点におけるコアPCEは、現在の確定値では、既にコンフォートゾーンの上限といわれている2%を超えていたことになります。このように、ひとつの指標に依存した形でフォワードルッキングな政策を行うのは、非常に難しいことがわかります。

 私どもといたしましては、今後も、フォワードルッキングに、かつ総合判断によって、これまでどおり新たな金融政策運営の枠組みに則って政策運営を行っていく所存です。この際、足もとの指標の振れが一時的だと判断される場合には、それが政策変更の材料として重要視されることはないでしょう。また、標準シナリオに沿って経済・物価情勢が展開していると判断された場合であっても、その確信度合い(蓋然性の程度)が重要な判断材料とされることもあり得るということを、指摘しておきたいと思います。その確信度合いがあまり高くない場合には、経済指標の分析等をより深めることによって、経済・物価情勢が標準シナリオに沿って展開しているとの確信を高めていくことが、政策変更につながっていくということになります。

 将来の見方についてかなり幅があるような不確実性が高いもとでは、出てきた強弱まだらな指標からトレンドを見極めるのに、丹念な分析が必要であり、時間も要します。また、昨年12月のGDP統計の確報値など大きな改訂が行われたときには、先行きの見方を変更する必要があるかどうかしっかりと点検する必要があります。だからといって、確認にあまりに時間をかけすぎると利上げが遅くなりすぎ、その後利上げのスピードをあげなければならなくなるリスクがあります。その結果、経済活動に大きな振れをもたらし、長い目で見た物価の安定が損なわれることにもなりかねません。したがって、私は先行きのシナリオにある程度の確信がもてるのであれば、躊躇なく政策の変更を検討すべきだと思っています。

  1. 17Richard W. Fisher, "Confessions of a Data Dependent," Remarks before the New York Association for Business Economics, New York, November 2, 2006.をご参照ください。

(4)市場との対話

 昨年7月に金利のある世界に復帰して以降、これまで政策金利は据え置かれてきましたが、前回そして今回と、決定会合の都度、利上げ実施を巡る報道が盛んに行われました。そしてその内容等によって、短期金融市場における利上げの織り込み具合が大きく変動するということも経験しました。結果的には両会合とも現状維持が採択されましたが、市場との対話の難しさを今さらながら思い知らされました。

 約10年前、グリーンスパン前FRB議長が「民主的な社会における中央銀行の挑戦」というタイトルの講演で18、次のようなことを述べています。

金融政策は効果が出るまでに時間がかかるので、金融政策はフォワードルッキングである(先を見越す)べきです。目に見えるようになるまでかなりの期間を要するかもしれない不均衡に対して、先んじて行動をとらなければなりません。そのためには予測に基づいて行動するしかありませんが、これは、政策変更が必要だということが一般国民に明らかになる前に、行動しなければならないということを意味します。金融政策の使命達成には国民の支持が必須ですが、このことを国民に伝えるのが難しいことがしばしばあります。

 先ほど述べましたように、フォワードルッキングな政策とは、政策に先行き経済がどのように反応するかを見極めながら行う政策であって、軸足は過去や現在よりも将来予測の方にあります。金融政策は直接的に需要を作り出すのではなく、金利機能を通じて効果を発揮させるわけですから、実体経済に影響がでるのに時間がかかります。したがって先を見越しながら政策を行うことは当然だといえます。現在、日本銀行が苦労しているのもまさに、フォワードルッキングな政策のもとでの市場との対話の難しさにあると思います。マネーサプライのようなシンプルな指標が金融緩和度合いを表し、またその動きが経済物価の動きに対して先行指標となり、かつ両者に安定的な関係があるのであれば、国民との対話はそれを通してより簡潔にできるでしょう。しかし、今日ではその関係が安定的ではなくなっているため19、そのようなシンプルな指標で国民と対話をすることは難しくなっています。金融政策はフォワードルッキングに行うのが一般的になってきていますので、対話のむずかしさはどこの中央銀行も抱えている頭の痛い問題です。

 どのような政策の枠組みを採用しても政策運営において裁量的な部分がかなりありますので、政策の予測がしやすいように各国は様々な工夫をしています。政策変更を示唆する言葉を議事要旨や記者会見で出すことによって、政策変更を予測しやすくしようと試みている国もあります(図表19)20。私どもにとっても記者会見や議事要旨は重要な情報発信手段ですが、それを使って政策変更時期を直接示唆するような方法はとっておりません。先ほど説明いたしました「新たな金融政策運営の枠組み」のもとで、金融政策についての基本的な考え方や経済・物価情勢全般についての対話から、市場の自律的な予想形成を促しながら、一緒に利上げ時期を見出していくという戦略を採用しています。金利の世界に戻ってからまだ時間が経っておらず、またこの新たな枠組みについての理解が十分浸透していないもとで、ある程度利上げの織り込み度合いが振れるのは致し方ない面もありますが、今後、日本銀行、市場、マスコミが学習を重ねることで、政策先行き予測の乱高下は次第に回避できるようになると期待しています。そのためには、私どもとしましても、情報発信力を高める努力を続けてまいりたいと思います。

 説明責任を果たすこと、また政府と十分意思疎通を行うことは、日銀法に明確に定められている基本的視点ですので、この観点からも出来る限りの努力を続けていきたいと思います。

 なお、一般の国民との対話は、市場との対話に比べてより親しみやすい言葉で行う必要があります。結局のところ、「物価が安定している」とか「景気がよい」という実感を持ってもらうことが、もっともわかりやすい対話の方法ということになるのでしょう。しかし、人口減少社会を迎え、かつてのように高い成長率が期待しにくくなっている中で、そうした実感を多くの国民の皆様にもってもらうのは、容易なことではありません。金融政策について、わかりやすく説いていく、その努力は勿論厭いません。それと同時に、長い目でみて、物価が安定し、息の長い景気拡大が続いているということを結果で示していくことによって、政策判断への国民の皆様からの信認がより高まり、説得力を確保できるものと信じています。

  1. 18Alan Greenspan, "The Challenge of Central Banking in a Democratic Society," Remarks by Chairman Alan Greenspan at The Annual Dinner and Francis Boyer Lecture of The American Enterprise Institute for Public Policy Research, Washington, D.C., December 5, 1996.をご参照ください。
     また、Ben S. Bernanke, "The Logic of Monetary Policy," before the National Economists Club, Washington, D.C., December 2, 2004.でも、予測をベースにした政策に軸足をおいた政策運営が重要であるが、そのもとでは先行きの政策対応が市場参加者にはわかりにくいので、対話政策が一段と重要になると強調しています。なお、連邦準備理事会(FRB)メンバーや地区連銀総裁のスピーチについてはそれぞれのホームページをご覧下さい。
  2. 19FRBで金融政策上マネーサプライが重視されなくなったことについて、歴史的な観点から解説したものとして、Ben S. Bernanke, "Monetary Aggregates and Monetary Policy at the Federal Reserve: A Historical Perspective," at the Fourth ECB Central Banking Conference, Frankfurt, Germany, November 10, 2006.があります。
  3. 20FRBでは、連続利上げのシグナルとされたのが「メジャードペース」という言葉でした。また、ECBでは、トリシェ総裁の「ストロングビジュランス」という発言が、次回会合での利上げを示唆するものとみなされてきました。

4.おわりに

 最後に、当地で金融経済懇談会を開催するに当たりまして、事前の勉強等を通じて、いくつか感じたことをお話したいと思います。

 佐賀県経済の現状をみますと、緩やかな拡大傾向にあります。すなわち、公共投資が僅かながら前年を上回って推移する中、好調な企業収益に支えられ設備投資も引き続き増加しています。また、雇用環境が引き締まりの傾向を続けるもとで、個人消費も緩やかな回復傾向を辿っています。夏場の長雨や暖冬の影響で、衣料品の動きは鈍いままですが、大型テレビやデジタル家電等の好調に支えられ、全体としてはまずまずの水準を維持しています。また、こうした需要を背景として、生産も底堅く推移しています。

 ここで、佐賀県経済の状況を、もう少し長い目で振り返ってみたいと思います。先程、賃金の動向を述べた際に、今回の景気拡大が、輸出を起点としたものであり、業種によって景況感にバラツキがあることを説明しました。こうしたバラツキは、産業の集積地を通じて地域ごとの景況感の差としても現れます。図表20(1)は、地域別の鉱工業生産指数を中長期的にプロットしたものですが、これをみますと、やはり自動車産業が集積し、好業績をあげている中部地方の生産水準が高く、それ以外の地域とのバラツキが、2005年にかけて大きくなっているのが確認できます。それでは、この図の中で、佐賀県はどこに位置するのでしょうか。実は、2005年の佐賀県の鉱工業生産指数は125.7、つまり、中部地方よりもさらに上方に位置します。このように、企業の生産活動という側面にたってみれば、佐賀県は、積極的な企業誘致等によって経済の活性化に成功している地域であるとの前向きな評価が可能です。

 問題は、それが、生産・所得・支出のメカニズムを通じて、経済全体の7割を占める非製造業にまで波及しているかどうかという点です。国勢調査によりますと、わが国の人口は、2005年に減少に転じ、生産年齢人口(15~64歳)は、高齢化が進むとともに、明確な減少トレンドを辿ることが予想されています。因みに、過去5年における人口増減を縦軸に、65歳以上の比率を横軸にとり、47都道府県のデータをプロットしてみますと(図表20(2))、人口の流出が大きい地域ほど高齢化も進んでいるという、比較的明確な相関関係が認められます。佐賀県も例外ではありません。人口の流出といった場合、都市部への流出(社会減)も含まれますが、佐賀の場合、やはりなんといっても福岡への流出でしょう。このように通勤圏内に魅力的な大都市を控えているというのは、地場の小売業やサービス業にとっては、大変厳しい競争環境に晒されていると言えます。しかし、そうした地の利があるからこそ、大手製造業が進出してくるのでしょうし、逆に都市部から顧客を呼び込むことができれば、大きなビジネスチャンスにもなります。実際、福岡から佐賀への流入人口も多いのが実情です。構造変化に対応するには、発想の転換が必要です。その発想の転換を実業に結びつける起業家精神と、環境整備が必要です。

 江戸時代、佐賀を通る長崎街道が、当時大変貴重だった砂糖を運ぶための要道であったことから(「シュガーロード」とも呼ばれたそうです)、佐賀に独自の菓子文化が育まれ、今でも羊羹の消費量はダントツの日本一だそうです。日本初の工学博士である佐賀出身の志田林三郎は、およそ120年前の明治21年、第1回電気学会で、「電気自動記録」「光利用通信」といった今でいうDVDやインターネットの原型となるエレクトロニクス技術を予測していたといいます。また大隈重信や、日本銀行の本店や東京駅を設計した辰野金吾も佐賀出身だそうです。こうした多彩な先人のDNAを引き継ぐ皆様の豊かな発想とチャレンジ精神で、佐賀県経済がますます発展されますことを願って止みません。

 私の話はこのくらいにしまして挨拶とさせていただき、皆様方との意見交換に移らせていただきたいと存じます。ご清聴いただきまして、まことにありがとうございました。

以上