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「最近の経済金融情勢と今後の注目点」----国際資金フローの動向を踏まえて----
企業年金連絡協議会における水野審議委員講演(11月7日)要旨
2007年11月14日
日本銀行
目次
本日は、企業年金連絡協議会において講演の機会を与えていただき、大変光栄に思います。
本日の講演では、まず、わが国の経済・物価情勢の現状判断と見通しについて、ポイントを絞ってコメントします。その後、市場参加者も政策当局も大きな関心をもって議論している「サブプライム問題」の様々なポイントについて、私なりの判断をお示ししたいと思います。そこから、なぜ私が米国サブプライム住宅ローン問題に端を発した今回の「金融市場の混乱」を、現時点でリスク要因の一つに過ぎず、日本経済の見通しを変更する必要がないと考えているか、ご理解を賜れば幸いです。最後に、「試練を受けるファンド資本主義」と題して、(1)「サブプライム問題」の発生後、レバレッジド・バイアウト(LBO)案件の資金調達が困難となり、今後暫くM&A活動が停滞する可能性、(2)そうは言っても、年金資金や政府系ファンドを含めた様々な資金の存在と緩和的な金融環境によって「グローバルな過剰流動性」という大きな構図に変化は生じていないこと、について説明したいと思います。
1.経済・物価情勢の現状判断と見通し
2003年度~2006年度までの4年間、わが国経済は、財政緊縮によるマイナス効果をこなしつつ、実質GDP成長率でみて年率2.0%程度の拡大を続けています。この背景には、企業部門が好調な世界経済の恩恵を受けていることがあります。
足許までに、GDP統計を除き、7~9月期の主要な経済指標が公表されました。全体的な評価としては、わが国経済は、「生産・所得・支出」の好循環のメカニズムに支えられ、引き続き『展望レポート』の見通しに沿って展開していると言えます。以下で、幾つかの経済指標について若干詳しくコメントしたいと思います。
(1)貿易統計
実質輸出をみると、米国向けは昨年10~12月期から悪化を続けてきましたが、アジア向け、EU向け等がそれを補い、全体では増加基調を続けています。7~9月期の実質輸出は、季調済前期比+6.0%と4~6月期の同-0.4%の反動もあり、非常に高い伸びとなりました。実質輸入も同+1.8%とまずまずの伸びとなりました。実質貿易収支は同+15.8%となりました。この結果、7~9月期実質GDPの外需寄与度は同+0.5%ポイント程度とかなり大きな数字になりそうです。
(2)鉱工業生産
7~9月期の鉱工業生産は季調済前期比+2.2%と高めの伸びとなりました。7~9月期の生産を業種別にみると、電子部品・デバイス(同+8.4%)、情報通信機械(同+6.3%)、輸送機械(同+4.2%)、電気機械(同+3.1%)が高い伸びをみせました。
製造工業の予測指数は10月が季調済前月比+3.8%、11月が同-0.7%となりました。これをベースに試算すると、10~12月期の生産も増勢が持続することが見込まれます。生産は4~6月期(季調済前期比+0.2%)を底にモメンタムを増しつつあるとみられます。
電子部品・デバイスの出荷在庫バランスは改善を続けており、IT関連財の在庫調整はほぼ一巡したと言えます。米国では、ハイテク企業の好決算を受けてナスダック総合指数が上昇し、東アジア諸国のIT関連財の生産動向は堅調です。このため、今回の「展望レポート」では、「IT関連財の需給動向」をリスク要因の大きな項目から外し、あくまでも海外経済が予想以上に減速した場合のリスク要因との位置付けに変更しました。
なお、生産統計から、改正建築基準法施行による住宅着工件数の激減の影響で、金属や窯業・土木が生産調整を余儀なくされている様子が確認できます。
(3)個人消費動向
小売業販売額、家計調査等から7~9月期の個人消費をみると、天候要因による統計の振れはありますが、「底堅く」推移しているという現状判断が適切とみています。
8月の猛暑、9月の記録的な残暑は、家計の実質消費支出を事前予想以上に押し上げました。総務省の家計調査によれば、8月の猛暑による実質消費支出の増加に寄与した品目の前年同月比寄与度の合計は+0.68%ポイントとなりました。具体的には、電気冷蔵庫が前年同月比+79.0%、エアコンが同+45.0%とどちらの寄与度も+0.17%ポイントと大きなものとなりました。
一方、9月の残暑は、食料・飲料、電気代・上下水道料、家具・家事用品などがプラス寄与する一方、秋物衣料などがマイナス寄与しました。寄与度の合計をみると、増加が+0.50%、減少が-0.22%と、ネットでは家計の実質消費支出を+0.28%ポイント押し上げる方向に寄与しました。
もっとも、8月の猛暑・9月の残暑は、7月の冷夏など悪天候の影響を相殺するには不十分でした。7~9月期の実質消費支出は季調済前期比-0.9%とマイナスとなりました。
7~9月期の個人消費については、(1)家電販売(実質)が季調済前期比+4.3%、前年同期比+13.1%となったほか、(2)新車投入効果もあって乗用車新車登録台数(除く軽)が季調済前期比+3.1%と昨年1~3月期以来のプラスに転じた等、明るいニュースもありました。家計調査の実質消費支出も前年同期比では+1.5%と1~3月期の同+0.6%、4~6月期の同+0.6%を上回っており、「個人消費は底堅く推移している。」という日本銀行の判断を変える必要はないと思います。
(4)消費者物価指数
9月の全国消費者物価指数(除く生鮮食品)は前年同月比-0.1%となり、8ヶ月連続で前年を下回りました。ただ、夏場の需要期を過ぎても原油価格の上昇傾向が持続しています。そのため、石油製品価格の上昇は今後消費者物価指数(除く生鮮食品)の押し上げ要因となりそうです。
「展望レポート」では、物価の見通しについて、(1)マクロ的な需給ギャップの引き締まり、(2)賃金上昇圧力の高まりに伴うユニット・レーバー・コストの下げ止まり、(3)国民のインフレ期待の上昇、を背景に緩やかに上昇していくとのロジックを展開しています。もっとも、この論理展開はまだハード・データで十分に確認できていません。すなわち、個人消費に力強さがなく、改正建築基準法施行等により住宅投資が下振れしている中、今年度は実質2%成長に到達するか微妙です。需給ギャップが需要超過方向で推移するにしても極めて限界的なものと思われます。また、国民が感じているインフレ感は、石油製品や食料品の価格の上昇を映じたものとみられます。
また、物価に関しては、(1)このところの素原材料価格の上昇にもかかわらず、個人消費の回復力に力強さがないため、仕入れ価格上昇を販売価格に転嫁できず、中小企業を中心に収益を圧迫し、賃金が弱めの動きとなっていること、(2)国民が物価上昇を肌で感じ始めており、生活実感と消費者物価統計とのずれが拡大していること、(3)全国にチェーン展開する小売業種では地域別価格制度を導入し始めていること、といった論点も存在します。
次回の「展望レポート」に向けては、物価情勢の背後にあるメカニズムを検証しつつ、ハード・データ等を丹念にフォローしていく必要があると考えています。
(5)中小企業の景況感の弱さ
金融市場では、中小企業の経済活動の弱さについて関心が高まっています。もっとも、都市部と地方、大企業と中小企業という「景況感の格差」は何も最近になって強まったわけではありません。
足もと中小企業の景況感が悪化している要因をみると、グローバル化と財政再建が同時進行し、中小企業が直面する需要の拡大が相対的に緩慢になっているほか、原材料価格が高騰している中で販売価格への転嫁が進まないことが大きいと考えられます。このほか、個人的には、(1)(多重債務者救済)を目的とした「改正貸金業規制法」の施行、(2)(信用保証協会と金融機関とが適切な責任分担を図り、両者が連携して中小企業者に対する適切な支援等を行うことを目的とした)「責任共有制度」の導入、(3)「改正建設基準法」の施行、などといった制度変更要因も少なからず影響しているようにも思います。
2.「サブプライム問題」に関する論点整理
ここでは、サブプライム住宅ローン問題及びこれに端を発した「金融市場の混乱」について考えてみたいと思います。
昨年5月の「金融市場の混乱」は、一般的に、『グローバル・リスク・リダクション』と言われています。一方、今回の「金融市場の混乱」は、米国のサブプライム住宅ローンの焦げ付き問題というよりも、『クレジット・バブルの崩壊』『過剰なレバレッジの解消に伴う混乱』という色彩が強いと理解しています。
サブプライム住宅ローン問題が発生した背景を私なりに考えてみると、(ア)何年にもわたって世界的な高成長・低インフレが続き、緩和的な金融環境が維持されたこと、(イ)そのようなマクロ環境の下で、投資資金が「利回り追求」の度を強め、証券化などの金融技術の発展と相まって、クレジット投資におけるリスク評価が甘めになっていたこと、(ウ)クレジット市場が“untested”な市場であったこと、(エ)証券化商品の値付けに精通したトレーダーが不足していたこと、を指摘できます。
以下、「サブプライム問題」に関する11のポイントについて私の考えを示したいと思います。
(1)サブプライム住宅ローン問題が米国以外の金融市場に波及した背景
本来、米国固有の出来事だったはずのサブプライム住宅ローン問題が、グローバルな問題になってしまったのは何故でしょうか。その鍵は、(ア)“originate & distribute型”の金融ビジネス・モデルの台頭と証券化等の金融技術の発達、(イ)証券化商品に対する「疑心暗鬼の伝播」、にあると思います。
ここ数年、世界の金融取引をみると、世界的に低金利が続く下で、資金運用機関等は、世界中により良い運用機会を求めていきました。この間、世界経済は、2004年以降、前年比5%前後という高い成長を続けたため、世界の株式市場やクレジット市場ではブル・マーケットが続きました。こうした中で、金融面でもクロス・ボーダーの取引が増加し、金融機関のビジネス・モデルは“originate & distribute型”が潮流となっていました。
“originate & distribute型”のビジネス・モデルでは、「金融機関の世界的なネットワークの下で、資金を必要とする主体(企業、個人等)と資金運用を求める主体(ファンド、機関投資家等)とを結び付け、これらの間でリスクとリターンの効率的な分配を実現」していきます。また、こうした効率的なリスク・リターンの分配の実現を図る中で、ストラクチャード・プロダクト、レバレッジド・ローン、クレジット・デリバティブズ等といった金融技術が発達しました。このように金融のグローバル化が進む中で、債務者に関するリスクが借り手の所在する国の金融機関だけでなく、世界中に拡がり、広く薄く分散されるようになりました。
住宅ローンを提供するのは金融機関ですが、“originate & distribute”型を指向している金融機関は、自分の資産として住宅ローンを満期まで保有するのではなく、一定量の住宅ローンをひとまとめとしこれを裏づけとした有価証券を発行します。その際、多くの場合は、キャッシュフローを受け取る権利に優先順位をつけ、投資家のニーズに合った証券化商品として組成します。そして、これを自国以外の世界中の投資家にも販売しています。いまや、米国における住宅取得資金は、米国の金融機関だけではなく、米国内外の年金や生命保険会社といった機関投資家や、海外の金融機関等が提供するとともに、住宅ローンのもつリスクも世界中に分散されているということになりました。
こうした中、昨年の後半あたりからサブプライム住宅ローンの延滞率・差し押さえ発生率が目にみえて上昇し始めました。また、一部地域では、住宅価格も下落に転じ、住宅ローンの担保価値も下がり始めました。これを受け、金融機関のうちサブプライム専業業者の破綻が続きました。次に、信用力が高くないサブプライム住宅ローン等を原資産とした証券化商品、また、そのような証券化商品を組み込んだCDOなど複雑な仕組み債の価格も下落し始めました。さらに、証券化商品のモデル価格(理論価格)や格付に対する不信感が、証券化商品の価格下落を増幅するという悪循環に陥りました。
(2)「リスクの再集中化」の発生
証券化商品のリスクの再評価が進む中で、証券化商品の組成等に関わった欧米の主要金融機関に「リスクの再集中化」が発生しています。そのひとつが「パイプライン・リスク」の顕現化であり、もうひとつが流動性補完、信用補完に伴うリスクの顕現化です。
“originate & distribute”型の金融ビジネス・モデルの下では、市場が機能している限り、証券化やクレジット・デリバティブズ等を通じたリスクの移転は非常に効果の高いものでした。もっとも、ひとたび市場が機能しなくなると、“originate”してから“distribute”するまでの“つなぎ”として抱え込んだ資産のリスク(「パイプラインリスク」)が思いがけず表面化することになりました。こうして、金融機関が証券化を前提に組成・購入した住宅ローンやLBOファインナンスのブリッジローンがバランスシートに抱え込まれることになりました。
近年、証券化商品の組成に当たっては、「投資ビークル」1を利用するケースが目立っており、特に、欧米の大手銀行は、銀行の連結対象外として、証券化商品等に投資する「投資ビークル」を活用してきました。「投資ビークル」は、証券化商品の原資産を蓄積する間の「つなぎ」として利用されるほか、短期のCPやABCPを発行して資金を調達し、中長期の期待運用利回りが高いABSなど証券化商品に投資することで、長短金利の利鞘を享受することに利用されています。この「投資ビークル」におけるリスク移転の仕組みとして、大手銀行は主に流動性補完枠を設定しています。
こうした中で、ABCPプログラムの格付変更が相次ぎ、これを受けマネー・マーケット・ファンド2等ABCPの投資家が購入を一斉に見合わせたため、ABCPのロールオーバーが困難になりました。この結果、銀行は流動性補完枠の引出し等を要請され、結果として自らのバランスシートを拡大させることになりました。さらに、ABCPの投資家はサブプライム住宅ローンが関わっている証券化商品だけでなく、サブプライム住宅ローンの関与がゼロか極めて少額である「投資ビークル(主にABCPコンデユイット)」であってもABCPのロールオーバーを見送る傾向を強めました。このため、大手銀行等のバランスシートは一段と膨らみました。欧米の大手銀行等は過去数年間、証券化商品を組成・販売してクレジット・リスクを外出ししていましたが、現在はその証券化商品がバランスシートに計上されるプロセスにあるため、「リスクの再集中化」が進行していると言えます。7月末~8月にかけての米国大手銀行の資産増加幅の大きさは極めて異例です。
実際、10月に入っても、CP市場は機能しているものの、ABCP市場はロールオーバーがスムーズに行かず、引き続き縮小しています。いくつかの「投資ビークル」は、事実上の親会社といえる大手銀行等から資本注入や流動性補完を受けています。しかし、仮に大手銀行等が資本注入や流動性補完を行う意思や余裕がない場合、「投資ビークル」は保有資産の売却を迫られ、それが証券化商品のさらなる価格下落を招くといった悪循環に陥った可能性もあります。
欧米大手銀行は新たに取得した資産をファイナンスするため、ターム物の流動性を確保する必要が生じています。また、銀行は、レバレッジの解消により安値で清算された、あるいは、今後清算される資産を購入するための手元流動性を保持しようとしています。欧米大手銀行は、欧米の短期金融市場においてO/Nや期間1週間以内の資金供給には応じています。すなわち、ターム物金利の上昇は、短期金融市場参加者がカウンターパーティリスクを強く意識しているというよりも、大手銀行がターム物の資金放出に消極的になり、ターム物取引が成立していない面が大きいと思います。こうした中にあっても、FRBとECBの潤沢な資金供給、BOEによる預金準備残高要件の緩和など、当局の対応によって、資金決済は回っています。
また、FRBが9月18日に利下げに踏み切った以降、住宅市場は予想以上に悪化している割には、金融市場の状況は改善しつつあります。オーバーナイト金利のボラティリティーは低下し、CPの発行残高も回復しつつあります。ABCP市場についても裏付け資産のクレジット・リスクに応じて選別する動きがみえ始めています。Libor金利に上乗せられているリスク・プレミアムについては徐々に縮小しつつあります。もっとも、欧米ともに短期金融市場におけるターム物取引は正常化には程遠い状況です。欧米の大手銀行が年超え資金の調達にメドがたつまで、ターム物取引の流動性の回復は見込みがたいと思われます。
さて、現在、苦境に陥っている「投資ビークル」を救済するため、米国の大手金融機関を中心に、M-LEC(Master-Liquidity Enhancement Conduit)という基金を創設すると言われています。詳細が明らかにされていないため、断定的なコメントは差し控えしたいと思います。ただ、この新基金のスキームが成果をあげるための条件はいかにして買い取る証券化商品の“適切な”価格を見出すかということにかかっているように思います。それができれば、(1)M-LECはABCPなどによって短期金融市場で円滑に資金調達ができる、(2)流動性は低いものの信用度の高い証券化商品のリプライシングに貢献できる、(3)(2)を通じ証券化商品の価格発見プロセスが進展し、欧米の大手銀行が「サブプライム問題」の発生に伴う損失を早期に処理するきっかけとなる、ことが期待されます。
- 1「投資ビークル」は、大きく分けて、(1)ABCPのみを発行するABCPコンデユイット、中長期債とABCPを組み合わせた資金調達を行うSIV(ストラクチャード・インベストメント・ビークル)、(3)SIV-lite、の3種類があります。SIVとSIV-liteの大きな違いは、前者の発行体は永続性を持つことが想定されている一方、後者では発行体の存続に期限がある点です。
- 2ABCPは広く考えれば証券化商品の一種ですが、短期商品であり、かつ、銀行等による手厚い流動性補完、信用補完が付されています。そのため、その主な投資家はマネー・マーケット・ファンド(MMF)となっています。この点は、中長期の信用リスクを取ることのできる機関投資家、金融機関、ファンドなどが中心的な投資家である中長期の証券化商品とは異なります。
(3)欧米大手銀行の決算
9月中旬以降、第3四半期(6~8月期あるいは7~9月期)の欧米大手金融機関の決算が順次公表されています。最近公表された米国の大手銀行の決算は、「サブプライム問題」とそれに起因するクレジット市場の変動の影響を強く受ける厳しいものになりました。大手商業銀行5行の7~9月期の決算は、5行合計ベースの純利益が前年同期比-27%となりました。5行に共通する特徴は、(1)CDOをはじめとするモーゲージ関連金融商品の損失、(2)LBOファイナンスにかかわる損失、(3)個人向けローンでの引当金の積み増し、(4)クレジット・トレーディング収益の減少、が多く発生していることです。5行のうち3行の自己資本比率が低下しました。この他、シティはサブプライム関連の投資で最大110億ドルの評価損を追加計上する可能性があるとも発表しました。
金融市場では、米大手商業銀行5行の決算は、住宅部門への直接的なエクスポージャーを持つ金融機関への影響が予想以上に大きいとの印象を受けたようで、「サブプライム問題」による欧米大手銀行の業績低迷が長期化するとの見方が強まり、金融株は全般的に冴えない展開となっています。
この間、欧州系大手銀行の7~9月期決算では、資産運用部門や国内消費者向け銀行業務の好調さによって、投資銀行部門の収益悪化を補っており、米国大手銀行の決算に比べてネガティブ・サプライズは総じて少ないようです。
クレジット市場の変動を受けた欧米大手銀行への悪影響は、以下のようにまとめることができます。
短期的には、(1)自らが保有する証券化商品やLBOローン等の価格下落に伴う損失処理または評価損計上による収益の下押し圧力、(2)LBOローン等の増加に伴う資金調達コストの上昇圧力、(3)リスク資産増加による自己資本比率の下押し圧力、というルートが想定されます。
一方、長期的には、(1)M&A停滞に伴うアドバイザリー手数料収入やLBOローン関連収益の減少、(2)ストラクチャード・ファイナンス関連収益の減少、(3)前向きな企業活動の停滞や景気の減速が企業金融全体に与える悪影響、というルートが想定されます。
これまでに公表された欧米主要金融機関の第3四半期決算とサブプライム関連のディスクロージャーに鑑みれば、主要金融機関はそれなりに踏み込んだ損失処理または引当を行ったとみられます。もっとも、流動性が乏しいストラクチャード・プロダクトの時価の把握は困難であり、その後もクレジット関連の市況は軟調に推移しているため、第3四半期決算等によって「サブプライム問題」の全貌が明らかになるわけではありません。したがって、楽観視はできませんが、ただ、欧米の大手金融機関は、できる限り早く損失を処理しようという前向きな姿勢に傾いていることはポジティブに評価できます。また、資金調達コストについては、マネーマーケットが落ち着いてきているので、金利面でこれ以上の大幅な負担増につながる可能性は高くないと思います。それから、自己資本比率ですが、第3四半期決算時点ではシティやワコビアがTIERI比率で7%台まで低下しましたが、自己資本比率でみればシティは10.7%、ワコビアは11.0%と8%を上回っています。
長期的な面では、米国の景気が減速し、企業買収等が一時的に停滞することを考えると、当面は難しい局面が続くかもしれません。ただ、欧米の主要金融機関は、今やアジアを中心に新興成長国など先進国以外でのビジネスを拡大しています。欧米の主要金融機関は根本的な収益力が高いうえ、足もと資産・事業部門の売却や不採算業務からの撤退が進んでいる──また、状況によってはクロス・ボーダーの金融再編もありえる──こと等に鑑みれば、ある程度時間を要してもクレジット市場の混乱による業績悪化を乗り切ることができるとみています。
(4)国際金融資本市場の見通し
「サブプライム問題」発生後、欧米の中央銀行は、潤沢な流動性を供給したり、適格担保や預金準備残高の要件等を見直すことで、流動性クランチを発生させない努力を行っています。
また、前述のとおり、欧米の大手金融機関は、潜在的な損失額に対して引当金を計上すると同時に、ディスクロージャーにも以前よりも前向きな姿勢をみせています。最終的な損失額が自己資本対比決して大きくないことが判明すれば、短期金融市場は多少落ち着きを取り戻しターム物金利が低下するきっかけになると思われます。
この間、米国の金融資本市場をみると、10月入り後、IPOが件数・金額ともに増加に転じたほか、投資適格の社債発行が金額ベースで8月以降3ヶ月連続の増加をみており、ハイ・イールド社債の発行も足もと目立っています。
一般論として、米国の景気減速が当面続く見通しのなか、low-qualityのクレジット商品(格下げ懸念が高いCDO、流動性が低いLBOローン等)・ジャンクボンドは投資家から敬遠される一方、格付が高い社債・high-qualityなクレジット商品(優良債権を担保としたABS、格付けが安定的なRMBS等)の購入に対して投資家は前向きになると思います。
加えて、「サブプライム問題」の発生後、優良債権を担保とした証券化商品は割安に放置されています。欧米主要金融機関の決算やディスクロージャーで「サブプライム問題」の影響が浸透してくれば「疑心暗鬼の伝播」が収まり、クレジット市場の機能が回復し、投資家の中に、クレジット商品の購入に前向きな動きが出てくることは自然だと思います。
(5)米国の住宅市場の見通し
最近の「サブプライム問題」に関する論調をみると、住宅ローン債権等を担保にした証券化商品の調整、ABCP市場などクレジット市場の機能低下に関する議論が目立ちます。一方、実体経済的な観点からの議論、例えば、米国の住宅バブルの発生・発展・崩壊のプロセス、住宅投資の先行き見通しに関する議論が不足しているように思えます。また、住宅ローン債権等を裏付けとした証券化商品の価格は、住宅ローンの借り手の返済能力、金利負担、担保としての住宅価格等に依存しています。証券化商品の裏付けとなっている資産である住宅ローン債権の価格が安定しないと、証券化商品の価格下落に歯止めがかかりません。今後の住宅価格の動向や金利情勢等にも目を向ける必要があると思います。
米国の住宅ブームは、ここ数年、バブルの様相をみせ、2006年初め頃に崩壊に転じ、その結果として、住宅関連市場は悪化しました。最近の米国住宅関連指標をみると、9月の中古住宅の在庫/販売月数は10.5ヶ月(8月は9.6ヶ月)と、1999年の本統計の公表以降、ここ半年ほど最高水準を更新しています。9月の新築住宅販売戸数は前月比+4.8%とプラスになったものの、基調としてみれば減少が続いています。実際、9月の新築住宅の在庫/販売月数は8.3ヶ月と引き続き高水準にあるほか、販売平均価格も前月比-2.8%となっています。
住宅投資ブームが発生していたと考えれば、ストック調整が必要なことは確かであり、現在生じている在庫調整は当然のことと言えます。また、住宅価格が需要を喚起する水準にまで下落する必要もあります。その意味で、住宅価格が硬直的になるのではなく柔軟に変動しているということは、自律的な調整に向けて良いシグナルとみることもできます。
(6)「サブプライム問題」が米国経済に与えるインパクトと世界経済の見通し
今回の「サブプライム問題」が米国経済に影響を及ぼすと考えられるルートは、主に以下の5つが想定されます。
- (ア)住宅金融の融資基準の厳格化に伴う住宅投資減速を通じたルート。
- (イ)金融資本市場の機能低下に伴う企業金融の逼迫を通じたルート。
- (ウ)消費者や企業のコンフィデンスの悪化を通じたルート。
- (エ)金融機関の収益悪化を通じたルート。
- (オ)金利低下を受けた米ドル相場(実効為替レート)の下落を通じたルート。
これらに関する現状評価は次のとおりです。
(ア)前述のとおり、住宅投資は、行き過ぎた投資の調整過程にあるとみられ、住宅金融の融資基準が厳格化されることにより住宅需要も減退するため、向こう数四半期にわたって米国の経済活動を圧迫するとみられています。ただし、米国のGDPに占める住宅投資のウエイトはせいぜい5%程度(2006年)です。したがって、米国の経済活動を圧迫するとは言っても、GDPに与えるそのインパクトは決して大きなものにならないと考えています。
(イ)、(ウ)については、一部のクレジット市場の機能は低下していますが、財務体質の健全な企業の資金調達に問題は生じていません。むしろ、高格付の社債を発行する企業のクレジット・スプレッドは若干縮小に向かいつつあります。企業部門は、世界経済の高成長もあって、堅調に推移しています。また、家計部門も企業部門の好調持続を映じ、雇用・所得環境がしっかりとしています。実際、米国経済は驚くほど堅調に推移しています。米国の7~9月期実質GDP(速報値)は前期比年率+3.9%(4~6月期は同+3.8%)と市場予想を上回りました。内訳をみると、住宅投資は同-20.1%(同-11.8%)と大幅に落ち込みましたが、個人消費は同+3.0%(同+1.4%)、設備投資は同+7.9%(同+11.0%)、純輸出の寄与度は+0.9%ポイント(同+1.3%ポイント)となっています。その後公表された9月の貿易赤字額は市場予想を大きく下回ると同時に、8月分も下方修正されました。在庫統計と建設支出の数字を考慮すると、7~9月期の実質GDPは速報値の前期比年率+3.9%から+5%程度まで上方修正される可能性が出てきました。また、今のところ住宅投資の冷え込みが個人消費を大きく押し下げていることを示唆するハード・データはありません。こうした中で、企業部門、家計部門のマインドは幾分低下しているものの、決して底割れしていくような印象はありません。
(エ)現時点でディスクローズされている情報に基づけば、米系金融機関はそれなりに踏み込んで「サブプライム問題」の処理を進めているとみられます。ただ、その後もクレジット関連の市況は悪化を続けており、市場では金融機関の追加損失への懸念が根強いのも確かです。したがって、楽観視はできませんが、大手金融機関の自己資本の充実や収益力の高さ、リストラの断行等に照らすと、ある程度時間は要するとみられますが、「サブプライム問題」を克服していくように思います。
(オ)実効為替レートでみたドル相場下落は、現時点では、米国の輸出増加を通じてグローバル・インバランスの改善に寄与しています。ドル安が米国景気を下支えしている点も過小評価されているように思います。ただし、金融市場ではドル相場急落リスクを懸念する声もあります。仮に米国とユーロ圏の金利差が逆転するようなことがあれば、米国への長期資本流入が減少し、米国の経常収支赤字のファイナンスに問題が生じるリスクがあることには注意が必要です。
この間、世界経済をみると、BRICs諸国や中東産油国等が高い経済成長率を続けているほか、東アジア経済も年度初めの見通しに比べて上振れしており、全体としてみれば拡大を続けています。こうした中で、個人的には、ユーロ圏経済の下振れリスクについて警戒しています。この理由は、ユーロ高進行、ターム物金利の高止まり、金融機関の貸出態度の厳格化などユーロ圏の金融環境が引き締め気味であると同時に、一部の国で「住宅ブーム」の反動で住宅市場の調整が深まるリスクがあるためです。
以上をまとめると、今回の「サブプライム問題」については、米国が(1)住宅投資の調整から減速するものの、(2)米系主要金融機関の高い収益力によって「サブプライム問題」に伴う損失を処理し、金融システムや企業金融に影響を及ぼすことが乏しいとみられます。今のところ、米国経済は、企業部門、家計部門が堅調に推移し、「ソフトランディング」あるいは「マドルスルー(muddle through)」のどちらかの蓋然性が高いと判断されます。
こうした中で、(1)世界経済は、新興成長国や中東などが極めて好調であり、(2)その下で先進国の企業部門も好循環を続けていく、とみられます。したがって、「疑心暗鬼の伝播」が解消し今起こっている流動性の問題が解決に向かえば、国際金融資本市場におけるリプライシングのプロセスも進んでいくと思います。
(7)「サブプライム問題」の日本の経済金融への影響
「サブプライム問題」の日本経済への影響としては、(1)輸出を通じたルートが最も心配されますが、世界経済が全体として好調を持続する下で、こうした心配は今のところ大きくないとみています。また、その他のルートとして考えられる(2)株安・円高進行に伴うマインド面の悪化、(3)為替スワップ市場を介したわが国の短期金融市場におけるターム物金利上昇、についても、今のところ目立った悪影響は確認できません。企業金融は、財務体質等が良好な先を中心に、長期金利低下を受けて社債の発行を前倒しするなど、むしろ緩和的な金融環境を享受しているように思います。
金融面への影響についても、わが国の金融機関はサブプライム住宅ローン関連を含めクレジット商品への投資が自己資本対比限られていました。このため、一部で損失処理を行う金融機関もみられますが、基本的には影響は限定的で、金融システムを揺るがすようなものではありません。したがって、金融市場も欧米に比べ落ち着いています。こうした中、「サブプライム問題」の発生後も、わが国ではクレジット関連商品への投資に消極的な金融機関が多いようです。しかし、現在の「金融市場の混乱」は、クレジット関連商品にかかるノウハウを蓄積する好機とも考えられます。大半の邦銀は、“originate & hold”という伝統的なビジネス・モデルを採用していますが、リスク管理体制を整えつつ、リスク・リターンを高める機会を探ってみることも検討に値すると思います。
(8)国際商品市況や新興成長国の株価の上昇が示唆するもの
ごく足許の状況をみると、国際商品市況が上昇を続けているほか、新興成長国の株式相場も堅調です。世界経済は、米国等が減速する中で、新興成長国などがそれをカバーし、前年比5%程度の成長を続けるというのがメイン・シナリオですから、資源価格や新興成長国の株式市場が上昇傾向を辿っても不思議はありません。もっとも、欧米の金融資本市場は、行き過ぎた投資を見直し、甘すぎたリスク評価を修正する途上にあります。また、今回の「サブプライム問題」の実体経済への影響もリスク要因であることに変わりはありません。その意味で、国際商品市況や新興成長国の株価が上昇していることが示唆しているものを考えておくことも重要だと考えています。
世界全体の資金の動きをみると、なお過剰流動性は存在していると思われます。すなわち、先進国の年金資金、発展途上国や資源国の外貨準備、政府系ファンド(ソブリン・ウェルス・ファンド)、それらの受け皿としてのヘッジファンド、プライベート・エクイティー・ファンドなどの存在は不変です。長い目でみれば、資金の流れは、経済ファンダメンタルズと整合性がとれたものになるはずですが、こうした過剰流動性が行き過ぎを生じさせている可能性も否定できないと思っています。
金融市場では、「サブプライム問題」を受けて世界経済は減速に向かうという見通しが有力ですが、原油や食料品など国際商品市況の高騰は好調な新興成長国の経済が主要国の景気減速を十分に相殺する可能性を示唆しています。個人的には、米国の住宅不況が雇用・個人消費を大きく下押ししていることを示すハード・データが増えるまで、世界経済の先行きについて過度に悲観的になる必要はないと思います。また、米国は世界最大の経常収支赤字国であり、米国の内需減速は「世界的不均衡」を是正する上で望ましいという指摘もあります。
(9)資産価格変動に対する中央銀行の役割
中央銀行の第一の責務は「物価の安定」ですが、「資産価格の変動は、中央銀行の所掌外」というほど、簡単なことではありません。中央銀行が物価の安定を最も重視している背景には、家計部門・企業部門等、経済主体が物価の変動に煩わされることなく、消費や投資など経済活動にかかわる意思決定を行うことができる状況が重要との考え方があります。資産価格の動向も、企業や家計のマインド、バランスシートの変化等を通じて、その経済行動に影響を及ぼす可能性があるため、頭のどこかにしっかりと置きながら、全体としてバランスのとれた政策判断をしていく必要があります。
資産バブルについての対応は、(1)資産バブル発生の予防を意識した金融政策運営が望ましい、(2)資産バブルの発生は容易に発見できないため、資産バブル崩壊後に景気下振れや金融システム不安を回避するため、思い切った金融緩和措置を採用することが望ましい、という2つの考え方に大別されます。このどちらの対応が適切であるかは、ケース・バイ・ケースだと思います。ただ、金利が低く、低下余地が十分確保されていない国では、(2)のような対応を採用しにくいため、資産バブル発生の予防を意識した金融政策運営が望ましいと思います。
長い目でみて、金融市場を再び安定させるためには、(1)世界的な過剰流動性を徐々に小さくしていくことと、(2)クレジット商品の適正なリプライシングが行われることと思っています。前者については、世界の中央銀行がそれぞれの国の経済金融のファンダメンタルズをみながら一歩一歩進めているとみています。また、後者については、今回の「金融市場の混乱」を通じ、投資家がフェアバリューを探るリプライシングの動きが続いています。
(10)中央銀行による証券化市場のモニタリング・監督体制
8月のいわゆるパリバ・ショック、9月のノーザン・ロックの預金引き出し騒動を含め、中央銀行の対応が後手に回ったとの批判があります。冒頭にも述べましたが、今回の「金融市場の混乱」は、米国のサブプライム住宅ローンの焦げ付き問題というよりも、『クレジット・バブルの崩壊』、『過剰なレバレッジの解消に伴う混乱』という色彩が強いと思います。6月の米大手証券のベア・スターンズ傘下のヘッジファンドの経営難——まさに何倍ものレバレッジをかけてクレジット商品に投資していた戦略が行き詰まった事例です——は、その端緒となった象徴的な出来事でした。その後、証券化商品、クレジット商品のリスクに対する認識が大きく見直される中で、市場ではなかなか買い手が現れず、値段のつかない状況となりました。8月のドイツ中堅銀行のIKB産業銀行のサブプライム関連の巨額損失、あるいは、BNPパリバ傘下の3つのファンドの取引凍結は、まさにクレジット市場が機能不全に陥った中で生じたものです。また、米国だけでなく、欧州でも証券化商品の発行が難しくなったことで、証券化による資金調達に依存していた英ノーザン・ロックが資金繰り難に陥りました。9月のノーザン・ロックの預金引出し騒動は、クレジット市場の機能不全から派生した問題です。
上記のようなクレジット・イベントに関して、「中央銀行の対応が後手に回ったのではないか」という批判があることは承知しています。確かに、(1)証券化市場は、“untested”な市場であり、リスクが薄く広く分散する性格上、問題の所在と影響の広がりについて情報が不足していること、(2)証券化に当たり、資産のサイドは長期にわたる一方で、負債サイドは短期のうえ、過剰なレバレッジをかけていたこと、(3)今回の調整が、サブプライム住宅ローン市場に固有の問題というよりも、クレジット市場全般、しかもグローバルに金融市場が動揺したこと、(4)短期金融市場において、ターム物取引がほとんど成立しない流動性クランチの様相をみせたことなど、欧米を中心に中央銀行にとって若干サプライズな展開をみせた面は否定できません。
ただ、イギリスについては、中央銀行に銀行監督権限がないため、中央銀行の対応の遅れを批判するのは酷かもしれません。イギリスでは、1997年に当時のブラウン蔵相(現在の首相)の就任と同時に、中央銀行であるイングランド銀行が金融政策の独立性の付与と引き換えに、銀行監督権限はFSA(金融サービス機構)に移管されました。それ以降、財務省、イングランド銀行、FSAの3つの機関が協力して、イギリスの金融システムの安定に努める「覚書」が締結されました。今回はその改革以降で初めての試練を受けたわけですが、金融市場では、「イギリスの3金融当局による覚書は明らかに機能しておらず、今後見直しが必要である。」という声が少なくありません。
わが国の場合、バブル崩壊後の不良債権問題の対応についての経験が役立っていると思います。日本銀行の場合、考査契約を結んだ民間金融機関には一定の頻度で考査に入ったり、オフサイト・モニタリングにより金融機関経営について意見交換する機会があります。金融システム全般については銀行監督権限をもつ金融庁との意見交換も頻繁に行っています。
マクロの金融システム政策を中心に、今回の「サブプライム問題」は中央銀行に幾つかの教訓を与えています。
第一に、金融市場の実態を把握していくには、伝統的な銀行——預金を取り扱う金融機関——だけでなく、投資銀行、ヘッジファンド、機関投資家等、多様なプレーヤーの動きをモニターしていくことが益々重要になっている、ということです。世界の中央銀行は、近年、(1)証券化市場の急拡大、(2)資金の調達・運用手段等の多様化、(3)クレジット・デリバティブズを活用したリスクヘッジ手段の発達、(4)運用のグローバル化、が進む中でそのことを常に意識してきました。しかし、今回の混乱は、その必要性を改めて認識させる出来事だったと思います。「広義の金融システム」に由来するリスク、具体的には経済主体が保有する金融資産・負債の毀損や資金仲介機能の低下等を通じ経済が不安定化するリスクなどをしっかりと把握していく必要があるということだと思います。こうした前提を踏まえ、中央銀行は、広義の金融システムの保持に向け、新しいモニタリング体制等を構築していくことが必要と考えています。
次に、中央銀行は、金融市場調節等によって、流動性リスクや信用不安を軽減して流動性クランチやソルベンシー危機の発生回避に努めるべきです。ただ、各資産価格のリプライシングは、自己責任原則に基づき、市場参加者の努力に委ねる姿勢が重要です。仮にそれが相当な痛みを伴うプロセスであるとしても、金融システム危機に陥るリスクがない限り、中央銀行がリプライシングのプロセスに介入すべきでないと思います。現在のように、グローバルに投資マネーが潤沢にあるときにはなおさらです。
さらに、金融機関を含めた投資家のクレジット・リスク回避姿勢が強まり過ぎないか、について注意する必要があります。最終的にクレジット商品との裁定取引が発生するにしても、目先投資家のクレジット・リスク回避の姿勢が強まり過ぎると、国債等リスク・フリー資産への過度な資金流入などが生じるリスクを否定できません。
今回の「サブプライム問題」に当たっては、金融技術の発展によって「クロス・ボーダーの金融取引」が活発化していたため、欧州の金融機関の損失も膨らみ、そのドル資金の調達コストが上昇するという状況に直面しました。主要国の中央銀行は、ハイレベルでの会合のみならず、金融市場調節担当者レベルでも定期的に連絡をとりあっていますが、有事の際は、情報交換の頻度をあげる必要があると思います。また、各国金融当局と民間金融機関が定期的に忌憚のない意見交換ができる環境を作ることも重要です。
(11)投資ファンド、証券化、格付に対する批判
今回の「サブプライム問題」について、内外のメディアでは、投資ファンド(ヘッジファンドやプライベート・エクイティー・ファンド)、証券化と並んで、格付会社に対する批判が高まりました。しかし、「投資ファンド」、「金融イノベーション」、「格付会社」の存在や役割を否定することは筋違いだと思います。
証券化は、リスクを幅広く分散する金融技術です。今回の金融市場における混乱は、投資ファンドが台頭したことや、証券化という金融技術が普及したことが問題であったわけではなく、市場参加者のリスク評価が甘い方向に流れ、その後、市場の自律的機能による巻き戻しが生じたものと判断されます。過去数年にわたり、世界経済や金融環境が投資家にとってあまりにも恵まれた状況にあったため、金融市場においてリスク評価が甘いまま資金が流れやすい非常に流動性が高い環境にありました。その場合でもストレステストなどを行って自らの判断が自己資本との関係で適切かどうかをチェックする枠組みがしっかりと機能すれば良かったのですが、それも機能しなかったため、行き過ぎた投資が発生しました。すなわち、問題の本質は、証券化商品のプライシングが適切なものではなかったことにあると思います。
金融イノベーションは、リスク分散や金融市場の効率性を高める効果をもたらすものであり、その発達の流れを止めることは望ましくありませんし、可能でもありません。市場参加者が、高度化する金融商品の価格やリスクの評価を適切に行うことが必要です。私は、金融当局による規制は最小限にとどめ、市場の自律的な価格発見機能を活かすことを優先すべきであるという考え方をもっています。今回の「サブプライム問題」は、市場参加者と金融当局の間で、どのようにすれば、適切なプライシングやリスク評価を行うインセンティブが働くようになるかを考えていく良い機会になることを期待しています。
また、個人的には「格付会社悪玉論」は的外れであると思います。米国では、6月に格付会社が米証券取引委員会(SEC)の監督下に置かれました。間もなく「サブプライム問題」が発生し、格付会社がサブプライム住宅ローンを担保にした証券化商品やCDOを大幅に格下げしたため、米議会で「証券化商品に対する格付が甘すぎたのではないか」という批判が強まり、格付会社の見直し議論が再燃しています。しかし、格付は、金融市場の重要なインフラのひとつです。極端に的外れな格付、品質の低い格付は、格付利用者にとって迷惑ですが、政府や監督当局が格付会社に対する規制・監督を強化すれば、悪い格付をなくすことができるか疑問です。
格付問題に関する望ましい議論の方向性は、以下の3点だと思います。第一は、格付会社自らの意思で、証券化商品の格付手法の精緻化、格付プロセスの透明性強化、証券発行体・投資銀行・証券会社との関係に関する規律強化、に向けてさらに努力することだと思います。第二は、投資家が格付会社を育成していく姿勢をみせることです。このように言うと、格付業界は寡占状態であり、選択肢は多くないと反論されそうですが、投資家は格付会社による格付を選別できます。言い換えると、投資家が格付を無批判に受け入れるのではなく、格付の品質の良し悪しを判断できる「目利き」の能力を高めていけば、格付会社は、緊張感を持って格付の品質向上や格付プロセスの透明性向上に向けた努力をするはずです。バーゼルIIは、格付会社の格付も活用した枠組みになっています。特に、外部格付を活用する金融機関は、それぞれの格付会社の格付手法の違い等について十分理解を深める必要があります。日本銀行も、格付会社の格付のユーザーとして、今後も格付会社と建設的な議論を続けていく所存です。第三は、仮に格付会社による格付と金融機関・ファンドによる内部の評価モデルの間で認識ギャップが存在する場合、投資家としてアービトラージ・チャンスがあると判断するくらいの逞しさが必要であることです。
3.試練を受ける「ファンド資本主義」
(1)金融のグローバル統合
世界経済が地域的な拡がりを伴って成長を続ける中で、従来にも増して企業が国境を越えて生産・商業活動等を行うようになっています。また、資金運用機関等も、世界的に低金利が続く下で、世界中により良い運用機会を求めています。こうした中で、欧米の金融機関等も世界中の金融ニーズを満たすことで収益力を強化していこうとしました。
(2)投資ファンドの台頭
「金融のグローバル統合」が進展する中で、投資家の行動がより多様化し、これに対応する金融商品や新しい市場の発達がみられます。とりわけ、投資ファンドの台頭が目立っています。
「サブプライム問題」が発生する前まで、欧米では、「ファンド資本主義」と言われたように、プライベート・エクイティー・ファンド、事業再生・不動産ファンドなど巨大な投資ファンドがリスクを引き受ける主流になっていました。日本においてもそれを感じ取れましたが、ファンドの活動範囲が広がり、運用規模も増加していました。
ファンドの台頭は、企業価値等においてファンダメンタルズに沿った市場価格の形成を促進しています。もちろん、特定のファンドが独占的な規模を持ち、かつ特異な投資行動を採るといったことがあれば市場の撹乱要因となるでしょう。もっとも、金融市場のグローバル化が進む中では、一つのファンドが大きなシェアを占めることはますます難しくなっています。仮に存在しえたとしてもファンダメンタルズを無視した投資を行えば、長期的には損失が発生します。現在、市場では多様なファンドが存在しており、基本的な投資スタンスは、——リスク選好度などの違いはあるにせよ——「リスクに比してリターンが高い投資先、リスク分散に役立つ投資先を見つけて投資していく」というものです。
「金融のグローバル統合」は、企業の合併・買収(M&A)を増加させ、それを資金面から支えるLBOローン市場や、クレジット・デリバティブズ市場を拡大させました。
(3)巨大リスク・マネーの存在
「ファンドマネー」のほか、グローバルには以下のような投資マネーも増加しています。なお、これらの資金は、「グローバルな過剰流動性」と呼ばれる現象を引き起こしているとも言われています。
- (ア)東アジア諸国を中心に莫大な規模に膨れあがった「外貨準備(IMFによれば2007年6月末現在5.7兆ドル程度)」。
- (イ)国際分散投資を進め、最近では国際商品市場にも投資する「主要国の年金資金(OECD加盟国で17.9兆ドル)」。
- (ウ)原油価格高騰で運用資金が膨らんだ「ペトロ・マネー」。
- (エ)中東や北欧の産油国、中国など新興成長国、シンガポールなど金融立国が原油収入や外貨準備を元手に運営している「政府系ファンド(SWF:ソブリン・ウェルス・ファンドと呼ばれる。民間の推計によると規模は2兆ドルを超えると言われている。最近、その規模が急速に拡大し、10月の先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)でも、潜在的な金融市場の撹乱要因になるとして、透明性確保を求められた)」。
- (オ)ヘッジファンド(運用総額1.5兆ドル程度)。
- (カ)外債・外株への投資を増やしている「わが国の個人金融資産」。
個人的には、上記の中で、年金資金が世界の金融市場のトレンドを形成する上で最も大きな影響を与えていると思います。そのように考える理由は、年金資金が主要国、とりわけ米国の長期セクターの国債を大量に購入した結果、米国などのイールドカーブがフラット化し、様々なマネーが投資対象をリスク資産に拡大せざるをえなくなったためです。この点については、米国グリーンスパン前FRB議長が最近、「今回のクレジット・バブルの発生・発展・崩壊のプロセスを事前に予防できなかったのは、FRBの金融引き締めが後手に回ったからではないか?」と一部で批判された際、「そうではない」と応じ、「FRBが利上げを継続しても米国長期金利がなかなか上昇しない「コナンドラム(conundrum)」という現象が生じていた」と指摘していることからも窺われます。
OECDによれば、OECD加盟国の年金資金の規模は、前述のとおり、2005年では17.9兆ドルであり、2001年の13.0兆ドルから年率+8.7%で増加したと報告しています。本邦の年金基金は、世界の債券・株式市場の期待リターンが低下したこともあって、ヘッジファンド(ファンド・オブ・ファンズ形態が主流)、不動産投資(最近では海外REITへの投資も増加)、プライベート・エクイティー・ファンド、クレジット商品等への投資を拡大し、運用資産全体に占めるオルタナティブ投資のウエイトを5~10%に引き上げています。コモディティー商品については、2004年から2005年にかけてアセット・クラスのひとつとして認知し始めました。コモディティー商品については、欧米諸国の年金基金もリスクの高い投資対象と理解しながらも期待リターンの高さにひかれて、2006年から本格的に購入を始めました。もっとも、国際商品市場の市場規模は、年金資金の分散投資の対象としては十分とはいえません。それにもかかわらず、原油・穀物・金等、多くの商品を組み合わせた「国際商品インデックス」に投資するかたちで巨大な年金資金が本格的に流入し始めたため、ファンダメンタルズでは到底説明できない水準まで市況が上昇しました。
(4)機能不全に陥ったLBOローン
「サブプライム問題」の影響によって、証券化商品の組成を見込んでいたLBOファイナンスなどのスキームが立ち行かなくなってしまいました。
7月、流動性の低いLBOローンは、現物が投資家に売却できず、LBOのシンジケーションに参加した金融機関がLCDX(レバレッジ・ローンを参照債務とするLoan CDSを束ねたインデックス商品)でのヘッジに殺到したため、LCDXのプレミアムは7月末にかけて大幅に上昇しました。これは、有力プライベート・エクイティー・ファンドであるKKRによるAlliance Boots、あるいは、CerberusによるChrysler Corporationなど、大型LBO案件がシンジケーションに失敗したことが引き金となったと言われています。プライベート・エクイティー・ファンドによる7~9月期の新規資金調達額は、四半期ベースで過去最高であった4~6月期から半減した模様です。もっとも、その後、KKRによるFirst DataのLBO案件が、2度にわたってローン組成が見送られたものの、9月26日に260億ドルの買収額のうち150億ドルのローンを額面から3~4%ディスカウントすることで販売されたことから、相応のディスカウントを行えばLBOローンの買い手がつくことを示すものとして、金融市場ではポジティブに評価されている模様です。
この間、プライベート・エクイティー・ファンドとともに主要な役割を担ってきた欧米の大手銀行も、前述したように、「パイプライン・リスク」の顕現化や流動性補完、信用補完に伴うリスクの顕現化によって、損失が嵩んでいるほかバランスシートも膨らんでいます。
「サブプライム問題」を受けて、プライベート・エクイティー・ファンド、欧米の大手金融機関ともに既存のLBO案件を投資家に売却することに注力しており、新規のM&A案件はほとんどストップしている状況です。
(5)足許の海外クレジット市場の動向
欧米のクレジット市場は表面上落ち着きを取り戻しつつあり一部では機能を回復しつつあるようです。こうした中、海外投資家は、格付けが高い社債・high-qualityなクレジット商品(優良債権を担保としたABS、格付けが安定的なRMBS等)の購入に前向きになってきました。この背景には、(1)主要国の国債が割高になってきた、(2)「サブプライム問題」の発生後、優良債権を担保とした証券化商品は割安に放置されている、との見方があるようです。発行市場をみても、10月入り後、IPOが件数・金額ともに増加に転じたほか、投資適格の社債発行が金額ベースで8月以降3ヶ月連続の増加をみており、ハイ・イールド社債の発行も足もと目立っています。
この間、low-qualityの証券化商品やジャンクボンドは敬遠されています。CDOのように、仕組みが複雑でリスク評価が難しい証券化商品の市場は、今後大きく縮小せざるを得ないという見方が、市場参加者の共通認識となっています。
(6)今後の見通し
先ほども述べましたように、リスクが極めて高いとかスキームが複雑な証券化商品は、当面取引が成立しにくい状況が続くものとみられます。また、欧米の大手金融機関等が抱えるLBOローン、流動性が低いCDOは今後の火種になる可能性もあります。同時に、金融機関は、ヘッジファンドやプライベート・エクイティー・ファンドへの融資に慎重となっており、資金調達コストの上昇に直面したプライベート・エクイティー・ファンドのビジネスには陰りがみえます。
これは、ストラクチャード・プロダクトの組成・販売やM&Aビジネスに依存してきた欧米の大手金融機関にとって大きな収益源を失うことを意味しているかもしれません。
そうは言っても、グローバルには過剰流動性があり、金融市場全体でみれば、流動性不足というよりも、資金の偏在が発生していると言えます。したがって、行き場のない運用資金がいずれはプライベート・エクイティー・ファンドへ流れていく可能性はあると思います。
4.まとめ
一般論として、公的年金・企業年金に限らず、年金運用担当者にとって、為替リスクやクレジット・リスクを大きくとらずに、当該国の国債や高格付けの公社債で運用することで、目標とする投資リターンを得られることが理想です。しかし、わが国で企業年金を運用する皆様は、日本国債の利回りが極めて低い状況が長期化し、日本の株式相場も諸外国の株式相場のリターンを下回る状況が恒常化し、国内のクレジット市場も発達していない金融環境で、年金運用を行うことを求められています。その結果、海外の年金運用担当者と比較して、(1)分散投資における海外金融資産のウエイトの引き上げ、(2)運用対象の金融資産のさらなる多様化、(3)為替リスクとクレジット・リスクをとった運用スタイル、などを重視する必要に迫られています。
わが国の年金運用担当者は、今回の「サブプライム問題」をどのように受け止めるべきでしょうか。個人的な見解ですが、「サブプライム問題」は、海外のクレジット商品の運用のあり方を再点検する良い機会であったのではないでしょうか。今回の一件を他山の石としてより良い運用に近づけるために活用していただくことを期待しています。
最後になりますが、私は、わが国の金融サービス業が米英に劣後しているひとつの理由は、リスク・マネー(長期的な視点からリスクをとって高いリターンを目指す資金)がまだ十分に育っていないためだと思っています。欧米では最近、「ファンド資本主義」と言われるように、プライベート・エクイティー・ファンド、事業再生・不動産ファンドなど巨大な投資ファンドがリスクを引き受ける主体になっています。年金運用には様々な制約条件があるのは承知しているつもりです。ただ、個人的には、わが国の企業年金を運用する皆様が、スマートなリスク・マネーの提供者、すなわち、プロの投資家として、グローバルな金融市場において脚光を浴びることを期待して、本日の講演を終わりたいと思います。
ご静聴、ありがとうございました。
以上