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日仏交流150周年記念シンポジウムにおける福井総裁挨拶要旨の邦訳
2008年1月8日
日本銀行
本シンポジウムについては、フランス銀行ウエブサイト(英語版)をご参照ください。
本日は、日仏交流150周年の記念シンポジウムに、日仏経済交流に関係の深い皆様にお集まり頂き、ありがとうございます。
日本銀行は1955年にパリ事務所を開設しました。それ以来、フランス銀行の厚い友情とパリの空気は、多くの日銀職員をフランス好きにしてきましたが、私自身も、そのひとりです。1970年から約2年半のパリ駐在でした。その間の1971年には、米国がドルと金の交換停止を電撃的に宣言し、ブレトン・ウッズ体制を終焉に向かわせることになった、ニクソン・ショックを経験しました。その日は日曜日でしたが、フランス銀行との間の情報交換に奔走したことを印象深く覚えています。パリで学んだ多くのことは、中央銀行員としての原体験として、私の中で大切な財産となっています。
フランス銀行にも、日本経済について造詣の深い方が数多くおられます。とりわけ、本日午後にモデレーターを務められるドニーズ・フルザ元金融政策理事会委員は、2002年に「永遠に甦る日本」を著されました。同書の中で、女史は、バブル経済崩壊後のいわば最悪期に、日本経済の危機を乗り越える潜在力の高さを評価されました。その後の展開は、洞察の確かさを裏付けています。この本は、翌2003年、総裁に就任した私にとって、金融政策の舵取りを行っていくうえで勇気を与えてくれた書でもありました。
長い歴史に裏打ちされた、豊かな文化を持つ日仏両国は、様々な分野で互いを高めあう、建設的な交流関係を築いて参りました。例えば、美術の分野においては、レオナール・藤田ら数多くの日本人画家が、芸術の都パリで洋画を学ぶとともに、クロード・モネを始め印象派の巨匠達が日本の浮世絵から多くのヒントを得るなど、ジャポニズムがフランス芸術界に少なからぬ影響を与えたことは良く知られています。また、料理の分野でも、現在、パリには数え切れないほどの日本食レストランがあり、日本ではフランス料理は幅広く親しまれています。フランス料理と日本料理は、互いに刺激を与え合い、それぞれの良いところを取り入れ、伝統を守るだけでなく、新しい料理のフロンティアを次第に広げています。
こうした両国の建設的な交流関係は、経済の分野においても様々にみることができます。その中でも、本日のシンポジウムのテーマは「日仏中央銀行史」「グローバル化と日仏経済」の2つですので、私からは、グローバル化のもとでの中央銀行間の協力について、日頃考えていることをお話ししてご挨拶としたいと思います。
フランスは、日本が19世紀半ばに鎖国を解き、まさに経済のグローバル化の第一歩を踏み出していくというその時から、極めて重要な役割を果たしました。フランスの技術・資材に亘る支援により、横須賀という港町に、本格的な造船所および港湾施設が建設・運営されましたが、これは、日本の産業近代化の過程における、海外との協力関係の端緒となる事例のひとつとなりました。
日本銀行設立時においても、フランスは重要な関与をしています。中央銀行制度を学ぶために、欧州に視察に出かけた日本政府重鎮の松方正義に対して、フランスのレオン・セー大蔵大臣は、当時新鋭のベルギーの中央銀行を参考とするよう、極めて重要な助言を与えてくれました。そして、日本銀行条例案の作成に際し、日本政府は、ベルギー国立銀行の設立趣意書とともに、フランス銀行規定を参照したとされています。
その後の1世紀半の間に、経済のグローバル化は目をみはる進展をみせ、近年は、とくにそのテンポが速まっているように思います。「グローバル化」は、その字義どおり、国境が最早経済活動の障害とはなりにくくなっているという意味で、ボーダーレス化を伴って進んでいます。日仏の関係も、両国間の貿易や資金の流れだけで捉えることはすでに困難であり、グローバルな経済の中に、フランスも日本も、その重要な構成要素として存在している、という方が正確な描写といえると思います。
グローバル化の進展は、中央銀行の仕事にも大きな影響を与えています。中央銀行は、それぞれの国の経済と物価の安定を図るために金融政策を運営していますが、現在、世界経済全体の動きを抜きにして経済情勢を判断することは、どの中央銀行にとっても不可能です。加えて、金融取引のグローバル化は、財・サービス取引のグローバル化を上回るスピードと深度で進んでおり、あるひとつの国で生じたショックが、幅広い地域・市場に瞬時に波及するようになっています。
このような状況においては、中央銀行間の連携が一段と重要性を高めており、様々なレベルで密接な交流が図られています。私自身、中央銀行間のフォーラムであるBIS総裁会議には欠かさず出席し、ノワイエ総裁をはじめ総裁方とお話することを楽しみにしてきました。そこでは、経済や物価の現状についての情報交換にとどまらず、それぞれが抱える問題や世界共通の課題について語り合い、同僚から多くの示唆を受けることができます。海外の同僚たちとは、世界経済をともに支える同志として、強い連帯感をもっています。
同時に、中央銀行どうしは、互いに切磋琢磨する関係にもあります。それぞれが、他国の中央銀行の経験から学ぶことに貪欲で、良いところを取り込もうと日々努力しているという意味です。そこには特許はありません。また、他国が適切な金融政策を行うことは、世界経済の安定を通じて、自らの利益になりますから、どの中央銀行も自身の経験を教えることにも熱心なのです。
そのひとつの例が、金融政策の透明性の向上を巡る各国の取り組みです。1990年代以降、物価安定の意義への理解が深まるもとで、中央銀行が政府からの独立性を高める動きが、日本や欧州を含む、多くの国と地域でみられました。同時に、政策の透明性と説明責任の拡充が、それまで以上に求められるようになったことも共通しています。透明性の向上は、家計、企業、市場参加者などの期待に働きかけることを通じて、金融政策の有効性を高める観点からも、重要なことです。こうした問題意識のもとで、どのように政策を説明し、市場との円滑な対話をどう図るか、各中央銀行は、互いに他の中央銀行の事例を参考にしつつ、それぞれ、経済・社会の実情に照らし最適と考えられる方策を模索してきました。
例えば、金融政策の目的である「物価の安定」をどう表現するか、という根本的な問題は、単にわかりやすさを追求するというだけではなく、一方でどう柔軟性を確保するか、というバランスの問題です。この難問に対して、各国は同じ問題意識のもとでも、異なる解答を示しています。
最も直裁に目標インフレ率を示すインフレーション・ターゲティングは、英国などで採用されていますが、運用が硬直的にならないように柔軟性を確保する仕組みが次第に整えられてきました。1998年に設立された欧州中央銀行では、物価安定の定義を消費者物価指数前年比で表現するとともに、通貨供給量の増加率に参照値を設けています。日本銀行では、2006年に新たな金融政策の枠組みを採用し、中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率を集計して公表しています。そして、この理解との関係で、蓋然性の高いシナリオを評価するとともに、上下のリスクの点検を行うという複合的な枠組みになっています。米国連邦準備制度(FED)では、昨年11月、コミュニケーション戦略の拡充策を公表し、そのひとつの要素として、経済・物価見通しの期間を3年間に延長しました。先行き3年目の物価見通しは、物価安定と雇用の最大化というFEDの任務と整合的とFOMC参加者が判断したインフレ率を表していると説明されています。
これらの仕組みは、他国の経験を学んだ上で、自国に最もふさわしいものを考え抜いて、導入されたものです。この先も各国の経験を踏まえながら枠組みを磨いていくプロセスは、螺旋構造のように進んでいくと思います。
このように各国が、問題状況や問題意識について認識の共有を図りつつ、自国のあり方の決定に際して独自性を発揮するということは、何も金融政策分野に特殊なことではなく、成熟した国際関係においては、様々な分野で見られていることです。冒頭の美術や料理の例をひくまでもなく、相互に影響を及ぼし合うことは、独自性を失うことではありません。独自性を有するからこそ学ぶことがあり、相互理解を通じて、新たなイノベーションと、フロンティアの拡大の契機となる訳です。
本日のシンポジウムでは、日仏両国が歩んできた経済・金融の発展の足跡を振り返って頂くとともに、グローバル化のもとでそれぞれの国が直面している新たな経済事象についての検討を深めて頂きたいと思います。その成果を通じて、両国経済に関する相互理解が一層促進され、互いを高めあう関係構築のさらなる機会となることを期待し、私からの締めくくりの言葉とさせて頂きます。
ご清聴ありがとうございました。
以上