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熊本県金融経済懇談会における西村審議委員挨拶要旨
2008年1月31日
日本銀行
目次
はじめに
日本銀行の西村でございます。この度、熊本の経済界を代表する皆様方とお話する機会を頂き、大変光栄に存じます。平素より私どもの支店が大変お世話になっており、この席をお借りして厚くお礼申し上げます。
本日は、国際金融資本市場や海外経済動向、わが国の経済・物価情勢や日本銀行の金融政策運営についての考え方などについて、お話したいと思います。
国際金融市場の動向
昨年夏場以降、国際金融資本市場では米国サブプライム住宅ローンに端を発した不安定な状況が続いています。
米欧において証券化商品市場で、サブプライム証券化商品の格下げが続き、証券化商品の信用スプレッドも上昇しています。更に社債市場でもスプレッドが拡大するなど調整が広がっています。株式市場は引き続き不安定で年明け後各国の株価は大きく下落しました。
短期金融市場では金融機関の年末越え資金の確保が意識される中、12月半ばにかけ資金調達圧力が高まり、ターム物金利がかなり上昇しました。こうした状況を受け、12月12日日本銀行を含む主要国中央銀行は、協調して国際金融市場の安定に向けた取り組みを公表しました。その後はこうした方策の実施もあり、米欧の短期金融市場は落ち着きを取り戻し、ターム物金利も下落していますが、不安定な地合は続いております。
この間日本の短期金融市場は、サブプライム関連損失が欧米に比べ限定的だったことや、過去の金融危機の経験を生かしたきめ細かな金融調節が可能な仕組みを持つこともあり、落ち着いた状況が続いています。社債市場でも、クレジットスプレッドは概ね低水準で推移し、社債発行も堅調です。これに対し株式市場では取引の過半を本邦以外の投資家が占めることもあり、世界的なリスク回避の傾向に反応する形で、日本の株価も年明け以降大きく下落しました。
世界経済の動向
国際金融市場の動揺に加え、実体経済面でも、米国を中心に世界経済の不確実性は高まっています。
まず米国で、景気の減速感が強まりつつあります。足下のマクロ統計を見ると、個人消費や設備投資は、減速感をやや強めていますが、緩やかな増加基調は維持されているように見えます。しかし住宅投資は大幅に減少し住宅価格は近年に類例のない形で広範な地域で下落しており、住宅販売の減少と在庫の積み上がり傾向には改善の兆しがまだ見られません。更に直近を見ると、雇用や生産関連でも、弱めの動きを示すデータが重なるようになりました。銀行の与信態度は、サブプライム問題の影響の大きい住宅向けを超えて、商業用不動産や一般企業・消費者向けについても厳しくなってきています。
このように不確実性は下方に大きく高まっていますが、大掴みで見ると、低成長ないしは停滞が当面相当程度続いたあと、その後は住宅市場の調整に応じる形で、潜在成長率近傍の成長経路に向かった動きが出てくるというシナリオに蓋然性があるように思います。こうした中、FRBは昨年9月以降、政策金利であるFFレートを順次引き下げ、1月22日には緊急の利下げに踏み切り、米国政府は1月18日に財政支出による景気刺激策を公表しました。今後は、これら一連の景気刺激策がどの程度米国経済を下支えしていくか注意深く見ていく必要があります。
欧州経済については、発表されたマクロ経済指標を見る限り足もとは拡大が続いていると判断されます。しかし消費者の消費態度や企業の事業意欲は慎重化してきていますし、輸出・生産関連の一部の指標には減速感がみられます。高騰していた不動産価格にも天井感が出ており一部では弱含んでいます。更に国際金融資本市場の変動は欧州市場に及んでおり、金融機関の融資態度にも厳格化方向への変化の兆しがみられます。これらの変化の進み具合次第では、この地域で今後下振れるリスクを否定できません。これに対し、中国・インドを筆頭としたアジア諸国を含むいわゆるエマージング諸国や資源産出国のマクロ経済指標は高成長が持続していることを示しています。
このように、世界経済は足もと米国経済の弱さをその他の地域が補う形で拡大を続けており、今後も減速しながらも拡大方向の動きを続ける蓋然性は十分にあります。しかし米国経済や国際金融資本市場の調整が長期化し、かつ、深まっている中では、下振れリスクが高まっていることも事実です。
世界経済の実物面で下振れリスクが高まる一方、物価面では当面インフレの上振れリスクがあることを否定できません。米国では、足もと総体としてみると雇用の増勢は鈍化しているものの、医療サービス等の傾向的な需要増加があり、資源の稼働状況は引き続き高水準で、インフレ圧力が目立って衰えたとは言えません。特に石油精製施設の需給逼迫度は高い状況が続き、ガソリン価格高騰の背景となっています。欧州では賃金上昇の兆しがあり、インフレ圧力が心配されています。
また、エマージング諸国特に中国では、力強い拡大が続き需要が増大しています。更にこれら地域の人口の多さを勘案して将来需要増の予想が高まっており、それが国際商品市況に一部反映されていると考えられます。原油価格が年明けに一時的に1バレル100ドル台まで上昇しているほか、穀物など食料品価格も高騰しており、国際商品市況は高値圏で推移しています。現在中国当局は様々な引き締め策を講じていますが、固定資産投資を中心に過熱感が強い状況で、今後どのように推移するか注意深く見守る必要があります。
このように世界経済は、実物面の下振れリスク、物価面の上振れリスクの双方に注意が必要な状況が続いています。
経済・物価の現状と先行き
次にわが国経済・物価情勢の現状と先行きについてお話します。
わが国経済は、足もと建設投資の落ち込みや、原材料価格高騰の影響などから減速していますが、基調としては緩やかな成長軌道にあると考えられます。先行きも当面は減速が続くと考えられますが、その後は緩やかな成長軌道に戻ると思われます。ただ日本経済と世界経済のリンクが強まっている中で、世界経済の実物面の下振れリスクと物価面の上振れリスクが日本経済の今後に影響を及ぼす点には十分な注意が必要です。
まず建設投資は、昨年半ばの改正建築基準法の施行後、建築確認の手続きに遅れが生じていることから急減しました。その後手続き面の改善が進み、戸建て住宅などはかなり回復しましたが、構造計算が複雑な高層建築等では依然として遅れが目立っています。従って改正建築基準法の影響は、従来の予想に比べて長引いており、ここしばらくは低調に推移すると考えられます。
輸出は、足許米国向け輸出に翳りが見えます。しかし総体として見るなら世界経済の不透明感が高まっている中にあっても、特に産油国やエマージング諸国など向けが堅調に伸びており、幅広い地域に向けて増加を続けています。生産も増加を続けており、在庫も総じて出荷とバランスした状態にあります。
企業部門は、世界経済との結びつきを強める企業を中心として全体として見るなら今年度も増収・増益の見通しを維持し、設備投資も堅調な計画となっています。しかし内需に依存する程度の大きい中小零細企業では、従来から原材料価格やエネルギー価格の上昇を製品価格に転嫁出来ずに収益が圧迫されている状況が続いていましたが、ここのところ原材料価格の高騰はその傾向を更に強めている点には留意する必要があると思われます。
家計部門をみますと、雇用者所得は緩やかな増加を続けています。もっとも雇用者数は増勢を維持していますが、一人当たり賃金は、やや弱めの動きが続いている事も事実です。企業は世界的な競争の高まりや資本市場からの規律の強まりなどを背景に、固定費化しがちな人件費については総じて抑制姿勢を維持しています。特に中小零細企業ではここのところ原材料価格の高騰を製品価格に転嫁できていないこともあり賃金が伸び悩んでいます。先行きについては、雇用者数の増加が続き、賃金も次第に底堅く推移すると考えられ、雇用者所得の緩やかな増加の傾向には変化がないと思われます。こうした所得面の動きを背景に個人消費も底堅く推移していくと見込まれます。
このように現状は、改正建築基準法の影響が依然として強く残る建設投資を除けばマクロ経済のハードデータは若干の弱さを示す程度です。しかし対照的に、景気ウォッチャー調査や消費動向調査、生活意識アンケート調査等、センチメントを示すソフトデータには大きく低下しているものが少なくありません。
景気判断の基礎となるGDPなどの指標は単純化すれば支出額ベースであり、支出の多い企業・家計の動向に、より強く依存します。これに対してセンチメントサーベイである、景気ウォッチャー調査や消費動向調査、生活意識アンケート調査等のサーベイデータは、一人一票の世界です。従って数の多い中小企業、数の多い平均以下の所得層をより強く代表しています。センチメントサーベイで2007年中葉から大きく悪化したものが多いのは、好調な外需の恩恵を受ける企業(大企業とその関連企業)に比べると内需にもっぱら依存した企業(中小企業が多い)の業況が相対的に伸びにくくなっていること、好調な外需関連企業からの波及を享受する家計層に比べて、そうでない家計層では所得の伸びが鈍化していることを示していると思われます。
物価面では、全国消費者物価指数(除生鮮食品)の前年同月比は、昨年10月にプラスに転じ、11月は+0.4%、12月は+0.8%とプラス幅が拡大しました。目先、さらにプラス幅が拡大し、年度末には1%前後まで上昇し年度を通せば上昇率は若干のプラスとなる公算が高いと思われます。
ここで注意したいのは直近の物価指数、12月の全国そして1月の東京都速報、に見られる動きです。内訳を見ると、国際的な原油価格、穀物価格の上昇からガソリン・灯油価格そして外食を含めた食品価格が上昇した影響が大きいのは事実です。と同時に、原材料価格高騰とは直接結びつかないサービス価格にも上昇傾向が表れていることを見逃すことはできません。また品質向上が著しいため品質調整後価格の低下が大きかった耐久消費財の一部でもしっかりした需要を反映して品質調整後価格の低下幅を縮める製品も出てきています。物価変動の傾向を見るため、大きく上昇したり下落したりした品目を外して平均をとる10%刈込平均物価上昇率でみても、上昇率はプラスに定着してきています。
欧米に比べ日本の物価上昇率が低かったのは、第一にサービス価格が欧米ではコンスタントに上昇していたのに対して日本ではこの十数年間殆ど上昇しなかったことと、第二に品質向上の著しいIT関連耐久消費財の品質調整後価格の低下幅が日本で大きかったことが主要な理由です。IT関連をのぞく財の価格の動きを見ると日本と欧米の差はさほど際だったものではありません。従って日本のインフレ率の推移を見通す際に、これらサービス価格や耐久消費財価格の一部に見える上昇幅の拡大(下落幅の縮小)が持続するのかどうかが、鍵となります。また原材料価格の高騰を製品サービス価格にどの程度転嫁できるかは、中小零細企業の収益にも響くことでもあります。原油価格、穀物価格上昇の影響の裏に隠れがちな小さな変化ですが、ごく最近の物価データに見られるこの動きは慎重に見守る必要があるでしょう。
しかしながら当面は、(前年同月比)物価上昇率は大まかにみれば原油価格の水準に大きく影響されると考えられます。来年度前半は石油価格上昇の影響が色濃く残り1%近くを推移する可能性が高いと思いますが、後半はそうした影響もなくなるため上昇率がかなり低下する可能性は否定できません。低下する度合いは、サービス価格やIT関連価格等の今後の推移、それはマクロ経済の立場から言えば景気が底堅く推移し拡大基調に戻っていく程度、に依存すると考えられます。ただ年度全体で見るなら、来年度も物価のプラス基調は続くと考えるのが自然と思います。
今般景気回復の基本的メカニズム
以上、経済物価情勢の現状と見通しについて説明いたしました。少し視野を広げて、経済物価情勢の現状が、七年目に入った今般景気回復の基本的メカニズムの変調を示しているのかどうか、検討してみたいと思います。
今般の景気回復は、国の内外で需要を生む成長エンジンの多様さとそのバラツキの大きさに特徴づけられます。そのため、生産から所得そして消費への波及は従来型の景気回復に比べて底堅いものの、盛り上がりには欠けるものでした。
実際、例えば一方で好調だったマンション建設は昨年初から年央にかけ価格高騰から需要に陰りが見えていました(これは改正建築基準法の影響が明らかになる前からの話です)。しかし他方で在庫調整中であったIT関連産業では年央から年末にかけて目立った回復を見せています。輸出においても、米国向けが直近若干変調を来すと、その他地域特に中東への輸出が大きく伸びると言った具合です。
このように、小さな主役が頻繁に交代し底堅いのですが、そもそも景気回復に力強さがあった訳ではありません。従って需給ギャップはプラス領域にあるとは考えられるものの急速に引き締まるというより一進一退の状況であったと言えます。そうした背景の下で、建築基準法改正の影響等から元々力強さに欠ける成長が更に一旦鈍化するという状況となりました。
このように建設投資は落ち込みを見せていますが、不動産市場全体としてみるなら、底堅い動きを見せている部分もあることには注意する必要があるでしょう。マンション市場低迷の一方で、オフィスや商業用施設では、選別色は強まっていますが、減速感の強い欧米を避けた不動産投資資金の流入が見られます。このように減速感の強い部門でも今般の景気回復に特徴的な需要の多様性が見られます。このように考えると、現状は、減速感はあるものの、景気を動かす基本的なメカニズムに足許で大きな変化は見られないというのが適切な判断と思われます。
こうした今般の景気回復の特徴はつとに指摘されてきた点です。私自身、一昨年6月の長崎、昨年5月の函館の金融経済懇談会で取り上げておりますし(注1)、日本銀行の調査統計局もこの点に関してレビューをしております(注2)。今後を見通す際には、過去の景気循環とは異なるこうした性質を無視することはできないでしょう。
- (注1)より詳細な議論は以下の英語論文の中にあります。
Kiyohiko G. Nishimura, "Increased Diversity and Deepened Uncertainty:Policy Challenges in a Zero-Inflation Economy," International Finance 10:3(2007),281-300. - (注2)長田充弘、川本卓司「生産変動の安定化と産業間の連動性低下」『日銀レビュー』2007-J-11.
展望レポートの中間評価
先日の金融政策決定会合では、昨年10月に公表した「展望レポート」について中間評価を行いましたが、それは今まで申し上げた現状判断と先行き見通しに基づいていると私は考えております。
中間評価の内容を端的に申し上げると以下のようになります。まず今年度実質経済成長率は昨年10月の「見通し」と比べて、住宅投資の減少を主因に幾分下振れし潜在成長率をやや下回る水準になると見込まれますが、今般景気回復を支えている生産から所得へそして消費へというメカニズムは基本的には維持されていると考えられます。先行きも10月見通しからは後ずれしながらも、緩やかではありますが拡大基調を維持し、来年度成長率については、10月の「見通し」に概ね沿って、潜在成長率をやや上回る水準になるものと予想しています。ただ、こうした「見通し」については、引き続き、海外経済や国際金融資本市場を巡る不確実性、エネルギー・原材料価格高がもたらす影響など、経済活動の下振れリスクに十分注意する必要があります。
消費者物価については、先ほど述べた通り、消費者物価の本年度平均は、10月時点「見通し」と比べやや上振れるものと見込んでいますが、来年度は石油・食料品価格上昇の影響が残る一方、足もとでの経済活動の一時的減速の影響がそれを相殺し、年度平均で見るなら10月時点「見通し」に近くなるだろうと考えています。
金融政策運営
次に、日本銀行が金融政策を今後どのように運営していくのか、それをどう皆様方に伝えていくのかについて、お話しします。
日本銀行は、年に2回、すなわち4月と10月に「経済・物価情勢の展望」いわゆる「展望レポート」を公表し、その中で、先行き1~2年の経済、物価の見通しをお示ししています。また、展望レポートを公表した3か月後、すなわち7月と1月には、経済が見通しどおりに展開しているのかどうかを点検するために、「中間評価」を行います。さらに、毎月の金融政策決定会合では、その時々の情勢を詳細に吟味し、金融政策運営方針を決定するとともに、「金融経済月報」を公表します。このように、日本銀行の金融政策決定の背景には、4月・10月そして7月・1月の節目、そして毎月行われる情勢判断と、いわばリズムがあります。そこで、本日は、日本銀行のこうした情勢・政策判断の仕組み、具体的には、「展望レポート」、「中間評価」、そして「金融経済月報」の位置付けと、それぞれの関係についてご説明してみたいと思います。
まず「展望レポート」では「基本的見解」を公表し、「政策委員の見通し」を参考として提示しています。そして、各決定会合においては次回会合までの「政策運営方針」を決めています。私は両者の関係を次のように考えています。すなわち、展望レポートは今後一年~二年を見据えた金融政策について「定性的なガイドポスト」の役割を果たし、各決定会合ではこの展望レポートを参照基点(レファレンス・ポイント)として定量的な政策決定が柔軟になされるということです。
「展望レポート」では基本的見解として、「経済・物価情勢の見通し」と「上振れ、下振れ要因」を説明していますが、これは委員会の見解として合意された、今後の経済物価情勢を動かすと想定される「メカニズム」の定性的な(つまり言葉による)説明です。
これが、「参考」として展望レポートに記載される、今年度及び次年度実質GDP、CGPI、CPIについての「政策委員の見通し」の基になるメカニズムです。各政策委員の実際の主要経済指標見通しは、そのメカニズムの出発点となる前提条件やメカニズムの力がどのくらい強いかの量的な評価が委員間で異なるため、散らばりが出ます。その結果、「政策委員見通し」は「定量的な(つまり数字で表される)幅を持った見通し」となり、具体的には「上限」、「下限」と散らばりの中心傾向(central tendency)を示す「中央値」が公表されます。
次に、「展望レポート」の基本的見解の最後にある「金融政策運営」では、先に明らかにした今後の経済物価情勢の定性的な「メカニズム」を、第一の柱、第二の柱から点検します(この際「中長期的な物価安定の理解」が重要な役割を果たします(注3))。その下で、この「メカニズム」の具現を条件として、今後の「政策経路」を定性的に提示します。現在の「展望レポート」にある「政策経路」は「日本経済が物価安定のもとでの持続的成長軌道を辿るならば、金利水準は引き上げていく方向にある」という文章がそれに当たります。
- (注3)経済・物価情勢を点検するための第一の柱、第二の柱、そして「中長期的な物価安定の理解」については、昨年5月の函館市における金融経済懇談会での私の挨拶の第二節(最近の日本銀行の金融政策運営:「新たな枠組み」の一年)で詳しく説明しております。
さらに提示された「定性的な政策経路」を定量的な、つまり具体的な政策金利水準決定に結びつけるやり方も同時に明示します。「引き上げのペースについては、予断を持つことなく、経済・物価情勢の改善の度合いに応じて決定する」という文章です。
各決定会合では、「展望レポート」を参照基点(レファレンス・ポイント)としてその時点の経済物価情勢を動かしている「メカニズム」を吟味します。その吟味の結果の委員会合意が各会合後に出される「金融経済月報」にある基本的見解であり、そこに盛り込むことができないニュアンスは会合後政策委員会を代表して行われる政策委員会議長(現在は総裁)の記者会見と、後ほど公表される議事要旨の双方で明らかにされます。吟味の結果、メカニズムに大きな変化がないならば、展望レポートで明らかにしている「定性的な政策経路」のもとで、「経済・物価情勢の改善の度合いに応じて」最も望ましいと思われるタイミングで望ましい方向に望ましい刻みで政策変更を行う、ということになります。
従って展望レポートは毎回の決定会合で十分な吟味がなされ、その意味で常に事実上の中間評価がなされていることになります。その内容は、「月報」、「政策委員会議長の記者会見」、「議事要旨」の三点セットで情報発信されています。しばしば前二者により注目が集まりがちですが、「議事要旨」は、事実上の中間評価を行っている討議の内容を示すもので、重要な情報発信であると考えています。そして4月10月展望レポートの中間月である1月と7月には、毎回の評価を踏まえ更に新しく利用可能になった情報を吟味して改めて中間評価がなされ、公式に「中間評価」として発表されるという形です。
ここで明確にしておきたいのは、展望レポートで重要なのは「経済・物価情勢の見通し」「上振れ、下振れ要因」の項で、委員会の見解として合意された、今後の経済物価情勢を動かすと想定される「メカニズム」の説明です。毎回の決定会合での事実上の中間評価、そして1月7月会合での公式の中間評価では、この「メカニズム」の説明が吟味され、評価されます。展望レポートでは更にそのメカニズムを前提として政策委員がたてる主要経済指標の見通しを「政策委員の見通し」として提示しますが、それはこの定性的なメカニズムを、より理解しやすくするための「参考」という位置付けになっています。
この参考計数は「経済・物価情勢の見通し」「上振れ、下振れ要因」の項に凝縮されている今後の経済物価情勢を動かす「メカニズム」が働くときに、主要経済指標の「真の姿」がどのようになるかについての各政策委員の見通しを表しています。ここで、「真の姿」と表現したのは、各政策委員は、公表される主要経済変数データはあくまで推計値であり「真の姿」ではないこと、しかも時間とともにこの推計値が変わることを考慮する必要があるからです。例えば実質GDP年度成長率を取り上げますと、5月に最初に発表される速報値は暫定推定値であり、12月に発表される確報値(さらには次年に発表される確確報値)に至るまで過去には大きく推計値が変わったことがあります。各政策委員の予想は、従って速報推計値ではなく、「真の姿」により近い確報推計値(場合によっては確確報推計値)を念頭に置いたものになる、というのが私の考えです。
さらには、「政策委員の見通し」で提示される経済変数は極めて重要なマクロ変数ですが、『経済物価情勢を動かすと想定される「メカニズム」』はこれだけで描写できる訳ではなく、実際にはこれ以外の経済変数についてもその時々の状況に応じて広く考慮して政策判断をしています。
現在はこの二点については理解が必ずしも十分に浸透しているか疑問なしともいえないという判断から、「政策委員の見通し」は参考という扱いになっています。しかしこの情報発信の仕組みはまだ発展途上です。今後の主要経済変数推計の精度向上や、政策判断における経済指標の扱いの理解が進むに従い、情報発信の方法も洗練していく必要が出てくるかもしれません。
さて、日本銀行はこれまで、日本経済が物価安定のもとで底堅く拡大を続けるとの判断のもとで、金利水準を徐々に調整してきました。そのペースについては、日本経済が長い沈滞状況から新しい成長経路への調整プロセスの途上にあることを考慮し、見通しの蓋然性や上下両方向のリスクを十分に点検しながら、ゆっくりと柔軟に決定してきました。こうした考え方は、現在の景気を動かす基本的なメカニズムに変調が見られないのであれば、これからも基本的に維持することになると考えられます。
と同時に、すでに中間評価のところで説明を加えました通り、現在は10月展望レポートに比して下振れ、後ずれの状態にあり、また「見通し」に対して様々なリスク要因が存在しています。仮にこうしたリスクが現実化する蓋然性が高まるような場合には、当然ながらそうした要因の影響の深さ、広がり、期間を勘案し、時々の経済・物価情勢に応じた柔軟な対処を考えていくのは当然のことです。しかしながら現在のところはリスク要因が顕現化する蓋然性はまだ低い状態で、慎重に見守るのが適切な対応であると考えています。
そうした点検に立った上で、日本経済が物価安定のもとで持続的成長を続けられるように、適切な判断を行っていきたいと考えています。
おわりに
以上、わが国経済の現状と先行き、および日本銀行の金融政策運営の考え方についてお話して参りましたが、最後に熊本県の経済についてお話したいと思います。
熊本県の経済情勢をみますと、個人消費や住宅投資などで弱めの動きがみられるものの、全体としては緩やかな回復を続けています。こうした背景には、当地を代表する半導体関連企業等が高水準の生産を続けている影響が大きいと思います。すなわち、当地では、熊本県が掲げた所謂「3つのフォレスト構想」(注4)や「熊本ソーラー産業振興戦略」の下での積極的な企業誘致活動等もあって、06年度の企業誘致件数が過去最高の40件に達した後も好調に推移していると聞いていますが、こうした企業の集積が雇用の拡大、生産の増加を通じて当地経済を下支えしていると思っています。
- (注4)「熊本セミコンダクタ・フォレスト構想」、「熊本ものづくりフォレスト構想」、「熊本バイオフォレスト構想」の3構想。
このほか、今後の経済活性化に向けた取り組みが進められている点にも期待しています。例えば、九州新幹線全線開通を控えた熊本駅周辺等の再開発等の動きや、「賑わいのある市街地作り」に向けた辛島町・桜町一帯の再開発計画の動きについて聞き及んでいます。更に昨年から「熊本城築城400年祭」が開催されていますが、季節毎の趣向を凝らした様々な催事の効果から、2007年中の入園者が11年ぶりに100万人を超えるなど盛り上がりをみせ、400年祭の締めくくりとして、本丸御殿大広間の復元も進行中です。熊本の魅力が全国へ発信され観光客の増加等で当地経済の更なる発展に繋がることにも大いに期待したいと思います。
本日も申し上げましたが、日本経済の状況はまだら模様であり、熊本県もその例外とはいえないようです。その中で地域の力を引き出す活性化の試みとそれを束ねる努力が必要かと思います。私は以前から、単なる金儲けの投資ではなく、「志」のある投資の重要性を主張し、その受け皿として「社会投資ファンド」という仕組みを提唱してきました。その考え方の一部は政府の地域活性化政策に取り入れられ「地域再生税制」の一部に反映されています。確かに政府の地域活性化のメニューは豊富になっていますが、それはあくまで地域の力を後押しするものであり、主役は地域です(注5)。「志」のある投資を呼び込む試みが熊本県で今後も続いて行くことを願ってやみません。
本日は、ご清聴頂き、有難うございました。
- (注5)地域再生についての様々な施策と相互の関連について以下の書物が網羅しています。また「社会投資ファンド」の基本的な考え方も説明しています。西村清彦監修、御園慎一郎・大前孝太郎・服部敦編『地域再生システム論−「現場からの政策決定」時代へ』東京大学出版会,2007年10月。