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世界経済と日本経済の未来に向けて
きさらぎ会における福井日本銀行総裁講演要旨
2008年2月22日
日本銀行
目次
はじめに
日本銀行の福井でございます。このように多くの皆様の前でお話する機会を賜り、厚く御礼申し上げます。本日は、はじめに最近の金融経済情勢と日本銀行の金融政策運営についてお話し、次に、世界経済と日本経済にとっての中長期的な課題と対応の方向性について、私が日頃考えていることをお話したいと考えております。
1.日本経済の現状と見通し
海外の金融経済情勢
まず、日本経済の先行きを展望する前提として、国際金融資本市場と世界経済の現状についてお話します。
国際金融資本市場では、米国のサブプライム住宅ローン問題を背景とする証券化商品の格下げや金融機関の損失懸念の強まりなどを受けて、不安定な状態が続いています。米欧の短期金融市場では、昨年末にかけて、年末越え資金調達に対する緊張の高まりなどから、ターム物金利が上昇しました。これに対して、各国中央銀行は、12月中旬以降、流動性の供給などの対応策を協調して実施しました。その結果、ターム物金利は低下し、市場は落ち着きを取り戻しつつあります。一方で、問題の発端である証券化商品市場はなお機能が低下した状態にあり、株式市場や為替市場は世界的に振れの大きな展開となっています。投資家のリスク回避姿勢は引き続き強く、米欧の金融機関の損失も当初の見通しよりも拡大しています。金融機関は、エマージング諸国や産油国のソブリン・ウェルス・ファンドなどを増資引受け先とした資本増強策を相次いで公表していますが、市場は、金融機関の今後の損失認識とそれを補う資本調達の動向を注視する慎重な姿勢を崩していません。
世界経済は、全体として拡大を続けていますが、このように国際金融資本市場の動揺が続く中で、不確実性が増しています。米国経済は、減速傾向が一段と強まっています。住宅投資が大幅に減少しており、住宅販売の減少と在庫の積み上がり傾向にはまだ歯止めがかかっていません。住宅価格の下落も続いており、なお底が見えない状況です。また、足もとでは、雇用や生産関連に弱めの動きがみられるほか、金融面でも、銀行の与信態度が、住宅向けだけでなく、商業用不動産や一般企業・消費者向けについてもタイト化しています。この間、個人消費は、減速傾向がやや明確になっていますが、緩やかな増加を続けています。設備投資も、緩やかな増加基調を維持しています。マクロ経済政策面では、FRBが大幅な利下げを行っているほか、米国政府は減税など景気刺激策を実施することとなっています。米国経済は、当面低成長が見込まれるものの、その後、住宅市場の調整に底入れ感が出て、金融環境のタイト感が和らいでくれば、政策面の措置の効果とあいまって、潜在成長率近傍の成長パスに戻っていくとみられます。もっとも、逆に、住宅市場の調整や金融資本市場の変動の影響が予想以上に大きい場合には、資産効果や信用収縮、企業や家計のマインド悪化などを通じて、景気がさらに下振れるリスクがあり、十分留意する必要があります。
欧州経済は、緩やかに減速しつつも成長を続けています。足もと輸出が減速しているほか、消費関連指標の弱さや金融市場の不安定な動きといった懸念材料はありますが、設備投資など企業部門は堅調を持続しており、先行きも、成長を続ける可能性が高いとみています。その他の地域をみると、中国・インド・ロシアなどで高成長が続いているほか、NIEs・ASEAN諸国でも総じて緩やかな景気拡大が続いています。このように、世界経済は、全体として拡大を続けていますが、国際金融市場の変動や米国経済の下振れの程度によっては、新興国など他の地域の経済も影響を受ける可能性があり、注意が必要です。
一方、インフレ方向のリスクにも目を配っていかなければなりません。実際、米国や欧州では、エネルギー・食料品価格の上昇などを背景に消費者物価の高い伸びが続いているほか、中国では、固定資産投資を中心に過熱感が強く、食料品などを中心に消費者物価の上昇率は高まっています。また、原油や金をはじめ、小麦、大豆といった穀物などが高値圏で推移している国際商品市況の動向も、その状況次第では、世界経済や物価の先行きに影響を与えることが考えられます。
先般のG7でも、以上ご説明してきたような認識を共有した上で、金融市場の安定と経済の持続的な成長に向けて、各国が協調して、それぞれの課題に取り組んでいくことを改めて確認しました。
日本経済の現状と見通し
次に、日本経済の動向に目を転じますと、当面減速が続くものの、生産・所得・支出の好循環メカニズムが基本的に維持される中で、物価安定のもとで息の長い成長を続ける蓋然性が高いと判断しています。もっとも、先ほどお話したように、海外経済や国際金融資本市場の動向、エネルギー・原材料価格の影響といったリスク要因については、十分注意を払っていく必要があると考えています。
まず、企業部門についてみますと、業況感に慎重さがみられています。その背景としては、第1に、住宅投資が、昨年6月に施行された改正建築基準法の影響で大幅に減少していること、第2に、原油をはじめとする原材料高が中小企業などの収益を圧迫する要因となっていること、第3に、サブプライム住宅ローン問題に端を発した世界経済の不透明感が高まっていることなどの事情が挙げられます。もっとも、世界経済が全体として拡大を続けていることを背景に、輸出はエマージング諸国や産油国など幅広い地域に向けて増加基調を辿っています。そのもとで、生産もこれまでのところ増加を続けています。生産の先行きについては、自動車の昨年7月の新潟県中越沖地震による操業停止分の挽回生産が一服することなどもあって、当面、横ばい圏内となる見通しです。しかし、在庫と出荷が概ねバランスのとれた状態にあることを考えれば、基調としては増加が続くと考えられます。また、設備や人員の面でも、企業は調整圧力を抱えておらず、設備投資は増加基調を続けると見込まれます。
次に、家計部門については、一人当たり賃金はやや弱めの動きが続いていますが、雇用者数の増加に支えられて、雇用者所得は緩やかな伸びを続けています。先行きも、雇用不足感や総じて高水準の企業収益といった状況が続くとみられることから、雇用者所得は緩やかな増加を続ける可能性が高いとみています。こうしたもとで、個人消費は、緩やかな増加基調を辿るとみられます。ただし、足もと、食料品やガソリンなど身近な商品が値上がりする中で消費者マインドの悪化がみられており、その影響については、注意深くみていく必要があると考えています。住宅投資は、改正建築基準法の施行に伴う手続き的な要因によって足もと大きく減少していますが、建築確認に関する手続きの遅れが解消するに連れて次第に回復するものとみられます。実際、新設住宅着工戸数には、持ち直しの動きがみられています。もっとも、マンション販売については、物件価格の上昇もあって弱さがみられており、回復のペースについては、不確実な面があると考えています。
物価面をみると、国内企業物価は、国際商品市況高などを背景に上昇しています。消費者物価(除く生鮮食品)は、石油製品や食料品価格が上昇していることなどから、12月は前年比+0.8%と上昇しています。先行きも、当面は石油製品や食料品価格の上昇などから、また、より長い目でみると、景気が緩やかな拡大を続けるもとでマクロ的な需給環境がタイト化していくため、前年比プラス基調を続けると予想されます。
当面の金融政策運営
以上のような経済・物価情勢の見通しやリスク要因を踏まえて、当面の金融政策運営の考え方をご説明したいと思います。
金融政策を運営していく上で大切なのは、目先の動きだけにとらわれることなく、経済・物価のパスをフォワードルッキングに見通しながら政策判断を行っていくことです。これまで申し述べてきたとおり、わが国経済は、当面、景気が減速する一方で物価は上昇を続けるとみられますが、その後は、物価安定のもとで緩やかな拡大を続ける蓋然性が高いと判断しております。したがって、先行きの金融政策運営についての基本的な考え方は、これまでと変わりません。引き続き、経済・物価の見通しの蓋然性を見極めるとともに、上下両方向のリスクを丹念に点検しながら、適切な政策運営に努めていく所存です。
2.世界経済と日本経済の中長期的な課題と方向性
次に、世界経済と日本経済にとっての中長期的な課題と、それに対応するための方向性について、私の考えを述べたいと思います。キーワードは「持続性」(サステナビリティ)、すなわち、持続性のある成長を遂げていくために、何をしていけば良いか、ということです。
(1)世界経済の課題と方向性
世界経済の構図と課題
現在世界経済で起こっている様々な問題、例えば、原油や食料の高騰、グローバル・インバランス、国際金融市場の動揺などの問題は、90年代以降の急速なエマージング諸国の台頭とグローバル化の進展、金融の国際化・高度化という大きな流れの中で捉える必要があります。
80年代後半から次々と市場化を実現したエマージング諸国は、90年代から2000年代にかけて、グローバル経済の中で急速にプレゼンスを高めていきました。このことは、2000年代に入り数年間は、良好な経済・金融環境をもたらす要因として作用しました。エマージング諸国の拡大に牽引されて、世界経済は稀に見る高成長を続けました。物価面では、その豊富な労働力によって、世界全体としての製品の供給力は飛躍的に拡大し、製品価格の下落をもたらしました。加えて、各国中央銀行の物価安定に向けた努力が実を結んだこともあって、低いインフレ率が保たれました。この物価安定のもとで、金融面でも、緩和的な金融環境が維持されました。米国などの先進国に、エマージング諸国や産油国からの豊富な資金が流入したことも、こうした金融環境を支えるひとつの要因となりました。そのもとで、金融技術の高度化も急速に進みました。こうした「高成長」、「物価安定」、「金融緩和」という良好な状況は、2000年代のはじめに、長期間にわたって続きました。
一方で、こうした構図の裏面も次第に明らかになってきました。高成長を続けているエマージング諸国の中にはエネルギー効率が低いところも多いため、原油に代表される資源の需要が増大し、供給面の不安とあいまって、国際商品市況の高騰が続いています。また、これらの国の労働者の生活の向上は、食料品への需要を高めたほか、代替エネルギーとしての需要が増加していることもあって、穀物などの食料品価格が高騰しています。資源制約がある中で、今のままで、エマージング諸国に牽引された高成長に持続性があるのか、疑問符がつき始めているように思います。
金融面では、良好な経済・金融環境が長く続いたこともあって、市場参加者のリスク評価に緩みが生じ、行き過ぎたポジションが造成されました。その後、昨年夏になって、サブプライム問題に端を発して証券化市場で大規模なリスク再評価の動きが生じ、それは、広範な市場に広がっていきました。これまで半年の間、様々な対応が採られていますが、国際金融市場はなお不安定な状態が続いています。これは、今申し上げたような大きな背景の中で生じている「リスク再評価」の過程ですから、調整には時間を要すると考えられますし、その過程で金融機関などに損失が生じることは避けられない性質の問題です。
対応の方向性
世界経済が持続性を持って成長していくために何をすべきか考えるためには、現在の諸問題をこうした大きな構図で捉えておく必要があると思います。
経済のグローバル化や金融の国際化、金融技術の高度化の流れは止められませんし、止めるべきでもありません。それらは、本質的に資源の効率的な配分を通じて、人々の厚生を高めるものだからです。むしろ、グローバル化の中で、各種の市場が十全に機能し、資源の効率的な配分を果たすことができるような環境を整えていく、という方向性が重要だと思います。それも、グローバル化や高度化の流れに遅れずに、スピード感を持って実現していくことが必要です。
第1に、エマージング諸国が世界経済におけるプレゼンスを高める中で、それにふさわしい柔軟な為替制度や金融資本市場の充実の必要性が高まっています。グローバル・インバランスの問題は、関係国の貯蓄投資行動やそれに影響する制度など様々な要因によって生じていますが、柔軟性が不十分な為替制度もそのひとつです。金融面からみると、エマージング諸国や産油国に蓄積された豊富な資金が米国などに投資されることで、不均衡がファイナンスされているという構図があります。この問題への対応としては、投資・貯蓄バランスの改善などの関係国の国内面での取り組みが基本であることは言うまでもありませんが、これと合わせて、より柔軟な為替制度のもとで、市場原理を活かしていくことは、世界経済が均衡のとれた形で持続的に成長していくことにつながると考えられます。
また、エマージング諸国経済のグローバル化のスピードに、これらの国の金融資本市場の整備が追いついていないという問題もあります。この面の改善は、資本フローの変調に対する頑健性を高め、こうした地域の安定的な経済発展に貢献するとともに、グローバルにみても、さらに効率的な資金配分を可能とすることにつながると考えられます。例えば、日本銀行では、アジアの中央銀行と協力して、アジアにおける債券市場を育成するABF(アジア・ボンド・ファンド)というプログラムを推進しています。
第2に、金融イノベーションの急速な進展が、必ずしも金融市場の機能の向上にうまく結びついてこなかった面もあります。今般のサブプライムローン問題に端を発する金融市場の動揺は、まさにこの問題を我々に突きつけています。住宅ローンの実行から、ローン債権の証券化、投資家への販売の各過程に、高い技術を有する金融機関や格付機関などが関与し、先端的な金融理論を応用していたにもかかわらず、結果として多額の損失が生じました。なぜ、市場メカニズムの中で、適切なリスクの評価やプライシングが行われなかったのか、を分析し、そうしたインセンティブが働くような枠組みを再構築していくことが必要です。その際、当局を含めた様々な関係者がそれぞれの役割について検討していく必要がありますが、主役は言うまでもなく市場参加者です。リスクとリターンの関係を適切に維持していくことは、市場参加者の利害そのものであり、その本来のインセンティブが働くようにしていくということが基本だからです。先般のG7においても、こうしたインセンティブが適切に働くような枠組み作りに向けて、金融安定化フォーラム(Financial Stability Forum)の提言を議論し、次回4月会合で最終報告を受けることとなりました。
第3に、資源やエネルギーの問題は、環境問題として重要であることは言うまでもありませんが、世界経済の持続的な成長という観点からも、解決していかなければならない問題のひとつです。具体的には、エネルギー効率の低い消費国の効率を改善するとともに、資源国の側でも安定的な供給体制を整えていくことが必要です。これを市場原理の中でどうやって実現していくか、そして、CO2排出に伴う地球規模の環境問題など外部不経済の問題をこれにどう組み込んでいくか、考えていかなければなりません。エネルギー効率の向上やよりクリーンなエネルギーの開発などは、わが国を含めて民間の高い技術力を活かしていくべき分野です。各国は、それに適切なインセンティブを与えていく努力を行っていますが、これが世界全体の課題であるという視点を常に持ち、また、市場機能を上手に活用していくことが重要だと思います。例えば、排出権取引は、市場を通すことで排出コストの適正な評価を行うとともに、エネルギーの効率利用などに向けた技術開発にも市場ベースのインセンティブを働かせることにつながります。
これら以外にも様々な分野で対応すべき問題があると思いますが、大きな方向性としては、グローバル化などの激しい環境変化に応じて、必要なメインテナンスをほどこしながら、マーケット・メカニズムを活かしていくということだと思います。そのことが、常に首をもたげる保護主義の台頭を防ぎ、世界経済が持続的に成長していく基礎になると考えています。
(2)日本経済の課題と方向性
少子高齢化の進展
次に、日本経済の中長期的な課題についてお話します。日本経済が持続的に成長していく上で、最大の課題は、少子高齢化が進展していくことです。少子高齢化の中で、いかにグローバルな活力を取り入れながら、経済の実力を高めていくことができるかが問われています。
成長の源となるのは、労働の投入と資本の蓄積です。これらを効率よく使って付加価値を高める、すなわち、生産性を高めることが、成長につながります。
まず、このうちの労働力は、生産年齢人口が減少する中で、減少していく方向にあります。それを少しでも食い止めていくためには、高齢者や女性の労働参加率を高める必要があり、こうした人たちが働きやすい環境を整備することが重要です。
第2に、資本を蓄積していくためには、日本企業が、内外の資金を惹きつける魅力的な投資機会であり続ける必要があります。サブプライム問題の影響で米国などの証券化商品市場から流出した資金の向かい先は、必ずしも日本ではありませんでした。しかし、日本企業が世界に冠たる技術力を有していることを思えば、収益力など企業の実力に対する世界の評価が低いとは考えられません。むしろ、こうした実力を投資に結びつける意味で、コーポレート・ガバナンスやファイナンスなどの面、あるいは、内外の投資家が投資しやすいような資本市場の環境・インフラの整備など、見直すべき点はないか、不断の取り組みが必要なのではないかと思います。
第3に、生産性を高めていくには、民間が十分に力を発揮できるように、規制緩和などを含め、制度面の対応を進めていくことが必要です。とりわけ、グローバル経済の中で競争していく上では、FTAなどを含めた貿易面の体制が重要ですし、優れた技術力・知識の集積を図るような適切な知的財産権の保護など、重要な制度面のインフラ整備を、時代の変化に合わせて迅速に行っていく必要があります。また、とりわけ非製造業の分野で、知識の集積を進め、日本全体としての知識創造力を高めていくことも重要な課題です。例えば、各国が国際競争力強化のために招致を進めているインテリジェント・ワーカーをいかに日本に呼び込んでいくかなど、グローバル化のダイナミクスを取り入れるための方策を推し進めていく必要があります。
以上のように必要なことは着実に行っていくとして、少子高齢化の問題は、単に経済の観点からだけでは捉えきれないということは念頭に置いておかなければなりません。少子化対策として、様々なインセンティブを用意し、保育施設などのインフラを整えるとしても、最終的には、これは個人の選択の問題になります。また、より直截な労働力対策として語られることの多い移民政策の問題は、経済だけでなく、社会のあり方などを含めた国民の選択の問題です。日本の潜在成長率が欧米に比べて低い主な理由は、労働人口要因であり、人口の伸びの違いには移民人口の違いが影響しています。日本の潜在成長率を高める方法のひとつは、おそらく移民受け入れの緩和でしょう。しかし、そうした社会を望むのか、あるいはそれほど成長しなくても単一的な社会を望むのか、より深く議論すべき時期に来ているように思います。グローバル経済の中で日本経済がどのような位置取りを目指すのか、はっきりさせていくことが必要になっていると思います。
財政再建の問題
この問題と密接に関連して、中長期的な課題となっているのが財政再建の問題です。日本の財政の厳しい状況については改めて言うまでもありません。重要なことは、これが中長期的な問題であり、短期的な効果しかない方策は解決につながらないということ、そして、何らかの意味での所得配分の見直しが必須であるということです。
少子高齢化が進む中で、働く世代に比べてリタイアした世代の割合は増えていきます。財政の面から見れば、税などの形で負担をする人が減り、社会保障などの形で便益を享受する人が増えるということです。この間の相対的な所得配分を変化させなければ──たとえて言えばパイの切り方を変えなければ──、財政状況は悪化していくことになります。見直しには当然痛みを伴いますが、それによって、持続可能な制度を構築していく以外の方策はありませんし、国民全体が持続可能であると納得できれば、将来不安の解消につながります。
パイの切り方を変えるプロセスを円滑に進めるためには、成長率を高めていくことが重要です。パイ全体が大きくなっていけば、受益者の受け取るパイをそれほど減らさずに、相対的な所得配分の調整を行うことが可能になるからです。大切なのは、実際にパイが大きくなること、つまり実質で成長率が高まることです。実質成長率が高まらないで物価上昇率が高まるだけでは効果はありません。年金の金額が変わらなくとも物価が上がれば、年金額が減るのと実質的に同じことだからです。また、財政収支という意味でも、物価上昇によって楽になることはありません。物価上昇率が上がれば、名目の税収は増えますが、歳出も増えますし、金利の上昇に伴って国債の利払いも増えると考えられるためです。
要すれば、財政再建に近道やフリーランチはありません。第1に、少子高齢化が進むもとで、世代間の所得配分をはじめとして何らかの所得配分の見直しを行っていく必要があること、そして第2に、そのプロセスを円滑に進めるためには、実質の成長率、経済の実力を高めるしかないということを認識した上で、将来につながる持続的な財政・社会保障の制度を構築していく、という厳しいけれども確実な道を歩んでいくしかないということです。それを実際にどうやって成し遂げていくか、税などの負担の増加によるのか、歳出の削減によるのか、といった具体的な方策については、国民的な判断が必要と考えられます。
(3)中央銀行の役割
最後に、こうした中長期的な課題を念頭に置いて、中央銀行が果たすべき役割についてお話します。経済・金融のグローバルな展開がさらに進化を遂げていく中にあって、中央銀行は、(1)適切な金融政策の運営を通じて経済・物価の安定に貢献するとともに、(2)効率的で安定した金融市場・金融システムの維持に向けて、流動性の供給や市場の整備など役割を果たしていく必要があります。
まず、後者の役割からお話します。今般の国際金融市場の動揺で明らかになったように、中央銀行は、金融市場への流動性供給の面で、市場の安定に大きな役割を担っています。特に、グローバル化の中で、国際的な資金の流れは大きく、複雑になっていますので、この役割を果たす上で各国の中央銀行間の連携は欠かせません。さきほど、昨年12月の各国の協調による資金供給についてご説明しましたが、その舞台裏では中央銀行間で情勢判断の擦り合わせや状況の改善に向けた議論が行われていました。日本銀行は、過去の金融危機に対処する中で、流動性供給についての枠組みを整えてきましたので、我々の経験は各国が対応策を練るのに大いに役立ったと考えています。また、中央銀行は、通常は、市場全体に対して流動性を供給しますが、金融機関が市場での資金調達に支障を来たした場合などには、「最後の貸し手」(Lender of Last Resort <LLR>)として、直接資金を供給することもあります。金融機関の業務が国際化する中で、こうした場面でも、各国間の密接な連絡が重要となっています。
このように、市場の混乱や金融機関の資金繰り問題が発生してから、これに対処するという場面も重要ですが、それらに備えて考え方の共有や体制の整備を図っておくことも欠かせません。具体的には、金融機関の活動が国際的に広がる中で、中央銀行のオペレーション手段や担保などの改善や、LLRの発動のあり方、マクロ的なプルーデンス政策面の整合性など、国際的な連携・連絡をどう確保していくか議論を重ねていく必要があります。さらには、より中長期的な視点に立って、金融市場のグローバルな展開の中で、各国の市場整備をどう進めていくかといった課題にも取り組んでいかなければなりません。中央銀行は、公的当局の中でも最も市場に近い存在であり、金融市場の急速な国際化・高度化にしっかりと対応していかなければならないと思っています。
次に、金融政策についてお話します。経済のグローバル化が進展する中で、国内の経済・物価情勢の判断を行う上で、海外の経済や金融市場の動向の影響が益々重要になっています。また、金融政策は、金融市場や金融機関行動を通じて効果を発揮するものなので、各国の金融政策がグローバルな金融市場を通じて、お互いに影響を与えるということも生じています。このため、各国の中央銀行は、それぞれの経済・金融の情勢や政策運営の考え方について、常に密接な意見交換を行っています。
とはいえ、中央銀行がやるべきことの基本は変わりません。そうした海外の情勢を十分踏まえた上で、各国の中央銀行は、自国の経済・物価情勢をフォワードルッキングに見通し、その安定のために適切な政策を行っていく、ということです。適切な金融政策によってそれぞれの国の経済・物価の安定を図ることが、全体としての世界経済の安定につながるというのが、世界の中央銀行の共通認識です。
このように、金融政策の目的が自国の経済と物価の安定であるという基本は変わらないと申し上げた上で、それを達成するためには、物価指数や成長率を見ているだけでは不十分だということを付け加えなければなりません。長い目でみた経済や物価に影響を与える可能性がある要因——例えば資産価格や金融市場、金融システムの状況など——にも目配りする必要があります。今回のサブプライム問題や日本のバブルなどの経験にかんがみると、資産価格の変動は、時として、中長期的な経済・物価に、非常に大きな振幅をもたらすことがあります。その意味で、長い目でみた経済・物価の安定を考える場合には、バブルや金融システムの混乱のように、起こる可能性は高くなくとも、コストの大きいリスク要因を常に考慮に入れる必要がありますし、その際には、資産価格や金融面の状況などの情報をよく分析しなければならないと考えられます。
この点は、各国の金融政策運営の枠組みにも取り入れられています。日本銀行は、2006年3月に導入した金融政策の枠組みの中の第2の柱、すなわち、長い目でみたリスク要因を点検する際に、こうした情報を考慮しています。欧州中央銀行は、経済・物価見通しの分析から得られる情報を、マネー指標から得られる情報でクロスチェックしています。また、米国FRBが昨年11月に導入した透明性強化策においても、中期的な見通しに伴う不確実性やリスクについてのFOMCメンバーの見方を公表することとされています。さらに、インフレーション・ターゲティングを採用している国々においても、機械的に消費者物価指数を一定範囲に導くという対応は採られておらず、こうした面への配慮を可能とするだけの柔軟性は確保されています。
日本銀行は、グローバルな情勢や金融面の動向を含めた幅広い情報をもとに、長い目でみた経済・物価の安定を図るように、金融政策を運営しています。こうした中長期的な経済・物価面の安定を保つことが、企業や家計が将来設計をし、実際に行動する時の基盤になります。そのことは、日本経済がグローバルな活力を取り入れながら、少子高齢化や財政再建などの課題を乗り越えていくことにつながると考えています。
おわりに
本日は、世界経済と日本経済の中長期的な課題と対応の方向性についてお話しました。課題はたくさんあります。しかし、私は、世界経済の発展性を信じていますし、その中で、日本経済が勝ち抜いていける力を持っていることを確信しています。こうした課題をひとつひとつ解決しながら、世界経済と日本経済が未来に向けて持続的な発展を遂げていくことを期待し、日本銀行をはじめとして、世界の中央銀行が今後ともそれを支え続けていくことをお約束して、講演を終えたいと思います。
以上