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【挨拶】「日本経済の現状・先行きと金融政策」
石川県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 須田美矢子
2008年8月28日
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- 英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。
目次
1.はじめに
日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員、いわゆる「政策委員」(ボードメンバー)が、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせていただいております。本日は、石川県の各界を代表する皆様方に、ご多忙のなかをお集まりいただき、親しくお話しする機会を賜り、誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃私どもの金沢支店が大変お世話になっております。この場をお借りして厚くお礼申し上げますとともに、今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
本日、私からは、日本経済の現状・先行きと金融政策についてお話しし、最後に石川県のこれからについて、僭越ながら私なりの見解を少し述べさせていただいた後、皆様方から当地の実情に即したお話や、忌憚のないご意見を承りたいと存じます。
まず、本題に入る前に、先月発生しました集中豪雨につきまして、一言申し上げたいと存じます。先月28日、当地では局地的な集中豪雨に見舞われ、金沢市内を流れる浅野川周辺が冠水するなど、多くの地域で被害が出たと伺っております。この場をお借りして、被害に遭われた皆様に対し、謹んでお見舞い申し上げますとともに、一刻も早い復旧をお祈りしております。
2.わが国経済・物価情勢の現状と見通し
(1)わが国経済・物価情勢の現状
さて、2002年以降、緩やかながらも息の長い拡大を続けてきた日本経済ですが、ご承知のとおり、原油をはじめとする原材料価格の高騰や海外経済の減速に伴う輸出の増勢鈍化などを背景に、成長のモメンタムがやや弱まっています。先般公表された2008年4-6月の実質GDP成長率は、前期比-0.6%と4四半期振りのマイナスとなりました。中身をみますと、これまで経済を牽引してきた純輸出の寄与がゼロとなったほか、個人消費を中心に国内需要も全般に減少しています(図表1の(1))。実質総所得も交易条件の悪化を背景に減少しており、こうした所得形成の弱まりが、生産・所得・支出の循環メカニズムを若干弱めていると思われます。日本銀行では、景気の現状に対する基調判断を、8月の金融政策決定会合で、7月の「さらに減速している」から「停滞している」へ下方修正しました。ただ、ここで申し上げておきたいことは、景気がここにきて急に落ち込んだ訳ではないということです。確かに、実質GDP成長率を前期比でみますと、4-6月に急に減速感が強まったような印象を受けますが、もともと振れの大きい統計であることには十分留意しておく必要があります。成長のモメンタムを弱めているという点では、日本経済は現在「停滞」局面にあることは確かですが、過剰な在庫や設備を抱えている訳ではないため、1998年や2001年のような大幅な調整は想定していません。因みに、前年同期比でみてみますと(図表1の(2))、足もとにかけて緩やかに減速している姿が、より鮮明にみてとれます。私の景気実感からは、この前年同期比の動きの方がイメージに近いと言えます。
いずれにせよ、日本経済の先行きを見通す上では、このまま停滞色を強めていくのか、エネルギー・原材料価格が落ち着きを取り戻し、次第に成長力を回復していくのか、慎重な見極めが必要な時期に差し掛かっていることは事実です。こうした点を念頭に、もう少し仔細に足もとの景気動向の中身をみてみます。
まず、わが国経済の牽引役である輸出についてですが、4-6月の実質輸出は、サブプライムローン問題に端を発する米国住宅市場の調整やグローバルな金融資本市場の動揺が長期化する中、米国やEU向けの減少が響くかたちで減少に転じました。新興国が牽引し世界経済が成長するもとで(図表2)、7月は再び増加に転じていますが、輸出全体としてみれば増勢は鈍化しています(図表3)。背景にある海外経済をみますと、米国につきましては、消費者向けローンの厳格化、失業率の上昇や雇用者数の減少、逆資産効果、ガソリン高などから、個人消費は低調に推移しています。特に日本から米国向けの輸出でウエイトの高い自動車の販売動向が低迷を余儀なくされています1。欧州でも、ユーロ圏小売売上数量が昨年10-12月以降3期連続のマイナスとなっているほか、4-6月期の実質GDPも、前期比-0.2%と僅かながら減少となりました。この間、アジアにつきましても、韓国や台湾等で、交易条件の悪化に伴う内需の下振れ懸念が強まっています。
一方、内需に目を向けてみますと、エネルギー・原材料価格の高騰を背景とする交易条件の悪化が、設備投資や個人消費に重石となって悪影響を及ぼしつつあります。まず、企業収益は、中小企業を中心に減少しています。6月短観の2008年度全規模全産業の経常利益をみますと、6年振りに減益となった2007年度に続き、2年連続で減少することが予想されています。こうした中、設備投資は足もとほぼ横這い圏内での推移となっています。また、中小企業を中心とする収益環境の悪化は、雇用にも影響を及ぼしています。労働力調査で4-6月期の雇用者数をみますと、大企業では前年を上回る一方、中小企業では減少幅が拡大傾向にあります2。このように、これまで雇用者報酬の底堅い伸びを支えてきた雇用者数に、やや伸び悩みの傾向が窺われているほか、一人当たり名目賃金につきましても、今年に入って前年比プラスが続いてはいますが、伸び率は徐々に縮小しています。この結果、雇用者報酬は足もと横ばい圏内の動きとなっており、物価上昇率を加味した実質ベースでは、マイナスに転じています。こうした所得環境のもとで、個人消費も弱めの動きとなっています3。この間、改正建築基準法の影響から、昨年来大幅減となっていた住宅投資は、今年に入り回復傾向を辿ってきましたが、足もとはマンション販売の低迷等から、依然として改正建築基準法施行前より低い水準に止まっています。以上のような内外需要を背景に、鉱工業生産も1-3月期以降足踏み状態が続いています。
物価情勢につきましては、まず、7月の国内企業物価指数(速報値)をみますと、前年比+7.1%と、第二次オイルショックの影響が残る1981年1月以来の高い伸びとなりました。また、6月の消費者物価指数(除く生鮮食品)も、石油製品や食料品の上昇等を背景に、+1.9%まで前年比上昇幅を拡大させました。この上昇幅は、消費税率の引き上げといったイベントを除けば、15年6か月振りの高い水準であり、長らくゼロインフレが続いてきたわが国にとっては、相当大きな上げ幅と言えます。多くの企業が原材料価格の上昇を生産効率の向上や人件費抑制によって吸収するのが難しくなっており、昨年後半以降、販売価格へ転嫁する動きが広範化しています。特に、需要の価格弾力性の相対的に低い生活必需品で、そうした動きが顕著に窺われていますので、消費者の生活実感としては、消費者物価指数の全体の数字から受け取る印象以上に、インフレ率が高まっていると感じられるのではないでしょうか。ただ、今のところ、賃金が伸び悩むもとで、エネルギーや食料品等を中心とする物価上昇に止まっており、インフレ率と賃金が相乗的に上昇するような二次的波及効果の顕現化には至っていないとみることができます。
- 1因みに、2008年1-6月の米国向け輸出に占める自動車のウエイトは、31.4%です。
- 24-6月の雇用者数の前年比を従業者規模別にみますと、500~999人が+3.9%、1,000人以上が+9.8%と増加しているのに対し、100~499人-0.7%、30~99人-1.2%、1~29人-1.9%と規模が小さくなるほど減少幅が大きくなっています。
- 34-6月の家計調査の実質消費水準指数(除く「住居等」)は、前期比-2.4%の減少となりました。
(2)わが国経済・物価情勢の先行き
次に、わが国経済・物価情勢の先行きについて述べたいと思います。8月の金融政策決定会合で政策委員が合意したとおり、景気については、「国際商品市況高が一服し、海外経済も減速局面を脱するにつれて、次第に緩やかな成長経路に復していく」、また消費者物価指数(除く生鮮食品)については、「当面上昇率がやや高まった後、徐々に低下していく」というのが、現在の標準シナリオです。景気の足もとを「停滞」としておきながら、楽観的ではないかとの印象を持たれるかもしれませんが、私どもでは、金融政策を行う立場から日本経済の先行きを見通しています。金融政策はその効果が出てくるまである程度の期間を要しますので、我々の見通しもそうした先行きの姿を念頭において、その蓋然性の程度を確認するという視点から日々の材料をみています。これに対し、例えば市場参加者の皆さんは、日々の材料を追いながら先行きの姿を探られていますので、我々の見方とはギャップが生じる可能性があります。ここで、改めて申し上げておきたいのは、今のところ、私どもの標準シナリオは、従来のものから大きくぶれている訳ではないということです。
以下では、先行きを見通す上で重要な、(1)海外景気と金融資本市場、(2)インフレと賃金の関係、に焦点を当てながら、項目ごとの見通しを簡潔に整理していきたいと思います。
実体経済の先行き
まず、輸出の先行きや金融資本市場を通じた影響を考える上で重要な米国経済についてですが、昨年来の積極的な利下げや減税の効果等から、4-6月の実質成長率は年率2%程度の底堅い伸びとなりました。今年の春頃には、2008年前半は2四半期連続のマイナス成長もあり得ると囁かれていたことを思えば、悲観色の強かった市場に安心感を与える結果であったと評価しています。また、企業収益の減少も今のところ金融や消費という特定のセクターに止まっていますし、消費に悪影響を与えているガソリン価格もこのところ下がっています。しかしながら、住宅在庫が高止まる中、住宅市場の調整は今後も続くとみられるうえ、金融資本市場の動向もまだまだ楽観できるような状況ではありません。こうした中で、金融機関の与信姿勢のタイト化や消費者コンフィデンスの悪化が、引き続き個人消費の足を引っ張ると考えられます。昨年来の利下げ—実質金利のマイナス転化—、減税、住宅関連の政府系企業(GSE4)への支援策といった各種施策の景気下支え効果が、どの程度持続性のあるものなのか、その帰趨を見極める必要はありますが、年後半の減速は避けられそうになく、米国向け輸出は、当面低調に推移する可能性が高いとみています。また、ユーロ圏やアジア、中でもNIEsやASEANでは、世界経済の減速に加えて商品市況高に伴う所得形成の弱まりが、成長の制約として徐々に顕在化しつつあり、そうした地域向けの輸出も暫くは弱めの動きを余儀なくされるとみています。このように、世界経済の成長率が鈍化していくもとで、輸出全体の伸びは緩やかなものになっていくと予想しています。
個人消費につきましても、当面、エネルギー・食料品価格の上昇を背景に伸び悩むとみています。しかし、やや長い目でみれば、世界経済の減速に伴ってエネルギー・食料品価格が落ち着きを取り戻し、雇用者所得が実質ベースで緩やかな回復に向かうにつれて、個人消費も次第に底堅さを取り戻していくと想定しています。足もと回復の動きが一巡している住宅投資は、マンション販売の地合いが、価格先安感や資材価格高を背景とする着工延期等もあって低調に推移する中、当面は横這い圏内の動きになるとみています。設備投資については、グローバル競争を意識した大企業の積極的な投資姿勢が堅持されるとみられるほか、最近の民間の調査でも長期期待成長率に大きな悪化はみられておらず5、企業収益の足を引っ張っているエネルギー・原材料価格が落ち着いていくにしたがって、設備投資は次第に底堅さを増していくとみています。この間、現在足踏み状態となっている生産は7-9月も3期連続で減少する可能性が高くなっていますが、在庫・出荷バランスが大きくは崩れていないもとで、エネルギー・原材料価格高の影響が薄れ、所得形成力が次第に回復していくにつれて、再び増加基調に復していくとみています。
- 4Government-Sponsored Enterprises:住宅関連ではFannie Mae、Freddie Mac、FHLB。
- 5みずほ証券の投資家動向調査(08年6月実施)によると、向こう10年間の実質期待成長率の平均値は1.68%(中央値1.70%)で、前回調査比+0.02%(同+0.20%)となっています。
物価の先行き
次に、物価の先行きについて述べたいと思います。最近、市場エコノミストや海外の機関投資家等から、グローバルなインフレ圧力に対する経済のパフォーマンスが相対的に良好な国として、わが国を見直す声が聞かれています。確かに、日本では、他国に比べて国際商品価格の上昇が川下製品へ波及し難い印象があります。なぜ、わが国ではグローバルなインフレ圧力が国内に伝わり難いのでしょうか。
その鍵は抑制的な賃金にあると思っています。わが国の賃金の伸び悩みにつきましては、昨年1月に開催した佐賀市における金融経済懇談会で詳しく議論しましたが6、その際の主なポイントは、(1)賃金の相対的に高い団塊世代から低い新卒者への振り代わり、(2)安価な輸入品との競合激化に伴う業績低迷、(3)グローバル化(海外投資家比率の高まり)に伴う収益重視姿勢の高まり、(4)雇用確保を重視する労働組合の賃金引上げ要請の弱まり、の4点でした。また、平成20年版労働経済白書では、(5)製造業の生産性の高い分野で人員が減少する一方、サービスや小売といった労働生産性の低い分野で人員が増加している、と分析しています。このうち(1)と(2)は影響が小さくなったと考えられますが、その他の点については、現在でも構造的な賃金抑制要因として作用していると思われ、賃金がインフレ率にスライドする傾向の強い欧米諸国や新興国との大きな違いとなっています。こうした抑制的な賃金のもとで、エネルギー・食料品価格の上昇が実質的な購買力を減退させてしまうため、消費者に近い川下製品ほど価格転嫁が困難になっていると解釈できます。
以上のような構造的な背景を前提とすれば、物価情勢の先行きは、結局、エネルギー・食料品価格の帰趨によって大きく左右されることになります。国際商品市況に対する私の見方は、長い目でみれば緩やかな上昇トレンドを持つというものですが、目先は、世界景気の減速に伴って落ち着きを取り戻すとみています。欧米経済はこのところ減速感を強めていますし、新興国をはじめ、最近利上げに動く中央銀行が徐々に増えています7。また、政府の補助金カットによるエネルギー価格の引き上げが実施されている国もみられ、こうした国々の金融引締め効果や価格メカニズムを通じた需要抑制効果が出てくると思われますので、今後、国際商品市況の調整が確認されていくものと期待しています。実際、その兆候が窺われています。現在、原油価格(WTI)は7月中旬にピークを付けた後、足もと2割程度の調整が発生しています。ただし、こうした動きがわが国の消費者物価指数に現れてくるまではある程度の時間を要すると思われますので、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は、この先2%を上回る時期が暫く続く可能性はありますが、次第に上昇幅を縮小していくと予想しています。
- 6佐賀市金融経済懇談会での挨拶要旨「日本経済の現状・先行きと金融政策」2007年1月(本ホームページを参照)。
- 7例えば、トルコ(6月16日、+50bp)、メキシコ(6月20日、7月18日、8月15日、+25bp)、インド(6月24日、7月29日、+50bp)、ロシア(7月11日、+25bp)、タイ(7月16日、+25bp)、フィリピン(7月17日、+50bp)、ブラジル(7月23日、+75bp)、インドネシア(8月5日、+25bp)、韓国(8月7日、+25bp)など。
(3)リスク要因
以上の見通しは、現時点で利用可能な情報をもとに、最も蓋然性が高いと考えているシナリオですが、当然のことながら不確実性を含んでいます。私は、エネルギー・原材料価格高に伴うインフレの上振れリスク、世界経済の下振れや所得形成の弱まりを背景とする景気下振れリスクを、リスク要因として注視しています。以下では、それらについて簡単に整理しておきたいと思います。
インフレの上振れリスク
最初に、インフレの上振れリスクから述べたいと思います。繰り返しになりますが、物価に関する我々の標準シナリオは、原油等の国際商品市況が、世界経済の減速に伴って徐々に落ち着きを取り戻して行く、という見通しを前提としています。しかしながら、現在、調整局面にある原油価格(WTI)が、再び上昇することなく想定どおり消費者物価指数(除く生鮮食品)の上昇幅縮小に繋がって行くのかについては、依然として不確実性の高い状態と言わざるを得ません。実際、市場の先行きに対する見方は、図表4にあるように、上下両方向にばらつきがみられます。しかし、私が上振れ方向のリスクを意識しているのは、世界的に緩和的な金融環境が背景にあるからです。今年5月に日本銀行で開催された国際コンファランスで、スタンフォード大学のジョン・テイラー教授が示唆に富む指摘を行なっています8。要すれば、「インフレに対する金融政策の対応原則は、一時的変動を均らした上で、インフレ上昇率以上に名目金利を引き上げることである(テイラーの原則)。しかし、ここ数年間、各国の短期誘導金利はインフレ率ほど上昇しておらず、むしろ昨年夏以降は低下している」というものです9。つまり、昨年以降の国際商品市況の高騰の背景には、資源制約を超える世界的な需要の増加が、グローバルな金融緩和によって発生した、という面があると考えられます。
テイラー教授は、講演の中で昨年夏以降の米国の利下げにも言及していますが、米国の利下げの背景には、サブプライムローン問題に端を発する金融資本市場の混乱があります。FRBのバーナンキ議長は、7月15日の議会証言で「金融市場の機能正常化を助けることが引き続き最優先課題(a top priority)である」と述べていましたが、8月5日のFOMCは、金融資本市場に緊張感が依然として残る中、FFレートの誘導目標を2%のまま据え置きました。この結果、ドルペッグ制を採用している産油国等においても、緩和的な金融環境が継続しているということになります。先ほど、金融引締めに動いている中央銀行が増えつつあることをご紹介しましたが、各国のインフレ率の高さを踏まえますと、世界全体でみれば、テイラーの原則に照らし十分な引締めになっていない可能性が高く、グローバルな金融環境は、引き続きインフレリスクを高めやすい状態にあると考えられます。
こうした中、ガソリンや食料品といった生活必需品の価格上昇が長引いていることから、人々のインフレ予想を上振れさせるリスクは高まっていると思われます。日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」(6月調査)では、1年後の物価について「上がる」と答えた比率が増加し、全体の約9割に達しています。また、実際に価格を設定する企業の予想も重要ですが、価格転嫁が難しいとされてきた中小企業について、中小企業金融公庫による第198回中小企業動向調査をみますと、販売価格D.I.が3四半期連続でプラス幅を拡大し、さらに先行き2四半期も拡大する見通しとなっています。また、短観の販売価格判断D.I.でも、足もとプラス幅を拡大させています。今のところ、一人当たり名目賃金に目立った上昇は窺われていませんが、消費者物価とともに賃金も上昇するという両者の関係がなくなった訳ではありません(図表5)。このまま原材料価格の転嫁が進み、消費者物価が上昇し続ければ、賃金も次第に上昇ペースを速め、インフレ率と賃金の相乗的な上昇傾向が思いのほか強まっていく可能性もあります。グローバルな金融緩和の状態が続く中、世界でインフレ率が高まっており、人々や企業のインフレ予想は確実に高まっていると思われます。したがって、足もと国際商品市況が調整局面にあるからといって、インフレリスクに対する警戒を怠るべきではないと考えています10。
- 8John B. Taylor(2008)"The Way Back to Stability and Growth in the Global Economy,The Mayekawa Lecture,"Discussion Paper No.2008-E-14(和文No. 2008-J-13),Bank of Japan (本ホームページを参照)。
- 9こうした考え方は、3月の宮崎市金融経済懇談会における整理とも整合的です。
- 10日本を含めてOECD諸国のインフレ率は、(商品市況、グローバルな景気循環や国際流動性のトレンドなどの影響をうけている)グローバルなインフレという共通項によって平均7割説明されるという分析もみられます(M. Ciccarelli and B. Mojon,"Global Inflation", Working Papers WP-2008-05, Federal Reserve Bank of Chicago)。
景気の下振れリスク
次に、景気の下振れリスクについて述べたいと思います。最初に、これまで述べてきたインフレリスクとの関係について整理しておきます。我々が想定している通り、世界景気の減速に伴って国際商品市況が落ち着きを取り戻していけば、企業収益や所得形成の下げ止まりに繋がりますので、日本経済の持続的な成長のためには望ましいことだと言えます。しかしながら、その過程では、わが国の輸出に何がしかマイナスの影響を与える可能性があります。事実、4-6月の実質輸出の減少には、世界経済の減速が背景にあるとみられます。こうしたマイナス面と、エネルギー・食料品価格が落ち着き所得形成が回復していくというプラス面とを、より長い目で適切に評価していくことが重要です。
一方、世界経済が減速している中で国際商品市況が再び上昇に転じ、インフレ率が予想外に上振れるようなことになれば、日本経済の中長期的な成長にとって、より大きな影響をもたらすことになります。交易条件のさらなる悪化と、それに伴う企業収益や所得形成の一段の下振れを生じさせるとともに、世界経済のさらなる下振れによって輸出にも悪影響が出てきます。特に経常赤字や財政赤字などの不均衡を拡大させている国では、大幅な通貨安や株安など、より大きな問題を生じさせることにもなりかねません。また、インフレ率が高まれば高まるほど、それを抑制するために、より大幅な金融引締めが必要となりますので、成長率に大きなダウンスィングを生じさせます。このように、インフレの上振れリスクは、景気の下振れリスクでもあります。
また、景気の下振れリスクとして意識している点に、金融資本市場の動向があります。サブプライムRMBS、ABS CDOをはじめとする証券化商品のスプレッドが引き続き拡大する中で、欧米金融機関の追加損失や自己資本不足に対する懸念が根強い状態が続いています。経営不安が高まっているGSEにつきましても、「2008年住宅・経済回復法案11」等の各種施策が打たれていますが、公的資金を注入すべきとの声が聞かれており、株価は低迷を続いていますし、今年に入って地銀の経営破綻が散見されています。最近では、モノラインの格下げや地方自治体の財務悪化等を背景に流動性が低下している金利入札証券(ARS12)の買取問題が、金融機関のバランスシート拡大や追加損失に対する懸念に繋がっています。こうした中、FRBの銀行融資基準に関する調査をみますと13、金融機関の融資態度は、消費者ローンやプライム向け住宅ローンに対してまで厳格化しています。こうした動きがマインドの悪化や逆資産効果と併せて実体経済に悪影響を及ぼし、再び金融機関の業績や金融資本市場へという「景気と金融の負のフィードバック」が懸念されます。この間、欧米の短期金融市場は、金融機関のドルニーズの高さを背景に、LIBOR-OISスプレッドは高止まっています。
一方、日本の金融市場でも、欧米市場に比べれば落ち着いてはいますが、引き続き神経質な地合いが続いています。株式市場では、海外の影響を受けて引き続き振れの大きい展開となっています。クレジット市場でも、6月以降3か月連続して発生した公募社債のデフォルトや14、建設・不動産セクターを中心とした倒産の増加を受けて、欧米に比べれば相当低い水準ではありますが、それでもじわじわと低格付けの社債スプレッドは拡大傾向を辿っています。また、短期金融市場においても、9月末越えを控えていることもあり、以上の点と併せて、しっかりとみていきたいと思っています。
- 11Housing and Economic Recovery Act of 2008
- 12Auction Rate Securities
- 13Senior Loan Officer Opinion Survey on Bank Lending Practice
- 14スルガコーポレーション(6/24日)、ゼファー(7/18日)、アーバンコーポレイション(8/13日)。
(4)当面の金融政策運営に当たって
以上のように、金融資本市場が引き続き神経質な地合いを続ける中、国際商品市況や海外経済の動向など、経済・物価の先行きを見通す上で、不確実性の高い状態が続いています。日本銀行としては、金融市場の安定を維持すると同時に、経済・物価の見通しとその蓋然性、上下両方向のリスク要因を丹念に点検しながら、それらに応じて機動的に金融政策運営を行なっていく方針です。ここで、リスク要因を点検する際のポイントは、景気とインフレのどちらを重視するかといった二者択一的な見方はしていないということです。繰り返しになりますが、国際商品市況の先行きが不確実なもとでは、インフレの上振れリスクと景気の下振れリスクを切り離して考えることは出来ません。
7月に公表した「金融市場レポート」(日本銀行)では、国際商品市況の上昇持続を背景に、インフレ懸念の高まりが先行きの金融政策運営やマクロ経済環境を巡る不確実性を一層高め、投資家のリスク・アペタイトを削ぐことになったと指摘しています。インフレ懸念による不確実性の高まりは、投資家だけでなく、家計や企業に対しても経済活動の意思決定を難しくします。言い方を換えれば、経済の効率性を高め、持続的な経済成長を達成させるためには、インフレ率の安定化が不可欠だということです。その鍵を握っているのは人々のインフレ予想です。インフレ予想がアンカーされているからこそ様々な危機にも弾力的に対応できるのであって、そのためには、不断にインフレリスクに対峙しておくことが、中央銀行としての重要な責務であると考えています。
3.交易条件と金融政策
さて、以上みてきましたとおり、景気動向や先行きの見通しについては、資源価格の動向が大きな影響を及ぼしています。当面の金融政策運営につきましても、資源価格の動向を意識しながら説明してきましたが、以下では、わが国の金融政策と交易条件との関係についてもう少し議論してみたいと思います。論点は、グローバルな視点の重要性、交易条件悪化の中身、免れ得ない国民負担の3つです。
(1)グローバルな視点の重要性
第一点はグローバルな視点が重要だということです。先ほど資源価格の高騰の背景にはグローバルな金融緩和があると述べました。これは資源制約がある中で、世界の成長率が高すぎたために、資源に対するグローバルな需要が強すぎたことを示唆しています。したがって、世界を一つの国と見なせば、物価安定のもとでの持続的な成長を維持していくためには、引き締め政策をとっていくのが望ましい姿と言えます15。すなわち、引き締め政策をとることによって、経済成長率を適正な範囲に押し下げ、資源に対する需要を抑制して資源価格が低下していけば、インフレ率の安定化に繋がるため、中長期的には安定的な経済成長をもたらすと考えられます。
しかし、世界は一つの国ではありません。変動為替相場制のもとで、それぞれの国がそれぞれの政策目標に向けて独自の政策運営を行なっていますので、先ほども述べましたように、かなりの国で引き締め政策がとられているにも拘わらず、テイラーの原則に照らしてみれば十分とは言えない状況です。例えば、資源輸入国では、資源価格の上昇は供給ショックという面がクローズアップされがちです。すなわち、資源価格高によって、同じ量の資源を輸入するのに、資源輸入国は輸出国に対してより多くの支払いを行なうことになりますが、その分輸出国への所得のトランスファーとなります。したがって、資源輸入国にとって、そのマイナス効果が資源輸出国に対する輸出増などで相殺されない限り、物価上昇圧力とともに景気下振れ効果をもたらすことになります。こうした景気下振れ効果の程度とそれに対する対応によって、各国の金融政策は変わってきます。その結果、グローバルにみて十分な引締めとならなければ、資源価格の上振れリスクは残ることになります。資源価格が上昇すればするほど、資源輸出国では取得した代金のうち支出に回す割合が低下していきますので、輸入国の景気がより大きく下振れてしまう可能性が高まります。そうならないように、世界経済が適度に減速し、それにつれて資源価格も落ち着きを取り戻していけば良いのですが、そのようなソフトランディング・シナリオの実現は、かなりの不確実性を伴います。
因みに、各国の金融政策は、自国の目標に基づき行なわれることが基本ですが、大国の場合は、自国の金融政策が何らかのかたちでグローバルな経済にも影響を及ぼしますので、その自国経済への反作用も考慮に入れて政策の妥当性を検討する必要があります。
また、資源価格の高騰は経常収支赤字問題をもたらす可能性もあります。1973年秋の第一次オイルショックの際、OPEC諸国が石油収入の増分を支出に回す割合が低かったことから、石油価格の上昇は輸入国の経常収支赤字をもたらし、オイルマネーをどのように赤字国に還流させるかが大きな問題となりました。ユーロダラー市場では一時的に金融閉塞的な状況も生じました。日本でもファイナンスに懸念を抱き、サウジアラビアから秘密裏に外貨を調達することまで行いました16。現時点では資源価格上昇による対外収支の悪化は、資源国の支出の増大もあって、それほど大きな問題とはなっていませんが、資源価格の更なる高騰は、資源輸入国の経常収支赤字を増大させ、そのファイナンスの問題を生じさせる可能性がなくはありません。インフレが高い国では、その問題が顕現化する可能性がより高いと思われます。わが国でこのような問題が生じるリスクは想定していませんが、原油価格の高騰如何では、こういった問題が原油輸入国で発生し、金融市場を通じてその影響がわが国にも波及してくるリスクがないとは言えません。
- 15BIS(国際決済銀行)は、6月30日に公表した年次報告で、「インフレは今ある明らかな脅威であるが、多くの国の実質政策金利は歴史的にみて非常に低く、金融引き締めへのグローバルなバイアスが適切である」と指摘しています。またガイトナー・ニューヨーク連銀総裁も、6月9日、ニューヨークのエコノミッククラブでの講演後の質疑応答で、「世界的に悪化方向にあるインフレ環境にあって、リスクを抑えるにはおそらく世界中で概して引き締め的な金融政策を実施することが必要だろう」と述べています。
- 16このときの状況については、小宮隆太郎・須田美矢子『現代国際金融論』歴史・政策編、日本経済新聞社、を参照してください。
(2)交易条件悪化の吟味の必要性
第二に、交易条件の悪化がどのような要因によってもたらされているのかを理解することも金融政策運営上、重要だと考えています。交易条件の悪化が輸入価格の上昇によるのか、輸出価格の下落によるのかによって、国内物価などとの関係が異なってくるからです。実際、日本の交易条件の悪化幅は他の先進国に比べて非常に大きくなっていますが、その理由の一つが輸出物価指数の動きの違いにあります。欧米諸国では輸出入物価が同方向の動きをしていますが、日本の輸出物価指数は、オイルショック時は別として、低位安定的に推移しており、輸入物価の動きと大きく異なっています(図表6)。その背景には、生産性上昇によって価格が下落する傾向のある電気機器や輸送用機械のウエイトが高いという、日本の輸出構造があります。一般的に、新興国の技術進歩が進むにつれて輸入物価が下落し、徐々に交易条件が改善していくという面がある一方で、わが国の輸出物価の以上のような特質が少なからず影響している、という側面も見逃せません。
世界の経済構造が大きく変化しているかどうかも、重要な検討ポイントです。すなわち、新興国の台頭によって、資源・食料品価格の、それらを除く全体の物価に対する相対価格が、新しい均衡に向けて変化していると捉えられます。少し難しい言い回しですが、要は、構造的に、資源・食料品に対する相対的なニーズが高まっているということです。図表2に戻りますと、世界経済の成長率に占める新興国のウエイトが高まっていることが確認できますが、このことは世界の需要に占める新興国のウエイトの増大をも意味します。また、新興国では所得が増大しますと、自動車やエアコンの普及率上昇等に伴ってエネルギーに対する需要も増加しますので、一人当たりGDPの増加は、それ以上に一人当たり原油消費量を増やすとみられます17。この結果、世界の成長率が一定のもとでも、新興国のウエイトが高まるにしたがって、資源需要は世界の成長率以上に増大することになるため、このような構造変化に伴う新しい需給バランスのもとでは、グローバルにみて資源・食料品価格の、それらを除く物価に対する相対価格は高くなると考えられます。日本では資源・食料品は殆ど輸入に頼っていますので、日本の交易条件は、この構造変化に伴って悪化することになります。
こうした世界経済の大きな構造変化を背景とする新しい需給バランスのもとでは、高騰した資源の利用を節約する結果、これまでよりも労働生産性が低下することになります。その結果、実質賃金も低下し、延いては潜在成長率の低下につながっていくと考えられます。この間、賃金や資源・食料品を除く物価は、ゆっくりとしか調整されないため、この新しい需給バランスを前提とした相対価格体系への調整過程では、一時的にインフレ率の高まりや失業の増大が発生することになります。その際、懸念されるのは、一時的なインフレ率の高まりが人々のインフレ予想を高めてしまう可能性があるということです。
実際の金融政策運営では、新興国の台頭を前提とした世界需給バランスのもとでの新しい相対価格が、いったいどんなレベルなのか見出し難いことに加えて、インフレ率が上昇したときに、それが新しい相対価格への調整過程で生じるインフレ率の上昇なのか、賃金とインフレ率の相乗的な上昇(先ほどのべた二次的波及効果の顕現化)なのか、明確に区別することが難しいという問題があります。いずれにせよ、物価安定のもとでの持続的な経済成長を達成するためには、この二次的波及効果を引き起こさないようにする必要があります。そのためにも、海外のインフレ動向にも目配りしながら、インフレ予想を高めるような芽が出ていないか、しっかりみていきたいと思っています。
- 17世界各国の一人当たりGDPと一人当たり原油消費量の関係については、ダラス連銀のレポートを参照(Stephen P.A. Brown, Raghav Virmani, and Richard Alm,"Crude Awakening: Behind the Surge in Oil Prices", Economic Letter-insights from the Federal Reserve Bank of Dallas, Vol.3、No.5, May 2008.)。
(3)資源高と免れ得ない国民負担
第三に資源価格高騰によって交易条件が悪化する場合、資源輸入国の負担が免れ得ないという点を認識する必要があるということです。勿論、輸入国全体の負担を輸入国間で、あるいは国内では大企業と中小企業間、家計と企業間で、どのようにシェアすることになるかは、エネルギー効率の程度や、価格転嫁のスピード、為替レートの動向や、賃金の抑制度合い、そして金融政策運営等に依存すると思われます。現在、日本ではエネルギー消費効率は高いものの、価格転嫁の難しさや賃金抑制姿勢の強さから、労働者や中小企業の負担が大きくなっていることは先に述べたとおりです。新たな均衡までの過程でインフレ率の高まりや失業が発生することになると申し上げましたが、適切な金融政策によって、なるべくスムースに物価安定のもとでの持続的成長パスに復していくよう、努力して参りたいと思っております。国民負担を減らすという点でより重要なのは、省資源・省エネルギー投資等を行い、これまで以上に生産性を高めていくことだと思っています。
第二次オイルショック時の前川春雄総裁(当時)は、1983年5月金融学会創立40周年記念大会において、「国民一般にもインフレーション再燃の防止、これが持続的な経済成長の前提条件である、との理解が深まりました。・・(中略)・・日本銀行にとって国内物価の安定が、今後とも最優先の政策課題であることは申すまでもありません。インフレーションは市場メカニズムを阻害し、経済効率に悪循環を及ぼすだけでなく、経済的公正をゆがめ社会的および政治的摩擦をも拡大し、社会の基盤を危険にさらします。日本銀行はこうした諸点を念頭に置き、短期的な視点に立った成長と雇用拡大の誘惑にとらわれず、たとえ一時的に不人気なことがありましても、物価安定優先の姿勢を貫徹いたしたいと存じます」と述べています18。現在、日本経済は停滞を余儀なくされていますが、今一度、インフレ抑制の姿勢が持続的な経済成長の大前提であるという認識を、皆さんとともに共有していきたいと思っております。
- 18前川春雄「日本銀行の使命—第2世紀を迎えて」、金融学会創立40周年記念講演、日本銀行金融研究所『金融研究』第2巻第2号、1983年7月
4.おわりに
最後に、石川県で金融経済懇談会を開催するに当たりまして、事前の勉強等を通じて、いくつか感じたことをお話したいと思います。
まず、石川県の景気動向をみますと、全国と同様、このところ減速感がやや強まっています。項目別にみますと、輸出は、電気機械や一般機械を中心に、増勢をやや鈍化させつつも増加基調を続けています。一方、設備投資はこれまで高水準の投資を続けてきたこともあって、一服感がみられているほか、企業収益も交易条件の悪化を背景に減少しています。また、エネルギー・食料品価格の上昇を背景とする生活防衛意識の高まりから、個人消費も弱めの展開となっています。公共投資も前年を下回って推移しているほか、改正建築基準法施行に伴う落ち込みから回復の動きがみられていた住宅投資につきましても、回復ペースが一服しています。こうした内外需要の伸び悩みを受けて、生産も横ばい圏内の動きとなっています。
ここで、石川県経済の状況を、もう少し長い目で振り返ってみたいと思います。最初に目に付いたのは、生産水準の高さです。2000年基準で120を超える現在の石川県の鉱工業生産指数の水準は、全国の4-6月の生産指数が108.8(2000年基準換算)であることを考えますと、かなり高い水準と言えます。図表7をご覧ください。これは、地域別の鉱工業生産指数を中長期的に表示したものですが、2000年以降、自動車産業等が集積し好業績をあげている中部地方をトップに、地域ごとの生産水準のバラツキが大きくなっている様子がみてとれます。グローバル化の進展に伴って、輸出主導で景気が拡大してきたことが、こうしたバラツキを生じさせた主因と考えられますが、そうした中で、石川県の位置を確認してみますと、実はその中部地域よりも上に位置しています。金沢を中心に風光明媚な観光都市というイメージの強い石川県ですが、当地の企業がグローバル化という大きな構造変化に上手く対応してこられたこと、また当地企業との緊密な取引を求めて他地域からも積極的な企業参入がみられたことを、如実に表しています。そうした企業立地の下地となっているのは、(1)加賀百万国の時代から育まれたモノ作り文化をベースとする高い技術力、(2)港湾をはじめとする物流インフラ、そして(3)レベルの高い人材と、それを活用するための環境です。
最初のモノ作りという点では、ある大手化学メーカーを訪問したときに聞いた役員の言葉を思い出します。——「ヒット製品というものは、それまで20年、30年という長い間積み重ねてきた地道な基礎研究があるからこそ生まれるもの」——まさにMade-in-Japanの強さの根源を示していると思います。基礎研究が実を結ぶまでには長い時間を要しますし、製品の土台である巧みの技術は、むしろ眼に見えない部分で活かされていることの方が多いと思われます。これらは目先の収益を追求するという近視眼的な経営ではなかなか育つものではありません。そうした中長期的な取り組みを促す土壌と、働く人々の意識の高さが必要です。当地にはそれがあります。伝統・文化を通じて継承されてきた他に追随を許さない技術や、真面目に粘り強く取り組む県民の気質。これらがあるからこそ、企業も当地に進出してくるのだと思います。第17代、第19代と2度にわたって日本銀行総裁を務めた新木栄吉は小松市の出身ですが、吉野俊彦「歴代日本銀行総裁論」を読みますと、謹厳実直であった性格を示すエピソードが幾つも示されており、「勤勉、勤労、堅実」と言われる県民性をよく表しています。
人材という点では、女性の活躍も見逃せません。石川県の女性就業率は全国4位と極めて高く、世帯当たり可処分所得の支えとなっています(勤労者世帯当たりの月平均可処分所得は全国3位)。その背景には、保育所普及率が全国トップであるなど、女性が働きやすい環境へ向けた積極的な取り組みがあります。こうした取り組みは、少子化対策や優秀な女性の掘り起こしによる生産性の向上にも繋がります。港湾、鉄道、道路といった物流・交通インフラの整備を引き続き進めるとともに、以上のような伝統・文化・技術の継承、人材のますますの育成、女性や高齢者の働きやすい環境づくりになお一層邁進され、石川県が他県のモデルとなることを願っております。
私からはこのくらいにさせていただき、皆様方との意見交換に移らせていただきたいと存じます。ご清聴いただきまして、誠にありがとうございました。
以上