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【挨拶】「最近の金融経済情勢と金融政策運営」
釧路市における金融経済懇談会での挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 野田忠男
2008年9月25日
- 要旨 [PDF 71KB]
- 英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。
目次
1.はじめに
日本銀行の野田でございます。本日は、釧路市の行政および金融経済界を代表される皆様方にお集まり頂き懇談の機会を賜りまして、大変光栄でございます。日頃は、支店長の小澤をはじめ、私共の釧路支店が大変お世話になっており、まずもって厚く御礼申し上げます。
本会の趣旨は皆様からお話を頂戴することにありますが、最初に私から、(1)経済・物価情勢、(2)金融政策運営、(3)金融システムの現状等について、一政策委員としての私の見方も織り交ぜながら、ご説明させて頂きます。その中で、経済・物価情勢について私が重視しているリスク要因や、交易条件の悪化に伴い所得が海外に流出している状況での経済の見方、道東経済の全国対比での特徴についても、お話しさせて頂きたいと考えております。
その後になりますが、皆様から、毎日のご商売の実感や地元経済の現状に関するご意見、さらには日本銀行に対するご要望などを拝聴させて頂きたいと存じます。私自身、今後の金融政策運営に携っていくうえで大いに参考になり、楽しみにしているところでございます。
2.経済・物価の現状と先行き
それでは、まずわが国の経済・物価情勢の現状と先行きについて、お話ししたいと思います。
(1)経済
わが国経済は、2003~2006年度にかけて2%台の成長を続けてまいりましたが、2007年度は1.6%の伸びに減速し、2008年度入り後、さらに減速し、足もと停滞しています。
停滞の第1の要因は、エネルギー・原材料価格の上昇です。国際商品市況は、昨年来、急ピッチで上昇しました。例えば、原油価格(WTI)は、一時1バレル140ドル台半ばまで上昇し、足もと100ドル台まで反落していますが、それでも2002年の1バレル21ドルからみれば5倍程度、昨年の今頃と比較しても3割程度高い水準です。わが国は、資源の多くを輸入に頼っていますが、輸入価格がこのように大きく上昇している一方、輸出価格はウエイトの大きい工業製品の価格が落ち着いていますので、交易条件(輸出物価÷輸入物価)は悪化しています。これは、所得の海外流出——実質所得の減少を意味します。企業は収益を圧迫され、家計は購買力が低下することになりますので、投資や消費を下押しすることになります。
停滞の第2の要因は、輸出の鈍化です。欧米のみならず新興国も含めて海外経済が全体として減速しており、その影響が輸出にも本格的に及びつつあります。
景気の先行きについては、当面、こうした要因の影響から停滞する局面が続くものの、その先は、国際商品市況が落ち着き、海外経済も減速局面を脱していくにつれて、日本経済は緩やかな成長経路に復していくことをメインシナリオとして想定しています。ただ、現在は、そのシナリオの蓋然性についての不確実性が極めて高い状況にあり、この点は、後程、リスク要因としてご説明します。
(2)物価
一方、物価は上昇を続けています。生鮮食品を除くベースの消費者物価——コアCPI——は、昨年末頃から前年比の上昇幅が拡大し、7月は+2.4%となりました。これは消費税率引き上げの影響で物価が上昇した1997年度を除くと、16年振りの高い水準です。私ども日本銀行の各政策委員が中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率——「中長期的な物価安定の理解」と呼んでいますが——「前年比で0~2%程度」の範囲を超えましたが、その中身を仔細にみますと、この上昇率は石油製品を含むエネルギーと食料品(外食を含む)の価格上昇という要因だけで、ほとんど全てが説明できます。言い換えれば、こうした一次産品の価格上昇が賃金の上昇に繋がり、さらにそれにより価格転嫁が相乗的に進むという、所謂「二次的効果」——"second-round effect"と呼び、根源的なインフレ要因として警戒していますが——は確認されていません。
名目賃金は、年初以降前年比プラスで推移していますが、このところプラス幅が縮小しており、先程の交易条件面からくる所得形成環境の急速な悪化に直面している折柄、先行きもその伸びが高まることは考えにくい状況です。当面の内需の弱さなどを勘案すれば、先程述べたような二次的効果が直ちに高まる情勢にはないと考えています。
この限りにおいては、一次産品の価格が仮にリバウンドしても、2か月前のピークを抜けて上昇が続くということがなければ、前年比でみた消費者物価は徐々に低下し、いずれ落ち着く筋合いにあります。
もっとも、日本では比較的長い間経験しなかった物価上昇率であり、またガソリンや食料品など購入頻度の高い商品の価格上昇が目立っている1ことから、家計が実感として感じる物価上昇率は私ども日銀による「生活意識に関するアンケート調査2」などの多くの調査に示されるように、物価統計以上に高くなっている可能性もあります。また、物価の基調的な変動に対する捕捉力が相対的に高いとされる10%刈込平均指数の前年比が+1%程度まで上昇し、消費者物価(除く生鮮食品)の上昇品目数と下落品目数の差が6月の+119から7月は+152へ跳ね上がるなど、企業がコスト増を製品価格に転嫁する動きは一段と拡がりをみせています。それだけに、家計のインフレ予想や企業の価格設定・賃金改訂のスタンスが変化し、二次的効果が発生する可能性がないか、注意深く点検していく必要があると考えています。
- 17月の消費者物価について年間購入頻度階層別指数をみると、年間購入頻度が9回未満の品目は前年同月比+1.5%に止まっていますが、年間購入頻度が9回以上の品目では同+6.0%と高い伸びを示しています。
- 2日本銀行では四半期ごとに「生活意識に関するアンケート調査」を実施していますが、その本年6月の調査結果をみると、現在の物価に対する実感(1年前対比)は、「かなり上がった」との回答が40.8%、「少し上がった」との回答が51.3%と、9割以上が物価が1年前より上がったと回答しています。また、1年前に比べ、物価は何%程度変化したかについて、具体的な数値による回答を求めたところ、平均値(+10.2%<前回:+7.6%>)、中央値(+10.0%<前回:+5.0%>)ともに2桁台の伸び率となっています。
3.日本経済を取り巻くリスク
(1)国際金融資本市場および海外経済を巡る不確実性
日本経済の先行きについては「次第に緩やかな成長経路に復していく」と申しましたが、こうした見通し——メインシナリオ——は、(1)エネルギー・原材料等の国際商品市況が落ち着くこと、(2)海外経済も減速局面を脱していくこと、の2点を前提としております。この2つの前提は、そのままメインシナリオの蓋然性に対する最大のリスク要因であるとも言えます。
まず、海外経済からみていきます。国際金融資本市場は、緊張状況が続いています。昨年夏、米国サブプライム住宅ローン問題を火元に市場の混乱が引き起こされ、その後、その火は証券化商品の格下げや金融機関の損失拡大懸念となって「燎原の火」の如く延焼し、1年以上を経過した現在も、鎮火の兆しすらみえません。その間、烏の鳴かぬ日はあっても、新聞に「サブプライム」の活字が躍らない日はありません。「サブプライム」はこの1年、世界経済を語る際の枕詞になった感があります。
国際金融資本市場の先行きがどうなるかを考えるうえで、昨年の夏以降の動きを簡単にレビューしておきたいと思います。当初は、サブプライム住宅ローンを裏付け資産とした証券化商品の価格調整——リスクの再評価——という性格のものでしたが、この調整はさまざまな証券化商品に及び、証券化による資金調達が急速に困難化し、「流動性の逼迫」を招きました。証券化商品の価格下落が金融機関の損失を拡大させ、与信スタンスを厳格化させるという「信用収縮の問題」に発展したのが次の段階です。そして、信用収縮が景気を減速させ、それを通じて金融機関の資産をさらに劣化させ、信用収縮がさらに加速するという「金融システムと実体経済の負のフィードバックの問題」に発展しているのが現在の状況です。
サブプライム住宅ローン問題の「火元」である米国では、本年3月には、証券5位であったベア・スターンズの資金繰りが行き詰まり、中央銀行であるFRBからの融資を受けたうえで、商業銀行大手のJPモルガン・チェースに救済されました。今月7日には、政府系住宅金融機関(GSE3)2社(ファニーメイ、フレディマック)が政府による公的管理下に入り、その1週間後には、証券4位のリーマン・ブラザーズが破綻し、同3位のメリルリンチが商業銀行大手のバンク・オブ・アメリカに救済合併されました。わずか半年の間に、大手証券5社のうち3社が経営破綻または合併に至るという急展開です。これに加え、最大手の保険会社AIGも、自社の資産を担保にFRBから融資を受け、実質的に政府管理の下で再建を図ることになりました。
これらの動きを受け、米欧金融機関の信用不安が再び急速に高まりました。株価は急落し、米ドル短期金融市場では、米欧金融機関を中心にドル資金の調達が困難となり、調達金利が急上昇し、かつ日中の振れの大きい状況となりました。こうした状況を踏まえ、日本銀行、FRBを含む6つの中央銀行は、各国中銀が協調して米ドル資金を供給するオペレーションを導入・拡充する緊急対策を9月18日に決定・公表し、日本銀行は24日に初めてドル資金の供給(金額は300億ドル)を行いました。また、米政府は、金融危機の拡大を防止するため、2年間で最大7千億ドルの米金融機関の不良資産を公的資金で買い取るとの政府案を20日に公表しました。
今回の市場の混乱の背景は複雑で、一刀両断という訳にはいかないのですが、はっきりと言えることは、かつてない物価安定と緩和的な金融環境が2002年頃から長期間に亘って続いてきたもとで、多段階にわたる証券化の過程でレバレッジ4の拡大と同時に、市場参加者のリスク評価に大きな緩み——「リスクの過小評価」——が生じ、その後、市場の自律的機能による大規模な巻き戻し——リスク(価格)の再評価——が起こってきた、ということであります。
この問題を考えるに当たっては、(1)金融機関や機関投資家の損失規模、つまりバランスシートの毀損状況と、(2)その修復、つまり資本の補強、が重要なポイントです。ある米国の大手金融機関の9月15日時点の調査によれば、米欧のサブプライム住宅ローン問題発生以降の損失額——銀行、証券、保険、アセットマネジメント、金融保証会社等の合計ですが——は5,602億ドル、それに対する資本の補強は3,896億ドルとなっています。先の日本の金融システム不安の際の対応と比較して迅速な対応と評価する向きもありますが、肝心の「証券化商品に関連する貸出の引当・最終処理等の信用コストを含めて、最終的に損失がどの程度になるか」は「霧」の中です。「火元」の「火元」である米国の住宅市場の調整がなお進行中ですし、金融機関の貸出態度の厳格化(クレジット・タイトニング)が住宅から商業用不動産向けや消費者ローンに波及しています。特に米国では、実体経済の悪化が金融機関のバランスシートの更なる悪化をもたらし、それが再び実体経済に跳ね返ってくるという先程の「負のフィードバック」も、いよいよ現実的となってきています。特に、米国の一部金融機関がデフォルトに至ったことにより、米欧の金融機関による資本の調達が極めて困難になったことが、実体経済への負のフィードバックに拍車をかけることにならないかを、1990年代の日本の経験を踏まえ、私は警戒しています。因みに、IMFの幹部は、サブプライム住宅ローン問題に伴う金融市場の混乱で、世界の金融機関の損失が約1兆3千億ドルに達するとの試算を9月24日の会合で明らかにしたと伝えられています。こうした状況から、追加損失にかかる警戒感は引き続き強い状況です。この「霧」が晴れない限りは、市場は落ち着きを取り戻せません。先般の米政府による不良資産の買取りが、この「霧」をどの程度晴らすか、買取りのスキームの詳細が判明していない現在は、確かなことは見通せません。
次に海外経済の動向ですが、米国経済は、停滞局面にあります。個人消費は、減税の効果により一時的に持ち直したものの、ガソリン、食料品価格の上昇や雇用環境の悪化から、消費マインドはかなり慎重になっており、消費は先行き弱めの動きを続けると考えられます。また、住宅価格の下落が続くなかで、住宅投資は大幅な減少を続けています。設備投資も減速感が強く、生産にも弱めの動きがみられます。
米国経済の先行きの回復について、2つの継続中のダウンサイド・リスクを指摘しなければなりません。第1は、金融市場の混乱が実体経済に悪影響を及ぼし、金融システムと実体経済の間の「負のフィードバック」が益々懸念される状況となっていることです。金融機関の融資姿勢は、米欧ともに中央銀行による調査開始(米国は1990年、欧州は2003年)以来、最も厳しい水準にありますが、過去の経験則に照らせば、クレジット・タイトニングが生じると、一定期間のラグをもって商業用不動産投資を含む設備投資等の需要に悪影響をもたらすため、足もとのクレジット・タイトニングが早晩、更なる需要減退をもたらすことが懸念されます。90年代の日本が経験したことと同様ですが、自己資本を毀損した金融機関は、企業への貸出に慎重にならざるを得ません。金融は言わば経済の「血液」であり、その流れが詰まれば実体経済への影響は避けられません。米国は、住宅や不動産価格、家計の借入れ等に調整圧力を抱えているだけに、金融という血液の流れの詰まりが米国にさらに大きな調整をもたらすリスクには十分に注意することが必要です。
第2は、問題の「火元」である米国の住宅市場の混迷について、底入れまでにはなお時間が必要とみられることです。住宅価格の下落と戸建て住宅着工の減少にも歯止めがかかっていない中で、過剰在庫問題はなお深刻です。その先物指数からは——取引量が限られているため、指標性の面で制約はありますが——、住宅価格は2006年半ばのピークから直近まで約2割、直近から再来年(2010年)半ばまでに、直近の価格からはさらに2割弱、下落していくとの見通しになっています。住宅市場が底入れし、つれて金融市場が本格的に落ち着きを取り戻し、実体経済は潜在成長率へ向かって回復の軌道に戻るという、FRBが抱いていると思われるメインシナリオの展望に確信が持てるようになるには、なお時間が必要とみています。
続いて、ユーロ圏経済ですが、減速傾向がより鮮明になっています。エネルギー・食料品価格が上昇する中で、個人消費が減少し、設備投資の増勢が鈍化し、域外輸出も減速しました。
中国5では、内外需ともになお高い成長が続いています。確かに、世界経済の減速に伴い輸出の増勢はやや鈍化しています。一方、消費は拡大を続けています。固定資産投資については、昨秋以降の過熱抑制的なマクロ政策の効果もあって、実質ベースの増加率が加速する状況ではありませんが、企業の設備投資意欲が強いことに変わりはなく、高めの伸びが続いています。物価面では、8月のCPIは食品価格の上昇が一服したため、7月の前年比+6.3%から+4.9%へと大幅に低下したものの、8月の工業品出荷価格指数(卸売物価指数)は同+10.1%と2か月連続で2桁台となっており、貸出基準金利の引き下げという緩和方向の政策もあるなかで、インフレが再加速する懸念は消えていません。
NIEs・ASEANでも、外需が引き続き減速している中で、交易条件の悪化が内需の拡大を抑制し始めており、経済拡大のテンポは弱まっていることが明らかになりました。
以上、海外経済を総括すれば、米国経済が停滞感を強める中、非資源国における既往の交易条件悪化の影響等を背景として、当面減速感が強まる見通しです。その先については、金融市場の混乱の鎮静化や米国住宅市場の調整が進めば、来年以降緩やかな回復局面に転じていくと考えられます。暦年ベースでみるならば、「2008年、2009年と減速し、2010年に漸く成長率が高まる」との見通しを私は持っています6。
米国経済を含む世界経済の動向は、日本の景気の循環メカニズムの起点である輸出に影響を与え、また金融市場を通じても影響を及ぼすため、ダウンサイドのリスク要因として、引き続き注意深くみていく必要があると考えています。
- 3Government-Sponsored Enterprises
- 4社債や借入金への依存度を高めることにより、自己資本利益率を向上させること。
- 5中国共産党は7月の政治局会議でマクロ経済政策の目標を、インフレ抑制を最優先課題に位置づけつつも、成長については、「景気過熱の防止」から「安定的な高成長の維持」に変更しました。これを受け、中国人民銀行は8月15日発表の「金融政策執行報告」で「引締め金融政策の実施」という表現を削除するなど、政策スタンスを変更し、現に9月15日には貸出基準金利の引下げと中小金融機関に対する預金準備率の引下げを決定しました。
- 6米国経済の減速が本格化する以前は、中国をはじめとするエマージング諸国の高成長が米国経済減速の影響をどの程度カバーできるかという、所謂「デカップリング」論議がありました。「世界経済全体の成長の一定程度をカバーする(支える)」という姿は現在もなお進行中であると思いますが、今や、「完全な」デカップリングはやはり幻想であったことがはっきりしました。デカップリング論に関するこれまでの私の見方については、本年3月の群馬県金融経済懇談会における挨拶要旨「最近の金融経済情勢と金融政策運営」(本ホームページに掲載)において詳しく述べています(中国の米国向け輸出の変調をご紹介したうえで、中国をはじめとする東アジア諸国に中間財(部品)を輸出し、最終消費財に組み立てて米国に輸出するといった分業体制が進んでいる状況下、東アジア諸国から米国への最終財の輸出の減少は、日本からの中間財の輸出の減少に繋がるだけに、注意してみていく必要があると指摘しました)。
(2)エネルギー・原材料価格の動向
重要なリスクの二つ目は、エネルギー・原材料価格の動向です。つい2か月前まで1バレル140ドル台半ばまで上昇していた原油価格が、一直線ではありませんが、足もと100ドル台まで反落するなど、国際商品市況はそれまでの急速な高騰が調整される動きがこのところ続いています。既往の国際商品市況高の理由については、幾つかの説が指摘されています。大きく整理すれば、(1)高成長を続けている新興国を中心とした需要の増大と供給能力増の制約による「需給説」と(2)金融資本市場の混乱等を背景に投資・投機資金が国際商品市場に流入しているという「金融説」の2つです7。両者はorではなくandであるというのが常識的な答えだと思います。現に、ここ2か月余りの国際商品市況の下落は、先般も触れた世界経済の全体としての減速が強く意識され始めたことと符合しますし、同時に投機筋のポジションの巻き戻しの動きも顕著です。もっとも、中長期的には新興国を中心に原油等一次産品の需要が一段と拡大することは最早否定できないところであり8、国際商品市況がかつての低い水準まで戻るとの楽観的な見通しを持つことは困難な状況です。
こうした中、世界的にインフレ圧力は増大しており、インフレ抑制への「舵取り」を強める必要性は、今やグローバルに共通の認識となっています。特に、経済成長率およびインフレ率が相対的に高い新興国のインフレの加速はより深刻であり、世界経済が持続的に成長するうえでの新たなリスク要因として浮上しました。
一方で、国際商品市況の高騰は、既に述べたように、わが国に対して交易条件の悪化をもたらし、短期的には所得を海外へ流出させることにより、企業収益への下押し圧力として働き、賃金、設備投資といった企業の支出行動に、また雇用者所得と実質購買力の低下を通じて家計の消費行動に、負の影響を与えています。
4~6月期の実質GDPの数字をみると、交易条件はさらに悪化し、交易損失は一段と拡大しました。交易条件の悪化に伴い海外に所得が流出している状況では、GDP(国内総生産)だけでなく、所得の流出をも加味した実質GDI9(国内総所得)や実質GNI10(国民総所得)をみることも重要です。4~6月期の実質GDPは前期比年率-3.0%ですが、実質GDIと実質GNIはともに同-4%台後半まで悪化しており、原材料の多くを輸入に依存するわが国が「マクロの所得形成力の弱まり」というかたちで大きな影響を受けていることがわかります。「働けど働けど、我が暮らし楽にならざり」という言葉がまさに当てはまります11。
エネルギー・原材料価格の高騰は、わが国にとって確かに重荷ですが、「新しい価格体系への移行」という構造変化を世界共通に迫っているものであり、所与のものとして考えざるを得ないと思います。思い起こせば、わが国は過去2回、石油ショックといわれる供給ショックを経験しましたが、いずれも生産活動等における省エネ化・省資源化をダイナミックに進め、ショックを克服してきました。省エネ製品・技術の開発により、比較優位分野を創出し、ピンチをチャンスとして活かした企業も少なくありませんでした。また、素材産業をはじめとして幅広い産業で使用済み素材のリサイクルの本格化に乗り出す企業が増えました。当地でも化石燃料をバイオマス燃料等に切り替える動き12が拡がっているとお聞きしていますが、これは新しい価格体系に適応するための前向きな努力であり、心強く感じております。
省エネ・省資源投資は今後の世界的な需要回復の目玉となる可能性は大きいと考えています。そうであるとすれば、温室効果ガス削減の主導的立場にもあるわが国にとっては、むしろ、2度の石油危機を次の飛躍に結び付けた経験を活かし、日本の強みの一つである省エネ技術13を磨く得難いビジネス・チャンスであると捉えて、これに取り組むことが重要であります。これは、まさに「言うは易く行うは難し」でありますが、私が特に強調したい点であります。
- 7因みに、7月に発表された2008年度の「通商白書」では、需給以外の要因による部分は約4割を占めるという試算が示されました。
- 8中国やインドの一人当たりの石油消費量は近年急ピッチで増加していますが、米国や日本との対比では依然として極めて低い水準に止まっており、中長期的にはそれらが先進国並みに近づいていく中で、世界全体の需要は増加するものとみられています。国際エネルギー機関(IEA)は、世界の石油需要は2008年から2013年の5年間で8%増加し、その増加分の9割は新興国が寄与するとの中期見通しを7月に公表しています。
- 9Gross Domestic Income 実質GDI=実質GDP+交易利得
- 10Gross National Income 実質GNI=実質GDI+海外からの所得の純受取(利子・配当等)
- 11 最近の交易損失の拡大については、日本銀行「金融経済月報」(2008年9月)の16頁「(BOX)最近の交易損失の拡大について」をご参照下さい。
- 12日本銀行釧路支店ホームページの「管内主要企業の環境問題への対応状況について」をご参照下さい。
- 13経済産業省の分析によれば、GDP単位当たり一次エネルギー供給量について、日本を1として指数化すると、EU27か国1.9、米国2.0、中国8.6、ロシア17.4となっており、日本のエネルギー生産性は他国に比べて高い状況です。これは、産業部門を中心に、かつての石油ショックを契機に、資源生産性向上を強力に推進してきた成果です。一方、中小企業の生産設備や、家庭・オフィス等においては、省エネルギー化が十分に図られてきたとは言えず、日本経済全体として更なる資源生産性向上の余地があるとの課題が指摘されています。
(3)設備・雇用にかかる調整圧力
以上、日本経済の先行きのメインシナリオの前提でもある2つのリスクについてご説明しましたが、それら程大きくはないものの、それらに付随するリスクとして視野に入れておくべき点について、以下、簡単に触れておきたいと思います。
日本経済の先行きについて、「深刻な調整にはならない」との見方が多く聞かれていますし、私もそのようにみています。その根拠の一つは、企業部門が全体として、負債とともに、設備・雇用についても大きな調整圧力を抱えておらず、日本経済が前回の景気後退期に比べて景気の下振れショックに対する頑健性を高めているとみられることです14。
しかし、これについても下振れリスクには注意が必要です。まず、設備投資に関してですが、リスク要因の最初に述べた世界経済の下振れリスクが大きく顕現化した場合には、企業の支出行動の源泉である収益が下振れるとともに、短・中期的な期待成長率を下振れさせ、設備ストックの調整圧力を強める可能性があります。この点を、注意深くみていく必要があります。
また、雇用面ですが、雇用者全体に占める非正規雇用のウエイトが3分の1まで高まっており15、雇用の調整は過去の景気調整・停滞局面に比べ容易かつ速やかに行われる可能性があります。このことは、企業収益を安定化させる一方で、家計からみると、所得、ひいては、消費に影響が出易くなるということでもあり、その面からは注意が必要と考えています。
- 14上記の理由のほか、(1)わが国の金融システム・金融市場が欧米と比べて安定していること、(2)総じて緩和的な金融環境が続いていること、が挙げられます。
- 15総務省の「労働力調査特別調査(2月)」や「労働力調査詳細結果(期間平均)」によれば、雇用者全体に占める非正規雇用のウエイトは、1990年代半ば以降大幅に上昇しています(1985年調査16.4%→1995年調査20.9%→2005年平均32.6%→2008年4~6月期平均33.4%)。
4.金融政策運営
以上、わが国経済について、リスク要因にフォーカスしつつ、お話しました。金融政策の効果はタイムラグをもって現れますので、私どもが「先行き」という場合は、大体1年半とか2年程度先のことをフォワードルッキングにみて言っているとご理解ください16。そのうえで現状と先行きのメイン・シナリオについて要約して繰り返しますと、「足もとは停滞しており、先行きも当面こうした局面が続くものの、その後は次第に緩やかな成長経路に復していく」という見方です。こうした姿を展望しながら、ご説明した幾つかのリスク要因をはじめとする上下両方向のさまざまなリスクが漂う極めて不確実な状況をも併せ考え、先週(9月17日)の金融政策決定会合では、当面の金融政策運営方針について、0.5%という政策金利を維持することを、私を含む政策委員7名の全員一致で決定しました。
先行きの金融政策については、この先、経済のダウンサイド・リスクが薄れ、物価安定の下での持続的な成長を続ける見通しの蓋然性が高まるのか、あるいは、下振れリスクが顕現化する蓋然性が高まるのかを、予断を持つことなく、あらゆるデータ・情報を丹念に分析し、見極めていくことが重要であり、それに応じて機動的に金融政策を運営していきたいと考えております。
- 16日本銀行では、政策委員の経済・物価にかかる見通しを定量的かつ視覚的に伝えるツールとして4月にリスク・バランス・チャートの公表を開始し、7月に経済・物価の見通し期間を延長する等の情報発信の充実策を公表しました。中央銀行が独立性を付与されている以上、説明責任(accountability)が求められていることは当然であり、今後も自己満足に陥ることなく、経済や金融情勢に関する判断から政策運営に至るプロセスを分かり易くお伝えするよう、民間での経験を活かしながら、鋭意、取り組んでまいりたいと私は考えています。
5.金融システムの現状
ところで、先程、サブプライム問題に端を発した国際金融資本市場の混乱の話をいたしましたが、日本の金融システムは大丈夫なのかと思われた方もいらっしゃると思います。そこで次に、サブプライム問題の影響も含め、わが国金融システムの現状についてお話したいと思います。
結論から申し上げれば、米国のサブプライム住宅ローン問題を契機とした国際金融市場の動揺が広がり、緊張感が高まる中にあっても、わが国の金融システムは全体として安定した状態を維持しています。銀行セクターの各種リスク量は全体としてみて、自己資本との対比で抑制された水準にあり、金利リスク、信用リスクのストレスシナリオに対する銀行システムの頑健性も総じて高い水準にあります。
わが国銀行の米国サブプライム住宅ローンに関連するエクスポージャーは、証券化商品への投資家としてのものが大半であり、証券化商品の組成・転売段階への関与は、米欧金融機関に比べ小さいものでした。わが国金融機関のサブプライム問題に関連する損失は、海外市場における問題の深刻化につれて相応に拡大してきたことは事実ですが、各金融グループ、各金融機関の期間収益や経営体力の範囲内で十分吸収可能な状況にあります。本年6月末時点における預金取扱金融機関の証券化商品等にかかる損失額は、サブプライム関連以外のものまで含めた実現損・評価損の合計額でみても2.6兆円と3月末対比で0.1兆円の増加に止まり、実質業務純利益(2007年度は6.1兆円)の範囲内に収まっています。邦銀は、サブプライム関連の証券化商品の売却・減損処理等により、その保有残高を既に縮小させており、今後、追加的な損失が大きく拡大する可能性は小さいとみています。先程のリーマン・ブラザーズの破綻に伴い追加的な損失が発生する可能性がありますが、大方の先で期間収益で吸収可能な範囲とみられます。いずれにせよ、追加的損失の拡大に歯止めがかからないという一部の米欧金融機関の状況とは大きく異なると言えます。
留意点は、景気が停滞するもとで、金融機関の信用コストが増加に転じたことです。金融機関の2008年度第1四半期決算をみると、企業業績の悪化や建設・不動産等における倒産の増加等を背景に信用コストは増加しました。手数料収入が減少したこともあり、全体としては前年同期に比べて減益となり、一部には赤字となった先もみられました。先程申し上げたように、マクロ的にみれば、足もとの信用コストの増加は、経営体力で十分吸収可能な範囲内ですが、金融機関の収益力・経営体力には「ばらつき」もみられるため、今後とも、信用リスクの動向については慎重に点検していきたいと考えています。
先程、金融は経済成長に大きな影響を与える「血液」であると申し上げましたが、日本の金融システムや市場がかつてのような脆弱性を抱えていないことは、欧米対比で有利な点です。クレジット市場では、建設・不動産セクターを中心とした企業倒産の増加を背景に、投資家の銘柄選別姿勢が高まっていますが、高格付社債への需要が堅調を維持するなど、米欧に比べれば、引き続き落ち着いた地合いにあります。また、金融機関は総じて緩和的な貸出態度を続けており、企業の資金繰りも全体としては引き続き良好な状況にあるといえます。ただ、中小企業や建設・不動産といった業種では資金繰りは悪化方向にあります。金融機関が景気停滞に伴う信用リスクの変化以上に貸出態度を慎重化させることなく、円滑な金融仲介機能を発揮することが強く望まれます。
6.中央銀行のバンキング業務
日本銀行というと、まず金融政策をイメージされる方が多いと思いますが、金融システムや金融市場の安定も——先程来の私の話から十分お分かりいただけると思いますが——中央銀行の重要な役割です。これらは、各種の民間金融機関との銀行取引——バンキング業務——を通じて果たされています。日本の金融市場を民間金融機関・中央銀行の双方で長年みてきた者の立場から申し上げれば、どの職場であっても、「現場」や「業務」は極めて重要であります。日本の金融市場は「国際金融市場との連動性」を年々強めている傾向にあり、現在はその中で「相対的安定性」を何とか確保している状況にあります。国際金融市場が不安定に推移する中でも、金融調節をはじめとする中央銀行のバンキング業務の現場における適切な運営を通じて、金融システムや市場の安定化に向け最大限努力していることをご理解いただきたいと思います。
バンキング業務に関して、全国各地に関係する具体例を一つご紹介すれば、地震や台風等の「災害時における金融上の特別措置」があります。6月に岩手・宮城内陸地震が起こりました際には、被災地を担当する日本銀行の仙台支店長は、財務局長等とともに、「預金証書、通帳を紛失した場合でも預金者であることを確認して払い戻しに応ずること」等の金融上の措置を適切に講じるよう、管内の金融機関に対して、地震発生の当日(6月14日)、直ちに要請しました。この北海道でも、2003年に台風の被害が発生した際や2006年に佐呂間町で竜巻の災害が起こった際にも、同様の措置を講じました。お金はライフラインの一部であることは言うまでもありません。地元金融機関の方からご協力を頂きながら、その安定供給を図ることは災害時には特に重要です。
当地は「全国有数の地震多発地帯」と言われているようですが、そうした天災を含め、金融市場や経済に影響を与える出来事は突然、起こります。また、金融市場は、世界のどこかで24時間動いています。さまざまな出来事や金融市場の変化に常に目配りする、こういう仕事を中央銀行が日々続けているということについても、ご理解いただければ幸甚であります。
7.終わりに~道東経済について~
最後に、この後皆様から当地金融経済の実情をお聞きするにあたり、私なりに理解している当地経済の特徴などを述べたいと存じます。
道東経済は、業況感が全国対比で厳しめとなっています。日本銀行では、3か月に1回の頻度で「短観」という調査を実施・公表しておりますが、6月の調査の中で業況判断DI——具体的には、業況判断の構成比で、「良い」から「悪い」を引いた計数で示されますが——をみると、3期連続の悪化となり、そのレベルも-28と、全国の-7を大きく下回っています。
その背景としては、(1)当地は自動車、電機に代表される輸出型の製造業の立地が殆どないうえ、(2)非製造業に関しては、依存度の大きい公共投資を中心に建設需要が落ち込んでいること、(3)太平洋炭礦の閉山(2002年1月)や漁業の不振等を背景とする人口流出に伴い消費市場が縮小していること、等を指摘できると思います。また、当地では、交通手段としてマイカーを利用することが多く、冬場には灯油の消費も嵩むため、石油関連商品の物価上昇のインパクトは大きく、消費の足を全国平均以上に引っ張っているものと思われます。
北海道に限らず全国的に言えることですが、業種、企業規模、地域により業況感に差異がみられています。グローバルな需要を上手く取り込んでいる企業・業種・地域は相応の業況感を維持していますが、グローバルな需要と縁が薄い企業・業種・地域は総じて業況が芳しくありません。国内市場に比べて相対的に高い成長を続けることが期待されるグローバル需要を如何に取り込むかは、当地に限らず、日本全体にとって重要な課題です。グローバル需要を取り込む方法を確立することは、これも「言うに易く行うに難い」ことではありますが、全国的にはグローバルな需要を積極的に取り込もうとする動きが、大企業・製造業から中堅・中小の製造業や非製造業へと徐々に広がりをみせています17。
こうした中、当地の明るい動きに目を向けますと、新興国を中心にした食料品の需要増加を背景に、当地食料品業界では、チーズ、バターなどの乳製品や水産加工品の生産の増勢が強まっており、大手乳業メーカーによるチーズ工場の大規模投資や地場水産加工業者の需要拡大に対応する設備投資が活発化しています。このほか、一次産業でも、酪農分野における生乳の増産要請の高まりに対応した牛舎建設などの動きが拡がりをみせています。
当地では、企業誘致や観光振興などに前向きに取り組んでいらっしゃいますが、併せて、当地の強みである「豊富な一次産品の資源集積」を更に活かしていくことが重要と考えます。特にウエイトの高い食料品分野では、原料供給型からの脱却を図り、より付加価値の高い食品作りを目指すことが期待されます。また、林業をはじめ、酪農・畜産、畑作などにおいて、豊富なバイオマス資源を生み出す力が備わっているだけに、それらを活用し、ビジネスに繋げる取組みなども成長の余地が大きいと考えています。
当地釧路は「霧」が有名ですが、「たんちょう釧路空港」には、優秀な誘導システムがあり、霧による欠航が大幅に削減されたとうかがっております。10数年前の古い話ですが、釧路空港に降りられずに、女満別空港に降ろされて弱った思い出が私にはあります。お陰様で、昨日は無事に当地に降り立つことができました。本日、お話させていただいたように、世界経済や国際金融市場は濃い「霧」に覆われておりますが、一刻も早くこの霧の中から脱出できるよう、関係者の方と力を合わせつつ、離陸誘導の努力を続けていきたいと考えている次第であります。
私からは以上です。長らくのご清聴、有難うございました。
- 17「グローバル需要の取り込みに向けた企業の対応」については、日本銀行の「地域経済報告(さくらレポート:2008年4月)」(本ホームページに掲載)をご覧下さい。
以上