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【挨拶】「内外の金融経済情勢と金融政策運営-政策対応に依存した脆弱な景気回復-」
岡山県金融経済懇談会における挨拶要旨
日本銀行政策委員会審議委員 水野温氏
2009年8月20日
英訳は、英語版ホームページをご覧下さい。
目次
- 1.はじめに
- 2.内外景気の現状と見通し
- 3.大規模な金融・財政政策の発動とその出口戦略
- 4.主要国中央銀行の政策対応
- 5.中央銀行のB/Sのコントロール力と『出口戦略』
- 6.伝統的な金融政策運営に軸足を移し始めた主要国の中央銀行
- 7.リーマン・ショック以降のわが国の金融政策運営を振り返る
- 8.まとめにかえて
1.はじめに
日本銀行の水野です。まず、最初に、今月上旬の台風9号によって被災された方々、関係者の皆様に深くお見舞いを申し上げるとともに、一日も早く復旧されますことを心よりお祈り申し上げます。
本日は、岡山県の経済・金融界を代表する皆様方にご出席賜り、お話する機会を頂き、大変うれしく、かつ光栄に存じます。また平素より、私どもの岡山支店が皆様に大変お世話になっておりますことに対し、この席を借りて厚くお礼申し上げます。
世界的な金融危機の発生後、各国の中央銀行と政府の政策対応によって、世界経済の悪化には歯止めがかかっています。今のところ、各国の政策対応をみると、金融と雇用のセーフティー・ネットに重点が置かれています。ただ、金融危機対応は長期戦の様相となっており、特に潜在成長率の低下、構造的失業率の上昇は、主要国共通の問題となりそうです。経済の活力を維持し、国民の所得や生活水準の向上を伴う成長戦略なくしては、雇用確保や社会保障制度の持続性も心もとないように思います。
本日は、まず内外経済の現状と見通しについて説明した後、主要国の中央銀行が採用している非伝統的な金融政策に関する論点を整理したいと思います。政策金利が事実上下限に達している状況において、こうした非伝統的な政策は、企業金融円滑化の支援や金融市場・金融システムの安定確保を通じて、景気回復に向けた環境整備に貢献できていると思います。その後、リーマン・ショック後に日本銀行が採用した政策について説明したいと思います。
2.内外景気の現状と見通し
わが国経済の現状
わが国経済は、輸出と生産の持ち直しと、個人消費・設備投資・住宅投資といった国内民間需要の弱まりという、強弱両方の要因が打ち消しあっている状態にあり、全体としては、「景気は下げ止まっている」と判断されます。
最近の経済指標をみると、(1)輸出と生産の持ち直し--すなわち、在庫調整の進捗や自動車の減産緩和を受けた幅広い業種における生産のリバウンド、中国における家電購入への補助金支払いの波及等--、(2)各種政策効果による自動車・家電の国内販売の増加、(3)公共工事請負金額の増加、(4)昨年末から今年初めにおける急速な景気悪化の一巡を受けた、経済の先行きに対する不安心理の後退など、明るいものがみられます。鉱工業生産は、1~3月期の前期比-22.1%の減少の後、4~6月期は前期比+8.3%と急上昇し、7~9月期も予測指数を見る限り前期並みの増加幅となる見通しです。国内外で自動車や家電など耐久消費財メーカーからの需要が回復したことで、出遅れていた鉄鋼業が5月、6月と前月比2桁の大幅増産となったことも明るいニュースです。7~9月期までは、生産と輸出の力強い回復が続く蓋然性が高まったといえます。
もっとも、これらの動きは4月末に公表した「展望レポート」の中心的なシナリオの範囲内です。国内民間需要に目を移しますと、企業は夏季賞与の大幅削減、出張の削減など経費削減を強化しており、設備投資は大幅に減少しています。昨年秋以降、雇用・所得環境の悪化が顕在化しており、6月は完全失業率が5.4%まで上昇したほか、有効求人倍率も0.43倍と2ヶ月連続で過去最低を更新しました。雇用者所得は昨年秋以降前年比マイナスが続いています。また、こうした下で、各種の政策効果が現れている自動車・家電販売を除けば、消費関連指標は軒並み悪化しています。小売では粗利益減少を覚悟で、セールの前倒し、劇的な価格引き下げ等を実施していますが、その成果は芳しくありません。6月の住宅着工戸数は、前年同月比-32.4%減の年率74.9万戸と、3ヶ月連続で同30%超のマイナス、年率の着工戸数が70万戸台となるなど、住宅投資の大幅な減少にも歯止めがかかりません。家計部門が、所得の減少を一時的なものではなくて、恒常的な減少と認識し始めた可能性があります。仮に所得の見通しが低下していると、実際に所得が低下した場合、貯蓄性向は低下せず、支出が抑制されることになります。
すなわち、わが国経済は、在庫調整の進捗に起因する生産持ち直しという「短期的な景気循環」と、国内民間需要の弱さに現れている「構造調整圧力」--これは世界的な金融危機の後遺症の持続とも言えますが--が混在した状況にあります。また、「景気は下げ止っている」と言っても、経済活動の水準は極めて低く、生産と輸出も崖から落ちるような「フリー・フォール」が終息した程度です。
例えば、6月短観をみると、生産がリバウンドしつつあるにもかかわらず、設備と雇用の過剰感は引き続き強いことが示されました。大企業・製造業の生産・営業用設備判断D.I.(「過剰」-「不足」)は、+38と3月比1%ポイント改善しましたが、鉱工業生産ウエイトの高い自動車・一般機械・電気機械をみると、それぞれ+67、+47、+41と極めて高水準です。また、雇用人員判断D.I.(「過剰」-「不足」)をみると、全規模・全産業ベースは3月の+20から6月は+23と悪化しました。大企業・製造業のうち、自動車、電気機械は高水準ながらも過剰感は多少後退しましたが、鉄鋼は3月の+43から6月は+54、一般機械も3月の+43から6月は+47と、雇用過剰感が強まっています。
景気の先行き見通し
次に、景気の先行きについて私なりの見通しを述べたいと思います。政府や中央銀行の政策対応に対する依存、企業を取り巻く厳しい収益環境を考えると、景気持ち直しの動きが続くのかどうか、その不確実性は引き続き高い状況が続いています。すなわち、(1)現在も見られる雇用と設備の調整圧力の強さ、(2)大企業・製造業における経費削減の強化、(3)それを受けた非製造業と中小企業におけるマインド回復・業績底入れの遅れなどにより、国内民間需要の下振れリスクは小さくありません。また、米欧の景気回復力の弱さを受けて、秋以降、生産と輸出の回復モメンタムが鈍化するリスクもあります。私は、持続的な景気回復が実現するための前提条件は、海外需要の回復によって、生産が企業の採算ラインを継続的に上回るところまで増加することであると考えています。目下のところでは、4月末の「展望レポート」に盛り込んだ景気の下振れ要因、とりわけ、企業の成長期待が下振れ、企業行動の萎縮が、設備投資のみならず家計支出の抑制に繋がるリスクが顕在化する可能性は払拭できません。
今回の景気後退局面では、大企業が、世界需要の急激な減少、それに伴うキャッシュ・インフローの落ち込みに対して、設備投資の抑制や人件費・出張旅費等のコスト削減に迅速に対応しています。そのしわ寄せが、企業向けサービス業や家計部門にきています。2009年度の賞与は、過去に例をみない大幅な減少が予想されます。現在の労働分配率は、前回ピークの2001年度に迫る水準まで上昇していると考えられますが、これを適正水準に押し下げる圧力は、恐らく当面の間、強く働くのではないでしょうか。7月の「展望レポート」の中間評価では、2010年度は前年度比+1.0%程度との大勢見通しを公表しました。ただ、「成長率のゲタ」の関係で見かけ上の実質GDP成長率が上振れているため、実勢ではゼロ近傍の成長率にとどまることを想定していることになります。
個人的な見解ですが、わが国の潜在成長率は、4月の「展望レポート」で公表した1%前後よりも低下している可能性があるとみています。この低下は、(1)世界経済の潜在成長率の低下、(2)設備投資の除却率の高まりを受けた生産能力の低下、(3)構造的失業率の上昇、という動きの中である程度避けられない性格のものと考えています。
潜在成長率は、中長期的にみて平均的に実現する経済成長率と概ね一致するはずですが、現在生じている世界的な経済構造の調整を踏まえると、一時的に、潜在成長率は、中長期的にみて平均的に実現する経済成長率と乖離している可能性があります。したがって、潜在成長率や、それをベースに算出された需給ギャップについても幅を持ってみる必要があります。
また、過去に想定していた潜在成長率や、それに対応する需給ギャップの大きさについても、相応の幅を持って考える必要があると思います。すなわち、2000年代半ば頃の潜在成長率が一貫して過大推計であった可能性はないだろうか、という点です。もし、当時の潜在成長率が、推計されている水準より低かったとすると、2000年代半ば以降は円安進行と好調な海外景気を背景に実力以上の高成長率を達成していたことになります。そうすると、当時想定していた需給ギャップのプラス幅も、実際は、より高かった可能性があります。過去数四半期における需要の落ち込みは大幅であったため、足もとにおける需給ギャップは、大幅なマイナスとなっていることは事実であると思いますが、やはりこれも幅を持ってみていく必要があります。需給ギャップが物価に与える影響についても、こうした点を踏まえて慎重に判断していく必要があると考えています。
ところで、わが国の需給ギャップを縮めるには、(1)財政出動等で需要サイドを刺激する、(2)設備廃棄など供給サイドの過剰を削減する、という2つのアプローチが想定されます。以下では、前者について考えてみたいと思います。
いわゆる「ワイズ・スペンディング」を体現する財政政策とは、公的需要で一時的に需給ギャップを縮小させるだけでなく、(1)潜在成長率の低下に歯止めをかける成長戦略、(2)「少子高齢化」対策や雇用のセーフティー・ネット拡充などの消費者重視の政策、(3)規制緩和等による新規産業創出策、(4)税制面のサポートによる環境関連技術など、様々な経路で企業活動の活性化を促す政策対応を備えたものである必要があります。
それに対してわが国の財政政策を巡る議論をみると、雇用、子育て、医療、教育、年金など国民に安心できる生活を保証することが焦点となっています。しかし、経済の活力を維持し、国民の所得や生活水準の向上を伴う成長戦略なくしては、雇用確保や社会保障制度の充実や機能強化の持続性は心もとないと思います。経済の活力を高めていく、つまり、労働生産性とともに労働力人口のトレンドを引き上げて長期的な経済成長率を引き上げていくためには、セーフティー・ネットのみならず、雇用創出力や租税負担能力が高い大企業のリスクテイク能力を高める策もまた重要です。
今後、少子高齢化という人口動態的な変化から、社会保障関連の歳出、現役世代の負担はどうしても膨らみます。また、1990年代以降の財政拡張のツケは、現役世代の負担増加にとどまらず、将来世代の財政政策の選択の幅を狭めます。わが国のような経済大国で、人口減少社会に陥った先例はありません。経済の活力を高め、長期的な経済成長率を引き上げていかない限り、現役世代の間でも、次第に世代間の負担と受益の公平性を要求する声が強まり、社会保障制度のあり方を巡る議論は、世代間闘争の色彩を強めてくると予想されます。
グローバルな金融経済危機の先行き
世界の金融・経済情勢は、政府や中央銀行の支援なしでは自律回復できない脆弱な状況にあります。主要国だけでなく、新興諸国も、中央銀行による潤沢な流動性供給と政府による財政刺激策に支えられています。
世界の経済金融危機から読み取れることは、(1)経済のグローバル化を受けて、金融市場のグローバル・インテグレーションの傾向が改めて確認されたこと、(2)今回金融危機を契機に世界的な需要低迷が発生する下で、わが国やドイツなど製造業のウエイトが高い国、輸出依存度が高い国の企業マインドの悪化や景気の悪化がむしろ目立ったこと、(3)企業部門のコスト削減努力が家計部門に打撃を与える構図は主要国共通であること、などです。世界経済は、米欧の実体経済悪化と金融危機の影響が新興国にも波及し、「金融と実体経済の負の相乗作用」に陥っています。特に米国では、過剰消費により過剰債務を抱えた家計部門からバランスシート調整が本格化し、その後、生産と設備投資の大幅減少や雇用調整に拡がっています。住宅市場が底打ちしない限り、家計部門のレバレッジ解消の動きに歯止めはかかりません。米国の住宅価格は底打ちしたとの見方もありますが、差し押さえ物件の価格は大幅に下落するケースもあるだけに、住宅の差し押さえ件数が大幅に減少するまで、住宅価格は底打ちしたとは言い切れないと思います。現在は、米国の住宅バブル崩壊という家計部門に起因する問題が、グルリと回って、主要国の家計部門に悪影響を与える構図となっているのは、以上の整理によって理解出来ます。
なお、わが国経済が、米欧に比べて金融システムが相対的に健全であるにもかかわらず、深刻な景気後退に陥った背景には、2004年~2007年半ばにかけて、自動車・電機・一般機械の輸出が好調であったことの反動を指摘できます。わが国、そしてわが国と産業構造が似ているドイツでは、昨年秋から年末にかけて、製造業を中心に企業マインドの著しい悪化、すなわち、「コンフィデンス・クライシス」が発生しました。現在は、わが国、中国、東アジア諸国、ドイツをはじめとするEU諸国、米国等、多くの国が新車買い替え奨励策などの対策を発動しており、一定の効果が現れていると思いますが、これは需要の先食いともいえ、段階的に廃止される来年以降の反動減が気がかりです。
現在発生している様々な「グローバル・インバランス」の修正、ヒト・モノ・カネの移動の減少を受けて、世界全体に大きな収縮圧力がかかっています。2007年までの新興国の高成長も、米国の過剰消費に支えられていました。グローバルな「貯蓄・投資バランス」の観点からみれば、今回の世界経済の調整は、循環的な面だけでなく、構造的な面も大きく、世界経済が持続的な回復軌道に復帰するには相当な時間を要すると予想されます。こうした中、主要国の先行きを見通すと(1)構造的失業率(自然失業率)の上昇、(2)潜在成長率の低下、(3)インフレ圧力の低下、(4)財政状況の悪化、(5)超低金利政策の長期化、が共通の現象になりそうです。資産バブル崩壊後、わが国が直面した問題およびその解決に要した時間と経済コストは、欧米主要国の参考になると思います。
金融面から考えると、米欧のクレジット・バブル崩壊後、主要国では中央銀行が思い切った流動性供給に努めると同時に、大規模な財政出動に動きました。米国では、大手金融機関19行に対する健全性審査(SCAP;Supervisory Capital Assessment Program いわゆるストレステスト)を受けて、大手米銀が資本増強を再開し始めるなど明るい話題もあります。
しかし、主要国の大手金融機関は融資拡大に極めて慎重です。この背景は、(1)欧米主要国の失業率がピークアウトするまでの間は、家計向けローンの延滞率上昇や返済不能件数の増加などにより与信コストは上昇傾向、あるいは、高止まりする公算が高いこと、(2)米国では商業用不動産価格の下落、オフィス空室率の上昇、CMBSの新規発行停止や時価下落など、新たな収益圧迫要因が出てきたことなどであり、むしろ今後顕在化するリスク要因も少なくありません。
ただ、金融機関は追加の公的資金注入には期待しにくい状況ですし、そもそも公的資金は注入に際して様々な政治的要求を伴うため、金融機関経営者にとってコストの高い調達であるという意識が強まっています。こうした中、大手米銀は、(1)期間収益の範囲内で不良債権処理を進め、(2)企業・家計向け融資を圧縮するため、信用仲介機能を十分に発揮しにくい展開が続く、と予想されます。クレジット市場の機能低下や金融機関の資本不足に起因するバランスシート制約は、米欧の大手金融機関のトップライン収益を圧迫するため、米欧の不良債権処理は、わが国が経験したより長期化する可能性もないとは言えません。金融機関の監督・規制強化、バーゼルIIの見直し等に向けた動きは、大手金融機関に資本増強を強く迫る要因であり、一方で、金融サービス業という基幹産業の低迷は米国の景気回復を遅らせる要因となります。このため、今回の不良債権問題の解決のプロセスでは、米欧の潜在成長率が低下する可能性は否定できません。
3.大規模な金融・財政政策の発動とその出口戦略
政府と中央銀行による政策対応に依存した景気回復
リーマン・ショック後、各国の中央銀行は非伝統的な金融政策を含む施策を総動員して混乱の収束に努めました。また、各国政府もそれぞれ大規模な経済・金融システム対策を実行したほか、IMFなど国際機関は新興国向けの融資制度を拡充しました。こうした一連の措置は、国際金融システムのさらなる不安定化を防ぎ、市場参加者のコンフィデンスの悪化に歯止めをかけ、市場機能の改善にも寄与しました。
政府や中央銀行による政策対応を大別すると、(1)非伝統的な金融政策、(2)大型の財政出動、(3)欧米における金融システム安定化策、となります。(2)としては、わが国・ドイツ・中国など多くの国で自動車需要刺激策や公共投資の拡大などが採用されています。(3)については銀行への公的資金注入や銀行間取引の政府保証など、金融のセーフティー・ネットが整備されています。
今回の金融危機がグローバルな経済危機に発展しないよう、各国中央銀行は潤沢に流動性を供給しました。金融市場がグローバルに相互依存性を高め、米国発のクレジット・バブル崩壊に伴う「実体経済と金融の負の相乗作用」の世界的な広がりを抑えるため、また、ドルを中心とする資金調達や企業金融を円滑化させるため、主要国の中央銀行が連携を強める必要があるとの意識は自然に醸成されました。また、主要国政府は、短期的な景気後退の深刻さを和らげる目的もあって、財政面からの大型の景気刺激策を発動しました。こうした中央銀行と政府の政策対応--今のところ、金融と雇用のセーフティー・ネット強化に重点が置かれていると言えます--を受けて、世界経済の悪化には歯止めがかかっています。
大規模な財政出動と金融システム安定化策からの出口戦略
ただ、これは言い換えれば、世界の経済・金融は、政府や中央銀行の支援なしでは自律回復が難しい脆弱な状況にあるということになります。これは主要国だけでなく新興諸国も同様です。したがって、「金融機関の貸出態度が慎重であるため、資金が偏在し、経済の血液であるマネーの巡りは良くないものの、短期金融市場の金利は安定しており、格付けの高い発行体のCPや社債、国債、比較的シンプルなクレジット商品などの価格も上昇している」とすれば、それは世界全体でみれば、各国の施策を受けて流動性が潤沢であるためです。
6月にイタリアのレッチェで開催された主要8カ国(G8)財務相会合では、世界的な金融・経済危機に対応した景気刺激策や金融安定化策からの「出口戦略」の必要性が共同声明に盛り込まれました。多くの国にとって、今は考える時期であり、何か実行しようと考えている局面ではないと思われますが、同時に各国にとって、「出口戦略」は長期的に持続可能な回復を促進するために不可欠であることも事実です。
金融システム安定化策に関連して言いますと、今回のクレジット・バブル崩壊を受けて、欧米主要国では金融監督のあり方を見直す議論が高まっています。イギリスでは、金融システムの安定に関するBOEの役割を強化する方向で議論が進められており、野党・保守党からは、UKFSAを廃止して個別の金融機関に対する監督権限をBOEに移管すべきだという議論すら出ています。米国では、米財務省があらゆる業態のシステミックに重要な金融機関に対する監督権限をFRBに与えるべきであると主張しています。一方、バーゼル銀行監督委員会では、金融機関の所要自己資本に関する議論が活発化しています。これは邦銀の経営判断に大きな影響を与えかねない議論であり、日本銀行としても高い関心をもって議論に参加しているところです。
4.主要国中央銀行の政策対応
以下では、いわゆる非伝統的な金融政策を含め、2008年9月のリーマン・ショック以降の主要国中央銀行のこれまでの政策対応を振り返りたいと思います。大別すると、以下の4つに整理できると思います。
第1は、政策金利の大幅な引き下げです。主要国の中央銀行はいずれも政策金利を1%以下の低水準に引き下げています。現在の政策金利は、FRBは0~0.25%、欧州中央銀行(ECB)は1.0%、イングランド銀行(BOE)は0.5%、日本銀行が0.1%と、それぞれ極めて低い水準にあり、さながら事実上の「ゼロ金利クラブ」が形成されています。もっとも、各中央銀行は政策金利をゼロにはしていません。これは金利引き下げによる景気刺激と市場機能維持のバランス確保が重要であるとの共通認識があるためです。その背後には、わが国のゼロ金利政策や量的緩和政策の経験から、主要政策金利を完全にゼロにすると、短期金融市場の機能が損なわれ、非伝統的な金融政策からの出口戦略がスムーズにいかなくなる、という懸念が共有されているということがあると思います。
第2は、潤沢な流動性供給を通じ金融市場の安定を図っていることです。主要国の中央銀行は、短期金融市場に対して潤沢な資金供給を行って市場の安定化を図る際、(1)資金供給オペの拡充、(2)新たな資金吸収手段の導入、(3)スタンディング・ファシリティーの整備など、様々な措置を講じました。(1)にはオペの頻度・規模の拡大、オペ期間の長期化、適格担保の拡大、取引先の拡大等が含まれます。(3)は超過準備に対する付利制度の導入、貸出ファシリィティーの貸出期間延長などです。主要各国の金融調節の枠組みは共通化する傾向を強めているように思います。また、通貨スワップ協定を活用した外貨建て資金の供給の開始、クロスボーダー担保スキームの導入・拡充など、国際的な連携の強化によって、金融市場の安定化を図ることも行っています。
第3は、買入れ対象資産の拡大です。リーマン・ショック後、企業金融の逼迫、住宅ローン金利の上昇や、資金のアベイラビリティーの低下などから、金融機能が低下しました。一般に、中央銀行による金融調節における買入れ対象の金融資産は、短期かつ安全性が高い短期国債が中心でしたが、リーマン・ショック後は、従来よりも保有リスクのある金融資産が買入れ対象に加わりました。具体的には、(1)機能不全に陥ったクレジット市場の活性化を目指したCP・社債など民間の金融資産の買入れ(日本銀行、FRB)、(2)幅広い資産の価格に影響を与えるため、あるいはマネーサプライの増加を図るための国債やエージェンシー債など長期資産の買入れ(FRB、BOE)、(3)金融機関の株式保有リスク削減努力の支援を通じた金融システムの安定確保を目的とした金融機関保有の株式の買入れ(日本銀行)、などのスキームを導入しました。
第4は、個別金融機関等に対する流動性支援です。いくつかの中央銀行は、金融システムの安定維持を目的に、「最後の貸し手」としてこれを実施しました。特にFRBは、預金取扱金融機関でもプライマリー・ディーラーでもない政府系住宅金融機関や大手保険会社の流動性も支援しました。
非伝統的な金融政策運営の概念整理
主要国の中央銀行が採用している「非伝統的な金融政策」には様々なものがあり、その定義は必ずしも統一されていません。政策対応の波及経路や出口政策の理解に資するべく、非伝統的な金融政策について、以下では私なりの整理を試みます。
第1に、純粋な概念的な整理をすれば、非伝統的な金融政策は、中央銀行が自らのバランスシート(B/S)でテイクするリスクと超過準備の取扱いによって、以下の2つに分類できます。すなわち、(1)中央銀行が通常負担する水準を超えた信用リスクやターム・リスクをとりながら、B/Sの構成や規模を変化させるが、超過準備は原則吸収するケースを「信用緩和政策(Credit Easing Policy)」、(2)B/S上に信用リスクのない国債等の安全資産を計上して、短期金利の実質的な下限を達成する上で必要な金額を超えて準備預金を拡大させ、超過準備を放置するケースを「量的緩和政策(Quantitative Easing Policy)」、と定義できます。
このように考えると、BOEはクレジット・リスクを極めて限定的にしか採っていないため、自らも「量的緩和政策」としており、FRBとECBは「信用緩和政策」と主張しています。日本銀行は本年入り後、CPと社債の買入れオペを導入しており、限定的な「信用緩和政策」を導入しているといえます。しかし、実際の政策運営をみると、程度の差はあれ、信用リスクのある資産を購入すると同時に、超過準備が発生しているため、(1)と(2)の両方の特性を併せ持つ中央銀行が多い状況です。特に、FRBは2月までは「信用緩和政策」を採用していたといえますが、米国債購入を決定した3月のFOMC以降は、ハイブリッド型の非伝統的な金融政策にシフトしたと考えることができます。
第2に、各中央銀行が想定する政策波及メカニズム、および、購入する金融資産の信用リスクの大きさに着目すると、以下のように整理できます。すなわち、(1)金融資産購入政策、(2)信用緩和政策、(3)そのハイブリッドともいえる政策運営です。BOEは3月、マネーサプライ、貸出、名目支出を増加させるために国債・社債・CPを合計で750億ポンド購入する「金融資産購入策(Asset Purchase Programme)」を決定しましたが、購入する金融資産の大半はギルト債(国債)です。5月の金融政策委員会の議事要旨によれば、BOEは「景気が低迷するとの見通しが根強く、追加の金融緩和がないと、インフレ率が中期的にみて目標である2%を著しく下回る可能性が高い」との判断から、金融資産購入策の規模を500億ポンド拡大し、総額1,250億ポンドとすることを全会一致で決定しました。8月の金融政策委員会では、「イギリスの景気後退は従来の想定よりも深刻である。余剰生産能力はまだ暫く拡大する可能性が高く、中期的にインフレを抑制するであろう」との声明文とともに、「金融資産購入策」の規模をさらに500億ポンド拡大し、1,750億ポンドにすることを決定しました。一方、FRBは信用緩和政策に踏み込んでいましたが、前述の通り、3月に新たに3,000億ドルの米国債購入を決定し、エージェンシーMBS、エージェンシー債を含め、購入する資産の総額を1兆7,500億ドルまで拡大しました。その後、8月11・12日に行われたFOMC後のステートメントにおいて、米国債の購入については、「買入れペースを徐々に落とすことを決定し、10月末までに総額の購入を完了すると予想している」としました。
非伝統的な金融政策に踏み切る際の考え方
非伝統的な金融政策運営は、どの中央銀行にとってもチャレンジングな政策対応です。しかし中央銀行は、時間的制約の下で、その時々の金融・経済情勢に即した政策対応を考え、かつ実行する必要があります。その際、自らのB/Sの健全性を確保することを念頭に、B/Sの規模、資産サイドに保有する金融資産の構成を選択する必要もあります。また、中央銀行に課せられた中長期的な目標と合致するように、あるいは対外的・事後的な説明が可能なように、短期的にも有効な対応を行うことが期待されています。そのため、今回のクレジット・バブル崩壊後の厳しい経済・金融情勢においては、以下の論点について事前に十分に議論してから、非伝統的な金融政策といわれる政策対応に踏み切る必要がありましたし、今後も同様です。
まず第1に、非伝統的な金融政策に踏み切る理由の有無です。通常の金融政策運営、すなわち政策金利の変更だけでは、その中央銀行に課せられた金融政策の目標を達成できないという大前提が満たされることです。例えば、(1)金融市場の機能の著しい低下が持続すると判断される場合、(2)金融システムが危機に陥るリスクがある場合、(3)政策金利の引き下げ余地が事実上なくなった場合、などです。
なお、非伝統的な金融政策を行う場合には、適切な情報発信が通常に増して重要となります。具体的には、(1)非伝統的な政策運営が必要と判断される合理的な背景、(2)政策の主要な狙い、(3)非伝統的な政策の規模、などについての情報発信です。幹部の発言、リサーチ・ペーパー、ウェブサイトを活用した詳細な情報提供は、政策に関する市場参加者の理解を深め、効率的な期待形成を通じて政策効果を高める上でも有効です。
第2に、市場機能をできる限り損なわないようにすることです。中央銀行が信用緩和政策に踏み切って民間債務を購入することは、市場機能を損なうものだという批判を受けるケースがあります。金融市場の機能不全の改善度合いとのバランスによりますが、中央銀行が介入する市場やその規模は限定的にした方が良いと思われます。
第3に、中央銀行のB/Sの健全性を維持することです。リスク資産の買入れや個別金融機関への流動性支援を行う場合には、(1)万が一にもB/Sが大幅に毀損することのないような範囲に留めること、(2)将来、損失が発生した場合を想定して予め政府や民間主体との間での損失負担を定めておくことなどが、中央銀行の信認を維持する上で重要となります。
第4に、非伝統的な金融政策に踏み切る場合にも、中央銀行の独立性を意識した政策対応をすることです。一般に金融危機に陥ると、中央銀行の政策対応には、納税者に負担が生じる可能性が相対的に高い、あるいはミクロ的な資源配分の側面が強まるという点で、財政政策の領域に近い性格を持つものが出てきます。しかし、(1)ミクロの資源配分に対して中立性を保つよう、リスク資産の買入れや個別金融機関への流動性支援について考え方を示すこと、(2)いわゆる「最後の貸し手」機能の観点から説得力がなく、政府による財政負担や政策金融によって対応すべき企業・業種への直接的な金融支援は避けること、などが求められます。緊急を要するため、特定の企業・業種に流動性支援をする場合には、海外では事前に政府に対して「損失が発生した場合の財政負担」を求める仕組みにしておくことが一般的です。
また、長期国債買入れオペを伴う量的緩和政策に踏み切る中央銀行の場合、(1)国債管理政策と一定の距離感を保つこと、(2)国債買入れは財政ファイナンスが目的でないことを明確にしておくこと、が重要となります。金融市場では、「中央銀行が財政ファイナンスのために国債購入を進めていくことはない」点は理解されていると思われます。しかし、一方で、「中央銀行は財政面からの景気刺激策による長期金利の上昇圧力を意識せざるを得ないだろう」との見方が根強くあるだけに、長期国債買入れを行う中央銀行は、財政ファイナンスを目的としたものでないことを繰り返し説明していく必要があります。
第5に、危機時の対応である非伝統的な政策である以上、制度設計の段階から「出口戦略」について考えておくこと、また踏み切る前に、いつどのような形で終了することができるかについて、丁寧に対外説明をすることは重要です。日本銀行も、CPや社債の買入れなど異例の措置を実施する際に、企業金融に係る金融商品の買入れについての基本的な考え方を示し、そこでは、必要な期間に限り、適切な規模で実施することを述べています。もっとも、個々の措置に関する具体的な出口については、金融市場・企業金融の状況を時限措置継続の要否の観点から点検することが必要と判断しています。
政策対応の違いが生じる背景
各中央銀行が非伝統的な金融政策運営に踏み切る場合、直面している状況によって政策対応は異なってきます。違いは、(1)金融資本市場、特にクレジット市場の発達度合いや市場機能の低下度合いの違い、(2)間接金融中心か直接金融中心かの違い、などに起因します。
まず、(1)は、金融資本市場の規模によって、中央銀行が買入れオペなどを実施できる規模が制約されることを意味します。クレジット市場の機能低下は、欧米主要国に共通する問題でしたが、市場規模が大きく、各種クレジット市場へ積極的に介入しても市場機能を損なうリスクが最も低い中央銀行はFRBでした。dysfunctionに陥ったクレジット市場の機能回復を狙った非伝統的な措置なら、クレジット・リスク資産の購入は適切な政策対応といえます。
(2)について言えば、欧州では、銀行借入が企業の資金調達に占めるウエイトは90%程度と、40%程度である米国に比べて高くなっています。こうした状況を踏まえ、ECBは、金融機関の資金繰り支援や信用創出能力を回復させる政策手段を導入してきました。例えばカバードボンドの買入れについて、トリシェ総裁は、「enhanced credit support operation」と表現しています。5月に買入れを公表した後、カバードボンド市場は、発行・流通市場ともに一定の回復をみせました。ユーロ圏の銀行の資金繰りの改善に効果があったかどうかの判断は早計ですが、少なくともアナウンスメント効果はあったといえます。なお、個人的には、現在のECBの政策のうち、最も力を発揮しているのは本年5月に導入した「固定金利・金額無制限方式の1年物という長期のターム物資金供給」であると考えています。
この間、国債の買入れについては、日本銀行、FRB、BOEともに行っているものの、国債買入れの主な狙いは異なっています。まず、日本銀行では、長期国債買切りオペについて、資金供給手段であり、したがって「通常の金融政策運営の枠組み」に属するものとしています。
次に、BOEですが、国債を中心に金融資産の買入れを決定した3月5日の金融政策委員会の声明文をみると、「中期的なインフレ率目標を達成するため、マネーと信用の供給量の拡大を通じて名目支出を拡大させる更なる金融緩和措置を採用することが適当と判断した」とあります。すなわち、非伝統的な金融政策である「量的緩和政策」の柱との位置付けです。
一方、FRBがMBSの追加購入や国債の買入れを決定した3月17・18日のFOMC議事要旨をみると、国債買入れは「信用緩和政策」の一環と位置付けられています。FRBが国債の買入れに踏み切った背景には、モーゲージ金利の低位安定を期待したエージェンシーMBSの購入等を補完する目的があったのではないかと思われます。実際、6月23・24日開催分のFOMC議事要旨には、「FRBは、資産買入れプログラムについて、市場機能を改善し、モーゲージ金利や家計や企業に対するその他の長期与信にかかる金利を、プログラムがなかった場合に比べて引き下げることにより、経済活動をサポートすることを意図している」と記されています。
5.中央銀行のB/Sのコントロール力と『出口戦略』
中央銀行のB/Sの規模と構成項目
中央銀行のB/Sの規模は、金融システムが正常に機能している局面(平時)においては、銀行券発行高と所要準備という負債サイドの要因によって決まります。また、金融システムにストレスがかかる状況(金融危機局面)では、超過準備を許容する緩めの金融調節を行うため、バランスシートは超過準備の規模だけ平時よりも膨らむことになります。
一方、B/Sの構成項目も平時か金融危機局面かによって異なってきます。金融システム不安が高まった際の中央銀行の政策対応を、B/Sの構成項目の変化から整理すると、負債サイドでは、流動性リスクに直面する金融機関を支援するために金融調節で潤沢な流動性を供給するため、超過準備を許容することになります。また、資産サイドでは、伝統的な保有資産は超過準備の需要に対応するため増加し、さらに機能不全に陥ったクレジット市場に介入して当該資産を買入れオペや買い現先オペの対象とすることに伴い、非伝統的な金融資産が入ってくることになります。
主要国の中央銀行で政策金利の引き下げ余地がほぼなくなった現在、B/Sのコントロール力の高さが、その金融政策の自由度を計る一つの基準になります。主要国の中央銀行は、今のところ、マクロ経済の安定性の観点から適切と判断されるときに、程度の差はあれB/Sの規模や構成の変更ができる状況にあります。
FRBのB/Sは、世界的な金融危機の発生後、大きく拡大し、その規模はピーク時には2兆2,565億ドルとなりました。その後、緊急時対応として導入したTAF、CPFF、PDCFなど一連の短期資金供給策による資金供給が減少傾向に転じたことから、B/Sは幾分縮小したものの、現在でも2兆ドル程度で推移しています。負債サイドでは超過準備が大幅に増加しましたが、資産サイドは、以下の5つに大別できます。すなわち、(1)従来から保有する米国債、(2)非伝統的な金融政策として新たに買入れを開始した長期資産(長期米国債、エージェンシー債、エージェンシーMBS)、(3)短期の資金供給(TAF<銀行向けターム物入札方式貸出制度>、CPFF <CP買入れ制度>、AMLF<MMFからのABCP買取り制度>、PDCF<プライマリー・ディーラー向け貸出制度>、海外の中央銀行とのスワップ等)、(4)経営危機に陥った個別金融機関向けの貸出、(5)その他の資産、です。
FRBは6月23・24日のFOMC等で、短期金融市場の改善によって市場参加者の利用頻度が減少した複数のプログラムの縮小、一時停止、利用基準の厳格化を決定しましたが、依然として危機対応措置として必要であると判断した時限措置は延長しています。例えば、MMIFF(MMF向け貸出制度)は停止、AMLFは利用条件を厳しくして延長、TAFは7月、8月と段階的に減額、TSLF(証券会社向けターム物証券貸出制度)はオファー頻度を低下させ、残高を減少させる方針です。一方、バック・ストップとして機能しているCPFF、PDCFは、利用条件を変更せず、2010年2月1日まで延長することが決定されています。
また、FRBは8月17日、今年12月末までの時限措置としていたTALF(ターム物資産担保証券貸出制度)の期限延長を公表しました。具体的には、TALF対象のABS及び既発CMBSは来年3月末まで、7月に開始されたTALF対象の新発CMBSは来年6月末まで延長されることになります。FRBは、ABS市場やCMBS市場という証券化商品を中心にクレジット市場の機能は依然損なわれた状況にあり、当面、そうした状態が続くという厳しい認識を示しています。今後TALFの活用が増えれば、それだけFRBのバランスシートは拡大することになります。ただ、商業用不動産の下落を受けてCMBS市場は軟調であることに加え、2010年にかけて大量のCMBSのリファイナンスがあります。今回の措置について、市場ではそうしたことを意識したものであるとの見方もあります。
FRBによる米国債・長期のリスク資産買入れプログラムは、「出口」の際に慎重な取扱いを要しますが、購入する長期資産の残存期間を短期化することは可能です。そのため、FRBは現在、膨張しているB/Sを縮小できる手段を持ち合わせていると言えます。
日本銀行も、B/Sのコントロール力を相応に確保しています。それは日本銀行が、(1)欧米中央銀行に比べ豊富で多様な金融調節手段を有していること、(2)CP・社債といった民間債務購入策では、FRBと同様、市場環境が正常化すれば利用頻度が減り、その分B/Sが縮小する仕組みとしていること、(3)企業金融支援特別オペレーション等の今回の施策の多くに時限を設定していること、(4)国債買入れ保有残高に対する上限ルールを保持していること、などによります。
非伝統的な金融政策の「出口戦略」
非伝統的な金融政策の「出口戦略」については、前述したように、できるだけ早い段階で丁寧に情報発信しておくことが肝要です。市場には「実体経済と金融の負の相乗効果が顕在化している最中に、非伝統的な金融政策の「出口戦略」を議論するのは時期尚早」との声もあります。しかし、非伝統的な金融政策は、過去に例のない政策対応ですから、出口のぎりぎりになって情報発信すると金融市場が混乱し、スムーズに退出することが困難になる可能性があります。
やや技術的になりますが、「出口戦略」をスムーズに実行するために、日本銀行の手形売出オペのように、多様な短期の資金吸収手段を事前に準備しておくことも重要です。日本銀行が比較的スムーズかつ短期間で量的緩和政策から脱却できた背景として、(1)量的緩和政策の採用時、超過準備を主に短期資金供給オペで供給していたこと、(2)出口が視野に入ってきたタイミングで、オペの期落ち時点をずらす「期日管理」という手法を活用し、オペをロールオーバーしないことによってB/Sを自然に圧縮できたこと、(3)手形売出オペという便利な資金吸収手段を持ち合わせていたこと、を指摘できます。
こうした中、多くの主要中央銀行は、現時点から(1)市場機能の回復に応じて自動的にニーズが低下し、「バック・ストップ」の役割を果たすように予めデザインされているスキームの設定、(2)短期間に過剰流動性を吸収できるような資金供給の仕組みや資金吸収手段の拡充、(3)買入れたリスク資産の売却の可能性についての言及など、非伝統的な政策対応からできる限りスムーズに出ていけるような機動性を確保する工夫を行っています。
ここでは(3)に関連して、FRBの長期資産買取りスキームを例にとってみてみたいと思います。NY連銀のダッドリー総裁は7月29日、「FRBのB/Sは先行き2.5兆ドル程度と昨年12月のピークを上回る可能性があるが、今後は長期資産の買入れオペによるB/Sの拡大が中心になってくる見通しである」と発言しています。そうした下で、FRBは、現行の非伝統的な金融政策からの「出口戦略」について、「保有する米国債やエージェンシーMBSについて、リバース・レポを通じた一時的な売却や市中売却、あるいは、満期に伴う償還によってB/Sから外すことができる」と説明しています。ただし、これまでFRB幹部が説明している「出口戦略」をみると、金融調節上の工夫などテクニカルな部分に関しては多くは触れられていません。特に、実際の出口において、保有する金融資産の売却に踏み切る場合には、金融市場が混乱しないよう、一層丁寧な情報発信が必要となると思われます。
FRBのバーナンキ議長は、7月21日、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に「Fedの出口戦略」というタイトルで寄稿しました。大意は、(1)FRBのB/Sが大きく膨らんでいても、準備預金への付利と、準備預金額を減らすための様々な政策手段という金融引き締めを行うための手段が2つある、(2)さらに、準備預金を減らし、超過準備を吸収する策には4つの選択肢があり、それは、(ア)金融市場参加者との大規模なリバース・レポ取引、(イ)財務省が債券を売却しその代金をFedに預金すること、(ウ)銀行に対するターム物預金の提供、(エ)保有長期債の市場売却である、(3)このように金融引き締めを実現する多くの効果的な手段を持ち合わせているが、自分を含むFRB幹部が情報発信しているように、米国経済の現状をみると、長期間に亘って金融引き締めは必要にならないと判断している、といったところです。
ただし、バーナンキ議長が指摘した4つの選択肢が、非伝統的な金融政策からのスムーズな「出口戦略」を保証するものかどうかは未知数であり、財政政策とのバランスという観点から非伝統的な金融政策の「出口戦略」に影響が出てくる可能性があるとの見方もあります(例えば、7月27日付の英紙フィナンシャル・タイムズへのWolfgang Münchau氏の寄稿を参照)。経済・金融情勢が目まぐるしく変化する中、各国中央銀行は市場参加者も未経験の非伝統的な金融政策を採用していますので、その「出口戦略」について丁寧に情報発信することが極めて重要であると思います。
6.伝統的な金融政策運営に軸足を移し始めた主要国の中央銀行
既に述べましたが、リーマン・ショック後、主要国の中央銀行は、「信用緩和」、「量的緩和」といわれる非伝統的な金融政策に踏み切りました。しかし、最近の主要国中央銀行は、非伝統的な金融政策をさらに進めることよりも、大きな方向感としては、現在の超低金利政策を継続することを強調する情報発信を行っています。
例えば、FRB幹部からは、最近、景気回復力の脆弱さやインフレ圧力の弱さを理由に、「政策金利の引き上げはまだ遠い先のことである」という趣旨の情報発信が増えてきているように思います。このような情報発信は、サンフランシスコ連銀のイエレン総裁が「景気回復ペースはいらいらするほど緩慢である」、「主要政策金利であるFF金利は今後2年間程度、ゼロ近辺にとどまる可能性がある」と発言した6月末頃から始まりました。
このように伝統的金融政策の強調が始まったのは、米国クレジット市場の機能が完全に回復したとはいえないものの、クレジット・スプレッドが縮小するなど、「信用緩和政策」の効果が一部で見えてきたからであると思います。超低金利政策を継続する姿勢を強調するFRB幹部発言の頻度が増えて以降、ターム物金利及び短期債利回りの安定を通じて米国債イールドカーブ全体が安定してきました。
ただ、失業率上昇や商業用不動産価格の下落から、米国金融機関の不良債権処理に要する時間とコスト負担が大きいと考えられるため、こうしたことも、「出口戦略」を考える際には、重要になると思います。また、米国債の買入れについて、8月のFOMC後のステートメントには、既定の3,000億ドル分について「10月末までに総額の購入を完了すると予想している」とありますが、エージェンシー債、エージェンシーMBSの買入れは継続されます。B/Sの拡大傾向は続きますので、B/Sのコントロール力の維持といったことなども、同じく重要であると思われます。
ところで、非伝統的な金融政策を採用している中央銀行は、非伝統的な政策運営や時限措置からの「出口戦略」と、超低金利政策からの「出口戦略」とを区別して情報発信することが必要になってきます。多くの市場参加者は、2つの「出口戦略」の違いを理解しつつあります。景気悪化や金融システム不安が徐々に和らいでいけば、非伝統的な政策措置の見直し、解除といった話は出てくるでしょう。中央銀行としては、どの異例な措置、時限措置の「出口戦略」について情報発信をしているのか、万が一にも誤解を与えないように、丁寧な説明に努めていく必要があります。
一方、伝統的な金融政策については、主要国の中央銀行は低金利を維持しており、中には先行き低金利を維持するとの見通しを示す、いわゆる時間軸政策を打ち出しているところもあります。今のところ、これら主要中央銀行は、新たに時間軸政策を採用したり、「時間軸」を強める明示的な表現を使用したりしていません。もっとも、先行きの景気・物価情勢が下振れる蓋然性が高まるような場合には、超低金利政策へのコミットメントを打ち出すということも、選択肢としては考えられます。
この間、伝統的、非伝統的な金融政策運営を問わず、主要国中央銀行は金融市場に潤沢に流動性を供給しています。また、主要国、新興国で大規模な財政刺激策が発動される下で、市場参加者のリスク・アペタイトが回復するにつれて、株価、不動産価格、資源価格などの資産価格がファンダメンタルズで説明できる以上に押し上げられる可能性があります。その場合には、金融危機解決の目処が立たないうちに中央銀行が引き締め的な政策スタンスに転じたと解釈されることがないように注意しつつ、各国中央銀行は潤沢な流動性の供給を見直すべきではないか、といった意見が出てくるかもしれません。ITバブル崩壊後に、主要国の中央銀行が超低金利政策を必要以上に長く続けたことが、世界的なクレジット・バブルを発生させ、世界的な金融危機を招いた原因であるとの見方が根強いためです。
ただ、政府や中央銀行の政策対応は、世界経済の持ち直し自体を支えていることも事実です。また、欧米金融機関の貸出態度は緩和的とは言えないと言われています。個人的な見解ですが、(1)資産価格上昇は「副作用」というよりも、企業・家計部門のコンフィデンス改善に寄与するポジティブなものとも解釈できること、(2)いわゆる様々なキャリー・トレードの復活は、市場参加者のリスク・アペタイトの回復を示唆するものと解釈できること、(3)米国と中国を除き、来年に入ると財政刺激策による景気押し上げ効果が一巡するため、世界経済の「景気二番底」を警戒する声が絶えないこと、(4)非伝統的な金融政策の「出口」と超低金利政策の「出口」の違いに関する市場の理解の定着には今暫く時間を要すると考えられることから、潤沢な流動性供給の扱いに関しては十分な議論が必要であると思っています。
7.リーマン・ショック以降のわが国の金融政策運営を振り返る
以下では、2008年9月のリーマン・ショック以降の日本銀行の政策対応を振り返ってみたいと思います。大きく3つの視点に沿って整理できます。第1は、政策金利の大幅な引き下げ、第2は、潤沢な流動性供給を通した金融市場の安定確保、第3は、企業金融円滑化の支援のためのクレジット市場など個別金融市場の機能回復を促す措置、すなわち企業・家計向けの各種貸出の金利上昇や、アベイラビリティーの観点などから、金融市場が全体として逼迫をきたしている場合、中央銀行が民間債務を買入れたり、適格担保を拡大したりする政策対応です。
一連の政策をワンセットでとらえ、金融市場全体への効果を考える
日本銀行の政策対応を受けて、CP市場で格付けの高い企業が発行するCPの金利が短期国債の利回りを下回る官民逆転現象が起こりました。しかし、一つ一つの市場の歪みを見て効果の良し悪しを論じることは必ずしも適切ではなく、最終的には企業金融全体で判断すべきです。リーマン・ショック後に日本銀行が採用した金融政策面での措置については、前述のような3本柱の形に整理して対外的に情報発信してきましたが、本来、これらの措置を明確に峻別することは難しく、評価するにしても、総合的対応としての政策効果を考えるべきです。例えば、企業金融支援を主眼とした措置は、現在ではターム物金利の低位安定に寄与しているとみられます。
企業金融を取り巻く環境は依然厳しい
わが国の短期金融市場、クレジット市場、債券市場は安定した動きが続いていますが、企業金融は引き続き厳しい状況にあると判断されます。といいますのも、第1に、企業のキャッシュ・フローは厳しい状況が続いています。日銀短観(6月調査)では、2009年度上期の当期純利益は、全規模・全産業は前回比修正率が-62.9%、大企業・製造業では欠損となっています。また、第2に、法人向け貸出が減少し、貸出金利が低下している中で、貸出市場は再び借り手優位になっているはずですが、6月短観の全規模・全産業の借入金利水準判断D.I.(「上昇」-「下落」)は、3月-5→6月+3→9月予測+14と、今後の上昇見込みを示しています。この背景には、昨年末あるいは昨年度末にかけてのCP金利や銀行借入金利上昇という苦い経験のほか、格付機関による格下げや金融機関における自社の信用格付の悪化等によって、将来的に借入金利が上昇することへの警戒感があると思われます。そして第3に、以上の話とも平仄がとれますが、足許のCP金利やターム物金利は低下しているものの、企業からは企業金融支援策の継続を求める声が根強いことです。
こうした中、7月の金融政策決定会合では、9月までの時限措置としていたCP買入れオペ・社債買入れオペを3ヶ月間延長することを決定しました。両オペの落札実績などから、市場では「その役目を終えた」との見方もあります。しかし、これらの時限措置は、導入当初からバック・ストップの位置づけにあり、恒常的に活発に使われることを想定していません。市場機能が回復すれば、自動的に「出口」に近づく仕組みになっている点も既に説明しました。
また、「企業金融支援特別オペ」についても、条件の見直し等を一切せずに3ヶ月間の延長が決定されました。個人的に考えたことは、ターム物金利に影響を及ぼしているとみられる「企業金融支援特別オペ」を現時点で見直すことは、金融市場のボラティリティーを無用に高めるリスクがある、ということです。もっとも、金融市場が異例措置である「企業金融支援特別オペ」への依存をさらに強めた場合、(1)金融市場や経済の自律的な調整を阻害するリスク、(2)同オペの各種見直しや撤廃する際、金融市場が混乱するリスクなど、長い目でみれば副作用があり得ます。また、企業金融を取り巻く環境は厳しいといっても、一頃に比べれば改善方向にあるのも確かですので、私は、2月の金融政策決定会合で決定した6ヶ月間延長ではなく、7月は9月末で期限が到来する同オペを3ヶ月間延長することが適当であると判断しました。
8.まとめにかえて
主要国の金融市場をみると、金融機関の貸出態度が慎重であるため、資金が偏在し経済の血液であるマネーの巡りは良くないものの、短期の金利は安定しています。また、格付けの高い発行体のCPや社債、国債、比較的シンプルなクレジット商品などの価格も上昇しています。このように、金融市場が表面的に安定しているボトムラインには、各国の中央銀行の施策を受けて流動性が潤沢であることがあります。そうした中で、(1)景気回復期待を後退させるマクロ経済指標、(2)「出口政策」を巡る思惑の一人歩きなどは、金融市場における安心感に水をさす可能性があります。一方、非伝統的な金融政策や大型財政出動は、その潜在的な副作用を考えると、いつまでも継続すべきでない時限措置であるだけに、各国のポリシー・メーカーは「市場との対話」に細心の注意をはらう必要があります。
世界的な金融危機の発生は「市場の失敗」といえるだけに、90年代以降の金融業界をリードしてきた投資銀行やヘッジファンドを含め、金融機関の規制強化の動きが世界的に強まっています。また、わが国では公的金融の重要性が再認識されていますが、政策金融の肥大化という「政府の市場への介入」には限界があるように思われます。政策金融の肥大化には、効率的な資本市場の育成が阻害されることや、市場原理による適正な資源配分が阻害されることなど、相応のデメリットもあります。世界の潮流をみると、金融機関に対する規制強化の流れもあり、中期的に貸出余力は高まりにくい状況にあります。わが国でも、昨年度は大企業の資金調達がCP・社債・株式から間接金融や政策金融にシフトする動きがみえました。新年度に入り社債発行額は増えていますが、発行体の顔ぶれの多様化は必ずしも進んでいません。政策金融を活用していくならば、政府保証等、マーケット・メカニズムを補完する政策対応を通じて、わが国のクレジット市場の機能向上を促していくことを期待したいと思います。
岡山県経済
最後に、岡山県経済について触れさせていただきます。岡山県といえば、まず「ものづくり」という言葉が思い浮かびます。水島は全国有数の工業地帯ですし、実際、県内総生産に占める製造業の割合は、全国平均に比べて1割近くも高くなっています。輸出も盛んで、昨年の7~9月期は全国の前年同期比+3.2%に対して岡山県は+34.3%と非常に大幅な増加率でした。しかしこれを裏返すと、岡山県経済は、全国や世界の景気動向に左右されやすく、好況期には全国を上回る成長を示す一方、不況期には全国を下回って停滞する性格を持つということになります。今回の景気後退局面でも、その通りのことが生じていると言えます。
ところで、現在言われているのは、(1)昨年前半までの輸出の増加は、米国中心の過剰消費によるところが大きく、したがって、外需が当時の水準に戻るまでには相当な時間がかかるのではないか、(2)そうならば、輸出依存度の高い大企業・製造業による踏ん張りに期待しつつも、わが国として従来型の輸出を補完する、ないしそれに代わる需要の開拓も大切なのではないか、ということです。
今回お邪魔する前に、そうした意識の下で岡山の皆様による最近の取組みについて拝見しましたが、その中で「ミクロものづくり岡山」をキーワードとする産官学のネットワーク形成に関しては特に興味を持った次第です。それと言いますのも、これが「岡山県の伝統」に深く根ざした、無理のない自然な取組みであると感じられたからです。すなわち、航空機関連部品の共同受注を目指した「ウィングウィン岡山」のほか、医療技術の高度化を進めながら新たな医療産業の創出を目指す「メディカルテクノおかやま」や、福祉機器の開発・改良・商品化などを行う「ハートフルビジネスおかやま」などは、高精度微細加工技術の集積の層が厚く、また医療研究機関が集中するという岡山県のポテンシャルを最大限に活かした連携・融合と言えます。
皆様からすれば、ご自身の強みを見つめ直したところが、たまたま将来有望視される分野であったという感覚かも知れません。いずれの分野も、わが国ではその振興が強く求められており、皆様の取組みがフォロー・ウインドを受けていることに疑いの余地はありません。依然として厳しい景気情勢ではありますが、岡山県の皆様のご尽力が早期に実を結び、県内経済の飛躍に繋がって行くこと、さらにその果実がわが国経済の推進役にまで成長することを祈念し、私からのご挨拶を締め括りたいと思います。ご清聴、ありがとうございました。
以上