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【挨拶】「日本経済の現状・先行きと金融政策」

長崎県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 須田美矢子
2009年9月9日

英訳は、英語版ホームページをご覧下さい

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.わが国経済・物価情勢の現状と見通し
    1. (1)金融資本市場の動向
    2. (2)わが国経済・物価情勢の現状
    3. (3)わが国経済・物価情勢の先行き
    4. (4)リスク要因
    5. (5)当面の金融政策運営
  3. 3.不確実性と金融政策
    1. (1)現行の金融政策の枠組みと物価に対するリスク評価
    2. (2)金融政策の漸進性と機動性
    3. (3)リスクに関する情報発信─FOMCのケースを参考に─
  4. 4.おわりに

1.はじめに

 日本銀行の須田美矢子です。日本銀行では、総裁、副総裁および政策委員会審議委員、いわゆる「政策委員」(ボードメンバー)が、できるだけ頻繁に全国各地を訪問し、日本銀行の施策の趣旨をご説明申し上げ、かつご意見を直にお聞きして、政策判断の際に参考にさせていただいております。本日は、長崎県の各界を代表する皆様方に、ご多忙のなかをお集まりいただき、親しくお話しする機会を賜り、誠にありがたく、光栄に存じます。また、日頃私どもの長崎支店が大変お世話になっております。この場をお借りして厚くお礼申し上げますとともに、今後ともご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 本日、私からは、日本経済の現状・先行きと金融政策についてお話しし、最後に長崎県経済について僭越ながら私なりの見解を少し述べさせていただいた後、皆様方から当地の実情に即したお話や、忌憚のないご意見を承りたいと存じます。

2.わが国経済・物価情勢の現状と見通し

(1)金融資本市場の動向

 それでは、まず、昨年来わが国の景気に大きな影響を及ぼしてきた金融資本市場の現状からみていきます。昨年9月のリーマン破綻を契機に発生した世界的な金融危機は、各国政府・中央銀行による大規模な経済対策や、非伝統的手法を含む積極的な金融政策が奏効し1、終息に向けて徐々に沈静化しつつあります。過度な金融システム不安は後退し、内外の経済指標に改善の動きが拡がるにつれて、投資家のリスクアペタイトも徐々に回復しつつあり、各国の株式や社債をはじめとするクレジット資産は、春先以降、買い戻される展開となっています。

 もう少し詳しくわが国の金融市場の動向をみておきましょう。最初に、今回の金融危機に対して日本銀行が講じてきた措置を、ごく簡単に振り返っておきます。それらは、従来からある通常の手段を活用したものと、企業金融を支援するために実施したものの2つに分けて整理することができます。前者の主な措置についてみますと、まず、政策金利(コールレート・オーバーナイト物)の誘導目標を、昨年10月と12月の2度に亘って引き下げ、0.1%としました。また、年末および年度末越え資金の積極的な供給を実施したほか、長期国債の買入れ増額や適格担保範囲の拡大(要件緩和、対象商品の拡大)にも踏み切りました。

 他方、昨年10月以降、企業の資金繰りに対する懸念が急速に高まったことを受けて、企業金融を支援するための様々な措置も講じてきました。そのうち代表的なものとして、以下の3つが挙げられます。すなわち、企業債務を担保に政策金利の誘導目標と同じレートで無制限に資金供給を行うことができる企業金融支援特別オペ(08年12月)、CP等買入れ(09年1月)、社債買入れ(同3月)です。これら3つのオペは、レートを入札によらず最初から固定することや(企業金融支援特別オペ)、信用リスクを負担する度合いが高いこと(CP等・社債買入れ)などから、中央銀行の金融調節手段としては異例であり(以下、この3つのオペを「異例の措置」と呼ぶこととします)、あくまで時限措置という位置付けですが、7月の金融政策決定会合において、その実施期限を3か月延長し、12月末までとしました。

 こうした積極的な施策もあって、わが国の金融環境は着実に改善しています。すなわち、短期金融市場では、日本銀行による潤沢な資金供給の結果、資金余剰感の強い状態が続いています。無担保コールレートが0.1%近傍で安定的に推移するなか、国庫短期証券の流通利回りやGCレポレートは0.1%台で落ち着いた動きとなっています。また、TIBORなど銀行間取引におけるターム物レートも低下を続けており、今のところ9月末越えや年末越えプレミアムは限定的なものに止まっています。また、株式市場では、内外経済指標の下げ止まりや、米欧株価の上昇につれて買い戻される展開となっており、3月10日に7,054円と27年振りの安値を付けた日経平均株価は、足もと1万円台を回復して推移しています。国債市場では、景気底入れ期待を背景とする株価の反発や国債増発に伴う需給悪化懸念と、機関投資家の押し目買いニーズが交錯し、長期金利は基本的に1.4%を挟んで揉み合う展開となっています。

 この間、企業金融を取り巻く環境も改善の動きが続いています。輸出や生産が増加に転じキャッシュインフローが下げ止まるなか、在庫調整の進展に伴う運転資金ニーズの低下や、企業コンフィデンスの改善を受けた予備的動機による資金ニーズの低下などもあり、企業の外部資金需要は減少しています。また、資金調達環境も明確に改善しています。すなわち、社債市場では、A格までの高格付け社債が、スプレッドが縮小するもとで発行も活発化し、社債発行額は6月に過去最高額を記録しました。トリプルBなど格付けの低い社債についても、スプレッドは依然として高止まったままですが、起債が散見され始めるなど、社債の発行環境は全体として改善しています。CP市場でも、高格付け銘柄の発行レートが国庫短期証券の利回りを下回る、いわゆる「官民逆転」現象が発生するほど良好な発行環境となっています。この間、商工中金の8月の中小企業資金繰りDIが、7か月連続で改善し、リーマンショック以前の水準を回復するなど、貸出金利が低下するもとで、中小企業の資金繰りにも改善の動きがみられています。

  1. 1各国中央銀行が講じた政策については、日本銀行企画局、「今次金融経済危機における主要中央銀行の政策運営について」、日本銀行調査論文、2009年7月をご覧下さい。

(2)わが国経済・物価情勢の現状

実体経済の現状

 以上のような金融環境のもとで、わが国の景気は下げ止まっており、持ち直しに向けて着実に歩を進めています。先般公表された4~6月期の実質GDP成長率は、前期比年率+3.7%と、5四半期振りのプラスとなりました。中身をみますと、設備投資、住宅投資が引き続きマイナスとなる一方、純輸出、個人消費、公共投資が全体を押し上げたかたちとなっており、外需の持ち直しと経済対策に支えられた反発との評価が可能です。

 それでは、項目ごとの背景をやや詳しくみていきます。まず、実質輸出ですが、10~12月期(前期比-14.6%)、1~3月期(同-28.9%)と2期連続して大幅に減少した後、4~6月期は前期比+12.4%の大幅増となりました。7月も前月比+2.3%と増加を続けています。各国で打たれた各種経済対策が奏効し、中国をはじめとする東アジアや、米国において、自動車や情報関連といった品目の在庫調整にほぼ目途が立ちつつあり、輸出ははっきりと持ち直しています。また、公共投資も、公共工事出来高が4~6月期にかけて伸び率を拡大するなど、経済対策の執行に伴って増加を続けています。経済対策効果は個人消費にも現れています。いわゆるエコカー減税等による自動車販売の持ち直しや、エコポイント制度による家電販売の増加が、4~6月期のGDPベースの個人消費をプラスに押し上げました。もっとも、7月の完全失業率が5.7%と過去最悪となるなど、雇用・所得環境が厳しさを増すなか、夏場の天候不順もあって、全国百貨店売上高や全国スーパー売上高などでは大幅な減少が続いているほか、7月の家計調査でも実質消費支出の前月比が減少幅を拡大するなど、個人消費の基調は引き続き弱いと評価しています。設備投資も、7月の資本財出荷(除く輸送機械)が前月比-1.3%となるなど、厳しい収益環境や設備過剰感を背景に大幅な減少が続いています。住宅投資も引き続き低調です。3月期末の値下げ販売により1~3月期は年率5万戸近い水準まで回復した首都圏新築マンション販売も、その後は再び4万戸程度の低い水準で推移しています。

 以上のような内外需要を背景に、鉱工業生産は持ち直しの動きを続けています。出荷・在庫バランスについても、資本財や建設財では引き続き在庫調整圧力の強い状態が続いていますが、耐久消費財や生産財などでは、順調に調整が進捗しています。

物価情勢の現状

 この間、物価面をみますと、生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、昨年の石油製品価格高騰の反動や需給バランスの悪化などから、マイナス幅を拡大させています。市場では、7月の前年比が-2.2%と、前月に続き過去最大のマイナス幅を更新したことから、デフレを囃す向きも窺われますが、これまでのところ想定の範囲内の動きであり、以下の点にも留意しながら、冷静に評価する必要があるように思われます。

 第一に、商品市況の変動特性を考慮すべきという点です。昨年来の物価の変動は、原油をはじめとする商品市況の影響によるところが大きいわけですが、商品市況は、上昇局面に比べて下落局面の方がスピードが速くなるという特性を持っています。したがって、消費者物価の下落幅がある程度大きくなるのも不思議ではありません。下落率だけをみますと、随分下げたとの印象を受けますが、指数水準自体は100.1であり、石油製品価格が高騰をはじめる前の2007年秋の水準 -原油市況も概ね当時の水準に戻っています- に戻ったというイメージに過ぎません(図表1(1))。

 第二に、物価指数の下落には、技術進歩や生産性の向上による部分もあるという点です。消費者物価から石油製品の影響を除いてみるために、食料およびエネルギーを除くベースの指数でみてみますと、やはり前年比は下落しています。したがって、消費者物価の下落には、石油製品価格高騰の反動以外の要因、例えば需給バランスの悪化も、何がしか影響を及ぼしている可能性は確かにあります。しかし、食料およびエネルギーを除くベースの消費者物価指数を、もっと長い時系列でみてみますと(図表1(2))、中長期的な下落トレンドを有していることがわかります。このことは、短期的な需給バランスの影響以外の要因、つまり、技術進歩や生産性向上に伴う下落分が含まれていることを示唆しています。こうした要因が消費者物価指数の先行きにどのような影響を及ぼしていくのかは不透明ですが、いずれにせよ、消費者物価の動きを評価する際には留意が必要です2

 第三に、物価を見通すに当って、需給バランスといった特定の数字に必要以上に引き摺られてしまうリスクです。例えば、需給バランスを表す代表的な指標に需給ギャップがあります。現在では、今回の大幅な景気悪化を反映して、マイナスの需給ギャップが拡大しているとみられます。もっとも、これまで様々な方法で需給ギャップを推計し、物価動向の分析に利用してきた私どもの経験からしますと、あまりそうした数字に囚われ過ぎると、却って物価の見通しを誤らせることにもなりかねない、というのが素直な感想です。どのような推計方法でも誤差はつきものですし、それが物価にどのようなタイミングで、またどのような強さで影響してくるのかについて定量的に把握することは、技術的に極めて難しい問題です。需給バランスの悪化が足もとの物価に下押し圧力となって作用していることは、考え方としては間違ってはいません。しかし、それを実際に物価の見通しにどのように織り込んでいくのかについては、慎重な検討が必要です。

  1. 2例えば、BISの前金融経済局長W.R.ホワイトは、こうした物価下落を"benign deflation"と称し、経済成長に悪影響を及ぼすデフレとは区別して議論しています("Is price stability enough?," BIS Working Papers, No205, April 2006)。実際、消費者物価指数(除く食料およびエネルギー)が下落トレンドを形成している2002年度以降も、日本経済は暫く年率2%程度の成長を続けました。

(3)わが国経済・物価情勢の先行き

 以上のように、足もとまでの経済指標をみますと、「わが国の景気は、本年度後半以降緩やかに持ち直していく」という標準シナリオに概ね沿った展開となっており、目先のダウンサイドのテール・リスクはかなりの程度低下したとみています。もっとも、やや長い目でみれば、経済対策効果や金融システムの帰趨など、先行きに対する不透明感は依然根強く、後ほど指摘するようなリスク要因を引き続き留意すべき状況であることに変わりはありません。

 それでは現状評価と同じように、項目ごとに、当面の見通しを簡単に整理しておきます。最初に実質輸出ですが、海外現地在庫の調整進捗や海外経済の回復を背景に、持ち直しを続けるとみています。その前提となる海外経済をやや詳しくみておきますと、米国や欧州では、厳しい雇用・所得環境が続くもとで、家計に加わるストレスは引き続き強く、個人消費や住宅投資を取り巻く環境は、当面厳しい状態が続くとみられます。ただし、そうしたなかにあって、経済対策効果や在庫調整の進捗等から、消費者や企業のコンフィデンスは回復傾向を辿っています。また、設備投資の先行指標や住宅価格にも漸く下げ止まりの兆しが窺われるなど、景気底入れに向けた動きが徐々に拡がりをみせています。アジアでも、中国で経済対策の効果から内需の伸びが高まっているほか、NIEsやASEANでも、輸出や生産だけでなく、内需関連の一部にも持ち直しに向けた動きがみられるようになっています。この間、市場では、経済指標の反発を受けて、各国・地域の成長率見通しを引き上げる動きも窺われています。

 こうした輸出の持ち直しを受けて、生産も増加を続けるとみられます。鉱工業生産の予測指数によれば、7~9月期の前期比は4~6月期に続いて高い伸びとなる見通しです。また、企業収益や設備投資、特に能増投資の行方を考える上では、生産水準が採算ラインを回復するかどうかが一つのポイントになります。図表2では、マクロでみた損益分岐点に対応する稼働率と実際の稼働率との比較を示していますが、それをみますと、足もとの生産水準は採算ラインを割り込んでいることがわかります。多くの企業が固定費削減努力に取り組んでいることを考えれば、生産水準が2008年前半の高いレベルまで戻らなければ、採算ラインを回復しないということではありませんが、とはいえ、採算が回復するまで、なお暫くの時間を要するとみられます。機械受注をみても、7-9月は減少を続けるという見通しになっており、設備投資を取り巻く環境は当面厳しいと言わざるを得ません。住宅投資につきましても、先行指標である新設住宅着工戸数が引き続き前年を大幅に下回るなど、当面減少を続ける可能性が高いとみられます。また、経済対策の効果によって自動車やエコ家電といった一部の商品に動意が窺われている個人消費についても、雇用・所得環境が厳しさを増すなかで、足もとでは新型インフルエンザという不確定要素もありますので、全体として弱めの動きが続くという基本的な見方に変わりはありません。

 物価につきましても、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比は、前年の石油製品価格高騰の反動などから、当面マイナス幅を拡大させていく可能性が高いとみています3

  1. 3仮に、8月以降も7月と同じ値で推移したとしても、昨年は8、9月の方が物価水準が高いことから、前年比マイナス幅は-2.4%にまで拡大していく計算になります。

(4)リスク要因

 以上のように、目先のテール・リスクは相当程度低下したとみられますが、もう少し長い目でみる場合には、経済対策に支えられた持ち直しの動きから自律的な景気回復の動きに順調に移行していくかどうかがポイントになります。この点については、依然として不確実性が高いと言わざるを得ません。以下では、見通し期間(次回「展望レポート」では2011年度まで)を通じて、特に入念な点検が必要と思われる上下双方向のリスク要因について、指摘しておきたいと思います。

  1.  第一に、国際金融資本市場に関するリスクです。このところ景気は最悪期を脱したというのが、市場のコンセンサスになりつつあります。ただし、先行きに関しては、市場参加者の見方にバラツキがみられ、市場は経済指標が公表される都度、楽観、悲観を繰り返しながら、相場の落ち着きどころを探っている状況です。そうした不安定な地合いのもとでは、例えば、経済指標の予期せぬ振れや、金融機関の破綻といったイベントによって、市場が大きく変動してしまうリスクが小さくありません。実際、米国では、自己破産件数や差押さえ物件の増加、ローンの借り換え・返済が困難化している商業用不動産の問題などが、具体的な懸念材料として指摘されています。また、欧州でも、中東欧問題などを背景に、金融市場の脆弱性を懸念する声が根強く聞かれています。したがって、引き続き実体経済と金融の負の相乗作用に対する警戒を怠るべきではありません。一方、市場のアク抜けが思いのほか速い可能性もあります。日本のバブル崩壊後の経験に引き摺られ、米欧の金融市場や経済の先行きに対する見方が過度に慎重になり過ぎていないか、虚心坦懐にチェックすることも重要です。

  2.  第二に、保護主義圧力の増大に係るリスクです。これはECBの政策理事会でのステートメントや世銀総裁も指摘している点ですが、自国企業を保護するとか、資源を抱え込むといった姿勢が各国で強まりますと、輸出回復が遅れ、景気が下振れるほか、物価への影響も懸念されます。

  3.  第三に、企業の中長期的な成長期待が下振れるリスクです。先ほど述べた先行きの見通しでは、企業の中長期的な成長期待が大きく崩れないことを前提としています。しかし、この前提が既に崩れている、もしくは、今後崩れるようなことがあれば、設備投資の減少が想定以上に長引いたり、大幅な雇用調整を通じて、個人消費が大きく下振れてしまう可能性もあります。

  4.  第四に、拡張的なマクロ経済政策に関するリスクです。各国で打たれている拡張的なマクロ経済政策が、想定以上に各国の実体経済を押し上げてしまうリスクには、その後の反動も含めて留意が必要です。特に最近では、かつての「円キャリー」ならぬ「ドルキャリー」という言葉を耳にするようになりましたが、市場で行き過ぎた期待に基づく偏ったポジションが造成されると、その後の巻き戻しによって市場や経済の変動を大きくしてしまう原因にもなりかねません。また、財政ディシプリンへの疑念による長期金利の上振れリスクにも警戒が必要です。

  5.  最後に、物価に関するリスクです。当面は、景気や中長期的なインフレ予想の下振れなど、インフレ率が想定以上に下落するリスクの方を意識しておく必要があります。しかし、より長い目でみれば、グローバルな金融緩和が続くもとで、再び商品市場に資金が流入し、一次産品価格の高騰を通じてインフレ率が想定以上に上振れてしまうリスクについても、引き続き留意していく必要があります。

(5)当面の金融政策運営

 日本銀行では、金融市場の安定確保に万全を期すとともに、上で述べた経済物価情勢に関する見通しや上下双方向のリスク要因を前提に、それらを丹念に点検しながら、日本経済が物価安定のもとでの持続的成長経路へ復していけるよう、最大限の貢献を果たしていく所存です。以下では、当面の懸案事項である「異例の措置」(企業金融支援特別オペ、CP等買入れ、社債買入れ)の出口について、簡単に触れておきたいと思います。

「異例の措置」の出口戦略

 先述のとおり、7月の金融政策決定会合において、9月末としていた「異例の措置」の実施期限を3か月延長し、12月末までとしました。それまでに、企業金融の状況を「異例の措置」継続の要否の観点から改めて点検し、仮に情勢が改善していれば、終了または見直しを行う一方、情勢が十分に改善しておらず、継続が必要と判断される場合には、「異例の措置」を延長することになります。現在のところ、それに向けて予断は全く持っていません。

 以下では、「異例の措置」を解除するにせよ延長するにせよ、その判断の背景にある私どもの意図ができるだけ正確に伝わるよう、検討に当たって重要と考える幾つかのポイントについて、改めて考え方を整理しておきたいと思います。そうすることによって、私どもと市場や企業の皆様との認識の共有が少しでも進むことが、アカウンタビリティの観点からは望ましいと考えています。

  1.  最初に、「異例の措置」を解除するか延長するかに関わらず、日本経済が物価安定のもとでの持続的成長経路へ復していくことを促すべく、当面は十分緩和的な金融環境を維持していくことが必要だという点です。こうした観点から指摘しておきたいことは、日本銀行のバランスシートの多寡が、金融緩和の度合いを表しているわけではないという点です。財政や銀行券の受払いなど当座預金を変動させる要因の振れが大きいわが国の場合、政策金利である無担保コール・レート(オーバーナイト物)を適切に目標水準に誘導するためには、比較的大きな規模の短期資金を、資金需給に応じて機動的に調節する必要があります。加えて、先般のように、市場機能が著しく低下し資金需給が大幅にタイト化した際にも、短期資金の供給を積極的に行いました。逆に、市場機能が回復し、資金の出し手が市場に戻ってくれば、短期資金の供給を減らすことになります。このように、無担保コール・レート(オーバーナイト物)を誘導目標に近づけ、安定化させるために、日銀のバランスシートは変動を繰り返すことになります。したがって、今後、仮にバランスシートが縮小していったとしても、金融調節方針が変わらないもとで、金融緩和の度合いが低下するわけではありません。

  2.  第二に、企業金融を取り巻く環境が改善し、「異例の措置」の役割は後退しつつあるという点です。「異例の措置」は企業に対して一定の安心感を与えてきました。したがって、それを解除することで再び不安感を呼ぶのではないかという懸念も理解できます。しかしながら、次の点を考慮しますと、企業金融を取り巻く環境は、通常の資金供給オペで代替しても安心感を損なわないレベルにまで、改善しつつあるのではないかとみています。すなわち、(1)CP等買入れオペ、社債買入れオペでは大幅な札割れが続いており、それらの必要性は低下しています。また、(2)短期オペ残全体に占める「異例の措置」の比率はさほど高くなく(図表3(1))、(3)共通担保資金供給といった通常のオペのレートも、十分低い水準まで低下していることから(図表3(2))、企業金融支援特別オペの相対的な位置付けも低下していると考えられます。

  3.  第三に、判断の際に重要なのは、企業金融全体の状況であるという点です。例えば、低格付け社債のスプレッドが高止まりしているという二極化問題や、中小企業の資金繰りが依然として厳しいという点などは、企業金融を考える上では、当然意識しておかなければいけない重要なポイントです。しかし、次の第四の点で指摘するようなデメリットを勘案しますと、「異例の措置」の要否を判断する際には、貸出やCPなどを含めた企業金融全体の状況がポイントになります4

  4.  第四に、「異例の措置」の持つデメリットを軽視すべきではないという点です。「異例の措置」に踏み切ったことによって、CPや社債の発行金利やターム物金利を抑え、高格付け銘柄を中心に社債の起債を促し、市場センチメントの改善に大きく貢献したことは事実です。しかし、その一方で、CP発行レートの「官民逆転」のような副作用が出ていることもまた事実です。こうした行き過ぎた状態が長く続けば、投資家の投資意欲が後退し、市場が本来持っている自律的な調整機能を却って阻害することになりかねません。また、中央銀行がミクロ的な資源配分へ少なからず関与することによって、市場の公平性や効率性を阻害してしまうリスクもあります。

 以上のような点を慎重に見極めながら、12月末に向けて「異例の措置」の扱いを検討していくことになります。繰り返しになりますが、「異例の措置」のメリットとデメリットは、文字通り裏腹の関係にあります。効き目が強ければ強いほど、その副作用も大きくなります。企業金融を取り巻く環境が十分改善したにも拘らず、「異例の措置」を必要以上に長引かせるようなことがあれば、副作用による悪影響が、導入によるプラス効果を、結果的に凌駕してしまうことにもなりかねません。そうしたことが生じることのないよう、十分留意していく必要があります。

  1. 4「企業金融に係る金融商品の買入れについて」日本銀行、2009年1月22日をご参照下さい。

3.不確実性と金融政策

 これまで経済・物価情勢の現状と見通し、並びに当面の金融政策運営について述べてまいりましたが、以下では、不確実性の高い状況で、どのようにリスク要因と向き合って金融政策を運営していけばよいのかについて、少し詳しく考えてみたいと思います。

(1)現行の金融政策の枠組みと物価に対するリスク評価

 最初に、現在の日本銀行の金融政策の枠組みについて、簡単にみておきます。日本銀行では、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」という日本銀行法第2条に掲げられた理念に基づき、まず、政策委員が中長期的に物価が安定していると理解する消費者物価の前年比を数値で示しています5。この「中長期的な物価安定の理解」を念頭におき、物価安定のもとでの持続的成長を実現させるべく、経済・物価情勢について以下の二つの「柱」による点検を行い、当面の金融政策運営の方針を決定しています6

  1. (1)展望レポートにおける見通し期間(先行き2年から2年半程度)において、もっとも蓋然性が高いと判断する経済・物価の先行きシナリオ(中心的シナリオ)が、物価安定のもとでの持続的成長経路を辿っているか(第一の柱)。
  2. (2)より長期的な視点を踏まえつつ、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクはないか(第二の柱)。

 市場や国民との対話においては、以上の枠組みに基づき、金融政策についての考え方、経済・物価情勢の判断、先行きに関する中心的シナリオ、それに対するリスク要因について丁寧に説明し、市場の自律的な予想形成を促しながら、お互いに政策変更の時期や金利改定幅などを見出していくということを、コミュニケーションの基本としています。特に、現在のように先行きに対する不確実性が高い局面では、中央銀行に必ずしも情報の優位性があるとはいえず、市場の自律的な予想形成を促しつつ、それを的確に把握することが、金融政策の運営にとって極めて重要になってきます。こうしたもとで量的緩和時代のように強力なコミットメントを使ってしまうと、市場がそれを織り込んでしまうため7、市場で自律的に形成された予想をみているつもりが、実際には自分の姿を市場という鏡で見ているに過ぎない、ということになってしまいます。必要なのは機動性に欠ける直接的なコミットメントではなく、様々な出来事に対して日本銀行ならどう対応するかを想定することのできる明確な枠組みであり、その枠組みの考え方について、市場と認識を共有しておくことだと思っています。

 なお、第二の柱で想定しているリスクは展望レポートの期間(先行き2年から2年半)の中心的シナリオの上振れ・下振れ要因だけでなく、より長いタイムスパンのリスクも対象にしています。例えば、発生の確率は必ずしも高くはないものの、発生すれば経済・物価に甚大な影響を与える可能性のあるリスクが想定されます。こうした観点から指摘しておきたいことは、物価安定の達成を中長期的な時間的視野でみておくことの重要性です。最近、消費者物価指数の前年比が当面マイナスで推移するとみられるなかで、果たしてそれが物価安定と言えるのか、という指摘を耳にします。しかし、人々のインフレ予想が大きく下振れていないもとで、やや長い目でみれば、消費者物価指数前年比のマイナス幅が徐々に縮小していくという見通しの蓋然性が高いのであれば、短期的な物価の下落に金融政策が振らされるべきではありません。もちろん、インフレに関する当面のリスクは、需給バランスの悪化に伴う下振れリスクであることは先にも述べた通りですが、むしろ経済や物価により大きなスウィングをもたらしかねないのは、拡張的なマクロ経済政策が、過剰な投資行動や、市場における行き過ぎたポジションの造成に繋がってしまうことです。こうした点から、第二の柱による点検がこれまで以上に重要性を増しています。海外の中央銀行の間でも、今回の景気の大幅な下振れや物価下落の背景に、過去に積み上げられた様々な過剰の解消があることを踏まえ、物価安定に対する中長期的な視点の重要性が改めて見直されています。

  1. 5具体的には、0~2%程度の範囲内にあり、政策委員毎の中心値は、大勢として1%程度です。
  2. 6枠組みにおけるリスクの取扱いについては、中村康治、長江真一郎「経済・物価見通しの不確実性と中央銀行のコミュニケーション」(2008年6月)日銀レビュー・シリーズ08-J-3をご参照下さい。
  3. 7量的緩和政策では、2001年3月の導入とともに、その解除に「消費者物価の前年比上昇率が先行き再びマイナスになると見込まれないこと」という条件を付したことから、消費者物価の前年比マイナスが続くなかで、非常に強力なコミットメントとなりました。実際、量的緩和政策が継続すると市場が想定した期間(時間軸)と、長期フォワードレートの間には右下がりの関係がみてとれます(白塚重典「金利の期間構造と金融政策」(2006年4月)日銀レビュー・シリーズ2006-J-5)。

(2)金融政策の漸進性と機動性

 次に、不確実性の程度と金融政策の関係について考えてみたいと思います。具体的には、不確実性が高いもとで、状況を確認しながらゆっくり対応していくべきなのか、リスクの蓋然性が高まる前に手を打っていくべきなのかといった点について、金融政策運営に対する二つのアプローチを紹介しながら議論してみます。

 まず、不確実性がない場合の最適な金利政策に対し、不確実性が存在する場合のアプローチとして、先行きに不確実性が高いもとでは、政策を慎重に進めていく方が望ましいという、いわゆる漸進主義の考え方があります。そもそも不確実性が高い局面では、様々な指標から経済や物価の基調的な動きを判断するのに慎重な検討が必要であるため、ある程度の時間を要します。逆にいえば、漸進主義をとることによって、多少なりとも時間的な余裕ができれば、それだけ情勢判断を誤るリスクを小さくすることになります。また、急な政策転換は中央銀行の信認を損なう惧れがありますが、漸進主義はそのようなリスクが小さい上、政策変更に対する市場の反応や国民の理解をある程度確かめながら対応できますので、アカウンタビリティも確保しやすいという利点があります。一方、政策変更をゆっくり行うと、結果的にビハインド・ザ・カーブになってしまう可能性があります。したがって、政策変更の環境が整ったと判断できれば、早めに小さな一歩を踏み出していくことが望ましいと考えられます。また、不確実性の程度によって、政策の慎重度合いも変化させる必要がありますし、リスクが顕現化する蓋然性が高まった場合には、機動的に動かなければなりません。

 これに対し、発生メカニズムが不明で、発生する可能性は低いものの、発生すると国民の損失が非常に大きくなるようなリスク-テール・リスク-にどう対処するかという問題があります。このようなリスクへの対応としては、最悪の結果だけは回避するように政策を運営するという考え方、すなわち、最大損失の最小化を目指すアプローチがあります。この最大損失回避型の政策(ミニマックス・アプローチ)は、どんな不確実なケースであっても、リスクを顕現化させるべきではないということを最優先に考えるアプローチです8

 2000年代初めの米国では、持続的な需給ギャップがデフレを引き起こす可能性が僅かながらも高まったとして、2001年後半から2003年前半にかけて、最大損失回避型の政策を採用し、利下げを続けました9。これについてグリーンスパン議長(当時)は、「FRBの政策決定者は、大半の伝統的な経済モデルが米国はデフレに陥ることを想定していないなかで、デフレのリスクを限定的なものとする政策を採用した」と述べています10。ただし、そうした予防的な政策対応の正当性を市場や国民に説明するのは簡単なことではありません。米国景気が底を打ってから2年以上経過した2004年1月、バーナンキFRB理事(当時)は、当時としては過去最低である1.0%という政策金利を維持している理由について、コアインフレ率の趨勢的な低下、需給ギャップの拡大や生産コスト低下につながる労働生産性上昇、労働市場の需給緩和という3つの特殊要因を指摘した上で、なおインフレ率の下振れリスクの方が大きいと説明していました11。こうした当時の政策に対しては、後になってその副作用が指摘されています。例えば、自らの政策の正当性を主張するために、当時、デフレ懸念の強さを繰り返し述べることになったわけですが、そのこと自体が人々のデフレ懸念を高めてしまった可能性や12、当時の低金利が、その後の住宅バブルの一因になったとの指摘などです13

 以上のような議論を踏まえますと、テール・リスクに対して予防的にアグレッシブな政策発動を行うのは難しいと思います。したがいまして、リスクの発生確率は低くても、リスクが顕現化する可能性が高まる方向に変化しているかどうかを、より長いタイムスパンで見極めながら、漸進的に政策運営を行う方が望ましいというのが、私なりの結論になります。

  1. 8武藤一郎、木村武「不確実性下の金融政策」(2005年11月)、日銀レビュー・シリーズ05-J-17をご参照下さい。
  2. 92001年6月の利下げについて、議事要旨では、一層の金融緩和という「追加的な保険」をかけておくことが望ましいとの見方で一致したとあります。
  3. 10Alan Greenspan, "Monetary Policy under Uncertainty," Aug.29, 2003をご参照下さい。
  4. 11Ben S. Bernanke, "Monetary Policy and the Economic Outlook," Jan.4, 2004をご参照下さい。
  5. 122003年9月特別会合の議事録によると、ミネハン(当時、ボストン連銀総裁)は、「1月から6月会合までに、ボードメンバーと地区連銀総裁は103に上るスピーチや証言を行ったが、デフレという言葉が200回も登場している。5月から6月の会合の間では116回であった」と述べています。また、2004年6月24-25日会合の議事録で、グイン(当時、アトランタ連銀総裁)は、「デフレについて外部で話をする際には、自己実現的なデフレ予想を醸成しないよう、細心の注意が必要である」と述べています。
  6. 13例えば、John B. Taylor, "Housing and Monetary Policy," Jackson Hole Symposium, カンザスシティ連銀、2007年をご参照ください。

(3)リスクに関する情報発信─FOMCのケースを参考に─

 それでは、このようなリスクについて、どのように情報発信するのが良いのでしょうか。参考までに、米国における事例を振り返ってみます。先ほど紹介した低金利によるデフレ予防策を講じた2003年から2004年にかけてのリスクバランスの説明振りが、図表4-1に示されています。これをみますと、2003年1月の会合までは、物価の安定と持続的な経済成長という2つの目標に関する、予見可能な将来の見通しについてのリスクを、総合的に評価しています。ただし、これには2つの目標に対する別々のリスク評価を足し合わせるという、困難な作業が伴います。3月会合では、イラク情勢の悪化で不透明感が高まり、リスクバランスについての記述を一度休止しましたが、5月会合では、それをどのように復活させるのか、或いはそのまま廃止にしてしまうのか、改めて議論されています。その結果、かなりの参加者の反対を押し切って採用されたのが、図表4-1にある、2つの目標に関するリスクを別々に記述し、その後全体のリスクバランスについて記すという方法でした。このように、リスクを書き分けることにしたのは、統合したままの文章では、非常に低い確率でFOMCが想定しているインフレ率のさらなる低下を、経済成長とともに記述するのは難しい、との判断からでした14。この5月のリスクバランスに関する表記の復活によって、インフレが大きく下振れるリスクをFOMCが意識していることが伝わり、長期金利が低下するなど、市場は大きく反応しました。これを受けて、その後もこの方式は続けられましたが15、12月の会合で、物価や景気の上振れ・下振れリスクを修正する際に、金融政策の視点からのリスクバランスを対応させていくことが困難という理由から、取り止めとなりました。

 次に、直近のリスクバランスに関する表記を纏めたものが、図表4-2になります。これをみると、不確実性が高いなかにあっても、経済物価の限界的な変化を、リスクバランスの微妙な言い回しの変化によって表し、的確に情報発信していることがわかります。2009年4月から8月までの議事要旨から、まず経済成長に関するリスク評価を抽出してみますと、(1)当面と、(2)見通し期間に分け、(1)では、4月から8月にかけて次第にダウンサイドリスクが小さくなっていることを、(2)については、翌年1月から6月にかけてリスクが概ねバランスしているというメンバーが増えており(6月会合時では過半数)、経済成長についてのリスクが上方向に修正されつつあることがわかります。

 一方、インフレについてはそれほど単純ではありません。まず(1)当面については、8月に「複数の参加者は、大幅なディスインフレーションのリスクがある」と指摘しているものの、全体としてみると、デフレリスクからインフレリスクの方に関心が移っているように窺われます。(2)見通し期間については、殆どの参加者(人数的には6月の方が多い)がリスクは概ねバランスしていると指摘しています。その他のメンバーはアップサイドとダウンサイドの両方向に散らばっているものの、その状況に変化はみられません。物価については(1)における変化の方が急であり、特に8月ではインフレ懸念への言及が増えています。

 以上のように、FRBでは、市場とのコミュニケーションのために、リスクやそのバランスに関する細かな記述を駆使しています。繰り返しになりますが、洋の東西を問わず、中央銀行では、金融政策を運営するに当たって、経済物価情勢を中長期的な観点から捉えています。しかし、市場や国民の意思決定におけるタイムスパンは、短期から長期まで様々です。リスクバランスの微妙な変化に関する情報発信で、そうしたタイムスパンのズレを補うことが可能だと思います。たとえ中央銀行の中心的シナリオに変更がなくても、リスクバランスを微妙に変化させることによって、政策判断の変化の兆しを市場は読み取ることが可能になります。我々としても、リスクバランスの微妙な変化を丹念に分析し、それを的確に情報発信していくことが、コミュニケーションの向上に繋がっていくものと考えています。

  1. 142004年5月5日会合の議事要旨をご参照ください。
  2. 156月会合の議事録によれば、グリーンスパン議長(当時)は、「5月会合におけるステートメントの劇的な成功を踏まえ、今回のステートメントもそれに極力近いものにしたい」と述べています。

4.おわりに

 最後に、長崎で金融経済懇談会を開催するに当たりまして、事前の勉強等を通じて、いくつか感じたことをお話したいと思います。

 まず、長崎県の経済情勢からみてみますと、当地の景気は厳しいながらも一部に下げ止まりの動きがみられています。すなわち、生産面では、機械・重電機器などで引き続き減産の動きがみられていますが、当地主力の造船が既往の受注残を消化しながらも高操業を続けているほか、電子部品等でも在庫調整の進捗を背景に持ち直しています。また、各種経済対策を受けて、公共投資が増加していることに加え、観光のほか、低調な個人消費の中でも自動車販売等ではその効果が窺われています。もっとも、雇用・所得環境が厳しさを増すなかで、住宅投資が低迷しているほか、経済対策効果の持続性に対する不透明感もあって、設備投資も減少しています。また、消費者物価指数は、石油関連製品価格高騰の反動などから、前年比マイナス幅を拡大させています。

 先行きにつきましては、下げ止まりから次第に持ち直しに向かうことが期待されます。しかし、やや長い目でみれば、経済対策効果や雇用・所得環境の帰趨など不透明感の強い状況であることに変わりはありません。この先、経済対策の効果が減衰していったとしても、設備投資など民需が次第に持ち直していけば、景気回復は持続していくと思われます。もちろん、日本銀行では、経済がそのように展開していくよう、金融面から最大限のサポートを行っていく所存ですが、やはり鍵を握るのは前向きな企業家精神です。来年のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」は、坂本龍馬を岩崎弥太郎の視線から描くドラマだそうです。両者ともあまりにも有名ですので、いまさら説明するまでもありませんが、龍馬を単なる幕末の風雲児として描くのではなく、グローバルな視野をもった起業家と捉えているところに、このドラマの面白さがありそうです。龍馬が創立した海運商社「亀山社中」(海援隊)は、ご承知のように長崎で結成されました。龍馬が亡くなった後、社名を「九十九商会」と改められますが、その「九十九商会」を岩崎弥太郎とともに立ち上げ、幹部となったのが、後に第3代日銀総裁になる川田小一郎です。川田はその後設立された「三菱社」でも、社長である弥太郎の弟、岩崎彌之助を、社長に次ぐ管事という立場から補佐しました。後に同社はわが国を代表する大資本に成長していきます。因みに、この岩崎彌之助も第4代の日銀総裁です。もっと身近な例もあります。長崎は日本で初めて缶詰製造が行われた地でもありますが、その日本初の缶詰工場「長崎県缶詰試験場」は、実は日本銀行長崎支店の場所にあったとされ、支店の前には「日本最初の缶詰製造の地」の碑が建てられています。その後、大正初期にはトマトソース漬けイワシ缶詰(トマトサーディン)が製品化され、長崎の主力輸出品として外貨獲得に大きな貢献を果たしました。こうした例にみられるように、企業の果敢なアニマルスピリットが、経済成長の源泉になることは言うまでもありません。

 当地では、これまで、積極的な企業誘致や、カステラ、チャンポン、陶磁器といった数多くの特産品のブランド力向上に努めてこられ、実際に実を結んできています。例えば、誘致企業による雇用予定者数は長崎県が策定した2010年度までの目標を既に達成したほか、最近では、佐世保バーガーやトルコライスといった長崎ゆかりの商品名を、東京でもよく耳にします。今回、当地を訪問するに当って、県のホームページで県産品のコーナーを覗いてみましたが、その目移りするほどの品揃えと魅力的な商品性には驚かされました。もっとも、所得環境が厳しさを増し、消費者の支出態度が一段と選別色を強めるなかで、的確な情勢判断や見通しに関する情報収集、魅力的な商品開発やプロジェクトの立案などの努力が、一層求められています。現在、当地では「都市経営戦略策定検討会」を発足させ、造船や電気機械を中心とする製造業、観光関連産業、漁業などの一段の振興に向け、官民挙げて具体的な検討を進められていると伺っています。是非、当地企業の旺盛な企業家精神が、実際の行動や成果に結び付くよう、具体的で地に足のついた戦略提言を纏めていただきたいと思います。日本銀行でも、先般、長崎支店が「NHK大河ドラマ『龍馬伝』の放映に伴う経済効果試算」、「長崎県における企業誘致の動向と今後のあり方」とのレポートを公表しましたが、長崎県経済の一層の発展に資するべく、様々なかたちを通じて最大限の貢献を果たしていきたいと思っています。

 私からはこのくらいにさせていただき、皆様方との意見交換に移らせていただきたいと存じます。ご清聴いただきまして、誠にありがとうございました。

以上